無責任賛歌
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| 2004年11月28日(日) |
「地雷」がいっぱい(^_^;) |
結局、カトウ君は車の中で寝たようである。全く、部屋が狭くて申し訳ない。これで本番前にやたら人が泊まりに来た日には、どこに寝てもらうってんだろう。休日まる一日使って部屋の大片付けでもしない限り、無理な相談だと思うんだが。
練習日はたいてい昼から参加しているのだが、今日は朝から来てくれと頼まれる。正直な話、体力的にまる一日練習に付き合うのはかなりキツイのだが、早目に小道具作りを始めないといけないというから、否とは言えない。ペース配分は勝手にやらしてもらうしかなさそうだ。 私が作んなきゃなんないのは小道具というよりは「ハリガミ」なのだが、墨で字を書くので、これが乾くのに半日はかかる。それで朝から顔を出すことにしたわけなのだが、作業自体は小一時間もすれば終わってしまうので、あとは肉練やダンスが終わるまで、私はやることがない(^_^;)。仕方なく、隅っこに寝転んで(つか、テーブルの下にジャマにならないように隠れて)、通しが始まるまで待つことにする。
本日の参加者、桜雅嬢、カトウ君、鴉丸嬢、草野嬢、下村嬢、其ノ他君、冨田嬢、細川嬢、穂稀嬢、よしひと嬢、しげに私。 本来、今日は黒子役の全員集合日だったのだが、肝心の黒子頭役のラクーンドッグさんが都合で休み。ほかにも圭人さん、ケイ&綾乃の学生コンビも試験中ということで欠席。鴉丸嬢も来てはいるのだが、体調がよくないとのことでダンスはパス。あまり集まりがよくないのである。つか、ヘタすりゃあと集合できるのは本番直前か? せっかくダンスコーチとして富田嬢に来て頂いているのに、いささか申し訳ない感じだ。 概ねみんな振り付け自体はなんとか覚えちゃいるのだが、まだまだ音楽に合わせるのがせいいっぱいの状態。富田嬢が「みんな、演技するつもりで踊ってる!?」と檄を飛ばすが、それに答えられるだけの余裕がないのが見ていて痛々しい。特に風邪気味のカトウ君はボロボロで、顔には生気がないし、動きはダンスというよりタコ踊りである。いや、これ、『死霊の盆踊り』じゃないんだから(^_^;)。おかげで後半は富田嬢に殆どマンツーマンで指導を受けることになった。回数を重ねるうちにだんだん動きはよくなってきたから、本番までにはなんとか形はできるとは思うけれど、カトウ君だけでなく、しげも鴉丸嬢も、日によって演技の浮き沈みが激しいのがネックになっている感じだ。もちっとリラックスしてやってもらったほうがいいんだけどなあ。
テーブルの下で休んでいる間に、みんなの雑談が聞こえてくる。 『ハウルの動く城』、見ている人も多くて、結構誉めてる様子である。しげは先日も「宮崎駿の癖があまりなくて素直に見られて満足した」ってなことを言ってたのだが、その「癖がない」点が「宮崎駿も落ちた」ということを証明しているので、私はあまり素直に誉めたくはないのである。そりゃ、凡百のクソアニメに比べりゃ出来がいいのは歴然としてるのだが、不朽の名作かって言われると「馬鹿を言うな」と反駁したくなる。恋愛についても戦争についても殆ど直観描写ばかりでドラマツルギーを考察した気配がなく、おかげで見事なくらいに中身が「何もない」映画になってしまっているのだが、だからこそあの映画は評価が二分してしまうと言える。つまり、「何もない」からこそ、逆に「何かある」ように錯覚させられてしてしまうわけだ。それを果たして評価すべきかどうか、未だに私は悩んでいる。どんなに無意味な映像だろうと、それがそれとして存在さえしていれば、「映画」は成り立っちゃうっていうことも真実には違いないんである。 でもだからって面白くはないのよ、新しいものは何もないから。 ところがもう、富田嬢も「最高だ」とか喋ってるし、ここで「どこがどう?」なんて水を差すようなことはとても言える雰囲気ではない。おかげでかなり長いことテーブルの下から表に出られなかった(^_^;)。
ひと通りダンスが終わって、時計はもう3時を回り、ようやく演技を見る。ファーストシーンから通しでどこまで行けるか見てみたのだけれど、完璧とまではいかないまでも、セリフそのものは当然入ってなければいけないはずなのに、10分ほどでもう抜けまくり。それ以上は継続のしようがない状況だったので、そこで中断する。正直、もう少し強く言ってでも詰めていくべきかどうか悩んだのだが、主役3人が3人とも、ダメ出しして伸びるタイプではないので、ある程度以上は本人たちの自覚に任せる以外に方法はないのである。
練習が終わって、解散後、カトウ君、草野嬢、よしひと嬢、しげに私で、箱崎の「ゆめたうん」で食事。 オムライスの店に入ったのだが、しげがまた料理を食べ残したので、ポテトの山をみんなでつつくハメになる。だから食べ切れないなら最初からサラダとか頼めって。 脈絡もないお喋りをしているうちに、話が『笑の大学』のことに触れて、舞台版のDVDを借りていたカトウ君が、「面白かった!」と激誉め。私も嬉しくて、「舞台見ちゃうと、映画が全然つまんないんだよ!」と映画版を貶す。 ところがあとでしげから聞いて知ったのだが、草野さん、映画の方の『笑の大学』を見ていて、かなり面白がっていたそうなのである。あいたた、また余計なところで水を差しちゃったか、とアタマを抱えてしまったが、だからと言ってつまんないものを面白いなどと嘘をつく気にもなれないので、これもどうにも仕方がないことなのであった。
血液型性格判断を特集したテレビ番組の影響で、子供たちの間にイジメが起こってるのだそうな。 具体的には、『決定!これが日本のベスト100』(テレビ朝日系)、『発掘!あるある大事典2』(フジテレビ系)などで、血液型性格判断の特集があって、「嫌いな血液型、相性が悪い血液型などのランク付けをする」「タレントが『B型はいい加減』『AB型は二重人格』などと言い合う」「保育園児を血液型別に行動観察する」などの内容が放送されたということである。 能見正比古以来、血液型性格診断の本は多分何百冊、何千冊と書かれてきてると思うが、マトモに科学的に研究をした本は恐らく皆無だろう。私も何冊か読んだことはあるが、「初めに答えありき」で、予め「○型の人の性格はこう」と想定した性格にムリヤリ有名人、芸能人を当てはめていってるいい加減なものばかりだった。「A型はマジメタイプ」とよく言われるが、ほかの血液型はみんな不真面目だってことか。マジメなB型、O型、AB型の人もいくらでもいるのに、全く失礼千万な話である。 血液型と性格との間に相関関係があるなんて、一度だって証明されたことはないのに(あるなら見せてみろ)、それがいかにも科学的常識であるかのように錯覚させられているのはいったいどうしたことなのか。 なんだかねー、それだけやっぱり現代人がどうやって他人とのコミュニケーションを取ったらいいかわかんなくて、安易な方法に逃げてるって気がしてねー、ちったあ人を見る努力ってものをしてみたら? と悪態の一つもつきたくなるのよねー。 今までの日記にも書いたことがあるが、「血液型」というから勘違いされるんで、これ、ただの「免疫型」なのである(だから「血液の流れていない」髪の毛からでも「血液型」は判別できる)。言ってみれば、単なる「体質」にすぎないので、こんなもんで人間の性格を判断することがどれだけいい加減かは、例えば、「デブはおおらかな性格」「ヤセは神経質」って決めつけに根拠がないのと同様だと言えば、容易に首肯して頂けるだろう。 「占い」とかはさ、あくまで「遊び」として楽しむ範囲に留めておかないと、場合によっては身を滅ぼす危険だってあるんだからね。
2002年11月28日(木) 再爆走�ぁ新�をとっては/『恋愛出世絵巻 えん×むす』1巻(瀬口たかひろ)/『ウルトラマン画報』上巻 2001年11月28日(水) ひと月早いぞ誕生日/DVD『キカイダー01』第1巻/『マジンカイザー』2巻ほか 2000年11月28日(火) 〆切はゴムのように延びる(^o^)/『蟲師』1巻(漆原友紀)ほか
| 2004年11月27日(土) |
お客が来ても樽の中。 |
公演が近づいてきたこともあり、週末はお泊り客が増えてきているが、本日は夕方から下村嬢が来訪の予定。深夜にはカトウ君も来るとのことである。それで、また本だのDVDだので散らかりつつある居間を少し整理して行く。 テレビの前に未整理のDVDがひと山になっていたので、ラベルを付けて棚の隙間に詰めこんで行く。その過程で、自然、居間の中央にいったんDVDや本を寄せていくので、一時的に足の踏み場がなくなってしまう。それを見てしげが「何、散らかしよるん!」と怒るのだが、じゃあ、しげが片付けをしてくれるかというと全然そんなことはないのである。やっぱりディオゲネス症候群なのかね(樽のディオゲネスは自分の住んでいる樽の中を散らかしてないと落ちつかなかったそうな)。
だいたい、結婚当初は私もヒマを見つけては本の整理をしていたので、ここまで部屋が腐海化することもなかったのだが、私が片付けるはしからしげが散らかしまくり、その癖あとはほったらかし、読んだ本を適当にあちこち放り出したまま片付けようとはしなかった。いくら叱ってもしげは口先でだけ「ちゃんとする」と言うだけで、一向に改善しようとはしなかったので、私もだんだん徒労感に苛まれくたびれはてて、いつしか整理することを放棄してしまったのである。 以来、本は乱雑に積み重ねられたままである。 これもしげに人並の記憶力がからきしないせいなのだが、あの阿呆はいったん本などを取り出して半日もすると、それがどこにあったかわからなくなり、元に戻せなくなるのである(これが誇張でないことは、以前の日記でしげに「記憶実験」を試みたことがあるのをご存知の方には納得していただけるだろう)。
一事が万事その調子で家事をしないしげだが、それでも客が頻繁に訪ねて来る状況だったりすると、少しは何とかしなきゃなんないなあ、という気持ちにはなっていた。……数年前までは。 以前、よしひと嬢が泊まりに来るときにはあのしげでさえも、かなり気を入れて掃除をしてはいたのである。けれど三十路にさしかかろうかというころから、自分が「素敵な奥さん」になることは永久にムリ、と勝手に悟ってくれたらしい。洗濯ものを溜めまくって風呂場への通路を塞いで、風呂を使えなくても平気、という状態にしておいて平然とするくらいに、だらしなくなってしまっていたのである。 カネを払えば少しは家事をするかと、去年あたりは給料制でしげに家事をさせていた。ところが今度は本人が「家事をした」夢を見て(あるいは錯覚して)、それを現実と取り違えて給料を請求するようになったので、これも結果として効果はなかった。自分がサボれる方向に都合よくアタマがイカレてくれるのだから、全くありがたいことである(←この「ありがたい」は本来の意味での「有り難い」ということね)。 結局、しげに家事をさせるには、いちいち側に付き添ってやって、「あれをしろ、これをしろ」と命令するしかない。でもそれでは家事の分業なんて成り立たない。まっとうな家族関係が送れないどころか、しげと付き合うだけの体力が私にはもうなくなってしまった。自分が綿のように疲れ果てているのを感じるばかりである。
それでもここんとこ、劇団のみんなから(特にカトウ君から)「少しは家事をしたらどうだ」と責められていることもあってか、しげも少しは家事をするようになった。けれどそれも所詮は「少しは」のレベルでしかない。世間では、2、3週間に1回、洗濯をしたり、ゴミを捨てたりするのを「家事」とは言わない。しげは「なんで人んちのことにいちいち口出しされなきゃなんないんだよう」とブー垂れているが、「ウチ」というものが成り立ってないのにそんな口を利く方がよっぽどフザケているのである。
今日は珍しくもお客さんが来るんだからと、昼間から台所を片付けていたしげだったが、それもただ食器を洗っていただけである。しげにとってはそれでも大労働したつもりになれているのだから、能天気なことだ。日頃はこの程度のことも全然やらないで寝てばかりなんだから、これで履歴書に「主婦」と書きこむのは強心臓にも程があろう。 小一時間も働かないうちに気力が尽きて居間で布団にくるまりだしたから、こりゃどうせほかのところには手は回っていないだろうな、と思ってトイレを覗いてみたら案の定であった。ペーパーの芯は散乱しているし、便器の中は具体的に描写したくもない。 「トイレくらい掃除しろよ!」と寝かけたしげを叩き起こしてむりやりもうひと仕事させた。しかし、風呂場までは結局片付けられないままだった。 夕方、下村嬢が来て、「ごめん、風呂は使えないんだ」と告げたら、「そう思って、ちゃんと入って来ました」と言う。こういう気遣いを客にさせるのは全く申し訳なくて、顔から火が出る思いなのだが、胃に穴が空く状況になっている現在、私にはもうしげをフォローする元気も体力もない。勘弁して頂くしかないのである。
しげと下村嬢と、リンガーハットで食事。 しげ、「海鮮かきちゃんぽん」を注文するが、牡蠣を嫌って私のスナックちゃんぽんの上に乗せてくる。しかも食いきれずに残りを私に寄越すのである。だったらどうして最初から「スナックちゃんぽん」を頼まないかな(-_-;)。 食事のあと、3人でカラオケに行こう、という話になる。先日、下村嬢が劇団の掲示板の方に「カラオケ行きたい」旨、書き込んでいたことがあったので、それを思いだしたのである。カトウ君もからだが空いているなら誘おう、ということで、しげと下村嬢、カトウ君にメールを打つ。その返事が、「いやあ、そんなにみんなボクの歌が聞きたいのかい?」という熱気バサラみたいな内容だったので、下村嬢、「なんでコイツ、こんなに自意識過剰なの!?」と激怒する。 確かに言葉だけを見れば「ボクってモテモテさん?」みたいな自意識過剰な態度に見えなくもないが、カトウ君だって気がある相手に対してならこういう返事は寄越さないはずである。だとすれば逆にこの冗談は間接的に「あなたには何の気もありませんからね」と主張していることになるわけである。もちろん、実際に下村嬢に対してカトウ君が全く気がないことはハッキリしているのだから、実に正直な態度ではあるのだが、女性に対して正直過ぎるというのもそれはそれでムズカシイ問題を孕んではいるのである。かと言って、八方美人的な態度を取ったり、いかにも気がありそうな素振りを見せるのはもっと問題をこじらせることにもなりかねない。じゃあどうすりゃいいのかということであるが、男女の間柄は友人どうしだろうが恋人どうしだろうが、何をどうやったってこじれるしかないのだから、悩むだけムダなんだな(^O^)。
結局、カラオケには3人で。 いつもアニソンばかり歌っているので、今日はあえてアニソンを外して選曲するが、そうすると私の知ってる曲は70年代でストップしてしまう。具体的には沢田研二の『危険なふたり』とか、いしだあゆみの『ブルーライト・ヨコハマ』とかになっちゃうのだ。こういうのを小学校の帰り道で口ずさんでたんだから、なんかヤなガキだったのだな、私は。下村嬢、「アニソン歌わないんですか?」と不満そうだったので、それじゃあ、ということで『ケ・セラ・セラ』を歌う。これだって立派にアニソンだからな。 下村嬢は『美しさは罪』を歌ってほしかったみたいだが、それ、もうなん度も歌ったし。あまり同じ歌ばかり歌うと、しげがいやがるんで、仕方がないのである。
帰宅して、カトウ君に「もう帰ってきたから、今からウチに来ていいよ」とメールを打たせる。そしたら「今までどこかに出かけてたんですか?」と返事。下村嬢、「こいつ、自分が来ないとカラオケには出かけないと思ってたのかよ!?」とますます激怒する。 さて、カトウ君がそこまで思い上がっていたとは思いにくいし、ただ単にボケてただけじゃないかとは思うのだが、ともあれ、下村嬢の中におけるカトウ君の株は著しく下落してしまったようである。それはそれでまあ、別の問題は起きずにすみそうだから、安心できる面はあるのだが。
ややあって、カトウ君来訪。「今日はちゃんと明日の練習の準備をします」と宣言して、小道具作りなど始める。DVD鑑賞は公演が終わるまでガマン、ということだが、しげはどうやらいずれ、とっ散らかっているDVDやCD、ゲームなどの整理もカトウ君にさせたい意向のようだ。……だからお前が散らかさなきゃ、整理はちゃんとできるんだってば。 準備を一通り済ませて、しげとカトウ君は、階下に降りてエレベーター前のロビーで演技の練習。もう12時を回ってはいるが、ロビーにはかえって人がいないので、練習にちょうどいいそうな。いや、12時過ぎでも人通りはあると思うけどなあ。うちのマンション、夜の仕事のひとも結構いるし。 けれど、こちらもそれに付き合うだけの体力はない。というか、しげたちが下に降りて行く前に私はもう、椅子の上で舟を漕いでいた。下村嬢はマンガ持って隣室で就寝。結局、しげとカトウ君は半徹夜状態だったようだが、しげもこれだけ体力が続くなら、やっぱりちっとは家事をしてほしいものである。
余談だが、しげは「我修院達也」と「若人あきら」が同一人物だと初めて知ったそうな。 もちろん『ハウル』のパンフレットで我修院達也の写真を見ているのだから、そのとき気がついてもよさそうなものだが、しげはあほだから、「どうしてこの人は、こんなに若人あきらに似ているんだろう」と首を傾げてただけだったそうである。 だから本人なんだって(-_-;)。
2002年11月27日(水) 再爆走��/鬼が笑っちゃってひきつけ起こして寝る話/『燃えよペン』(島本和彦)ほか 2001年11月27日(火) 癒されたいの?(-_-;)/DVD『ウルトラQ』6・7巻/『ギャラクシー・クエスト』 2000年11月27日(月) 活字の本が読み進まない/『カスミ伝△(さんかく)』1巻(唐沢なをき)ほか
| 2004年11月26日(金) |
みんなみうらじゅんが大好き/DVD『マダムと泥棒』/『トップをねらえ2!』1巻 |
金曜日は定例のしげの通院の日。 最近は院長先生の勧めで、デイケアにも参加するようになっているので、週に2、3日、多い時には連日通っている。 けれど、デイケアは中身によっては必ずしも楽しくはないらしい。運動が好きだからスポーツの日にはウキウキして出かけているのだが、患者さんどうしでディスカッションしなきゃなんないときは、かなりつらい思いもしているようである。コミュニケーションが取れない人たちばかり集まっているのだから、そこで討論させても話がまるで進まない。それでイライラしてたまらないと言うのだ。けれどしげ自身、コミュニケーションが取れる人間ではないので、その場をなんとかできるわけではないのである。 その場にはもちろん指導する立場の先生も当然いらっしゃるわけで、話が滞りそうになったり、あらぬ方向に向かいそうになったら、適宜リードしては下さってはいるようである。けれどしげの不満は、「やたら仕切ろうってやつがいるんだけど、ウザくて」という発言から察するに、ある患者さんの存在自体にあるようなので(~_~;)、結局そのグループにいるだけで神経が逆撫でされてしまうことになるのである。 「ねえ、教えて。院長先生は、オレに『修行』をさせたいのか?」と私に向かって詰問してくるのだが、そんなこと言われたって私だって返答のしようがない。院長先生は「素の自分にならずに、芝居をするつもりで振る舞いなさい」と助言されているそうだから、その通り「演技」すればいいと思うのだが。つか「素の自分」なんてものがあると考えているとすれば、しげは演技者としてはまだまだ未熟者だということになってしまうのであるが。
今日は通常の通院だったので、院長先生およびカウンセラーの方との面談。 いつもの習慣で、しげは待ち時間に読む本を持っていっていたのだが、それが今日はみうらじゅんの『とんまつりJAPAN』。院長先生、しげが手にしたそれを見るなり、「おっ、みうらじゅんですね」とビビッと反応したとか。そればかりか、カウンセラーの先生も「みうらじゅんですね」、看護婦さんも「みうらじゅんですね」。 しげ、「なんでこの病院、こんなに『みうじゅん度』高いんだ!」と困惑してしまったようだが、ある意味いかにも神経科らしいって気もする。少なくとも病院全員が「見沢知廉」ファンだとか、「相田みつを」ファンだとか、そういうところよりはずっと信頼できそうだと思うが、どうか。 それより私は、しげが「みうらじゅん」を「みうじゅん」と省略する方がなんか許せないけどな。つか、それ、一文字減らしただけじゃん。それで省略になってんのかよって。
帰りは一応しげに迎えに来てはもらったものの、急に仕事関係の本を物色せねばならなくなったので、博多駅で落としてもらうことにする。しげに付き合うかどうか尋ねたのだが、仕事があるので少しでも仮眠を取ると言って一足先に帰った。 本を何冊かと、予約しておいたDVDを何本か購入。先日買ったDVDも含めて、かなり量が溜まってきているので、帰宅して、片っ端から見ることにする。
DVD『マダムと泥棒』。 先ごろトム・ハンクス主演でリメイクされた『レディキラーズ』のオリジナル版である。これまでずっと見る機会を逸していたのだが、ようやく見られた。 旧版と新版、どちらが上かというのは一長一短があって一概にどっちがとは決め付けがたい。キャストだけ見れば、急坂ではピーター・セラーズとハーバート・ロムの“クルーゾー&ドレフュス”コンビの初共演が見られるわけで、その点だけでもどうしてもポイントが高くなってしまうわけだが。 もちろん、「教授」役のアレック・ギネスの怪演は必見。思うにあの不気味なメイク、多分にドラキュラかノスフェラトゥを意識してるんじゃないかな。いや、そのメイクを見て「アッ!」と思ったのだが、これ、『空飛ぶモンティ・パイソン』のオープニング・アニメに登場する三白眼のおっさんなのだ! 念のため、スチールで確認してみたけれど、ほぼ間違いないと思う。本編アニメでもちょくちょく登場しては切られたり踏まれたりしてるんだけど、テリー・ギリアム、ギネス御大をこんな風におちょくっていたとは今更ながらその度胸には感服である。まあ、これは余談。
DVD『トップをねらえ2!』1巻。 これまでのガイナックスが培ってきたノウハウを全てこの一作に叩き込んだって印象。ガイナファンでなくても、いや、SFファンならばこの一本を見逃しちゃなんねえ、と断言したってかまわないくらいの快作だった。なんとなれば「SF」というのは常識の反転、既成概念の破壊、永遠のアンチテーゼをもって世界を再構築する面白さにこそその真価があるからである。……いやね、「萌え」ってキーワードがSF作品のタームとして機能するとは思いもよりませんでしたよ。って、そこに一番「SFマインド」を感じたんかい(^_^;)。ノノは当然、「回顧趣味」でこの「萌え」って単語を使ってるんだろうなあ。 もちろん、オタク向けのエンタテインメントを作らせたら右に出るもののないガイナ作品であるから、SFファンでなくても楽しめる要素はテンコ盛りである。“お姉さま”ラルクがチビで短髪でソバカスの黒人とはなかなか意表を突いているが、これがまたノノと対比してちゃんと“お姉さま”に見えてくるから、前作の設定を踏襲しつつも裏切る部分もあり、しかしそれが決して的を外しているわけではなく、実にツボを押さえているのである。言わば、「心地よい裏切り」。ラスト10分のスタンピード、もはや呆気に取られるしかない「宇宙空間での“生身の”イナズマキック」のショックと来たら、何をか言わんやの大歓喜である。 ……つて、でもやっぱりこういうのを喜んじゃうのって、オタクだってことなんだろうなあ。
歌手の本田美奈子が実は改名していた、というニュース。 今は「本田美奈子.」になってるんだって。 「え? どこが改名してるの?」と首を傾げた人は、「子」の後ろをよーく見ましょう。ほら、小さく「.」(ドット)が付いてるでしょ? ご本人の弁によれば、「ドットを付けると画数が31画になり、開運のために変えました。いつでも歌手として人として女性として輝いていたいのでドットを付けました」ということらしい。なんだ、やっぱり占いか、とちょっとガッカリした人も多かろう。特にアイドル時代の本田美奈子を知ってる人にとっては。当時、プロダクションの言い付け通りに歌い踊るだけの“お人形さん”ばかりだったアイドル界にあって、自己主張のできるタイプに見られていた本田美奈子にはちょっとカリスマ的な人気があったのである。だから今の彼女が。単純に「迷信に引っかかりやすい女」というだけでなく、自分の意志、判断を放棄したような“他力本願的なもの”に引っかかってしまうとは、幻滅以外のなにものでもないのである 名前そのものを変えるのはよく聞く話であるが、テンやらマルやら、「記号」を付けるってのはあまり例がない。やはりフツーの感覚の持ち主ではないのかなあ、とちょっと腰が引けてしまう。 過去の例を考えてみても、パッと思いつくのは大友柳太朗が「友」に「、」を付けて「大友`柳太郎」にしたり、藤岡弘が「流されないで立ち止まって自分を見つめる、という覚悟と『いまだ完成せず』の意味も込めて」と「藤岡弘、」にしたりと、これくらいしか思いつくものがない(「モーニング娘。」は最初からマルが付いてたから例に挙げない)。あと、それに近い例と言えば「石森章太郎→石ノ森章太郎」くらいか。石森さんはともかく、大友さんも藤岡さんも、発音自体は変わってないので、改名した事実に全く気付いていない人も多く、何のための改名だかよく分からないきらいがある。本田美奈子の改名も、あまり浸透しないんじゃなかろうか。新聞、雑誌の記事やパンフレットなど、印刷物ではしょっちゅう忘れられると思うんだがなあ。 ちなみに、その生命判断、当たってるかどうか、適当な姓名判断のサイトで調べてみた。
〔改名前〕 天格(10) ● 凶 家系的運勢を表します。 人格(14) ● 凶 性格や人柄を表します。 地格(20) ● 凶 個人の運勢を表します。 総格(30) △ 半吉 総合的運勢を表します。 外格(16) ◎ 大吉 その人の印象を表します。 ●総合的な運勢 浮き沈みの激しい面がありますが、たくましく障害を乗り越えて行く底力を持っています。そのために、ひとつひとつの困難に忍耐強くぶつかっていけば、道も開けてきます。心根がやさしい面も持ち合わせているので、努力を続ければ実っていくことでしょう
〔改名後〕 天格(10) ● 凶 家系的運勢を表します。 人格(14) ● 凶 性格や人柄を表します。 地格(21) ○ 吉 個人の運勢を表します。 総格(31) ○ 吉 総合的運勢を表します。 外格(17) △ 半吉 その人の印象を表します。 ●総合的な運勢 先祖からの徳を受けているので、才知に長けていながら、温厚で弱者にやさしい心配りのできる人柄の良さを備えており、周囲からの信用と信頼が絶大です。家庭を大切にして、幸福な人生をおくることでしょう。
まあ、総合的にはちょっとはよくなったって感じか? でも芸能活動を続けていくなら、もとの名前の方がよかったような気も(^_^;)。
2002年11月26日(火) 再爆走�◆森�げなくても広がるリング/『低俗霊DAYDREAM』4巻(奥瀬サキ・目黒三吉) 2001年11月26日(月) そろそろこの日記タイトルにも飽きてきてるんだけど/『社会派くんがゆく!』(唐沢俊一・村崎百郎)ほか 2000年11月26日(日) オタアミが出て来た日/第3回オタクアミーゴス・IN・九州
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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