無責任賛歌
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| 2005年02月16日(水) |
白い、車に、変えたのは〜♪/映画『THE JUON/呪怨』 |
書き忘れてたけど、今年のバレンタインチョコの成果、二人+αでした。 何で+αかっつーと、14日、職場の机の上に、同僚何人かから「休日の旅行の土産のチョコ」を渡されたからなのだね。こういうのは義理チョコでもないし、何と言ったらいいものか。 つまりは実質二人からなんだけれども、そのうち、一つはいつもの女房の手作り。と言っても「勝負」かけてるほかの人への「タライチョコ」とかそこまでトンデモナイものではなく、一応「見た目」は普通のチョコである。 でも中身はやはり普通ではなくて、まるで岩石のように固く固く凝縮されてるのだ。どれくらい固いかと言うと、齧ろうとして歯を立ててみても、表面にちょびっと歯先の型が付く程度なんである。 なんでそんなヘンなもんばかり作るのか、全く理解不能なのだが、これも夫として妻への愛情を試されているということなのだろうか。それとも単なるイヤガラセか。 なんとかムリヤリ噛み砕いて食ったのだが、毎年こんなんばかり作られたのでは、そのうち年を取って歯が使えなくなったら、嘗めて溶かして食うしか方法がなさそうである。 でもさあ、これが毎回ゴルフボールくらいの大きさはあって、結構デカイんだわ。いったいどれくらい嘗め続けたら溶けるものなんだか。 もう一人のチョコくれた相手が誰かはヒミツなのだが、ちゃんと女房に事情は説明してあるので、浮気相手ではありません。お返しはしなきゃならんだろうけど。全くどうしてこうしょっちゅう浮気疑惑を晴らしていかなきゃならんのかねえ。
終日雨。昨日からまた咳込み始めていたのだけれど、風邪がやや悪化。 しげが破損した車を修理に出したので、今日から代車で通勤。 車の種類なんて私には分らないが、白くて車高が低くて2ドアで、ドアはオートロックじゃなくて、カーラジオはあってもCDもMDも聞けない、「昭和の遺物」といった雰囲気の車。まあ世の中には10年、20年と同じ車に乗り続けという人もいるだろうから、こういう車が残っていても不思議はないが、代車専門に回されてるのってこういう車が多いんかね。我々デブな夫婦が二人して乗り込むにはいささか狭く、しげはドアにスカートは挟まれるわ、ちょっと手を動かすとすぐにミラーにぶち当たってか角度が変わるわ、なんだか大変なのであった。
仕事を引けたあと、具合はイマイチだったけれど、映画を見にキャナルシティへ向かう。 来週は芝居を建て続けに見る予定なので、今週中に見に行かないと見損ないそうな映画が結構あるのである。 映画はアメリカリメイク版『THE JUON/呪怨』。アメリカでは2週連続でボックス・オフィスのトップを走ったのだが、日本では『フレディVSジェイソン』の75%の出足というから、なかなか苦戦しているようである。『着信アリ2』と客層がかぶっているのも痛いか。あっちはそこそこヒットしているみたいだが。
東京のマンションのベランダから大学教授のピーター(ビル・プルマン)が飛び降り自殺した。 それから3年、福祉を学ぶ交換留学生のカレン(サラ・ミシェル・ゲラー)は、行方不明になった洋子(真木よう子)の代理で、郊外に住むアメリカ人一家の介護を手伝うことになった。そこはビジネスマンのマシュー(ウィリアム・メイポーザー)が日本で仕事をするために新たに借りた一軒家で、彼は妻のジェニファー(クレア・デュヴァル)と軽度の痴呆を抱えた母親エマ(グレイス・ザブリスキー)の3人で暮らしていた。ところが、道に迷いながらもようやくその家にカレンがたどりついたとき、中は何者かが荒らし回ったかのように散乱しており、夫妻の姿はなく、一人取り残されたエマだけがボンヤリと天井を見つめていた。 突然、二階から聞こえてきた不気味な物音に、カレンは怯えながらも押入れのふすまを開ける。そこには、青白い顔の「俊雄」と名乗る少年(尾関優哉)が閉じ込められていた。すぐにケア・センターのアレックス(テッド・ライミ)へ電話をかけたカレンだったが、ふと振り返った彼女がそこに見たものは……。 慌てて駆けつけたアレックスは、放心状態に陥ったカレンと、眠るように死んでいるエマを発見する。カレンが発見したという少年の姿はどこにも見当たらなかった。アレックスの通報で駆けつけてきた中川刑事(石橋凌)は、そこがかつて、佐伯剛雄(松山鷹志)という男が妻の伽椰子(藤貴子)と息子の俊雄を惨殺した後、首吊り自殺した家であったことを思い出す……。
オリジナル版と基本的にストーリーや設定は同じ。 アメリカ版だからといって、『ザ・リング』のように舞台をあちらに移さず、日本を舞台にしたのは一つの判断として成功していると思う。向こうの俳優さんでも恐怖の幽霊を演じることはできるだろうが、日本人ののっぺりした顔の怖さというものもあちらさんに味わってもらうには、オリジナルの佐伯一家に再々々々々登板していただくのが一番であろう。でも、あまりの恐ろしさにアメリカ公開版ではいくつかのシーンがカットされたというから、もしかしたら藤貴子と尾関優哉のあの恐ろしい顔を目にすることは叶わなかったのかもしれない。DVDリリースの際は、ぜひオリジナルの恐怖を味わっていただきたいものだ。 物語は、オリジナル版よりも人物やエピソードをいくつか整理して、よりすっきりした形になっている。時間軸がエピソードによって前後する構成は今回も取られているけれども、オリジナルでは物語をブツ切れにして散漫な印象になっていたものが、ヒロインのサラ・ミシェル・ゲラーをよりフィーチャーして最後まで物語に絡めているおかげで、かなり引き締まった出来になっている。佐伯家の惨劇を幻視するのはオリジナル版では元刑事の遠山雄治(田中要次)だが、このキャラクターを中川刑事とカレンとに振り分けて、カレンが最終的に全ての真実を察知する、という構成になっている。必然的に遠山の娘のいづみ(上原美佐)の役もカレンが引き受けることになり、最後の恐怖も……ということになるわけだ。サラ・ミシェル・ゲラーファンにとっては満足満足の一本だろう。いや、角度によってはちょっとアレなカットもあるけど、ツンとした鼻と甘えん坊な唇が可愛いっスよ。ホントの年齢は27歳だけど、いや、充分女学生に見えます。『バフィー』シリーズはあまり熱心に見てなかったけど、遅れ馳せながらファンになろうかと思いますですよ。 オリジナル版に引き続きの出演は、当然佐伯家のお三方だが、もう一人、同じ「警備員」役で森下能幸も出演。しかもオリジナル版では伽椰子の呪いで死んでしまったものが、今回は助かる。「佐伯家に立ち入った者だけが呪われる」法則に従うと、無関係な警備員が死んでしまうのはおかしいわけで、細かい点だけれどもちゃんと辻褄を合わせているわけである。 『ザ・リング』も日本映画のハリウッド・リメイクとしてはかなり理想的な形だったが、清水崇監督がオリジナルの精神に拘り、プロデューサーのサム・ライミにそれを許容する度量があったことが、本作の成功に繋がったと見てよいだろう。ほんとにねえ、すごい快挙なんだから、もちっとお客さんが入ってほしいよねえ。 え? 怖いのはダメ? いや、それほどじゃないから大丈夫ですよ。怖がり屋のしげも今度のは「そんなに怖くなかった」って言ってたから。なんだかんだでやたらホラー映画に連れて行ってるせいか、しげにも少しは免疫ができてきたみたいなんである。これでオバケ屋敷で立往生することもなくなるんじゃないかな(昔、鴉丸嬢とオバケ屋敷に入ろうとして、入口で足がすくんで動けなくなり、係員に追い出されたらしい)。
しげが今日の日記に「トイレ最長記録は17時間。まだまだいける!」とか書いてるけど、これは「外出している間、トイレに17時間ずっと行かなかった」という意味であって、17時間トイレに入りっぱなしという意味ではない。だからどうしてマトモな日本語書こうとしないかなあ。誤解されるのは自分だというのに。
2004年02月16日(月) 入院日記15/凄いぞ昼メロ 2003年02月16日(日) 事故の顛末(^o^)� 辛饌罅悒▲僖奪塑屬旅極鼻� 2002年02月16日(土) 伏字伏字伏字伏字〜、伏字大行進、ヤァ!/映画『A*P*E』/『Heaven?』3巻(佐々木倫子) 2001年02月16日(金) なりたくて病気になってるわけじゃないやい/舞台『トランス'98』ほか
| 2005年02月15日(火) |
『のび太の恐竜2006』(仮題)?!/DVD『ダーク・クリスタル デラックス版』 |
大阪府寝屋川市中央小学校の教師殺傷事件の続報。 犯人の少年、取り調べに対して、動機は「いじめがなんたら」とか「誰でもよかった」とか「殺すつもりはなかった」とか適当なことを言ってるらしい。教師への恨みが目的であるなら、「誰でも」なんて無差別に狙う必要もないわけで、やっぱりアタマがイカレてるか、あるいはどうせ未成年だから死刑になることはないとタカをくくって「自分が悪いんじゃない」ってしおらしさを演出しようとしてるんじゃないかねえ。「凶器を捨てろ」と警官に声をかけられて、素直に捨てたってのも随分ものわかりがよすぎるのではないの。人を刺しても「死ぬとは思わなかった」って殺意を否認しておけば、減刑される可能性があることをちゃんと知ってたんだと思うぞ。 昔、私も似たような事件に遭遇したことがある。通っていた学校で、「苛められた」と思いこんだ生徒が、「苛めた」生徒にナイフを振りまわしたのだ。幸い被害者の生徒はかすり傷ですんだので、警察沙汰、新聞沙汰にはならなかったが、駆けつけた先生たちが止めに入らなければ、大惨事になっていたところである。加害者の生徒は日頃から言動がたどたどしく、確かにからかわれやすいところはあったのだが、パシリにされるとか暴力を振るわれるなどの具体的ないじめはなかった。加害者の生徒は「やらなきゃいつか自分がやられると思った」と供述していたが、全くの被害妄想であった。警察に届けなかった代わりに、加害者の生徒は当然退学。「動機がどうだろうと、やったもんが悪い」と、「加害者の人権」なんぞ知るかとばかりに厳罰を処した点で、うちの学校、結構マトモだったと思う。情状酌量を考えてやらなきゃならん人間と、そうでない人間とは、明確に区別したいものである。 フジテレビ『とくダネ!』で、犯人の17歳少年の作文を紹介する際、その氏名が判読可能な状態でウッカリ放送しちゃったとか。一応、名前の部分は黒く映像処理して見えなくしていたのだけれど、処理が不十分で文字が透けて見えたということだ。とんだ不手際ではあるが、凶悪事件が起きるたびに「未成年の実名報道」についての論議が喧しい折から、「ワザとやったんちゃうか、フジテレビ」というカングリがネット上では早速展開されている。 一応、キャスターの小倉智昭キャスターが番組中に謝罪して、広報部長の遠藤龍之介氏(遠藤周作の息子さん)が「技術的なミスで、意図的なものではない」とコメントを出しているので、ワザとじゃないことは確かだろうが(ヘタすりゃ自分のクビが飛ぶのにワザとやるバカもおるまい)、これで実質、犯人の実名は殆ど流布してしまった。 私自身も、未成年であろうと凶悪事件の犯罪者を擁護するような仮名報道は馬鹿馬鹿しいなと思っちゃいるのだが、ネットのドブネズミどもの陰気な愉しみに組したいとも思わないので、「犯人の17歳の少年」と表記するに留めておきたいと思う。たとえ実名や住所を知っても、その家とか関係者にイタズラ電話やら中傷メールとかしないだけの節度のある国民ばかりならいいんだれども、ここを先途とマス・ヒステリーに乗っかって「某巨大掲示板(^o^)」に実名書きまくるような猿どもと一緒にされたくはないからである。「未成年の犯罪」が起きて喜んでやがるからな、あいつら。 ヒステリーをいかに沈静化させるか、これくらい難しいことはない。実名報道ができないのは、「実名報道しろ」とヒステリックに騒ぐやつらがいるからである。「被害者よりも加害者の人権の方が守られている」のは、「加害者の人権を優先して、被害者の人権がなぜないがしろにされにゃならんのか」と感情的に叫びたてる連中がいるからである。冷静に論議ができなければ、たとえそれが大方の意見であったり正論であったとしてもそれが規制されるなんて逆転現象も起きてしまう。 「司法」という権威主義の固まりのようなところが、低俗な「巨大掲示板」なんぞがいくら騒ごうと、それに屈するように実名報道に踏み切るなんてことはありえないよ。犯人の実名をネットに晒す行為自体が、結果的に加害者をなんとしても世間の目から隠す方向に動いてあの手この手を使って擁護する結果になってることに、なぜ2○○○ねらーは気づかんのかね。所詮は鬱憤晴らしのための感情を垂れ流してるだけで、本当に逼塞した状況を変革させていくだけの実効力を持てないところがあそこの限界だなあと思うのである。
しげが「太極拳」のカルチャースクールで、「二十四式」という紙をもらってきた。 つまりは太極拳のいろんなポーズを表しているものらしいが、名前は分かっても、肝心なポーズがどんなものか分からない。しげもまだよくは覚えていないので、聞いてもはっきりとしたことは分からない。だもんで、名前から勝手に「こんなポーズであろう」ということを想像してみた。もしかして全然違ってるかもしれないが、そこはそれ、想像は自由だから(^o^)。 まずは名前から。
1 起勢(チシ) 2 左右野馬分鬃(ズゥオヨォウイエマアフェンゾン) 3 白鶴亮翅(パイフリィアンチ) 4 左右楼膝拗歩(ズゥオヨォウロオシアオブ) 5 手揮琵琶(シオウホイビイバ) 6 左右倒巻肱(ズゥオヨォウダオジュエンゴォン) 7 左攬雀尾(ズゥオランチュエウェイ) 8 右攬雀尾(ヨォウランチュエウェイ) 9 単鞭(ダンビィエン) 10 雲手(ユゥンショウ) 11 単鞭(ダンビィエン) 12 高探馬(ガオダンマァ) 13 右蹬脚(ヨォウドォンジィアオ) 14 双峰貫耳(シュアンフォングゥアンアル) 15 転身左蹬脚(ズゥアンシェンズゥオドゥンジィアオ) 16 左下勢独立(ズゥオシィアシドリ) 17 右下勢独立(ヨォウシィアシドリ) 18 左右穿梭(ズゥオヨォウチュアンスゥオ) 19 海底針(ハイテイゼン) 20 閃通臂(シァントォンベイ) 21 転身搬攔挫(ズゥアンシェンバンランチュイ) 22 如封似閉(ルゥフォンシビ) 23 十字手(シズシォウ) 24 収勢(シォウシ)
で、以下が中身の想像。 1 起きあがって威張る。腰に手を当ててスーパーマンのポーズ。歯が光っているともっといい。 2 左右に馬がいるので、どっちの馬のたてがみを撫でたらいいか分からない。撫でてどうするんだろう。 3 白鶴飲んで熱海に行こう。酔拳である。 4 左右の膝が棒になったので、ヨチヨチ歩きしかできない。あんよはおじょず、ころぶはおへた。 5 ビーバーと言えばエアコン。そよそよと動こう。 6 カルロス・ゴーンを左右からぶっ叩いて倒す。 7 左から雀のしっぽが見える。つまり左の腋毛を見せて匂いを嗅いでもらう。 8 右から雀のしっぽが見える。つまり右の腋毛を見せて匂いを嗅いでもらう。 9 SM。 10 四股を踏む。「ウンショウ!」 11 やっぱりSM。ほーほほほほほ! 12 高いところで馬を探す。山の中に逃げこんだのである。 13 馬を探し疲れて右足を痛めた。 14 ツイン・ピークス殺人事件。死体の耳にはピアスの穴が。 15 馬は結局見つからず、左足も痛めた。 16 実は僕、左の方が大きいんです。だからパランスが取りにくくて。 17 実は僕、右の方が大きいんです。だからパランスが取りにくくて。 18 宮崎駿を左右からぶっ叩いて鼻血を出す。 19 海底に針が刺さっている。これを抜くと地球の綻びが……。 20 マイケル・ベイの作る映画はどれもこれも見てると目がチカチカしてくるということ。 21 人生をもう一度やり直そうとしても挫折が待っているだけだということ。 22 後ろも前もガードしなさい。痴漢に注意せよということ。 23 スペシウム光線。 24 笑止千万。
「ポーズじゃないじゃん」というのも多いが気にしないように(^o^)。
しげが「今日はエコ缶さんとこの練習に早めに行かなきゃならない」とか言ってたので、迎えに来てもらえないのも困るなあと思って、仕事を少し早引けした。 ところが、5時になってもしげが出かけようとしないので、「練習、行かなくていいのか?」と聞いたら、「え? 七時でいいんだよ」なんて言う。どうやら言葉の行き違いがあったらしいのだが、よくよく問い質してみると、しげは裏方だから練習には殆ど出る必要がないらしいのだ。どちらかというと、勝手に押しかけてって、好き勝手なことを言って打ち合わせを引っ掻き回しているような様子なのである。「家事ちゃんとするから」とか言ってパートも辞めたというのに、毎日のように家を空けていたのでは約束が違うのである。叱り飛ばしたらシュンとして「アンタ中心にものを考えればいいっちゃろ!?」なんて口の利き方をする。「自分の仕事が何か考えろ」ということが言いたいのに、どうしてそんな風に自分が被害に遭ってるようなモノイイしかできないのか。 結局。今日も練習には行かなくてもよかったようで、なんのために早目に帰ったんだか意味がないのであった。居残りの仕事を同僚に代わってもらって有休取ったというのに、こいつは相変わらず自分の都合でしか行動しようとしない。それで何度も劇団辞める羽目になったというのにどうしてこうも学習能力がないかな。 ケンカでゴタゴタしたんで、テレビもあれこれ見損ねた。ああくやしい。
しげは空いた時間を利用して、ガードレールに引っかいて前輪の部分がボコボコッとへこんだ車をダイハツに持っていって、代車をもらってきた。「乗り心地は?」と聞くと、「怖い」と言う。 「アクセルは効かないし、ブレーキは効き過ぎる」……でも逆だとすごく困ることになるんだが(^_^;)。
今年の春は製作されない映画『ドラえもん』だが、一年置いた2006年の内容が発表された。なんと原点がえりの『のび太の恐竜』のリメイクである。 総監督には、TVリニューアルシリーズと同じ楠葉宏三氏。監督には『帰ってきたドラえもん』などで、その演出力を高く評価された渡辺歩氏。スタッフ・キャストともに全面入れ替えということで、さてどうなることやらと不安もかなりあったのだが、フタを開けてみると前々からファンの希望も高かった渡辺氏の登板ということで、順当な世代交代だなあ、という印象である。 藤子・F・不二雄氏亡きあとの劇場シリーズの迷走ぶりを見れば、「『ドラえもん』、もう終わってもいいんじゃないか」の声も巷では決して少なかったとは言えない。ただ、アニメってのはいったん終わってしまえばそれはあっという間に過去のものとなり果てる。手塚治虫が、横山光輝が、水木しげるが、石森章太郎が、赤塚不二夫が、永井豪が、二度三度どころか四度、五度、六度、と尽きることなくリメイクされていくのは「忘れ去られないため」の手段だ。『のび太の恐竜』のリメイクと聞けば、どうせまたぞろ「旧作のイメージを壊すな」とか知ったかなことを一席ぶちたがるやつらはいるだろうが、いったいあれが何年前の映画だと思っているのだろうか。現代の目で見れば旧『のび太の恐竜』はかなり古臭い。それはアニメ技術がまたまだだった、ということだけではなく、「SFとして」見るに堪えない描写が多すぎるのである。 『ジュラシック・パーク』を見たあとでは、ティラノザウルス・レックスが「二足で直立歩行している」というのは明らかに「おかしい」と分かる。それどころかプテラノドンは「羽ばたいて」飛んでいる。いや、そもそも『のび太の恐竜』というタイトル自体がまずい。フタバスズキリュウは、海棲爬虫類ではあっても、「恐竜ではない」からだ。なつかしアニメとして見る分には構わないが、現代の子供に見せるには不都合な部分が多々あるのである。 もしも藤子・F・不二雄氏が存命であったなら、SFに拘りのある氏のことだから、何らかの形で『のび太の恐竜』をリテイクすることは充分考えられる。数々のマンガで「ネッシー」を実在の存在として描いてきた氏は、それが完全に「捏造」であったと判明した直後、アニメ『モジャ公』では謎の恐竜として「ルケーレ・ムベンベ」を出してきた。恐竜の滅亡説も新説が出るたびに作中に取りこんでいる。その時その時の最先端の科学に目を配り、それを物語に生かそうとする姿勢が藤子氏には常にあった。だとすれば、「『のび太の恐竜』をリメイクするな!」の声は、単に自分の好きな「アニメ」に執着しているだけのもので、藤子氏の「精神」に共感しているファンのものだとはとても言えないのである。 私は「アニメのファン」ではなく、「藤子・F・不二雄のファン」であるから、声優が変わろうがスタッフが変わろうが、一向に構わない。というよりも、そんなことで怒りの声を上げる浅薄なアニメファンの方にこそ腹が立つ。あなたたたちが愛しているのは「自分の中のイメージ」であって、「作品」ではないではないかと。オタクの「痛さ」ってのはそういうところにあるんだわ。 現段階では、『のび太の恐竜』がどんな出来のものになるか分からない。この日記でも何度も繰り返しているが、批評の基本は(それが感想文レベルのものであっても)「見てからものを言う」である。私もリメイク版を見てまだティラノサウルスが直立歩行してたら怒るよ。まだ一年以上先のことでヒステリックに騒ぐんじゃなくて、「不安はあるけど期待しよう」くらいの余裕をカマシてほしいもんだけどねえ。
DVD『ダーク・クリスタル デラックス版』。 え〜、『もえたん』でも「ファンタジーの傑作」と紹介されている、『ダークリ』。今更紹介するのもなんなのだけれども、「2枚買ったら1枚タダ」ってキャンペーンに応募したらタダで入手できたので、久しぶりに見返してみたら、いやあ、やっぱり面白いんだわ、これ。1983年製作というと、もう20年以上前になるんだなあ。記憶が定かじゃないが、これ多分、大学時代の夏休みだったかに、当時の彼女と一緒に見に行ってる。映画もよかったから、二人の雰囲気もいい感じになったんじゃなかったかな。ゼミの友達もすっごく誉めてたのは覚えてるんだが。むにゃむにゃ。 現在のように巷にファンタジー映画が溢れかえっている状況と違って、そのころは「ファンタジー」と言えば、あとは『ネバーエンディング・ストーリー』やら『ラビリンス』やらがあるくらいで、ファンタジーファンにとっては「冬の時代」だった。そんな中で『ダークリ』がどれだけオアシスな存在だったか。 故ジム・ヘンソンとフランク・オズが、『セサミ・ストリート』以上のマペット技術とスーツアクトで構築したファンタジー世界。善のミスティック族と、対立する悪のスケクシス族(劇場公開時の吹替えでは「スケクシー」)。長きに渡る悪の支配を終わらせるために、悪を封印するというダーク・クリスタルを求めて、か弱きゲルフリン族の生き残り・ジェンは旅立つ……。 ストーリーはかなり『指輪物語』の影響を受けているけれども、何と言っても素晴らしいのは、次から次へと現れるこの世界の住人たちの造形だ。賢人の気高さを湛え、羊と牛を合わせたようなミスティックス。直立する巨大な鴉のごときスケクシス。花沢徳衛そっくりのオーグラ(^o^)。そしまあ、人間以上に人間らしい表情を見せてくれた美しき笑みと魅惑の唇の妖精・キーラ。「萌え」という言葉が当時あったなら、絶対に「キーラ萌え〜!」なオタクどもが食玩フィギュアを買いあさっていたことだろう。そんなんなかったけどよ。 なんかねえ。こういうの見てると『ハリー・ポッター』シリーズなんかはどうにもファンタジー“モドキ”にしか見えなくて困っちゃうのよ。いやもう、ファンタジーファンを自称するなら。これを見てないというのはモグリってなもんです。マジで。
2004年02月15日(日) 入院日記14/存在の耐えられない重さ 2003年02月15日(土) 今日はケンカしなかったね/映画『スコルピオンの恋まじない』/DVD『新八犬伝 辻村ジュサブローの世界』 2002年02月15日(金) ニンニクの家/映画『がんばれ!ジャイアン!!』/『キノの旅V』(時雨沢恵一)ほか 2001年02月15日(木) 携帯綺譚/『雨柳堂夢咄』5巻(波津彬子)ほか
| 2005年02月14日(月) |
明日、あなたも刺されているかもしれません/『戦後最大の歌姫伝説 美空ひばり今年17回忌 今甦る愛・幻の絶唱』 |
今年は2月、6月と、芝居を見に上京する予定を立てたので、例年ゴールデンウィークに観劇しているシティボーイズのライブは諦めようかと考えていた。なんたって、連休中は飛行機代がめちゃくちゃかかるのである。超割り、特割りに比べて2倍、しげと二人だから、出かけて1泊するだけで一気に七、八万円がすっ飛ぶのである。とても毎月のように上京するわけにはいかない。 ところが、ついこないだまではシティボーイズのファンサイトを覗いても何の情報も載っていなかったのに、いきなり九州公演が決まったというのだ。 しげは「『ちけっとぴあ』とか『e+』のプレオーダーにもまだ何の情報も載ってない」と言うから、まさに急遽決定したものだろう。会場が北九州芸術劇場で、しかも平日のみの公演だから、偶然スケジュールが空いてるかどうかして、いっちょやってこましたろうか、ということになったのではなかろうか。 福岡から北九州に行くのにだって、旅費はかかるのだが、たかだか往復二千円のことである。今や結構見応えのある芝居は、福岡よりも北九州で上演されることのほうが多いから、その程度の出費はもう計算のうちだ。なんたって、WOWOW放送開始から15年、上京して観劇するようになってからも4年になるのだ。毎回毎回、アンケートに「九州公演行って下さい」と書き続けてきた甲斐があった。なんかもー、マジで泣きたくなるくらいに嬉しいのである。 でもなあ、まだチケット取れたわけじゃないんだよなあ。なんたって、即日完売の超人気ライブである。果たして発売日に取れるかどうか。また電話半日ずっとかけっぱなしということになりゃしないか、今から気もそぞろなのである。
夜、『ブラック・ジャック』『名探偵コナン』『世界まる見え!』『キスイヤ!』と続けて見る。どれも気に入って見ている訳ではないのに、どうして毎週チャンネルを合わせてしまうのか自分でも謎なのであるが、それが人間の不思議というやつであろう。 続く『スーパーテレビ特別版 戦後最大の歌姫伝説 美空ひばり今年17回忌 今甦る愛・幻の絶唱』。 美空ひばりの養子(本当は甥)の加藤和也と、浜田光夫の娘さんとの結婚披露宴に絡めて、美空ひばりの軌跡をたどるもの。それにしてももう亡くなって17年になるんだなあ。美空ひばりを知らない若い人もいくらでもいる時代になっちゃったんだなあ。 美空ひばりに関する番組はもういやというほど見てきていて、その神格化のされ具合が鼻につく部分もあって最近はあまり見ていない。これも「流れ」で偶然見ただけのことなのだが、まあやっぱり「美空ひばり伝説」を補強するものでしかなくて、その音楽性とか大衆性とかに本気でメスを入れようとしたものではない。本当はそれをちゃんとやらないと、美空ひばりを知らない若い人が見たときに「なんでこんなケバイおばちゃんの特集なんかやってんの?」って誤解を生むことになりかねないと思うのだが。 従来の「ひばり」特番の何が鬱陶しかったかと言うと、関係者が口を揃えたように「歌が人生でしたね」と繰り返すインタビューばかりが延々流される点なのである。「一卵性親子」も「弟の事件」も表層的になぞるだけでは“にも関わらず、美空ひばりの歌や映画が庶民の心を掴んだのはなぜか”ということが一向に分からない。 美空ひばりは、よく「昭和」を象徴する歌手として称えられるが、実際は「戦後」を象徴する歌手なのであり、「復興」のイメージと美空ひばりを切り離して語ることはできない。ハッキリ言った方がいいと思うが、昭和も40年代後半になれば、既に美空ひばりは大御所ではあっても「過去の人」であり、時代はフォークからニューミュージック、そしてアイドル全盛の時代へと移り変わっていっていた。美空ひばりが「スター」として時代と“寝ていた”時期は、戦後の20年ほどで終わっていたのである。だからこそ、NHKも「弟の事件」を理由に、彼女を『紅白歌合戦』から“降ろすことができた”のである。 しかしだからと言って、美空ひばりの価値が貶められるわけではない。妙な神格化がかえって美空ひばりの真価を見誤らせる危険があるというだけで、彼女が大歌手であることは紛れもない事実である。 それまでにも流行歌手はたくさんいたが、「歌に生き、歌に死ぬ人生」を意図的ではないにしろ、初めて社会的に“演出”したのが美空ひばりという存在であった。マスコミからのバッシングや病魔との戦いは、「私には歌しかない」という熱情を彼女にもたらしたが、それらの「物語」は後続の演歌歌手たちにこぞって“模倣”された。そしてそれは「生きるしかない」敗戦後の庶民の姿にもぴったりと重なっていたのである。その決して上手いとは言えない、聞きようによってはダミ声にすら聞こえる独特の歌声は、どんなに朗らかに歌おうともどこかに哀愁を帯びており、高額所得者に名を連ね、「ひばり御殿」と称される豪邸に住みながら、美空ひばりにはどこか「不幸」の影が付き纏っていた。それらの要素はみな、戦後復興期から高度成長期にかけて庶民が味わってきた「苦労」を体現したものとして受け容れられてきたのである。だからこそ、カツカツの生活の中で、それでも卓袱台を挟んで親子で食事をする暖かさに安らぎを覚えていた「昭和」の人々には、『柔』や『悲しい酒』が、すんなりと我が心の歌として口ずさまれていたのだ。貧乏も借家住まいも知らない現代の若い人たちが聞いたなら、彼女の歌はいったいどのように受け止められるのだろう。ダサイだろうか。お笑いだろうか。だとしたらこんなに悲しいことはない。 今回の番組にはその手の視点が悉く欠けていて、「こんな歌手がいたんですよ」程度の中身しかなく、その意味ではまるでつまらない。けれど、それでも加藤家に所蔵されていたものであろうプライベートフィルムなどが紹介されていて、息子・和也君への彼女の溺愛ぶりが、そのスキンシップぶりや笑顔とはまるで正反対に、「努力して努力して不幸から脱却しよう」と懸命になっているように見えて痛々しく、涙をそそらないではいられない。ここで哀しみを感じるか感じないかで、「昭和」を生きてきた人間かそうでないかが分別されるのである。この「笑顔の裏の悲しみ」こそが、「戦後の昭和」という時代の本質であった。「昭和」のイメージの色濃い役者たち、例えば渥美清も、中村錦之助も、「無国籍」と言われた『渡り鳥』シリーズの小林旭ですらも、実はその「悲しみ」を映画の中で体現していた。そしてそれは現代の若手の歌手や役者からは完全に失われてしまったものなのだ。 ……でも、美空ひばりと小林旭との結婚について一切触れなくなったのはなぜかなあ。どちらの家に遠慮してるのかは分からないけれども、本気で伝記番組を作る気なら、避けちゃいけないことだと思うんだがなあ。暗黙のうちに「タブー」になっちゃってるのだろうか。
夜、外出して、エコ缶さんとこの打ち合わせから帰宅したしげが、「なんかまた乱入事件が起こっとるよ」と言う。「乱入」と聞くと私はどうしてもタイガー・ジェト・シンやハルク・ホーガンやラッシャー木村を連想してしまうのだが、プロレス関係の事件ではなかった(そういう連想をする私の方がオカシイ)。 午後3時すぎに、大阪府寝屋川市初町の市立中央小学校に、包丁を隠し持った17歳の少年が侵入し、男性教師1人と女性2人を刺した。背中を刺された教諭の鴨崎満明さんの傷は右肺から心臓にまで達しており、間もなく死亡した。駆け付けた寝屋川署員によって少年は取り押さえられたが、取り調べた結果、寝屋川小の卒業生と判明した。 同じ大阪ということで、どうしても宅間守による池田小殺傷事件を想起してしまうが、今回は犯人が少年で、被害者が教師ということだからベクトルは全く逆である。「弱者」をターゲットにした宅間守に対しては世間やマスコミの怒りは容赦がなかったが、さて今回またぞろ起きた「未成年」の犯罪に対してはやはりテレビなど表だったメディアでは「犯人に対して怒りを覚える」式の発言は聞かれない。その代わり、「警備体制はどうだったのか」という、責任を何としても学校側に求めようとする論調の方が目立っている。「下校時で正門は開いたままだった」「監視モニターの前には誰もおらず、警備員も雇っていなかった」「校長・教頭は出張でいなかった」など、「学校の不手際」「安全対策の不徹底」などが取り沙汰されているが、学校側に油断がなかったとは言わないが、これって、未成年である犯人の「責任」についての言及から問題を逸らそうとしているだけではなかろうか。 実際、いくら「警備の徹底で安全対策を」と言ったところで、限界があろう。宅間事件のときだって、ああした「乱入」事件が初めてだったわけではなし、行政や教育機関、あるいは地域が、これまでの「教訓」に基づいて何か対処ができるものかどうか、どんなに真剣に対策を取ったところで、どこかに“綻び”が生まれてしまうことは否めないと思う。 今回も、初め犯人の少年は普通の訪問者のふりをして、鴨崎さんが職員室に案内しようと背中を向けたところを刺したと言う。無害な庶民のふりをされては、身を守ることなんてそうそうできることではない。フェンスを高くしようが、警備員を雇おうが、本気で隙を突こうとする犯罪者にとってはたいした障碍にはならない。佐世保の小六少女殺害事件などは内部の犯行ではないか。 ネットなどを見てみると、犯人がゲームに熱中していたからということで、そちらに責任転嫁しようとする向きも相変わらずないではないが、さすがにこの手の馬鹿意見は「煽り」的にしか見られなくなっている。少年犯罪がこれだけ異常化し複雑怪奇なものになっている現在、たかがゲームだけに原因を求めることには無理があるし、その手の意見を口にすれば大谷某のように袋叩きに合うことが誰の目にも明らかだからだ。 その大谷某は、今回の事件に関して「それよりもそういう異常な犯人が現れないような社会環境を形成していく方が重要ではないか」という意見を述べているようであるが、一見、以前よりはマトモなことを言っているようでいて、これとても実効性を考えれば無理な注文つけてやがるなあとしか思えない。社会の基本が家庭にあるとすれば、核家族化共働きが普通で子供とろくろく顔を合わせることすらできず、教育機能が崩壊している状態で、なんの環境が整えられようか。地域だって、休日に子供を受け入れる施設や交流の場を充分に設けていないのが実情である。 今度の事件の犯人も、両親は揃っているし、兄弟もいたと言うが、それでも何の対処もできなかったのだ。たとえ社会が正常に機能していても、既知外は出る時は出る。「動機は何か」なんてことを追及したって、結局、人間の心の闇など誰に解明できるはずもなく、再発防止にはまるで直結しないことはこれまでの事件が証明しているとおりである。 「集団下校だって、危ないよなあ。手当たり次第に殺そうと思ってるやつにとっては『狙って下さい』って言ってるようなものだし」と言ったら、しげがサラリとこう言った。 「だから、誰か一人犠牲になってる間に、逃げたり通報できるから集団で行動するんだよ」 ……要するに通り魔的犯罪を防ぐ手段など基本的にはないのである。そりゃ、取れる対策は全部取ったがいいに決まっているが、「絶対の再発防止」は夢想でしかない。我々は今、隣にいる人間が突然狂人と化して襲いかかってくる危険性を覚悟して生きねばならなくなっている。しかし、世も末だとは嘆くまい。昔から既知外はいくらでもいたし、そういう危険性がなかったわけではない。逆に現代、世相がこれだけ荒んでいるにも関わらず、凶悪事件を起こす子供が何万人に一人しか出ない、という見方だってできるのだ。 情報の伝達が、そういう危険性に鈍感だった時代を過去へ押し流してしまっただけのことだ。侃侃諤諤の議論のあとに、最後は少年法の改正を求める声が高まるのは、せめて犯人を死刑に処することでしか庶民の溜飲が下がらないからではないのか。
で、今日も深夜にしげと『いたスト』。寝たのは3時かなあ(^_^;)。
2004年02月14日(土) 入院日記13/どこまで食えるか 2003年02月14日(金) いろいろあらあないろいろね/映画『火山高』/映画『黄泉がえり』/『爆笑問題とウルトラ7』(爆笑問題ほか) 2002年02月14日(木) 夫でも義理チョコ。……夫だから?/アニメ『七人のナナ』第6話/『金田一耕助の帰還』(横溝正史)ほか 2001年02月14日(水) だから初心者なんだってば/『わが師はサタン』(天藤真)
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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