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絶対的な響きをもって鐘の音は時を告げた 2-2
季節はもう夏になっていた。まだ太陽は顔を出したばかりだというのに、その光は射るように鋭く熱い。影が色濃く落ちる道を、ギンは頬をさすりながら歩いていた。引き返し始めたのは、春だったように思う。ここを出たのが冬だから、実に半年の間、ギンは放浪していたことになる。最長記録を大幅に更新していた。 八十地区に戻るまでに襲われた回数は、両手両足の指を使っても全然足りないくらいだった。ギンは気を抜いて殴られた頬に掌をあてる。殴られただけでよかった。武器を使われていたら、大怪我をしていたと思う。自分にしては珍しい出来事に、ギンはおかしくなって笑う。八十地区に入って、その見慣れた光景に思わず嬉しくなったのだ。こんな殺伐とした光景だというのに。それで気を抜くなんてどうかしている。 しかし、ここには乱菊がいる。ギンは不安と期待で高鳴る胸の鼓動を押さえきれない。乱菊はどこにいるだろう。自分は半年も家出していた。乱菊はどこかに行ってしまっただろうか。それとも誰かと暮らしているだろうか。良い相手でもできて、一緒に暮らしているだろうか。 嫌な想像をして、ギンは舌打ちする。それでも、それがないとは言い切れない。
乱菊は、とみに綺麗になった。
昔から、乱菊は少女だというのにどこか艶めいたところがあったが、成長するにつれてそれは増していった。濡れたような眼なのか、可愛らしい口元にあるほくろのせいなのか、成長の早い滑らかな体のせいなのか。考えると、どこか疼いているような気分になって、申し訳なくなってギンは一人で落ち込む。乱菊が綺麗になっていくにつれて生じる自分の中の衝動が、厄介だった。ここ数年、ギンの家出の理由の一つに加わったのは、その衝動だ。乱菊を思い出すだけでギンの芯が疼く。それのどこかに自分の持つ破滅的な何かの気配がして、ギンはそれが怖くてたまらない。その暴力的な衝動を見られたら、乱菊がどう思うのか、それを考えるだけで辛くなる。乱菊がそういう男が嫌いであることを目の当たりにしてきたギンとしては、自分のその衝動を隠すほかどうしようもない。 「あかんなあ……、どうしてこうなるんやろ」 ギンは一人になって、よく呟いた。 幼い頃は、ただ綺麗だと想っているだけでよかった。どうしてそのままでいられないのか。一回は死んでいるのに、ここまできてどうしてまた肉体のことに翻弄されなければならないのだろう。 一度、とにかくどこかで解放してみればいいのだろうと考えて、ギンは家出中に花街に行ったことがあった。解放すれば、落ち着くだろうと考えてのことだった。どことなく乱菊に似た雰囲気の女性を見つけ、いくらかの甘い果物で一晩の相手を頼んだ。かなり年上のその女性は、まだ少年とも言えるギンの相手を面白がって引き受けた。そして最後まで事を済ませて、ギンはしみじみと自分を理解したのだった。 乱菊やないとあかん。 花街の外れにある川の辺でギンは頭を抱えた。最後までするにはしたが、どうにも虚しくてすっきりしない。むしろ乱菊を思い浮かべてしまって、結局、ギンの中のものは何も解放されていなかった。この方法では何も解決しない。以来、ギンは女を抱いていない。 あの体験を思い出して、ギンは頭を振った。自分にはもう、乱菊以外に惹かれるものはないのかもしれない。それはとても幸福のようで、果てしなく絶望を感じさせる。けれど、それも仕方ない。この、自分にはたった一人しかいないという事実をただ認めるしかなかった。 「乱菊、いてるやろか」 見覚えのある森が見えてきた。ギンは早足になりそうな自分を抑える。この森を抜ければ、一緒に暮らしていた小屋が見えるはずだった。
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