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- 2005年10月08日(土) ∨前の日記--∧次の日記
- 創作短編『わすれ薬』 [8 拒絶]〜[9 使命]

【1】〜【7】をお読みでない方は、まずそちらからどうぞ。


『わすれ薬』[1 電話]〜[2 来訪]
《【1 電話】と【2 来訪】のあらすじ》
服用すると望みの記憶だけを忘れられるという『わすれ薬』の存在を
ネットで見つけたタカシナ・ミキ。『わすれ薬』を処方するサエグサという
男の家へ訪れた彼女は、「今の彼の記憶を忘れたい」とだけ告げた。
対象記憶の情報を得るためのカウンセリングもなしに、サエグサは
彼女に薬を処方することを決めて、薬の服用室へと案内した。


『わすれ薬』[3 服用室]〜[4 再会]
《【3 服用室】と【4 再会】のあらすじ》
服用室にタカシナ・ミキを案内して薬を渡したサエグサだったが、
隣室で彼女の脳を監視しつつ、彼女に対して何か引っかかるものを
感じていた。一方、服用室では、薬を手にしたミキが座っていた。
服用室の気配に同化していく最中で、誰かがいることに気づいた。

『わすれ薬』[5 ユージ]〜[7 服用]
《【5 ユージ】【6 記憶】【7 服用】のあらすじ》
タカシナ・ミキは、自分の記憶の中で彼氏のユージに逢った。
一方、隣室で彼女を監視していたサエグサは、ミキが見ている記憶が誰のものかに気がつき、
状況を固唾を飲んで見守っていた。記憶の中のユージに想いを奪われそうになった瞬間、
ミキは『わすれ薬』を手に取って飲み込んだのであった。






*********************






【8】 「 拒絶 」







「飲んだっ?!」






隣室のモニターの前で、サエグサは思わず叫んだ。



電子機器の冷却ファンの音が低く静かに聞こえてくる。
2台のモニターの画面には、動きを止めた画像とグラフが映ったままだった。
もう1台のモニターには、座り込んだまま微動だにしない彼女が映っている。
画面の中でフリーズしたタカシナミキから、サエグサは目を離す事が出来なかった。

ミキが最後に見せた記憶は、鮮明にモニターで映像化されていた。
彼女の脳内で起こったシナプスの集中が、記憶情報の具現化に至ったのだ。
サエグサの脳裏に数秒前のモニター映像がフラッシュバックする。
その映像に、彼のもう一つの記憶が重なり合っていく…。



『彼女は…、飲んだか…』



彼は椅子へどっと腰掛けた。額には汗が光っている。
煙草に灯を点けて、天井へ煙を吐き出した。
まだ、頭のこめかみあたりがチリチリとしている。
眼鏡を指で上げながら、事務室から持ってきた1枚の紙を見た。
そして、深いため息を一息ついた。



『このまま…、で、いいんだよな?』








サエグサは、ミキがいる服用室へ行く準備を始めた。
事前カウンセリングを行わなかった彼女には、
充分な事後のカウンセリングが必要であった。

記録されたデータを見ながら、もう一つの粉薬を処方して袋に閉じる。
銀色の小さなケースを手に取り、その中に袋に入った白い粉末を入れた。
さらに、棚からガラスのコップを取り出し、水を注ごうとしたその時、



隣の部屋から
何かを投げつけたような大きな物音と、
つぶれたような叫び声が聞こえてきた。



サエグサは振り向いて、
彼女の部屋を映すモニターを見た。






「!!…マ、マズい…」






準備を放り出し、
サエグサは部屋を飛び出した。









***********************







「嫌ァァァーーーーーッ!!!」






ドアの向こうで、ガラスが割れる音が響き、悲鳴が闇を裂いた。
部屋のドアを開けると同時に、サエグサは飛び込んだ。




「やめるんだっ!!」


「嫌ァ!来ないでっ!!」




ミキは、割れた花瓶の破片を手に持ち、自らを切りつけようとしていた。
部屋の壁際にいるミキを視界に捉えると、サエグサは彼女めがけて突進した。
ミキをクッションへ押し倒すと、破片を持つ手を押さえ込んだ。



「キエルッ!キエルッ!、嫌!嫌ァー!!」



ミキは叫び散らしていた。
顔はぐしゃぐしゃに濡れている。
きっちり結われていた髪は解け、あれほど
隙のない印象であった容姿は、無防備な程に乱れていた。
瞳からはとめどなく涙が流れている。
嗚咽がとまらない。


「あ、あたし、飲んじゃったっ…!、ユージが消えるっ!」

「落ち着けっ!落ち着くんだっ!」



彼女の真っ赤な瞳は、
そこにあるものを見ていなかった。
必死に手足をばたつかせる。

サエグサは手から花瓶の破片を払いのけ、
錯乱状態のミキを正面から抱きしめた。




「消える!飲んじゃった!、ユージが消える!」


「ミキさん!、少し落ち着こう!」


「ユージが消えちゃう!、あたしの大切な想い出!
嫌だっ、嫌ぁああーー!!」



「落ち着けっ!、大丈夫!、大丈夫だから!」



「ユージ!ユージ!、嫌!嫌ァー!!」





ミキは彼の腕から逃れようと暴れている。
サエグサは彼女の顔を平手打ちした。

彼女は、何かが身体から抜けていったかのように、床へ崩れ落ち、
クッションに顔を埋めて動かなくなった。

小刻みに震えながら、嗚咽をクッションに押し付けた。
ミキは踞った(うずくまった)まま、泣き続けていた。





サエグサは、彼女の背中に手を添えながらスクリーンを眺める。
彼女が見ていた記憶が、まるでそこに映し出されているかのように、
彼の目は一点を見つめていた。





三つの窓から、

青い光が、長い三本の帯となって、

薄暗い部屋を斜めに裂いていた。








************************







【9】 「 使命 」







渋い煎茶の薫りがミキの鼻腔をくすぐった。
目を静かに開けると、テーブル上のスタンドライトの光が眩しかった。

彼女はゆっくりと半身を起こしながら、
何かをカルテに書き込んでいる、サエグサの姿を捉えた。
身体を覆っていた毛布に気づいて、手で手繰り寄せる。

サエグサはミキに気づくと、ペンをカルテの上に置いた。
穏やかな表情で、ミキに言葉をかけた。



「気分はどうですか?、そこにあるお茶を飲むといい。」



ミキはテーブルの上にある湯呑みを手にした。
少しずつ熱い液体を口にして、静かに体内へ流し込んでいく。
前茶の薫りと渋みが、身体の内外から染み込んで、
淀みを少しずつ溶かしていくように感じられた。
眼鏡を押さえながら、サエグサが訊いた。



「少しは落ち着きましたか?」




「………記憶…は…?」


「どうですかミキさん、ご自身で?、記憶…まだ残ってますよね?」



「………」


「残っているはずです。あのような拒絶反応があっては、
間違いなく薬はターゲットへ届いていません。ただし、
一部は思い出せなくなっているところはあるでしょう。」





ミキはテーブルの上の一点を見つめたまま黙っている。
自分自身の中で想いをめぐらせて何かを確認した後、彼女は顔を上げた。
サエグサは、ミキの瞳を見据えた。


「タカシナさん…いや、ミキさん、話せるかな?」


彼女は、視線をわずかに反らした。



「首を振るだけでもいいです。あなたの今後のために、
少しカウンセリングしたいんだ。あなたはこのままではマズい。いいね。」



視線を外したまま、彼女は僅かに頷いた。


「今のままでは、あなたは立ち止まったまま動けなくなる。
場合に寄っては泥沼へとハマっていきます。あなたのような人は今、世の中に
沢山いらっしゃるのです。そのような人を助けることが、私の使命です。」


「……」



「時間は常に前に向かって進んでいます。どこにもいけず、何もせず、
ただ立ち止まっているだけでは、それは後退していることを意味します。
誰のもとへも行けず、自分一人でも生きれず一歩も動かないのは、
さっきのように、ガラスの破片で喉をかっ切る行為と等しい。しかし、
前へ進むために、誰かを『忘れる』という決断が必要となる時もあります。」




壁の一点を見つめながら、ミキは黙っていた。
しかし、サエグサの言葉に反応する自分を意識していた。
脳が少しずつ稼働し始めて、想いをめぐらしていた時、

サエグサの思わぬ言葉が、耳に飛び込んできた。










「タカシナさん、私はタカシナさんは知らなかったが、ミキさん?、
私はやはり、あなたの名を知っていました。
いや、あなたを以前に見たことがあるのです
。」





ミキの瞳孔が開いたのを、サエグサは見た。
彼女の瞳から視線を外さずに続けた。





「私は、決して怪しい薬の行商人ではありません。
あなたのような病める方を、前に向かって歩かせるために
仕事をしている精神科医であり、カウンセラーなのです。」





ミキがサエグサの方を向いた。


「私は、あなたが再び正しい方向へ歩き出すためにお役に立てる、
唯一の人間だと思います。私に全てお話いただけませんか?」








彼女はサエグサの目を見て、
小さくうなずいた。







*****************




次回
10月9日掲載 【 10 独白 】〜【 11 記憶を預ける 】
へつづく。

(あと3〜4章でラストです)






051008
taichi



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