過去ログ一覧前回次回


2003年10月20日(月) 考えどき(前編)

先日、職場の同僚がオメデタ報告をしてくれた。
「二十八でひとりめ出産ってちょうどいいやん」なんて言いながら、でもあなた、子どもはまだまだとか言ってなかったっけ?とつっこむと、彼女は照れ笑い。
「そうやねん、ほんまはあと一、二年は夫婦水入らずでおるつもりやってんけどさ。でもまあ、遅かれ早かれ作るんやし」
明るい彼女なら、きっといいママになる。私は心からのおめでとうを伝えた。
しかし、私は気づいていた。心の中に「その言葉」を至極冷静につまらなそうに聞くもうひとりの自分がいることに。
「遅かれ早かれ作るんやし」
ふうん、そういうものなんだ?

以前から訊いてみたかったことがある。みっともなくて、これまでその機会を作る勇気が持てなかったのだが、今日は思い切って訊いてみよう。
「みなさん、夫婦でいつもどんな話をしているんですか」
「みなさん、週末はなにをして過ごしているんですか」
わが家には「会話」というものがない。
夫は仕事の都合で週の大半は家を空けている。結婚して間もなくの頃、夫の営業担当が遠方の地域に変わり、それから二年半、私たち夫婦は月曜の朝「行ってきます」「行ってらっしゃい」をしたら金曜の夜までお互いの顔を見ないという生活をしてきた。
しかしながら、会話がないのは「夫婦で過ごす時間があまりにも少ない」という物理的事情が理由ではない。
たとえ週末婚でも、気持ちがあればその二日間で平日の埋め合わせをすることは可能である。私たちのあいだでそれが叶わないのは------決して夫ひとりのせいにするつもりはないけれど、それでも最大の心当たりは------彼が夫婦間のコミュニケーションの必要性、有用性についてまともに考えたことがないからではないかと私は思っている。
先週の三連休、夫はひとりで韓国に遊びに行っていたのであるが、帰ってくるなりパソコンの電源を入れた。彼が「ただいま」のあいさつもそこそこにパソコンに向かうなんていうのは、毎週金曜の夜は必ず目にしているいまさらな光景である。しかし、旅行から帰ってきてもそうなのか……。さすがにカチンときた私はダイニングから声を掛けた。
「どのあたりを歩いてきたとかなにを食べたとかどこのホテルに泊まったとか、そういう話はないの?」
すると、彼はモニタから視線を外すことなく言った。
「そんな尋問みたいに訊かれたって答えられないよ。いま帰ってきたばかりなんだから、ちょっと待って」
口調にうんざり感をにじませてしまった私も悪かったのだが、結局韓国の話はこれっきりになった。
べつにがっかりする必要はない、と自分に言い聞かせる。だって、これもいつものことだもの。
先月、夫はヨーロッパ出張に出かけていたのだが、あちらでどうだったこうだったという話が彼の口から自主的に語られることはやはりなかった。尋ねればそれについての答えは返ってくるが、そこから話が広がることはない。
私がオフ会に出かけても、「楽しかった?」のひとことが掛けられることもなく。どんな人が来ていたのか気にならないの、写真を見たくならないのと言うと、「だってネットの人たちなんでしょう?聞いたってわからないし」と返ってきた。
そう、これこそが夫とのあいだに会話が成立しない理由なのだ。
学校や職場で知り合ったふたりではないから、共通の友人がいるわけでない。一緒に時間や空間を分かち合えるような趣味もない。そんな私たちが「どうせわからない」と話すこと、聞くことを放棄してしまったら、話題にできることなどほとんど残らない。だから、私たちは本当に首を傾げたくなるくらい中身のある会話をしない夫婦である。
すでに冷え切った夫婦関係であるならば、「ま、いいや」と思うこともできよう。しかし、私たちはそうではない。どちらかと言えば仲は良いほうだし、彼の私への気持ちも結婚当初とそう変わっていないだろう。
にもかかわらず、夫が留守中の妻の様子を知りたがることも心配することもないのはどうしてなのか。
たぶん面倒くさいのだ。彼は自分のわからない話を説明してもらってまで理解したいと思えないのだろう。なぜって?妻への興味が薄いから。
愛情の有無とは無関係に、というのがよくわからないところではある。しかし、彼の中にある関心事を比重の大きい順に並べていったら、「妻」という項目がかなり下のほうに位置することは間違いない。 (後編につづく)

【あとがき】
たまに「小町さんのところは仲良さそうでうらやましい」なんて言っていただくことがありますが、うん、たしかに仲はいい。でも見映えがいくらよくても、中身がこんなスカスカじゃあね……。