無責任賛歌
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| 2002年11月07日(木) |
吉野作造と鞍馬天狗/『トリック・ザ・コミック』(堤幸彦・蒔田光治・林誠人・西川淳)/『トラマガ』vol.2ほか |
母の命日であるが、父からは何の連絡もない。 どっちにしろ仕事がビッチリと詰まってて、墓参りに行く時間とてないが。 どうせ偏屈な父のことだから、あとになって「この親不幸もんが」と文句を言ってくることは予想がつくのだが、だからと言って7回忌も終わったのに私がやることなんて今更何もないのである。
晩飯は久しぶりに「王将」。 酢豚がフェアで100円引きということだったのでもちろんそれを頼む。それだけでは物足りなかったので、エビの唐揚げも。いや、ふたつ合わせてもたいした量じゃないのよ。この店、「安さ」が取り柄なんだから。 しげはセット+私の皿のピンはね。自分が頼んだ餃子は「気分が悪い」とか言って食べない。結局エビはほとんど食われた。……だったら最初からエビ注文しろよ。何でこの世にはこうもエビに執着する女が多いのか。
この店、こないだから窓際の棚のところになぜか仮面ライダー1号だの龍騎だのガンダムだのザクレロ(渋いなあ)だののフィギュアが置かれてるのだけれど、それがどんどんあちこちに増殖していて、トイレやレジのところにまで侵食しつつあるのである。……誰か作ってるやついるな。店長か? この「王将」とオタクフィギュアとのミスマッチがなんとも言えないムードを醸し出しているのだが、意外とそんな店、探せばもっとあるような気がする。 みなさんのご近所にもヘンなもの飾ってる店ってありませんか?
マンガ、堤幸彦監修・蒔田光治/林誠人原作・西川淳漫画『TRICK THE COMIC トリック・ザ・コミック』(角川書店・588円)。 テレビ第一シリーズの中から『母の泉』『パントマイムで人を殺す女』『千里眼の男』をピックアップして漫画化。だも多分、続編が描かれることはなかろう(^_^;)。 しかしおっそろしく下手な絵だなあ。 いや、ヘタというよりなんか汚い印象だねえ、コマ割りはゴチャゴチャしてて見難いし、ひとコマひとコマの構図も不安定だし、そりゃなぜかって言うと透視法が全然できてないせいだし(基本なのにな)、キャラクターもドギツイのばっかで特に上田の顔なんか、歪みまくっててコマごとに違うし。コマによっては一所懸命阿部寛に似せようとしたところもあって、健気なんだけど。 でもここまでヘタだとかえって愛着がわくような錯覚を覚えちゃうからフシギだ。とりあえず小説読むのはカッタルイ、ビデオはいつもレンタル中って人はこれでも読んでみたら? 特に得はさせませんが。
なんとなく買ってしまった雑誌、『トラマガ』vol.2(インフォレスト・690円)。 表紙の『ガンバ!』のタイトル文字(なんと誌名よりデカイ)につい惹かれちゃったせいだけれど、中身は斎藤惇夫の原作を忠実にコミック化するというのだから、これはもう、期待するな、というほうが無理な話だ。 アニメ版で7匹に絞りこまれた(これも『七人の侍』を意識してるのだね)キャラクターを原作通りに戻す。 つまり、ガンバ、イカサマ、シジン、ガクシャ、ヨイショ、ボーボ、忠太のほかに、アニメ未登場だったバレット、イダテン、オイボレ、カリック、ジャンプ、アナホリ、マンプク、バス&テノールが、アニメのオリジナルデザイン担当した椛島義夫氏の手によって新たに描き下ろされるのである!(実際の作画は一式まさと氏が担当)いやあ、なんか燃えちゃうねえ。でも原作通りに行くとなると、アニメ版ではせっかく命が助かってたあのコが死んじゃうことに……。 けれどそれでもこれはぜひ完結させてほしいマンガなんである。だから3号雑誌に終わらないで、ちゃんと完結するまで雑誌を続けてほしいんだけど、看板マンガが『ゲームセンター荒らしA』だからねえ。今時平安京エイリアンやってるからねえ(-_-;)。どうにもムリっぽいんだよなあ。
雑誌『國文學』11月号(學燈社)が、「<時代小説>のアルケオロジー」という特集を組んでいる。 巻頭、井上ひさしが「吉野作造と鞍馬天狗」と題して、「東大法学部(大正時代は法科大学)時代、大佛次郎は吉野作造の講義を聞いたはずだ」という前提で、みだりに暴力を振るわない鞍馬天狗の穏やかさは、吉野作造の穏健さの影響のもとにあるのではないか、と推察している。 その見方自体は面白いのだが、井上さん、やや興奮気味に「両者に密な交流があったかどうかを突き止めたい」とまで語ってるのである。これって、先入観入りまくりだから、研究の仕方としてはあまり勧められた方法じゃないんだけどね。仮に吉野作造の影響を大佛次郎が受けていたとしても、鞍馬天狗の優しさがそれだけで説明できるわけではないのである。もしかして、大佛次郎のおかあちゃんが優しかったことの影響のほうが大きいかもしれないじゃないの(^^)。 この、「誰それと誰それは実は意外な縁で結ばれていた」ってのについ惹かれちゃうってのは「成吉思汗は実は源義経であった」と同じくトンデモな発想なのである。 仮にもダイガクとやらいうところに籍を置いたことがあってよ、曲がりなりにも「ケンキュウ」とかいうものを経験したことがあったら、こんなハッタリかますことにしかならない調査はするもんじゃない、とたしなめられてるはずなのに、井上さん、こういうところがシロウトなんだよなあ。だからずっとバカにされ続けてるんである。いやまあ、研究するなとは言わんけどね。
でも私もあまり人のことは言えない。 芥川龍之介の『羅生門』について、あるとき「この演劇的構造、映画的手法、主人公のアウトロー的性格は初期のピカレスクロマンとしてのチャップリン映画の影響を受けてるのではないか?」とヒラメいて(これが曲者)、散々資料を漁ったのだが、芥川が晩年、チャップリンを天才だと大絶賛していることはわかったものの、『羅生門』以前に、いつどこでどの程度チャップリンを見ていたかを示す資料を探し当てることはできなかったのである。 だってそのころの芥川って、家の事情で恋人との仲を引き裂かれて、ヤケになって散々遊びまわってたころなんだもの。どの資料読んでも関係者の口が重くってよ(^_^;)。一緒に遊んでたなおまえら。 だからなんつーか『羅生門』って、「マジメに生きたって意味ないじゃん、悪いことして何が悪いんだよ」というヤンキーの自己弁護みたいな開き直りの小説なワケなんで、人間のエゴイズムを鋭く抉るなんてたいしたテーマないのよ、もともと。 そこに浮浪者チャップリンことアルコール先生の面影を見出すことは確かに可能なんだけれど可能ってだけだからな(^_^;)。でもハッタリとしては面白いでしょ? いや、つい引っかかっちゃいましたよ。情けない話ですが。
『國文學』という雑誌がこういう大衆小説の特集を組むことは珍しいのだが、お固いばかりじゃないのよ、という宣伝だろうか。村上知彦が『バガボンド』批評をさせられてるのもなんだか客寄せみたいでアザトイ気はするが、世間の動きを無視するよりはマシかもしれない(関係ないけど村上さん「押しも押されぬ」なんてコトバの誤用しちゃいけませんよ。「押しも押されもせぬ」でしょ? 編集者もどうして校正段階で注意してあげないかね)。
高橋敏夫、縄田一男両氏による「時代小説50選」、他愛無い試みであるが結構楽しい。こういうものの常として「どうしてアレが入ってないんだ!」というツッコミはしたくなるものだが、まあ偏りがないように努力しているラインナップではある。宮部みゆきや京極夏彦など現在活躍中の作家もちゃんと視野に入れてるところは立派。 けど、ヒトコト言わせてもらえば、久生十蘭の『顎十郎捕物帳』(吉本新喜劇の人じゃないよ)や、都筑道夫の『なめくじ長屋捕物さわぎ』は入れてほしかったなあ。 それにしてもとても全部の記事について言及はできないけれど、時代小説ファンにとって今号の特集は資料的にも価値あるものだと思いますです。御照覧あれ。
でもちょっとだけ気になるのは、今回の特集のサブタイトルである。なんで「アルケオなんたら」とかハイカラな言葉使いたがるかね。素直に「考古学」と言えばいいじゃん。「国文学」って雑誌タイトルすら旧漢字のままで押し通してるクセにねえ。 私もアルケオプテリクス=始祖鳥って知識が無かったら、「アルケ……? なんやねん」と戸惑うところであった。……って、そういう方面で英単語覚えてるのかよ、おまえは(と自分ツッコミ)。
2001年11月07日(水) 暗号解読/アニメ『ヒカルの碁』第五局/「西原理恵子のご託宣ポストカード」ほか 2000年11月07日(火) 昔の映画も見よう……/『笑わない数学者』(森博嗣)
| 2002年11月06日(水) |
あのころ/『コミック1970』 |
山田風太郎原作の『魔界転生』(どうか「まかい・てんしょう」と読んでください)の映画化のニュースは既に伝えられていたが、その製作発表が昨日正式に行われた。 以前も日記に書いたような気がするが、再度、怒りを表明させて頂く。 監督は『ザ・中学教師』、『学校の怪談』シリーズや『OUT』の平山秀幸、堅実な演出を心がけている人ではあるが、山田風太郎のケレン味とは真逆の資質である。適役とはとても思えない。 キャストは天草四郎に窪塚洋介、柳生十兵衛に佐藤浩市、クララお品に麻生久美子という布陣。スチールを見て、そのみすぼらしさに頭を抱えた。安っぽい衣装(もしかしてカネかけてるのかも知れないが、少なくとも「時代劇」を作る気がないことは間違いないデザイン)、三人揃って着物をまるで着こなせておらず、その迫力も気力も感じられない立ち姿は情けないばかり、製作発表のときくらいは少しは期待させてほしいものなんだけどダメなのか。 既に、この時代劇とは何のゆかりもないキャスティングで、これが「山田風太郎の忍法小説の映画化」ではなくて、「深作欣二監督、沢田研二主演のバカ映画のリメイク」なんだな、ということが分って、それだけで幻滅を感じてしまう。重要なキャラだった魔界衆の殆どをカットするという暴挙をやらかしたのが前作なんだよね。あんまり腹が立っちゃったものだから、原作ファンだってのに、『魔界』のDVDだけは買う気になれなかったってくらいなのだ(『伊賀忍法帖』は成田三樹夫が出てるんで買ったけど、『魔界』は若山富三郎の殺陣以外に見るべきところがないんだもんなあ)。今回もそうなるのかなあ。
しかもなにが腹立たしいかって、クボヅカの舞台挨拶が、「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャ〜ンって感じっす」だってんだもの。 えぇ、おい? 誰が呼んだって?(--#) お前か?(;`O´)o それともお前か?o(`O´;) クボヅカ呼んだやつ表に出やがれ! 処理場の水100リットル飲ましたるぞ! ……少なくとも、山田風太郎ファンでクボヅカを呼んだやつは一人もいないと断言できよう。 天草四郎って、美少年じゃなきゃいけないんじゃないのか? 世の天草四郎ファン、美少年フリークはクボヅカでいいじゃんとか言って、アレを許しちゃってるのか?(もちろん昔の沢田研次も論外であった。おまえは稗田礼二郎だけ演じてりゃいいのだ)まだ、タッキーか藤原竜也に演じてもらったほうがナンボかマシだ。それとも私の感覚の方が異常なのか? それに、あとのキャストはちゃんと予定されてるのか? 製作発表にどうして三人しかいないんだよ。 宮本武蔵は? 荒木又右エ門は? 田宮坊太郎は? 宝蔵院胤舜は? 由比正雪は? 柳生但馬守は? 柳生兵庫は? 森宗意軒は? 紀伊頼宣は? 半端な役者でできる役なんて一つもないぞ? 前回みたいに「細川ガラシャ」なんて役立たず出してたら吊るすぞコラ~凸(-~~- )。
*あとで分ったキャスティング。 窪塚洋介(天草四郎)、佐藤浩市(柳生十兵衛)、麻生久美子(クララお品) 加藤雅也(荒木又右衛門)、古田新太(宝蔵院胤舜)、長塚京三(宮本武蔵)、中村嘉葎雄(柳生但馬守)、黒谷友香(おひろ)、吹石一恵(お雛)、高橋和也(伊達小三郎)、杉本哲太(徳川頼宣) やっぱり森宗意(意外と知られてないが実在人物)以下、相当数キャストがカットされている模様。長塚さんが武蔵って……。嗚呼……(T∇T)。
『魔界転生』の原作は、時代劇に興味のない人にも「これは面白いぞ!」とお勧めできる屈指のエンタテインメントなのだ。それを何でこうも毎回チンケなキャストで映画化せねばならんのだ。それに本気で風太郎忍法帖を映画化するつもりなら、『柳生忍法帖』から『魔界』を挟んで『柳生十兵衛死す』の三部作を映画化しなきゃウソだろう。何でこうも映画界にはサルが多いのだ。 ……と言いつつ、どうせ見に行くんだよ。カネの無駄遣いだ、なんて言われなくても分ってるよ。 ほっといてよ、フン。(T^T)(^T )(T )( )( T)( T^)(T^T) ヒュルルル……。
夕食はロイヤルホスト。寒いので注文したのはシチューなど。 ハガキで送られて来ていた10%割引券をこれで使い切る。 なんだか無性に口寂しくなったので、セブンイレブンに寄って、ポテトチップスほか、普段は買わないお菓子類を買う。カラダに悪いことは分っているので、しげが止めるかと思ったが、「寒い、先に車に戻っていい?」と言って、さっさと店を出て行く。なんか気遣われてないなあ、と思って、ヤケになって食玩なんかもやたら買いこむ。 手塚治虫コレクション、松本零時コレクション、いずれも原型製作は海洋堂。手塚治虫はブラック・ジャックをGET。これで揃ってないのは『W3』だけになった。でもこの「最後の1個」ってやつが、なかなか当たらないんだよね。
帰宅して、『空飛ぶ雲の上団五郎一座』を見返しながら寝る。
雑誌『コミック1970』(週間アサヒ芸能増刊12月1日号/徳間書店・390円)。 1070年に発表された短編マンガを収録した雑誌創刊号。表紙は手塚治虫『アトムの最後』、松本零士『大海賊ハーロック』、みなもと太郎『ホモホモ7』である。 これから1971、1972、1973、1974……と発行していくつもりらしいが、『コミック伝説マガジン』も休刊したってのに、現代までたどり付けるのかどうか(^_^;)。
「人生って無意味なんだな」と自覚したのが小学校1年生の入学式のこと。「ここに、どうしてこんなにたくさんの人間が集まっているのか?」その疑問の答えがないことに気付いて、私は自分もまた無意味に生まれたのだという事実に気付いた。1969年のことである。 それ以来、「儀式」というものが心の底から嫌いになった。だって全ての儀式は本質的に「葬式」なのだから。一つ儀式を経るたびに、我々は自分の心を殺しながら、いつか訪れる完全な死に向かってただ無意味に生き続けている。 そんなヒネたことを考えてた小学生だった私が、1970年の「大阪万博」になぜあれだけ入れこんだのか、今思い返せば、私はアレに自分と地球の「最後の未来」を期待していたのだ。 この世も捨てたものではない、未来には希望がある、この地球で自分が生きて行ってもいいものなのかどうか、それを「万博」が証明してくれるような気がしていた。前年、事故で死の淵をさ迷い、その後遺症に怯えていた私には「人類の進歩と調和」というスローガンは、どんなに安っぽく聞こえようとも、すがりつくことのできる甘美な誘いの言葉であった。 ……何だかんだヒネたこと言ってもガキだったのである。 私にとってのその「希望」の象徴がアメリカ館の「月の石」と「アポロ着陸船」だったのだが、当然あの熱狂の中ではそれを見る望みは叶わなかった。コロンビア館でもう一つの月の石は見てきたけど、当時の私にとってそれはただの「まやかし」に過ぎなかった。 せめて乗りたいと思ったダイダラザウルスは相当待って乗った。当時世界最長と振れ込みのジェットコースターだったが、1時間以上待たされて乗っていた時間は1分程度のものだった。「終わったな」と思いながら、表面では「楽しかった」と父に愛想笑いする術を私はもう覚えていた。 それ以来、私は自分の人生を余生だと思っている。
父が私を万博に連れて行ってくれたのは、「住友館」に「未来の床屋の椅子」が展示されると聞いたからである。実際に見はしたのだが、今はどこにでもあるような、高さが上下するだけの床屋の椅子であった。 父は立腹して「博覧会は二度と行かん」と言い、向後は沖縄海洋博にもつくば科学博にも行かなかった。私にねだられて、数年後に一度だけ、「万博跡地」を見に行った。パビリオンは一部を残して殆ど撤去されており、太陽の塔と遊園地だけがそこにあった。諦めきれない気持ちに諦めをつけなきゃなんないんだな、と思った。 先日、万博タワーが撤去されたというニュースを聞いたが、もう私には何の感興もない。二度とあそこに行くことはない、という事実を噛み締めるだけである。
旧作の収録が多い中、畑中純の新作『1970』は太陽の塔の周囲を三島由紀夫、高倉健、エルビス・プレスリーが取り囲む表紙で始まる。けれど、当時二十歳の畑中さんにとって、万博の狂騒は時代の一風景でしかなかった。岡本太郎を「好かん」とけなし、それでいて「なんかある人やろうのう」と一定の評価を与える。いかにも「インテリ崩れ」なカッコつけだが、そういう人は昔も今もいる。「青い」人間はいつでも自分の評価が絶対だと信じ、しかし社会の中では名もない一私人に過ぎない事実とのギャップに悩み、ヤケになるのである。 そういう傲慢と変わらぬプライドを持たないごく普通の庶民はただ単純に時代に流されていく。 1970年、各メディアは盛んに万博を題材に使ったが、そこに宣伝以外のものを見出すのは困難だった。 アニメ『サザエさん』は前年始まったばかり。磯野家はよっぽど裕福だったのか、家族全員で万博に出かけ、動く歩道に驚いていた。 『ガメラ対大魔獣ジャイガー』でジャイガーは万博会場を目指したが、ガメラに阻止された。 それはみなただの「風景」である。その時代にだけあるものだが、そこにそれがあることの意味を見出そうとしてもそれは徒労に終わるだろう。
当時リアルタイムでマンガに万博が登場した例と言えば、水木しげるの『千年王国』だが、ブータンのパビリオンで「悪魔」ベルゼブルと「魔女」が新たな「魔女造り」にいそしんでいたように、万博が「虚飾」の祭典であることを、水木さんは見抜いていたのだろう。 残念ながら水木しげるの作品は今回収録されていない。次号にも載らないようである。手塚治虫はこのころ時代の影響を受けつつ時代から逃げたマンガばかり描いていた。もう少し、水木作品のような時代と切り結んだマンガを収録してほしいものなのだが。
2001年11月06日(火) 10年ぶりのスプラッタ/『西原理恵子の人生一年生』(西原理恵子)ほか 2000年11月06日(月) 別に国際化したいわけでもなし/『大人の国イギリスと子どもの国日本』(マークス寿子)
| 2002年11月05日(火) |
バラエティに芸はない/『ガンダムエーススペシャル』/『カラダで感じる源氏物語』(大塚ひかり) |
朝、しげ起きれず、タクシーで職場へ。 タクシー代はしげが払うことになってるので、私の懐は痛まないのだが、しょっちゅうキツイとか言って休んでると、私への支払いが簡単に万単位になってしまうのである。寝付きをよくする癖さえつければ、朝起きられないなんてことはないはずなんだが。しげはクスリの類が大嫌いなので、睡眠薬に頼るわけにはいかない。私は布団に入って静かにしてるだけで寝付けるのだが、しげはそれだと逆に落ちつかないそうだ。
しげの怖かった話。 夕べ、しげの職場で、店の表を黙ってウロウロしている人影を見かけたそうな。車上荒らしもあったくらいだから、強盗かなにかと思わず悲鳴を上げたら、人影の正体はなんと店長。鍵を持ってなかったので、中に入れず困って回りをウロウロしてたらしい。 「誰もいないかと思った」とは店長さんの弁だそうだが、普通、電気が点いてたら人はいるでしょーにねー(^_^;)。 人騒がせな、としげは怒っていたが、店長のクセに店の鍵も持ってなかったのかと、そちらの方が私にはフシギなのであった。
今日の夕食、「いい加減で『めしや丼』は飽きた」と私がわめいたせいか、しげが急にウチの近所にあるにもかかわらず殆ど寄ったことのない「釜揚うどん」に車を停める。 ここのうどん、結構コシがあって私は好きだったのだが、しげは「うどんじゃ腹が太らん」と、なかなか寄ろうとしなかったのだ。 久しぶりにうどんが食べられて私は満足だったが、しげはいっしょに頼んだコロッケかカツかがまずかったらしく、不満顔。……安く食える店なんだからそんなに文句言わんでも、と思うし、まずけりゃおかず残してうどんだけ食えばいいのに、全く贅沢な話である。 ああ、これでまたこの店から足が遠のいちゃうなあ。しげの偏食に付き合わされてるのは私の方なのに、しげ自身は全然ワガママを言ってる意識がないのだからいったいどういう神経をしてるんだか。
まあどーでもいいニュースの一つ。 テレビでちょうど見たんだけど、民主党の鳩山由紀夫氏が『電波少年』にからかわれてぶんむくれたって話ね。 明治学院大学の学園祭で、3日に開かれた民主党の鳩山由紀夫代表の講演会に、日本テレビの『電波少年に毛が生えた』の「ママさんコーラス隊」が「乱入」して、「鳩山さんに贈る歌」と称して「リーダーシップがない」などの内容で、「山口さんちのツトム君」「ハトヤ」のCMの替え歌2曲を歌ったってのが経緯。聴衆はウケるどころか騒然となったんだとか。 鳩山さんは今日になって、「主催者に失礼」として、日テレに抗議文を送ったってことだけど、その理由が「自分が馬鹿にされたから」ってことじゃないところが人間としての器の広さを見せたってことなんだろうか。 でもやっぱホンネでは怒ってんじゃないかと思うけどね。真実はどうか知らないが、外見や態度から「僻み屋さん」に見られちゃうところが、鳩山さんの政治家としてのキャラの弱さなんだよなあ。 事情を全く知らなかった主催者の法学部も日テレに抗議文と放送中止要請をするつもりだそうだが、いたし方のないところであろう。
「この世にギャグにしていけないものなんてないんだ!」がモットーの私が『電波少年』の肩を持たないのは意外、と思われるかもしれないが、私ゃレベルの低い芸に同調する気はサラサラないのである。 「ママさんコーラス隊」がイカンとまで断言するつもりはない。けどね、「これくらいはゲリラ的にやっても許してもらえるだろう」って「甘え」が見え隠れしてるのがどうにも気に入らないんだよね。それにこういう「乱入」するんなら、他人の軒先借りてやるんじゃなくて、堂々と民主党の前で歌えばいいじゃないの。それだと政治活動と思われて、普通のママさんたちが逮捕されることになるかもってビビったんだろうね。でも、そんなふうに腰が引けてたんだったら、最初からこんなギャグやるもんじゃないとは思いません? 笑いを舐めてるよ。 タモリ曰く、「差別するときは本気で差別しなきゃ意味がない」。これは自らが糾弾されることを覚悟しての発言であるのだ。その覚悟が『電波少年』のスタッフにあるとは思えないんだよなあ。
『ガンダムエーススペシャル』(『ガンダムエース12月号増刊』/角川書店・330円)。 表紙が安彦良和描くセイラさん、皇なつき描くフラウ・ボゥ、寺田克也描くキシリアさまである。三人目、濃すぎるぞ(^_^;)。 内容が殆ど再録なのはちょっとガッカリだったのだが、安彦さんが『特別番外編』と称してセルフパロディを描いてるのが笑えた。なぜか描きなおすたびに体型が崩れていくセイラさんのヌード。シリこそ扁平だけど、17歳には見えんよな〜。 それと、アムロが嗅いでたぱんちー、いったい誰の? 〆切に間に合わなかったと思しい北爪宏幸の『在る日』は必見だろう。なんたって下書きをコピーしただけのページが、10ページ中4ページも(^_^;)。でも、意外にこれって下書き風マンガ? と勘違いする読者もいたりしてな(^o^)。
大塚ひかり『カラダで感じる源氏物語』(ちくま文庫・777円。 江川達也さんのブレーン、大塚ひかり嬢の「世間で言うほど源氏ってモテてないよ」本(^o^)。 要するに『源氏』中の「身体表現」に注目して、光源氏の実像、及び当時の風俗を読み解こうってもの。語り口がちょっと伝法で、お固くてつまんないガッコの授業に比べれば何十倍も面白い。でも風俗の研究についてはちょっと古典をかじったものなら誰でも知ってるような基本的なことしか語ってないのでいささか拍子抜け。まあ、初心者向けなんだから文句言っても仕方ないけどね。それよりも「源氏ってどこが素敵なの!?」的な現代女性のカミツキを楽しむのが面白いかも。川原泉も『笑う大天使』でやってたな。もちろんその分析のデタラメぶりが楽しいのである。 でもマジメな本として読んじゃうと、やや苦しいところがあるのも否めない。確かに、「美人よりブスに対する描写のほうがリアルだ」とか、「一番無個性な浮舟を二人の男から愛される存在として描いたところに『源氏』の特異性がある」と、鋭い観察眼も持ってはいるのだけれど、もうヒトイキ、というところで作者自身の「現代感覚」が古典の分析を邪魔している気がする。 例えば、「どうして光源氏は美人をほっといてブスに走る傾向があったのか?」という疑問に、作者がウンウン唸りながら解答を模索している。でもそんなん、男なら一発で気付くことなんだけどなあ。 つまり、「作者がブスだったから、美人がモテる話を書きたくなかったってことじゃないの?」って思うんだけど、こんなこと書くと怒る人いるかな? この作者、現代人の歪んだフェミニズム感覚に影響受けちゃって、至極単純な「女の見栄」というヤツに気がつかなかったんじゃないかな。 これ以上書くとヒステリックな反論しか来なくなるからもう突っ込みません(^_^;)。悪しからず。
2001年11月05日(月) 行かなかった博覧祭/『陽だまりの樹』1〜7巻(手塚治虫)ほか 2000年11月05日(日) 「小鹿のバンビは」って歌は日本版だけ/アニメ『バンビ』ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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