やるきまんまんの日記
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2001年05月30日(水)

けしかけられた感じ。


このごろ、なんだろう?
男を演じるのが…。

日記を読み返して、おもしろくない。つまんない日記だ。不思議だ。
やめてもいいけど。そろそろ。やめる理由ないし、でも結構楽しかったり、忘れていたこと思い出せる。
マイブーム。

映画みたいなー。


いつものお茶を久しぶりに飲んでいる。やっぱうまい。
なんか落ち着く味がするし、考えことするときにとくにうまくなる。




2001年05月28日(月)

たまにこの日記を読んで感想をくれる人がいるんですが、大きな声では言えませんが、嬉しいです。

肺機能検査をしました。
去年の数値よりよくなっているということで、とまどっている。
もうしばらくこの状態でいれることはほっと一息なのだけれど。
常にわるくなると思っているし、実際よくなったことがないので。

この疾患は、疾患としてやっかいだけではなく、事例が、サンプルが少ないというやっかいさもある。
どういう経過をたどるか分かんないので、
35くらいで寝たきりになるかなと思ったりしているが、そうじゃないかもしんない。

このような障害に人工呼吸器を使うということが始まったのは、
最近のことらしいので、そこでもサンプルが少ないというか、取り直し。
そもそも誰がこのような障害の研究をしているのか?
どう研究しているのか?


わかりませんね。

梅雨が近いです。基本的に雨は嫌いです。



もう冬の心配をしています。


2001年05月26日(土)

研究会の今回のテーマは、
「障害者のマスターベーション介助をめぐる語り」
でした。
毎回この研究会は、参加するとたのしいです。ホント楽しいです。今日も楽しかった。あー、たのしかった。

茶大の院生の人とはじめて全うに話したが、とても興味津々な人と再確認しました。

<メモ>
ホモ、バイ、ヘテロが揺らぐということ。
男性の性の語られ方について。
女性障害者の性、性処理。
性別役割。
マスターベーションとセックスケアの境界。


体育会系の人がよく行く定食屋に行った。
とても不安になったし、こわくなった。
自分がやってることが無力のような気がしたし、なぜこわくなるのか考えたし、こんな中で生きてきたのだと思った。

揺らぐということが、あるということが希望のようになった。

性を解放せよ!! そして、バンザイせよ!!



2001年05月24日(木)

死の過程を歩いたことがある。僕は今、夜間のみ人工呼吸器をつけている。
それをつけていないと、そのうち死ぬ、らしい。そんな実感は、不思議と全然しないのだけれど。
でも、よく考えるとそうなのだ。

死の過程を歩いたのは、その人工呼吸器をつける直前のことだ。
あの頃は、朝起きるのもしんどくて、起きるのは昼頃。日中しんどくて、何もやる気がしない。
夕方の介助の人が来たら食べるもの食べて、すぐ横になる。風呂も体全部洗うのがきつくて、
頭だけとか、体の一部とか洗っていた。
活動していたのは、5時間とかだった。

でも、死に近づいているという感じはしなかった。
順調に進行しているなと。
ただ、自分はなんて怠惰なんだと。
頑張ればがんばれると思っていたし。

しかし、そんなことは全然なく、本当に弱っていた。
死にかかっていたのだと思う。もうしばらく、2、3年はそれでも大丈夫そうだったみたいだけど。

進行性ということで、死ぬことは生きる過程の上に見え隠れしていたものだったけど、
周りのことが気に掛かった。恋人はいなかったので関係なかったけど。
特に母親のことは。家族愛コンプレックスをもっていても。
彼女は僕の死を、ただ一人の息子の死を受け入れることができるのであろうかと。

僕は彼女が僕のことをどう思っているのか知らないし、
これまで、僕のためにどういう悔しいことを受けてきたのかも聞いたこともない。訊ねたこともない。




多分あれが死ぬこということの過程なのだと思う。
多分また同じようなことが、巡ってくるのだと思う。


たのしみです。むふ。






2001年05月23日(水)

耳かす、耳くそ、耳あか。
僕は今は耳かすっていうことにしている。

そいつを今日とった。掘ったともいうらしい。
僕は今もとるということにしている。

気持ちいいほどとれる。気持ちわるいくらい掘れる。
右と左で量もちがう。付いてるところも違う。

耳掻き、耳掻きともいうか、は昔から嫌いだ。
刺されるんではとおそろしい。
また、うちの親が大変に下手なのだ。

はじめて親以外にやってもらった時の気持ちよさには驚いた。


河瀬直美みました。トラウマ。
映画のおもしろさを再発見した気がする。


「だめの方がもの考えてる」という文句に似ている。


らい病の訴訟で国が控訴断念。
これはこれで考えてしまう。よかったんだけど。



2001年05月22日(火)

ETVをみました。
荻野目慶子って昔からなんか気になる女優だったような…。
『いつかギラギラする日』の彼女の演技の迫力は今も印象に残っている。
なんでこんなの見る気になっのかなって、やっぱ「死」そして、心を引きつけてやまない「自殺」、
と新聞に書いていたからなんだけど。


なんか特別なこといっていなかった気がする。
こういう書き方していいのか?
分かんなかったといった方がいいのか?



部屋を片づける話。

ひまわり植えたくなった。でも明日は雨。

生きることを支えてきたもの/ことの話は違った。


『2001年宇宙への旅』を観たのだけれど、それよりは興味を満たした。


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女優・荻野目慶子さんは10年前、恋人を自殺で失った。発見したのは彼女自身だった。以来、この
辛い記憶に悩み続け、「死の誘惑」に疲れ果てる日々を送ってきた。睡眠薬なしでは眠れなくなっ
た。女優という仕事も過酷だった。ドラマに必ずといっていいほど描かれる愛と生と死。役を演じる
ことは、辛い記憶と正面から向き合い、掘り下げることに他ならなかった。この10年、何度も落ち
込み、もがいてきた。しかし、最近ようやく「生きている実感」を喜び、女優という仕事が好きだと
いえるようになったという。いま女優として新境地を開き、注目を集めている荻野目さんは、どのよ
うにして「死の記憶」を受け入れていったのか。10年間に及ぶ葛藤の日々と、心の軌跡をインタビ
ューで辿る。

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あしたは、河瀬直美なんだって。最近気になる人の一人。


2001年05月19日(土)

なんともいえないよき日でした。


障害が力になるということ。
重ければ重いほど力になるということ。
泥棒が力になったということ。


力んで考えちゃうし。
受け入れる力というものがいるのか?


言葉にできないし、記録できないので、また聞きに行きましょう。

ほにゃら
なんか最後にヅッコケル感じでとてもすてきだ。


2001年05月13日(日)

筑波大の院生が刺されたということだ。


未来はどうなるのだろうか?
傷はどうなるのだろうか?
躰はどうなるのだろうか?
世界はどうなるのだろうか?


どうなるのだろうか?


友達が自殺したことがあった。
今でも何を考えていいのか…。分からなくなる。
生きていたことは分かるのだけれども…。それ以外は、?。


2001年05月12日(土)

今週2度目のうんこ垂れ。
今回も悄気なかったけど。
心配だ続くと。

あと、なんか体液みたいなものが出てきた。血も混ざっていた。
なんだこりゃ???
病院嫌いなのでもうちょっと様子見ます。


死ぬのはこわくないけど、その時はもがきます。
死にたくねーぇってね。


2001年05月10日(木)

なんかとても寂しくなりました。
泣きたいくらいです。
スイッチを押すのがこわいのでした。


人間って恐ろしい(?)と思いました。ホントに恐ろしいことなのか分かりませんが…。
イメージって勝手に膨らんでしまうのですね。
そして、実物はまた忘れ去られていくのです。

取り合えず僕の脳の中ではなくここに記憶として留めておきましょう。
目尻に皺がある。


また明日がありますね。

ところで明日っていつまであるの?


介助者っていうのが、僕にとってはここ数年来のテーマだったわけですけど、
一体彼らに何を期待していいのか、試行錯誤に経験してきて、
介助者だけ考えていたら済まなくなって、友達も恋人も考えなくてはならなくなって、
なんさ最近またひとつの転機が来ているような気がしているので、
これまでのことをちょっと書いておこうと思う。

友達というのがあって、恋人というのがあって、介助者っていうのがあって、
関係にはそれぞれ名前があるようなのですよ。この社会には。

それで、その名前によって関わり方がある程度決まってしまっているようなんですね。
それで、名前が決まってしまうとその関わりから出ることも結構大変だったりするようで。
それは、二人いるからってことも関わっているようで。

その二人が、今のところから次のところへ、たとえば、友達から恋人になるとき、
二人がその場所へ行きたいと思わなければ、了承しなければそれへはいけないわけのようなんです。

でも、その移る場所っていうのが結構見渡してみると選択肢が少なかったりすると思ったりして。
友達だったら、恋人・夫婦・?。あとなんかあるかなみたいな感じなわけで。

でも、二人は友達のままはイヤだとして、でも、恋人も夫婦も二人が了承することではないとして、
どうしたらいいのかなーとか考えたりして。

それなら勝手に自分たちの関係に名前つけちゃえばいいんじゃないのかなと。
関係に名前が付くということは、関わり方が決まるってことなんだけど、勝手に名前つけちゃうわけなので、
関わり方も勝手に決めちゃえるのではないかなと思ったりしているのだけど。
既成の関わり形にとらわれない形で出来るかなと。

あと、対面的にも名前が付いていると説明しやすいし、怪しまれなさそうかなとも思ったりして。


10:40pm
あした、らい病の国家賠償訴訟の初判決が熊本地裁であります。
らい予防法が廃止されたのが1996年でした。学生でした。
僕が、差別を学ぶ上で影響を受けたのが、部落差別であり、障害者差別であり、
そして、らい差別でした。
そんなときに、らい予防法が廃止されました。

人と人の関わりに強制的に介入する権力は許せません。絶対に。



やさくれて死ぬってかっこいいかな??


今日はなんか感情が高ぶってて、寂しさと悲しさの感情を司る神経が肥大して真っ赤になって濡れていて振動していて
全うに電話にでれそうにないので無視しました。
ごめんなさい。と謝ることじゃないけど、謝っておこう。安心するから。


会話の80パーはただおしゃべりのためにあるんだそうだ。

今日は書きすぎだー。




2001年05月09日(水)

腹痛にいたり、
うんちたれました。
今回は、悄気なかったな。

非障害者にとってはうんちはたれないものだろうけど、
障害者にとってはうんちはたれるものなんだよね。

この身体からくる世界観の違いがあるということすら知られていないことなのだと思う。
女性と男性もそうなのかも知れないけど、どうなんでしょ。



『ピンクフラミンゴ』


2001年05月08日(火)

なにやら、「友達」に突き当たる日です。

aboutな「友達」から、
記憶を保管するための「友達」。

なるほど。それは結構気が楽か。


是枝さんという今は映画監督やってる人のドキュメンタリーを観たことを思いだした。
ビタミンの不足で数時間前の記憶が消えてしまう人の映像。

そのドキュメンタリーのことを是枝さんが何かの雑誌に書いていて、
確かスクラップしていたはず。
それはいずれ読むとして、この日記はその伏線。

その中で「その記憶がなくなってしまう人の記憶は家族の記憶の中に記憶される」
みたいなことを書いていて、こんな胡散臭い書き方じゃなかったはずなんだけど、
えらく感動した。というか、なんか実感するものがある。

介助、小松よしひこ、脳死、死、よくはかんないけど。
そんなところから。


八つ橋くいてえー。ていうか、嫌いなんだけど。




3週間ぶりでした。

宇田ヒカルって、やけにタイムリミットって単語使うな??

今日もすったもんだありました。予定通りにことが進まないと障害者って対応できないんだよね。



ぼんちゃんがきました。
黄色い服が素敵でした。
「友達」のしめっくくりです。



2001年05月07日(月)

今日の感じは、
赤い粘土と青い粘土をひっつけて、二回くらい捻った感じ。
色は特に問題ではないが、強いていうなら。


働き過ぎは敵。
働き過ぎは入院。
働き過ぎは早死に。


よくわかりません。なにがどうなってるのか?
取り合えず、やってみるしか。
取り返しがきかなくなるかもしんないけど。
それはそれでしょ。



『老人と海』
『三月のライオン』


2001年05月04日(金)

本日のキーワード。


薬で気持ちのコントロール。





記憶の抹消。


2001年05月03日(木)


『ラ ハッスルきのこショー』




『美術館の隣の動物園』


雨で寒い日。


0:25

FAX電話の上に介助者自身の服を置くあほな介助者がいます。

「電話の上に服おくな」

「おくとこないからいいじゃないですか」

この時点でかなりむかつく。置くなつていったらおかなきゃいいんだっつうの。あほか。

「押入のとこにおいて」

「別に(FAX)ほとんど使ってないんだからいいじゃないですか」

なんでそんなこと言われなきゃなんないの?気持ちよく生活させてくれよ。
置くなっていったら。

「はい」だろ。あほ。○○。


それでもって、こんなことこの日記に書いて、俺ってこわいとか思われちゃうんだろうな。
それってつまり泣き寝入りしろっていってるもんだっつうことが、其奴には全く分かってないんだろうな。
それってまったく八方塞がりってことだよな。
こういう差別的なことがあってもいうなってことでしょ。闇で解決しなってことでしょ。
まったく障害者は辛い商売ですな。

まったく死んだ方がましでしょ。死んだ方が。


今日はむかついて寝れないね。あーあ。



2001年05月02日(水)

クッキー、メロンパン、花、幸福の竹、タイカレー、はがき、ワイン、冷えピタ、卵豆腐、玉葱、電話、メール、豆大福、ケーキ、歌。

ホントありがとう。


その決断。



ホント良い日でした。




『ペパーミントキャンディー』


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