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HEAVENLY FATHER FEEDS THEM
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ミサリ



 και

ガザ保健省=ハマス=テロリストが流し続けた情報を

報道がそのまま流し続けた結果、

反ユダヤ主義が世界中に広まりつつあります。

そしてそれが教会の中でも見られつつあり、

危機感を覚えます。


いつも見ているイスラル在住のご夫妻

(ユダヤ人とアメリカ人のカップル)のところにも

酷い罵りのメールが届いたそうで、最後に

「私はクリスチャンです。」

と書いてあったと聞いてぞっとしました。


それで、クリスチャンたちに対しては、聖書から

紐解いていく以外にないのかなと思い始めています。



数年前、うちの牧師にも「置換神学」について質問を

したときに、長いお返事をメールでいただきました。

そのときは30%くらいしか、言っている意味が

理解できませんでしたが、今見返すとようやく

何を言っているのか分かるようになってきました。


そのときに、牧師は「聖書に出て来るイスラエルは、

すべてイスラエルと理解する立場もあるけれど、

契約神学では、イスラエルと理解する時と、

霊的イスラエルと理解するときがあって、それは

文脈による。」と言いました。


そして、その例として「ガラテヤ6:16」を

あげたのです。

「どうか、この基準に従って進む人々、

すなわち神のイスラエルの上に、平安と

あわれみがありますように。」

ここから、「教会もイスラエルと呼ばれるときがある」

と牧師は言ったのです。


そのときは、そういう個所もあるか・・・

と引き下がったのですが、最近になってそうではない

ことが分かりました。


新改訳第三版で「すなわち」と訳された

ギリシャ語は「カイ」であると知りました!!

つまり「and」の意味です!!!



ギリシャ語ではこうです。

και οσοι τω κανονι τουτω στοιχησουσιν
ειρηνη επ αυτους και ελεος και επι τον ισραηλ του θεου


つまり、「この基準に従って進む人々

(異邦人クリスチャン)」と

「神のイスラエル(メシアニックジュー)」

その二つの民の上に、平安と憐れみがあるように。

ということなのです。



私はギリシャ語クラスから早々と脱落したので、

全くちんぷんかんぷんです。

ですが、詳しい先生の解説を聞きました。

「και」はまず一番の意味は「and」である。

「すなわち」という意味になることもある。

しかし、もし「すなわち」の意味にするには、

「και」を取ってしまい、単語と単語で並べるのが

最も「すなわち」の意味になる。

「A B」という風に。


あるいは、最初の単語にだけ冠詞をつけ、2番目には

つけないときには「すなわち」の意味になる。

「冠詞 A και B」のときは「AすなわちB」

となる。


と分かって、私はそうなんだ!と喜びました。


英語の聖書でもそうなっています。

And as many as walk according to this rule, peace and mercy be upon them, and upon the Israel of God.


やはり、聖書のどこを開いて見ても

「イスラエルは教会のこと」とは書いてないのです。

異邦人であってもキリストのものであれば

「アブラハムの子孫である」とは書いてあります。


「イスラエルがアブラハムの子孫」

「異邦人クリスチャンもアブラハムの子孫」

なのは書いてあります。

だからといって

「イスラエル=教会(異邦人クリスチャン)」には

ならない。それは三段論法です。


そうです!

ローマ11章の一本のオリーブの木を思い浮かべて

ください。

根であるアブラハムと神様は契約を結んでください

ました。

その根から、アブラハム、イサク、ヤコブとつながって

イスラエルの枝が生えました。

彼らは「約束の女の子孫」=メシアが与えられたのに

頑なになり、自分の義を立てて、イエス様を拒否

しました。それゆえに、

「イスラエルの枝(栽培種の枝)」のいくつかは

折られたのです。

(のちに、神様のあわれみによって接ぎ直されます)

私たちは「野生種の枝(異邦人クリスチャン)」です。

これも神様のあわれみによって接ぎ木されました。

あわれみによってなのですから、折られた枝に対して

高ぶってはならないのです。いつくしみに留まらないと。


そして、折られた枝「イスラエルの枝」

再び接がれるとき、主がご再臨なさるのです。

だから、彼らの救いのために、

教会は祈らないといけません。


高ぶったり、見下げたりしてはだめなのです。


この一本のオリーブの木を見るときも

「イスラエルの枝」「異邦人の枝」

ではないのと同じです。



なぜ、「教会の象徴がイスラエルだ」と言うのが

問題かと言うと、

「イスラエル」の居場所を奪ってしまうからです。



私は、反ユダヤ主義にクリスチャンまでもが加担しない

様に、地道に聖書に書いてあることを示して行きたいと

思います。

(祈りつつ牧師にも伝えました。伝わりますように。)



2025年07月02日(水)
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