無責任賛歌
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| 2003年01月25日(土) |
海馬って記憶中枢のことだよ/DVD『ガリバーの宇宙旅行』/『わんわん忠臣蔵』/『あずまんが大王』三年生(完結)ほか |
体調崩したままなので、映画見に出かける予定だったけれど中止。 気がついたら、今年はまだ映画館に一度も足を運んでない。こういうのも珍しいなあ。もっとも相変わらずDVD買いまくりはしてるんで、映画見てないわけじゃないんだけど。 朝、ウッカリ早く起きちゃったので、昨日買ったばかりのDVDを立て続けに見る。東映動画系の長編作品はできるだけ全部揃えたいんだけど、量が多いのでチビチビとしか買えない。 それにしても、版権の関係なんだろうけれど、アニメ版『ひょっこりひょうたん島』が未だにソフト化されてないってのは、歴史的損失だと思うぞ。権利関係には厳密に、って各方面の意向が分らないわけじゃないけど、作品ってそもそも誰のものだ。客のものじゃないのか。
DVD『ガリバーの宇宙旅行』。 昭和40年制作の東映長編動画シリーズ第8弾にして、初の宇宙冒険モノ。 本公開のときには見に行ってなくて、3、4年後にどこぞの公民館かどこかで巡回上映やってたのを見たのが初見。おそらくは昭和43、4年頃。幼稚園か小学1年生くらいだったろう。 今、これを見た人がテンポがたるいなあ、とか感じるかもしれないが、当時の小学生の感想でもそんなもんだった。名作『長靴をはいた猫』を見たあとだったから、余計にそんなふうに感じたのかもしれない。 だいたいタイトルに『ガリバーの』と付いているが、ガリバーは脇役で、主役は孤児のテッド少年なのである。「カンバンに偽りアリじゃん」と、小学生からバカにされていたのだから、やはり子供をナメたような映画造りをしちゃいけないのである。
いや、「子供騙し」なのはタイトルだけの問題ではないんだね。 夢をなくして心の荒んでいる孤児・テッド(なんだかありがちだけれど、決して非現実的な設定ではない。戦後20年が経ってはいたが、まだまだ駅前の靴磨き少年などがギリギリ生き残っていた時代であった)は、警察に追われて、遊園地に逃げこむ。 花火に乗って脱出するテッドだったが、あえなく墜落した転がりこんだ先は、なんとあのガリバーの家。すっかり老人になってしまっていたガリバー博士だったが、冒険への夢は捨てていなかった。宇宙船ガリバー号に乗って、未知の世界へと旅立つ。 ……と、ここまでで、小学生当時の私はもうすっかり萎えてしまっていた。 それまでの東映動画は一種のおとぎ話だったから、多少荒唐無稽な描写が出てきてもたいして文句はない。けれど花火でそんな高く人間が飛べるかよ、とか、ガリバーがまだ爺さんで生きてるって、時代離れすぎじゃん(『ガリバー旅行記』の出版は1726年である。当時そこまで正確に年月を知ってたわけではないが、当然、その風俗描写からガリバーの時代がはるか過去であるくらいのことはわかる)、第一、元船乗りがなんで科学者になってて、しかも宇宙船をたった一人で作れるんだよ、とかツッコミどころが満載だったのである。 ……小学生にそんなとこまで突っ込めるなんてヘンだって思いますか? 当時の小学生はみんなそんなもんだったんですよ。それくらい、「大阪万博」前のコドモたちは「科学の子」で、「宇宙」に対してはおとぎ話とは違う「リアルな夢」を見ていたものだったんです。 『オトナ帝国』での「万博」への拘りに涙する気持ちが、昭和40年以後に生まれた人間にはわかるまい、というのは偏屈なことを言ってるわけでもなんでもなく、そういうことなんです。 もちろん、このトシになった今なら、小学生の自分に向かって、「いいじゃん、それくらい眼をつぶってやっても」と言ってやりたくなりますが。それに、今のオトナの眼で見ても、宇宙空間の静謐な描写や、時間の逆流、宇宙船の牽引ビーム、地平線を埋め尽くすロボット兵の恐怖感など、SF的描写のオモシロさを全く探せないってわけでもない。
なにより、例の「アレ」。 紫の星の住人たちが、ロボットを作り出した末に、自らもロボットの中に身を包むようになってしまった、というのは、いささかストレート過ぎる嫌いはあるにしても、鋭い文明批評である。何よりそれを過剰なセリフで説明することを避け、ロボットの王女がパックリと避け、そこから生身の少女(描写されてはいないが当然ヌードである)が現われるという衝撃の展開で見せる演出のスバラシサは、やはり「天才的」という言葉ででもなければ表現しきれない。 裸の王女(少女と言ってもいい)は、テッドに優しく上着をかけられる。 「寒いわ……」と呟く少女は、確かに冷たい風を感じていたのだろう。しかし、それは夜明けの風であり、彼女がこれから踏みしめて行くであろう、苦悩と希望の両方を象徴するものでもあるのだ。また、ヌードは当然「性」の謂であるが、これがまた「生」を表すものであることも容易に理解できよう。 この設定は、脚本にはなかった。 監督や作画監督の変更でもない。 当時、原画マンですらない、ペエペエの一動画スタッフが、「勝手に」そのシークエンスを作画し、それを通してしまったのである。 侃侃諤諤の言い合いはあったらしい。しかし、誰が見ても、王女をロボットのままにしておくより、その動画マンの主張する設定に変更したほうが圧倒的に面白かった。生意気を通りこして不遜とも言える動画マンのこのゴリオシを通した監督の黒田昌郎もエラいが、やはり称賛すべきは、その動画マンの一頭地を抜いた才能のヒラメキであろう。 彼の名を、「宮崎駿」と言う。 ……まあ、当時からいささか説教臭かったとは言えるかな。同時にスケベでもあった(^_^;)。
けれどやっぱりこれはちょっと……と首を傾げたくなるのは、そのオチなんだね。 これを書くのはややしのびないんだが、この物語、実は全部テッドの「夢」なんである。……これだけドラマ盛り上げておいて、今さら夢オチかよ! と、当時も今も叫びたくなりますね。テッド本人は自分の勝手に見た夢で気持ちよくなったのかもしれないけれど、客は現実逃避の他人の夢に1時間半付き合わされただけじゃん(ーー;)。 脚本は東宝特撮映画シリーズの重鎮、関沢新一である。 ……そう言えば、やっぱりたった一人で豪天号作った『海底軍艦』とか、苛められっ子が現実逃避して怪獣島の夢を見る『オール怪獣大進撃』とか書いてたな。宮崎駿がいなければ、ホントに腑抜けた駄作になっていたとこだ。
内容的にはあまり誉められたもんでもないんだけど、それでもこの映画は簡単に見逃していものではない。宮崎駿が最初にその才覚を表した記念碑的作品であると同時に、今や考えられないほどに豪華なのは、その声優陣なのである。以下を見ていただきたい。
テッド少年 ........... 坂本 九 紫の星の王女 ......... 本間千代子 ガリバー博士 ......... 宮口精二 ノラ犬マック ......... 堀 絢子 人形の大佐 ........... 小沢昭一 夢の使者キューピット . 岡田由紀子 紫の星の王様 ......... 大泉 滉 紫の星の科学者たち ... ダニー飯田とパラダイスキング 青い星のロボット ..... 今西正男 からすのクロー ....... 伊藤牧子
……ウソみたいである。 長いアニメの歴史の中でも、これだけの豪華キャストに匹敵するのは『もののけ姫』くらいのものであろう。 いやアナタ、坂本九がこの映画の中ではパラダイスキングに復帰してるんですよ! ってなんのことだかわかんない若い人も多いかなあ。「こっの世っでいっちばん、たっのしぃこぉとは、すってきなタイミングっ♪」って、知らない? でも、残念ながら、坂本九の声は少年の声には全く合っていない。当時も今もそう感じていたが、しげもやっぱりそう感じたそうだし、多分同じ意見の人は多いだろう。 劇中、歌を歌ってもらうための起用だろうが、残念ながらたいした名曲はない。メロディーラインに「キモ」がないのである。音楽の富田勲、この映画ではあまり本領を発揮したとは言えない。坂本九のファンならばともかく、普通の音楽ファンにはちょっと音楽シーンは特にタルく感じちゃうんじゃないか。 主役の演技より、ワキの人々の渋い演技を堪能したほうがいい感じである。
予告編を見ると、これだけの声優のクレジットが全くなく、声もアテられていない。どうやらキャストのスケジュール調整に時間がかかったものと見える。いい宣伝になったろうに、もったいない話だ(坂本九は子どもにも人気があった)。
DVD『わんわん忠臣蔵』。 昭和38年制作、『ガリバー』の前作で、東映長編動画第七弾。 本公開は私が0歳のときなので、さすがに劇場に間に合ってはいない。 最初に見たのはテレビ放映のときで、昭和47年、系列はNET(現テレビ朝日)、福岡では九州朝日放送(1チャンネル)での正月放映である。 ……なんでそんなに細かく覚えてるかっていうと、前年までやってた三船敏郎主演の『大忠臣蔵』の最終回で、『わんわん忠臣蔵』の予告が流れたからなんだね。しかしNETのスタッフ、『大忠臣蔵』のファンが『わんわん』も見ると考えたんだろうか(^_^;)。
クレジットにはないが、東映動画に入社したばかりの宮崎駿が、動画マンとして初参加。つまりこれが「宮崎駿デビュー作」である。 オープニングで犬たちが横一線に並んで行進するのを見てニヤリとする人は多かろう。後に『どうぶつ宝島』、『アルプスの少女ハイジ』のエンディング、『となりのトトロ』でも見られたイメージだからである。 この映画の原案構成は手塚治虫。構成とは絵コンテのことだから、このオープニングのアイデアも手塚治虫の手によるものかもしれない。「しれない」、と微妙な書き方をしたのは、前々作『西遊記』で、手塚さんのコンテは、現場スタッフに「使いモノになるか」と、散々「直し」を食らっているからである。 けれど、手塚さんは『マリンエクスプレス』などでも「キャラクターの行進」を使っているから、やはりこれは手塚さんのアイデアそのままか。となると、手塚さんの没後、「手塚治虫がアニメでやってきたことは全て間違いです」と痛烈な批判をした宮崎駿も、やはり「アトムの子ら」……手塚治虫チルドレン的要素はあった、ということになるか。 なんにせよ、本作が唯一無二の「手塚治虫と宮崎駿の同一スタッフ作」である。あまり意味はないが。映画公開時には手塚治虫は既に東映動画を離れて「虫プロ」を設立し、『鉄腕アトム』をテレビに送り出していた。
冒頭、キツネの赤耳が小鹿のロンを追いかけるシーン。ワンカットだけだがここでなんと水彩画をそのままアニメーションにするという(しかも奥への動き!)モノスゴイことをやっている。当時の東映動画スタッフの気概が伺われるシーンだ。 『忠臣蔵』とタイトルにあるが、筋立てはシンプルなもの。 森の動物たちを食い殺しまくっている寅のキラー(^o^)に、母親を殺された少年犬ロック(「大石」ですな)が、野良犬四十七匹とともに敵討ちをする、という話。ロックの恋人のスピッツがカルー(「お軽」だね)というほかはあまり忠臣蔵キャラクターとの類似性はない。 まあ、客観的に見て傑作とまでは言えないが、私は悪巧みをするキツネの赤耳のキャラが大好きなので、これから本作を見ようって人には、声をアテてる加茂喜久氏の憎々しい名演を堪能してもらいたいものである。……この人、モノクロ版『パーマン』で初代パーやんの声もアテてる人なんだけど、恐竜のイラストレーターで有名な「かもよしひさ」氏とは別人だよねえ? あ、もちろん、キラーの声アテをしている西村“水戸黄門&マモー”晃氏にも注目。実写とアニメの両方で吉良上野介を演じたのは西村さんだけであろう(^o^)。
DVD『あずまんが大王』三年生(完結)。 ちよちゃんたちも卒業である。ボックスに3巻まとめて入れると、各ケースの背に描かれたちよちゃんが、冬服、夏服、卒業の和服(あの昔の女学生がよく来てた長いスカートの和洋折衷服、なんて名前なんだ?)とオトナになって(?)いくのがわかる仕掛け。ちょっとしたことだけど、これだけで書架に並べておくと楽しく感じる。 更にケースの裏表紙は残る五人の体操服・文化祭の衣装・修学旅行の私服のお色直し(^^)。
テレビシリーズとしてはよくまとまってるし、好きな演出も多かった。 おーさかのなんかいつもふらついてるような不安定な動き、リアルだなあ、と感心しちゃうんである。靴を履こうとして倒れそうになってちよちゃんに支えられる描写の「重み」の描写や、神楽が校庭でストレッチしているときの筋肉の「緊張と弛緩」の描写のうまいことよ。 原作が4コマだと、アニメ化した場合に空間表現が単調になることも多いんだけど(昔の『タブチくん』とかね)、微妙にアングルを変えたカットの積み重ねがちゃんとドラマを紡ぎ出している。 原作にはなくて、付け加えられたシーン、例えばちよ父がアメリカでギャングのタマをはね返すシーンなんか、まさか『あずまんが大王』でこんな爽快なアクションシーンが見られるとは思わなかった、という楽しい出来である。なんたって、若本規夫さんの「いつもの」ハイテンション演技、ただひたすら「イイ!」としか言えない(^o^)。 「待て〜い!」 「フ〜ン!」 ……これだけで笑わせてくれるというのは、若本さん以外にできる演技ではあるまい。
けど、原作で気に入ってるエピソードのアニメ化では、ここはもうちょっと演出に凝ってほしかった、ってとこも結構あるのだ。特にヤママヤー関係のところでは、最初の出会いのところも、榊さんが手をかざしてマヤーが出てくるまでの間が長過ぎるし、東京にやってきたマヤーが榊さんを守ろうと飛び出してくるあたり、BGMが過剰だ。あそこは音楽をダラダラ流すんじゃなくて、メリハリの効いたSE(効果音)だけでやってほしかった。作画自体はいいんだけどなあ。 プラスマイナスで、まあまあの佳作ってとこかなあ。
ちなみに、ちよちゃんは「イリオモテヤマネコ」と「ヤマピカリャー」と「ヤママヤー」は同じものだと言うが、地元の人の中には「ピカリャー」と「マヤー」は別物、と考えている人もいるらしい。つまり「ヤママヤー」は普通の山猫だけれど、「ヤマピカリャー(山で光るもの)」は、体長1メートル以上の大型動物で、未だに得体の知れぬ、未発見のUMA(Unidentified Mysterious Animal=未確認動物)だそうな。まあ、どっちゃでもよろしい。
あずまさんの新作、『よつばと!』も『電撃大王』で連載開始。ホームページ「A−ZONE」もリニューアルである。ギャグのわかんないアホがトラブルを起こして消えていたFAQも復活。数は少ないけれども、新しい質問も付け加わっている。 「メールの返事がきません」に対して、あずまさんの返事は、ともがよみを殴るカットで「軟弱者!」。 いいなあ。あずまさんの今後にはまだまだ期待しちゃうんだけど、これでまたトンデモさんが「読者を殴るような返事の仕方はよくないと思います」とか苦情のメールを寄せたりしないか、それがちょっと心配である。。あほとほもはどこにでもいるからねえ(ーー;)。
少し調子がよくなったので、今度は天神まで出かけて行って、予約していたDVDを取りにいく。用事がそれだけだと、しげも外出をしぶるので、本屋にも誘う。ちょうど探したい本があるということだったので、都合がいい。 LIMBとジュンク堂を回ったあと、久しぶりにインド料理専門店の『ナーナック』で夕食。お高いけれど、やはりそのへんのカレー屋とは味の深みが段違いである。以前はこの店のCM、映画館に行くと必ずといっていいほど流れてたんだが、最近はついぞ見ない。もっとも、一番よく流れてた東宝系の映画館に足を運ぶことが少なくなったせいかもしれないが。 あのCM、福岡限定だと思うんだが、怪しいインド人がでっかいバーベキュー持って「お待ちしてマ〜ス!」とにこやかに微笑みかけてくるんで、子供のころはマジでちょっと怖かった。街中で外人さんを見かけることも珍しくなくなった福岡の街だけれど、30年くらい前は、インド人が街にいるだけで異空間がそこに生まれたような錯覚を覚えていたのである。……って、そんな昔から「ナーナック」、続いてるんだよなあ。あのインド人、トシいくつだ。
すっかり満腹してアタマがほんやらや〜になっちゃったせいか、買ったばかりのDVDの袋を店に忘れてしまう。100メートルくらい歩いて気がついたんで、慌てて取りに帰るが、しげに「ここでちょっと待ってて」と言うと、あからさまにイヤそうな顔。 まあ、夜の天神の町に、ほんの数分とは言え、女一人ほったらかしにしようってんだから、夫としてはちょっとヒドイ行為ではあるんだが、かと言って、一緒に付いて来いって言うと「横暴だ」とか「めんどくさい」とか言い出すに決まっているのである。 それに、まかり間違っても、天地が裂けようと恐怖の大王が今ごろ降りてこようと、しげが(以下自粛)。 袋を取って戻ってくると、しげが「一回戻って損した?」と聞いてくる。 「……損って何が?」 「距離が」 「……別に。よくわからないんだけど、そういうのって、損得で考えるのか?」 なんだかなあ、10年一緒に暮らしてても、未だにこのしげの間をはずした質問には戸惑うことが多いのである。「帰る時間が遅れちゃったわね」とか、その時間のロスを確認する、というのならまだわかるのだが(それにしたってたいした時間じゃない)、わざわざそれを私に質問するというのはどういう心理であるのか。 よくしげが私に聞くのは、「ねえ、オレはこれからどうすると思う?」という質問なんだが、そんなことわかるわけがない(ーー;)。おそらくしげは、些細なことでも「これって正しい行動なのかな?」と迷ってしまって、自信が持てなくなるのであろう。 自分の取るべき行動を、まず私に確認してもらった上で、「よし、これからしようとしてることが間違ってないんだな」と自分でも納得している様子だ。 あいつどうもねー、今、何をしようとしてたのか、本気でしょっちゅう忘れているらしいんだよねー。本気で3秒前のことも忘れてたりする。 今回の場合も、「自分はここに待たされて、時間が損した気になってるけれども、それは確かなことなのかそれとも気にしないでいいことなのか」とかなんとか迷っちゃって、上記の質問になったものだろう。 まあ、こんな不安に駆られるのは、トリアタマかトコロテンアタマ(懐かしのドクター・カオス♪)のしげだからこそであろうが、日頃から海馬にはちゃんとエサをやってほしいものだ。肉ばっかり食ってるからだよ、馬には草だ。 ……とか言いながら、気がついたら私も、渡らなくていい信号を「青だから」とうっかり渡っていた。エサをやり過ぎると、海馬も働いてくれないようである。
字数オーバーになっちゃったので、続きはまた翌日。(2003.2.17)
<訂正> 宇津見様より以下の指摘がありました。誤った情報を書いてしまったことを謹んでお詫び申し上げます。 ……「轟天」の漢字も間違えてるものなあ(^_^;)。 論旨そのものにはさほどの影響はありませんので、本文はそのままとさせていただきます。
> 海底軍艦が建造されたいきさつは、終戦時に、神宮司大佐率いる、海底軍艦轟天号の開発建造の轟天建武隊が、丸ごと脱走し、鉱物資源豊富な無人島に拠点を構えて、20年かけて建造したというものです。 > 実際の作中にも轟天建武隊の隊員は、建造スタッフや轟天号のクルー、白兵戦部隊、日本本土の視察に派遣した部下など多数登場していますので、「たった一人で豪天号作った」というのは、もうしわけないですが完全な間違いでしょう。
2002年01月25日(金) 遊び倒す病人夫婦。バカである。/映画『修羅雪姫』 2001年01月25日(木) 思い出したが私は電話恐怖症だった/映画『アヴァロン』ほか
| 2003年01月24日(金) |
そのうち隔離されるかな/アニメ『ユキの太陽』(宮崎駿)/『カルト王』(唐沢俊一) |
結局、三日も仕事を休んでしまいました。 やっと出勤してみたら凄いことになってましたねえ。 職場に風邪引きさんが続出してるんだもの。 私とコンビ組んでる同僚で、叩いても刺しても死なないと評判の(死ぬってば)ヒトまでが風邪引いちゃってたことはこないだも書いた。今日、職場に着くなり、休んでたお詫びをしようと彼のところに行って、その背中に咳込みながら、「げほげほ、どうも、長らぐ休びばじで、申し訳ありばせん」と声をかけたところ。 振り返りざまに私よりもはるかに異常な鼻声で、「だい゜じょう゜ぶです゜か゜?」。 いや、いくらなんでもここまでひどくはないが、すごいカスレ声である。大丈夫かって、こちらが言いたい(^_^;)。 「……ばだ、治られでないんですか?」 「ごどじの、がぜわ゜、なか゜びぎばずね゜え……」 いや、もうそれ以上は喋らないでほしい。 ちょっとビックリしながら自分のデスクに向かうと、隣席の女性の同僚が、眼まで隠れそうなデカいマスクをしている。 「……あなだぼ、お風邪?」 「え゜え゜、な゜んが、ごえ゜が出な゜ぐな゜っぢゃっ゛で……けふっ」 そりゃ聞いててわかります……(・・;)。 そこへ、私の所属する部署の上司の女性がツカツカと近づいて来た。 「あ゜の゜、き゜ょう゜のれ゜んら゜ぐな゜んでずげど……ずずっ」 ひ、ひええええ! わ、私の関係者が軒並みみんな風邪を引いているうううう! \((;◎_◎)/! これはもう、明らかに病原は私だ。 なんだか、ポーの『赤死病の仮面』にでもなったような気分である。 あるいは星野之宣の『幼女伝説』かな。「カンタレッラ!」ってやつ。……シャレにならんわ(ーー;)。 考えてみたら、病気慣れしている私(^_^;)をこれだけ苦しめてる風邪だもんなあ。日頃丈夫な人たちまで罹っちゃうのは当たり前なのかもしれない。 日頃は厚顔無知な私であるが、ここ最近、こんなに身の置き所に窮したことはない。すみません、移すつもりなんてなかったんですよう、許してください。m(j◇j)m 三日も休んだのだから、仕事の面で迷惑をかけた相手は同僚は10人を下らない。もう午前中はずっと平謝りしまくりである。 プロジェクトの中には、最後の詰めを、責任者である私が放棄したものまである。 「……何とかやっときましたから」 と言われた時の同僚の唇の端が微妙にケイレンしていたように見えたのは気のせいかしら。そうよ私は木の精。……現実逃避してんじゃねえ(ーー;)。
とかなんとか言いながら、結局半ドンで帰っちゃいました(人でなし)。 久しぶりに仕事に出て来たんだし、ちょっとがんばろうと思ったんだけれど、午後になったらまた咳が止まんなくなっちゃったし、目眩と吐き気で苦しくなっちゃったのよ。 午後は会議がある予定だったのだが、とても持ちそうにない。 検査結果も聞かねばならないし、病院に行くことにして、また各方面に頭下げ。
先日、博多駅の紀伊國屋から電話連絡が入っていた。 「DVDの『あずまんが大王』の3巻と、『プリンセスチュチュ』の2巻が入荷しておりますが……」 当然、取りに行かなきゃならないんだが、カラダがきついんで来月回しにしようかとちょっと考える。けれどこれをやると、来月予約しといたブツとかち合っちまうのである。しかも、来月には『黒澤明ボックス』3巻&『必殺仕掛人ボックス』1巻という大物が控えているのだ。 なんでそんな無謀な予定を立てていたかというと、来月はボーナスが支給される予定だったからである。けれどこの不況で、先日ボーナスカットが通達されている。……予約入れたあとでいきなり、ンなことするなよう(T∇T)。……と怒ったところでそりゃ会社の責任じゃない。いや、経営不振は上司のアホのせいなんだが。でも、結局は零細企業に勤めた私が悪いってことなんだよな。来月は生活を切り詰める予定。とりあえずは昼飯抜きだ(;_ _;)。
……てなわけで、紀伊國屋に向かったんですが。 しげは昼間は寝ているので、車を呼びつけるわけにはいかない。仕方なくバスに乗って博多駅に向かうが、ウチの職場、マジで田舎にあるので、博多駅まで乗り換えて1時間かかるのである。 病み上がりで田舎道をガタゴト揺られてたら、病状が悪化するのは当たり前であろう。紀伊國屋に着いた時には息は上がり、髪は乱れ、なんかすごいことになっていた。 「ず、ずびばぜん、ぶ、ぶりんぜずぢゅぢゅをぐだざい」 ……よく警察に通報されなかったものである。
病院の診察結果、やはり喉が炎症を起こしていたらしい。 「これから治っていきますよ」と医者が軽く言ってくれたが、ほんまやろか。 なんか医者に行くほど病状が悪化してるような気もするんですけど。
さて、今日はアニメオタクにはぜひとも見逃せないテレビ番組がある。 『千と千尋の神隠し』……じゃなくて、その直前の特番で、宮崎駿の幻の監督作『ユキの太陽』のパイロットフィルムが放映されるのだ。 宮崎駿のフィルモグラフィーにはしっかり記載されているのだが、さて、長年眼にする機会はなかった。パイロットだから、そんなに長いものは期待できないが、それでも見られるものは画面に齧りついて見る。 紹介のところで、「宮崎監督のデビュー作は一般には『未来少年コナン』と言われていますが……」と説明してたのはちょっと舌足らず。 名前は出していないが、『ルパン三世』の旧テレビシリーズを宮崎さんが高畑勲さんと「Aプロダクション演出グループ」の名で監督していたのは今や有名である。監督デビューという意味でなら、こちらの方が早い。ちゃんと確認しとけよなあ。 で、『ユキの太陽』の出来である。 原作はちばてつやであるが、内容は日本版『アルプスの少女ハイジ』といった趣。もともと孤児が明るく元気に生きるってのは、庶民派のちばさんの世界なんだけど、同じ庶民派でも宮崎さんの世界とはやはり肌合いが違う印象である。ちばさんには独特の泥臭さがあるんだけど、それが消えちゃってて、やっぱり表現にキレイゴトが混じっちゃってるのね。キャラデザインがすぐに崩れて、東映動画顔になってしまうんだけど、ちばキャラは子供でもそんな媚びた笑顔は見せねえぞ、もっとたくましいやって感じかな。 大塚康生さんの作画監督なら、こうもナマヌルイ感じにはなってないんじゃないかと思って、スタッフリストを調べてみたけど、やっぱり大塚さんはこれには噛んでなかったみたいである。いや、ユキがちょっと「ルシファー飛び」っぽい動きしてたからね。 大塚さんも、そういう宮崎さん的なマンガチックな動きを描くこともあるが、もともと『わんぱく王子の大蛇退治』のアクル対スサノオのようなシャープでキレのいいアクションの作画が得意なのだ。どっちかと言うと、作画的にはこれ、大塚さんが監督した方がよかった企画なんじゃないかなあ。まあ、大塚さんは根っからの職人だから、なかなか監督は引き受けなかっただろうけれど(あれだけの仕事をこなしていながら、監督作は『草原の子テングリ』と『東海道四谷怪談』の2本しかないのである)。 もしもちばてつやのファンがこれを見たら、イメージの違いに愕然としちゃうんじゃないかなあ。もしかしてこれがパイロットフィルムだけで終わったのは、スポンサーの中にちばさんのファンがいたせいかもね(^o^)。
続けて、『千と千尋の神隠し』も見てみたけど、どうですか、赤かったですか。私にはよくわかんなかったんですが。
晩飯は精力をつけようと、「さかい」で肉を食う。 ここ数日、うどんばかり食ってたから、胃の方もやや重たいモノを欲している感じだ。今日ばかりはしげの趣味に付き合う形である。
映画監督の松田定次氏が、20日に老衰のため死去していたことが判明。享年96。 年齢的には大往生。ていうか、死因が「老衰」っての、久々って気がする。宇野千代さんも確かそうだったような気がするが、有名人ではそれ以来じゃないかな? 子供のころ、土、日の昼から夕方にかけて、テレビで『○曜時代劇』なんて番組があってたが(最近は『サスペンス劇場』の類に圧されて、あまりやってない)、監督のクレジットを見ると、たいてい松田定次であった。いったい、今までに何度『水戸黄門』(1960)を見たか知れやしないが、その割りにストーリーの大半を忘れてしまっているのである。 弟さんのマキノ雅弘さんの映画には、どこかギラギラとした才気が感じられたものだったが、松田さんの場合は悪く言えば大味ってことになるんだろうけれど、いかにも映画を堪能したって感じの「大作」感を味わえたものだった。 オールスターキャスト映画を任されることも多く、「東映創立○○年記念映画」の類は、たいてい松田さんが監督していた。
しかし、私にとって松田さんは「時代劇の人」というより、「ミステリの人」の印象が強い。理由は言わずもがな、『多羅尾伴内』シリーズと『金田一耕助』シリーズの二つを立ち上げたのが松田さんだったからである。もっとも、その映画の存在自体は情報として知ってはいても、実際に現物にお目にかかれたのは随分トシを食ってからであったが。 「あるときは片目の運転手……」って多羅尾伴内の名ゼリフ、林家木久藏のものマネでしか知らない人も多いんだろうなあ……。いやいや、そのものマネ自体、木久藏さん、やらなくなって久しいからもう、なんのことやら(-_-;)。 かろうじて、小林旭によるリメイクや、小池一夫・石森章太郎によるマンガ化で、多羅尾伴内の存在を知っている人もいるかもしれない。しかし、本家本元の『多羅尾伴内』とはやはりテイストがかなり違っている。
映画史的な説明としては、『多羅尾伴内』シリーズは、戦後しばらく、GHQの検閲によって時代劇映画の製作が禁じられたために、戦前の時代劇映画の制作者たちが「“現代”を舞台に“時代劇”を作った」とされている。 多羅尾伴内は丸メガネに口ヒゲ、いつも背中を丸めてヨチヨチ歩いている見た目はいかにも頼りなげなしがない老私立探偵である。事件が起こっても右往左往、まるで役に立っているようには見えない。しかし、実は彼の正体はかつて帝都を騒がした怪盗・藤村大造である。今は改心し、自分の汚れた魂を救ってくれた恩人の警官が殺された事件の謎を追って、自ら「正義と真実の使徒」と名乗る。 事件を追う間、様々な変装をし、最後は自らの正体を明かして、犯人たちを逮捕し、警察に引き渡す。確かにそれらのケレンぶりを見れば、まるで『遠山の金さん」であって、「時代劇現代版」と言われるのもわかりはする。 しかし、松田定次監督による『多羅尾伴内』の初期4作品、『七つの顔』『十三の眼』『二十一の指紋』『三十三の足跡』を見てみると、巷間言われるように、時代劇のプロットを現代劇に持ちこんだためにかなり荒唐無稽な内容になってしまった、との批評が必ずしも当たってはいないことに気がつく。 例えばよく槍玉に挙げられる「主演の片岡千恵蔵がいくら変装したって、見りゃ一発で千恵蔵本人って分るじゃないか」というツッコミ。でもその七変化、観客から見れば毎回千恵蔵だってことは一目瞭然なんだけれども、ストーリーの上では、その変装した姿の伴内に出会うのはそのときが初対面の人間ばかりなんである。つまり映画の中の七変化は「多羅尾伴内の正体を隠すため」であって、「片岡千恵蔵の正体」を隠すためのものではない。 演技の質も、確かにラストのキメの部分では千恵蔵御大、大仰な演技をしてるんだが、普段は実に落ちついた、リアルな演技を披露している。千恵蔵さんの演技力って過小評価されてるって思うんだけど、いっぺん『赤西蠣太』や『血槍富士』、『十三人の刺客』あたりをを見てみたらどうか。
松田さんから話が離れてしまったが、言いたいことは時代劇の監督と言っても決してパターンに流されただけの人ではなくて、細かい描写をきちんと積み重ねていくタイプの人だったってことだ。 だからこそ、アニメ『佐武と市捕物控』に「監修」として迎えられたのだと、今にして思う。
唐沢俊一『カルト王』(幻冬社文庫・600円)。 単行本は持ってるけど、また買いました(^^*)。 単行本の出版は1997年だし、この日記に感想を書いたことはないから、まあいいでしょ。 唐沢さんも文庫版あとがきで書かれている通り、これは唐沢さんが「ライター」から「作家」に移行して行く過程の原稿が集められている。要するに、雑誌の注文に応じて原稿を書いていた時期から、その注文は注文として、自分の志向を原稿に反映させられるようになった時期への転換の様子が見られる、ということである。 もっと簡単に言っちゃえば、「ネタ中心」から、「ネタを自分の眼で分析」へ変化していったってところだろうか。いや、もちろん初期に分析がなかったわけではないが、それは編集者の「こう書いてほしいだろう」という意向を察したような文章なのだ。
例えば、冒頭にある1992年以前の原稿であろう「僕の周りにやってきたアヤシゲな心霊家たち」にはこんな文章がある。 「心霊家の人々は自分を見ない。多分、欠点だらけの自分に面と向かうのが恐ろしいのだと思う。そして、何があろうと決して自分を責めない。(中略)これは卑怯な生き方である、と思うのである。オカルトとは自分の心の中にある本当の自分自身と出会う道だ、とよくいわれる。しかし、人間である限り、どんな高僧、聖人であろうと、本当の自分の姿は多分正視に堪えないほどに汚れていて醜いにちがいない。神とは、その自分の姿に向き合う勇気を与えてくれる存在でなくてはいけないと思うのだが。(中略)僕が怒りを感じるのは、自分への正当化の手段としてオカルトを使い、それを悪用している連中である。」 この分析・批評が、「ウソ」だと言いたいのではない。実際に唐沢さんが出会ってきた心霊家の人々がトンデモさんだらけだったのは事実だろうし、信仰のあるベき姿を当時の唐沢さんがこのように考えていた、というのもそのまま出ていると思う。義憤も当然あったろう。 ただ、同時に、唐沢さんの心の中に、この自分の書いた文章に対する「自己批判」もあったにちがいないと思うのだ。 なぜならこの文、あまりにストレート過ぎるのだ。 芸がない、とか若書き、と言ったら失礼かもしれないが、しかしそれがおそらくは掲載誌の編集者の「意向」でもあったのだろう。「あまりふざけないでくださいね」という雰囲気を漂わせていたものであろうか。駆け出しのライターであれば、それに逆らって「おれの書きたいのはこんなんじゃないんだ!」とか言って卓袱台をひっくり返し(そんなものはなかったろうが)仕事をフイにするわけにはいかない。
これが、数年経つとガラリと変わる。 例のオウム真理教事件に絡めて日本のホモ文化を評した「やおい少女たちがオウム真理教に恋をする理由」では、それこそ「オカルトを悪用」しているあの団体について、唐沢さんは怒るどころか、「あやしげなものファンにとって、オウムはまことに魅力的に見えた団体だった」「オウム真理教という団体は、その悪趣味性ゆえに、すべての、日常に対し不満を持っている人間にとって、すさまじくオモシロイものであった」と書くのである。 これは変節ではない。ましてや、唐沢さんがオウムのような犯罪組織を正当化するようになったわけでは決してない。自らの道徳観を優先するあまり、人間の「悪趣味」に惹かれる感覚を無視していけば、いつかそれは、人間の本性を否定し、自らの正義のみで他者を峻別し断罪するようなファシスト(藤子・F・不二雄の『ウルトラ・スーパー・デラックスマン』ですな)になってしまいかねない。唐沢さんは、それを「作家」として「回避できるようになった」ということなのだ。
あのとき(もう8年前だ)、日本中の人間がテレビに齧り付いた。 そのときの我々は義憤だけであの事件を見ていたか? 唐沢さんが言うように、みんな「オモシロ」がっていたのではないか? なにしろ私もあのときはついウッカリ江川紹子のファンになってしまい、著書を買い求め、更には自分の書いた戯曲の登場人物に江川さんの名前をモジって名前を付けてしまったくらいである(あほや)。 まあ、私がファンになったのはオウム追究側の人だったから、なんとか人倫に反する形にはならなかったが、当時、「ジョーユーさんってちょっとステキ?」とか言ってたやおい少女たちは確かに存在していたのだ(私の前だから、少し遠慮気味な言い方ではあったが)。 我々は「悪趣味」に惹かれる。 「オウムと我々は、対極にいて、そして実はつながっている」という唐沢さんの言葉を、もっと多くのヒトが実感してくれないと、世の中「正義漢」ばかりじゃ息が詰まっちゃうのである。
あと、江戸川乱歩について書いた「江戸川乱歩は本当に『猟奇的』な作家だったか?」は、乱歩を未だに読んだことがない人が、「乱歩ってどんな人?」と知りたくなった時に、まず読んでもらいたい名文である。 作品そのものに当たるんならともかく、ヘタに映像化されたやつとか、文庫の巻末についてるような他の人の評論に先に当たっちゃうとねえ、乱歩の作品の表層だけしか見えないってことになりかねないんだよねえ。 乱歩の二面性を作品から指摘することだけなら誰にでも出来るが、ちゃんと乱歩のハゲコンプレックスや、横溝正史の『犬神家の一族』を、乱歩が作品を読まずにタイトルだけで貶したエピソード(これは正史の『真説金田一耕助』で語られる実話であるが、これをネタにして乱歩を批評したのは、私の知る限り唐沢俊一さんただ一人である)に触れて分析を試みる、という視点は唐沢さんの独擅場である。 ……創元推理文庫さん、っつーか戸川安宣さん、今度『乱歩』の20巻を出すことがあったら、唐沢さんに文庫解説頼んでよ。
『カルト王』読んでたら、ほかにも書きたいこといっぱい出てくるんだけど、これもキリがないからこのへんで。 ああ、時間の余裕があったら、マジで『唐沢俊一論』単行本一冊分くらいは軽く使って書きたいぞ。別に唐沢俊一信者ってことではなくて、現代思想史において唐沢さんが占める位置は正当に評価されなければならないと思うからなんだけどね。
2002年01月24日(木) オタクのハマリ道/アニメ『七人のナナ』第3話/『山本弘のハマリもの』(山本弘)ほか 2001年01月24日(水) せがた三四郎、落つ。/映画『疾風! 鞍馬天狗』
| 2003年01月23日(木) |
アニメの実写企画って……/『ロケットマン』4巻(加藤元浩)/『はじめてわかる国語』(清水義範)ほか |
宇多田ヒカルの旦那さんが映画監督デビュー……って、これが『新造人間キャシャーン』ってんだから、ちょっと意表を突かれたね。 旦那さまの名前はダーリン……じゃなくて、紀里谷和明さんと仰るそうだが(すまんねえ、最近芸能ネタには弱いもんで)、小学生のころに『キャシャーン』を見て、「いつかこれを絶対に映画化するんだ!」と心に決めていたそうな。 『キャシャーン』の本放映は昭和48年だから、現在34歳の紀里谷さんが見ていたとしたら、4、5歳のころで、「小学生のころに見てた」という記述に合わない。となれば再放送だろうが、そんなにしょっちゅうやってたのかな。 でもなぜに『キャシャーン』? 「ヤルッツェ、ブラッキン!」とか実写キャラに言わせるの? いや、それ以前に、客が着くのか、その企画。 同じタツノコヒーローなら、まだ『ガッチャマン』の方が……とかなんとかどーでもいーことが頭の中を経巡ってるのだが、まあ、監督自身が「好き」と言ってるんだし、なぜかスポンサーも付いちゃったみたいだから、首を捻ったってしょうがないな。 けど、これが「宇多田ヒカルの夫だから、何を映画化させても話題になるからいいや」ってな発想で決まっちゃった企画だったら、もしかして大変なことになってたかもしれないのだ。 もし、『キャシャーン』以外のアニメを好きになって、映画化しようとしたら? 『破裏拳ポリマー』や『宇宙の騎士テッカマン』になってた可能性もあるかも知れない。『ドカチン』や『ハクション大魔王』実写版。誰が演じるんだ。大平透か。 いや、タツノコ系にとらわれる必要はないな。 『魔法使いサリー』実写版。演じるのはもちろん、宇多田ヒカルである。カブはえなりかずきを呼ぼう。よっちゃんは倉木麻衣で、三つ子は白木みのるをCGで三人に増やす。なーに、まだ子供で通るわ。サリーのパパは内藤剛志がいいな。トンガリヘアーが似合うと思うぞ。サリーのママは美輪明宏だ。おお、これは怖い! 『ど根性ガエル』実写番。 ヒロシは藤原竜也である。となれば京子ちゃんは前田亜季かというと、これはやっぱり宇多田ヒカルだ(^o^)。ゴリライモは松村邦弘。梅さんは役所広司。ヨシコ先生は吉岡美穂。ピョン吉は青空球児、もちろん声の出演ではなく、実写でシャツに張りついてもらうのである。 『天才バカボン』実写版。 バカボンパパは赤塚不二夫。ほかにいないだろう(^o^)。 ママは宇多田ヒカル(こればっかりや)。バカボンは内山君(としか知らないんだが、下の名前なんて言うんだ?)。ハジメちゃんはクリスティーナ・リッチ(^o^)。 『ガンバの冒険』実写版。 ……全部ネズミじゃん。
どうですか、こんなもんまで、「作るぞ」と紀里谷さんが言ったら作られちゃうんである(いや、ウソだけど)。でもいいのか、そんな企画の立てかたで。 それにしても、サンスポのタイトル、「ヒッキー夫はアニメ実写版で映画監督デビュー」だよ。いくらなんでも「ヒッキー夫」はないんじゃないのか(^_^;)。
咳止まらず。 今日でもう三日連続で仕事を休む。……医者に行った意味ないじゃん。 注射打っても薬を飲んでも全然状況が変化しないというのはいくらなんでもおかしすぎる。 もう一度医者に行ったら、「エンショウを起こしてるのかも知れませんね」だと。 ……何、円生。 つまらんボケはともかく、肺炎ってことにでもなってたら、マジで入院じゃないの。とりあえず血液検査をしてもらって、とりあえず炎症を押さえる薬にかえてもらうが、果たしてこれが効くものやら。
マンガ、魔夜峰央『パタリロ!』75巻(白泉社/花とゆめコミツクス・410円)。 『パタリロ西遊記』と合わせれば、これで通産80巻。 少女マンガとしてはもう最長不倒距離を達成することは間違いないだろうな。それにしても私もよくぞここまで付き合ってきたものである。なんたって10代のころから読み続けてるんだものなあ。たしか初掲載は昭和53年だっけ。 ここまで時間が経っちゃうと、パタリロ自身は10歳のままだけれど、マンガの中の事物にはやはり時代の変化が反映してくるのである。『怪奇倩々女』に「オープンリールのテープ」が出てくるが、もう若い人は知らないのである。私が中学生のころくらいまでは、まだまだカセットテープよりもオープンリールの方が主流だったんだが。……多分、カセットテープも、もうじきなくなっちゃうんだろうなあ。 初期は随分ハードでストーリーの骨子もしっかりしてたもんだったが、ここまで来ると落ちのつけかたもなんでもありである。 『パタリロ娘』、CIAのヒューイットの久々の登場編で、女の子との付き合い方を知らないパタリロのために、タマネギたちは小間使いを募集することにする。その選定にヒューイットが呼ばれるのだが、王宮に入りこんでいたメイドは実は妖怪万年娘であった。ヒューイットはロリータ道の尊師の導きに従って、万年娘の妖術を破って倒す。 ……って、これ、どういうストーリーなのよ。しかもロリータ道の尊師って……(^_^;)。
マンガ、加藤元浩『ロケットマン』4巻(講談社/KCGM・410円)。 前巻より、『トゥルー・アイズ』の情報員となった水無葉、この巻から「第2部」ってことになるわけだが、作品内容も陰謀アクションものから本格ミステリに移行したって印象。 あああ、エピソード11、12の密室トリック、昔、私も考えてたやつだ。先に使われちゃったな……って、そのトリック自体はたいしたものじゃ無いんだけど。ちょっとひねった設定にしないとモノにはならんなあ、と思ってたんだけど、こういうふうに使ったのね。なるほどなるほど。 うーん、困ったなあ。ミステリ仕立てになった途端、筋の説明もしにくくなっちゃった。けれど、『Q.E.D.』とはやはりちょっと違ったハードな設定が楽しめるシリーズではある。逆にハードな設定なせいで、葉みたいな世間知らずが情報員としてやって行けるのかって疑念が湧きはするけれど。
清水義範(え・西原理恵子)『はじめてわかる国語』(講談社・1785円)。 理科、社会科、算数、に続いて、ついに国語だ。これで完結になるのかな。サイバラさんの挿絵のラストも「いなくてもいい二人」って、清水センセとサイバラさんが無人島にいるし(^o^)。
学生時代、国語が嫌いだった人で、清水さんの『国語入試問題必勝法』を読んで溜飲が下がったって人、多いんじゃないか。 何たって、あの四択とか五択とか、ヒドイのになると七択、八択なんていう選択肢問題、見てるうちに「どれだっていいじゃん、長い文章のごく一部を読み間違えてたって、たいした影響があるか」って気になったこと、ありませんか。清水さんも書かれてたが、あれは「出題者の意図を読み取れるかどうか」で点が取れちゃうんであって、文章読解力とは何の関係もないのだ。 選択問題の実例がいかに適当なものかってのを紹介してくれて、「ああ、オレが間違えたのはバカだったからじゃないんだなあ」と安心させてくれたのである。 で、今回も清水さんは「国語入試問題必“敗”法」と題して、いくつかの「なにこれ?」って感じの問題を紹介されている。先に言っとくが、正解しても威張れる問題ではないし、間違ったからって恥じる問題じゃないよ。
問 次の� 銑Δ諒犬涼罎如∋�実を述べている文には○、意見や感想を述べている文には×をつけなさい。
� ,錣燭靴燭舛僚擦狠狼紊蓮△澆匹蠅凌∧�で覆われ、美しい花が咲き乱れているすばらしい星です。(�◆銑Δ泙任藁�)
さて、清水さんはこれに「×」をつけた。私も同意見だ。 清水さんは「サウジアラビアの砂漠はどうなる」とユーモアエッセイなのでわざとツッコミを入れているが、まあ、そういうところで揚げ足を取らなくても、「美しい」「すばらしい」という形容詞は感覚を表したものである。どう考えても「×」だと思うんだけど、これが正解は「○」なんだよね。 なんでそうなるかというのを清水さんは推理するのだが、つまり「すばらしい」と論考するための前提となる「事実」が書かれているから、ということなんだそうな。 えー、みなさま、納得されましたでしょうか。いや、しようがしまいが正解は「○」なんで、文句言ったって仕方がないんですけどね。でも、どうですかね、これを「×」にしたからって、論理的にモノを考えていくのに何か支障を来たすってんでしょうかね。しかもこれ、小学生用の問題なんである。こんな問題をコドモのころに解かされてたら、人間が歪まないか。 清水さんはコトバの専門家である作家である。しかも教育大卒で国語教師の免状を持っている、というオマケまでついている(^o^)。でもこれが解けない。よく言われてることだが、作家が自分の小説が問題に取り上げられて、それを自分が解いてみようとしてみたら全然解けなかった、というのは笑い話でなく事実なのである。文学の解釈なんて、百人いれば百通りあるだろう。解釈をぶつけ合って考えた結果を採点するってんならともかく、自分の解釈をいちいち他人の解釈に従わせるののどこが学問だと言うのか。 って、学問なんか学校じゃ教えてないんだよな、この国じゃ。
ほかの章の紹介もしたいとこだが、キリがないので、サワリだけ。 今回、これまでのシリーズと違って、特別ゲストが呼ばれている。あの『文章読本さん江』の著者、斎藤美奈子さんである。 清水さんとの対談の中で、斎藤さんが「国語教育はなかば道徳教育ですから」と指摘してる点、国語関係者はちったあ肝に銘じた方がよかないか。「個性教育がどうのこうの」とか言っときながら、やってることは「優等生的作文の強要」じゃないのか。 「チャップリンなんて私生活じゃロリコンオヤジじゃん」とかガクセイが書いちゃダメなんである。「ですます体」と「だである体」が一文の中に混在してちゃダメなんですのよ。「デタラメの効用」ってのをテンから認めないのだな。 もちろん、「基礎が出来てこそ、デタラメも書ける。学生のうちは基本的な、正しい文章が書けるように勉強させるべきだ」って意見もあろう。 ……けど、その「正しい文章」ってのを高校生、大学生になってもずーっとずーっと、書き続けさせられてるんだよ? 自由な作文ってのはいつになったら書けるようになるのよ。 同じようなことを小学生のころから何十回も何百回も繰り返し書かされてたら、作文自体がイヤになるだろうに。
最終章の「日本語は滅んでしまうのか」で、清水さんは、滅んだりはしないが、「美しい日本語から背骨を抜くようなことはしてはいけないと思う」と書く。「すみません」を「すいませ〜」とか発音するな、と言うのだ。 ムリだよなあ、とは思うが、気持ちは分る。私もいい加減、レストランの「よろしかったですか?」攻撃には腹が据えかねているのだ。しげがちゃんと「よろしいでしょうか?」と言ってるのを聞いてるだけで、こいつは日本最高のウェイトレスだ、と思うくらいなのである。 言葉は変わる。それは仕方がない。けれど、かつての言葉がどんなものであったか、それを知ろうとしない態度は、人をただの傲慢な人間に貶めることになる。
清水さんが「歌舞伎と落語は民族の教養」と書かれているのを読んで、いつぞや岡田斗司夫さんが、「歌舞伎ファンはエリート主義に陥っている」という趣旨の意見を主張されていたのを思い出した。確かに、「若い人」の中には「こんなゲージュツを理解できる俺ってアタマいい?」とか勘違いしてるアホもいるかもしれない。……アナタね、昔の人なら、歌舞伎も落語も「庶民の誰もが楽しむ娯楽」だったんだけど、知らない? 若い人にはホントにわからないのかもしれないが、ほんの30年ほど前までは、オトナたちの日常会話の端々に、歌舞伎の、落語のセリフが頻繁に引用されていたのだ。一時期、ガンダムオタクが何かって言うと「醜いものだな」とか「坊やだからさ」とか口にしてたみたいに(エヴァ世代だったら「逃げちゃダメだ」とか「あんたバカぁ?」かな)、「知らざあ言って聞かせやしょう」だの「こいつァ一分じゃ帰られめェ」だの、口にしてたんである。 私だって、たまにこの手のセリフを使うことがあるが、こんなもん、いちいち「勉強」して覚えたわけじゃないよ。いつの間にか覚えちゃってたくらいに、世間に歌舞伎コトバ、落語コトバは氾濫していたのだ。 ……昔、満員電車やバスの中を通りぬけようとして、「ハイ御免、ハイ御免」って言ってたオヤジもよくいたもんだけど、最近は全然見かけなくなったなあ。 ああいう人たちはどこへ行っちゃったのかなあ。 歌舞伎や落語を基礎教養だと思ってる世代は、もしかしたら昭和40年生まれあたりを境に、途絶えてしまっているのかもしれない。
これはもう、若い人たちへの「お願い」に近くなってしまうが、もっと「ホントウの」勉強をしてほしいんである。 昔の本を読む。昔の映画を見る。昔の芝居を見る。 今やたいして苦労しなくても、レンタルビデオやCSで、そういうものをいつでも見られる時代になっているのだ。 学校なんかサボれ。週に一んちくらい休んだって落第はしない。今週は月曜、来週は火曜、と曜日をズラせば特定の教科ばかり休むって状況も回避できる。その方がずっと「自分の」勉強ができるぞ。 成績が落ちたっていいじゃないか、偏差値高い大学に入ったって、今どきゃ就職できるとは限らないよ。
……なんかもーね、私らトシヨリのコトバがホントに通じなくなって来てるなって感じるのよ。これでも私、この日記の文章もできるだけ若い人に違和感ないようにね、固っ苦しいコトバ避けようって思いながら書いてんだけど、まだまだピンと来てないかなあって気がして……。(T-T) グスッ。
2002年01月23日(水) 風邪まで引いちゃったよ、どうすりゃいいんだ/『西洋骨董洋菓子店』1〜3巻(よしながふみ)ほか 2001年01月23日(火) ハードな日/『時の果てのフェブラリー』(山本弘)
| 2003年01月22日(水) |
役者が名前を出すということ/DVD『You Are The Top 〜今宵の君〜』/『一番湯のカナタ』3巻(完結/椎名高志)ほか |
朝のニュース番組に、中村彰男さんという文学座の舞台俳優の方が出演していらっしゃる。この方、実は『千と千尋の神隠し』で、カオナシの声を担当されていた方だとか。 映画公開当時はその名前が非公開だったのだけれど、昨年から一般にも知られるようになっていったそうで、そのときの苦労を「『あ……あ……』だけで感情を演じ分けなければならなくて、宮崎監督に何度も注意された」と語る。 そういう演技指導があったってことは、たとえ「あ……」だけでもちゃんと役者として扱ってるってことだろ? だったら、どうして最初から名前を出さなかったのかなあ。 まあ、昔も『月光仮面』とか『少年探偵団』の怪人二十面相とか、クレジットの役者名に「?」が出るものが多かったけれど、ああいうのは謎ってことにしてても、ちゃんと視聴者にはわかってたんである。『千と千尋』であえてカオナシをノンクレジットにしなきゃならない理由なんてないんじゃないか。 いずれこういう形で明かすつもりだった、というのなら最初から明かしといてもなんの問題もなかったと思うぞ。結局、これって「あのカオナシの声の人って誰なのかしら」ってウワサを使った「宣伝」臭いんだよな。なんとなれば、一時期、あのカオナシの声は「宮崎監督自身である」というウワサがマコトシヤカにネットに流れていたんである(そういうウワサが流れたんで発表したのかもしれないが)。 役者が字幕にクレジットされるのは当然の権利だ、と大上段にモノを言わずとも、その演技をした人がどういう人なのかってことを知りたくなるのは、客の方に自然に起こる心理だ。役者が好きで、その映画を見に行くってのは、ほんのチョイ役の人に対しても起こることだ。 というわけで、私はその点では『どれみ』もあまり好きじゃないのでした。結局、女王さまの声優さん、誰だったんだよ。
俳優、田中明夫氏が19日、肝不全のため死去。享年76。 もう30年近く昔、私が初めて上京したときに帝国劇場で見た舞台が、蜷川幸雄演出・平幹二朗の『ハムレット』であったが、そのときポローニアス(オフィーリアの父ね)を演じていらしたのが田中さんだった。 悲劇とは言っても、シェークスピアの作品は合間にギャグが差し挟まれて緩急がつけられており、『ハムレット』で言えば、ポローニアスが飛ばすオヤジギャグ(^o^)が前半の見所でもあったのだ。昔の芝居って、今は古くなって見られないんじゃないか、とお考えの方もいらっしゃるかもしれないが、シェークスピアはそう簡単に古びない。実際、田中さんの芝居は会場に大きな笑いを生んでいた。悪役専門、と思われているが、舞台では実に幅広い役を演じられていたのである。 時代劇の悪役が多かった田中さんのこととて、訃報もまたそれに触れたものが多い。けれど、アニメオタクとしては、まず真っ先に『空飛ぶゆうれい船』の黒汐会長の声を挙げるべきだろう。ボアーの手先として暗躍しながら、結局粛清される、というのは中ボスの運命なのだが、つまりはこいつ、『サイボーグ009』のスカールの原型なのだな('o'=)(原作は『009』よりも以前に描かれている)。そう言えば、時代劇でも本当の巨悪の悪大名より、その手先の悪徳商人を演じることの方が多かったね。 忘れちゃいけないのはNHK少年ドラマシリーズの『幕末未来人』の大津屋役。歴史を改変、本来あるべき明治の時代をなくして、光文の時代にしちゃったんだから、田中さんが演じた悪役の中でも最高の巨悪であろう。あと、『ウルトラマン前夜祭』ではモンスター博士を演じてたらしいが、確実に見てるんだが古すぎて記憶に残ってない。ビデオ、残ってないんだろうなあ。 でも、田中さんに善玉役が全くなかったわけでもない。実写版『鉄腕アトム』の初代お茶の水博士は田中さん(2代目は森野五郎)。残念ながら付けバナはされていなかったが。 田中さん一番の善玉役は、何と言っても映画版エルキュール・ポアロの吹替えであろう。『オリエント急行殺人事件』でポアロを演じたのはアルバート・フィニーであったが、『ナイル殺人事件』のときにはフィニーが降りたので、ピーター・ユスティノフに代変わりしていた。けれどテレビの吹替えのときにはそのまま田中さんが引き継いでくれたので、少しはイメージのギャップが埋められた気がしたものである。田中さんはちょっと舌が絡むところがあるので、それがかえってベルギー人・ポアロの雰囲気を出していて(まあ日本語なんだけど。「モナ〜ミ!」って感じね)、実はデヴィッド・スーシェの熊倉一雄より好きだった。田中さんはこのあと、『地中海殺人事件』『死海殺人事件』と、都合四本の作品でポアロを演じている。 ユスティノフは更に『エッジウェア卿殺人事件』『死者のあやまち』『三幕の殺人』とテレビムービーでポアロを演じているが、私は字幕版しか見ていないので、吹替版があるかどうか、声をアテているのが田中さんかどうかは確認していない。もしあるのなら、それも見てみたいのだが。
えーっと、私、あまり感心なかったんで見てなかったんですけど、NHK大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』の5日分第1話に、黒澤明監督の『七人の侍』そっくりのシーンがあったそうですね。具体的には「ほかの侍と協力して野武士から屋敷の一家を守るシーン」だそうで。 本日、板谷駿一放送総局長が、「アイデアを借りた。事前に関係者にあいさつすればよかった」と釈明。 ……ってつまりパクリを認めたってことじゃん(^_^;)。 脚本、鎌田敏夫だろ? ホントにそんなシーンあったのか? と思って、NHK出版の『NHK大河ドラマ・ストーリー 武蔵 MUSASHI』を読んでみる(ドラマ見るかどうかを確認するためにとりあえず買っといたんである)。 ああ、なるほど、「あらすじ」のところに屋敷の主人に武蔵たちが雇われて、盗賊を迎え撃つってエピソードがあるわ。もちろん、こんな話は原作の吉川英治の『宮本武蔵』にはない。「人を斬ることだけに生きてきた男」とか、「雨の中の対決」とか、「切れなくなった刀を捨てては死体から奪って戦う」とか、『七人の侍』を彷彿とさせる描写は確かにある。 ……これを「オマージュ」と言って済ませるってのは、いい度胸してるな。野盗から村を守るために百姓が浪人を雇った、というのは歴史上の事実である。だからその設定はパクリとは言えない。けれど、キャラクターや状況設定まで同じってのは言い訳はきかないよなあ。つい似ちゃったってことじゃないんだもん。 民放のテレビ番組って「バレなきゃいいじゃん」式の盗作が横行してるから、鎌田さん、長らくその習慣に馴らされてて、別に批判なんて出ないんじゃないかと高を括ってたんじゃないか。 『武蔵』もいろんなバージョンの名作が過去にありすぎるくらいあるからねー、差別化を図ろうとしての失敗って感じだね。
そう言えば、『七人の侍』もハリウッドでリメイクの予定だそうな。『荒野の七人』みたいに西部劇にするのでなくて、現代を舞台にするってことだけど、今のアメリカで「侍」にあたるのっているんか。退職刑事たちがノースダコタあたりの田舎街をギャングから守るとか、そういう話にするんか。 どうやったって、『疾風の用心棒』の二の舞になっちゃうぞ。やめときゃいい企画があっちこっちで進んでるよなあ。
今日こそは仕事に出かけるつもりが、咳が昨日以上に悪化。というわけで不本意ながら(ホントだよ)今日も仕事を休む。 クスリも飲んでおとなしくしてるのに、どうして治らないのだ。 ウチがウィルスの巣にでもなってるのか、それともなんかに取り憑かれてるのか。
DVD『You Are The Top 〜今宵の君〜』。 三谷幸喜作・演出の舞台のDVD化。 コピーに「深夜のリハーサル室 ピアノの前に集まったのは作詞家と作曲家と 一人の死んだ女……」とあるから、てっきり幽霊モノかと思ったら、戸田恵子は「回想の中の人物」として出てくるのだね。 キャストは作詞家・杉田吾郎に市村正親。作曲家・前野仁は浅野和之。女優・笹目にしきには戸田恵子。 本公演では加賀丈史が作曲家の役にキャスティングされていたが、急性虫垂炎でいきなり代役になっちゃったそうである。役造りにも浅野さん、いきなりで相当苦労したらしく、収録DVDではメガネにヒゲを生やしているが、これも公演中に少しずつ変わっていったのだそうな。 それにしてもいつもいつも思うことだが、キャラクターのネーミングはもうちょっと考えたらどうか。いくらなんでもササニシキから取って「笹目にしき」はないだろう。観客もちょっとは笑ってたが、少し引いてた気がするぞ。
深夜のリハーサル室で、ピアノを間に争い合う二人の男。 一人は作詞家の吾郎、もう一人は作曲家の仁。 二人は親友だったが、性格は全く逆。おっちょこちょいだけれど社交家の吾郎、芸術化気取りで融通の効かない仁。けれどそんな二人が仲違いせず、ここまでやってこれたのは、間で仲を取り持っていた女性歌手のにしきだった。 三人は次々とヒット曲を飛ばす。彼らの姿は、まさしくゴールデントリオの名にふさわしかった。 二人は、ともににしきに恋をする。けれどにしきが結婚した相手は二人とは別の男。失意の底に落とされる二人。トリオはやがて自然解消に……。 にしきが離婚したとき、二人の男は再び夢を見た。 けれどその矢先、にしきが交通事故で死ぬ。 そして、7年が過ぎた……。 7周忌追悼コンサートのために、吾郎と仁は再び顔を合わせる。今夜中に、彼女を偲ぶ新曲を作らなければならないのだ。けれど、二人の打ち合わせは、いつの間にか、彼女がどちらを好きだったのか、という話にスライドして行く……。
時間経過に従ってあらすじを書いてみたが、実際には回想シーンが随所に挿入されるために、過去はあるときは10年前、あるときは20年前と、行ったり来たりする。そのたびににしき役の戸田恵子が衣装を替えての七変化を見せるのだが、これがなんと魅力的なことか。 あるときは少女のように(でも12歳のフリにはムリがあるぞ)、あるときは少年のように(時々鬼太郎のイメージが混じりますな)、あるときは魔性の女のごとく、あるときは聖母のごとく、二人の視点を変えるごとに同じ日同じ時の出来事でありながら全く別の顔を見せるにしき。 映画でも、一人の女の過去をいろんな男が語るってネタは結構あるけど、このネタは舞台の方が絶対に生きるんである。
そして、ついに最後には「回想でない」にしきが現われる。 彼女の正体はいったい……? という結末のところがちょっとヨワイのだけれど、やっぱり三谷さんは舞台をやってるのが一番いいなあ、と思わせる佳作であった。 音楽は井上陽水。最後は三人のダンスと歌をたっぷり見せる(忘れてる人もいるかもしれないが、戸田恵子さん、もともと歌手なんだよ)。 三谷さんの舞台を見たことないって人にまず最初に勧めるんなら、この一本がいいかな。
外食ができないので、またピザを頼む。 前回持って来てもらったチラシに、「丼物もやってます」だと。既にピザ屋の範疇を越えてるな、ピザ・カリフォルニア。 でもって頼んでみたカルビ丼、配達ものにしては美味い。でもやっぱりちょびっと割高。
帰宅したしげと、DVD『名探偵ポワロ』を見る。 今日は第6巻の『ベールの女』。 ……やっぱり、クリスティーは長編の方がいいわ。トリックそのものもつまらないが、ラストの「追っかけ」はクライマックスのつもりかどうか知らないが、出来の悪いバラエティなみ。このシリーズが途中から長編スペシャルに移行していったのは正解だろう。
マンガ、あだち充『KATSU!』6巻(小学館/少年サンデーコミックス・410円)。 さわやかラブコメに見えながら実は昔ながらの「因縁もの」ってのがあだちマンガの特徴なんだけれど、活樹の父ちゃん、昔、試合で殺した相手の婚約者と結婚してたんですか。……って、ちょっとありがちすぎるんじゃないかなあ。 いや、その間の事情がくだくだと描かれることはあまりないとは思うけれど、なんかこういう「過去のあるキャラ」を出して来ないとドラマが持たないっていうのは、ちょっと先行き不安なんだけど。 だって、活樹と香月と紀本の関係だけでドラマは充分進めていけるんだからね。あだちさん、「今度こそアテねば」って、ちょっと「不安」になってないかな。
マンガ、椎名高志『一番湯のカナタ』3巻(完結/小学館/少年サンデーコミックス・410円)。 椎名さんのホームベージにも書いてあったけど、テコ入れも虚しく、3巻で打ち切り。でも作者自身が「これで終わったと思うなよ」宣言されてるから、いつかどこかで再開されることを期待しよう。 ……でも、いったん打ち切られたマンガがそのあと再開された例って、あまりないんだけどね。ムリヤリ再開してもまた打ち切りの目に遭うし。『21えもん』が切られて、設定を変えて『モジャ公』を始めたけどまた打ち切られたっていう藤子・F・不二雄さんの例を思い出すなあ。
ドラマ自体は悪くなかったと思うんである。 けれど、やはり絵的にも人物描写としてもキャラクターを掘り下げ損なったかなあ、という印象が強い。 ハッキリ言っちゃえば、なんとかキャラ立ちしてたの、セイリュートくらいのもんじゃなかったか。ワネットもカロー側に寝返るくらいの極悪キャラにしてくれたら、ねずみ男的役割を果たせたと思うんだけど。 あと一回くらいはサンデーもチャンスをくれると思うんで、椎名さんには起死回生を願いたい。
マンガ、橋口たかし『焼きたて!! ジャぱん』5巻(小学館/少年サンデーコミックス・410円)。 えー、もう私、このマンガに何をどう突っ込んでいいんだかわかりません(^_^;)。 カメパン食って美味かったら、回転して宇宙怪獣ガメラになるそうです。なんのことだかわかりませんか。私も自分でなに書いたらいいかわかんないので、もう責めないでください(T∇T)。代わりに踊ります。 L(・_L)ズン(ノ_.)ノドコL(・_L)ズン(ノ_.)ノドコ
料理マンガの中に、『ミスター味っ子』路線ができてるってことなのかな、これ。
2002年01月22日(火) 探偵小説の終焉/渡辺啓助『亡霊の情熱』/『サトラレ』1巻(佐藤マコト) 2001年01月22日(月) 月曜の朝は仕事に行きたくないのよ/『キノの旅3』(時雨沢恵一)
| 2003年01月21日(火) |
「アニメ」ってだけで通じるアメリカ人、どれだけいるんだ/『モーツァルトは子守唄を歌わない』4巻(完結/森雅裕・有栖川るい)ほか |
米ディズニーグループが、17日に、アメリカほか日本国外でのテレビ放送向けに、日本のアニメや特撮番組などのコンテンツ(情報内容)を取得する事業を本格的に開始する、と発表。ディズニーがアメリカで配給した宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』がヒットして、日本の作品に海外からの関心が高まっているため、というのがその理由。 全く同時に、アメリカ&カナダの放送映画批評家協会が、『千と千尋の神隠し』を最優秀アニメ賞に選出。これでいったい、いくつめだ。 なんだか「世界の注目を集める日本アニメ」って印象だけれども、厳密に言えばこの「世界」っての、ほとんど「アメリカ」だけなんだよねえ。 何度となくこの日記でも書いてるけど、宮崎駿の世界でのキャリアはこの数年でいきなり上がったわけじゃない。日本の評論家は『ナウシカ』以後のことしか知らないでハンチク言ってるんだけれど、東映動画時代、スタッフとして参加していたころから、その作品は海外、特に「ロシア」や「ヨーロッパ」で賞を取りまくってたのだ。海外のアニメーターたちが仰天してた作画パートが宮崎さんの担当だったってことも多い。「MIYAZAKI,WHO?」ってのはもう30年も前に言われてたことで、それをイマドキ言ってる連中は、アニメをテンからバカにしてたヤツラばかりで、今になって自分たちの「見識の低さ」を糊塗しようと慌てふためいてる。 『未来少年コナン』『ルパン三世カリオストロの城』『名探偵ホームズ』などはディズニーのスタッフだって確実に見ている。だったらとうの昔にディズニーは宮崎作品のアメリカ配給に向けて尽力しててもよかったはずだが、20年近くも無視をしつづけてたんである。ディズニーが「質的には」いかにアニメ界では後進であるか分ろうというものだ。 その「見る目のない」ディズニーに、日本の「宮崎以外の」アニメがどう映るんだろう、と心配になるのだが、相変わらず「中身」を見てるようには思えないんだね。 ウォルト・ディズニー・テレビジョン・インターナショナル・ジャパンのポール・キャンドランド上席代表によると、アメリカでは「デジモン、遊戯王、ドラゴンボールなどが人気がある」んだとか。……宮崎アニメとの共通項はどこにあるのよ。
集英社が『マンガ生活応援マガジン mangaオモ!』ってのを出してたけど(マンガと言ってもほとんど集英社のマンガだけを応援してる感じだが)、そこでも「ジャパニーズ・マンガはハリウッドを越えた?」という特集で、『ドラゴンボール』や『アキラ』のハリウッド映画家を例に挙げて(『鉄腕アトム』の映画化は結局中止になったようだ)、「『もはや日本人にしか分らない』マンガは存在しない」とかぶちあげている。 もちろんそんなのは大ウソで、だったら『サザエさん』だってアメリカでヒットするはずである。日本人だって、『スパイダーマン』や『X‐MEN』の映画には駆けつけるが、原作のコミックまで見てる人は少ないし、第一アレがSFX映画だから見に行ってるんで、アニメ化されたものだったら客が集まってたかどうか、はなはだ疑問だ。『アイアンジャイアント』も『タイタンAE』も『パワーパフガールズムービー』も、日本じゃコケてるんだよ(向こうでもそうでもなかったみたいだが)。 映画だろうがアニメだろうが、なにかを「見る」のにはそれ相応の「素養」が必要になる。これ言い出すとすぐ「アタマのいい悪いの問題か」と怒る人が出てくるんだけど、そんなこと言い出すことの方がよっぽどアタマが悪い。文化の違うものを理解しようと思ったら、相手の文化を予め少しでも理解しておくことが 必要になるってだけの話である。もちろん完全に相手の文化が理解できるなんてこともありえないから、その分は想像力で補って楽しむことになる。 言い換えれば、異文化を楽しむためには勉強して素養を「想像力」だということだ。アメリカ人の中に日本アニメを楽しむ人が増えたということは、本来「ナンデスカ、アレハ? ワケワカリマセーン」って怒る人よりも「ナンダカワカリマセンガ、オモシロイデース」って人が増えたってだけのことじゃん。もちろんその「想像力」を喚起させるだけの力をその作品自体が持ってることが絶対に必要で、最近のディズニーのアニメにはもうその力がなくなっていた、その焦りが日本アニメに目を向けさせたってことだと思う。 ディズニーランドに「トトロの森」とかが造られるようになるのも、そう遠い未来じゃないかもね。
ついにまたダウンして、仕事を休む。 咳が止まんなくなっちゃったし、吐くし、とても仕事ができる状態じゃない。 クスリも切れてたので、しげに医者まで連れてってもらったら、「まだ治ってないんですか!」と言われた。 とりあえずまた注射をしてもらう。念のため、レントゲンを撮ってもらうが、肺には以上はない。相変わらず肝臓が肥大してるだけである(だけってそれだけでも命に関わってくるんだが)。 ともかく熱が出ないってのがネックなんだよなあ。 もしかして私のカラダん中の免疫とか抗体とか、仕事サボってるんじゃないのか。主人に似てるのか?(^_^;)
医者帰りに知り合いの本屋に寄る。 ご主人がいらっしゃらないで、奥さんがカウンターにいらっしゃる。 なんで仕事もしないで、と思われないように、と自分から「風邪で、ゲホゲホ」なんて言い訳しているのが情けない。でも言っとかないと、あの本屋さん、オヤジにすぐ話しちゃうし(ー∇ー;)。 銀行に寄っておカネを卸す。 今月からまた給料が下がってるんだよなあ。不況なんだから仕方ないけど、今まで払ってた給料も過去に遡って1年分ボーナスからさっぴくってのは、ちょっとアコギすぎねえか。去年まで昇給を三年もストップさせといたときには、「これ以上の減給はしない」とか言ってたの、ウソじゃん。リストラされないだけ感謝しろってか。 謝罪のヒトコトもなくって、これで労働意欲を出せって? ウチの商売がどんどん傾いてくのも自業自得ってもんだ。
夜になっても咳止まらず。 料理を作る元気も外食する体力もないので、晩飯はピザを頼む。ピザ・カリフォルニアに注文するのは初めてだが、チラシを見るとここのメニューにはスパゲティも付いているので、頼んでみる。 チキンとベーコンのトマトソースパスタ、値段は張るが美味い。咳き込んでたんで、鼻にちょっとミートソースが入っちゃったけど。
マンガ、森雅裕原作・有栖川るい作画『モーツァルトは子守唄を歌わない』4巻(完結/エニックス/ステンシルコミックス・580円)。 ううむ、結局モーツァルトを殺したのはあの人でしたね。困ったなあ、これ以上のコメントは犯人をどうしてもバラしちゃうことになるので、面白かったかつまんなかったかすら言えない。 代わりに文句をつけるなら、フリースの子守り歌の暗号、ドイツ語を知らないと解けないってのは、ちょっと卑怯じゃないのよ(^_^;)。いや、そういうのを作っちゃダメってことはないけどさあ、やっぱ作者との知恵比べをしたいってのはミステリファンとしての楽しみなんで、最初から勝負が付いてるってのはちょっと腹立つぞ。ただ、卑怯とは言ったが、ミステリとしてアンフェアではないのね、これ。だってドイツ語喋れないのはあくまで読者の問題で、作者が忖度しなきゃならないことじゃないから。 というわけで、この本を読もうと思ってる方は、最終巻を読む前にまずドイツ語が話せるように勉強しておきましょう。……誰がするんだ(^_^;)。
そういうトリックの経緯よりも、この作品が「物語」として面白いのは、その真犯人がわかったあとでの関係者の身の振り方なのだね。 ベートーヴェンは、チェルニーは、シレーネは、コンスタンツェは、サリエリは、シューベルトは、そして真犯人がいかに「その後」を過ごしたか。 もちろん、史実の「モーツァルトの死の謎」は未だに解かれてはいない。だからこそ、それはなぜかってことが最後の謎として解明されていくのだけれど、人間の妄執の底知れなさを感じさせるいいラストである。しかしそれをも否定するチェルニーの小悪魔ぶり、これが実にいい。私が見てきた「ワトスン役」の中でも、このチェルニーは最高の一人だろう。
チェルニー「報いなんてものが本当にあるんですかね」 ベートーヴェン「さあな。でも少なくともおまえは……」 チェルニー「なんです?」 ベートーヴェン「少なくともおまえは信じないだろうな」 チェルニー「なるほどね」
それから、少年時代はツブレ大福みたいに描かれてたシューベルトがラストでいきなリ美青年に成長するのは、まるでパタリロである(^o^)。
マンガ、加藤元浩『Q.E.D.証明終了』14巻(講談社/月刊少年マガジンコミックス・410円)。 ミステリマンガ界の良心、加藤さんでもまあ毎回上質の作品は作れない。 『夏休み事件』編、アリバイトリックの成立のさせ方には工夫があるけれど、ちょっとムリがありすぎである。実際、目撃証言一つで崩れちゃうしね。 それに比べれば、『イレギュラーバウンド』編のほうは、うまく「仕掛け」てある。このトリック、前例は『刑事コロンボ』の一編にあるのは知ってたけど、途中まで引っかかってた。ミスディレクションというのはこういうふうにやるもんである。 うう、ホントに面白いミステリは筋も簡単に紹介できない……(T∇T)。
2002年01月21日(月) 妻の寝相と丈夫な膀胱/『夜と星の向こう』(今市子)ほか 2001年01月21日(日) 日曜の夜は出たくないのに/『トガリ』(夏目義徳)1巻ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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