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ぼくらはただそうやって世界を手にした 9-2
燃えた死体をどうしても自分が埋めると乱菊は言い張ったが、全霊力を放出していて体を起こしているのもやっとな状態の彼女を、ギンは必至に止めた。 「ギンは怪我したじゃない」 「こんなん、かすり傷でもないわ。もう血ぃ止まっとる」 「でも」 「ボクちゃんと埋めるさかい、乱菊はチビんトコにいてやり?」 ギンは乱菊に張り付いたままの少女をだしにして、渋る乱菊をどうにか馬車に押し込んだ。女達が二人を優しく抱きしめる。 「こっちは大丈夫よ。いってらっしゃい」 全てわかってる、と言うように女達がギンに微笑んだ。ギンは頭を軽くさげて、馬車の戸を閉めた。 後ろで、用心棒達と団長が立っていた。 「まだ奴らが復讐に来ないとは限らないからな。俺達二人はここに残ってる。他の野郎共も残って警戒に当たるけど、団長が一緒に埋めに行くから」 長身の男がそう言うと、団長が灰色の顎髭をいじりながら、 「わしが一番役に立たんからのう」 と笑った。嘘を付け、と巨体の男が呟く。 「団長は一見ただの爺に見えるが、一番の力自慢だからあれを運ぶのも苦労しないで済むぜ」 巨体の男がギンの耳元でそう囁くと、団長が何も言わずに笑う。 「よろしゅう頼んますわ」 ギンがそう言うと、団長は笑いながら布にくるんだ死体を軽々と持ち上げた。二人で運ぶのかと思っていたギンは驚いて口を開けてしまった。 「な、楽だろ」 「終わったら肩でも揉んでやってくれ。じゃあな」 用心棒達はそう言って、持ち場に戻っていく。 「じゃあ、行くかの」 団長が歩く後にギンは素直についていった。二人は暗い森に入っていく。馬車の喧噪はすぐに森の闇に吸い込まれ、ただ足下から虫の声。踏みしめる、柔らかい腐葉土の音。下草の擦れ合う音。 団長は昼間歩くような迷いのなさで踏み入っていく。 「そんな遠くに埋めはるんや。また悪いんに会わんかな」 かなり奥まで入ったときにギンがそう背中に聞いた。団長は振り返ることも足を止めることもなく、答える。 「別にわしとお前さんなら誰が来ても倒せるじゃろう。近くに埋めると、気になって仕方なかろうよ。あの嬢ちゃんが。それにわしらは芸人じゃから、あまり血の臭いをさせちゃまずいのよ」 「だからあの用心棒の兄さん達も、奴らを殺さんのか」 「追い払えるのに、わざわざ後味の悪いことをせんでもよかろうよ。芸に響く……この辺りでよいかの。ちょうどいいのがあるわい」 倒れた木の根本に、根っこが抜けた痕と思われる穴がある。倒木の手前で団長は立ち止まって死体を肩から降ろした。疲れた疲れたと言いながら肩を拳で叩いているが、息も上がっていないことにギンは驚く。 「ここに埋めりゃ、あとで木々の養分になって役に立つじゃろ。ほれ、そっちを持て」 団長とギンで頭と足を持ち、二つ折りにして穴に死体を降ろす。あとは周囲に盛り上がっていた土を被せるだけだ。 「……今夜の男らも、別に役ん立つどころか迷惑なだけやさかい、潰してこう埋めた方がいいんやないやろか」 思わず、ギンの口をついて出た本音に、団長は何も答えずにギンにちらりと視線を向けた。暗闇の中、ギンは手で土を掻き集めて穴を埋めながら呟く。 「あんな奴ら、別に人やない。いても邪魔なだけや。この世に必要とは思われへんわ」 「それを決めるのは、わしらじゃないじゃろう」 「なんでや」 のんびりとした響きすらある団長の言葉に、ギンは突っかかった。静かな森の空気が震える。 ギンは珍しく怒っていた。 目の前の死体から世の中の理不尽さまで、乱菊と自分の柔らかな日々を壊そうとする全てのものに対して怒りを感じていた。自分は何か大それたことを望んでいるのだろうか。何か間違ったことを望んでいるのだろうか。 ただ乱菊がきれいに笑っていられればそれでいいのに。 「あんなん、潰しても誰もなんも言わん。むしろ役に立つくらいや。どうせ放っといたらまたどこかで誰かを潰すんや。今奴ら潰して何が悪いんや」 「別に悪い悪くないじゃない。善悪じゃない。殺すことそのものは善悪じゃない。もっと根元的なものじゃ。根元的で掴みにくいから、善悪で判断するに過ぎないだけの話じゃろ」 ギンの怒りをさらりと流し、団長は淡々と乾いた声で言った。 「わしが言うのは、こいつはこの世界に必要ない、なんてことは誰にも言えないじゃろってことなんじゃよ。言えるとしたら、どこにおわすのか分からない神様だけじゃ。そしてお前さんは神じゃない。わしらも神じゃない。わしらも、あの強盗も、同じ人間ってだけじゃ。同じ人同士で、そんな正義は振り回すもんじゃなかろうよ」 団長は倒木に腰掛けると、懐から煙草を取り出して煙管に詰めた。携帯用の火打ち石で火を付けると、煙を吐き出す。独特の匂いがギンの鼻腔に入り、ギンの憤りを鎮めようとする。ギンの目の前で揺れる煙が、木々の間をすり抜けて薄れて消えてゆく。 「あんな奴らも人として存在しとる。それはつまり、神様はそうしたってことじゃ。人のことを、人じゃないって考えちゃあ、いかんと思うがの。殺すときには、ちゃんと人として殺してやらにゃあいかん。自分は人を殺していることを自覚しなきゃならん」 「……ようわからんわ。ボク、善悪なんぞ関係ない。善いことしよとも思わん。正義なんぞあっても腹も膨れんわ。ただ目の前の奴が邪魔なら潰すだけや」 「虫けらのようにか」 「あんな奴ら、虫や」 「でも嬢ちゃんはそう考えとらんよ」 「……知っとるわ」 ギンは奥歯を噛みしめた。 「そやさかい、ボクやってなるたけ潰さんようにしてるんや。ボク浴びた血ぃ、半分こする言うさかいに……乱菊を汚すわけにいかんのに……ボクんせいで乱菊に潰させてしもうた」 「嬢ちゃんは、お前さんと違って『人を殺した』ことを知っとるよ。だから次からこれまで以上に殺さないようにするじゃろう。お前さんは違う。お前さんは虫を殺しているだけじゃろ。それだと、いつまで経っても人を殺さなくはならんじゃろうのう」 「…………」 「全て半分こ、か。なかなか言えんわ。かわいいのう。ええ子じゃのう。お前さんは果報者じゃの」 ギンは何も言えなかった。口の中でぎりぎりと歯の軋む音がする。知っている。そんなことはよく知っている。乱菊と出会ってもうすぐ一年。自分の世界は乱菊が全てになった。きれいな優しい、柔らかい世界。ただ自分だけが変わらない。自分だけが血塗れのまま、腐臭がする。 湿った、むっとする草いきれ。何か香草が入っているのだろう、胸に染み渡る煙。暗いくらい、星の光も届かない森の中。あまりにも研ぎ澄まされて、ギンは自分の体から立ち上る血の臭いに気づかされる。 「わしらがよけいに殺さないのは、人を殺すのが嫌なだけじゃ。世の中とか、会ったこともない知らん人のことは関係ない。善悪もどうでもいい。自分達が人の命をあまり背負いたくないだけじゃ。自分が奪われたくないから、奪わない。あまりに多くの血を流していると、その血に足を取られて転ぶことになるしの」 団長は煙草の灰をぽんと落とすと、足で踏み潰して火を完全に消して、立ち上がる。 「嬢ちゃんを抱えたまま転んじゃいかんよ。奴らから話は聞いた。わしらと一緒に行くのは構わんよ。働いてもらえれば、わしらは構わない。……もう戻るか。嬢ちゃんが心配してるだろうしの」 ギンはのろのろと立ち上がり、足取りの軽い団長の後をついていく。これまで自分が殺した死体から流れ出る血は、既に足を取られて転ぶくらいにはあるのではないかと思いつつ。
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