|
絶対的な響きをもって鐘の音は時を告げた 4
二日間で全ての準備をし、住人全員に挨拶をした。乱菊に言い寄っていた二人も、ギンに対しては苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、乱菊には抱きしめんばかりに別れの言葉を告げていた。全員に見送られて、早朝、二人は出発した。 森の入り口まできて、乱菊は振り返った。もうここに戻ることはないだろうと思う。けれど、いい人達だった。乱菊の眼から涙がこぼれる。 寂しいけれど、なんだか、やっと前に進めているような気がした。 胸がきゅうと痛くなって前を歩くギンの腕に抱きつくと、ギンは「あらら」と言って乱菊の頭を撫でた。 「なんや、甘えたさんやね」 「そうよ。知らなかったの」 乱菊が上目遣いにギンを見上げると、ギンは柔らかく笑っていた。 「知ってたわ」 そう言って乱菊を自分の前に引き寄せると、ギンはぎゅうと抱きしめる。甘い匂いがギンの鼻をくすぐる。乱菊はおとなしく抱きしめられたままにしている。 「ねえ、ギン」 「なんや」 「もう、これからずっと一緒にいるのよね、あたし達」 乱菊は少し緊張して尋ねた。こんなことを訊くのは初めてのことだ。これまでずっと、返事を聞くことが怖くて言えなかったことだ。ギンの腕の中でギンの鼓動を聞きながら、乱菊は自分の心臓の音もこんな感じだろうかと思う。ギンの鼓動はとくとくと速かった。 早朝の森に小鳥のさえずりが響き渡っている。まだ涼しい空気がゆっくりと木々の間を流れ、下草が揺れていた。水と草と木々の匂いがする。 顔を上げて辺りを見回した後、ギンは俯いて乱菊の髪に顔を埋めた。視界が山吹色に染まる。 抱きしめる腕の力を僅かに強めてギンは囁いた。 「ずっと一緒や。ずっと」
旅はとても幸福なものだった。
山は高く、渓谷は切り立ち、樹海は深かった。数字の大きな間は、地区に入ると、住人達に狙われた。夜は大樹の枝の上で眠り、昼は森の中を移動した。草原を渡るときには不眠不休だった。それはとても厳しい道なき道だった。 それでも二人はとても満ち足りていた。 乱菊は、ギンの足取りに迷いがないのを見て、ギンがこれまでに何度もこの道程を通ってきたことを知った。その目的が何だったのか、本当のところは乱菊には分からないが、それでも、今はこうして二人でその道を歩いている。これを幸せというのなら、自分は今誰よりも幸せだろうと乱菊は思う。そしてこれからは二人でずっと一緒にいられる。そう思うと、乱菊はとても安らかな気分になった。たびたび、乱菊はふっと微笑みを浮かべる。 そんな柔らかな表情をして厳しい道を歩く乱菊を見て、ギンは安心感に包まれた。これからは何の不安もなく一緒にいられるということが、ギンをこれまでになく安らかにしていた。早く気づけばよかった。早く言えばよかった。たったそれだけでこんな巨大な幸福を味わえるのか。こんな希望を手に入れられるのか。ギンはそう感じるたびに後ろから乱菊を抱きしめた。 「そんなことすると歩けないわよ」 そのたびに乱菊はそう呟くが、ギンに微笑んで振り向いた。お互いの体温が心地よく、お互いの重みのある存在感が安心させた。 「もうすぐ、ボクが入ったことない地区に入るんや」 乱菊の耳より少し上からギンが囁いた。 「そっから先はボクもよう分からへん。けど、だいぶ安全になってきてるさかい、用心してれば大丈夫やと思う」 「うん、わかった」 ギンの腕の中から顔を上げて、乱菊はギンの目を見た。その目は、いつになく穏やかに細められていた。
旅は続いた。
やがて気候は穏やかになり、川に近い平地には田園風景が広がるようになった。集落は大きく、まるで村のようだった。人々から色々と話を聞いた。豊かな集落は西の大路に沿って存在していると聞き、二人は、関所から離れているときには、西の大路を歩いた。その道幅はやがて広がり、整備されている道になった。大路が石畳の道になったとき、ギンも乱菊も周囲を窺って、人が歩いていることを確認してから、歩き出した。やがて案内板が道脇に立つようになった。宿屋が並ぶようになった。 何もかもが初めてだった。 食料が必要になると、ギンと乱菊は農業を営む家に手伝いで数日住み込んだりした。道行く荷馬車の護衛をしたりもした。かっぱらいや魚釣りよりも確実に、食料だけでなく、これまで知り得なかった情報も手に入った。 この食料の多くは中央へ運ばれること。そこで得たお金で、村の整備や、いろいろな日用品を購入すること。数の大きめな地区では農業が、小さくなると工業が発達していること。死神の住まう中心の場所は瀞霊廷と呼ばれていること。死神は流魂街の治安よりも、現世とこの世界……尸魂界との関係を保つことを仕事としていること。 もちろん、中には悪い人間もいたし、人買いなどもいたが、二人とも気配を察知してすぐに逃げ出した。それに、自分達が住んでいた地区よりもそんな人間の割合は小さくなっていた。人々は穏やかに集団生活を営んでいた。ギンは何度も、ここで二人で暮らしてもいいのではないかと思った。けれどその度に、自分の持つ、人を殺しかねない力は死神になってこそ使える力になるんだと思い返した。自分を無駄にしない、前を向いた生き方をしたかった。そうすれば、乱菊と何も思い悩むことなく暮らせると、ギンは思っていた。 地区を過ぎるに連れて集落が大きくなり、町の様相を呈してくる。地区そのものの面積が小さくなるため、広く土地を使う農業よりも、工業の方が発達していた。人々はそれぞれの家で日用品を作り、それをまとめて売りに出ていた。二人はいろいろな、初めて見る品々を見て回っては歓声を上げた。
幸福な旅路だった。もう二度とはないだろうと思わせるほどの、いるならば神と呼ばれる存在が、二人を哀れに思って与えてくれた時間としか思えないほどの完璧な旅路だった。
そして旅の終わりがやってくる。
|
|