心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2012年04月15日(日) バック・ツー・ベーシックス騒動(その4)

日本のAA以外の12ステップグループを眺めてみると、施設との関係を断ち切れていないところが目立ちます。いや具体的に名前を挙げるのは憚られますが。施設と自助グループの密な関係は、最初は相互の発展に寄与するでしょうが、時間を経るに連れて弊害が拡大していくようです。最大の弊害は、自助グループが外部からの影響を排除できなくなると、グループの有用性が失われてしまうことです。だから、早めの独立が望ましいし、これから施設の影響を被りそうなグループに対しては、AAのこうした経験を分かち合うことも大切でしょう。

鴨川の集いは多くの賛同者を生み出しましたが、彼らにとってはマック経験者から異を唱えられたことは心外でした。これが新たな感情的しこりが生まれたことは間違いありません。まるでマック派とビッグブック派が生まれ、お互いに足を踏んづけ合うような状況が生まれました。もちろんそれが良い結果をもたらすことはありませんでしたが。

鴨川で使ったバック・ツー・ベーシックスはAAメンバー夫妻の書いたものだったとは言え、ワリー・Pの著作と名前が同じで中身も似通ったものであることが難点で、後に「ビッグフット」という名の別のフォーマットが日本人AAメンバーによって作られています。

こうした台本ミーティングやスタディ・ガイド本の是非については、常任理事会まで持ち込まれたことがありましたが、当時の理事会はアメリカの理事会の声明を引用しました。アメリカの理事会としてはAA公式のスタディ・ガイドを出版する必要性を認めないこと、AAメンバーがそれを出版したり、活用することには反対せず、個々のグループが使うことについて理事会は意見を持たないというものです。ただし、日本の常任理事会は独自の声明として、そうした個人や外部で作られたものは(AAの原理を正しく反映しているとは限らないため)、AA外部においては(例えば病院メッセージなど)でAAを紹介するために使わないように要請を発表しました。

バック・ツー・ベーシックスが日本のもたらしたものはなんだったのでしょうか?

それは12ステップは「教える」ことが可能であること、そして教えることが必要とされている、という認識を広めたことです。まさにそれはAAの原点に戻る動きでした。

マックという施設としてはビッグブックのプログラムを排除する意図など持っていなかったと思います。一部のOB・OGが過敏に反応しただったと僕は解釈しています。現在はそのマックで(それもミニー神父が始めたマックで)ビッグブックと教材を使って12ステップを伝えるやり方が始まっています。マックとビッグブックが対立するものという捉え方がナンセンスになりつつあります。時代は変わります。

評議員となって東京に通い出した2003年頃、僕はビッグブックを使った12ステップというものに、それほど強い関心を持っていませんでした。アメリカ帰りのAAメンバーからいろいろ聞かされていたものの、実際にそれに取り組むには心の中のハードルが高かったのです。実際多くの人たちがその段階(興味はあるけど手が出せない)に留まっていると思います。僕もそうでした。

実はその前の年に僕にスポンシー候補ができ、ビッグブックの分かち合いをやってみようかと提案して、ミーティングの始まる前30分ぐらい前に二人で待ち合わせ、それぞれ1ページずつ読んで感想を分かち合ってみました・・・でも、何にも起きず、分かち合いは2回やっただけで終わりました。「こりゃだめだ」どうも自己流ではダメっぽい、ということだけは分かりました。

そんな時期に、B2Bの騒動を知り、過去の出来事を調べるうちに、なんだか自分のやっていることはビッグブック・ムーブメントの擁護活動みたいになっているのに、当のビッグブックによるステップのことはまるで知らないな、と気づかされ、そして「集い」の中に混じっていったのです。involveという言葉には、参加するという意味もありますが、僕の場合には「巻き込まれる」という感じのinvolveでした。

でも、そうでもなければ、ビッグブックをやっている人たちのことを未だに遠巻きに眺めていただけだったかもしれません(あるいは飲んで死んでいたか)。あの時巻き込まれたことも、今となってみれば、恩恵だったことが分かります。そう、今となってみれば。いつだって、後になってみなければ分からないことはあるものです。

(この項おわり)


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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