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2004年07月30日(金) 匿名メール

作家のエッセイをこよなく愛する私であるが、プロって大変だなあとつねづね思っているのは、「話題を選ばねばならないこと」だ。
エッセイで陰気な話にはまずお目にかからない。日々の暮らしの中で、作家も私たちと同じ確率で夫婦ゲンカや失恋、肉親との死別といったことに遭遇しているであろうに、彼らは不満を露骨に表したり悲しみを切々と訴えたりするような文章は書かない。常に読者の存在を意識し、客観的に自分を捉える技。感情を抑制する力。愚痴めいたものがほとんどないのも、「自分のために書くのではない」がベースにあるからだろう。
クオリティについては言うまでもないが、この点についても、同じ「私」を語る文章でも私たちが書いているweb日記とはまるで違うところである。
しかし、プロであっても人間だ。不快の感情がこちらにはっきり伝わってくる文章に出会うことも、たまにはある。先日読んだ林真理子さんのエッセイの中に、読者からの手紙に関するこんなくだりがあった。

こちらにも何ヵ月かに一度、本当に嫌な手紙が舞い込むことがあるのだ。テレビに出たりしていた頃よりかなり減ったというものの、こういうものを送りつけてくる人間は後をたたない。
これらの手紙には特徴があり、必ずといっていいほど茶封筒が使われる。それもどういうわけか、皺だらけの薄汚れた封筒で、差出人の住所がない。
私はこういうのを見るとただちにピーンときて、そのままくず箱行きとしている。


匿名の読者からの不躾な手紙についての話は、他の作家のエッセイでもしばしば目にする。そのたび私は「世の中、いろいろな人がいるものなあ」とつぶやくのであるが、いまこれを読みながら「そのイヤーな気分、わかるわ」と頷いた方もおられるに違いない。
規模こそ違えど、見ず知らずの不特定多数の人に向かって文章を発表するのは日記書きも同じ。似たような経験をしたことがある書き手はきっと少なくないだろう。

私はときどきテキストの中で、読み手に協力を依頼して無記名アンケートを行う。つい先日行ったものは例外として、これまでにはたとえば「土俵の女人禁制の伝統」「女性専用車両の設置」「犯罪を犯した少年の顔写真掲載」といったテーマについて、まじめに賛否を問うてきた。
さて、このタイプのアンケートをするときは忌憚のない意見を聞くために匿名フォームを用意するのだけれど、驚くべきはそれを逆手に取る人がたまにいること。「チャンス!」とでも思うのだろうか、差出人のアドレスがこちらにわからぬようになっていることを利用して、アンケートとはまるで無関係のコメントが届くことがあるのだ。
書かれてあることはご想像の通り。メールは茶封筒では届かないから必然的に目を通すことになるのだが、「うん、たしかにこれはふつうのメールじゃ送れないわね」とつい頷いてしまいそうになる。しかしながら、内容にまで理解を示そうという気持ちになったことは一度もない。
群ようこさんが書いておられた。「結婚する必要を感じない」という彼女の発言を不愉快に感じたらしい読者から、名も住所も書かれていない手紙が届いた。それには「性格も根性も悪いお前みたいな女は男から好かれない」とボールペンで殴り書きがしてあったが、そのようなものを読んでも胸にぐさっと突き刺さるなどということはまったくない、と。
連絡先も明かさず、「自分さえ言いたいことが言えればいい」というスタンスで書かれたものが相手にされないのは当然であろう。
以前、私は「上手な苦情の言い方」というテキストの中でこう書いたことがある。

相手にとって耳の痛い話をするときほどていねいに接するよう努めなければ、いかにその主張が真っ当なものであっても百パーセント伝えることはむずかしい。「名乗りもしないで常識のないヤツ」「なんだ、この無礼なもの言いは」なんて具合に内容以前の段階で相手をカチンとさせてしまうと、肝心のことを伝えられずに終わってしまうのだ。


「相手が気分を害す可能性のある話ほど誠実に、慎重に」というのは、なにも客が店にクレームをつける場面にだけ当てはまる話ではない。名を名乗る。アドレスを開示し、返信を受け付けるくらいの誠意は持っていることをアピールする。「はじめまして」「こんにちは」のひとことを添える。
それを書くのに費やした時間や労力を“くず箱”に捨てたくないなら、敵意は上手に隠すべし。それが誹謗メールの利口な送り方だ。

※参照日記 2003年10月17日付け 「上手な苦情の言い方

【あとがき】
そのほか、作家が大変だろうなあと思うのは、やはり締め切りがあることですね。書けなくても書かなくてはいけない、でもクオリティは落とせない。このプレッシャーはどれほどのものがあるだろうと思います。エッセイには「ホテルに缶詰になっている」とか「徹夜で書いている」とか「何時までに何枚書かなきゃいけない」というような話が出てくるけれど、それを読むだけでこちらまで閉塞感に襲われます。