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絶対的な響きをもって鐘の音は時を告げた 5
一地区に入ったのは、もうすぐ冬も終わろうとする、陽射しが少しずつ和らぐそんな頃だった。人から伝え聞いた試験日程まであと少しもないはずだった。 最も中央に近い地区だけあって、町並みは整えられ、人々の集団生活は最も機能しているように見えた。しかし、町ゆく人の表情は浮かない。どこか顰められた声で何かが囁かれていた。奇妙な違和感を感じて、ギンも乱菊も顔を見合わせた。 「何だか、変よね」 「そやな……なんかあるんやろか」 ギンは乱菊の手を握る力を強くする。 「乱菊……どこぞに隠れていてくれへんか。なんか、怪しいわ」 「……うん。ギンが心配なら、それでいいよ」 二人は固く手を握って町を出ると、森に入った。乱菊は荷物を持って大樹の上に登り、ギンに合図する。乱菊の姿が見えないことを確認して、ギンは町へと戻った。 ギンは急いで町を廻った。試験会場や時間を確認しておかなければならなかったし、この違和感の情報を聞いておきたかったが、乱菊を長く一人にするのは不安だった。試験の情報はすぐに手に入った。瀞霊廷内部の建物で二日後の午前中から行われるとのことだった。普段、平民は入ることの出来ない瀞霊廷もこの日ばかりは門番に受験を申請して入ることができるとのことだった。 それに対し、違和感の情報を手に入れるのは少し時間がかかった。目立つ容姿のギンは明らかに余所者で、警戒している人々の重い口はなかなか開かなかった。ギンは人の良さそうな老人と長々と四方山話をし、やっと聞くことができた。 抜け死神数人がこの辺りに潜伏しているらしいということだった。 「なんでまだこんな近くにおるんやろ」 ギンの問いに、老人は笑った。 「捜索が厳しくて動けないんじゃろう。どうも、危ない死神の仕事よりも、人買いの方が楽だと死神を抜けた者共らしい。力のある人買いの元に持っていく土産を探しているとも噂されとるの。そりゃあ、死神になれるくらいの力の持ち主なら、人買いなんぞやっても命を落とすこともなかろうからのう」 「そやけど、抜けたら罰せられるんと違うんか」 「今、刑軍の死神がここらをうろついるのも、そやつらを捕まえようとしているからじゃろう。すぐに捕まるじゃろうが。……あんたはまだ坊主だからいいが、目立つから一応、気を付けなさい」 「何でや?」 「人買いに土産に持っていくなら、子供か女を持っていくじゃろうよ」 ギンは思い切り眉を顰めた。どこにでもこういう話はある。特に狙われるのは少女だ。ギンは乱菊を置いてきたことを後悔した。 「この辺に、空き家あらへんか」 町から離れていると危ないかもしれない。そう危惧したギンは老人に問う。老人は首を傾げた。 「ここらは人が溢れてるくらいじゃから、ちょっとないのう」 「……あまり町はずれに行きとうないんやけどな」 「ワシも泊めてやりたいが、もう人が入りきらんからのう……それに、あんたは死神の試験を受けるんじゃろう。ここらでは死神は敬遠されとる上にこの状況じゃから、泊まれるかどうか」 「そうなんか?」 「下っ端の死神は威張り散らす乱暴者が多いからのう」 「……」 黙り込むギンを前にして老人はしばらく髭を弄んでいたが、やがて明るい顔をして言った。 「ここより少し北に行った森の手前には空き家があるな」 「森」 「そこも確かに町はずれじゃが、森を抜けた先の草原に志波様が住んでおるから、他の森よりは人通りがある」 老人は真面目な顔をした。 「が、用心を怠ってはいかんよ。あんたのその髪は目立ちすぎる。目立つということは、目を付けられるということじゃ……抜けたとはいえ、死神じゃからのう。強いだろうよ」 ギンはすぐに乱菊を迎えに行き、北の森に移動した。老人に教えられた空き家はすぐに見つかった。そこに人の気配はなかったが、ギンは霊圧を完全に押し殺してしばらく気配を探ってから、やっと中に入った。 「ああ、乱菊、ここまあまあきれいや。試験勉強しよ」 「今更何をするっていうのよ」 「読み書き」 「……確かにまだちょっと不安が残るわね」 埃っぽい床に寝転がり、顔をつきあわせて二人は道中に手に入れた小話集を開いた。馬車の護衛を引き受けたときに、読み書きの出来る商人にこれを貰って、文字を習っていた。 窓から射し込む月明かりだけで、二人は文字を読んでいたが、目的地に到着して気が緩んだのか、乱菊は自然に寝入ってしまった。冬の気配が緩み始めたとはいえ、まだ寒い。ギンは乱菊にあるだけの筵をかけると、自分は入り口の戸にもたれかかって眼を閉じる。 試験まで、あと二日の夜だった。
試験前日の夕方。 ギンは乱菊の待つ空き家に向かって走っていた。朝、ギンは乱菊を置いて試験の準備のために家を出た。乱菊を置いていくことは何よりも嫌だったが、目立つ乱菊を連れて歩き回ると、彼女が目を付けられるかもしれない。思い悩んだギンは、結局、目を付けられることを恐れて乱菊を置いていくことにした。いろいろな人間に姿を晒す方が危険が増すと判断したからだった。乱菊もそのギンの考えに頷いた。 「小屋の中じゃなくて、昨日みたいに木の上にいることにするわ」 乱菊は空き家のすぐ傍にある大樹を指し示した。 「霊圧も押し殺して静かにするから心配しないで。確かに、あたし目立つから彷徨かない方がいいと思うし。枝の上で読み書きでもしてる」 そして乱菊は首を傾げて、軽く眉を顰めて言ったのだ。いつも一人でいろいろさせてごめんね、と。ギンは首を横に振った。乱菊がいないとギンは何もできなかった。 着物や食料の調達をして廻り、そこで試験の情報を新たに得ると、ギンは筆記用具を求めて走り回った。二人はいつも埃や地面に指で書いて文字を覚えていたが、試験には筆と墨が必要だった。一地区に到着するのに思いの外時間がかかったことをギンは反省した。準備が悪いと、こう慌てることになるのだ。そして乱菊を長い時間一人にする。ギンは休みもせずに走っていた。 そして全て準備するのに夕方までかかり、ギンは家路を急いでいた。せめて日が沈む前には戻りたかった。やっと眼に空き家と乱菊の登っている樹が飛び込んできた。ギンはほっと息をついた。 しかし近づくにつれ、ギンの心臓は不安な音をたてた。 どんなに乱菊が隠しても自分は感じる彼女の霊圧が、全く感じられない。近づいても全身を澄ましても感じ取れない。そればかりか、何か、空気中に焦げた臭いが微かに漂っている。 空き家の前まで来て、ギンの全身は凍りついた。 焦げて折れた枝。二人が教本としていた小話集。それらが散乱する地面には数人の、大人と思われる大きさの足跡がわずかに残っていた。 「……乱菊」 震える声でギンは乱菊を呼んだ。声を絞り出すようにして何度呼んでも、そこに返事はなかった。
ギンが家を出た後、乱菊はおとなしく木の上で読み書きをしていた。常緑樹の緑に覆われて完全に姿を隠し、霊圧も極力押し殺して、乱菊は用心してギンの帰りを待っていた。ときおり、人が通過したが、誰も乱菊には気づかなかった。 そして日も暮れようとする頃、下の道を少女二人が小走りで森へ入った。 お揃いの着物を着た、姉妹かと思われる少女達は、辺りを警戒しているのか、足音を消して急いだように森の中へ走っていく。手には木刀を持っていたが、霊力もなさそうな二人が、乱菊は少し気になった。 少女達が通り過ぎて、すぐにかすかな悲鳴が上がった。 最初に思ったことは、どうしよう、ということだった。ギンの顔が思い浮かんだ。けれど、樹の下を少女の一人を抱えた男が走るのを見て、乱菊は反射的に右手に霊力を集めた。 男がこちらを見上げた、と同時に遮る枝を無視して乱菊は霊力の塊を撃ち放った。そしてすぐに枝から飛び降りると、男の腕から離れた少女と男の間に割り込んだ。ばらばらと折れた枝が落ちてくる中、もう一度霊力を男に撃ち放つと、乱菊は少女を押しやった。 「逃げなさい!」 怯えて真っ青な顔をした少女は無言で走り出した。乱菊はもう一度霊力を撃とうと男を振り返り、男が蹲っているのを見ると、少女の後を追って走り出した。 と思った。 霊圧を感じた瞬間に、背中に酷い衝撃を受けて、乱菊は地面に倒れ込んだ。 「追っ手に気づかれるぞ!」 「早くここから逃げないと」 「このガキは連れて行け。こいつでいい。それでもうここから逃げよう」 朦朧とする意識の中、乱菊は自分の体が持ち上げられたのを感じた。ギンの姿が脳裏に浮かんだ。 ごめんなさい。ごめんなさい、ギン。 乱菊の意識は真っ暗な中に落ちていった。
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