心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年01月19日(金) 新しくグループを始めるには

新しくAAグループを始めるために、必要なものは何か?
そりゃ、借りられるミーティング会場だとか、コーヒーカップだとかも必要ですが、そういう物質的なものは、いつだって何とか都合がつくものです。

「自分一人では始められないから、もう一人のAAメンバー」
という理屈も分かりますが、たぶん正解ではないと思います。

僕が思うに、必要なのは
「自分一人になっても、最後までやり抜く決意」
です。
自分一人でもやるのだと決めておけば、たまたまグループにつながった仲間が、グループの仕事を分担してくれなくても、不満に思わないでしょう。(そのことを悩まないとは言いません)。
確かに一人ではミーティングはできませんから、他の人は必要です。けれど、最後は私が責任を持つ、ケツは俺が拭いてやる、と考える人が、最低一人いないと、グループは継続していきません。

何人かのメンバーで責任を分担するとしても、どうしても偏りが起ります。偏りに不満を持つのは当然で、自己主張もなければなりませんが、負担の軽い仲間を恨んでしまったりするのは「自分一人でも」の覚悟がない証拠です。

一緒にやってくれる人が現れたらグループを始めたい、と言っているAAメンバーは多いです。でも、そう言っている間は、その人は永遠にグループを作りません。
偶然誰かが現れて、グループが成立したとしても、相方がグループを抜ける確率、AAをやめてしまう確率は、他のメンバーと変わりません。つまり、自分一人取り残される確率は高いのです。それまでに自分が成長できていなければ、グループを解散せざるを得なくなるでしょう。

グループが順調なら、成長して責任を負う人間が増えてきます。ところが「自分一人でも」の考えで、一人で責任を負い、自分が最終決定者だった時期を持つ人間は、そこで謙虚になることが難しいのです。何らかの形でグループを支配し、その成長を止めてしまいます。
特に、自分は上手にやってきたという自信を持っていると、他の人の失敗を黙って見ているのが難しいものです。そこでついつい口を出し、手を出し、その人のやる気と成長をくじいてしまいます。やがてグループが衰退して、ふたたび自分だけが責任を負ったりします。グループとの共依存関係と申しましょうか。

「そのときは、自分がグループを出て行くしかない」と、とある新潟の仲間が教えてくれました。支配癖をなくすことは難しいけれど、出て行くことは簡単だと。
そして、まだ気力があるなら、新しい場所で新しいグループを作ればいいのだと。元のグループへは、伝統4に従って、干渉せずに暖かく見守るのであります。

「そんなやり方では、新しい仲間がつながらない。命がかかっているのだから」
と人のやり方に口出しをしたくなった時には、そっと自分が去る時であります。


2007年01月16日(火) 著作権は誰のために?

著作権は何のためにあるのでしょうか。
何かものを書いた人の、権利や収入を守るため、だと僕は思ってきました。
それは勘違いで、実は「著作物を使った産業を振興するため」です。

著作物(小説、マンガ、歌、絵画、映画、コンピュータープログラム・・・)を作った人がいて、それを複製(印刷、コピー)する人がいて、あとは普通の商品と同じように流通ルートがあって、販売店があって、宣伝をする人がいて。
沢山の人が、それで収入を得て、ご飯を食べていくことができます。それが、著作権法の目的です。

小説を一本書くのは大変な手間でしょうが、印刷するのは(一冊あたりは)短時間ですみます。だから書く手間を省いて、売れ筋の小説の複製を作って売れるのならば、楽な商売になるでしょう。そういう輩が増えると、手間をかけて小説を書いても、収入に結びつかなくなってしまいそうです。
結果として、作家になる人は減り、作品の数も減り、出版点数も減って、産業全体がしぼんでしまいます。

それは良くないので、苦労して著作物を作った人にお金が入るように、著作権という権利を与えて守ってあげるわけです。でも、その権利は手段であって、目的ではありません。そのことを理解していないと、「翻訳権の10年留保」を理解するのが難しくなります。

さて、英語の本を日本語に翻訳して売るには、英文を書いた著者から「翻訳権」を譲り受けないといけません。それにはお金がかかります。それが著作者の権利というものです。

さて、外国の本を日本語に翻訳して売るには、まず翻訳家という職業の人が育つ必要があります。翻訳本を出す出版者だとか、外国の本を違和感なく受け入れる市場とかも必要です。
それらが育つまでは、外国の本を出版しても売れずに、赤字になるばかりでしょう。
そうなると、外国の作者が、日本語で本を売ることができません。それは、外国の著作者にとっては損失ですし、日本の出版産業にとっても損失です。

だから昔は、「外国で本が出版されてから、10年経っても日本語に翻訳出版されていなければ、翻訳権は消滅し、誰でも好きに翻訳して出版して構わない」ってことになっていました。これが翻訳権の10年留保です。
翻訳権がないから、著者の許可を取る必要も、お金を払う必要もなく、出版のハードルが低くなる→出る本が増える→翻訳出版産業が発展する→やがては外国の作者の利益にもなる、というわけです。

この規定は、1970年に「もう日本も文化的後進国ではないだろう」ということで、廃止されました。しかし、それ以前に消滅した権利が復活することはありません。

というわけで、1970年の末までに外国で出版され、その10年後までに日本で翻訳出版されていない本は、誰が翻訳出版しても自由であります。

AAのビッグブックの初版本(1935年)もそうですし、ヘイゼルデンの『リトル・レッド・ブック』(1957年)も、『スツールと酒ビン』(1970年)も、当てはまります。

それは、日本の誰かが、アメリカの原著作者と翻訳の独占契約を結んでいても関係ありません。法律で守られるべき翻訳権がもう存在しないのですから。

だから、例のコピー製本の赤い本も、緑の本も、違法な出版物というわけじゃないでしょう。もちろん、訳文の権利は日本国内で発生したものですから、ピーター神父の死後50年間は守られるわけですが、その許可はもらっているんでしょう(たぶん)。


2007年01月15日(月) ユートピア

努力が必ず報われる世界があれば、それこそまさにユートピア(理想世界)でしょう。
望みを叶えるためには、努力しさえすればいいわけですから。

でも、残念なことに、この世界では、努力は必ずしも報われるとは限りません。努力と結果は正比例しないのです。それは、子供の頃からの経験で、身に染みて分かっているはずですが、でも心のどこかで理想社会を求めているのです。

例えば、「俺がこんなに愛しているんだから、お前も同じぐらい俺を愛するべきだ」という主張もそうですね。俺がこんなに一生懸命愛して=努力しているんだから、それは(お前の愛で)報われて当然だろうというわけです。それを「夫婦なんだから」という理屈で補強してみたりします。
確かに愛してはいるのでしょう。でも、DV夫の心の中にだって、同じ種類の愛情はあるんですね、たぶん。

相手も、愛はあるでしょう。でも、相手も人間ですから、望まれるままに行動するのは無理です。相手には相手の愛し方ってのもあるし。

でも、そのことが「努力が必ず報われる理想」を求めちゃう人には、わからんのです。挙げ句に、お前は俺を愛していないとか、お前の愛は真実じゃないとか言い出したりして。

そう言う人はたいてい「俺はだめな人間だ。皆に迷惑をかけて申し訳ない」とも言い出します。それはある意味真実なのですが、本人はそうやって自分を卑下することで満足してしまうのか、あまり改善の努力はしないですね。

愛というと人間関係を限定しすぎですから、誠意と言い換えてもいいでしょう。
「あの人は立派な人間だと思っていた。私も誠意を持ってつきあってきた。けれど、幻滅した。あんな人だとは思わなかった」
そうは言っても、誠意ある人間でも、望まれるままに動くことはできませんから。

つまるところ、相手をコントロールしたい。世界に自分の力を及ぼしたい。膨らんだ自我というやつです。その手段として、誠意とか愛とか努力とかを使っているだけ。

理想は純愛物語の中だけにしておいて、現実の中で理想がちらりとかいま見られるだけで、良しとしようじゃないですか。


2007年01月14日(日) 受験の季節

昼に起きて病院メッセージへ。
ひとりの依存症者が、医療につながってから、断酒会やAAの自助グループにつながって、しっかりした断酒が始まるまで、何年かはかかってしまうものだと思います。まれには、素直な人もいますが、その素直さが根底からのものであれば、そもそも依存症にはなっていないような気が・・・。

それはともかく、だんだん病気が進行していく様を、断続的に見ていることしかできない時もあるものです。
人の苦しみ、人の死に、だんだん慣れてきてしまいます。過去であれば、そんな苦しみ、そんな死があると知っただけで、たぶん何日も動揺したのでしょう。今でも、感じるものはありますが、「それはそれとして」で片づけて、日常が続いてしまいます。
冷たいのかも知れませんが、こちらも無力な存在であります。

センター試験間近ということで、受験の頃を思い出しました。
共通一次試験の前の晩は、ワンカップを2本飲んだ覚えがあります。興奮して眠れないだろうと思って買っておいたのですが、眠れそうだったのに2本とも飲んでしまいました。

高校時代は、あまり酒を飲みませんでした。
そりゃ、皆で集まって飲むとか、友達の家に酒を持って遊びに行くとか、何回かやりましたけど、自宅の自分の部屋で飲む習慣はありませんでした。本棚の奥に、サントリーオールドの瓶がかくしてあり、受験勉強に飽きると、たまに飲んでいました。でも、3年生の時に2本だけです。おお、1年間でたった2本だなんて!

だから、ワンカップなんて買ったのは試験の前が初めてでした。よく眠れたと記憶しています。

二次試験の前夜は、とても緊張しました。なにせ、上京したのは大学の下見2回だけですから、新宿のホテルに泊まるだけで緊張しまくりでした。眠れないので缶ビールでも飲もうと、自動販売機まで買いに行ったのですが、受験の宿ということで、販売機が止まっていて買えませんでした。
翌朝は、食事ものどに入らない状態で、会場へ。
昼食のお弁当もホテルで用意してくれたのですが、それもろくに食べませんでした。
帰りのあずさの中でゆっくり缶ビールを飲み、長野に着く頃には頭痛が始まっていました。よく受かったものです。

受験の思い出を書こうとしたのですが、酒の話になってしまいました。


2007年01月12日(金) 現代型うつ病

真面目で仕事熱心、秩序を愛するがゆえに疲れ果て・・・。うつ病になる人の性格は、従来こんなふうに語られてきたものですし、それは今後も変わらないでしょう。

しかし、昨今では、これに当てはまらないタイプのうつ病も増えてきたのだとか。

たとえば働くことを例に取ります。
自分の能力以上の仕事を引き受け、過重な責任に疲れ果て、効率が落ちれば落ちるほどがんばり、やる気のでない自分を責めて、周囲に申し訳ないと繰り返す。概して対人関係は穏和で、いい人と呼ばれる。これが従来のタイプ。

そもそも目の前の仕事に熱心でなく、社会のルールをストレスに感じ、「やる気が出ない」が口癖で、他人を非難し、責任を回避し、あまり自責の念を持たない。これが最近増えてきた、いわゆる「現代型うつ病」。

従来型は、基本的に病識が薄い、つまり自分が病気だという認識があまりないのです。うつ病という病名に抵抗し、がんばれない自分が悪いのであって、病気ではないと言うのであります。薬の効きは比較的良好。
一方現代型は、うつ病であること、休まなければならないことに、あまり抵抗がないと言います。休職したいので、診断書を書いてくれと医者に迫ったりします。従来型と比べると、薬の効きが悪い。

現代型が増えた原因は、昔よりうつ病の概念が広がり、従来はうつ病と診断されて来なかったケースも、うつ病の病名が付けられるようになったからだと言います。

そもそも何かに熱心に取り組み、結果を誰かに認めてもらった経験が少ない人。自由にのびのびやってきた人。そういう人が就職して、いろいろと小うるさい規則に縛られ、結果を求められる会社組織に属した時、気分の変調を起こす。だから、現代型うつ病は若い人に多いのだそうです。

薬を飲んで静養すれば良くなり、復職すると周囲が心配するほどがんばり出す「従来型」。それは、過剰に役割を果たし、過剰に責任を負う、そういう病理なのかも知れません。

一方、「現代型」は役割や責任を回避する傾向があり、会社のほうが復職を望まない。そもそもの対人関係の能力を高め、責任を負うことへの嫌悪感を取り除いていくことが必要だとされます。責任を軽くし、休んでいれば良くなるとは言えないところです。
悩みが絶えないのは、会社や他人という「周囲」のせいでもなく、「うつ病」という病気のせいでもなく、生き方に問題があるのだと気付くことが必要なのだといいます。

なんか、いろいろ自分に当てはまるところもあって・・、でも現代型うつ病と名乗ったりすると、「ほう、まだ若いつもりでいるのか?」とか言われそうなので、やめておきます。


2007年01月09日(火) 三九郎

三連休の最終日は、三九郎 の日でした。どんど焼きとも呼びます。竹や木で三角錐を作り、燃える材料として藁を足し、そこへ正月飾りやしめ縄を入れて、火をつける行事です。

僕の子供の頃は、三角錐を作るところだけ大人にやってもらって、あとは部落の子供たち総出で三九郎を作るものでした。正月飾りや、稲藁をもらって集めるところから、それを三九郎に仕立てるところまでやれば、一日では終わりませんでした。

いまでは大人たちが当日の朝作り、子供たちは正月飾りを集めて回るだけです。燃やすときの火の管理も大人であり、柳の枝に餅を刺して焼くところだけ子供たちがやっています。それだけ、子供が少なくなったのであります。
町内の小学生は7人。きょうだいのところがあるので5家族です。そのうち男手が出せるのが3軒。なのに僕は午前中の作業を休んでしまいました。いや、申し訳ない。

夕方やると寒いからという理由で、午後3時の点火となりました。火の始末を終えても、夕方暗くなる前に帰れるので助かると皆が言っていました。
けんちん汁を用意したり、お酒を振る舞ったり、おつまみも揃えて・・・。うちの子が、子供会の会長をやる年には、我が家でもそうしたものを準備しなければならないのでしょう。

退屈な田舎暮らしに彩りを添える年中行事でしたが、冬の行事も、夏の祭りも、もはや子供たちだけでは成り立ちません。

年に数回しか顔を合わせなくても、子供のいる家同士、親の顔は覚えます。しかし、年寄りばかりが住んでいる家も増え、その年寄りも去って空き家になっている家も多くあります。商圏を失った地元のスーパーが廃業し、タクシーを使って買い物に行くのも珍しくなくなりました。

若い人たちは、郊外の、車が二台おけるアパートに住むのが普通になり、小学校の定員が溢れそうだという話があります。一方で中心部の小学校は統廃合の話もでています。
にょきにょきマンションが建つのですが、入居するのはリタイヤした老夫婦や、子育ても後半戦の人たちばかりで、子供は増えません。

「変わり続けてく街並みのように、元には戻れない若き日の二人」

というフレーズが、竹内まりあの曲にありました。
意図を持って書き始めた文章ではないので、締まりなくだらだらと終わるのであります。


2007年01月08日(月) 変わり映えのしない棚卸し

3連休は雪かきと三九郎(どんど焼き)で終わってしまいました。
やや筋肉痛であります。おまけに、会社に出社してから、さらに雪かき。

さて、棚卸しは何のためにするのか。
いや、AAのステップの棚卸しではなくて、商売の棚卸しです。

あまり商売ごとには関わらずに生きてきたこともあり、棚卸しとは何なのか知らずに生きてきました。ソフト屋は、人の要求を満たす点ではサービス業であり、またもの作りの点では製造業のようでもあります。しかし、資料やアイデアが必要ではあるものの、作っているものが著作物ですから、原材料の仕入れは不要です。なので、材料も製品も、在庫を抱えたりしません。

しかし、ものを売り買いする仕事であれば、在庫がどれだけあるかは重要です。店頭や倉庫に、商品がどれだけ残っているか。それを調べるのが棚卸しです。
そんなものは帳簿を見れば(あるいはデータベースを見れば)分かる・・のかもしれません。でも、保存しておいた商品が腐ったり壊れたりして、売り物にならないこともあります。店頭に置いておけば万引きされるかも知れないし、色があせて商品価値がなくなるかもしれません。それは、データベースの数字では分かりません。単なる記入ミスだってあり得ます。
だから現実を調べるわけです。

倉庫に商品がたくさんあるのは、売れていない証拠です。値引き販売してでも処分しなくちゃなりません。腐ったものは捨てないといけません。店頭の棚に商品がない(欠品)のは、売れる商品の仕入れができていない証拠です。これも対策が必要です。

そうやって、現実を把握し、リスクを予測し、問題に対策していかないと、商売はいずれ行き詰まる・・というのが、素人なりに考えた棚卸しの理屈です。

ステップ4や10の棚卸しは、この作業を、自分の感情・行動・性格・対人関係などなどに対して行うってことでしょう。売れる商品がいつも欠品するように、棚卸しでも同じ性格上の欠点が毎日続くことになります。
たとえば、僕の場合「先延ばし」という項目が、たいていいつも挙がっています。けれど、いつも同じだからって、棚卸しの意味がないわけでもないでしょう。

締め切りや納期を過ぎて、眠い目をこすりながら何かをしているときには、思わず「こんなはずではなかった」とつぶやきたくなります。環境や他の人のせいにしたくなります。ですが、いつも同じだからと棚卸しをしないで、現実から目を背けている時点で、窮地の日はすでに約束されているのであります。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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