無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年07月23日(月) 猛暑に耐えるくらいならクーラー病の方がいい/『(週)少年アカツカ』(赤塚不二夫)ほか

 日記の更新が遅れ気味だがこれも一種の夏バテであろうか。
 体重の記録を書きこむのもしばらく滞っていたけれど、ちゃんと毎日、量ってはいたのである。でも殆ど変化がないので飽きちゃってたのだな。
 今日の体重は80.8キロ。ここしばらく、この80.4〜80.8の間を行きつ戻りつしてるだけだ。猛暑続きで汗は掻きまくってるのに痩せないってのはそれだけ食ってるからなのかなあ。


 連日の暑さのおかげで、冷蔵庫の飲みものも消費が激しい。
 コンビニで1000mlの緑茶、烏龍茶、麦茶、各98円ナリを毎日3パックずつ買ってきてるのだが、これがあっという間になくなる。
 私一人が買ってくるのだけではとても追いつかないので、しげにも頼んで、外に出た時には必ず買ってくれと頼んでいた。
 「うん、じゃ、ひと寝入りしてから買いに行ってくるね」
 そう言ってしげは、睡眠不足でキツイから、と夕べ8時ごろに寝入ったのだったが。
 朝になっても、買いに出かけた気配はない。
 なんか疲れてるんなら寝かしてやっとくしかないかなあ、まあ昼買い物に行ってくれればいいや、と仕事に出かけて、夕方帰ってきてみると。
 寝惚け眼でしげが「わあ、寝過ごした」。
 寝過ごしたって、おい、いったい何時間寝てたんだ。
 「いつ起きたんだよ」
 「うーんと、昼の2時」。
 ……睡眠18時間(-_-;)。普通の人間なら寝ようったって寝てられないだろう。
 人間が自堕落にできてるといいよなあ、際限なく寝てられて。
 

 最近、映画に行く機会が減っているので、見たい映画がたまっている。
 しげがスティーブン・スピルバーグの映画『A.I.』について、聞いてきたので、てっきり行きたいのかと思ったら、そうではなくて、職場で話題になっているのだそうだ。
 「でもあれ、結局『ピノキオ』なんでしょ?」
 ……と言われても私だってまだ『A.I.』見てないのに、コメントできるはずもないやんけ。

 でも聞きかじった情報だけで判断しちゃうと、「人間になりたいロボット」って余りにも使い古された題材だものなあ。そんなに人間様がエライのか、ロボットはロボットのままでいいじゃんという気になってしまうのだね。
 『ブレードランナー』がよかったのは、ルトガー・ハウアーが結局人間性を獲得したのかどうか判然としないところがよかったのであって、人間とその他の存在との間に優劣をハッキリつけちゃうと、映画はそれだけで完結したものになってしまっちゃうのである。
 それじゃつまんないと思うんだけどね。なんでアメちゃんはこうも安易に結論をつけたがるかなあ。『アンドリュー NDR114』も結末さえなけりゃ、いい線行ってたと思うんだけどねえ。「人間になってエッチがしたい」っていくらなんでもストレートすぎないか? 「人間になりたい」理由として、説得力があるとも言えなくはないけどさ。
 既に我々日本人は『鉄腕アトム』も『人造人間キカイダー』も持っているので、今更『A.I.』を見に行かなくったっていいような気もするが、若い人は映画を見る目を鍛えるためにはクズ映画も何百本と見ねばならぬものだから、別に見に行くのを止めたりはしません。
 映画と本に関しては金をいくらドブに捨てちゃっても構わないのです。

 しげはあのオスメント君には全く魅力を感じないみたいだが、実は私も同様である。芝居が安達祐実でクサイんだよねえ。あのまま演技が固まっちまうと先々ツライと思うんで、次回作あたりが勝負どころになってくるんじゃなかろうか。


 ニュースは終日、明石市の花火大会後の将棋倒し事件の続報である。
 と言うか、「いったい誰に責任を取らせるか」の報道に終始していたと言っていい。
 もちろん、花火大会を企画した市や、警察や警備会社に責任があることは言うまでもない。しばらくは三者で責任をなすりつけあう泥仕合が展開されるだろうけれど、いずれキッチリ責任を取らされることは間違いあるまい。
 でも、「暴れていた茶髪軍団がいた」って報道はなんなんだろうねえ。まるでそいつらが全ての元凶のような言い方だけど、逆に「茶髪の連中が混乱する群集を懸命に誘導してた」って情報もあるぞ。「駅に向かえ!」とか誘導の声がちょっとでも大きかったら、あの鮨詰め状態の中だ、怒鳴って暴れてると錯覚することもあったのではないか。
 歩道橋の上に3000人だか詰め込まれている状況で、パニックに陥ってなかったヤツはそうそういまい。もしかしたら、そういう情報を流しているヤツの方が、倒れた人間を踏み殺してたことを誤魔化すために責任を他人におっかぶせようとしている可能性だって否定できないぞ。
 どうもみんな、憎しみの矛先を求めて餓狼と化しているみたいで、見ていてどうにもイヤラシイ。
 そんなに誰かに責任を取らせたいなら、当日あそこに集まってきた客全員に均等に責任があるってことにしたらどうか。人が集まんなきゃ事故だって起こるわけはないのだから、これ、間違いではないよな。初めから花火大会なんかに行かないか、遠巻きに見るかすればいいだけの話なのに、「人より少しでもいい位置に」と欲にかられて動くから、事故も起きるのである。
 でもどうせみんな「俺たちは関係ない」と言い出すに決まってるのだよな。責任を回避したいという意識が誰の心にもある以上は、いつかまたどこかで、似たような事件は起きるのだ。


 マンガ、赤塚不二夫『(週)少年アカツカ』。
 『天才バカボン』『ヒッピーちゃん』『もーれつア太郎』『おそ松くん』の中からセレクトした短編集。
 しげから「なんでアカツカ?」と聞かれたが、買って悪いか。
 昔のマンガがつまらないと考えるのは、往々にして読者の錯覚で、その時代の読み方の文脈を知らないせいである場合が多い。
 言ってみれば、「歌舞伎」が所作事を知らねばチンプンカンプンであるのと同じで、マンガそのものがつまらないのとは異なるのだ。つまり、その時代の、その分野での「お約束」を知らないと楽しめないようになっているのである。
 ニャロメの絵を見て「こんな猫いるわけないじゃん」とか「絵が古い」とか突っ込んだって意味ないってこと。

 『おそ松くん/チビ太の金庫やぶり』、収録されてるの、これもしかしたらリメイク版じゃないのかなあ。昔、読んだものより、絵が「新しい」ように思うのだ。しかもラスト近くのコマ運びもおかしい。単にページが入れ違ってるだけでなく、話がうまくつながらないところがいくつかあるのだ。
 ……昔の作品を引き写してるうちに、酔っ払ってたんで間違えたとか、そんな理由じゃなかろうか。
 多分、これ、赤塚さんのオリジナルじゃないな。

 刑期を終えて出所した金庫破りのチビ太、トト子ちゃんのうちの魚屋に住み込みで働いているが、刑事イヤミは、チビ太が再び金庫破りを働くものと考えて虎視眈々と逮捕の瞬間を狙っている。
 ある時突然、事件は起きた。トト子がうっかり金庫に閉じ込められてしまったのだ。早く助けないと呼吸困難で死んでしまう。チビ太はイヤミに監視されていることを知りながら、トト子を助ける。
 金庫破りの腕を使ってしまったチビ太、イヤミに逮捕されることを覚悟するが、イヤミは「チビ太なんか見たこともない」と言って去っていく。

 調べてみると、昭和8年の邦画『女学生と与太者』ってのが全く同じ筋。でも更に元ネタの小説か映画が外国にありそうだよなあ。でもどこの国のどんな作品だか、よく分らないのだ。
 ……誰か知ってる人いない?


 マンガ、牛次郎・ビッグ錠『釘師サブやん/ゴト師・忍び竜!!』。
 今では「ゴト師」という言葉も結構知ってる人が増えてきたけど、当時この『サブやん』でその存在を知った人も多かったのではないか。
 パチンコ専門のイカサマ師のことである。
 一応プロの釘師であるサブやんが、ゴト師について詳しくないと言うのはちょっと変な気もするが、これはあとで「玉光の書」という「釘師の極意書」をサブやんが読む、というエピソードの伏線になってるのだから仕方がない。
 「極意書」なんてものまで出されると、「ンなもんあるかい」と失笑したくなるが、青年マンガというものがまだまだ認知されてなかった70年代、少年マンガとしてはこういうハッタリも必要だったのだ。
 このゴト師の組織がまるきり「虎の穴」なので、梶原一騎の影響ってやっぱり強いなあ、と思うのだが、こういう「巨大な敵」がいるからこそマンガは面白くなるのだ。
 昔、読んでるのだけれど、細かい筋は忘れちゃってるので、続きが楽しみである。


 しげはあれだけ寝ていて今日も早寝だ。
 多分、明日も昼過ぎまで寝ているのだろう。人間、落ちていく時はどこまでも落ちていくのだなあ。
 ああはならないように気をつけなくちゃ。



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