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2003年10月17日(金) 上手な苦情の言い方

読み手の方からのメールはどれもうれしくありがたいものであるが、とりわけ胸にじーんとくるのは過去ログに感想をいただいたときだ。
たまに「過去ログ制覇しました」なんて言ってくださる方がいる。一話読むのに数分かかるこのテキスト、三年分を読破するにはいったいどれほどの時間がかかっただろう?と考えると、そちらに足を向けては寝られないなとまじめに思う。
さて、先日ある女性から今年の初めに書いた「『禁ガキ車』と大人の領分」というテキストを読んでの感想が届いたのだけれど、その中で彼女はこんな話を聞かせてくれた。
贔屓にしている宿がある。温泉地にはめずらしいプチリゾートホテル風の建物も素敵なのだが、そこではディナーにイタリアンのコースが食べられる。お客が多少ドレスアップして席に着く、そんな雰囲気のレストランでの夕食を楽しみにオープン当初から通っている。
しかしここ数回、がっかりしていることがある。それはファミリー客の、周囲への気遣いのなさ。小さな子どもが二時間ものあいだおとなしくしていられるはずがなく、カトラリーで皿を叩いて遊んだり、テーブルのあいだを走り回ったり、大声を出したり……とそれはにぎやか。親たちはあきらめているのか放置しているし、レストランのスタッフが注意を促すこともない。「おしゃれして高いお金を払って来ているのにどうして」と悲しくなる。
温泉も部屋も料理も申し分ないだけに、この一点が残念でならない。そこで前回訪ねたとき、支配人宛てに「ファミリー客と大人だけの客の場所を分けるというお考えはないですか?」と手紙を書いた------という内容だ。

苦情を申し立てるというのは、実にむずかしいことである。
村上春樹さんは「苦情の手紙の書き方」(『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』所収 新潮文庫)と題するエッセイの中で、「良い苦情の手紙の書き方にはこつがある。それは七分褒め、三分けなすことである」とおっしゃっている。
「貴店にはこれだけ素晴らしいところがあるのに、これはいかにも惜しい」というメッセージにする。けなしてばかりではこちらの真意は相手に届かないというのだ。
これには頷けるものがある。フード業界の会社に勤めていた頃、消費者からのクレーム電話を受ける機会があった。百貨店の食料品フロアに店舗をかまえていたので商品の入れ間違いや販売員の接客応対への不満、「まずい」「変な匂いがする」といった商品そのものに関する問い合わせなど、苦情の種類は多岐に渡っていた。
が、その内容にかかわらず当時私がよく思ったのは、「苦情とはいえ、もう少し上手に言えばよいのに」ということだった。
社名を名乗りきらぬうちから、「お宅の社員教育はどうなってんの!」と叫びだす。いつどこの店舗で買い物をした客であるかといったことを述べることもなく。こちらを「おまえ」呼ばわりで一方的にまくしたてる人もいれば、嫌みっぽく同業他社の商品やサービスの良さを挙げ連ねる人もいる。
しかし、相手にとって耳の痛い話をするときほど丁寧に接するよう努めなければ、いかにその主張が真っ当でも百パーセント伝えることはむずかしい。「名乗りもしないで常識のない奴」「この無礼なもの言いはなんだ」なんて具合に内容以前の段階で相手をカチンとさせてしまったら、肝心のことを伝えられずに終わってしまうのだ。

相手が気分を害す可能性のある話ほど誠実に、慎重に。これはクレームをつけるときに限ったことではない。
こうしてサイトをやっていると、あまり愉快な気分では読むことのできない類の……率直に言えば“不躾な”メールが届くことがある。そんな場合でも一理あると思えばシュンとしてみたりするわけだが、しかしそれにしてももうちょっと穏便に書くことはできなかったのかしら、と首を傾げたくなることは少なくない。
たとえば、その手のメールにはハンドルネームが記されていないことがほとんどであるが、そこに差出人の名があるのとないのとでは受け手の心証はまったく違う。きちんと名乗ってあれば仮に内容が理不尽なものであったとしても、こちらは真剣に読まなくちゃという気にさせられるものだ。逆に言えば、書く側はそこを押さえておけば相手に「こんなのただの言いがかりだ」で片づけられてしまう可能性をぐんと下げられるということ。
私がこういうメールにこそ書き出しに「はじめまして」「こんにちは」のひとことを入れてはどうだろう?と思うのも、同じ理由である。
どんなに想像力の乏しい人でも、自分が言おうとしていることが相手にとって面白くない内容であるということくらいわかるだろう。そういうときこそ真意を伝えるために心がけたほうが賢明なことがあるのではないだろうか。
不平不満をぶちまけてすっきりできればそれでいい、という場合も中にはあろうが、人が何かに対して苦情を申し立てるのはたいてい事態の改善を求めてのことである。つまり、「苦情を言う」と「依頼する」はまったく異なることのように見えて、実は同じことなのだ。
感情的にならない。受け手も人の子、ということを忘れない。それらは相手に対する遠慮や気遣いではない。
手紙を書く、電話をかけるといった行為に費した時間や手間を無駄にしたくないと思うなら、そうしたほうが得だからだ。

冒頭で紹介した女性の元に、宿の支配人から手書きの返事が届いたそうだ。
「私の意見が今後どう反映されるのか、あるいはされないのかはわからないけど、これであの宿の評価がまた一段と上がりました」
苦情を言う側、言われる側。両者の度量次第でこんな幸せな結果が生まれることもある。

※参照日記 2003年1月8日付け 「『禁ガキ車』と大人の領分

【あとがき】
相手が個人であれ企業や店であれ、私は苦情を言うことはほとんどないですね。よく「叱られているうちが華」なんて言いますけれど、たしかにそうですね。黙って去り、二度と訪ねない(近づかない)私はあまり親切ではないのでしょうね。ちなみにweb日記を読んでいて「それは違うだろう」なんて思っても、書き手に意見したり反論したりすることはまずないです。人の考えに興味はあるけど、執着はない。私は「自分は自分」というのが強いですが、「相手は相手」というのも同様に強い。