第1巻
歌にも蹴鞠にも競馬にも優れた才能を持つ佐藤義清(さとうのりきよ)は、 同じ北面の武士である平清盛と行動を共にすることが多かった。 そんな義清が待賢門院璋子(たいけんもんいん たまこ)−鳥羽上皇の妻にして崇徳天皇の母−そして、徳大寺実能の妹に心惹かれた。 普段は、常に御簾の向こうにいて、直に顔を見る機会などはほとんどない雲上の女性であった。 そんな義清が 保延三年(1137)鳥羽上皇の命で熊野御幸の伴を仰せつかった。
第2巻
待賢門院璋子への思慕は募るばかりで 鳥羽上皇の御所に新しい襖が入ることになって、絵師に絵を描かせた。 そしてその襖の絵に合せた歌を書き入れることになり、義清はあらかじめ考えていた歌ではなく、女院へのたぎる思いをぶつけた後、唐突に出家して西行と名乗った。 そして義清の北面の輩であった、源季政(みなもとのすえまさ)も頭をきれいに剃髪し西住となった。
久安元年(1145)八月、待賢門院璋子は四十五年の生涯を終えた。 その御影が、今も法金剛院に残されている。 薄墨色の衣を纏い、緋の袴を穿いて、白い花帽子の下からわずかに削髪が見えており、生前の美しさを偲ばせるなんともはかなげな御影である。
第3巻 出家しても璋子への想い止まず、しかも彼女と死別することとなった西行。 この巻で西行は冒頭からみちのくに旅立った。その途上、平清盛の家人であり、不思議な術を操る男・申の妹であり、西行自身とも縁浅からぬ娘・鰍に会うため、那須を訪れた。 かつて玉藻と名乗り、宮中に上がっていた鰍。だが璋子と美福門院得子との対立に巻き込まれ、得子呪詛事件の下手人に仕立て上げられたため密かに逃れていたが、そこは鰍の終焉の地となってしまった。 そして保元の乱だ。 保元の乱は、崇徳上皇・藤原頼長・源為義側と、後白河天皇・信西・平清盛・源義朝側で争われた戦いだが、 崇徳上皇・頼長・為義とが歴史の表舞台を降りていく。 頼長が教養はあるが徳がなかったと表現されていた。 そして崇徳上皇だ、私はこの人が歴代の天皇では一番不幸だったのではと思っている。
第4巻 平治の乱へと世の中は変わり、信西・義朝も姿を消し清盛までも往生した。 滅びゆくものしか愛せぬのだな」待賢門院璋子、崇徳上皇、平清盛ー亡き者たちを背負って歩く西行だった… それにしても西行は本当に璋子を高野山へ埋葬し直したのか・・・
宿神という、ものの気配として存在する神、日本人が、古い昔から信仰しているという”もののけはい”━もののけ。 あとがきに記されている著者の思い、 そして宿の神はただそこにあるだけ(私にはよう分からん)
新聞連載で読み逃がしていたので 単行本になるのを心待ちにしていた。 読むのがあまり早くないので4巻読むのにほぼ1か月・・・昨年の大河ドラマ《清盛》と重なる部分が多くて本当に楽しめた。
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