無責任賛歌
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| 2004年07月26日(月) |
何が決まったと言うのよ〜(T∇T) |
内密で上司たちと「トンガリさんをどうするか」会議。こちらもいろいろと資料を用意して、「これこれこれだけ経理に問題があります」と提出する。 いやもう、このままトンガリさんに仕事をしている“フリ”を続けてられても、経理に不透明なところが膨らんでいくばかりなので、ホントにどうにかしないと仕方がないところまで来ているのである。けれど、問題点の問題であるところはみな共通認識を持てたのであるが、じゃあどうしたらいいのかって結論は、「どうにもならない」ということなのであった。……いやまあ、そうなるんじゃないかと思ってたけどね。 例の中傷ハガキのオタクストーカーもそうであるが、明らかに脳に問題があると思われる人間は、どんなに問題があろうとも、かえって辞めさせることができないのである。だってサベツになっちゃうから♪ ……だから、既知外にだって、サベツから守ってやんなきゃならない性質の人もいるし、そうでない人もいると思うのに、なんで一律にいっしょくたにしちゃうのかねえ。 「どうにもならない」ったって、このまま、トンガリさんを放置してくわけにもいかないから、「何とかして会議には出てもらう」ということになったのだが、だからそれができないから困ってるんじゃないのよ。勝手に向こうが逃げるんだってば。 「困ったなあ」「困ったなあ」だけ言ってたって、ものごとは解決しないんである。もう、こんなコンニャク問答を延々と続けるのも限界だ。このまま何も状況が改善されないのであれば、いずれ私に責任がしょわされてしまうことになる。その前にこちらが辞めたほうがまだ傷は浅いというものだ。来年を期に本気で転職を考えることにしようと思うが、そろそろその下準備にかかったほうがよさそうである。
昨日、「ほんだ」で買ったCD、一枚はヘンリー・マンシーニのベスト集(約1000円の安売りCD)。 マンシーニ好き、なんて言った日には、コワモテの映画通からは「ケッ、甘ったるいヤツめ」とかバカにされてしまうのだが、好きな映画のテーマミュージックをことごとくマンシーニが作曲してたんだから、これはどうにも仕方がないのである。先日亡くなったばかりのジェリー・ゴールドスミスも恐ろしいほどの数の映画音楽を作曲してた人だが、こちらの方はフシギと引っかかってこない。『スタートレック』シリーズだって、私の一番好きな『TOS』のテーマソングはゴールドスミスじゃなくてアレクサンダー・カレッジの作曲だしなあ(この人もゴールドスミスのスタッフではあるのだけれども)。 それはさておき、マンシーニが好き、と言ってるわりには、実はサントラで持ってるのは遺作の『トムとジェリーの大冒険』だけだったりする。なぜかと言えば、とてもじゃないが枚数が多すぎて、全部コレクションすることなんて不可能だからだ。いったい何10種類「ベスト版」があるんだか知れたもんじゃないし、しかもそれぞれアレンジが違ってたりするから、集め出したらキリがないのである。 ではなぜ一枚、意を決して買ったかというと、芝居の客入れに流す音楽に、ミステリー・探偵モノのテーマソングを流そうと考えて、だったらそりゃまずマンシーニだろう、と思ったからである。既に本編で『ピンク・パンサーのテーマ』は使う予定になっていて、これに『刑事コロンボ』『暗闇でドッキリ』『ピーター・ガン』『追跡』『風のささやき(『華麗なる賭け』より)』『シャレード』なんかを繋げれば、マンシーニ・ミステリー・ミュージックの出来あがり、というわけである。 ミステリーなら、ヒッチコックでバーナード・ハーマンじゃないのか、とミステリファンからツッコミが入りそうだけれど、だからちょっと「甘さ」もほしいんですよ。それにヒッチコックはミステリーっていうよりサスペンス・スリラーだし。 でも、買ってきたマンシーニ、聞いてみたら悉くサントラとはアレンジが違うのであった。……いや、使えなくはないんだけれども。
こないだキャナルで「ブルース・ブラザース・ショー」を見ていろうちに、「ホンモノ」を見たくなったので、DVDで久しぶりに『ブルース・ブラザース』を見る。 以前、ツインボックスが出た時に『B.B.2000』と合わせて買っていたのだけれども、「トールサイズのDVDもほしいほしいほしい」としげからねだられていて、こないだついに「一枚買ったら一枚タダ」フェアで買ったのである。……ケースの背丈が高くなってるだけで、中身は変わってない(どころか、解説書が付いてないだけ損)のだが、コレクターとにそういうリクツは通らないから(~_~;)。 何度も見返すうちに「鮮度が落ちる」映画がザラな中で、『ブルース・ブラザース』の輝きは全く色褪せていない。それどころか、昔見た時には単にハデだなあ、としか感じていなかった、ショッピングモールをブルース・モービルで破壊しまくるシーン、これがもう、ダンスしたくなるくらいに痛快なのだ。……25年前には福岡には、いや、日本全国にだってあんな郊外型の四角四面なショッピングモールなんてなかったからねえ。それが「どういうものか」ということはピンと来なかったんだが、今や福岡にはトリアス久山やダイヤモンドシティがある。トイざラスだってあちこちにあるのだ。……ありゃあ、思いっきり破壊したくなるよなあ(^o^)。 簡単に言っちゃえば、ショッピング・モールなんてしろものは、ブルース・ブラザースみたいな人間が歩いて似合う街ではないのだ。いや、そもそもあれが「街」の顔をして見せていること自体、なんだか高慢ちきである。田舎親爺の成金が燕尾服着てるけど、腹が出てピチピチしてるようなダサさっつーかね。ありゃあ、徹底的に破壊してやって正解。それこそ「ブルース」の魂ってもんだろう。
カメの水が濁ってきたので、「レッド・キャベツ」まで出かけて行って水を汲む。水換えの回転が速くなったので、ボトルをもう一本買うが、またしげは「なんでそこまでカメのために」とブツブツ文句を言う。そこまでしなきゃ、生き物を飼うってことにならないんだよ( ̄△ ̄#)。 積文館で『手塚治虫マガジン』などいくつか本を買って帰宅。 ……永井豪の『魔神王ガロン』、手塚キャラを使って『バイオレンス・ジャック』をやろうとしてるみたいだけど、結局、敵はロックって発想がなんともねえ(-_-;)。
今年3月、群馬県高崎市で小学校1年生の浜名愛ちゃんが殺害された事件の第2回公判が23日に行われた。犯人の野木巨之被告は前回公判で起訴事実を認めていたのだが、今回は殺害に至るまでの詳しい経緯を証言している。 この野木被告、27歳になるのだけれど、その経歴や趣味を聞くと、全く痛いオタクの典型みたいなやつである。高校時代の成績はトップクラスで、大学進学も望めたのにマンガ家を目指して上京、代アニに入学したが、卒業後は結局マンガ家を断念、故郷に戻って自動車部品製造工場に勤務した。本人にしてみれば「転落人生」といったところだろう。成人女性とうまく付き合えなくって、結局はダンボール箱25箱分もの少女DVDやビデオ、約80冊のロリコン雑誌やフィギュアがお友達であった。それだけでガマンしていればいいものを、愛ちゃんにイタズラしようとして騒がれ、犯行に及んでしまったのである。……いやねえ、なんでまたこんな事件取り上げるかってねえ、一見温和に見えるそいつの顔がねえ、知り合いのやっぱりデブいオタクによく似てるんだわ。いや、顔だけじゃなくて、言い訳がましいところもそっくりで(見てるか? Sくん。キミのことだよ)。 なんたって、公判で弁護士に水を向けられて、好きなアニメ作家やマンガについてペラペラ語りまくったというんだから、罪の意識、カケラもねーなー、という感じなのである。一応、事件について聞かれた時には涙を流して反省の弁を述べたそうであるが、ホンネは今人気のアニメが見られない悔しさから泣いてたんじゃないのか。 被告の母親も証言台に立って、なんとか情状酌量を勝ち取ろうと必死の弁明。しかし、「たった一人の大切な息子を見捨てることはできない」とはなかなかの言い草である。今まで見捨てていたからこそ、息子がこういう犯行に及んだんだって自覚はあるんだろうか。……いや、私も傷害事件の情状証人として証言台に立った経験はあるから、たとえどんなに被告に罪があろうと、弁護側に立った以上は、被告を徹底して庇わなければならない、というのは分かる。情状証人に客観的理性があってはならないのだ。 けれど、それにも「限度」ってものがあるんであってね、そもそも被告を更生させるだけの価値が本当にあるのかどうかっていう点については、どうなんだろう。母親が被告を責めない理由を裁判長に問われて、「私がそれをしたら本当に寂しい子供になってしまう」と答えてる時点で、こいつが救う価値のないクソ野郎だということを逆証明してしまっているとは思えないだろうか?(私が弁護した人物には、何十人もの情状酌量の嘆願があった。本当に気の迷いで犯行に及んでしまっただけなのである) なんだか、こいつが本当にその知り合いのSにダブってきて仕方がないのだが、自己中心的で協調性はまるでないし、高慢で反省するこた知らないし(反省するオタクなんて殆ど知らないが)、ホントにいつか犯罪者になっちまうんじゃないかと心配なのである。……仮にこいつの弁護を頼まれても、まっぴらごめんなので、頼むからアブナイことはしないでいてほしいんだけど、現状を見る限りはムリかもなあ(-_-;)。 翻って、仮に私が事件を起こしてしまったら(あくまで仮定ですよ。私ゃ犯罪に手を染める気は毛頭ありませんからね)、誰か熱心に弁護してくれる人はいるだろうか。なんか真っ先にしげが裏切って「いつか絶対やると思ってました」とか証言しそうな気がするんだけれど、これが妄想であってくれればいいなあ(+_;)。
2003年07月26日(土) オタクな本屋にクラシックは似合わない/『TNくんの伝記』(なだいなだ)/映画『デブラ・ウィンガーを探して』ほか 2002年07月26日(金) 親しき仲ほど礼儀なし/『風の帰る場所』(宮崎駿)/『うっちゃれ五所瓦』1・2巻(なかいま強)ほか 2001年07月26日(木) 全ての知識はマンガから/ドラマ『美少女仮面ポワトリン』第一話ほか
| 2004年07月25日(日) |
キャナルシティの「ブルース・ブラザース・ショー」2……3もいつかありそうだ(^_^;)。 |
キャナルシティでの「ブルース・ブラザース・ショー」、二日目である。 ……って、今日も行くのか(^_^;)。 内容は基本的に昨日と同じなので、そう何度も見る必要はないと言えばないのだが、曲目や演出がちょっと変わったりするので、そこがしげにはどうしても気になってしまうところのなのである。昨日の2回目、3回目のビデオはしげにも見せたのだが、2回目の時には、私の目の前にいた女性の方が、いきなりステージに引っ張り出された。エルウッドと一緒に踊らされて、恥ずかしそうにしていたのだが、それを見たしげの怒るまいことか。 「どうしてもっと踊らないんだよ!」 ……いや、普通の日本人はなかなか踊れませんて(^_^;)。 しげは今日も興奮状態で、「ダンじゃないとわかっているのにいるのに。動きも違うし、そりゃ若い人がやってるからよく動いてはいるんだけど、ダンみたいな『華』はないんだよ」とブツブツ文句を言っている。 「いや、だから似てる似てないじゃなくて、『一緒にブルース・ブラザースを応援しよう』って気持ちで見ればいいんじゃない?」 「だったら、ダンの『魂』も映してくれないと!」 んな、能の極意を体得するようなマネ、そうそうできるものか。 そんなふうに文句を付けながら、やっぱり見に行ってしまうのであるから、しげの業もかなり深いのである。
午後から劇団の練習もあるので、今日見に行けるのは12時からの1回のみ。もちろんデジタルビデオカメラ持参である。 しげが「三脚も持ってく?」とか言うので、「そこまですることないよ。通行の邪魔にもなるし」と答えたりしていたのだが、行ってみると、本当に三脚持ってきてステージの真正面に陣取ってたツワモノがいた。まだまだ私も甘いことだが、こういう場合は甘いほうがよいものである。マニアはとかく、行きすぎるものである。昨日もカメラ小僧は何人かいたが、今日は日曜であるせいか、ビデオびとの姿も4、5人。 ステージの内容は昨日の昼のものとほぼ同じ。時間帯によって内容を更えているようだ。もちろん今日もしげはノリノリであるが、実は昨日よりちょっとだけドレスアップしてきているのである。全身、黒服で固めているのはブルース・ブラザースに合わせたつもりなのだろう。髪は買ったばかりのゴム止めで結んでいるのだが、これが透明なボールの中に砂が入っていて、頭を振るとマラカスのようにシャラシャラと音を立てるようになっている。これは「女心」というやつであろうか。
今日の練習は、カトウ君、鴉丸嬢、其ノ他君、しげ、私の5人だけ。しげが鴉丸嬢を持ち上げて怪力を誇ったりしているが、それだけ鴉丸嬢が軽いのである。今度の芝居ではダンスのシーンもあるのだが、鴉丸嬢が華麗に宙に舞う(予定の)シーンもあるので、体重的に、鴉丸嬢以外の人選は不可能なのであった。 其ノ他君と鴉丸嬢は、用事があるので少し早めに帰る。残ったカトウ君、しげと、台本の中の言い回しについて議論。「嘘と坊主の頭は結ったことがない」という昔ながらの表現だが、これはもう若い観客には全然分からないだろう、という話である。遠藤淑子さんがマンガの中でこれをモジッて「嘘とサンプラザ中野の頭は結ったことがない」と書いていたが、マンガのセリフならばともかく、芝居のセリフだとヒネリ過ぎるとかえってシラケてしまう。しげが「嘘とパパイヤ鈴木の頭は結ったことがない」ではどうか、と言ったが、確かにあれは結えるアタマではないが、ニュアンスが変わってしまっている。このあたりはもう、セリフの内容自体をすぱっと切り落としちゃったほうがいいかもしれない。
パピオからの帰り道、しげが自分の黒スタイルを見ながら、しんみりと「学生のころは将来、こんな格好するようになるとは思わなかった」と呟く。「だってヤンキーじゃん」と。 何がどうなると「ヤンキー」になるのかよくわからないのだが、「今の自分は10年前の自分から見るとおかしい」という点ではカトウ君も同意していた。 それを考えると、私のファッションセンスは20年前から全然変わっていないのである。学生のころはずっとTシャツだったし、今日も『ラヴドガン』のTシャツを着ている。変わったと言えば、そのTシャツの裾をズボンの外に出すようになったくらいのものか(~_~;)。……足が短く見えてイヤなんだがなあ(-_-;)。
ブックセンターほんだで本を物色して、晩飯は「浜勝」。 帰宅して、キャナルシティのイベント情報を調べてみたら、「ブルース・ブラザース・ショー」はあと都合四日行われることが分かった。……全部、しげは見に行くつもりなんだろうな(^_^;)。
読んだ本、マンガ、安彦良和『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』7巻。 桑田乃梨子『青紫の森』。 金子玲美・月嶋つぐみ『天使的探偵団』1巻。
アメリカでは、先週からアイザック・アシモフ原作と称する映画、『アイ・ロボット』が公開されているのだが、これがいきなり5200万ドルを突破する大ヒットとなっている。 SFファンの中には、「ああ、アシモフのSF映画がこんなに大ヒットするなんて、『ミクロの決死圏』以来じゃなかろうか」と随喜の涙を流していらっしゃる方もおられるかもしれない。でも、ヒットとは裏腹に、あちらのSFファンの間では、この『アイ・ロボット』、どうやら頗る評判が悪いらしいのである。 見てない映画について云々することは基本的に行わないようにしているのだけれど、これを『われはロボット』の映像化作品だと“本当に信じて”、劇場に足を運ぼうとするSFファンがいたら、確かに思いっきり裏切られ、驚愕するであろうから、一応、注釈をつけておこうと思うのである。 あちらの書評によれば、『アイ,ロボット』は、アシモフの名前を借りただけの「まがいもの」に過ぎない。もともと、人間を殺したと疑われるロボットを主人公にした『ハードワイアード(Hardwired)』という脚本があって、製作会社の20世紀フォックスは、『われはロボット』の映画化権を獲得したことから、殆どそのタイトルだけを借用する形で、2つのストーリーを1つにまとめたのだということである。従って、映画のクレジットにも、アシモフの小説を「脚色した」とは書かれておらず、「ヒントを得た」となっているそうである。 書評は、「アシモフのロボット三原則が、ハリウッドのヒットの法則に破れた」と悲しみを込めて映画を痛罵している。 「『クロウ/飛翔伝説』や『ダークシティー』のアレックス・プロヤス監督は、人間と機械の関係を巡る問題を解決できるほど十分掘り下げてはいない。アシモフが示した一般的な方向性を容認しているだけで、アシモフの発想にまで検討を加えているわけではない」とする批評がどこまで当たっているかは、実際に映画を見なければ分らないことだが、少なくとも「アシモフ原作」を期待してはならない、ということは事実なのだろう。 ……まあ、こないだの「ディック原作」と称する『ペイ・チェック』もひどい出来だったものねえ。やっぱり今や「ハリウッド映画」には馬鹿映画を作ることしかできなくなってんじゃないかね。少なくとも、あまり多くを期待するものではないってことは確かだと思うけどね。……いや、一応、見に行けたら行きますよ。ウィル・スミスにはたいして期待しちゃいないけど。
日本のボックス・オフィスは、『ハリー・ポッター』が1位を独走中。『ポケモン』も50億を狙えそうな勢いらしいが、『スチームボーイ』は初登場6位に付けはしたものの、『イノセンス』より10%ほど出足がいい程度に留まっているようである。最終的に15億行くか行かないかってところになるのではなかろうか。これでは当然製作費の24億は回収できないので、海外での興行やDVD発売でなんとかしなければならないわけであるが、あちこちの映画評を見ても、今のところあまり誉めてる声を聞かない。好評不評と売り上げはあまり一致するものではないが、果たしてこの程度の成績で、本当にパート2を作れるのだろうか。ここでも『ヤマト』のように「ラッパ」を吹いてるヒトがいるんじゃないかって気がするのだが、大丈夫なのだろうか。何だか最近はアニメ関係で胡散臭い話を聞くことが多いので、気分も滅入ってしまうのである。
2003年07月25日(金) ムダじゃムダじゃ/『フラッシュ! 奇面組』2巻(新沢基栄)/『ぼくんち 全』(西原理恵子)/『ねらわれた学園』(眉村卓) 2002年07月25日(木) 本当にあった怖くない話/『くっすん大黒』(町田康)/DVD『ミニパト』ほか 2001年07月25日(水) 福岡腰痛クラブ/『庵野秀明のフタリシバイ』ほか
| 2004年07月24日(土) |
キャナルシティの「ブルース・ブラザース・ショー」 |
朝寝や出張が多くて、アニメの『ケロロ軍曹』はずっと見てなかったのだが、今日こそは、と10時半にテレQにチャンネルを合わせたまではよかったのだが、うちのテレビは今、画像が映らないのを忘れていた。……どうせ次にテレビを買うならデジタルだよなあ、と思っていたので、修理に出すのもなんだかおっくうなのである。と言うか、それ以前に部屋片付けないと、テレビの運び出しもできゃしないのである。 で、音だけで聞いた『ケロロ軍曹』、ラジオドラマのようでした。意味無いじゃん(~_~;)。
キャナルシティで開催中のUSJ関連のイベント、今日はあの「ブルース・ブラザース・ショー」が公演するというので、しげと一緒に出かける予定にしていたのだが、またしげの悪い病気が出た。出かける寸前になって「もう行かん」と泣き出したのである。 「何だよ、あんなに見たがってたくせに」 「だって本物のダンじゃないもん」 夕べもしげは緊張して殆ど寝ていない。時間がいよいよ迫ってきて、緊張の糸が張り詰めてこうなっちゃったのは理解できるのだが、これで行かなかったら行かなかったで、あとで「どんなだったかなあ、行けばよかったかなあ」とかブチブチイジイジ後悔して鬱陶しい態度を取ることは目に見えているのである。 いつものことなので、こちらも容赦はしない。布団にくるまってグスグス言ってるしげをむりやり叩き起こして、キャナルに向かう。運転中の車の中でも、しげは涙目で、「ああん、雨が降って中止にならないかな、そしたら見れんですむのに」とか不可効力を期待している。信号で停まるたびに助手席の私の手の甲を握りしめて爪を立てるものだから、痛いったらないのである。
場所はキャナルシティのセンターステージ。と言っても円形の舞台の広さは直径7〜8メートルくらいしかないのだが、大道芸を見せるのには充分な広さで、しょっちゅうパフォーマンスやバンド演奏などのイベントが組まれている。 キャナルに到着したのは11時ちょっと過ぎ、B.B.ショーは12時からで、ステージではスヌーピーとの写真撮影会の最中。しげは「どのくらいから人が集まり出すかな、今からいないと、前の方に行けないかな」とか言ってウロウロする。スヌーピーショーのうちから、B.B.ショー目当てで陣取るやつなんているもんかい。 付き合ってられないので、トイレに行ったり、福家書店を覗いたりして時間を潰す。 12時になると同時に、ステージの後方の噴水が「ピーター・ガン」のテーマに合わせて、踊るようにパフォーマンスを始める。B.B.ファンなら、この曲が映画のブルース・モービルが車庫に仕舞われるシーンで流れていたことをすぐに思い出せるだろう。曲が終わるとMCのお姉さんが登場、簡単にB.B.の解説をする。でも「ジェイクとエルウッドの兄弟が生まれ育った孤児院を救うために立ち上がったんです!」なんて紹介されると、確かに間違っちゃいないんだけど、全然別の映画みたいに聞こえる(^_^;)。 「今日、キャナルシティに来た人はとってもラッキーですよ!」とか言ってるが、B.B.ショー目当てでわざわざ足を運んできた人間がいるとは思ってもみなかったんだろうなあ。……いや、私たちのことではなくて、隣でビデオカメラ片手に準備万端って感じのお姉さんがいたから(^o^)。B.B.ファンは結構いるのである。通りすがりのお客さんも、何か始まったな、とわらわらと集まってくるが、明らかに何が始まるのか分からずにただ座りこむ小学校低学年くらいの子供たちもチラホラ。これがきっかけでこの子たちがB.B.ファンになったりしたらスゴイことであるが、それはそれで人生誤っちゃいそうな気もする(^_^;)。 MCのお姉さんに紹介されて、まず、サックスのジミーさんという人が登場。「オレノサックス、キキタイカイ!」とカタコトの日本語。一応、その場にいたそれを聞いたB.B.のファンらしき二人連れが、「日本語喋ってほしくないなー」とか呟いている。気持ちは分かるが、日本でのショーなんだから、そこは致し方があるまい。 ジミーさんの紹介で、いよいよジェイク&エルウッドの登場。もちろん、姿も声もベルーシ&エイクロイドにソックリ、というわけにはいかないが、イメージは大事にしている印象。ベルーシは小柄って感じで太った印象はなかったし、ホンモノより声が甲高いのがちょっとだけ気にはなったけれど。 「エヴリバディ・ニード・サムバディ」を歌ったあと、黒人のメイベルさん(映画のアレサ・フランクリンに当たる)が登場、「シンク」を歌って、「バンド、ヤロウトオモウンダ」と主張するジミーさんを引き戻そうとする展開は映画そのまま。 4人揃って「スウィート・ホーム・シカゴ」、「監獄ロック」なんかを歌って、ショーは正味20分ほど。出張公演だから短いのは仕方がないか。その間、しげは、首はガクガク振るわ、日頃ショーや芝居で滅多に拍手なんかしないのに、手が腫れるんじゃないかってくらいにバッチバッチ叩きまくっているのである。……今朝方、あれだけグズってたのはなんでなんだよ(-_-;)。 今日のパフォーマンスは計3回。3回ともしげは見る気満々だったのだが、さすがに夕べの徹夜が響いて、体力が限界に来ている様子である。目の下にクマができていて、歩きながらよろけている。なんだか痛々しかったので、つい、 「……なんならあとの2回、ビデオに撮ってやろうか?」と水を向けたら、「ホント!? じゃあ、すぐに帰ってバッテリー充電しないと! 二階からも俯瞰で撮ってね!」と急に元気になりやがった(~_~;)。 ……ええ、ええ、夕方からもう一度私一人でキャナルまで出かけてバッチリ録画して来ましたとも。しげはその間、タカイビキである。ショーの流れ自体は同じだけれど、曲が「ソウルマン」など、少し入れ替わっていた。毎回微妙に変えているようで、確かにこりゃしげが通い詰めるのもムリはないのである。
アニメに関するイヤーンな感じのニュースがいくつか。 まずは東映アニメーションの4〜6月期の連結経常利益が、前年同期比で67%減の3億円弱になったというニュース。 原因はいろいろだけれど、まず、海外でのアニメの人気の低迷が一つ。『デジモン』『ドラゴンボール』の人気が下降ぎみで、昨年から北米で放送を始めたばかりの『キン肉マン�鏡ぁ戞慇仔�士星矢』も視聴率が振るわずに、放送終了とか。キャラクターグッズもあまり売れてないらしい。……そういう状況なのに、『ドラゴンボール』の映画化なんて実現するんだろうかね。 国内を見ても、テレビアニメの番組数が前年6本だったのが5本に減り、アテネ五輪関係の特番で放送中止の日も多く、劇場作品の興行成績もイマイチ、DVD販売も減少と、殆ど踏んだり蹴ったりである。 海外で日本アニメの評価が高い、と聞くと有頂天になる人も多いのだけれど、別に日本アニメが世界のスタンダードになったわけではない。文化の違う国で、何かが受け入れられるということは、そこに何らかの「情報の組み替え」が行われていることは確実なので、日本人が熱狂している部分とは全く別の部分に注目している可能性だって大なのである。 もちろん、『ドラゴンボール』などの「格闘」の面白さなどは万国共通とも言えようから、そういうところで受けてるんだろうとも思うけれど、でも、そういう一見普遍性を持った作品の中の、ディテールに垣間見える日本情緒のようなもの、それはやっぱりどうやったって伝わるもんじゃなかろうと思うんである。……あるいは「勘違い」して受け入れられてるとか。『ドラゴンボール』はヒットしても、『セーラームーン』は「ホモっぽい」(@_@)!という理由で拒否反応にあった、なんて話を聞くと、越え難い壁というものは存在するのだよなあと思ってしまうのだけれども。 東映アニメがオリジナルの劇場アニメを殆ど制作しなくなってから20年以上が経つ。本来、『スチームボーイ』だの『ハウル』だのといった作品は、東映アニメこそが製作してしかるべき作品だったはずだ。「世界」を意識した小銭稼ぎ(いやまあ小銭じゃないんだろうけれども)で、屋台骨が揺らいだんじゃ話にならない。劇場アニメが『ONE PIECE』『金色のガッシュベル!』だけというのは、あまりに寂しい。来年の春は『ドラえもん』もないことだし、「東映アニメフェア」を復活させるには絶好のチャンスなんだけど、今からじゃスケジュール的に間に合わないだろうなあ。東宝もだからこそ“安心して”『ドラえもん』を中断できたんだろうけれども、つまりは東映がそれだけ「ナメラレてる」ってことでもあるのだ。いい加減で、オリジナルの長編アニメを「制作しなきゃならない」時期が来てるんじゃないか。
もう一つのイヤーンなニュースは、前にも日記に書いたことのある、『新・宇宙戦艦ヤマト』のゴタゴタである。西崎義展プロデューサーと松本零士の著作権をめぐる和解は成立したものの、映画化権を有している東北新社との話し合いを、西崎氏は全く行っていなかったようだ。……いやね、先日「『ヤマト復活編』製作決定!」とか報道されたときには、その編の問題もてっきりクリアーされたものだと思っていたのである。でも、実際には問題が山積していて、東北新社としてはとても許諾できる状況ではない、というのが真相のようだ。 西崎氏の養子で、製作会社エナジオでエグゼクティブ・プロデューサーを務める西崎彰司氏は、「25億円の製作費を投じ、再来年夏に約400館で公開、テレビ放映もする。配給会社やテレビ局は未定だが、候補はいくつかあがっており、既に脚本は“名の通った人”に依頼している」と説明している。共同原作者の松本氏についても、彰司氏は「何らかの形で参加する」と話しているのだけれど、松本氏の方は「何も聞いてません」と、既に齟齬が生じている。 よく聞くと、彰司氏の言葉には、何一つ確定的なものがない。バブル期ならともかく、今時こんな『マネーの虎』の出場者以下の「景気がいいだけ」の話に乗ってくるスポンサーがいるのだろうか。 どうやら、またまた西崎氏の「ラッパ」だけが先に暴走しちゃった感が強いのだが、復活する前に沈没しそうな『新・ヤマト』、仮に作られたところで、たいして出来のいいものができるはずもないことはかつてのヤマトファンには、見えていると思うのである。「もう、やめようよ、西崎さん」というのがファンの一様の思いなのじゃないかと思うのだが、もしかしたら、本当に「『ヤマト』復活」を望んでいる隠れキリシタンみたいな人々も「かなりの数」、存在しているのだろうか? ……思い出は思い出として取っておこう、っていう「節度」も、人生には必要だと思いますよ、いや、ホント。
2003年07月24日(木) 他に売れてるものがあるからいいじゃないか/『コータローまかりとおる!L』6巻(蛭田達也)/『灰色の乙女たち』1巻(加藤理絵)ほか 2002年07月24日(水) ウソから出たアホウ/『追悼の達人』(嵐山光三郎)ほか 2001年07月24日(火) 目標達成!……って何が/『腐っても「文学」!?』(大月隆寛編)ほか
| 2004年07月23日(金) |
『キャンディ・キャンディ』が“今のところ”リメイクされない理由 |
昨日よりは少し体調もよくなったものの、相変わらずの炎天下、まる一日仕事を続ける気力は出ず、半日で早退。しげに迎えに来てもらう。 しげは病院帰りで、例の障害者申請を行ったばかりだとか。 「どんな特典が付くのかなあ、楽しみ〜」としげははしゃいでいるが、「特典」って言うのか、そういうの。ネット時代のありがたいところは、この手の情報についても、いちいち専門書を紐解かなくてもだいたいのことはつかめることである。調べてみて、初めて精神障害者(統合失調症患者)に、1級から3級までの段階があることを知った。1級の方がクラスが高い。問題はしげの症状がどの程度か、ということなのだが、このあたりの判断が難しい。
〔1級〕 精神障害が日常生活の用を弁ずることを不能ならしめる程度のもの。この日常生活の用を弁ずることを不能ならしめる程度とは、他人の援助を受けなければ、ほとんど自分の用を弁ずることができない程度のものである。 例えば、入院患者においては、院内での生活に常時援助を必要とする。在宅患者においては、医療機関等への外出を自発的にできず、付き添いが必要である。家庭生活においても、適切な食事を用意したり、後片付けなどの家事や身辺の清潔保持も自発的には行えず、常時援助を必要とする。 親しい人との交流も乏しく引きこもりがちである。自発性が著しく乏しい。自発的な発言が少なく発言内容が不適切であったり不明瞭であったりする。日常生活において行動のテンポが他の人のペースと大きく隔たってしまう。些細な出来事で、病状の再燃や悪化を来たしやすい。金銭管理は困難である。日常生活の中でその場に適さない行動をとってしまいがちである。
これは完全な「ヒキコモリ」状態の人を言うのだろう。と考えれば、明らかにしげは1級ではない。自分で外を出歩くことはできるし、常時付添いを必要ともしていない。けれど、部屋の片付けなんかをなかなか自発的にはできないから、ここの領域にちょっと踏みこんでいる面はある。
〔2級〕 精神障害の状態が、日常生活が著しい制限を受けるか、又は日常生活に著しい制限を加えることを必要とする程度のものである。この日常生活が著しい制限を受けるか、又は日常生活に著しい制限を加えることを必要とする程度とは、必ずしも他人の助けを借りる必要はないが、日常生活は困難な程度のものである。 例えば、付き添われなくても自ら外出できるものの、ストレスがかかる状況が生じた場合に対処することが困難である。医療機関等に行くなどの習慣化された外出はできる。また、デイケアや援産施設、小規模作業所などに参加することができる。食事をバランス良く用意するなどの家事をこなすために、助言や援助を必要とする。清潔保持が自発的かつ適切にはできない。社会的な対人交流は乏しいが引きこもりは顕著ではない。自発的な行動に困難がある。日常生活の中での発言が適切にできないことがある。行動のテンポが他の人と隔たってしまうことがある。ストレスが大きいと病状の再燃や悪化を来たしやすい。金銭管理ができない場合がある。社会生活の中でその場に適さない行動をとってしまうことがある。
〔3級〕 精神障害の状態が、日常生活又は社会生活に制限を受けるか、日常生活又は社会生活に制限を加えることを必要とする程度のものである。 例えば、一人で外出できるが、過大なストレスがかかる状況が生じた場合に対処が困難である。デイケアや授産施設、小規模作業所などに参加する者、あるいは保護的配慮のある事業所で、雇用契約による一般就労をしている者も含まれる。日常的な家事をこなすことはできるが、状況や手順が変化したりすると困難が生じてくることもある。清潔保持は困難が少ない。対人交流は乏しくない。引きこもりがちではない。自発的な行動や、社会生活の中で発言が適切にできないことがある。行動のテンポはほぼ他の人に合わせることができる。普通のストレスでは症状の再燃や悪化が起きにくい。金銭管理は概ねできる。社会生活の中で不適切な行動をとってしまうことは少ない。
……また、めたらやったら基準が細かいねえ(゚o゚)。 しげの場合、だいたい、この2級と3級のどちらか、という感じだ。 日常的な家事は殆どできない、というところが顕著なわけで、そこを考慮すれば2級かなって感じだが、金銭管理にうるさいことを考えると3級かなあ、とも思う。この1級の差で受けられる「支援」(「特典」ではない。当たり前である)はと言うと、そこんとこの詳しいところはよくわからなかった。1級、2級だと、生活保護の対象になるようだが。少なくともバスや電車の運賃や、電話料金なんかは安くなりそうである。毎月の医療費が安くなるのは一番ありがたい。 映画料金が割り引きになるかどうかはその映画館次第だと思う(^_^;)。
食事は「庄屋」で。昼間なのでランチがある。唐揚げにほうれん草のお浸し、肉じゃががそれぞれ小鉢になっていて、カロリー的にもまあまあ。それに肉じゃがとかは、しげがピンハネしてくれるので、食い過ぎになることもない。外食を「庄屋」だけですませられれば、カロリー計算はあまりしなくてすむのだが。 「積文館」に寄って、本を何冊か購入、「レッドキャベツ」で水を汲む。「どうせカメの水やろ」としげは膨れっ面で車の中から出て来ない。いや、人間サマもちゃんと水は飲んでますがね。 カメの野郎はエサの食い方が汚くて、せっかく小粒のエサを撒いてやっても、いっぺんに二つも三つも食おうとして食いきれず、ボロボロと口の端からこぼしている。おかげで水の汚れが激しくて、三日にいっぺんは水を換えないとすぐ濁ってしまうのだ。今、レッドキャベツのボトルは1.5リットル入りを四本使っているのだが、この分だともう一本増やさないといけないかもしれない。 ……なんだかまた、しげから「カメごときに」と文句つけられそうだなあ。
いかにもリメイクが作られてもおかしくない大ヒットマンガでありながら、未だに実現していない作品の筆頭に『キャンディ・キャンディ』を挙げる人は多いと思う。若い人にはピンと来なかろうが、『ベルサイユのばら』には「とても付いて行けない」と拒絶反応を示した男の子でも、『キャンディ』にはハマッた、という人、意外に多いのである。それは『キャンディ』が、『嵐が丘』だの『家なき子』だの『君の名は』だの、古今東西のロマン小説の典型を換骨奪胎し、大河ロマンとも言うべき雄大なスケールの中で、少女の成長を繊細に描いていった、その構成力に拠るところが大きい。 ……いや、当然私も持っておりますとも、「愛蔵版」で(^_^;)。 ご承知の方も多いと思われるが、『キャンディ』のリメイク、あるいはアニメの再放送が行われないのには、著作権に関わるある事件が介在している。それは、『キャンディ』の作画を担当したいがらしゆみこ氏が、原作者の水木杏子氏の許諾を得ないまま、キャンディの絵を使ったポストカードやプリントクラブ、文具など、もろもろの商品販売の二次使用を許可し、「果たしてマンガの原作者には絵の著作権が存在するのか?」という点を巡って裁判で係争することになったあの事件のことである。1998年から始まったこの裁判は、地裁、高裁判決を経て、結局、いがらし氏が敗訴することとなった。 しかし、この件が尾を引いて、現在、東映アニメの再放送権が契約切れのため更新されていないばかりか、原作マンガも今は出版停止の状態である。このままの状態が続けば、やがて「『キャンディ・キャンディ』? それお菓子のマンガ?」なんておもしろくもない勘違いを言い出す若い人だって、いずれは現れるかもしれない。 絵に関してのみの二次使用なら、原作者に著作権はない、としたいがらし氏の主張はいかにも苦しかったが、それを堂々と押し進めていったあたり、「うまい話」をいがらし氏に吹きこんだゴロツキがいたんじゃないか、って気はする。けれど、仮にそんな人物がいたとしても、話し合いの過程で事情は明白になっていったと思われるから、結局、裁判に持ちこまれても争うことを辞さなかったいがらし氏は、やはり「そういう人」だったのだろうと判断せざるを得ない。マンガ家が、自分のマンガを大事にしていないのは何とも哀しい限りである。 「金に釣られた」いがらし氏へのしっぺ返しはさらに波紋を呼んでいる。一昨日21日には、東京高裁で、この一連の事件のせいでキャラクター商品を販売できなくなったとして、埼玉県の玩具メーカーがいがらしゆみこ氏と著作権管理会社への損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決があった。原告の主張はほぼ認められて、高裁は、約170万円の支払いをいがらし氏たちに命じた。 判決理由として述べられたのは、「被告のいがらし氏には、原作者と被告との間に、別の訴訟が係争中だったことをメーカーに知らせる信義則上の義務があった」ということである。「義務」とは言っても「信義」の問題である。要するに「原作者に一言、『今度こんなグッズが出るのに許可出したいんだけど、どう?』と言っとけばよかった」ということである。たったそれだけのことを怠ったために、『キャンディ』の再放送は途絶えてしまったし、リメイクの話も宙に浮いてしまった。結局、いがらし氏は、自分の手で自分の作品をアニメ化することすら困難にしてしまったのである。 もちろん、一番被害に会ったのは、「ファン」である。『キャンディ』は、少女を主人公にしたマンガとしては、それまでにないロマンに満ちたドラマとして、数々の少女小説の傑作、『赤毛のアン』や『ハイジ』、『あしながおじさん』ほかの名作に比肩、あるいは凌駕する内容を持っていたと思う。それを、作画担当の人間のこすっからい「欲」のせいで、我々の手から『キャンディ』は奪い去られてしまったのである。その罪の重さを、いがらし氏はどれだけ感じているのだろうか。 ほとんどの裁判が結審、あるいは和解し終わっている現在、再出版、再放送、リメイクの道は開かれているはずであるが、一度「ケチ」の付いた企画に乗ってくる出版社、アニメプロダクション、スポンサーは少ないかもしれない。実際、『おジャ魔女どれみ』シリーズの終了のあと、どうして東映アニメが『明日のナージャ』という、見るからに“キャンディもどき”な作品を世に送ったのか、ということを考えると、『キャンディ』リメイクは現実味の乏しい話かとも思えてくるのである。 ……まさかなあ、差別問題にも引っかかってない作品が出版、放送すらされない事態になるとはなあ、ちょっと信じられない話だけれども、実際そういう事態になってしまっているのだよなあ。『キャンディ』を未読の若い人、もし読みたかったら、古本屋巡りをしてごらんなさい。まだ多分、入手できないこともないと思うから。
読んだ本。 マンガ、筒井康隆『筒井康隆漫画全集』。 吉崎観音『ケロロ軍曹』6〜8巻。 田中保左奈『暗号名(コードネーム)はBF(ベイビーフェイス)』2巻。
2003年07月23日(水) 神ならぬ身なれば/映画『不連続殺人事件』/DVD『レトロスペクティヴ シティボーイズライブ! 1992−1994』 2002年07月23日(火) 夫婦ファイト!/『コリア驚いた! 韓国から見たニッポン』(李元馥)/『ロングテイル オブ バロン』(柊あおい)ほか 2001年07月23日(月) 猛暑に耐えるくらいならクーラー病の方がいい/『(週)少年アカツカ』(赤塚不二夫)ほか
また体調崩して仕事休み。一日の半分以上、寝て過ごすか、カメにエサやるか。 でも、日頃、職場での細かいデキゴトについては面白いことがあってもいろいろ差し障りがあって具体的には書けないので、家にずっといる方が、実は日記の内容は増えてしまうのである。難儀なこっちゃなあ。
しげが寝惚けやすい体質であり、しばしば夢と現実の区別がつかなくなる(比喩にあらず)ことは何度となくこの日記にも書いていることであるが、今朝のしげの夢は特にキョーレツなものであった。 起きるなり、しげは「ねえ、オレたち、グータロウさんの家もらったりしてないよねえ?」と、こうである。しげの寝惚けはいつものことではあるが、これはさすがに「はあ? なんだそりゃ?」と聞き返してしまった。 「グータロウさんちの風呂が手狭になったんで、檜風呂と温泉のある家に引っ越すことにしたって。で、今の家がいらなくなったから、オレたちにくれるって。夢かなあ?」 「夢だ夢。夢以外のナニモノでもないわ」 「でもオレって風呂好きやん? 檜風呂と温泉ならオレもそこに引っ越したいし、そんな風呂も無い家もらったってしょうがないとか思って」 「だから夢の話をさも現実の話みたいに勝手に進めるな!」 要するに、「風呂の広い家に住みたい」というしげの妄想が脳から洩れてきたわけであるが、ダシに勝手に使われたグータロウ君もいいメイワクである。だって、しばらく経てばしげの脳内で、この夢の話は“現実にあったことだけど、いろいろあって頓挫した”「現実」として認識されるようになることは目に見えているからである。 ……グータロウ君、今度会ったときには、「ウチはどんなことがあっても、家と土地は譲らないからね!」としげに念押ししといてください(-_-;)。誠にどうもすみません。
一応、ミステリファンのハシクレとしては、探偵モノっつーか、ミステリマンガはできるだけ目を通していこうと考えているのだが、最近はそれもなかなかままならないのである。なんたって、少年マンガのみならず、少女、青年コミックにまでフィールドを広げちゃうと、今や探偵モノは百花繚乱の状態で、とても全てに目を通すなど不可能なのである。……なんかねー、20年くらい昔、石森章太郎と高階良子くらいしか本格的なミステリマンガを描いてくれてなかった時期に比べると、隔世の感があるよね〜(一万光年遠くを見る目)。しかもどの作品とは言わないけど、当時のミステリマンガって、「本格」とか銘打っておきながら、使われてるトリックが「氷を錠前に挟んでおく」とかいうのだったりするしさあ(-_-;)。 それを考えると、『探偵○園Q』だろうと『名探偵○ナン』だろうと、はるかに「秀作」なんである。『Q.E.D.』や『爺さんと僕の事件帖』などに至っては、そのへんのチンタラミステリ作家顔負けの完成度の作品を送り出してすらいる。ミステリファンにとっては、もう舞い上がっちゃってクアドラブルして見せちゃいたいくらいの喜悦の時代なのであるのだが、スタージョンの法則通り、一将功成りて万骨枯る、傑作の陰には凡百の駄作愚作が死屍累々、というのも現状ではあるのだ。 ウチで買ってるマンガは8割がた夫婦共用で私が読むものはしげも読むのだが、北崎拓の『なんてっ探偵アイドル』と山口譲司の『ミステリー民俗学者八雲樹』についてはしょっちゅう「なんでこんなつまんないの買い続けてるの?」と文句をつけてくるのである。ちょうどこの新刊2冊がダブって発売されたものだから、立て続けに読んだしげのゴキゲンがナナメを通りすぎて直滑降してくれた。 「もういい加減買うのやめて!」 そのケンマクがあんまり激しかったので、いったいナニゴトか、とひるんでしまった。 「『なんてっ探偵』のほうはイメチェンとかメンバーチェンジでもう誰がどのキャラだかわかんなくなってるし、『八雲』は探偵ものがどうのって以前に絵がヘタで見てらんないし、腹立って腹立って!」 なにもそこまで、とは思うが、確かに『なんてっ探偵』17巻の方はクライマックスが近いのか、ミステリがどうのというより、アキラの恋の行き先がどうのとか、梨奈の妊娠がどうだとか、ラブコメ要素の方が強くなっている。確かにこれなら無理して買い続けなくてもいい感じではあるけれど、ここまで来たし、あとちょっとはガマンしてもらいたいものだ。……『八雲』はわかった。諦めます(+_;)。
『ウルトラ』シリーズの新作タイトルが『ウルトラマンネクサス』に決定。なんだかまたややこしいタイトルを付けたものだけれど、この「ネクサス」っての、日本語訳すると「関連」って意味だけれど、多分、「絆」って意味を込めて付けたんだろうな。「超人絆」。……これがウルトラマンの名前かね?
旧・円谷ファンのみなさん、『ティガ』以来ずーっと感じてきている、なーんとも言えない「胡散臭さ」っつーか、「薄皮が張りついてるような感じ」、今度もまた感じませんか? 『コスモス』で「専守防衛」に回っちまった展開に、もうすっかり円谷作品を追いかける気力をなくしてしまった私ですが、それでも1話、2話くらいは見てしまうのでしょう。もういちいち感想書いたりはしないかもしれませんが。いやもう今の子供たちの「ウルトラマン」や「怪獣」に対する思い入れと、私らのそれとではエベレストとマリアナ海溝の差くらい、距離がありそうで、なんか書いたってなあ、という思いがどうしてもしてしまうわけなんですよ。散々いろんな作品に文句つけてきたオマエが、今更何を言ってんだ、と思われるかもしれませんが。 確かに、この日記では、いろんな作品についてあーだこーだと文句タラタラ、言いたい放題のことを書き連ねているわけなんですけれども、実際「なぜ書くのか?」ということについては「考えたら書く理由なんてなくなるから、考えないようにしよう」と日記書き始めた最初から決めてるんです。別に文句をつけることで、その作品の関係者が偶然でもこれ読んで反省してくれたら、とか、そんなことを私ゃこれっぽっちも考えちゃいない。私ゃ啓蒙家でも警世家でも教育者でも預言者でも何でもありゃしませんから、「オレの歌を聞け!」……もとい、「私の言葉に耳を傾けよ」と人の胸倉掴まえて何か言い聞かせたいなんて欲望はないんです。もともと女房が始めた劇団のホームページの「宣伝」の意味しかありませんでしたからね。けど、書くことがないからと言って、何も書かないんじゃ宣伝にもなんにもなりゃしない。だからともかく「その時思ってたことを理由なんて考えずに書く」。それをしてきただけなんですね。 実際、私は自分の意見なんて最大公約数的なありふれたものとしか思っちゃいません。読んで面白いとも思わない。けれど、そういう「ありふれてる」意見だからこそ、そういうのがネットに溢れていくと、自然とそれが一つの「時代」に対する「雰囲気」を作り上げていくことになる。その時代がどんな時代であったかという「記録」の一つになるんですね。それくらいの「意味」でならこんな駄文にも書かれるだけの存在価値はあるでしょう。ひと世代、ふた世代あとの人が、「ふーん、自分の生まれる前、この作品はこんな捉えられ方をしていたのか」って考える材料の一つになりゃ充分、その程度のものですね。 でもそれでも『ウルトラマン』の新作については、ひとつ作られるたびに、何か言いたい思いが雲散霧消してしまう。……言ってどうする? 今の円谷は、昔の円谷とは全く違うものなんだよ? ……そのヒトコトで終わっちゃうからなんですね。 『ティガ』の時も、「もうこれウルトラマンじゃないや」。 『ダイナ』の時も、「もうこれウルトラマンじゃないや」。 『ガイア』の時も、「もうこれウルトラマンじゃないや」。 『コスモス』の時も、「もうこれウルトラマンじゃないや」。 『仮面ライダー』が、昔のものと形は変われど本質的に石森章太郎テイストは失っていないのに比べて、『ウルトラマン』は何をしようとしているのか。……それ考え出すと、虚しくなるばかりなんですよ。もう、文句言う元気もないってゆーか。
それでもまあなんだかなあ、と思ったことが一つ。いやもう重箱の隅で、ホントにたいしたことじゃないんだけれども。 記事によると、その『ネクサス』、「1966年に『ウルトラQ』がスタートして38年。テレビシリーズとしては01年7月の『ウルトラマンコスモス』以来の新作で“14”作目」になるとか。……あれっ? 『ウルトラQ 〜dark fantasy〜』は? って思った人、多いんじゃないですか? 一応、番号ふって数えてみました。ただし、劇場版、ビデオシリーズ、海外シリーズは除いてます。
1,ウルトラQ 2,ウルトラマン 3,ウルトラセブン 4,ウルトラファイト 5,帰ってきたウルトラマン 6,ウルトラマンA 7,ウルトラマンタロウ 8,ウルトラマンレオ 9,ザ・ウルトラマン 10,ウルトラマン80 11,ウルトラマンティガ 12,ウルトラマンダイナ 13,ウルトラマンガイア 14,ウルトラマンコスモス 15,ウルトラQ 〜dark fantasy〜
……16作目じゃん(^_^;)。多分、『ウルトラファイト』と『ウルトラQ 〜dark fantasy〜』が忘れられてるんでしょうね。『ファイト』はともかく、現在放送中の作品まで忘れられてるとはねえ……。だから、「今の円谷は昔の……」。 もう何も言いますまい。ふう(´。`;)。
大麻取締法違反で執行猶予中の作家、中島らも氏が、今月15日、飲食店の階段から転落して、重傷を負い、現在入院治療中、というニュース。 らもさんだけに、もしかしたらまた……という心配がなきにしもあらずなのだけれど、「重症」というのがどの程度なのかが気になるのである。復帰することが可能なレベルなのか、それとも……。 なんだか歯切れの悪い表現しかできなくて申し訳ないのだが、明らかに「破滅型」の作家さんにとっては、自滅していくことも「運命」なのである。人情として、どこかで止めてあげることはできないものか、とは思うのだが、仮に「更生」した「中島らも」がここにいたとして、彼に作家としての魅力があるのか? と問われれば、残念ながら「ノー」と言わざるをえない。 世の中には、破天荒な生き方しかできない人、デタラメな生き方しかできない人、転落の道しか歩めない人というものはいるのだ。そしてそれが本人の選んだ道であったなら、他のなんぴとも口出しすることはできない。 ……今、言えることは、まだらもさんの脳が働いているのなら、これまでの一連の「事件」を、全て小説なりエッセイなりにまとめて、「作家」としてまた立っていただきたい、ということだけだ。
DVD『ジャングルはいつもハレのちグゥ FINAL』4、5、6巻。 マンガは前記の『なんてっ探偵』17巻と『八雲』8巻。
2003年07月22日(火) オタクの末路?/『吼えろペン』8巻(島本和彦)/『フロイト先生のウソ』(R・デーゲン)/DVD『マジンカイザー死闘!暗黒大将軍』 2002年07月22日(月) 角川+大映=…?/『楽勝!ハイパー▽ドール』vol.2(伊藤伸平)/『スレイヤーズすぺしゃる�魁,襪覆討�・へすてばる』(神坂一)ほか 2001年07月22日(日) 愚か者の舟/『ハッピーマニア』1巻(安野モヨコ)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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