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ぼくらはただそうやって世界を手にした 7
乱菊の前で初めて人を殺してから十数日が過ぎてなお、ギンは混乱していた。自分がなぜこんなに混乱しているのかもよく掴めていなかった。ギンは川の畔で溜息をつく。 あの後、ふらふらになりながら夜通し歩いて見つけた洞窟を仮の住処とした。木の枝と草を敷き詰めて、入り口には何本もの背の高い草を植えた。長く住むつもりはなかったけれど、人に襲われる危険は避けたかった。動物はいいのだ。自分より強いものには襲いかからない。外からは住んでいることがわからないようにして、遠出をするのもギンだけにしようと決めた。 乱菊は住処の周辺で果物や木の実を探していることだろう。ギンは壺の中の魚を眺める。なみなみと汲まれた水の中で魚は狭そうに泳いでいる。時折、水面が光る。魚の鱗もぎらりと光る。 自分達は他の命を喰らって生きている。 そのことに疑問は持たない。そういう摂理だ。食われる命がかわいそうとも思わない。自分もその輪の中に入っているのだから。生きていくのには他の命が必要だ。でも逆に言えば、必要以上の命を奪うことはない。 それなのにどうして、人は無駄に人を殺すのか。 襲ってこなければ殺さないのに、どうして相手の強さを見誤るのだろう。まだ自分に強さが足りなくて、相手がわからないのだろうか。ギンは自分の手をじっと見る。相手が逃げさえしてくれれば、乱菊の目の前で人を殺さなくてもよかったのに。 ……いや、ボク、相手を逃がさすことはせんかったな。 ギンはあの夜の乱菊を思い出す。真っ青な顔をして、押さえ込まれていた乱菊。乱菊の頬に殴られた痕を見て、乱菊の白い肩を見て、普段は押さえ込んでいたギンの霊圧は噴き出してしまった。怒りに我を忘れて、霊圧にやられて戦意を失っていた男達を次々に殺した。そのときは、自分とこいつらとは違う生き物だと、男達を見下すようにして殺していた。殺したことに本当に何も感じなかったと思う。 本当は、あの男達と自分は同じものなのではないだろうか。 ギンは川の水面に目をやった。ゆるやかに透明な水が流れていく。魚が跳ねて波紋が広がるが、それもまた下流へと流されていく。向こう岸には草が茂り、その中に白い花が咲いている。頭上には青い青い空。 世界はとても綺麗だ。乱菊がそうしてくれた。 しかし、その中にいるのは人殺し。 血塗れの人殺し。 「人を潰してるんは、何もかわらんよな」 本日何度目かの溜息をついた。それでもギンは、ここで人を殺さずに生きていけるとはやはり思ってない。そして、乱菊の傍にいてもなお、他人の命をどうとも思わない自分を知っている。自分はどこか変だ。多分、人を殺すときに誰にでも最初はあるだろう葛藤や躊躇、衝撃すら、自分にはどこにもなかった。 ただ乱菊のくれた世界がとても綺麗だから、乱菊がとても綺麗だから、それを守りたくて、その中にいたくて。 だからできるだけ殺さない。血で汚れるから。 でも必要とあれば自分は殺す。壊されたくはないから。 ギンは少しずつ自分の頭の中を整理する。そう、自分は、殺すことはしかたない、あの男達と結果的に同じこともしかたないと思っている。それでもいいと思っている。 乱菊が無事でいてくれるなら。 そう、乱菊が、綺麗なきれいな乱菊が。 乱菊の山吹色の髪を思い出して、ギンの気持ちはふっと灯がともったように明るくなる。こんなときギン自身は意識していないが、柔らかな微笑みを浮かべる。そしていつも、ああにやにやしてボクおかしいわどうしたんやろ、と思う。そう思って、笑みを消して溜息をついた。 「ボク……乱菊といてええんやろか」 乱菊は、自分と一緒に行くと言ってくれた。でも一緒にいると、乱菊が汚れてしまうような気がする。乱菊は血の汚れすら引き受けてくれると言ったけれど、ギンはそんなことは望まない。そんなこと、ギン一人でよかった。 けれどいつか血塗れの自分を乱菊は恐れないだろうか。乱菊は離れてしまわないだろうか。そうしたら自分はどうなるんだろう。 ここまで考えて、毎回思考が止まる。この先を考えたくない自分に気づかないふりをして、ギンは立ち上がって伸びをした。
乱菊は洞窟の外に座り込んで、ギンの帰りを待っていた。森の中で見つけた蔓を編んで簡単な籠を作っているのだが、あの銀髪が見えないかと気になってなかなか完成しない。あの夜以来、ギンが何か考え込んでいるようで、そして何を考えているのかさっぱり分からなくて、乱菊はできるだけギンと離れたくはなかった。何かが不安にさせる。乱菊はその不安をじっと押し殺す。 あの夜を思い出すと胸が潰れるように感じて、乱菊は籠を編む手を止めて、両腕で自分を抱え込む。親しくしてくれていた人達の死も哀しいが、あの、嵐のような霊圧が消えた後のギンの姿を思い出すと、どうにも切なくてやりきれない。 自分がギンに殺させた。 ギンの疲れ切った表情は、痛々しくて乱菊の胸をぎりぎりと締める。 乱菊は、ギンが人を殺すことについて何の躊躇もないことには実は気づいていた。乱菊と出会う前のことはほとんど聞いていないが、言葉の端々から、どこか冷めた、感情にもなっていない何かを感じていた。幾度か襲われたときの暴漢への対応からも、冷や水を浴びせられたような何かを感じたことがある。それは子供故の残酷さではない、もっと違う何かだった。 それでもギンはあのときあの表情をした。 溜息がもれる。ギンは自分がどんな顔をしているかなんて気づかない。 普段のギンは無闇に人を、生き物を殺したりはしない。 ギンがとても強いため、必死になるあまり勢い余って殺してしまうということがないこともあるだろう。余裕があって、どうすればいいのか判断がきちんとできて、必要最小限の行動ができるからだと思う。 でもそれだけではない。乱菊は一緒にいるときのギンを思い浮かべる。一緒に歩いているときのギンは本当に嬉しそうに笑っているのだ。乱菊と一緒に、花や虹や空や、いろいろなものに対して喜んでいる、あれは本当だと思う。 そしてなによりも。ギンは乱菊を拾ってくれたのだ。この荒んだ人達の中で、大人ですら自分自身の命を守るだけでも大変なこの場所で、ギンは子供の手で乱菊を拾い、守り、きれいな世界を与えてくれた。 あたしの全てはギンがくれたものだ。 乱菊はここまで考えて、ほうっと息を付いて体の緊張を緩めた。木々の間から空を見上げると、もう茜色に染まっている。 ギンと全てを半分こにしよう。 食べ物も飲み物も、衣服も毛布も、喜びも哀しみも、楽しい出来事も重い暗い現実も、紅く染める血もそれを洗い流す水も、温もりも幸せも罪も罰も希望も何もかも。 全てを分け合おう。全てを一緒に味わえるように。 かなり大人びているとはいえまだ子供の乱菊には、全てという言葉がどれくらいの重さを持つものなのか具体的にはわからない。ただ感覚的に乱菊はそれを正確に捉え、見据えていた。 暮れなずむ空の下、乱菊はギンを待っていた。乱菊の中の不安はまだ消えないけれど、自分自身がどう考えているのかはっきりしたように感じて、乱菊はただギンを待つことができた。そして木立の向こうに夕日に紅く光る銀髪を見つけたとき、大きな声でその名を呼んだ。ギンは大きく手を振りかえしていた。
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