無責任賛歌
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| 2001年11月08日(木) |
エロに偏見はありません/『伊賀の影丸 邪鬼秘帳の巻(上)』(横山光輝) |
オタアミ当日まであと16日! 16日しかないのだ!
マンガ『フクちゃん』の作者、横山隆一氏死去。 92歳というのはもちろんすごい高齢なのだけれど、こういう仙人然とした人はそうそう死なないような気がしてたので、なんだ、まだ100歳になってなかったのかって思っちゃうのが不思議である。 もちろん戦前からずっと活躍してたマンガ家さんで、いくら長く連載を続けたとは言え、『フクちゃん』の連載が終わったのが昭和46年のことだから、若い人にはどうしてもある程度の説明が必要になる。 しげに「横山隆一さんが死んだよ」と言ったら、案の定、「誰それ?」と言われた。 「『おんぶおばけ』(「おんぶぅ、おんぶぅ、おんぶぅ、ららら♪」)の作者だよ」と答えると一応納得してもらえたよう。しげはぎりぎりリメイク版のテレビに間にあった世代なのだ。坂本千夏が声をアテたテレビアニメ『フクちゃん』(「ウソウソホント、ホントウソ〜♪」)のことを考えると、一応今の20代後半から上の世代なら、なんとか「横山隆一」の名前に反応してほしいんだけれど。 私の場合はともかく作品自体に出会う前に、母から「アカチバラチー」とからかわれていたので、その世界観は何となく知ってはいた。 日本の庶民の生活を描いたマンガといえば誰しも長谷川町子の『サザエさん』を思い浮かべようが、実際に作品に当たってみればわかるが、諷刺性があり、毒の強い『サザエさん』に比べ、横山さんの『フクちゃん』は実におっとりしている。より牧歌的かつ抒情的なイメージを考えれば、日本の生活マンガのスタンダードは、横山マンガの方に求められて然るべきなのではないか。 実際、『サザエさん』に与えた影響は少なくないものがあろう。
私の持っている『フクちゃん� 戞聞崔娘厂_菠幻法砲任蓮�解説の小野耕世がある四コマを「忘れられないもの」として紹介している。 フクちゃんとキヨちゃんが風船の取り合いをして、うっかりして風船が手から離れて飛んで行く。その途端、フクちゃんが言う。「キ、キヨちゃんにあげるよ」空に昇り小さくなった風船を見ながらキヨちゃんがポツリと呟く。 「ボクのだね」 小野さんはこれを読んで涙ぐんでしまったと言うが、私も同じだ。長谷川町子にこれは描けない。国民栄誉賞に相応しいのは果たして長谷川町子であったのかどうか。
横山さんが戦前の『新青年』で活躍したミステリの挿絵画家であったことや、「おとぎプロ」を創始した戦後日本のアニメーション作家の草分けで『おんぶおばけ』や『フクスケ』を制作したことなど、もっと新聞記事は大きく書いておいていい。 若き日の手塚治虫が、横山さんとこでアニメの技術を習おうとしたことがあったのは有名なエピソード。……そう言えば、『フクちゃん』に出て来たでかっ鼻のアラクマさんは、手塚治虫の漫画に出てくる「力有武」とそっくりである。パクったな、手塚(^_^;)。
昨日に続けてまた仕事でポカ。 でもこれも昨日同様、私一人のミスとも言えない。ともかくやたらと仕事の段取りの悪い職場で、しかもミスが起きれば責任のなすくりあいという殺伐としたところなので、まあ、責められりゃスイマセンとあやまっといた方がお互い傷は広がらない。 でもこういう態度取ってるところが「無責任」に見られるわけなんだよなあ。以前、偶然この日記を上司が見て激怒してたが、図星指されて怒ってんだから果たしてホントに無責任なのはどっちなんだか。 この日記を「エンピツ」に移転させてしばらく経つけれど、もういい加減で元に戻したいのだ。けど、まだまだもちっとホトボリ冷ましとかないといけない状況が続いているんで、愚痴はこのへんにしとこう。
しげ、今日は劇団の練習があるから、送りはできても迎えはムリかもよ、と言ってたのだが、夕方6時頃になって、鴉丸嬢をクルマに乗せて迎えに来てくれる。 「アンタ、今日ビデオの録画とか有る?」 「……『ナジカ』があるけど11時過ぎだよ」 「じゃあ、其ノ他くんちに付き合わない?」 「いいけど、なんで?」 「其ノ他くん、バイク買ったんだって。それを見に行くの」 それだけかい。でもまあ、それだけのことでちょっと会おうかってなれるのがトモダチってことなんだろうなあ。 でも付き合うのはいいのだが、其ノ他くんちは実はすごい山の中にあるのである。街灯もまばら、目標ブツはなし、果たして初心者のしげに辿り付くことができるのかどうか。 鴉丸嬢がナビをするのだけれど、これがまた凄まじい。 「そこまっすぐ行ったらあ、左に看板っぽいものがあるからあ、そこの道らしいところを曲がってえ」 「看板っぽいもの? 道らしいところ?」 「多分病院か何かの看板なんだけどぉ、ほっそ長いの。で、道があるんだけどぉ、奥の方にあってわかりにくいの」 なるほど、実際そのあたりに行ってみると、道の左脇が横に広がって広場のようになっていて、その奥に看板と細道が出ている。でも「ぽい」とか「らしい」とか、もちっとわかりやすい説明ができないものか。 ともかく、なんとか十数分かけて其ノ他くんちに到着。
其ノ他くんは仕事から帰ったばかり。ひとっ風呂くらい浴びたかろうに、わざわざ庭に連れ出し、バイクの鑑賞会。 ガタイはでかいが車輪は小さく、実は50CCだとか。本人は免許取りたてて怖くてご近所以外にはまだ乗って行ったことがないそうだ。 兄ギミの藤田真也くんにも久しぶりに会えるかと思ったのだが、どこぞに出かけて遊び呆けているらしい。いろいろとヒトとしての道を踏み外していることを弟の其ノ他くんから聞く。さすがにここには書けないが、鴉丸嬢曰く、「落ちるんならもっと別の方に落ちればいいのに、あっちに落ちたら面白くない」 ……いや、弟くんの前でそれを言うのはちょっとキツイんでないの(+_+)。
ひとしきりバイクとクルマを見せあって、外は寒いので中に移動。 いや、いつまでも外でダベっていて、しかも芝居の練習まで庭で始めようとしたので、いくらなんでもそりゃ近所迷惑と、其ノ他くんちの部屋を借りることにしたのだ。 今度の芝居ではダンスのシーンがあるのだが、そこんとこの息がイマイチ合わない。なにしろ、鴉丸嬢、其ノ他くんと見詰め合っただけで吹き出しちゃうのだ。恋人同士だから照れるのはわかるけどさあ、と言ったら、誰とでも見つめ合うのは苦手なんだそうな。でもそれじゃ役者ができないじゃん。 逆に其ノ他くんは全く無表情で見つめることができる。 「……どうして笑わないの?」 「根性」 まあ、そうだわな。
ひと通りダンスの型を決めるが、鴉丸嬢が腰を捻って痛がるし、動くたびに「○○○○○○!」と淫らなことを口走るので(^_^;)、適当なところで切り上げる。あとは四方山ばなしに花が咲く。 其ノ他くん、ウメ味のお茶が好きということで、実際に湯呑の茶に梅干を入れて、爪楊枝で丹念につぶして溶かしていく。……若いのになんだかえらくご隠居風だ(^^)。いや、こういう庶民的なのって好きだけどさ。 鴉丸嬢も『サイボーグ009』にハマった由。けど、彼女もそうだが其ノ他くんも、旧シリーズはおろか新シリーズを再放送で見たこともない世代。20代前半でももう石森章太郎はダメなんだなあ。 やっぱりアニメの再放送は始終テレビで5時6時台にやってくれてないと、文化の継承ってのはできないんである。
8時過ぎ、鴉丸嬢を自宅までお送りする。 後部席に座ってグデッとしてたら、助手席の鴉丸嬢が珍しくマジメな声で、 「あ、ちょっと言っとこうと思ったんだけど」と声をかけてくる。 「……何?」 「今度、エロマンガでデビューしようと思ってるんだけど」 「へえ? 持ち込み?」 「ううん、応募」 「そりゃいいね。そっちの方がデビュー早いし、実力はつくし」 「で、話は○○○○○○○○○○○○○○にしようと思うんだけど」 「いや、それは○○○○○○○○○○○○にした方がいいんじゃない?」 ……これ以降は、どうせ伏字だらけになるのでやめとこう(^o^)。 けど鴉丸嬢、若いだけにストーリー作りは多分に荒削りだけど、絵の実力はプロ級なんで、デビューの可能性は充分あると思う。 「触った時の皮膚感というか、感触が感じられるような絵が描きたい」なんて言ってるのも頼もしい。エロマンガの本質がちゃんとわかってる発言だ。 『快楽天』あたりを狙ってるそうなんで、もし数年後に「鴉丸誠」という名前を見かけることがあったら、ぜひ買ってあげてください。本人は純でスケベな美人です♪
帰りが遅くなった上、ぶっくたびれていたので、日記も書けず、『ナジカ電撃作戦』もビデオを仕掛けたまま、そのまま落ちる。 更新が遅れるとそれだけあとでヒイヒイ言う目にあうのだが、いたし方もない。
マンガ、横山光輝『伊賀の影丸 邪鬼秘帳の巻(上)』(秋田書店・300円)。 『伊賀の影丸』も多分全巻は読んでないんだよなあ。 秋田書店刊行のサンデーコミックスの類は、子供のころたいてい貸し本屋で借りて読んでたから、手元にあるやつはごく少ない。あってもたいてい親に捨てられた。手塚治虫の『W3』や『どろろ』、石森章太郎の『サイボーグ009』、赤塚不二夫の『おそ松くん』、楳図かずおの『猫目小僧』と言った一連の作品も、全て貸し本で読んでたんで、単行本で買い揃え始めたのもずいぶんあと。『おそ松くん』は巻数が多すぎて、未だに買えていない。絶版になってるのも多いし、発行されてても『どろろ』や『009』は差別用語に引っかかる部分は削除訂正がされてるし、今となっては手に入らないものも多い。 『影丸』も阿魔野邪鬼の話はいくつか読んだ記憶があるんだが、ラスト、結局影丸は邪鬼を倒せたのかどうか。ご承知の方は多かろうが、この「不死身の邪鬼」のもとネタになったのは、山田風太郎の『甲賀忍法帖』に登場する薬師寺天膳である。こいつを倒すのにはもう一つ上を行く一種の超能力と言ってもいいワザが必要だったのだが、影丸にそんな能力はない。結末を知りたいが、どうやら現行の単行本はどれも「不完全版」らしいのである。 完全版が出るまではと待ち続けて30年、いい加減で「横山光輝全集」が企画されてもいいと思うのだが、作者がイエスと言わないのだろうか。
今回の話も、影丸最大のライバルたる邪鬼の面目躍如、秋月藩乗っ取りをたくらむ黒木彈正の配下として暗躍しつつ、秘密を知るものとして密かに彈正に雇われた忍者集団土蜘蛛党とも渡り合い、そのウラをかいていく。 ただ不死身と言うだけではない知者なのだ。そこに幕府隠密の影丸も絡んでくるのだけれど、実質的な主役は影丸ではなく邪鬼。いや、この権謀術数、二転三転するストーリー展開、たとえこれがいくつかの先行作品を参考にしているとしても、40年以上も前のマンガとは信じがたいくらいだ。 やはり40年前に『伊賀の影丸』は東映で、松方弘樹主演で映画化されているが未見のまま。LD出た時買っときゃよかったかなあ。阿魔野邪鬼は山城新伍が演じてたそうだか、見ないで言うのもなんだがミスキャストだったんじゃないか。ちゃんと不死身にしといたんだろうか。
2000年11月08日(水) チンジャオロースって漢字変換できねー/『家出のすすめ』(寺山修司)
| 2001年11月07日(水) |
暗号解読/アニメ『ヒカルの碁』第五局/「西原理恵子のご託宣ポストカード」ほか |
オタアミ当日まであと17日! 17日しかないのだ!
今日はどうやら仕事上、ちょっとポカをやらかしたらしい。 らしいってのは、そのミスに気付かないまま帰っちゃったので、手違いに気付いたのが翌日になったから。ミスの中身はどんなのかってーと、ある仕事の担当になってたんだけど、見事にそれをすっ飛ばしてしまったのだ。 原因はまあ、予定表にあったスケジュールを私が見落としたってことなんで、悪いのは私なんだが、始末に悪いのは、何度も表を見て確認しておきながら、それでいてミスったってことなんだなあ。 ただねえ、ちょっとだけ私も言い訳というか、文句言いたいのはねえ、そのミスした原因ってのが、「私の名前が書き間違えられてる」ってことにあったわけよ。 私はこの日記やネット上では有久とか藤原とか名乗っちゃいるが、これはどちらも本名じゃない。私の本名は、日本でも珍名に属する名字なんで、ウチに来る配達物の半分くらいは文字を間違えて送られてくる。 もう何十年も間違えられ続けているので、もう慣れっこになって腹を立てたりすることはなくなったけど、ただでさえもともと視力が弱い上に誤字までされちゃうと、「これは自分のことだ」って認識できないこと多いのだ。 それがあるから、私も注意に注意を重ねてるつもりなんだけれど、やっぱりミスが起きるときは起きちゃうんだよねえ。まあ、すごいミスってわけでもなかったから、一応、フォローはできたけどさ。
それにしても、怒りはしないが、未だに名前書き間違えられると、淋しい気分にはなる。二十年来の親友に名前書き間違えられた時には、さすがにちょっと二、三日は落ちこんだし。 一時期、本気で拗ねてた時期には名前書き間違えた相手にはこちらも相手の名前をワザと誤字って返事出したりもしてたんだが、もっと淋しくなってやめた。 ……え〜、知り合いのみなさん、私から手紙貰って、「名前が違うじゃん!」と怒った経験がおありの方、実はそういう事情があったんです。子供っぽい真似をして申し訳ありませんでした。すみません。 今はもう、間違えられやすい名字の家に生まれた不運だと言うしかないなあ、と達観してますです。
でも、世の中不思議だなあ、と思うのは「名前が違いますよ」と言っても「すみません」と謝りもせず、やはり、間違いのまま押し通す人がたまにいることだ。 (例) 「いやあ、吉田さん」 「……私、山田ですけど」 「ああ、そうでしたね、吉田さん」 「いや、だから山田ですってば」 「それはどうも吉田さん」 「……」 冗談みたいだが、相手が珍名であるかないかに関わらず、こういう人は実在するのだ。多分、脳の回路が、一度インプットした情報の修正をとことん嫌っているからなのであろう。 で、日本人の数%は確実にこの類の人間だ。筆頭は誰もがこの人を想起するであろう某「ミスター」(^_^;)。
6日、イギリスの劇作家、アンソニー・シェーファーが心臓発作のため死去。75歳だった。 ミステリ作家の実力を評価する基準として、小説にしろ戯曲にしろ、その表現形式をいかに熟知して利用しているかってことを見る必要があると思う。 そう考えると、この人の『スルース(探偵)』は、「舞台だからこそ」成り立つ作品だったと断言できる。本作はローレンス・オリヴィエ、マイケル・ケイン主演で映画化されたが、実はその「舞台だからこそ生きる」トリックが、映画では完全に死んでしまっているのだ。 この舞台ならではのトリックがどれだけ凄かったかというのは、一昨年、劇団四季が福岡で日下武史、下村尊則主演で公演されたものを見た観客の中に、芝居が終わって全てのトリックが明かされてなお、その真相に気付いていない者が多数いたという事実でも証明できよう。ロビーに出てきた観客がペチャクチャ喋ってるのを聞いてると、ホントに殆どの人間がよくわかってなかったりするのだ。なにしろ、私と一緒に見に行ってたUさんも、私が解説するまで、自分が騙されてたことに気付いてなかったものなあ。 更に言えば、この『スルース』を上演するなら、できれば四季とかそんなでっかい劇団じゃなくて、ホントに小さな、メンバーの確保すらままならないようなごく小人数の劇団でやった方が観客が引っかかる確率が弥増すのである。映画版のオリヴィエとケインじゃ、もうかえってバレバレ。でも、私も最初に舞台で見ていたら、見事に騙されてたかも知れない。 トリックを明かさないでこんなこと書くとどんなんだか気になる人もいようが、ミステリの作法として、真相は明かせないので、未見の方はどうかご容赦。でもこのトリックは形を変えて、押井守が殆どの自作で使ってます。……あのヒト、ホントに演劇マニアだからねえ。 あ、ネットで検索して、スジを書いてる人いないか探してみてもムダですよ。確かに本人が真相だと思ってること書いてるヒトも何人かいたけど、やっぱり肝心要のトリックについてはみんな騙されっぱなしだったから(^_^;)。
なんやかやと、この『スルース』一作で語られることの多いシェーファー氏だけれど、映画の脚本も多数手がけている。 新聞記事にはアルフレッド・ヒッチコック監督の『フレンジー』しか紹介されてなかったが、あのアガサ・クリスティー原作、ピーター・ユスティノフ主演によるエルキュール・ポアロシリーズ『ナイル殺人事件』『地中海殺人事件』『死海殺人事件』三部作の脚本を担当していたのが彼。前作のアルバート・フィニー主演、ポール・デーン脚本、シドニー・ルメット監督の『オリエント急行殺人事件』が本格ミステリ屈指の傑作だったために、どうもこの後期のシリーズは過小評価されがちなんだが、それは主演が原作のポアロのイメージから程遠いのと、監督が二流に落ちたせいで、脚本そのものはキッチリ本格ミステリしてくれていて悪い出来ではない。 ただ、あまりにもキッチリとセオリーを踏んで観客に対してフェアに臨んでいるせいで、『スルース』のような表現媒体そのものをトリックに利用するような大ワザは使えず、ちょっとミステリに馴れたヒトなら、犯人もトリックもすぐにわかってしまうというちょっとした欠点はあった。このへんのDVDも既に既発なんでほしいんだけど、ビデオはもう持ってんだよなあ。 あと、『アマデウス』の劇作家ピーター・シェーファーとは双子の兄弟。『アマデウス』も一種のミステリとして見れるし、二人揃って相当なマニアだったのだ。年を召していたとはいえ、残念なことである。
今日もなんとか早目に帰れる。 帰宅してテレビをつけたら『スクライド』のラストのあたり。 しげはどういうわけかすっかり疲れていて、一緒にアニメ見ようかと誘ってもノってこない。 こないだからしげは「今一週間で楽しみにしてるアニメは『ナジカ』と『テニプリ』」と言ってたから、てっきり一緒に見るもんだと思っていたのに、アテが外れた。 初めから一人で見ると思ってみるのと、二人で見るはずが一人になって見るのとではこちらの気分のノリも自然と違ってくる。なんだかいつも以上にちょっとしたセリフの陳腐さが気になって、なかなか楽しめないのであった。
アニメ『シャーマンキング』第十九廻「2人のビッグソウル」 負けたらシャーマンキングへの道が閉ざされてしまうっていうのに、葉はいつも通りのんびりした態度。まん太があせってせっついてもどこ吹く風ってのはもとからの葉のキャラクターなんだろうけど、相手になる道蓮の方が「俺は絶対シャーマンキングになる!」なんて必要以上に力んでるんじゃ、初めから勝負はわかりきってるじゃないの。盛りあがらないよなあ。 飄々としてるけど強いってキャラクターを主人公にするんだったら、基本的に対決ものは御法度なんである。弱そうに見えて強いってのがその魅力なんだから、階梯を一歩一歩上がって行くような「努力もの」とは水と油じゃないか。こうえいうところ、何でも対決ものにすりゃウケるという「ジャンプ」の手抜き編集ぶりが露骨だ。月影兵庫みたいに放浪ものにした方がずっとキャラが生きるのに、どうしてこう同じような展開ばかりさせるかなあ。 ああ、あと細かいとこだけど、「摩多霊園」ってネーミングセンスはなんとかならんのかな、ギャグマンガじゃないんだから。
『テニスの王子様』を見ている間に、ウトウトして私も眠る。 仕事があるしげは「8時半に起こしてね」と言ってたが、つい寝過ごすところだった。しげ、ぎりぎりの時間に慌てて出かける。 『ヒカルの碁』第五局「覚醒の予感」。 うっかり寝ちゃったけれど、これはビデオに録画しておいたので、改めて見返す。女の子人気のたかい加賀だけど、私は女じゃないので関心はなし。連載当時からこのキャラ、あまりいらないなあと思ってたんだけど、物語が複雑になってる今の原作と比較すると、キャラの底の薄さが目立つ。 塔矢アキラに同情を受けたからって、将棋に走ったり「塔矢に勝った」とか感情的になって嘯いてちゃ、ヒカルのライバルとしても仲間としても座りが悪くなるのは仕方がない。キャラを立てるためとは言え、あの扇子もリアリティを完全に無くす原因になってる。スタッフもそのへんを感じているのか、キャラクターデザインが濃いわりには、加賀は原作ほどには動かない。原作つきアニメの難しいところは、人気キャラほど動かしにくくなるということだろう。
FBS『ザ!世界仰天ニュース』。 詐欺師の手口を紹介している番組だが、たいていはまあ何十年も前から使い古された、なのに今でも引っかかるヒトが多い、老人相手の詐欺ものばかり。 けど、1999年限定で香港であったという「千年蟲」事件は言わば「流行新語」を利用した詐欺で、なかなか面白かった。 言うまでもなく「千年蟲」とは「YK2」、例の2000年にコンピューターが誤作動するかも、というアレのことだったんだけど、中国人の中には「千年蟲」ってのを本当に何かの病気の原因になる虫だと勘違いしてたヒトも多かったらしい。で、「千年蟲」に効く薬を売りつける詐欺が現実にあったとか。 ……って、そのネタ、唐沢なをきの『電脳炎』にあったじゃん。日本人が勘違いするならわかるが、なんでそのコトバ作った中国人自身が勘違いしてんだよ。前々から思ってたけど、国民性なのかどうだか、中国語って、なんか大雑把で語彙力少ないよなあ。
FBS『レッツ・ゴー!永田町』。 もう何回目なのかな、初めて見たけど、現実の政治をこうストレートにパロディにしたドラマも珍しいなあ。田中角栄が首相だったころはやたら多かったけど、今こんな番組が企画されるってこともやっぱり小泉人気の表れなんだろうな。 でも、和泉首相の岩城洸一ってのはちょっと違うんじゃないかと思うんだけど、田坂外相の室井滋はもうクリソツ。いや、ベースはモノマネなんだけど、首を傾げて振り返るとこなんか、つい笑っちゃったよ。 ドラマは何となくショボそうだけど、気が向いたら来週も見てみようかな。
しげの日記がこないだから漢字変換しないままで書いてるもので、殆ど意味が解らない。 ただでさえ、文章化しないで単語を羅列するだけなのに、下手に意味のあるコトバに変換してくれるので、かえって何のことやらわからなくなるのだ。昨日のもやっとの思いで判読した。 送り。(←「自動車で私を職場まで送ってくれてたことを指すと思われる) サム。(←「寒い」だな。いきなリ外人の名前が出てきたら驚くぞ。サムと何かあったのか) ロワイヤル、本、スタンド。(←「ロイヤルホストに行って、本屋に寄って、ガソリンスタンドに行った」ということらしい) 猫の用にさまよう。(←「ように」だな) デザート作戦失敗。(←よくわからんがデザートを食べそこなったらしい) ね。(←「昼寝した」と言うことだな) 向かい。(←私を職場まで「迎え」に行ったことを指す。日本語は正確に使え) 勝つ。(←「トンカツを食った」と言いたいらしい) まま。(←「まあまあ」か? 何について言ったものか意味不明) 損だけ?(←「今日はそれだけで書くことないかな?」と言いたいのだろうか) ア、お手紙。(←どうやら私の友人から、手紙がしげ宛てに届いたことを指すものと思われる) お間ムリ。(←最初「おかんむり」かと思ったが、その友人の封書に、「交通安全のお守り」が封入されていたのだった) つける場所探す。(←車のどこにお守りをつければいいか、場所を探した、ということ) お返事書こう。(←これはそのまま) お休み。(←さっさと寝なさい)
……時間が経ったら、私でも判読できんぞ。備忘録のために始めたくせに、日記を暗号にしてどうすんだよ(-_-;)。
「西原理恵子のご託宣ポストカード」。 二日続けてサイバラかい(^_^;)。 なんでもケータイ用に描いたイラストが横長で使えなかったので、急遽ポストカードにしちゃったそうだが、まあ、一般的な感覚だと人に送れるモノが一枚としてないのがやっぱりすごいなあ。逆に言えば、このハガキを送られて怒らない人は真のディレッタントであろう。 友達に「金額でゆうと二千円くらいの友情。」ってハガキ送ったら怒るかな、とちょっと考えて、劇団のメンバーも含めて、私の友人にそんなケツの穴の狭いヤツはいない、ということに気がつき、ホッとした。私は実に友人・知人に恵まれている。 蛇足的説明だけど、この「金額でゆうと」ってのは当然「山下清」の「軍隊の位で言うと」のパロディね。 AIQのみなさんには、年賀状がわりにこの中の一枚をお送りすることも考えたが、多分みなさん、ご自分で買っていらっしゃるだろうから意味ないか。元日に「夕ぐれまでいじりたおす日。」(ナニをいじるかは自明)なんての送られたら、みなさん狂喜しそうではあるが。 悲しいことに、職場のつきあいでこういうギャグにつきあってくれそうなイキな人が殆どいない。上司に「明日はきっと今日より悪い日」なんて送ったら本気にしそうだしなあ。つくづくツマラン職場に就職したものである。 以前出してたシールもそうだけど、こういうギャグに対して喜ぶ人と顔を顰める人と、人間は確実に2種類に別れる。喜ぶ人がどんどん増えてけば、世の中ずいぶん住みやすくなるんだけどなあ。
2000年11月07日(火) 昔の映画も見よう……/『笑わない数学者』(森博嗣)
| 2001年11月06日(火) |
10年ぶりのスプラッタ/『西原理恵子の人生一年生』(西原理恵子)ほか |
オタアミ当日まであと18日! 18日しかないのだ!
オタクアミーゴス九州公演開催までもう日がない。 なのに、私んとこに「え? オタアミのチケット、まだ残ってるんですか? 買います買いますう!」と目をウルウルさせてやってくる美少女が一人もいない(来るかドアホ)。 まあ、美少女が来ないのは仕方がないにしても、せっかく公開日記登録してるのに、もうちょっとオタク度高い人いないのかなあ。ウチの劇団メンバーにもちょこちょこと声をかけちゃいるんだが、しげの宣伝の仕方がもう噴飯もので、まるでなっちゃいないのだ。 「楽しいよ〜、客がもうみんな濃くって濃くって、汗臭くて、太ってて、ウンチク垂れの、小うるさいの、もう3時間そこにいるだけでムンムンして息ができなくなるわ、馬鹿笑いされてアタマはガンガンしてくるわ、トリップできること間違いなし!」 キサマは日本のオタクを全て敵に回すつもりか。 ~凸(-~~- ) いやもう、みんな引く引く。それでもよしひと嬢だけは「行きますよ〜」と言ってくれているので、やはりウチの劇団一のツワモノだなあ、とはつくづく思うのだ。
確かに、しげがハンパなオタクを鬱陶しいって言いたくなる気持ちはわからなくはない。 私も、昔、広島アニメーションフェスティバルに行った時、座席の後ろでゲストの対談中もずっと、まさしく「サロンのバカ」的なウンチク垂れまくってたオタク連中に「うるさい、黙れ」と文句つけたことはある。 けど、それをはオタクであるかないか以前に、マナーを守れているかどうかって点を問題にしただけだ。私だってハンチク野郎には違いないんで、自分だけがモノ知ってるような態度は取れないし、ネットのあちこちで明らかにオタクそのものを敵視するような「ウザい」と吐き捨てるような言い方をすることはやっぱりできない。 なんだかんだ言っても、彼らは仲間なんである。
しげはどんなにおかしい映画や公演でも、声を出して笑わずに見るやつなので(単にステゴザウルス並に反応速度が遅いだけかもしれんが)、せっかくのギャグが周囲の笑い声で聞こえないと言うのは、腹立たしいことでしかないのだろう。けど笑いたい時に笑うなというのは無理な話だし、オタクが汗臭いのは宿命だ(^^)。それに目くじら立てるのは女に向かって「ちんちんついてないくせに威張るな」と言うようなものである。 広い心で見守っていただきたいものである。
で、当日でもいいから、オタアミにご興味あるヒト、ぜひ来てね。
今日は比較的早めに帰宅できたので、『FFU』を見ようかと思っていたのだが、しげが「腹減った腹減った」とうるさいので、諦めて外出。 「『浜勝』と『ロイヤルホスト』どっちにする?」 「どっちでもいいよ、どうせ『ロイヤル』はデザート食いたいだけなんだろ?」 「実はそうなんよ」 「で、しかも食いたいのはデザートの上のクリームだけだろう」 「……うん、そう」 「なら行く意味ないじゃん」 「だから『浜勝』でいいんだけどさ、あとで『ロイヤル』でデザートだけ食べようかって思っても、腹いっぱいになってて、いつも食べられんとよ。悔しい」 悔しいって、自分が食い過ぎなきゃいいだけではないか。いつまで経っても自制心のかけらも育たんやつだ。こいつ、婆さんなってもこんなかなあ。
「ブックセンターほんだ」で、何冊か本を物色。 「浜勝」では新発売とかいう松茸のホワイトソースかけカツ定食を食う。松茸ったって、薄く薄く切ったのが数切れ入ってるだけ、しかもホワイトソースで味も風味もまるで消されている。食感すら殆どない。……こんなんシメジでいいじゃん。 だったら頼むなとも言われそうだけど、なんか「新発売」とか「フェア」ってやつに弱いんですよ。ささやかなゼイタクをつい望んじゃうのは庶民の心理ってもんなんである。 しげは思った通り、メシを際限なくオカワリし続けている。ただ飯はいくらでも入るってことか。でもこれだけ食っても、1時間もすれば「小腹がすいたね」と言い出すのだから、全くどんな消化吸収能力を有しているのか。いつもいつも言ってることだが、しげの胃はブラックホールがバイストン・ウェルに通じているに違いない。 しげの働いてるリンガーハットの系列の店なので、社員割引が利いて六百円の得。「リンガーで食べて割引されるより、浜勝で割引してもらう方がおトクな気がせん?」としげ。 そりゃ、おまえが肉好きだからだろう。どこで何をどれだけ食おうが、割引率が同じなら、お得な率も同じなんだが、結局人間の損得勘定なんて、欲望の度合に比例するものなのだ。
コンビニに寄って、今週の「ジャンプ」を立ち読み。 『ヒカルの碁』、ついにヒカルが囲碁の世界に戻ってくる。佐為がどんな形で復活するのかと思っていたら、碁そのものに佐為が宿っている、という結末。 こう文章で書いてしまうと、あまりにも当たり前で意外性のない結果のようだが、なかなかほったさんのシナリオ、小畑さんの作画で、キチンと感動的に見せているのはさすがである。 「こんなところにいたんだ、佐為」という、ヒカルのつぶやきと涙、ダシに使われた伊角には悪いけれど、たとえ佐為の姿が消えても、この物語はこれからもやはりヒカルと佐為の二人三脚でいくのだ、という道をハッキリと示して、言ってみれば「第一部」の締めくくりとしては、妥当な終わり方と言えるのだろう。 ……それにしても、ヒカル、細くなって背が伸びたよなあ。 アニメでまだ小学生のころの丸っこくてチビなヒカルを見ているから、そのギャップがえらく激しい。形ばかりの「成長ドラマ」は多いけど、ヒカルくん、ホントに心身ともに成長してるよ。 逆を言えば、問題点はまさしくそこにあるのであって、紛れもなく「人間」を描いているこのマンガ、このまま続ければ終わりようのない物語に突入していくことにもなってしまう。人間の成長に「結末」をつけることなんておよそ不可能なことだからだ。 これまでの「成長もの」(特に梶原一騎の影響を受けた青春マンガ)は、たいてい主人公のまだ見ぬ未来への雄飛を暗示して終わるか、あるいは突然の死亡、崩壊、破滅で終わるかのどちらかのパターンでしか終わらせられなかった。『ヒカ碁』はおそらく前者のパターンで終わらせるしかないとは思うのだが、ここまで盛り上げてくれると、更にこちらの予想を思いっきり裏切るような終わり方をしてほしいとも思ってしまうのである。 無理な注文かもしれないが、そう期待したい。おそらくヒカルを追撃する新世代のキャラクターも今後は登場してくるだろうことを考えれば、まだまだ、このマンガから目は離せないのだから。
『西原理恵子の人生一年生』(小学館・1050円)。 「100%サイバラ雑誌」と銘打ってはいるが、第2号が出るかどうかは1号の売れ行き次第ってトコロがいかにもサイバラさんらしくって正直。 でもツマンナサの極地で誰が買うんだって思ってたさくらももこの『富士山』だって4号出したんだから、西原さんにはぜひともキリよく「3号雑誌」で昇天してほしいものである。サイバラさんに大ブレイクは似合わないよん。 ああ、でもホントに『富士山』の四億五千三百八十万倍は面白いぞ、『人生一年生』。 語りだしたらキリがないが、まずビックラこいたのが西原理恵子オリジナル本格焼酎の通販。西原さん自身がちゃんと試飲したってんだから、これはもう、絶対の信頼に値しよう(^o^)。 しかし凄いぜ、銘柄が「俺の武器」に「どこへ行く」だもの。ホントに飲んだらどこへ行っちゃうやら解らんぞ。ヽ(^。^)丿 ああ、でも他に上がった名前の候補で、「ぜってー売れねー」と言いたくなる「目がしばしば」とか「チルチルメチル」とかも捨て難いぞ。戦後すぐのころ、アルコール類が払底していたころ、メチルアルコールの混じった酒を飲んで、目をやられたヤツがしこたま出たって話(ホントかどうか知らんが)、知ってる人も少なくなったろうなあ。
新作マンガの『ぽぺぱにゃ』、相原コージの『なにがオモロイの?』と同じコンセプトで、『コロコロコミック』に持ちこんだり、街頭アンケートを取ったりと、実にイタイ企画をやってるんだが、相原さんの場合、本人がマジだけにギャグになりきれてないのに対して、西原さんは才能の格の違いを見せつけている。 嘲笑われること、無視されることを承知の上でやってる余裕がちゃんとギャグになってるのだ。……そうなんだよなあ、相原さんのマンガが笑えないのは、本人の「一生懸命さ」が裏目に出ちゃってるからなんだよなあ。 多分この企画、西原さんから相原さんへのエールだ。確かにマンガ家だって芸人、体を張ってナンボなんだけれど、客を構えさせちゃいけないんである。やっぱり「どうしたら面白いギャグが書けるか?」というコンセプトを提示した時点で相原さんはギャグマンガ家として死んじゃってるのだ。もちろん、その「死んじゃってる」状況を楽しむという意地悪い楽しみ方はできるんだけれども。
しげと二人で「サイバラ黒キャラ占い」をやる。 一応、卯月田麻裕って占いの先生に監修してもらってるようだけれど、多分中味は相当デタラメ(^_^;)。 「ゲッツ板谷タイプ」なんて、「俺が正義、俺が法。竜巻のように人を振り回すが、よいほうに働けばどこかのシマを束ねられる。意外とセクシーだが同性しか寄ってこない」。 ……そんなタイプ、日本中どこ探したってゲッツ板谷一人だ(* ̄∇ ̄*)。 しげは「コータリンタイプ」。 「一見腰が低い人、内心では高みから人を見下ろす、こっそり唯我独尊キャラ。究極の見栄っ張りで友達少ない」 おお、当たっている! これは意外と人間の奥底まで見ぬいているのかも! で、私はというと、「花田編集長タイプ」。 「熱しやすく冷めやすい、スーパーお天気屋キャラ。」……そうかあ? 趣味とか結構持続する方だけどな。でなきゃ40年近くも怪獣ファンやってねーよ。 「出世は早いものの、職場を転々としたりします」 出世もしてねーしする見込みもないが転職もしてないぞ。 「一度逆境にあうとそのまま挫折しやすいので道を外れないように注意しましょう」 このへんは当たってるか外れてるか判別はしにくいな。今までの人生、順風満帆と見るか逆境だらけと見るかは解釈次第だしな。しげとの結婚はどっちなんだよ。 つーか、私ゃ仕事がらみで花田さんと話したことあるんだけどな。ちょうど「マルコポーロ」廃刊の直後だったんだけど、『UNO』創刊したせいか、全然元気だったんで、意気消沈してる姿を期待した私は拍子抜け。 で、会ってみて感じたことだけど、どう考えても私とあのヒトとじゃ、タイプはまるで違うがね。 そのとき「花田さん、私の職業についてどう思いますか?」と訊いたんだけれど、「お人よしのバカばっかりですねえ。人の話、すぐ素直に信じちゃうし。少しは『疑う』という世間知を持つべきだと思いますよ。だからすぐコトナカレ主義に走るんですよ」と思いっきりこき下ろされてしまった。でもまあ、当たってるので私は全然怒らない(^^)。……考えてみたら、言う方も言う方だが、笑って聞いてる方も聞いてる方だからやっぱり似てるのか?(・・;) さて、これだけで私の職業が判った方はメール下さい。先着1名の正解者の方に、花田さんのサイン“なし”本を贈呈します♪
他にも青木雄二との「脱税」対談やら、いいかげんにしろサイバラ編集者座談会やら、まあちょっと、中味を紹介しにくい企画がてんこもり。 「絵がかわいいんだか汚いんだかわからない」と、食わず嫌いのヒトもいるかもしれないが、西原理恵子は多分21世紀を代表するマンガ家の筆頭に挙げていい実力と才能を持っている。表層的な社会現象と流行だけでしか文化を語れぬ有象無象が多すぎるせいで、いまいちブレイクはしていないのが残念だけれど。 少なくとも、西原さんのマンガを読んで、「このヒト嫌い」というヒトは「人生負け組」に入ってることは間違いないので、他人を判別するのにすごく役立ちます。ご一読を乞うものである。
帰宅して、CSちゃんねるNECOで『うる星やつら・オンリーユー』と『うる星やつら2・ビューティフルドリーマー』を見る。 この2本も何度見たかわかんないけど、間を置いてみるとホントに飽きが来ないなあ。 劇場版第一作は監督本人は「つまんない」のヒトコトで切り捨ててるけれど、それはこれが実に映画の「教科書」的作り方をしているからだろう。 導入、展開、クライマックス、オチ、ドラマツルギーもパターン通りだし、このカットのあとには切り返してこのカット、音楽はここで入れて、といった細かい演出も、実に的確。……でも逆に言えば、映画学校の優等生が作った映画って言われてもしかたがないくらい定番すぎるキライはある。つまり「破」がないし「個性」がないのだね。 映画のリズムが崩れることを承知の上で、劇場公開時にカットしたシーンを「完全版」として挿入したのも、その「破」をあえて作るためだったのだろう。その証拠に、完成度の高い第2作にもあたるが未来社会をさ迷う場面などがカットされているにもかかわらず、そちらの方は未だに復活していない。 ……でも、ホントに『ビューティフルドリーマー』は傑作だよなあ。 大学生のころ、最初に見たときには「ラムの世界の中にどうしてもう一人のラムがいるのか」ということの意味がよくわかんなかったんだけど、あれ、ラムの自己欺瞞なんだな。 つまり、マドンナとしてのラムはあくまで美しく、でもホンネの「責任取ってね」のラムは自分と切り離して見ないフリしているのだ、あの女は。……ああ、女性経験が増えるってことは、こんなわかんなくていいことまで見えちゃうようになるってことなんだなあ。大学時代の私って、なんて純でナーバスだったんだろう(^_^;)。 もちろんそれは社会的弱者たる「女」の自己防衛の手段でもあるのだけれど、映画はつまるところそういう「女」を描くものなのであるという、究極の映画論をあの世界の「演出家」たる「夢邪鬼」に語らせちゃったがために、『うる星2』は究極の映画にもなりえたのだ。 おかげで、それ以降に作られた『うる星』はテレビも映画も、全てラムと夢邪鬼の手のひらの上で動く作品に塗り替えられてしまった。『2』ほどの密度を持った世界観を持って作品を構築しえたのは、やまざきかずお監督他の人々にバトンタッチされてからあとは、わずかに『うる星やつら4・ラム・ザ・フォーエバー』1本を数えるのみである。
しげが仕事に行ったあと、肉野菜炒めを作ろうと思って包丁でタマネギを切りかけたら、見事にすべって左の人差し指をザックリ切ってしまった。抑えても抑えても血が吹き出るのが止まらない。 以前も「あんたの血、薄いね」とケロリと医者に言われたことがあったけど、なんかまたそうなってるのかなあ。 だいたい、結婚して以来、十年、指切ったのなんて、数えるほどしかない。もしかしたら初めてかも。 しょっちゅう切ってるしげとは雲泥の差なので、結構慌てる。バンドエイドを何枚張り替えて押さえても、間からジュクジュクと血が滲み出して来る。水で流したり押さえたりを繰り返して、10分ほど悪戦苦闘して、やっと血が止まるが、ジンジンした痛みはおさまらない。相当深く切ったらしいけど、治るかなあ。糖尿もあるし、新陳代謝だって衰えてるだろうから、ずいぶん時間がかかるんじゃないかなあ。 なんだかこんな小さなことですらビクつくようになっちゃった自分がちょっと情けないなあ。
2000年11月06日(月) 別に国際化したいわけでもなし/『大人の国イギリスと子どもの国日本』(マークス寿子)
| 2001年11月05日(月) |
行かなかった博覧祭/『陽だまりの樹』1〜7巻(手塚治虫)ほか |
オタアミ当日まであと19日! 19日しかないのだ!
気がつかないうちに北九州博博覧祭が昨日で閉幕。 いっぺんくらい覗きに行こうか、としげと話をしていたのだが、「パビリオンを見たい」私と「露店でメシ食いたい」しげとでは目的がまるで違うので一緒に行く意味がないのである。 行ったついでによしひとさんや塩浦さんにも会えるかもよ、とか話してたんだが、やはり「見たいもの」が本当にそこにないと、近年とみに重くなった我々夫婦の腰はなかなか上がることがないのだ。 先々月「山口きらら博」に行ったのも、偶然しげの誕生日に「オタきら」があったからで、そういうことでもない限り、そうそうこういうイベントに大枚はたいて出かけるようなことはしなくなっている。 別にトシをとってエネルギーがなくなったってことじゃないぞ(ちょっとはそれもあるけど)。出かける余裕(主におゼゼの面で)があれば、本の一冊を買うか、映画の一本を見に行くか、そっち方面にエネルギーを費やしたほうがずっと満足感が高いことはわかりきってるからなのだよ(←トミノ喋り)。
結局我々は行かずじまいだったわけだが、あれだけ200万人達成が危ぶまれていた北博、夜間割引などの効果があったか、閉幕寸前にやっとこすっとこ210万人の入場者数目標を達成できたそうである。それだけを聞くと、いかにもめでたいような感じだが、割引での達成なら、収入は予定より大分目減りしてるんではなかろうか。これをもって成功と言うのはちょっとムリがあるように思う。
ともかく、何のための博覧祭か、誰に向かってメッセージが投げかけられているのか、皆目分らない、徹頭徹尾上滑りの企画だったように思う。多分、企画者の間ではこんな会話が交わされていたことであろう。 「今度、ウチの会社でもパピリオン出すって」 「出すって、何出せばええんね」 「さあ? テーマは『響きあう 人・まち・技術』ち言いよう」 「ようわからんやん。とりあえずウチの会社が『地球に優しい』とこ見せればええんやろ?」 「あ、紙のリサイクルの流れとか、模型で見せたらええやん!」 「で、再生紙で作ったお土産売れば……」 「再生紙ノートとか」 「再生紙ダンボール箱とか」 「再生紙牛乳パックとか」 「再生紙ティッシュペーパーとか」 「再生紙トイレットペーパーとか」 「再生紙バッグとか」 「再生紙ハンバーガーとか」 「再生紙Tシャツとか」 「再生紙パソコンとか」 「再生紙呪いのわら人形とか」 「再生紙となりの女子大生のお姉さんとか」 実際に見に行ってないので、本当にどんなもの売ってたかは知らないのだが、何かヘンなものはありませんでしたか? よしひとさん。 結局「金を落としてほしい」「北九州でだって博覧祭は開ける」、それだけでぶち上げたようなシロモノだったことは行かなくてもハッキリしていた。性格がネジくれている私などは、そのパビリオンのヘタレ具合を見に行くだけでも楽しいのだが、しげはそういうのを見ていると、本気でハラを立ててしまうのである。 やはりしげの方がおカネにはがめついのだなあ。だったらたまに衝動的にムチャ高い買い物するのはやめようね。
で、昨日は東京国際映画祭も閉幕。コンペ部門のグランプリは『スローガン』だそうな。『羊のうた』は見事に落っこっちゃったみたいだが、ううむ、加藤夏季の神通力(んなもんあったんかい)、審査委員長のノーマン・ジュイソンには通じなかったか。まあ、男臭い映画ばっかり撮ってた人だからしゃあないと言えばしゃあないかなあ。 そんな中、石ノ森章太郎原作の『化粧師 KEWAUSHI』が最優秀脚本賞を受賞している。あまり期待してなかったんだけど、意外な拾いものになってるのかも知れない。福岡まで果たして流れてくるかどうか。
今日も残業。しかも7時過ぎまで。 「5時には終わるよ」としげを待たしてたのだが、まさか2時間も待たせることになるとは私も思ってもみなかった。 怒って先に帰っちゃうかなと思ってたのだが、今日は終日雨で、私をほったらかしてはおれなかったらしい。 一応優しくしてくれてはいるようだが、頼んでおいた洗濯はきれいさっぱり忘れているのだ。本当に、いっぺんにいくつものことはできないやつなのだなあ。
晩飯はウチの近所のマクドナルドで、グラタンバーガーのスーパーバリューセット、しげのオゴリ。おカネが入るのにもうちょっと日にちがかかるので、ここしばらくはしげにたかるしかない。だいたい私としげの立場はそのときサイフに入ってる金額の多寡で決まるので、今日明日なんかは私はしげに頭が上がらない。 店内に置いてあった『SPA!』の10月10日号を斜め読み。 鴻上尚史さんの連載『ドンキホーテのピアス』は、『ファントム・ペイン』関連のことについて。 鴻上さんは十年の封印も「劇団の力を信じて」のことだと言う。ああ、こういう物言いが、鴻上さんの「青春野郎」なところなんだよなあ、とは思う。 もちろん劇団の可能性を私だって否定したいとは思わないが、「劇団内での体験したくもない人間関係のドロドロも覚悟すべきだ」という言い方は、二重の意味で傲慢だ。 一つは、これが若い、これから劇団を作ろうって人に向けて語られてること。あのね、これからそういう苦労をしそうな役者さんたちに対してはね、「何も忠告なんかしないで黙って苦労をさせること」が一番の親切なの。言わずもがなのことを口にしてるってことは、自分が苦労したことをひけらかしてることにしかなってないんだよねえ。 もう一つは、そんな人間関係のドロドロなんて、別に劇団だけに限った現象なんかじゃないってこと。あたかもそういう苦労が演劇だけの苦労のように言い放つってのは、ただの特権意識だ。 つまり、鴻上さんは本当に演劇のことだけをひたすら考えてきて、本当に真面目に考えてきて、自分たちが面白いものだけを作ろうとしてきて、で、結局、自分たちだけが面白がってるものしか造れなくなっちゃってることに気付いていないのだ。 ああ、これじゃ役者たちの「声」が客席まで届かないのは当たり前だなあ、となんか淋しくなってしまった。なんだかんだ言いながら、鴻上さん、演劇界の最前線にいることは間違いないのに、それがこのテイタラク? 封印にどれだけの意味があるのかなあ。
関係ありませんが、チキンナゲットのソース、私はマスタード派、しげはバーベキューソース派です。昔は私もバーベキューソースの方が好きでしたが、あの甘ったるさが気に入らなくなってマスタードに変えてしまいました。 バーベキューソースで食べるやつなんて、お子サマだと思うんですが、いかがでしょう。
ここ数日、日記の更新が滞っているのだが、なぜかアクセスしてくる人は少しずつ増えてきている。たいていはgooやGoogleからなのだが、今日、妙なところからアクセスされていたので、ちょっと吃驚した。 名前はあえて明かさないが、某巨大掲示板からのアクセスである(バレバレやな)。 この日記、私が読んだ本、見た映画などについて、ホントに遠慮ナシに好き勝手な事を書いているのだが、そのうちの某映画についてケチョンケチョンに(と言うほどでもないが)貶した文章に、いつのまにかリンクを張られていたのだ。 他にもその映画に関する記事などにリンクは張ってあるのだが、その中で批判的なことを書いてるっつーか、揶揄しているのは私一人である。 そう言えば以前、この日記にその映画のタイトルで検索かけてた人がいたが、さてはその人のしわざか。どこの誰かは知らないけれど。 もちろん私に許可を得たりとか言うことは全くなく(仮に、貼ってもいいですか、と聞かれてたとしても、多分断らなかったと思うけど)、全くの無断リンクだが、いったい読んだ人はどんな感想を持ったのかなあ。そういう人にこそ、ウチの掲示板を利用してほしいものなんだけれど。
残業ですっかり疲れていたのだろう、最初、しげがパソコンを使い終わったらコンビニにでも行く予定だったのに、横になったらそのまま泥のように眠ってしまった。 遠くでしげの「出かけんとお?」というコトバが聞こえたような気がするが、夢かも知れない。
マンガ、手塚治虫『陽だまりの樹』1〜7巻(小学館)。 昔、雑誌連載で読んではいたが、飛び飛びだったので、まとめて読む。 やはり手塚さんがうまいなあ、と思うのは、おそらく架空の人物である主役の伊部谷万次郎、それと手塚さんの三代前の先祖、手塚良仙とが、全く違和感なく絡み合ってることだ。 ウソはホントに、ホントはウソに近づけることで虚実皮膜の境地は生まれる。晩年の手塚さん、そんなハイレベルにまで辿りついていたんだろうか。 前、読んだときも気になってたんだが、徳川家定とハリスの会見時、家定がいきなり横を向き、床を踏み鳴らすと言う奇矯な行動を取るのだが、それを「黒子」への合図、と書いたのは手塚さんの推理だろうか、それとも文献に証拠が残っていたのだろうか。
2000年11月05日(日) 「小鹿のバンビは」って歌は日本版だけ/アニメ『バンビ』ほか
| 2001年11月04日(日) |
デリケートにナビして/映画『紅い眼鏡』/アニメ『ターザン』/アニメ『サイボーグ009』第4話ほか |
オタアミ当日まであと20日! 20日しかないのだ!
せっかくの休みなので、午前0時から、眠らずにそのままCSチャンネルNECOで押井守特集、『紅い眼鏡』と『TALKING HEAD』を見る。 もちろんどちらも初見ではないが(劇場で見たかったが、どちらも福岡には来なかった。当時は押井守も超マイナーである)、ビデオ、LDになった途端、繰り返し見て、すっかり押井守フリーク度を一気に跳ね上げさせてしまった快作である。 いやあ、『紅い眼鏡』では、千葉繁さんの熱演はもちろんのこと、玄田哲章さんの意味なしダンス、チャイナドレスも艶やかな鷲尾真知子さん、猫印が似合う田中秀幸さん、リアルな立ち食いのプロぶりを魅せてくれる天本英世さん、なんと言っても、世界映画史上に残ると私が断言して憚らない兵藤まこの妖精もかくやの超絶的な美しさ。こんなにオタク心をくすぐってくれる映画も滅多にない。日本映画ベストテンを選べと言われたら、やっぱり私ゃ『紅い眼鏡』を入れちゃうなあ。 今、見返して気がついたこと、これ、映画のワク組というか、「状況」だけで成立させてる映画なんだね。何しろ、百々目紅一がこの街に「帰ってくる」という「状況」はあるのだけれど、「なぜ帰ってきたのか」は一度も語られない。主人公の「行動原理」が描かれない映画なんてフツー、ありえんわ(^_^;)。もちろんそれは押井守の確信犯的演出なのだろうけど。 押井守を語るのに、「繰り返される時間」とか「夢」とか「今いる現実の不確実性」とかいろんなキーワードがあるのだけれど、これ、実はモチーフ(素材)ではあるけれど、テーマ(主題)ではないのだよ。「愛」だの「正義」だの「平和」だの、テーマがなきゃ映画は作れない、あるいは作っちゃならないなんて考えてる連中は、映画をテーマに従属させてるだけだ。 映画は映画そのもので成立する。それを示してくれるから押井守は面白いのだ。
あ、ちなみに「TALKING HEAD」ってのは、映画の登場人物が観客に語りかけてくるかのように見せるために真正面から顔だけを撮るショットのことです。だからこの映画のラストも「TALKING HEAD」。『アヴァロン』もそうでしたね。 NECOの押井特集、このあともまだ『宇宙貨物船レムナント6』と続くが、これは厳密には押井作品じゃない。監督は万田邦敏という人、押井さんは「総合監修」という肩書きだけれど、実際には殆ど名前を貸しただけらしい(「レムナント」って命名は押井さんだそうだけれど。「面影」とか「名残」って意味だけど、押井さんは「残りもの」とか「端切れ」ってニュアンスで付けたようだ)。それなら『ケルベロス』を放送した方がよかったろうに。押井さん自身、この映画については「日本人が本格SFやるのはムリだ」と言いきっちゃってるんだよねえ。
夜が明けても朝っぱらから住んでるマンションの会合。議題は築10年を迎えるマンションの大規模改修工事の件。 しげと結婚してすぐに新築のこのマンションに入居したので、結婚10周年ってことにもなるんだなあ。しげは「あんたと知り合って、もうすぐ人生の半分以上になるよ」なんて言われると、自分もえらく年取ったような気分になるが、実際この10年で白髪は増えるわ、髪自体が薄くなるわ、肌の張りはすっかりなくなるわ、だいたい日々の生活で無理が利かなくなるわで、中年化どころか老人化はしっかり進んでいるのである。 人間って生き物なのだなあ、ということを自分の体で実感する毎日、そのうち目もつぶれ身動きが取れなくなるのもそう遠い将来ではない。それまでできるだけ読みたい本を読み、見たい映画を見てたいものだ。 って、実際そうしてるけど。
で、そういう生活を志してる身に、マンションの会合なんて時間の浪費に過ぎんのだが、改修工事の話なら顔を出しとかないわけにはいかないなあ、とマジメに出てみたのだが、出席者は50世帯くらいあるうちのわずか10世帯程度。 しかも、「なんでこんなに出席が悪いんだ」と延々一時間も怒鳴り続けるオッサンが一人いてうるさいのなんの。 実際、この十年、この人は同じことばかり言ってて、逆にそのせいで人が集まらなくなってんだけど、その自覚がないんだよねえ。そのくせ「こんなに人がいないんじゃ、協力はできん」とか抜かしてやがる。自分にもとからやる気がないくせに人のせいにしてんだもんなあ。
ああ、こんな下らん会合のせいで、日曜の朝のアニメ、全部見逃した。もう二度と出んぞ、くそ(いや、出ないわけにはいかないのだが)。 疲れきって部屋に戻った途端、睡魔に襲われて寝る。 しげはとうの昔に練習に行ったらしくて部屋には不在。しげはこのマンションの会合に絶対出ようとしないが、私だって出たくて出てるわけじゃないのに、イヤなことは全部を私に押しつけてるんだものなあ。少しは私の苦労も肩代わりしてほしいものだ。
昨日WOWOWで放送してたのを録画してたディズニーアニメ『ターザン』を見る。 どんなに酷いアニメかと思ったら、それ以下だった(^_^;)。 ……なんだあのターザンのキャラデザインは。『グレイストーク』のクリストファー・ランベールのまんまじゃないか。これは盗作にはならないのか。で、ターザンと言えばあの雄たけびの「ア〜アアアア〜、アアアア〜」だけど、これはジョニー・ワイズミューラーのころのものをそのまま使用。……版権はちゃんと取ってんだろうな。ディズニーアニメは数々あれど、ここまでバチモン臭いやつはさすがに初めてじゃないか。 更に文句をつければ、映画の背景に白人至上主義があることはミエミエである。 騙されちゃいけないのは、アメリカ人たちがこういう密林ものを映像化するときにジャングルを蹂躙する悪役の白人を配置するのは、自分たちの差別意識を糊塗するための姑息な手段に過ぎないってことだ。 「オウ、ワルイノハ、ジャングルミダスハクジンノホウデース、ジャングルノケダモノタチ、ジユウニサセナケレバイケマセーン」 てめーらに言われなくたって、もとからジャングルは自由なんだよ。だいたいそのジャングルの獣たちを擬人化して白人の演技つけさせてるのはなぜなんだ。ケモノたちも白人並に知性があるから殺しちゃいけないとでも言いたいのか? で、ターザンの方には逆に四つんばいさせたりして、ゴリラ的演技をさせてやんの。……骨格が違うから、そんな動きはできませんって。 「ワタシタチニンゲンモー、ケダモノタチノォ、ナカマニィ、ナレマース」ってことかよ。この、「未開のものに阿って摺り寄る」態度のイヤラシさはどうだろうね。 要するに白人の方がえらいと内心思ってて、他の民族や動物たちを「低いもの」と見なしてるから、そういう腐れた演出をつけちゃうのだ。昔のジョニー・ワイズミューラーの時代だってそこまで酷い演出はしてないぞ。 ……いやもう、ゴリラたちが人間っぽいしぐさするたびデザインがリアルなだけに気持ち悪くて。 子供向けアニメが動物を擬人化するときは、そのデザイン自体をカリカチュアするのが普通だ。ミッキー・マウスはそうしてるのに、なぜ『ターザン』ではそれをしないのか。ディズニースタッフ、頭の中がウニになってんじゃないのか。 ……ま、原作のバローズのファンや、昔の映画のファンは見ないほうがいいよな。 基本的にアニメが何かわかってないスタッフが作るとディズニーアニメが出来あがるのだ。っつーか、ディズニーがアニメで出来のいいの作ったことなんて殆どないけど。 ウォルト・ディズニーは今年生誕100年だそうだが、私ゃ坂妻生誕100年の方がよっぽど意義があると思うぞ、いや、マジで。
夕方、しげが穂稀嬢を連れて帰ってくる。 気がついたら穂稀嬢、延々とエロばなしを3時間(^_^;)。いやもう、とても内容はここには書けないっス。早いとこ独立してパソコン買ってネットやれよう。上を下へのくんずほぐれつの文章、ネットに流したら、ヘンなファンがつくこと受けあいだぞ(^^)。 でも、穂稀嬢の彼氏はと言えば、穂稀嬢にもっと清純でいてほしいそうである。けれど、それはちょっと無理な相談だと思うのだが。いや別に穂稀嬢が汚れてるって言いたいわけじゃないけど(^_^;)。
アニメ『サイボーグ009』第4話「死闘の果てに」。 原作ファンには先刻ご承知の0010の設定だが、先週の予告編でもちゃんと隠してくれていた。こういう細かい配慮も、今回のアニメ化が決定番と言いたくなる根拠の一つ。 001が睡眠中、009が負傷中という中で、残りの00ナンバーサイボーグたちが一致協力して0010に立ち向かい、あわやというところまで追いつめる描写は、原作にないオリジナルだが、これがもう盛りあがること盛りあがること。 樹木の間を縫うように移動することで、0010の加速装置の効果を減殺し、空中に飛び出したところをすかさず攻撃、海に叩き落して電撃をも使えなくする。ああ、なんてチエのあるシナリオ! シナリオにはやはり知性が必要なのだ! そしてそこでついに0010の秘密が明かされ、それからは原作通りの展開になるのだが、このつなぎが実にスムーズで違和感がない。 ちゃんと原作の名セリフも使ってくれてるんだから、ねえ、おいちゃん!(だれや) 原作の換骨奪胎の見本のような展開は、もう生きてこのアニメが見られてよかったと言いたくなるほどに感激的でありました。
で、今回判明した原作にはない超オドロキの新設定。 009を看病する003が告白する。 001から004までの四人は、プロトタイプで、大戦直後に改造が行われ、そのときから彼らの時間が止められてしまったのだとか。 003が淋しく微笑んで呟く。 「……こんなおばあちゃんでがっかりした?」 009はただ黙っていただけだった。 しかし、それではいけない! 誰かが003に返事をしてあげねば! そうだ、私が代わりに答えよう! 「そんなことはないよ003、君はきれいだ! 美しい! 星よりも月よりも太陽よりも輝いているよ! 本当に眩しいくらいさ!」 何を言ってるんだ私は! ……ああ、旧知のキャラだというのにこうも簡単に転ぶことになろうたあ思わなかったぜ(^_^;)。 マジメなことを言えば、これで004のベルリンの壁のエピソードが描けるようになったってことだよな。……でも003の兄ちゃんのジャンはどうなるんだろ? 爺さんで登場させるのか? 008あたりは傭兵経験があるような設定に変えられるのかなあ。
穂稀嬢をしげの車で送って志免まで。 穂稀嬢のナビが、裏道細道を選ぶ初心者泣かせのもので、しげはしょっちゅう「くわーっ!」とか「なんだとーっ!」とか叫びながら運転している。 「あ、その道、行って下さい」 「……暗いやん」 「信号のある道、嫌いなんですよ」 「……信号のある道、選んでくれえええ!」 私もそう切に願いたい(ーー;)。 初心者ができるだけ安全運転を心がけるのは当たり前の話だが、乗ってる人間は案外乗り心地が静かなものだから、つい「運転がうまい」と錯覚してしまうのである。穂稀嬢、「彼の車に乗ってるより断然いいですよ」と言うが、しげは慣れてないからおとなしいだけなんだってば。今まで事故が起きてないのは僥倖だって面もあることを、しげの同乗者になるなら知っておいてほしいのである。 でも穂稀嬢の彼氏、そんなに運転が荒いのだろうか。なんでもサイドブレーキに助手席の穂稀嬢の手を乗せさせて、その手ごとブレーキを握って運転してるそうだけど。……危ないことなの? それって。
穂稀嬢を送り届けたあと、帰り道で「ほんだらけ」という古本屋による。 サトウハチローの『トコちゃんモコちゃん』が100円だったので思わず狂喜。でもサイフを持ってこなかったので、しげに買ってもらう。 駐車場から車を出すときに、しげ、電柱に車のケツをぶつける。幸い事故と言うほどのものではなくて、電柱にも車体にも全く傷がついていなかったが、しげはしょっちゅう後方確認を忘れているので、そのうちどこかでカマを掘られることになりそうな気がする。 あと、夜はちゃんとライトをつけようね。
先日に引き続き、晩飯は「スタミナ太郎」。 けれど前の轍を踏まぬよう、焼き肉は控えめにして、おかずを何種類も取り揃える。しかし、出物が多くて、生活費が苦しいときに限ってこうゼイタクをしたくなる心理って、一体何なんだろねえ。
マンガ、八神健『ななか6/17』4巻(秋田書店・410円)。 いや、いきなリ婦人警官の看護婦の、コスプレものに路線変更されても(^_^;)。 一応、その辺の話は場つなぎのエピソードで、後半が本編、という感じだが、そろそろななかの記憶が戻るかも、というネタで引っ張るのも辛くなってきた感じ。で、ついに雨宮さんの告白、という展開になってきたんだと思うが、マンガのセオリーから言えば、雨宮さんの恋が報われるはずはないのである。 でも、この話ほどアンハッピーエンドが似合わない話もない。もともとななかが6歳児の心に戻ってしまったのは、「人生やりなおし」のチャンスだったはずだからだ。稔二くんは、ななかだけでなく、雨宮さんも幸せにしなければならない。そうでなければこのマンガは終われない。何となく作者がそこまで考えずに話作ってないかなあと心配になるんだけど。
2000年11月04日(土) まさかあの人があんな人だなんて……
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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