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ぼくらはただそうやって世界を手にした 9-1

 夜の間中、用心棒の二人は交代で付近を警戒している。ギンは戦い方などいろいろと尋ねておきたいことも多かったので、一緒に起きていた。小屋に一人で眠るのを嫌がった乱菊は、女達の馬車に入って眠っている。
 遠くで梟の声がする。虫の声が近くの草むらからしている。焚き火もせず、ここは闇に沈んでいる。木々の間から何かが染み出してきそうな暗さ。それでも上を見上げると、満点の星空が隙間から覗いている。月のない、星明かりだけの夜。全てが静かに夜に覆われている。
「お前は眠らなくて大丈夫なのか」
 交代で起きてきた巨体の男がギンにそう問いかけた。男を起こした長身の方は馬車のすぐ下に寝転がっている。すぐに寝入ったようだが、眠る野良猫のように警戒していることは明らかだ。
「ボク、そんな寝ぇへんのや。どこでもいつでも寝るしなあ」
「まだ子供のくせに、末恐ろしい奴だよ、全く」
「ここで暮らしとるんや。そうなるわ」
 巨体の男は苦笑した。数字の大きい地区に送られた子供の多くは、生き残れずにすぐに死んでいく。たいていは殺されて、再び生死を繰り返す流転の輪に飲み込まれていく。少数の、運と力を持ち合わせた者だけが生き残り、賢しく用心深く、強く成長する。ギンは、まさしくそのような子供だった。
「おっはん」
「なんだ」
「やっぱ、よく襲われるんか」
 ギンは周囲の気配を探りながら聞いた。馬車の中の人間達も熟睡しているとは言い難い。深く眠り込んでいるのは、あの幼い少女くらいのようだ。おそらく、何かあれば全員が跳ね起きるだろう。
「そりゃそうだ。ここよりもっと恵まれた地区から移動してきてるんだ。珍しいお菓子や食料、衣類、金品とか様々に狙ってくるぜ。特に綺麗所もいるしな」
「二人だけでどうにかするんか」
「基本的にはそうだ。ただ、全員が腕に覚えがあるから、それぞれ乗っている馬車を守れるぜ。弓矢に剣、鞭。霊力のある奴もいるしな。そうでなきゃやってられねえよ。こんなこと」
「……ここより数字小さい地区でも、こんな感じななんやろか」
「五十番台くらいまでいくと、かなりマシになるぜ」
 遠い。遠すぎる。やはりここで暮らしていくしかないとギンは溜息をついた。八十地区は荒れている代わりに、最も中央から離れているだけあって広大だ。獣のような人間が多いが、気を付けていれば人に会わずに暮らしていられる。
 ただ、人と会わずにはいられないのも人なのかもしれないが。
 巨体の男は考え込むギンをちらりと見て少し黙り込んでいたが、口を開いた。
「お前ら、俺達と一緒に来るか?」
「は?」
「お前は腕っ節がたつし、お嬢ちゃんの方はべっぴんだから踊ってもらえりゃ稼げそうだ。なにより、ここには大人しかいねえから、あのチビをマメに面倒見る奴がいねえのよ。遊び相手にゃもってこいだろ」
 ギンは細い眼を見開いた。人に頼るという方法は全く思いつかなかった。そこまで人に親切にする人間を知らなかったこともある。確かに通行証のある彼らなら、確実に、咎められることなく移動できるだろう。
「ボクら、通行証持っとらんよ」
「関所で頼むのさ。あのチビもそうして連れ回しているしな。俺らがお前らを仲間にすればいい話だ。お前の腕と嬢ちゃんの顔だ。団長は頷くだろう」
「ボク、客に乱菊売るんはいやや」
「指一本触らせねえよ。俺らはそういう商売じゃねえ」
「……なら、ええかもしれんなあ…………」
 この集団にはいやらしい気配がしない。踊り子の女達は美しいのだが、集団の誰かと関係しているとか、そんなどこか湿り気を帯びた空気がこの中には感じられないのだ。
 ここならば、乱菊も大丈夫かもしれない。
 隠してはいるが、大人の男に微かに嫌悪を示す乱菊を思い出す。そして、先程の食事時の乱菊も。最初の頃は警戒していたものの、乱菊は彼らには警戒を解いていたようだった。
「数字の小さい地区へ行ったら俺らと別れても構わねえし、あのお嬢ちゃんなら、誰か金持ちの貴族とかに拾われるかもしれねえし。少なくともここより安全に暮らせることは間違いねえよ」
「そうやね……」
 血の臭いのしない場所。血塗れにならない場所。
 それもいいかもしれないと思い始めたときに、ギンは肌に違和感を感じた。顔を上げると、巨体の男も感じたのか、口を引き結んで遠くを睨んでいる。後ろの方で長身の男が体を起こす気配がした。
「来る………」
「…………二手に分かれとる……全部で十数人やろか……」
「お前ほんっと使える奴だな、坊主。お前は馬車の人間を起こせ。あと、少しの間は目を瞑れ」
 ギンは馬車に駆け寄ると「悪いんが来るで!」とそれぞれを廻る。用心棒達が左右に散り、じっと気配に耳を澄ませている。最後にギンは女達の馬車にいくと、すでに乱菊が全員を起こして入り口にいた。
「乱菊、奥行きや」
「そんなわけにいかないでしょ」
 乱菊は霊力を溜めながら言った。ここで足手まといになるわけにはいかない。今度こそ、ギンを助けるんだと乱菊は決めていた。
「……無理せんといてや、後生やから。あと眼ぇ瞑っとけぇ言われたわ」
 乱菊の眼を見てそれ以上言うのを諦めたギンは、それだけ告げて馬車の前を陣取って、言われたとおりに目を瞑った。離れることだけはできなかった。
 左右から同時に集団の気配が現れた。そのとたん、用心棒の二人から激しい光と音が放たれた。瞼の向こうで光が炸裂し、耳の中で激しい音がこだまする。おそらく威嚇用になにかを爆発させたのだろう。それらに紛れるように用心棒達の霊圧が放出されている。これだから眼を瞑っておけと言ったのだろう。目つぶしだ。
「てめえら! 俺らを襲えると思ってるのか!」
「それ以上近づくならこんなもんじゃすまないぜ。とっとと帰りな!」
 二人の低い脅しがびりびりと響く。しかし、強盗達の動く気配はない。動けないのではなく、退くつもりがないようだ。
「なら仕方ねえ。怪我してもらうぜ」
 巨体の男が言うと同時に光が消えた。ギンと乱菊は目を開ける。辺りは深い闇に沈んでいるが、強盗達の影ははっきりと見えた。急に暗くなって目が眩んでいるのか、動きが鈍い。乱菊は手に霊力を集める。用心棒達とギンは同時にそれぞれの前にある影の塊に飛び込んだ。
 ギンは手に入れたばかりの脇差を抜いた。抜きざまに目の前の男の喉笛を斬ろうとして、ふと横の光景が目に入る。長身の男が刀を抜いていたが、致命傷を避けて脚の筋を斬っている。
 殺さへんのか。
 愕然としたままギンの体は自動的に動いた。瞬時に屈み込むと、払うように脚の筋を切断する。倒れ込む男の体を避けて右にずれると、そこにいた男の両腕を斬り付けた。錆びた刀が落ちる。叫び声が上がる。勢いを殺さぬまま後ろに飛び退き、身を屈めてもう一度前に飛び込むと二三人の脚の筋を切り裂いた。
「殺されたくなかったらもう帰んな」
「弱いんだからとっとと消えろ」
 用心棒の声がする。周囲を探ると、明らかに暴漢達の戦意が失われつつあるのがわかる。戦えない怪我を負わせることで、誇りより命が大事な奴らを追い払おうということらしい。
 殺さへんのか。
 勢いを脚を踏ん張ることで殺して逆に集団から飛び退くと、乱菊のいる馬車を背にして暴漢達にたちはだかる。と、そのとき、背後に乱菊の霊圧がないことに気づいた。ギンが振り返ると、踊り子の女の一人で、乱菊にどことなく似た女が入り口を守るようにして立っている。
「乱菊はどうしたん!」
 ギンは叫ぶように尋ねた。女が苦虫を噛み潰したような顔をした。
「チビが馬車を降りてしまって……それを追っていった」
「なんやて」
 馬車の向こうで乱菊の霊圧が膨れあがり、弾けたのをギンは感じた。土煙が沸き上がり、その中から暴漢の一人が吹っ飛んでくる。「そいつを人質にとれ! 怪我させてもかまわねえ!」という声。土煙から乱菊が少女を抱えて走ってきた。その後ろに伸びてくる男の手がある。その手には刀。
「乱菊」
 ギンが駆け寄るのと乱菊の背に刀が振り下ろされるのとはほぼ同時だった。先に届いた手は利き腕の右手だった。
 ギンの右手が乱菊を乱暴に引き寄せた。乱菊は少女ごとギンに抱きしめられたかと思うとそのまま勢いよくぐるりと回されて地面に放り出された。少女を庇いながら地面を転がり、慌てて起きあがると、目の前でギンが左肩を斬られていた。
 刀を振り下ろした男がもう一度ギンを斬ろうとしている。
 ギンを。
 もう一度ギンを。
 男の刀を止めようと、距離も考えずに乱菊は腕を男に向かって伸ばす。
 それは嫌。
「やめて!」
 乱菊の全身が震え、それが腕に収束し、腕から火炎が放たれた。
 ギンの横をごうと音をさせて飛んでいった炎が目の前の男の顔を包み込み、燃え上がる炎で瞬時に明るくなる。続けて絶叫が響き渡った。その異様さにその場にいた全員が炎に包まれる男を見、ギンは乱菊を振り返る。
 乱菊は放心していた。
 大きく見開かれた眼が燃える男を凝視している。
「……あかんわ」
 ギンは燃える男に目をやる。そして地面をのたうち回って絶叫する男に近づくと、激しい炎を気にすることなく肩を押さえつけ首筋を斬り裂いた。鮮血が迸り、やがて男の動きは止まる。ただぱちぱちと燻るようにして男の体が燃え、嫌な臭いが立ち昇りはじめた。ギンは血を振り払って、刀を鞘に納める。
 後ろの方で暴漢達の恐れるような叫び声がした。逃げる足音がばらばらとする。場がだんだんと静かになっていく。
「……奴をいなしてくれておおきに、乱菊」
 ギンはゆっくりと乱菊に近づいた。死体の灯りに照らされた乱菊は、白い。
 座り込んでいる乱菊の前で跪くと、ギンは乱菊の髪を手で梳いた。顔や手にかすり傷がある。左腕には打撲の痕がある。乱菊はそれを痛がる素振りもなく、ただ細かく震えている。ギンは歯噛みした。
「殺したんはボクやで」
 乱菊は虚ろに首を横に振った。
「殺したんは、ボクや。乱菊」
 ギンがゆっくりと繰り返すと、乱菊は顔をあげた。唇は細かく震え、肌は蒼白だが、涙が零れる眼の光はしっかりとしていてギンは驚く。
「あたし、ギンが斬られるのがいやだったの」
「……うん」
「止めようと思って、手を伸ばしたの」
「うん」
「力を飛ばそうとすら思う時間もなくて、ただやめてって思ったら、全身の力が腕から飛んでったのよ」
「うん」
「あの力で死なないはずがないわ」
「…………」
 何も言えずにギンはただ乱菊の髪を梳く。髪はこの場に似つかわしくない、さらさらとした音をたてている。
「ありがとう、ギン。とどめを刺してくれて」
 乱菊はじっと、揺らぐことなくギンを見つめている。伝わるだろうかと不安になりながら。
「でもね、あたしもギンを守るのよ。大丈夫よ。だって、ギンはそうやってあたしが殺した分を背負ってくれようとするじゃない。だからあたしは平気なのよ。ギンが死ぬくらいなら、相手を殺すわ」
「……うん」
 ギンは細かく震え続ける乱菊の肩にそっと手を置いた。人を殺した衝撃に、まだ体は震えている。まだ涙は零れている。擦り傷だらけの腕に涙がこぼれ落ちても、洗いきるには傷が多すぎる。ギンは小さく呻いた。自分は、乱菊のこんな思いをさせたいわけではない。乱菊に傷を負わせたいわけではない。乱菊に守って欲しいわけではない。ただ乱菊に乱菊に。
 そこに少し離れたところで転がっていた少女が乱菊にすがりつくようにしたかと思うと火がついたように泣き出した。泣きながら
「お姉ちゃん、ごめんなさい、ごめんなさい」
と謝っている。乱菊は少女の頭を撫でて、自分の方を向かせると、かろうじてではあるが微かに微笑んだ。
「おチビ、あんたが無事でよかった」
 少女が少しだけ安心したように再び泣き出したのを見て、乱菊はその小さい頭を撫でた。そしてギンの方をそっと見る。
 ギンの表情は何もかもを沈めてしまっていて何も読みとれない。ただ乱菊を見つめていて、目が合うと微笑むだけだ。乱菊は胸の内にいつかの不安がふつふつと沸き上がるのを止められない。ただ、自分の手で人を殺したという衝撃で、全ての力を出し切った疲労感で、その不安を突き止めることがどうしてもできなかった。





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