心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2013年03月27日(水) AA中の特別な二人

AAは、ビル・Wとボブ・Sという二人が始めたため、この二人は共同創始者(co-founder)と呼ばれています。この二人は「AAメンバーではなかった」とまで言われるほど、AAの中で特別な存在です。

AAは平等性や民主制を大事にする団体ですし、個人にスポットライトが当たることを嫌う団体でもあります。そのAAが、この二人だけは特別扱いしています。あちらの経験談を読んでいると、ビルとボブの写真がミーティング会場の壁に貼ってある・・なんて書いてあったりします(おおっと個人崇拝!)。それが咎められるわけでもないようです。

なぜこの二人が特別扱いされるようになったのか。

ビッグブックの「初版に寄せて」にはこうあります。

「私たちのほとんどはビジネスマンや専門分野の職についていて、そういうことになったら本職のほうがおろそかになりかねない。私たちのアルコホリズムとの取り組みは、あくまで副業の範囲であることをご理解いただきたい」(p.xvii)

第2章にもこんな文章があります。

「私たちはみな、これから示すような取り組みを実行するために、自由な時間の大半を費やすが、この活動だけに専念して時間を使うことができる幸運な者は何人もいない」(p.29)

ビッグブックが書かれた時点では、アルコホーリクと関わることを職業にしていたメンバーはほとんどいなかった、ということです。数少ない例外がビルでした。

第1章の「ビルの物語」にはこうあります。

「妻とぼくは、ほかのアルコホーリクたちが解決を見つけ出せるよう手助けしようという考えに熱中して、それに没頭した。昔の同僚のぼくに対する信用が全くなかった時だったから、一年半ほど仕事らしい仕事がなかったことは幸いだった」(p.23)

ビルの伝記映画を見ると、妻のロイスが働いて家計を支え、ビルはアルコホーリクを助けることに熱中している様子が描かれています。そうして、ビルはビッグブックを書き、AAのオフィスを構え、アルコホーリク財団(後の常任理事会)を組織していきます。ビルは(他のAAメンバーのように)ビジネスの世界に戻ることを願っており、実際チャレンジもしましたが、果たせずに「アルコホーリクと関わる」ことが彼の生涯の仕事となりました。

もう一人の共同創始者ボブ・Sも「アルコホーリクと関わる」ことを職業としました。「ドクター・ボブの悪夢」の冒頭にこうあります。

「彼は、他界する一九五〇年までAAのメッセージを五千人以上のアルコホーリクの男女に伝え、彼らへの医療費の請求のことは考えずに治療を施した」(p.241)

痔の手術が得意な外科医だった彼は、回復後はアルコホリズムの分野に身を投じ、患者に12ステップという治療を施しました。

始まったばかりの頃のAAは、あらゆる階層の人々を惹きつけたわけではなく、その対象は限られていました。白人で、教育程度が高く、元々は経済的にもそれなりに豊かだったのに、酒のせいで経済的にも社会的にも落ちぶれてしまった人たちでした。メンバーの多くが回復後は職業に復帰し、社会的地位を取り戻していった中で、ビルとボブの二人は、当時は偏見が強く病気だとすら思われていなかったアルコホーリクに関わることに職業生活を捧げていました。他のメンバーたちが、彼ら二人を特別扱いしたのは当然だったのではないでしょうか。

彼ら二人は、12のステップ・12の伝統というスピリチュアルな分野においても、またAAという団体の運営という現実的な側面においても、常にAA内の「権威」であり続けました。しかし二人とも人間である以上、寿命があります。二人の没後、誰がその権威を引き継げるのか? 彼らの代わりになれるAAメンバーがいるわけがありません。そこでビルが考えたのが、AAメンバーの中から選挙で選出される評議会制度です。

最初の評議会は1950年。これはドクター・ボブの死とほぼ入れ替わりでした。5年間の試行期間の後に、1955年に正式に評議会制度がスタートし、ビルは自身が持っていたすべての権威を評議会に引き継ぎました。それは間接的には、評議会の選出母体となる一つ一つのAAグループに権威が引き渡されたということであり、「グループ主権」とも言うべきAAの民主制度の完成でもありました。

その後はビルは「AAの顔」として登場することは事実上なくなり、1970年に没しています。

ビッグブックの文章もビルによって執筆されました。もちろん当時の他のメンバーの意見も大きく反映されていますが、大部分はビルによって書かれました。その後に出版された『12のステップと12の伝統』(12&12)もビルが書いたものですし、『AA成年に達する』もほとんどがビルによって書かれたものです。

つまり、AAのプログラムを解説した本はすべてビルが書いたもの、というわけです。

AAではビルの死後も新しい本が出されていますが、プログラムの解説本ではありません。"Pass It On"(未訳)はビルの伝記、『ドクター・ボブと素敵な仲間たち』はボブの伝記。『今日を新たに』と『信じるようになった』はAAメンバーの経験の分かち合いの形式を取っています。『どうやって飲まないでいるか』は、12ステップについてはあまり触れられておらず、飲まないでいるためのtips集になっています。

(『どうやって飲まないでいるか』は、12ステップに興味はないが、酒をやめるためにAAの中で集積された生活上の知恵には関心があるという人にオススメです。最近Amazonで購入ができるようになりました)。

『どうやって飲まないでいるか』
http://www.amazon.co.jp/dp/4904927001/

後にも先にもビル・Wだけが、12ステップのテキストを書くことをAAメンバーに許してもらえた存在だった、ということでしょう。何十年も経過すれば、文章は古びてきます。しかし、AAのテキストは用語を現代風に改められることもなく、ほぼビルが書いたまま保たれています。

AAの英語の月刊誌 Grapevine でも、二人の共同創始者の書いた記事を翻訳しようとすると、翻訳結果の綿密なチェックが必要になり、他の一般のAAメンバーが書いた記事とは明らかに扱いが異なっています。

結局のところ、ビル・Wの死後は、AAプログラムを説明する本を書ける人は誰もいなくなったわけです。様々なAAメンバーがスタディ・ガイドを書いていますが、それらは「一人のAAメンバーの意見」として扱われるに過ぎず、「AA共同体を代表する意見」として権威を帯びて扱われることはありません。(ジョー・マキューもワリー・Pも自らに権威を帯びさせず、解釈の正統性をビッグブックに依拠しています)。

唯一評議会には、新しいAAの本を作る権限が与えられており、実際何冊か作られていますが、前述の通りいままでの経過を見る限り、真っ正面からAAプログラムを説明する新刊は作られていません。それどころか、ビルの文章をそのまま変えずに残すという決定をしています。アメリカの評議会ですらこんな具合ですから、日本の評議会が新しいステップの本を作ることは、難しいのではないかと思います。

ビルが、自らに与えられた権限、権威を喜んでいたとはとても思えません。彼は大変優れた人物だったでしょうが、人間としての限界もあり、まして彼はアルコホーリクだったのですから。何十万人にもふくれあがったAAをスピリチュアルに、また現実的に率いていく大きなプレッシャーを感じていたに違いありません。実際彼は重度のうつに陥っています。1955年にスタートした評議会に彼がすべての権限を渡した後には、そのうつはきれいに消え去ったと記録されています。

彼らは他の人が引き受けたがらない役割を引き受けました。それは共同創始者以外に引き受け手のいない役割でした。おそらく、ビル・Wやドクター・ボブのような特別な存在が、今後AAの中に登場することはないでしょう。であれば、この先もビルの文章をそのまま使っていくことになります。それはビッグブックが完ぺきな本だという意味ではなく、それを変えたり何かを加えることのできる人がいないからです。

確かにビッグブックには少々使いづらい点もありますが、今まで何十年にもわたって数多くの人の回復を手助けしてきた実績があります。その実績こそが大事です。アメリカのAAにはこんなスローガンもあるそうです。

If it ain't broke, don't fix it.

ビル・Wが特別な存在になるべくして生まれてきた人なのかどうか。おそらく彼はただのアル中だったのだと思います。ウィリアム・D・シルクワースによる疾病概念、カール・G・ユングによる霊的解決の示唆、そしてリチャード・ブックマンの行動原理。この三つの要素がビルの手元に揃ったのは、たまさかの偶然か、あるいは神の意志だったのか。その奇跡的なできごとが彼を特別な存在たらしめました。その後の数多くの回復は、この奇跡をコピーすることによって生まれました。それらの回復は個人個人にとっては人生に起きた奇跡だったかもしれませんが、全体からみればすでに平凡です。


2013年03月18日(月) ソブラエティのための道具 43

ソブラエティのための道具90 が更新されていない、というメールをいただきました。

確かに、最後に42番を更新したのはもう4年近く前です。せっかく半分近くまで来ているのですから、続きを書こうという気になりました。これからポツポツ書いていこうと思います。(んで、下書きをまず雑記に載せる)。

43) 新しい生活が「自分の手に負える」ことを喜びなさい。
Rejoice in the manageability of your new life.

アルコールは私たちの不安や心の痛みを(一時的にですが)和らげてくれました。しらふの生活は心地よいことばかりではなく、不快なこともたくさん待っていましたが、その不快なことを酒でごまかす作戦はもう使えませんでした。

ステップ1はこう言っています。

「私たちはアルコールに対し無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた」

思い通りに生きていけなくなっていた(our lives had become unmanageable)。

この病気は「その人のやりたくないことをさせる病気」だと言います。私たちは、決して人に迷惑をかけたかったわけでもなく、人生や生活を壊したかったわけでもありませんでした。でも病気のせいで、いろいろなことを台無しにしてきました。

だから私たちは酒をきっぱりやめようとしました。でも、再飲酒が待っていました。飲むのは良くないと分かっていながらまた飲んでしまうのであれば、やはり思い通りに生きているとは言えません。

ビッグブックの87ページには

「私たちはアルコホーリクであり、自分の人生が手に負えなくなった」
(we were alcoholic and could not manage our own lives)

という文章があります。私たちの飲酒は自分の手に負えない状態でした。酒をコントロールして飲もうと悪戦苦闘しましたが、できませんでした。だから、酒をやめざるを得なくなりました。やめると決めたからには、二度と酒に手を出さないと自分に誓いましたが、また飲んでしまいました。私たちの酒の問題は解決不能に思えました。

ところが、酒の問題を「自分では解決できない」と受け入れたとき、解決への方向付け(導き)が与えられました。

人生の他の問題も同じでした。私たちが様々な問題を、自分の思ったとおりのやり方で解決しようと思うと、私たちの不安や心の痛みは増していきました。自分のやり方を諦め、ただ解決することを望んだとき、何かしらの解決がもたらされました(それは時には「変えられないものを受け入れる」という解決かもしれませんが)。

「AAのプログラムには逆説が多い」と言う人がいます。自分では解決できないと認めることが、アルコールの問題の解決につながります。同じように、酒を飲まなくても人生には様々な問題が起きてきますが、それを自分の望み通りに解決しようとしないことで、私たちの新しい生活は「手に負える」ようになります。

私たちは人生をうまく扱えるようになりました。それは自分の望み通りのやり方ではなかったかもしれませんが、ともあれ新しい生活が「自分の手に負えるもの」であることは、喜ばしいことではないでしょうか。なにせ飲んでいたあの頃は、私たちの人生はまったく自分の手に負えず、自分の望みとは反対のことばかり起きていたのですから。


2013年03月14日(木) 自分が助かりたければ・・・

ステップの話ばかりではなく、共同体の力についてのことも書いた方が良いでしょうね。

先日東京某所のAAミーティングに参加したところ、ソブラエティ二十数年というあるAAメンバーの姿をお見かけし、こちらから挨拶したところ「よう、ステップの専門家!」とからかわれてしまいました。

「専門家になったつもりはないんですが、まあでも、これは誰かがやらなくちゃならないことでしょうね」と答えたところ、「何でも最初にやる人間は大変だよ」と言われました。僕が最初というわけでもないのですが、なんとなく目立ってしまっているのかも知れません。

人間には未知のものに対する恐れがあります。だから人は、すでに知っていること、経験したことの範囲で考え行動しようとします。成果が出ているうちはそれでもかまわないのですが、悪い結果が出るようになっても、考えや行動を変えることはなかなかできないものです。それは、今までと違った考え、違った行動を取ることへの恐れがあるからです。ことわざに「知らぬ仏より馴染みの鬼」とあるとおりです。

恐れの反対は勇気です。新しいことに取り組むには勇気が必要です。だからこそ「変えていく勇気」を与えて下さいと神に祈るのではないでしょうか。

アルコールや薬物には私たちの不安を一時的に和らげる効果があります。だからアルコールや薬物に頼って生きてきた人間は、未知への不安が一層強く、考えや行動を変えづらくなっているのかもしれません。けれど、回復や成長を望むのなら、新しいことに取り組む勇気が私たちに必要だということになります。

さて話は変わって、昨年9月には北海道に行かせてもらい、せっかくの機会だからと札幌市内のAAミーティングに出させて頂きました。また先月は沖縄へ行き、やはり那覇市内のAAミーティングに行きました。(12ステップは僕をいろんなところへ連れて行ってくれます)。

僕は、日本に約900カ所あるというAA会場の全部に出たわけではありません。ごく一部だけです。その経験の範囲内で言えば、日本の北でも南でもAAにはある共通した傾向が見られます。

どこでもAAを維持している人たちがいます。彼らはAAグループを運営するために、ミーティング会場を開き、本やコーヒーを用意し、新しい人たちを迎え入れています。必要があればAAの広報活動もするし、病院に出向いて患者さん相手に話をしたりする。委員会などのAAを存続させていく活動にも時間を割いています。それだけでなく、新しくやってきた人たちのスポンサーを務めて12ステップを伝えることもしています。

なぜそんなことをするのか。それは、AAの回復のメッセージを伝えることで、新しい人たちがこの病気から回復するからです。

この人たちを「人を助ける側」と呼びましょう。助ける側の人たちは少数派です。その人たちがグループの1割なのか、3割なのか、それともたった一人なのか、割合はいろいろでも、グループの中ではたいてい少数派です。

ではその他の多数派はどんな人たちなのか。それは「自分が助かりたい」と思って来ている人たちです。この人たちの関心は、自分の苦しみや悩みに(あるいは楽しみに)向けられているようです。だから、グループの役割などもあまり引き受けたがりません。他の人が維持しているAAに「お客さん」として通うタイプです。

数ヶ月か数年、時間をおいて同じ会場に行ってみると、「助ける側」の人たちの顔ぶれはあまり変わっておらず、相変わらずAAを維持する負担を背負っています。一方、「自分が助かりたい人たち」は、顔ぶれががらりと変わっていることが多いのです。少し残っている人たちもおり、その中には「助ける側」に立場を変えた人もいますが、残りの大部分はすでにAAを去り、空いた場所を新しい人たちが埋めています。

AAを去って行った人たちはどうなるのか。AAを離れたからと行って、皆がすぐに再飲酒するわけではありません。ずっと酒をやめ続ける人たちもいます。しかし、5年、10年と経るうちに、飲まないでいられる人は少なくなっていきます。グラフにすればきれいな懸垂曲線を描くでしょう。飲んでしまった人たちは、またAAに戻ってくるか、他で世話になっているか、飲み続けているかなのでしょう。

もちろんAAを続けていても飲んでしまう人もいるし、離れても飲まないでいられる人もいます。だから一概には言えないのですが、概ねは「自分が助かりたかったら、人を助ける側になるのが良い」ということなのでしょう。

AAは自助グループだと言われます。self help とは自分で自分を助けるという意味です。これに対して「AAは self help ではない。help other なんだ」と言った人がいました。人を助けるのがAAです。私たちは人を助けることを通じて、自分を助けていきます。お互いに助け合うのがAAだ、とも言えます。

飲んでいた頃の私たちは、自分の苦しみや悩みにしか関心がありませんでした。俺のこの苦しみを分かって欲しい。私のこの悩みをどうしたらいいのか、ということばかり考えていました。つまるところ「自分のことしか関心がない」という状態だったアルコホーリクが、他の人を助けるために、他の人の悩みや苦しみに目を向けていく。どうやったら相手が背負っている荷物を軽くすることができるか。そのために自分にできることはないか。自己中心的なアルコホーリクが回復するためには、そういうことを考え、行動していく必要があるのだと思います。

私たちは人と関わる時に特に意固地になった、と12&12に書かれています(p.72)。人と関わることが苦手なアルコホーリクが人を助けようとするのだから、そううまく行くはずがありません。相手がこちらの思う通りに動いてくれたら物事はスムーズに運ぶのでしょうが、決してそうなりません。「助けてくれてありがとう」などと感謝されることも、まずないと思ったほうがよい。人を助ける活動の中で、私たちは(相手のではなく)自分の欠点に向き合わざるを得なくなります。

また、回復の道具である12ステップを手渡そうにも、自分がそれを携えていなければ、手渡すことができない。その当たり前のことにも気付いていきます。

人を助けようとしてもきっと失敗するでしょう。AAを始めたビル・Wでさえ、最初の6人には失敗したと書いています(AA p.139)。ドクター・ボブは7人目以降ということです。もしビルが最初の3人目ぐらいで諦めてやめていたら、AAは始まらなかったことになります。だから簡単に諦めるべきではありませんよね。

人のために活動すると、自分のことは少し犠牲にせざるを得ません。どれだけ自己犠牲が払えるかは人それぞれです。小さなことであっても、人の役に立つこともあります。

例えば、AAミーティングは回復が始まるところですが、参加者がゼロでは成り立たないのですから、ミーティングに参加するだけでも人助けになります。会場への行き帰りを含めれば少なくとも3時間ぐらいの時間は要します。ミーティングに行かなければ、その3時間は自分の好きに使えるのですから、毎週欠かさずその時間をミーティングに費やすのも「小さな自己犠牲」と言えるのではないでしょうか。

また、献金箱に数百円のお金を入れるのも、本来自分の好きに使えた金を人のために手放すのですから、小さな自己犠牲と言えるでしょう。AAはそのお金の積み重ねで維持されていることをお忘れなく。

もう少しできると思ったら、会場の椅子を並べたり掃除を手伝っても良いし、司会役を務めても良いでしょう。だんだんにできることは増えていくはずです。その中で、頑張っているのに誰も褒めて(認めて)くれなかったとか、自分だけ負担が重い気がするとか、いろいろ考え、その中で自分の様々な欠点と向き合っていくことになるでしょう。

ずっと続けても、結局誰も助けることができない・・ってこともあるかもしれません。でも良いではありませんか。誰も助けることができなかったとしても、「自分という一人の人間を助けることはできた」はずなのですから。その目的でAAに来たのじゃありませんでしたっけ?(尊敬や賞賛や感謝を獲得するためではないでしょう)。

だから、自分が助かりたければ、助ける側に回ることです。さあ勇気を。


2013年03月05日(火) 回復施設について

日本にはアディクションの回復施設が結構たくさんあります。僕もそのすべてを知っているわけではありませんが、数え上げれば100ちかく・・いや100ヶ所以上存在しているかもしれません。

日本の回復施設の起源は、日本でAAを始めた二人の神父が設立した「マック」という施設でしょう。大宮で始まったマックは、後に全国に広がります。アルコールの問題を扱っていたマックに対し、薬物の問題を扱うために作られたのが「ダルク」です。現在では、マックに薬物の人もいるし、ダルクにアルコールの人もいるので、両者の違いは明確ではなくなっています。この他にもたくさんの施設がありますが、その多くは源流をたどれば直接・間接にマック・ダルクの系譜につながります。

アルコールの問題に限れば、クリニックに通院することも、精神病院に入院することも可能です。また、AAや断酒会のようなグループも存在しています。なのになぜ、病院に入院するのではなく施設に入所する必要があるのか。またグループに通うのではなく、施設に通所する必要があるのか。

それを説明する前に、なぜ現在の日本のAAで施設の話題が嫌われているのかを説明する必要があるでしょう。

前述のように、日本でAAを始めた二人は、マックという施設も始めました。おかげで、始まりのころ日本のAAとマックは一体となっており、二つの名をつなげて「マックAA」あるいは「AAマック」という呼び名すら通用していたそうです。これが初期のAAの発展に大きく寄与したのは疑いありません。マックが全国に広がるとともに、AAも広がっていきました。各地でマックはAAの中心的存在として機能したはずです。

しかしながら、AAには「12の伝統」があり、その6番目でAAが治療施設を運営するのは良くないとされています。それはなぜか。12の伝統はすべて実際の経験に基づいて作たわけですが、アメリカのAAでは幾度かアルコールの専門病院を作ってみたそうですが、どれもうまくいきませんでした。施設を運営するには多額の資金が必要になりますが、そうした多額のお金はたいていAAグループをおかしな方向へ導いてしまうからです。

「AAは施設を運営しないほうが良い」ということになりました。しかし、あの有名なヘイゼルデンもAAメンバーが作った施設であることからもわかるように、施設はAAメンバーの必要に応じてできたものです。AAメンバーが施設の運営に関わらざるをえません。

そこで、AAメンバーが施設スタッフをやっていることが例えバレバレだったとしても、施設はあくまでAAとは別の団体としてAAの名を使わず、AAメンバーが施設スタッフとして活動しているときはAAメンバーの立場を使わず、逆も同じとする(「二つの帽子をかぶり分ける」)ことを要求しました。

(AAメンバーとして活動するときは施設スタッフではなく、施設スタッフとして活動するときにはAAメンバーではない)。

また伝統の3番は、AAグループがAA以外のものに従属することを戒めています。このようなことから、日本のAAがマックと一体となっていたことも問題視されました。

そこで、AAとマックを分離する運動が行われました。これはAAの側からすれば「マック排除運動」という様相でした。私たちは酒をほどほどに飲むことができず、とことん飲んでしまった人間です。アルコホーリクは白黒思考であり、行動も極端から極端に走ることが多いものです。このときも同様で、AAはそれまで一体だったマックを徹底的に排除することになりました。

結果として、AAの中でマックの「マ」の字も言いづらい状況になり、「ある施設」などとあいまいにぼやかした言い方がされたりしました。施設内のことをミーティングで話すと咎められ、施設スタッフだという理由だけでミーティングで話をさせてもらえず、AAの役割からも外されるということが起きていました。

今では排除運動も過去のものとなり、そうした行き過ぎは是正されつつあるものの、今でも施設の話題はAA内部では嫌われる傾向は残っています。

なぜあの時代に、あれほどまでに苛烈なマック排除運動が行われたのか。「そうしなければならないほど、マックの影響は大きかった」というのがその理由でしょう。それほどまでの排除を行わなければ、施設の影響を拭い去ることができないと考えられた。伝統3の重要性がわかる事例です。

それでもAAは、施設の影響から脱することができて良かったと言えます。日本のAA以外の12ステップグループには、施設との関係を断ち切れていないところもあります。グループとしての独立が今後の課題となっていくでしょうが、AAの経験はそれには痛みが伴うことを示しています。

参考
バック・ツー・ベーシックス騒動(その3)
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=19200&pg=20120412
バック・ツー・ベーシックス騒動(その4)
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=19200&pg=20120415

僕が酒をやめたころ、長野県内には回復施設はありませんでした。10年ほど前にダルクが誕生しましたが、AAの側にかなり強い拒絶反応が起きました。それは施設の必要性が十分理解されていなかったからでしょう。

施設を利用することなく、医療機関からグループにつながって酒をやめていった人には、施設の必要性は感じにくいものなのでしょう(僕もそうでしたし)。

施設の必要性というのは、言い換えれば「施設の良いところ」ということになりますが、良い点の一つは「基本的な生活習慣が身につく」ということです。

基本的な生活習慣とは何か。それは、毎日規則正しい生活をすること(起きる時間、寝る時間)。規則正しく三度の食事をする。洗顔・歯磨き・入浴して体を清潔に保つ。洗濯や掃除やごみ捨てなど、身の回りの清潔を保つこと。干した洗濯物をたたむとか、自炊するとか。

意外とこうした基本的な生活ができない人が多いのです。自分ではできるつもりでいても、実は同居者が代行している場合が多く、飲酒が原因で家族を失うと、身辺自立ができなくて困窮することも珍しくありません。

被虐待児や発達障害が原因で親による養育が困難な子供を預かる施設の人に聞いたことがあります。特別な養育をするのではなく、暖かい食事、清潔な服など、そうした基本的な生活の面倒を見ることで、子供たちの精神状態は見違えるほど変わるのだそうです。(そうしてせっかく良くなっても、親元に戻すと生活が乱れて元に戻っちゃうのもよくある話)。できることは自分でやらせることが大事で、中学生くらいの子供が、自分の服を洗濯して干してたたんでいたりするのは、今の世の中からすればちょっと可哀想ではあるのですが、それが自立の第一歩でもある、という話でした。

アディクションの施設も同じことです。ただ利用者は基本的に大人ですから、自分でできることは自分でするようにするわけですが。

せっかく酒をやめていても、寝る時間・起きる時間のリズムが崩れていたり、食事を食べたり食べなかったり、入浴や歯磨きをサボりがちで、部屋はごみが散乱して異臭を放っているようでは、精神状態も向上せず、質の良いソブラエティは望めません。仕事に就く(経済的自立)の前に、身辺の自立からです。

家族を失ったことを契機にソブラエティが崩れる(再飲酒)ケースでは、喪失の悲しみが原因とされることが多いのですが、実は身辺の面倒を見てくれる人を失った影響だったりします。(年老いて妻に先立たれたダンナさんはかなり大変なようで)。

集団生活で「自由が利かない」ことを理由に施設利用を嫌う人もいますが、勝手気ままにしていたら生活習慣は身につかないのですから、こればかりは致し方ない。

これは入所型の施設の場合で、通所型(デイケア)の場合には基本的な生活習慣が身についていることが前提です。そうでなければ通所が続けられません。通所が続けられないようなら、入所型施設に移ることを考えることになるのでしょう。

他の利点として「回復に集中できる」ことが挙げられます。AAのようなグループ(共同体)が一人ひとりのメンバーを支える力はとても強いもので、断酒の維持に役立ちます。しかし、毎日ミーティングに通っていても、仲間と接していられるのは一日のうちの限られた時間に過ぎません。酒や薬というのは、一人でいる時間に忍び寄ってくるものです。長時間仲間と一緒にいることになる施設利用は、まず酒や薬を断つという、回復の基盤を作るのに役立ちます。

だから、なかなか酒をきっぱり断てず再飲酒の繰り返し、だからといって入院ばかりしていられない、という人には施設利用を勧めることになります。(依存対象からの物理的隔離だけでは根本的な解決にはなりませんが、上に書いたように回復の基盤作りに役立ちます)。

そして多くの施設では「12ステップ」を回復のプログラムとして取り入れているのも利点と言えます。アメリカの施設でも12ステップをプログラムの中心に据えるところが多いそうです。12ステップを使ったプログラムについて州政府の認可が得られ、保険が適用できるのであれば、それを「治療(treatment)」と呼んで良いのだそうです。ですので、同じプログラムがある施設では「治療」、認可の取れていない別の施設では「回復」と呼ばれていると聞きました。

(日本では12ステップが有効な治療手段として認められるに至っていないので、治療と呼ぶのはやや時期尚早かもしれません)

残念なことに、日本の施設で12ステップ全体を提供しているのは少数派です。多くはステップ1・2・3を中心に、利用期間中にステップ4・5の棚卸しまで済ませる、というパターンです。これはマックがそのようなプログラムを組んでいた影響によるものと考えられます。(現在では12ステップ全体を行うところも徐々に増えています)。

日本のAA共同体では12ステップが弱体化してきました。12ステップに取り組むメンバーの比率は下がり、ミーティングの中で12ステップのことが分かち合われることが減っています。弱体化が起きた原因はさまざまあると思いますが、そのひとつはマックとの分離もあるでしょう。

12ステップの前半に偏ったプログラムとは言え、施設は12ステップを回復プログラムの柱に据え、スタッフは毎日それを利用者に提供するのを仕事にしています。スタッフから12ステップを受け取った利用者は、アフターケアとしてAA(やNAなど)に通い続け、やがてグループの中で新しい人に12ステップを伝えるようになっていきます。つまり施設スタッフという職業家の存在が、AA共同体への12ステップの供給源になっていたものと考えられます。しかし、共同体と施設との分離が起き、しかもしれが必要以上に厳密に行われた結果、AA共同体は12ステップの供給源を失ってしまったのではないでしょうか。

分離後のAAの中でスポンサーシップが隆盛し、12ステップが一対一で伝えられていけばうまくいったのでしょう。でもそうなりませんでした。「ステップをやるもやらないも自由」「ステップはどう解釈してもかまわない」というのはそうなのですが、それを口実にステップに取り組む人は減っていきました。今、日本のAAはステップをやる団体ではなく、ミーティングをやる団体になってしまっています(そりゃミーティングは必要だけどね)。

ビッグブックをテキスト(教科書)として12ステップ全体に取り組む運動が目立ってきたのは2003年ごろでした。あれから10年。運動の担い手から気になる言葉を聞くようになりました。「俺たちがAA共同体のなかでいくらがんばってみても、これ(弱体化)は食い止められないのじゃないか」。まあ、弱音を吐きたくなる気持ちも分からなくもない。一度失った生活習慣を取り戻すのが簡単でないように、共同体が失いかけたプログラムを取り戻すのは簡単ではないのかもしれません。

僕も視野の広い人ではないので、以前は(AA共同体がしっかりしていれば)施設は不要だと考えていました。だから、過去のこのサイトのリンク集には施設へのリンクはまったく張られていませんでした。しかし、AA共同体には限界があることを知り、施設の現状をいろいろと見聞きする中で、その必要性を認めるように考えが変わっていきました。

本来的には、AA共同体の中で12ステップ全体を伝えるスポンサーシップが普及するのが本筋です。しかし、そのような理想は簡単には実現できません。東京近辺でビッグブックの12ステップのセミナーでも開こうものなら、ちょっと驚くぐらいの人数が集まります。しかし、スポンサーシップが提供できるメンバーは限られていて、爆発的な普及は見込めません。

もう一度施設に12ステップの供給源としての役割を期待する声があるのは知っています。もし、そうなるとするなら、「ステップ1・2・3の繰り返し」という偏りを正して、12ステップ全体を提供してほしいものです。まあ、施設は「AA外部の問題」なので、メンバーとしてとやかく言うべきではないものなのでしょう。

そもそもAAがしっかりしていれば、施設の必要性はもっと薄れるとは思います。仮にAAがしっかりしていたとしても、それでも施設の必要性は残ることでしょうが。


2013年02月18日(月) ロ・ロ・ロ・ロシアン

まだまだ若いつもりでいても、今年は僕も知命を迎えます。

若い頃に比べれば、いろいろな能力が衰えていきます。老いというのは長い下り坂をゆっくり降りていくようなものでしょうか。もちろん脳だって老化していくのです。

アルコール依存症は進行性の病だと言います。最初は酒量をコントロールできていたものが、次第にコントロールを失い、しまいには酒浸りの生活になってしまいます。(ビッグブックではコントロール喪失に対して「渇望現象」という言葉を使っています)。

失われたコントロールを取り戻すことはできない、というのがこの病気の特徴です。

しばらく酒をやめていれば、また昔のように普通に飲めるようになるのじゃないか、と考える人もいます。しかし、そうはなりません。ビッグブックのp.48にも、30才で酒をやめ25年間断酒した男が、再び飲み始めてあっという間に元の飲んだくれに戻ってしまった話が載っています。

もちろん、再飲酒したらすぐに飲んだくれに戻るとは限りません。しばらくの間は飲酒をコントロールして楽しめる場合もあります。僕の最後の再飲酒の時には1日はコントロールできました。もっと長く、何日か、あるいは何週間かトラブルなく酒を飲める人もいます。コントロールを取り戻した状態を何年間も維持できた経験を持つ人もいます。

彼らはその間は「アルコール依存症が治った」と感じたり、あるいは「そもそも依存症じゃなかったのに、自分も周りの人も大げさに考えすぎていたのだ」と考えます。

しかし、いつかはコントロールが失われトラブルの日々が戻ってきます。

「私たちも、自分はコントロールを取り戻したと思ったことがあった。けれど、そのちょっとした、あまり長くない中休みのあとには、必ずもっとひどい状態がやってきた」(p.46)

だから、依存症が治ったとか、コントロールが取り戻せた、という話を聞いても、「ああそうですか、それは良かったですね」と言っておくほかありません。酒を楽しんでいる状態で酒をやめたいと思う人はいません。その間は別の人に時間を割いていた方が賢明です。

酒をやめていても、この病気は進行すると考える人たちもいます。僕もその一人です。酒を長い期間やめた後で飲み出すと、元の酷い飲んだくれに戻るのではなく、もっと酷い状態になってしまう、ということです。

酒を飲むことで、アルコールが肉体(特に脳)に影響を与えて病気が進行していく・・と考えるなら、飲んでいないのに病気が進行するとは信じられないかも知れません。しかし、時間をおいて飲み始めたら、以前よりもっと酷い状態になってしまった、という経験は多く語られています。

この「飲んでいないのに依存症が進行する」理由を説明してくれるのが、加齢による脳の老化です。記憶力や演繹力と同じように、アルコールをコントロールする力も脳の能力のひとつであり、老化によって衰えうるものです。

病気が進行すれば、それだけ酒をやめるのが大変になり、より多くの努力が必要になります。

何年か酒をやめている人間は意識しなければならないことがあります。もし次に酒を飲んだとき、この前やめた時と同じ努力で再びやめられる、とは限らないということです。次はもっと大変な努力が必要になる可能性が高い。その意欲を持てずに断酒達成を諦めてしまうかもしれません。

それだけ今回のソブラエティは貴重だということです。「今度飲んだら死ぬかも知れない」。再飲酒したからって必ず死ぬとは限りませんが、次はやめられずに死ぬまで飲み続ける羽目にならないとも限らない。なにせ、老いから逃れられる人はいないのですから。

(再飲酒はロシアンルーレットと同じ)。

飲まない生活を何年か続けていれば、自分が飲まないでいられるのが当たり前に感じられてしまいます。だから、それを維持する努力を怠りがちです。今のソブラエティを大事にしましょう。もう一度やめられるとは限らないのですから。


2013年02月14日(木) 神聖モテモテ論

12ステップやらAAの話ばかりではつまらないので、たまには趣向の違う話を書いてみましょうか。明日はバレンタインデーだし(関係ないか)。

近年、婚活が流行っているのだそうです。婚活パーティとかネットの婚活サイトなどの婚活産業も盛んです。昔だったら、親戚や近所にお節介なおばさんがいて、頼みもしないのに見合い話を持ってきてくれたものです。(若かりし僕の所にもいろんな話が来ました)。

しかし、そのようなお節介おばさんも絶滅危惧種になったようで、滅多に見かけなくなりました(そのうちレッドデータブックに載るかも知れません)。その代わりに婚活産業が隆盛したのは(介護ばかりではなく)婚活も社会化が進んだということでしょうか。

婚活によって、すんなり相手をゲットする人もいれば、なかなか成功しない人もいます。「なぜ私の婚活はうまくいかないのか」という疑問にはどう答えれば良いのか。

貴様がなんでもてないかというと、貴様だからだ。

というファーザー様のお答えで済ますわけにもいきません。

話は変わりますが、以前に勤めていた会社が倒産し、やむなく就職活動で面接を受けたのですが、そのときある採用担当者がこんな事を言っていました。

「企業にとっての採用(求職者にとっての就職)は、結婚に似ている」

企業がどんなに「この人を採用したい」と思っても、その人が求人に応募してくれなければ採用できない。求職者にとっても、どんなに「この会社に就職したい」と願っても、会社が承諾してくれなければ就職できません。

この話は、相思相愛になることの難しさを述べているだけではなく、もうひとつ意味があります。求職者はどの企業の求人にも応募できる自由があるのに、採用する側は応募した人という限られた選択肢の中から選ばざるを得ない、その窮屈さを述べています。二重の意味で結婚(とか恋愛)に似ているのです。

動物の多くは「女性選択(female selection)」です。これは、雄が雌に求愛を行い、雌は自分に求愛してくれた雄の中から一番良さそうな相手を選んでつがいを作るという仕組みです。雄は求愛の際に、様々なアピールをして自分を選んでもらおうとします。クジャクは立派な尾羽を広げ、ヤマドリは大きな巣を作ります。この他にもきれいな声で鳴いたり、エサを差し出したり、ダンスを踊ったりと涙ぐましい努力が行われます。

雄の求愛を受け入れるかどうか、その相手と交尾するかどうか。それは雌側に選択権があります。人間とて例外ではありません。「セックスさせてくれよ〜」という男の要求にオーケーするかどうかは女性の権利となっており、相手が嫌だと言っているのに無理矢理やってしまうと、強姦として非難を受けることになります。それは人間の法によるものですが、その根拠を突き詰めれば、人間の雌ばかりでなく動物全般の雌が持つ選択権に行き着くことになります。

なぜ女性選択が成り立つのか。それは雄と雌の繁殖コストの違いで説明されます。繁殖するために雌は妊娠・出産・子育てという大きな負担がかかり、その間は次の繁殖が制限されます。一方雄の側は、精子をばらまくだけで繁殖が可能だし、そもそも自分のパートナーが育てている子が自分の子かどうか確かめられません(人間は科学によってその検査を可能にしましたが、自然界では無理です)。

その結果、雄は雌に求愛して周り、雌は自分に求愛してくれた雄の中から相手を選ぶ、という仕組みができあがったと考えられます。先ほどの採用担当者の言葉を借りれば、男性=求職者、女性=企業、というわけです。(最近は肉食系女子も多いから男女逆でも良いでしょうけど)。

参考:性淘汰の原因
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A7%E6%B7%98%E6%B1%B0#.E6.80.A7.E6.B7.98.E6.B1.B0.E3.81.AE.E5.8E.9F.E5.9B.A0

どうやったらたくさんの異性にモテるか・・は知りません。でもパートナーを一人つかまえたいという話ならば、「婚活は就職活動と同じ」ではないかと思います。自分を採用してくれる会社にあたるまで、ひたすら応募し続けるしか他に方法はないのじゃないか。婚活も同じです。

しかし、それはメゲる方法かも知れません。あるAAメンバーは、就職活動で100社以上に落ち、その頃はさすがにメゲていました(100社目に落ちたときはスポンサーが飯をおごってくれたそうです)。でも終いにはちゃんと採用されました。別のAAメンバーは数十回見合いをし、断られ続けたものの、最後には幸せな結婚をしたと聞いています。

それにしても応募したくなるような企業、じゃなかった求愛したくなるような異性がいないんだよ、とお嘆きの人もいるかもしれません。それは仕方ないことでしょう。ハタチで婚活する人は滅多にいません。たいてい35才、40才を超えてからの婚活です。その頃には、釣り合う年齢の相手はたいてい片付いており、市場に残っているのは残り物です。残り物は嫌だと言ったって、自分がその残り物なのだから仕方ない。

初婚の人は男でも女でも自分より若い相手を求めるそうです。それは結婚生活を経験していないので精神年齢が若いからでしょうか。自分では若いつもりでいても、肉体の加齢は避けられません。若い人から見ればおじさん・おばさんですから、年齢以外の魅力がたくさんなければ難しいでしょうね。

俺は若い娘じゃなきゃダメだとも言わないし、高望みもしていないのに、なぜか婚活に成功しない、という人は何かが足りないのではないかと思います。個別に何が足りないのかは分かりませんが。

企業経営には「ロマン・我慢・そろばん」の三つが必要だそうです。この言葉を最初に言ったのが誰なのかハッキリしません(経営の神様と呼ばれた松下幸之助ですかね)。

還暦を超えて婚活を開始したIさんは、「この年齢になって初めて、残りの人生をすべてかけても良いと思えることに出会いました」と現在取り組んでいる仕事?のことをメールに書き、それを読んで「この人なら」と思った女性が今の奥様だそうです。やはりロマンを語れなければ人はついてこないか。

しかしロマンを語ってばかりで努力できない人も困りますから「我慢」も必要ですし、経済もついてこないと生活できませんから「そろばん」も必要でしょう。

こう考えてくると、婚活が面倒くさいと考える人がいるのもうなずけます。そもそも結婚というのが面倒くさいものですし、我慢も必要だしお金もかかります。それは恋愛も同じ。

昔は結婚しないと一人前の大人とは見なされない風潮がありました。また、国全体が貧しくて、なるべく共同生活をしなければ生活が成り立たない事情もありました。しかし、結婚を仕向ける社会的圧力が減り、自分一人分の生活費を稼いでコンビニ飯で生活できる世の中になって、面倒くさい結婚(とか恋愛)に取り組む人が減ったのは仕方ないことなのかも知れません。

というわけで、どうやったらモテモテになれるかという話はまるでないまま、このエントリはおしまいです。


2013年02月03日(日) 解決したいと思えるようになりたい段階

知り合いのAAメンバーがmixiでこんなエントリを紹介していたので、高速バスで移動中に読んでいました。

うつ病 「心」と「現実」の混同は誤り
拠りどころ喪失が大きな要因に
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2550

加藤諦三という人が正統派?の心理学者なのかどうかは知りません。この人のすごいところは、ずっとラジオの人生相談を続けてきたことです。

僕は「量はやがて質になる」ということを信じています。理屈ばっかり言っていても役に立ちません。場数を踏むことが大切で、たくさん経験を積めば、その中から何らかの法則性を見いだすこともできるだろう、という考えです。(もちろん量を質に変えるにはそれなりのセンスも必要でしょうけど)。

4ページ目、「ラジオで人生相談をしていますが、悩んでいる人たちは解決を求めているのではなく、苦しんでいる姿を伝えるために電話をかけて来ることが多い」という話が一番頷けました。

私は悩んでいる、苦しんでいると言う人はたくさんいます。(実はそれが言えずにいる人も多く、言えるだけでもたいしたものなのですが、それは別の話で)。悩んでいると言うからには、その悩みが解決した方が良いと考えているのでしょう。

それに対して「このような解決方法がありますよ」と言っても、「じゃあ、さっそくそれをやってみます」という人ばかりではありません。むしろ、何もせずに今までどおりのことを続け、ふたたび同じ相談を持ち込んでくる人のほうがずっと多いのです。

なぜその人たちは、解決方法を拒むのか。それは、その解決方法が、自分の側に何らかの労力が必要だったり、自分を変える努力が必要だったりするからなのだと思います。

文中にうつの例が挙げられています。うつ病の本質は憎しみの表れ、というのはよくある話です。

憎しみは12ステップの用語では恨みです。憎しみを持っている人は、だいたいこう考えています。「自分にはたいした落ち度はない。悪いのは相手であって、相手が態度を改めれば問題は解決する」と。相手を変えることに成功することもありますが、現実にはそれが難しいことも多い。そうなると、その人の中で問題は解決不能になってしまいます。なぜなら、その人は労力を割いたり、自分を変えるつもりがないからです。

例えば僕が駐車場に戻ってみたら、駐めて置いた車の窓ガラスが何者かにたたき割られ、中の金品が盗まれていたとします。その時に「僕には何も落ち度はない。悪いのは犯人なのだから、犯人が金品を返し、車を修理して僕に帰してくれるべきだ。それまで僕は何もしないぞ!」と言っていても何も解決しません。僕がしなければならないことは、警察に届け、保険会社に連絡し、車を修理工場に預けることなどなどです。

そうした被害に遭うことは理不尽なことだし、そのおかげで余計な手間もかかります。でも、理不尽なことが起きない人生なんてありません。理不尽な目に遭うたびに、誰かを憎んで、うつになったり酒を飲んでいたりしても、自分が余計損をするだけです。

うつ病で環境調整するのだって、職場を変えることも本人にとっては余計な手間で、その手間を拒めば解決は遠のくわけです。

人は悩みや苦しみを打ち明けて、話を聞いてもらうだけで楽になることもあります。身近に話を聞いてくれる人がいるのは大きな幸せだと思います。人はそうやって、話を聞いてもらって楽になる、ということを学習してしまうのかもしれません。

そして、ふたたび苦しみが募ると、同じように話をして楽になろうとします。仮に誰かが解決策を示してくれたとしても、それを拒んで同じことを繰り返している。苦しんでいるのですが、解決策は求めていない。

自力で酒をやめようとして、何年かおきに飲酒を繰り返すアル中の姿にどこか似ている気がします。ビッグブックに "He wants to want to stop" という言葉があります。自分は「酒をやめたい」と思っているつもりでも、実はまだその段階に至っておらず実情は「酒をやめたいと思えるようになりたい」という段階です(そういう人でも、口では酒をやめたいと言います)。

同じように、自分では「悩みや苦しみの解決を求めている」というつもりでも、まだその前段階という人も少なくありません。


2013年01月28日(月) 荒削りな人生学校

しばらく前のことです。ある人(AAメンバー)から、こんな事を言われました。

「ひいらぎさんは、僕らアル中とは違ったタイプの人間なんだと思ってましたが、この前のイベントで、やっぱり同じ仲間なんだなと思いました」

僕のことを(強いて言えば)バランスの取れたまともな人間だと勝手に思っていたのが、一泊二日のイベントをその人と一緒に過ごしたことで、僕もアンバランスなアル中であることが分かってもらえた、ということでしょうか。「化けの皮が剥がれた」とでも申しましょうか。元々僕は何ら特別なアル中ではないし、マトモでもありません。

僕の考えでは、どれだけ酒を長くやめようとも、どれだけ回復しようとも、やっぱりアル中はアル中であって、バランスが取れることもないし、マトモにもなりません。理想的な回復を遂げたアル中に会ったことなど一度もありません(キッパリ!)。

AAに入った最初の頃、地元のAAメンバーの姿に正直失望を感じていました。「心の平安」などという話をしている割りには、メンバー同士が些細なことで仲違いや諍いを繰り返していたからです。この地元の「先行く仲間」はダメであっても、日本のどこかにはもっとまともなAAをやっている人たちがいるに違いない・・・違いない、とそう期待しました。

その期待の先が関東のAAでした。何しろ日本のAAメンバーの半数が関東という狭いエリアに集中しています。その数多いAAメンバーの中には選りすぐりの人たちがいて、きっと理想的なAAをやっているに違いない・・違いない。しかし期待は現実によって裏切られました。確かに人数が多ければ、マンパワーもあるし献金も集まるので活動は豊富なのですが、些細なことで争いが起こるのは変わりありませんでした。

メンバーの中から選ばれてきた評議員や理事も、会議の席上でしばしば感情的にムキになって対立します。そして極めつきはAOSMという国際的なイベントにオブザーバー参加したときのことで、その国のAAを代表してやってきたAAメンバー同士が、つまらないことで言い争いをしている姿に、アル中はどこまでいってもアル中であるという思いを深くしました。(英語の聞き取りがろくにできなくても、話の中身が似たようなものであるのは容易に想像がつきました)。

性格上の欠点を取り除くプログラムだなんて言いながら、こいつら欠点だらけじゃないか、と自分のことを棚に上げて思ったものです。もう、うんざりだよ、と。

しかしながら、「だからAAはダメなんだ」とAAそのものに失望を持たなかったのはなぜか。

それは(口はばったいけれど)多少なりとも僕も回復を得たからではないでしょうか。

あるとき、ある医師が言った言葉に僕は深く共感しました。

「依存症の人は、いつも良い気分でいることに必要以上にこだわる」

普通の人が普通の人生を送っていても、いつも良い気分でいるわけではありません。なのに、アル中(とか他の依存症の人)はいつも自分が良い気分でいて当たり前だと思っています。生きていて、いつも良い気分でいるなんてあり得ません。普通の人は、不安になったり、腹が立つことがあったりしても、大体そんなものだと受け入れて暮らしています(それが精神の健康であるのですが)。

ところが、アル中の人は、不安になったり、腹が立つことがあったりすると、「これはおかしい。間違っている」と感じ、その状況を変えて気分を良くしようとします。時には状況を変えることに成功するかもしれませんが、むしろ変えられないことの方が多いわけです。そこで、アルコールや薬物やギャンブルによって、無理矢理気分を良くすることになったりするわけです。

人生とか、生活というものは、大小多くのトラブルの連続です。トラブルがない生活なんてものはなく、トラブルが来ても乗り越えていけるという手応えこそが幸せなのではないでしょうか。自分好みの解決じゃなくても、ともかく解決すれば良いんだし。

AAであれどこであれ、人間がそこに存在する以上、人間関係のトラブルは避けられません。こんなトラブルがあるからAAはダメなんだ、という考えは、トラブルがまったくなくて、心配事も腹立ちも何にもない生活が実現されて当たり前、というアル中の病んだ考え方そのものなのです。

そもそも、僕がAA嫌いだというのは、AAだけじゃなくて、AA以外の人間も、この世界も嫌だということだったのですから、それはやはり精神が病んでいたことによるのでしょう。

だから僕は不愉快になったり、いろいろ嫌になってしまった時は、「それは自分がいつも良い気分でいられるべきだ」という利己的な思考に陥っていないかチェックするようにしています。

精神を病んでいない健康な人からAAを見たらどう見えるのだろう。そういう疑問に答えてくれた人がいたのですが、AAは嫌なところというより、むしろ面白いところだそうです。その面白さは、どこぞのドタバタの新喜劇のようなものなのかも知れません。苦笑いなんでしょうけどね。

12&12のステップ11の最後には、私たちの周囲の極めて人間的なことのなかに一見神の意志とは正反対のことが現れたとしても、もはやそのために私たちが深く動揺することはない、と書かれています。

これからもAAの中ではつまらないトラブルが絶えないでしょう。そのために時にはうんざりする人もいるかもしれません。でも、その争いが「いかにして最も多くの酔っぱらいに最も良いことをするか」ということであれば心配要らないとビル・Wも書いています。

彼はAAを「荒削りな人生学校」に例えました。僕らはもう一度子供に戻って、そこで人生を学びなおしています。子供というのはそれに見合ったことをするものです。時には小学生のようにガキっぽく、また時には思春期のように青臭く、様々な「しょうもないこと」を繰り返すでしょうし、痛みも伴うでしょうが、一足飛びに大人になることは誰にもできやしないのです。例え過去に僕らが酒を飲んで大人になった気分でいたとしても。


2013年01月10日(木) 書評:ギャンブル依存との向きあい方(その2)

書籍『ギャンブル依存との向きあい方』の評の後半です。

さて、話をギャンブルに戻します。

ギャンブル依存の人が「借金を返すためにギャンブルをしている」と考えるのは自己欺瞞です。ギャンブルで借金を返そうというのは、まったく合理性を欠いた考えです。また、借金が整理されて返済の必要がなくなっても、彼らは再びギャンブルに手を出し、また大きな借金を抱えます。

こうしてみると、対象をアルコールからギャンブルに変えただけで、同じ依存症のように見えます。確かに強迫的ギャンブラーの一部が(アルコール・薬物と同様の)アディクションであることは間違いないでしょう。

しかし、同じだとすれば、再びほどほどにギャンブルが楽しめるようにはならないはずですが、ギャンブルについてはそうなったという例もあります(自然治癒例)。また、金銭問題がギャンブル依存の結果だというのなら、ギャンブルをやめたら金銭問題が無くなるはずです。ところが、やめた後も金の管理ができず、お金を使いすぎて困ってしまう人がいます。こういう人は実はギャンブルにはまる前から、金銭管理の問題を抱えていたことが分かります。

依存症以外のタイプの人が混じってきている、それは間違いないことだと思われます。昔はアルコール依存症が病気だとは思われていませんでした。酒をやめられないのは、不道徳で意志の弱い、罪深い人間だとされてきました。様々な人の努力の結果、慢性アルコール中毒(後のアルコール依存症)は病気だということが、ようやく世間に認知されてきました。それは大変良いことでしたが、弊害もありました。

操作的な診断基準に従って、酒を飲んでトラブルを起こしていれば、誰でも彼でもアルコール依存症という病名がつけられ、専門の医療機関や施設やAAに紹介されてくるようになりました。それによって多くの人たちが助かりましたが、一方で、本当は依存症とは違う原因なのに、依存症のケアで混乱し、何年もの時間を無駄にしている人も少なくありません。問題が違えば、違った解決策が必要なはずです。

それなのに、大酒を飲んでいれば、それだけで依存症だと決めつけてしまい、病院に入れた後はAAミーティングに通わせるだけで、あとは良くなるもならないも本人の「やる気」次第・・・という過剰に単純化した援助がまかり通るようになってしまいました。この現状を嘆かずして、他に何を嘆けというのでしょう。

ただ幸いなことに、アルコールの場合にはそうしたミスマッチは少数派です。ところがギャンブルの分野では、このミスマッチが日常茶飯事で起きている、ということが、この本から見えてきます。

例えばこんな例はどうでしょう。ギャンブル依存とされたAさんは、子供の頃から自分で決めることが難しく、進学先も、就職先も家族(この場合は母親)が決めてきました。やがてギャンブルの問題を起こすようになり、GAというグループを探してきたのもお母さん(あるいは奥さん)でした。本人のお金の管理をさせると危ないので、家族が代わりに金銭管理をしています。ところが、いくらGAに通っても、なかなかしっかりとギャンブルがやめられず、時々細かな再発を繰り返します。

そこで家族がほうぼうに相談したところ、あるところから「手を離しなさい」「手助けをやめなさい」というアドバイスをもらうことになります。これはデタッチメントという手法で、周囲が本人に代わって問題を解決するのをやめることで、本人が問題に直面し(直面化)、底つきを経て回復へ向かう、というモデルを当てはめようとしています。このやり方が功を奏する場合もありますが、そうならないことも多いのです。

結果がどうなるか。たいてい、もっと悪化し、ギャンブルと借金の問題は深刻化します。おそらくこのタイプの人(Aさん)には、ギャンブル依存症とは違ったタイプの問題を抱えています。GAに通うことや、デタッチメント型のアプローチが効果をもたらさないのは、「アディクションとは違う問題が原因だから」という視点を持てれば、やり方を変えることができます。しかし融通の利かない支援者は、より苛烈なアドバイスを送り(例えば「家から叩き出せ」とか)問題をよりこじらせてしまうこともあります。

高澤さん、中村さんは、それぞれ日々の仕事でギャンブラーに接する中で、「アディクションとは違う問題」を幾つかにタイプ分けしています。発達障害タイプは、上に書いた自閉圏やADHDなどです。知的障害のタイプもあります。また、発達障害とも知的障害ともされなくとも、全般的にキャパシティが小さいタイプは、普通の人なら耐えられる負担でも大きなストレスに感じてトラブルに発展します(キャパ小タイプという名が与えられている)。いずれにせよ、本人の苦手なこと(例えば金銭管理)を無理にやらせるよりは、周囲が支える仕組みをうまく整えることによって、問題が解決していくことが多いわけです。個別の具体的な対応策については、ここで紹介しきれるものではないので、本を読んでいただくのが早いと思います。

もちろん、きれいにタイプ分けできるわけではなく、中間タイプもあるし、アディクションタイプの人もいるわけです。必要なのは、その人の生育歴や生活ぶりを調べて、どのような支援が必要かを調べ、個別のメニューを組み立てることです。その人がアディクションタイプであれば、GAに通って、経験を分かち合うことで内面的洞察を深めるやり方も奏功しうるでしょう。

彼らの発信する情報から、ひとつの明確な考えが導き出されます。「何かを乱用しているからといって、依存症とは限らない」ということです。ギャンブル乱用だからといって、ギャンブル依存症とは限らない。もちろんそのことは、アルコールや薬物にも言えますし、最近の新しい依存症のジャンルにも言えることでしょう。なるほど、ミーティングでの分かち合いや12ステップは強力なツールではあるのですが、何でも切れる矛(ホコ)ではありません。そのことは、12ステップを使って問題解決を手伝っている立場として、身に染みて感じることです。畑違いのことは、その分野の人に任せるのが良いわけで、何でもかんでも12ステップで解決しようとするのは頭が悪すぎる、専門性があるとは言いません。

もしあなた自身か、あなたの家族がギャンブルの問題を抱えていて、他の人のようにすんなり問題が解決していかないのなら、この本を手にとって通読されることをお勧めします。また、ギャンブル以外の分野の人にも一読をお勧めしたい。きっと視野が広がる体験をするでしょう。

また、この本の後ろ3分の1はワンデーポート理事長の稲村さんによる債務整理の説明になっています。ギャンブラーの人は借金の問題を抱え、「借金さえ解決すればギャンブルの問題も消える」と信じている人も少なくありません。しかし、借金には原因があるわけで、その原因を解決せずに債務を片付けても、再び借金ができるだけです。稲村さんは司法書士として債務整理に関わるなかで、そのことに気付かれてギャンブルの支援に入ってきた方です。

具体的には、借金が表面化した時(家族にばれたとき)こそが解決のチャンスであり、そのチャンスに向けて家族をすること。また、借金は片付けるよりむしろ返さないでおくのが良いとしています(片付けるのは本人の回復が軌道に乗った後)。そうは言っても、借りた金を返さなければ催促が来てしまうわけで、それにどう対応したら良いか。また家族はどうすれば良いか。法律の専門家の立場から解説しています。

ギャンブルの問題に関わるに当たって借金のことは避けて通れないわけで、特にご家族、支援者の人にこの項は必読だと思います。

最後にまとめになりますが、昔は依存症は病気だとは思われていませんでした。そこからひとつ進歩して、依存症は病気だということが知れ渡るようになりました。21世紀になって、そこからさらに進歩すべき時期が来たのでしょう。この本がその新時代を切り開く先鋒となることを期待を表明して、紹介を終えることとします。今後とも、このお三方の活動に注目していきます。

※アディクション関係の本は1,500冊売れれば御の字だと言われます。この本は初刷り1,500部が早々に品切れになり、アマゾンの中古が定価の数倍に跳ね上がるという現象を引き起こしました。幸い増刷もでき、現在は安定入手できる状況ですが、ご興味を持たれた方は早めの入手をお勧めします。

(この項終わり)

本人・家族・支援者のための ギャンブル依存との向きあい方
 〜一人ひとりにあわせた支援で平穏な暮らしを取り戻す
認定NPO法人ワンデーポート/編
中村努・高澤和彦・稲村厚/著
明石書店
http://www.akashi.co.jp/book/b102419.html
ワンデーポートFAX注文用紙
http://www5f.biglobe.ne.jp/~onedayport/fax.html
Amazon
http://www.amazon.co.jp/dp/4750335991/
セブンネットショッピング
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1106174470/
PDFチラシ
http://homepage2.nifty.com/urawa-mahalo/akashi.pdf


2013年01月09日(水) 書評:ギャンブル依存との向きあい方(その1)

書籍『ギャンブル依存との向きあい方』の評を何回かに分けてお送りします。

本人・家族・支援者のための ギャンブル依存との向きあい方
 〜一人ひとりにあわせた支援で平穏な暮らしを取り戻す
認定NPO法人ワンデーポート/編
中村努・高澤和彦・稲村厚/著
明石書店
http://www.akashi.co.jp/book/b102419.html

僕らは「ギャンブル依存症」という言葉を使いますが、まだそれは依存症として完全に認知されたわけではありません。病気の国際的な診断基準(IDC-10)でも、アメリカ精神医学界の基準(DSM-IV)でも、依存症のカテゴリに入れられているのは、アルコールその他の薬物だけです。

(病的賭博は別の「衝動制御の障害」というカテゴリの中に、窃盗癖や放火癖と一緒に入れられています。2013年に発表される予定のDSM-5では、アディクション(嗜癖)というカテゴリが設けられ、そこにアルコール薬物依存と一緒にギャンブル依存も入る予定ですが、反対もあるようで蓋を開けてみなければ分かりません)

医学が保守的に構えている一方で、当事者のほうは先に走り出していました。1957年にはアメリカでギャンブラーズ・アノニマス(GA)が始まり、家族のためには翌1958年にギャマノンが始まっています。(それぞれ1989年、91年に日本でも始まっています)。そこではアルコールや薬物と同様に、12ステップを使った解決が提案されています。

AAの12ステップとGAの12ステップの間には微妙な違いもありますが、基本的に同じ手段が使えるということは、アルコールがやめられないのも、ギャンブルにハマるのも「同じアディクションであろう」という考えにつながります。

人がハマるのはアルコール(薬物)やギャンブルだけではありません。セックス、買い物、ネットなど、様々なものにハマるのも「依存症」であると考えられ、20世紀後半には様々なグループが誕生していきました。そうした当事者活動の観察から、「依存症」を三つに分類するコンセプトが生まれました。

1. 物質依存・・・・(アルコール、薬物)
2. プロセス依存・・(ギャンブル、買い物、セックス、ネット、食べ物)
3. 人間関係依存・・(共依存)

※食べ物を物質依存にカテゴリする場合もありますが、ここではプロセス依存に分類しました。

こうして最初はアルコールと薬物だけだったアディクションの概念が、次第に拡大されていくことになりました。たくさん誕生した新しい「依存症」が、本当にアルコールや薬物の依存症と同じ仕組みの病気なのか、同じ手法が使えるのか、検証されることはなく、援助職や当事者の分野で、依存症概念の拡大はほぼ無批判に受け入れられていきました。

また、依存症概念が拡大されていった時代は、アルコール依存の援助の中で発見された概念が普及した時期でもありました。その概念を象徴するのが、イネイブリング理論、底つき理論、タフラブ、直面化などのキーワードです。これらの概念やキーワードも、プロセス依存や共依存の分野に普及しました。

現在、アルコール・薬物の分野では、イネイブリング理論や底つき理論の有効性への疑問が出され、MATRIXや動機付け面接など新しい手法が提唱されています。ただ、その話は別の機会にしましょう。

ここで取り上げたいのは、アルコールだったりギャンブルだったりと対象が違っていても、同じ仕組みの病気なのかどうか。もっと話を進めて、同じギャンブルに「依存」している人が全員同じ仕組みの病気なのかどうか。そのことを突き詰めて考えることをせず、みんな同じ依存症と捉えていたのではなかったか。そして、同じアプローチが使えると思っていなかったか、ということです。

本書の3人の著者のうち、高澤さんはアルコールの援助職をした経験を持つ人で、中村さんはギャンブル依存の当事者で、かつアルコールの施設で自身が回復した人です。どちらも、現在はギャンブル依存を対象として援助を行う仕事をされています。お二方とも、最初はアルコールの手法がギャンブルにも使えると信じて活動していたものの、やがて「みんな同じ依存症」という考えの限界に気付き、丁寧なアセスメントと個別支援という方向を打ち出した人たちです。

・・・

僕自身の話をしましょう。

僕は3年前、ある用事でGAのミーティングに初めてお邪魔しました。本当はクローズドだったのですが、特別な計らいで会場の隅で分かち合いを聞かせてもらいました。ちょうど過払い金訴訟の盛んな頃で、戻ってきた金で借金が清算できて楽になったという話を聞きました。もう勝って返す必要がないのでギャンブルもしなくて済む。そんな話でしたが、後日聞いた話では、そうやって過払い金で借金を清算しても、やがてギャンブルに戻っていく人は多いのだそうです。なるほど、ギャンブラーにとっての借金は、アルコホーリックにとっての肝臓の数値みたいなものか、と納得しました。

その時点では、「みんな同じ依存症」という考えの限界には何も気がついていませんでした。

話をいったんアルコールの分野に戻します。

僕がAAにつながって最初の頃、依存症からの回復には「やる気」が必要だと言われました。「やる気」という言葉は、AAで使われるテキスト『12のステップと12の伝統』のステップ3のところにあり、やる気(意欲)こそが回復の鍵であるとされています。

数ある病気の中には、放っておいても自然に良くなりいつの間にか治っている病気もあります。しかし、依存症はそうではありません。依存症からの回復には本人の行動が必要であり、意欲が必要です。しかし、あまりに意欲が強調されすぎると、回復するもしないも本人次第ということになりがちです。回復できない人は、「本人のやる気が足りないから」で片づけられてしまいます。

しかし、本人はやる気に溢れているのに、再飲酒を繰り返してなかなか回復できないという、痛ましい例も珍しくありません。そうなると「回復は本人のやる気次第」とは言っていられなくなります。そこで、いままでの方法論が悪いのではないか、という話になりました。従来の「ミーティングでひたすら体験を分かち合う」というやり方で本当に良いのだろうか、という疑いが生じたのです。

元々AAには「12ステップ」という回復の方法論があります。しかし、近年のAAではこの12ステップがないがしろにされてきたと言っても過言ではありません。そこで、21世紀に入ってから、12ステップの原点である「ビッグブック」に沿ってステップに取り組もうとする運動が発生し、一定の成果を上げてきました。ミーティングで体験を分かち合っているだけではなし得なかった数々の回復例が生まれ、それまで意欲を持つことができなかった人が「やる気」の鍵を使って回復のドアを開け始めました。

その喜びがあまりに大きかったために、この(ビッグブックの)12ステップの万能性を信じた人も少なくありませんでした。僕も例外ではありませんでした。「この12ステップという道具を使えば、誰でも回復できる」・・・実際にはそうは問屋が卸しませんでした。12ステップでも回復できない人は存在しました。しかも無視できないほど多く。方法論が曖昧だったころは、回復できない原因を本人の意欲に求めれば良かったのですが、明確な方法論が導入されると、今度はその方法論に合わない人たちの存在が際立っていきました。

どうやら依存症とは別の問題があるのではないか? 意欲が無いと見なされている人たちは、本当にやる気がないのだろうか。それともそう見えるだけなのか。僕がそう考えだしたのは、2009年ごろでした。僕がネットに書いている雑記にも、この頃から発達障害という言葉がちらほら出てくるようになります。

特に注目していたのは自閉圏の発達障害でした(アスペルガー症候群・広汎性発達障害・PDDと呼ばれるもの)。自閉圏の人は、人の話に共感することが難しい人たちです。

ミーティングで他の人が体験を話しているのを聞くと、自分にも同じような体験があるのが思い出され、自分が話す番が来たらその話をします。そうやって他の人の話と自分の体験が「重ね合わされ」ていくのが、ミーティングにおける「分かち合い」です。それによって、自分の過去の行動の意味や問題点に気付き、自分を振り返ることができます。

ところが、この「重ね合わせ」や「分かち合い」に乗れない人たちがいます。彼らは他の人が何を話していようと、お構いなしに自分の話したいことを話します。他の人の話の些末なところに着目してしまうこともありますが、大局的には他の人の話にはあまり影響を受けません。他の人たちが「分かち合って」いる中で、(同じ場所にいながら)その輪から外れているのですが、本人にはその自覚がないようです。過去の自分の行動の意味を振り返ることは難しく、自省に結びついていきません。

こういう人たちは「自分の問題から目をそらしている」(否認している)とか、回復への意欲がないと見なされがちです。場合によっては、罪悪感を持っていないとまで見なされてしまうこともあります。

発達障害について学んでみると、こうした行動は自閉圏の特性ゆえだということが分かります。彼らは共感や自省や罪悪感を持つことができないのではなく、単に「ミーティング」という方法が合っていないだけなのです。また、12ステップも(自閉的な特性を持たない多数派のために作られたものである以上)、自閉圏の人が扱いづらい曖昧な概念を使っているので、その人に合わないということが起こり得ます。

発達障害以外にも、知的な障害を抱えている人もAAに来ますし、精神障害を抱えた人も来ます。それは一部の人たちに限られた問題です。AAは全員に「共通する問題」を解決するために、ミーティングや12ステップという「共通の解決方法」を使うところです。その人に固有の問題を解決するのに、別の方法論が必要になってくるのは、考えてみれば当たり前の話です。

それを「みんな同じ」で、みんながミーティングや12ステップで良くなるというのは、かなり無理があった話と言わざるを得ません。

(続きます)

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