心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2010年07月28日(水) 回復施設の抱える困難

操作的診断基準の影響 の話の続きです。

「ひとつの病名の中に、いろいろな病気の人が混じっているのが今の時代の特徴」であり、それはうつ病にしても、依存症にしても言えることです。

昔から重複障害(Double Disorder=DD)というものはありました。これは依存症の他に別の病気も抱えていることです。例えばアルコール依存症と統合失調症の両方という意味で、通例「別の病気」には身体疾患は入れません。

紛らわしいのは「合併症」です。アルコールを飲むとうつになるのですが、このうつは合併症であって重複障害ではありません。アルコール依存症患者の41%にうつがみられるものの、27%はアルコールの二次障害なのだそうです。

話は逸れるのですが、これはつまり「アル中さんのうつの2/3は酒をやめれば治る」ということです。酒と無関係なうつの人は15%ほど。これは一般のうつの有病率と比較すると確かに多いのですが、残りの85%はうつとは無関係に依存症になっていることを考えると、「うつの人が(極端に)依存症になりやすい」とは言えないと思います。

そして通常のうつの8割は半年以内に治ることを考えると、ちゃんと断酒してうつの治療もすれば、半年後にうつを患っている人は全体の数%程度にまで減るはずです。しかしネットを見ているとうつを抱えたアル中さんが多く感じられるのは、断酒かうつの治療のどちらか(あるいは両方)が順調にいかないからなのでしょう。

さて、話を元に戻します。

知り合いの回復施設のスタッフのグチを聞いていました。その人は「今の仕事は依存症の施設の範囲を超えている」と言うのです。それもむべなるかな。その施設には依存症だけの人は少なく、重複障害を持った人のほうが多いわけです。抱えている「依存症以外の問題」は人それぞれなのでしょうが、それだけにスタッフは個別の対応を迫られています。

神戸で開かれたアルコール関連問題学会のポスターセッションの中に、依存症の回復施設の抱えている様々な問題を取り上げた研究がありました。その中に入所者の重複障害のことも取り上げられていました。

例えば高齢の人の認知症。あるいは統合失調症(圏)の人。これについてはそちらの専門の施設が充実しているので、うまく連携を取っていけば回復施設の負担は減ります。(話は逸れますが認知症のアル中さんの断酒維持率は決して悪くないのだとか。それは認知症の進行に伴って酒を飲むことそのものを忘れてしまうのだそうです。定年アル中の断酒率が高いのもこれと関係があると言っている人もいました)。

他の施設の人とも話をしていたのですが、どうやら回復施設には重複障害を抱えた人が集まりやすい傾向があるようです。例えば統合失調のグループホームでは、アル中の面倒は見きれません。なにぶんそちらの施設は依存症のケアができるところではないのですから。なので、そういう人たちが回復施設に回されて難しいケースが集中している可能性はあります。

そして忘れてはならないのが発達障害です。アスペルガーやADHD、知的障害があると、やはり回復は他の人より時間がかかります。なかでも障害が重くて、なかなか回復しない手のかかる人たちが、自助グループや病院では面倒を見きれなくなって施設に送られている、という図式があるのはほぼ間違いないことだと思っています。これについては大人の発達障害をケアできる施設がないので、回復施設も連携する先がないのが困ったことなのです。

実際に施設の中で行われている支援を聞いても、それは炊事や洗濯、買い物、金銭管理のやり方を教える生活指導であり、人間関係の構築の練習です。それは精神障害、発達障害へのケアを手探りで長年やってきた成果なのでしょう。しかもスタッフは自分たちが何をしているか意識せず、重症?に見える依存症の人たちを回復させようと懸命にやってきた結果です。その大変さにはまさに頭が下がる思いです。

しかし相対的にステップなどの依存症治療の比重が下がったことは否めません。回復施設の専門性が、依存症分野にではなく、重複障害のほうに発揮されてしまうのは、手放しで喜べないことです。というのも、重複障害を抱えた人たちは場合によっては何年も施設にとどまります。結果として施設がそういう人たちであふれてしまい、上に書いたようなスタッフの疲弊を招いています。

施設から回復者が次々と生み出されれば、世の中に回復者が増えることで回復を容易にする様々な相乗効果が期待できます。しかし施設の回転率が落ちてしまえばそれも期待できません。もとより、施設の専門性が「依存症以外の分野」に発揮されることで、依存症に対する誤解を増やす恐れすらあります。(依存症以外の問題が依存症の問題だと誤解される)。

なにがこうした事態を招いてしまったのか考えてみます。
まず第一は、重複障害という難しい問題は、医療機関が責任を持って面倒を見るべきことなのに、それが回復施設に任されてしまっていることです。医療機関で対応することが難しければ、公的に専門の機関が作られるべきです。

また、回復施設の経営上の都合もあるのでしょう。一ヶ月や三ヶ月という短期でプログラムを終えて退所させていくと、施設の稼働率を気にしなければならなくなります。退所者のぶんだけ、新規顧客を獲得する努力が必要になります。その点、生活保護なり自立支援法という資金の出所がある長期入所者の存在は、施設の経営を安定させるメリットがあります。ただし、これについては、回復施設の経営戦略を責めるのではなく、施設の経営基盤の脆弱さが放置されていることを社会の問題にすべきでしょう。

重複障害を抱えた人が存在する以上、誰かがそれに対処する必要があります。
しかし回復施設という社会資源のかなりの部分が、そのために費やされているのは望ましいことではありません。

しかも、それが重複障害ならともかく(その一つには依存症が含まれるのでいい)、依存症とは言えない人たちまで引き受けることになっているケースも見受けられます。そうなってくると、ますます何の施設なのか分からなくなってきます。

学会の信田さよ子先生の講演の中に、1970年代、80年代の医者たちは、依存症治療という難しい分野を開拓していこうという気概があったものが、90年代から風向きが変わりだし、病院を辞めてクリニックを開業して回復の容易な中年サラリーマンアル中のデイケアばっかりやっているという批判がありました。そうした変化も、この状況を招いた一因と言えなくないでしょうか。


2010年07月22日(木) スポンサーとの対話

隣県のAAメンバーが亡くなったと連絡を受けました。
その文章には彼を知る人に伝えて欲しいとあったのですが、ここ数年病に伏せていたようであり、最近の仲間は彼を知らず、伝えるべき人はそう多くはありませんでした。

僕の最初のスポンサーには電話で知らせました(メールを使わない人なので)。
はて、電話するのも何年ぶりなのか。
受話器を取った奥様(この方もAAの人だった)と挨拶もそこそこにスポンサーに替わってもらいました。毎度電話するたびに奥様ともう少し話をすれば良かったと後悔します。一度スポンサーに替わってしまうと、もう一度奥様に替わってもらえたことは一度もないのですから。

スポンサーの反応は意外でした。
「彼はもう何年も前に亡くなったんじゃなかったかな?」
「いえ、それはたぶん別の人です。彼も倒れたけど生き延びていたのです」
「おおそうか、病院に見舞いに行ったのと、葬式に行ったのを勘違いしていたよ」
こんなふうにAAメンバーというのは、しばらく顔を見せないと殺されてしまうのです。

それからしばらく話をしました。スポンサーの近況のこと。すでに車を運転しなくなり、いろいろ人の世話を受け、病院には奥さんの運転で行っていること。どれだけ年数が経とうと、無力を認めるステップ1の難しさなど。

そして「今の若い人たちに伝えてくれ」とこう言われました。

一つは、「こうやって人の世話になるようになって思うことは、もっと働いておけば良かったということ」。

この場合の「働く」は金を稼ぐ仕事という意味です。彼は若い頃はヤのつく自由業だったし(エンコがない)、年を取ってからは健康に優れずなかなか働けませんでした。長野の田舎では生活保護というわけにもいきませんが、昔は公的扶助もそれなりに充実していたのです。僕は彼から、金銭という対価のない仕事にもちゃんと意味があることを教えてもらったと思っています。それでも彼は、何らかの形で人の役に立って対価として金銭を得ることの大切さを感じているというのです。

もう一つは、「薬に頼るなよ」ということ。

彼のことを「医者の出した薬で壊された人」と表現する人もいます。処方乱用がひどくなって、睡眠薬や安定剤はおろか、多くの抗うつ剤も使えなくなってしまいました。うつがひどくなっても薬も飲めずに寝伏せっている状態が続いた時期もありました。「医者の出した薬だから」と言い訳を自分にして、飲めなくなってから乱用を後悔したのでは遅いぞ、という彼の言葉には重みがあります。

電話を切った後で、やっぱり奥様に替わってもらえなかったことに気づきました。次こそは、と思ったものの、果たして次はいつでしょう(誰が死んだときか、という意味)。これが最後の電話にならないことを祈るばかりです。

彼は今でも僕のスポンサーなのか?
何年のバースディのときだったか、こう言われました。「あなたに伝えることはもう何もない。もうオレは出がらしだ」。だから彼はもう僕のスポンサーじゃないのかもしれません。おかげでそれからの僕は、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、うろうろして、いろんなものを掴んで今の僕があるわけです。

けれどスポンサーの言葉は今でもずっしり重い。スポンサーというのは生きているだけでスポンサーなのかも知れんね。


2010年07月20日(火) 操作的診断基準の影響

今回の話は結構長くなるかも知れません。
・・・すると途中で書くのに飽きてやめてしまうということもあります(途中で終わっている発達障害の話のように)。
けれど、ともかく書いてみるか。

さて、どこから話を始めたものでしょう。

僕はアルコール依存症であるほかに、うつ病でもあります。単極性、メランコリー型。うつ病には見えないと言われますが、それでも再発には気をつけなければいけません。

なので、ときおり依存症とうつの二つを抱えた人から相談を受けることがあります。ところが、話を聞いていると「どうもこの人はうつ病っぽくないな」とか「うつ病ではあり得ない」と感じることがままあるのです。

なぜそんなことが起こるのか、いろいろ考えたり、調べたり、人の話を聞いてみました。ひとつの可能性は、正しい病名が告知されていない場合です。つまり、本人に知らされた病名と、カルテに書かれた病名が違っているわけです。ある種の病気には世間の偏見がべったり張り付いています。正しい病名を告知することで、本人や家族がショックを受け、治療の拒絶・中断を招いてしまっては元も子もありませんから、より受け入れやすい「うつ病」という病名をとりあえず知らせておくというのです。患者の利益を考えれば、インフォームド・コンセントより優先されるわけです。

しかし、それに当てはまらない場合もあります。この場合には医者の診断と本人の知っている病名が同じです。にもかかわらず、うつ病っぽくないのです。これはどうしたことか。医者の診断が間違っているのか?

そんなことを調べていくうちに、操作的診断基準の抱える問題というのに突き当たりました。

操作的診断基準というのは、最近のDSM-IVのことを指します。それが流行る前に使われていた手法は「伝統的な診断」と言われ、病因論に基づいていました。病因というのは病気の原因で、例えばうつ病は内分泌系の異常です。同じように気分が沈んでも、原因が違えばうつ病とは違う病気です。病気ごとにある種のモデルが考えられ、そのモデルに当てはまるかどうかで診断を下します。そのモデルは必ずしも言語化できるものとは限らず、医者が経験によって作り上げるものであるかもしれません(病像)。

例えば統合失調症の人には、言葉では表現しづらいある種の雰囲気があります(硬さみたいなもの)。それはプレコックス感なのかもしれません。そして、その雰囲気の有無が手がかりの一つだと言われれば納得できます。

「ここにいない人の声が聞こえる」という症状があったとします。統合失調の妄想、解離性障害で別人格の声が聞こえている、薬物中毒の離脱症状、広汎性発達障害の妄想や思いこみと、いろいろな可能性が考えられます。症状だけでなく、その背景にある病気の仕組みを考えることは、素人目にも自然に思えます。

しかし、病因や病像を使うことには問題もあります。病気の仕組みは簡単には分からないし、議論の対象にもなります。病像という曖昧なものを頼りにすると、医者が違えば診断が違ってしまう可能性があります(実際プレコックス感を一度も感じたことがないという医者もいる)。

そこで、病因ではなく症状に注目し、診断の基準を明確にしたのが操作的診断基準です。例えば、抑うつ気分が二週間継続していて、明らかに他の病気でなければ、それはDSM-IVの「大うつ病性障害」に当てはまります。そして、大うつ病性障害のことを一般にうつ病と呼んでいるわけです。

こうして考えてみると、伝統的な診断による「うつ病」と、操作的診断基準による「大うつ病性障害」は全く異なる概念だということが分かります。それが一緒くたにされて「うつ病」と呼ばれていることが混乱の原因でしょう。

今の時代、うつ病とされている人の中には、昔のうつ病の概念に当てはまらない人がたくさん含まれています。その人たちに、服薬と休息という伝統的な治療を行っても良くなるとは限りません。

ひとつの病名の中に、いろいろな病気の人が混じっているのが今の時代の特徴

というわけです。

そしてそれはうつ病だけに限った話ではなく、依存症についても同じです。今日の雑記は、

依存症だという診断を受けても、実は依存症じゃない人が結構たくさんいる。

ということを書くための前フリというわけです。そして依存症じゃない人たち(アディクション概念に当てはまらない人たち)が依存症の治療を受けていることが、何らかの歪みを作り出しつつある・・・そういう話を書いていこうと思います。

(ヒマをみつつ続く)


2010年07月14日(水) 意志が弱いから飲むわけではない

20年ほど前に自殺未遂をやりました。
酒を飲んでいた頃で、精神科にもAAにもまだお世話になっていませんでした。
左の手首を切ったのですが、ちょうど大学の後輩が電話をかけてきてくれて、助かってしまいました。救急病院経由で長野の実家に帰ることになりました。

なぜ死にたくなったのか、という話は平凡なので省きます。話したいのはそこから先ですから。

ちょうど旧盆の頃で、実家では腫れ物に触る扱いをされました。僕は酒が身体から抜けていくときは、かなり激しい退薬症状が出ます。上半身は脂汗だらけ、身体全体がふるえ、耳鳴りが聞こえます(幻聴が聞こえたのは数度のみ)。これが2〜3日続きます。このときは入院せずに実家でこれを乗り越えました。

酒が切れると、次は長期の飲酒で弱った身体の面倒をみなければなりません。一週間ほどで普通に食事ができるようになり、一ヶ月経つ頃には手首の包帯も取れました。僕は高校のときに乗っていた自転車を整備して、それで田舎道をあちこち走って体力をつけました。晩夏初秋の風が気持ちよく、眺めの良い場所で飲むジュースは格別でした。

混乱していた頭がスッキリしてくると、自分がとてもバカなことをやっている気分になりました。自分は田舎でのんびりしたいわけではなく、東京に戻って仕事の続きをやり、フリーランスのエンジニアとしての立場を取り戻さなくてはなりません。酒のせいでこうなったのは分かっていました。

酒を飲むより、仕事で自己実現する方がよほど大切ですから、「もう二度と飲むまい」と決めました。東京にいる仕事上の知人に電話をかけ、戻る段取りを始めました。

季節は秋になり、夕食のときに親父が目の前で飲む晩酌が気になるようになりました。燗をつけた日本酒の温かさが懐かしく、「ちょっと一杯くれ」と親父に言っていました。その時の親父の嫌そうな顔を今でも思い出します。おちょこ一杯だけの日本酒で、胃がぽっと暖かくなりました。自分が酒のせいで頭のおかしな人になってしまい、そのせいで実家にかくまわれている身だという事実を完全に忘れていたわけではありません。

けれどその瞬間、僕は「ちょっとだけなら飲んでもかまわない」と思ってしまったのです。手首の傷跡や、財布の中身の乏しさの原因が酒であることは、最初の一杯を退ける理由にはなってくれませんでした。

その日はそれで寝たのですが、翌日自転車で走りに出たとき、缶ビールを一本飲むのも悪くないと思いつきました。やがてそれは連続飲酒になり、東京に戻る話は流れてしまい、それ以来ずっと僕は田舎に留まっています。

今から思えば、あれは人生を変えた瞬間でした。あの時飲まなかったら東京で成功していた・・・とは言えないのでしょうが、自分が成し遂げたかった夢を諦めることになった一件でした。僕も「大事なときに限って飲んでしまう」人の一人なのです。

今では分かっています。その瞬間こそ「最初の一杯にまつわる狂気」なのであり、それこそ僕の無力の対象であるものです。AAに来た後も一度その狂気にやられて再飲酒しています。その時もどうしても飲みたくてたまらなかったわけじゃありません。飲みたい気持ちは少ししかなかったのに飲んでしまったのです。

ビッグブックでフレッドが語る言葉。

「私にアルコホリズムの傾向があるなら、その時と機会は必ずくるし、だから必ずまた飲むだろうと。防御を固めていても、それはある日、酒を一杯飲むための取るに足らない言い訳の前に崩れ去るだろうと言われましたね。まったくそのとおりになってしまって……それどころか私がアルコホリズムについて学んだ知識は、少しも頭をかすめさえしなかった」

けれどその時はそんなことは分かりませんでした。ただ飲みたくて飲んだだけだ、自分は意志が弱いのだと思っていました。けれどアルコホーリクの心の動きを説明された後では、あの時自分に何が起きていたか分かります。

ネットにも(AAにも!)フレッドのような人はたくさんいます。意志の力や自覚によって酒を遠ざけ続けられると思っている人が。そういう人たちが無力を理解するには、やはりフレッドと同じ体験をするしかないのかもしれません。

結局あの自殺未遂によって強力な環境調整が行われました(東京→長野、独居→同居、フリーランサー→さらりーまん、などなど)。そうした環境調整も回復の役に立ったのは確かです。そして、強力な(というか強引な)環境調整ってのは、なかなかできるものではないので、あれはあれで良かったのだと思います。

という文章を書いても、何が言いたいのか分からないかもしれないので、ひと言でまとめると、

意志が弱いから飲むわけではない、その瞬間は頭が狂っているから飲めるんだ。

ってこと。


2010年07月12日(月) レッツ・ゴー・メイク・サム・ヒストリィ

アメリカではAA以前にもいろいろなアルコールの団体(自助グループ)がありました。
中にはAAより大きくなったものもありますが、その多くは衰退し消滅していきました。僕の知る限りAAより先に生まれ、長続きしているものは「救世軍」だけです(救世軍は自助グループではなく宗教団体)。

なぜAAが長続きし得たのか。(長続きしていいる点では日本の断酒会も同様)。
それはAAの生まれた時代背景を考えると分かります。1919〜33年は禁酒法の時代でした。禁酒法はザル法でしたが、実際にアル中の数を減らす効果があった点では立法の目的は果たしていました。

さて、禁酒法以前には様々なアル中の治療施設や団体が存在していました。しかし、禁酒法によって顧客がいなくなると、そうした施設も消えてしまいました。禁酒法が廃止され、ふたたびアル中が増えたとき、彼らが頼れる施設はほとんどありませんでした。
(金持ち専用のタウンズ病院に入れたビル・Wは例外的に恵まれていたと言えます)。

つまり、誰も助けてくれなかったからこそ、自分たちで何とかするしかなかった、というのがAA誕生の理由です。日本には禁酒法はありませんでしたが、断酒会誕生の時期にはアルコールの治療施設がほとんどなかった点では、発足の経緯は似ています。

アルコホーリクには、自分が苦境に陥った原因を他者に求め、自分以外の「誰かが(責任を取って)なんとかすべきだ」という考えがとりついています。それが、誰も何ともしてくれないのなら自分で何とかしようと行動が始まるとき、その人自身の回復が始まります。

掲示板でリカバリーパレードの話が出ていました。
そこには「偏見を取り除くのは回復者自身の責任である」というウィリアム・L・ホワイトの言葉があります。

なるほど社会には偏見があります。もし偏見がなければ、就職するときに履歴書の健康欄に「アルコール依存症」と書いても問題ないはずです。持病があっても十分ケアされて再発が防げているのなら他の病気と同じはずです。けれど多くの人は、自分がアル中であることは恥ずかしいことで、世間に対して隠し通さなくてはならないことだと思っています。

アルコール依存症の家族を持つことは恥ずかしい、誰にも相談できないことだと感じている人も少なくありません。そのせいで助けを求めるのが遅れ、また回復できることを知らずに悪化させて死んでいく人もたくさんいます。

偏見と差別が、人々から回復を奪い、またせっかく回復できた人に悩み苦しみを与えています。ではその偏見を「誰が」取り除くべきなのか。おそらくそこで「自分以外の誰かがなんとかすべきだ」と答えるアルコホーリクや家族は少なくないでしょう。けれど、自分たちで何とかしなくてはと考える人たちが出てきたわけです(アメリカでも日本でも)。

僕は占い師ではないので未来を見通すことはできません。でも、リカバリーパレードは発展し長続きする可能性が十分にあると思っています。なぜなら、片方は社会運動、一方は自助グループと分野は違っても、リカバリーパレードを支える行動原理は、断酒会やAAを発展させ長続きさせてきたものと同じだからです。

僕はここではAAメンバーであることを明かして書いているので、リカバリーパレードに参加するかどうかは明言できません。けれど、こう考えてみて欲しいのです。僕は病院とかAAに世話になって(断酒会にもちょっぴり)助けられてきました。そういうものは、僕が触れたときにはすでに枠組みができあがっていたので、僕は何かが始まる瞬間に立ち会ったことはありません。

リカバリーパレードの将来は予測できません。できないのですが、ひょっとして将来から振り返ってみたときに、今年の9月23日はちょっとした歴史的瞬間になっているかもしれません。断酒会やAAが始まった瞬間と比べて良いものになるかどうか、それは未来はわかりませんけど。

("Let's Go Make Some History" はウィリアム・L・ホワイト博士の著書のタイトル)


2010年07月08日(木) 発達障害とアディクションとの共通点、背景の相違点

発違障害とアディクションとの共通点、背景の相違点
ワンデーポートの経験による私見(作成 ワンデーポート 中村努)

自尊心が低い

(発達障害)
 ・成功体験が少ないため、自信がもてない
(アディクション)
 ・家族からアルコールや虐待などの影響を受け、心に不安や寂しさを抱えている(アダルトチルドレン)

親子関係の密着

(発達障害)
 ・成長するに従い、日常や、学校生活などで不適応を起こすことが多くなり、親のサポートを必要とする場面が増える
 ・物事を自ら決めることが難しいと、親が進学、就職の進路を決定することに
(アディクション)
 ・親が自分の満たされない部分を埋めるために子どもの世話や支配をしてしまう(共依存)

コントロール喪失

(発達障害)
 ・脳の先天的な特性
(アディクション)
 ・脳の後天的な変化

底つき感がない

(発達障害)
 ・想像力が弱いため、将来を見通せない
 ・感情表現ができないため、他者から見ると、苦しんでいるようには見えない
(アディクション)
 ・自分に万能感(否認)があり、意志の力でコントロールできると考えている

人の話が聞けない

(発達障害)
 ・認知特性により、話の意味を取り違える
 ・人の話を自分の体験に重ねることが難しい
 ・人の話が理解できない場合がある
(アディクション)
 ・自分は正しいと思っているので、人の話を聞く必要がないと感じている

ハマる要因

(発達障害)
 ・発達障害に起因するこだわりと生きにくさ
 ・反復的、常同的行為(障害の特性)
(アディクション)
 ・空虚感を埋める、自己治療

正直さがない

(発達障害)
 ・過去のできごとを整理し、組み立てて話をすることが苦手
 ・正直になるという意味がわからない
(アディクション)
 ・正直に話すことで、自分が悪く見られるのではないかという恐れがあり、嘘をつく

自己主張

(発達障害)
 ・自我形成が十分でなく、自分の考えを主張することが難しい
(アディクション)
 ・確たる自分の考えを持っているが、それを主張できない(腹にためる)

感情の問題

(発達障害)
 ・喜怒哀楽を感じる力が弱かったり、表現が苦手な場合が多い
(アディクション)
 ・トラウマなどの要因による感情の麻痺

(季刊Be!93号)


2010年07月07日(水) 掲示板のつづき

abstinence とは何なのかを考えています。
アルコールの場合には完全断酒です。
ギャンブルの場合も、GAのハンドブックを見ると、賭け事はすべてやめるとあります。
その閾は、ゼロのところにあって、皆に共通です。

で、以前に雑記で書きましたが、完全にゼロにはできないものもあります。
食べ物、買い物、共依存、感情。
こちらでは、閾はゼロじゃなくて、しかも人によって違っているはずだと書きました。
性依存のグループでも、皆に同じ基準を当てはめているわけではないようです(これはちょっと不確か)。

しかし、その閾の向こう側に行けばスリップになることは、アルコールの場合も、共依存の場合も同じはずです。
だから「共依存の場合にはプログラムをやっていても細かなスリップの繰り返しになる」というのはコンセプトとして間違っていると思うのです。その状態はやはり abstinence ではありません。

閾が決まるまでには、試行錯誤による細かなぶり返しが避けられないと思います。
食べ物の人の話では、過食おう吐を発生させないフードプランができあがるまでには、何度か失敗も必要なのだそうです。感情や共依存の場合も同じではないでしょうか(つまり、細かな感情的・関わりのスリップを繰り返して、行動の安全域が定まっていく)。

こうして考えると、共依存の場合に、まず見捨てるがごとくに、大きく距離をとるところから始めるのは間違っていないと思います。とはいえ、同じ家に住んでいてまったく関わらないのは、買い物を一切やめることで買い物依存を止めているのと同じように不自然なことですから、徐々に健康な関わりを取り戻していくということじゃないでしょうか。
しかし、関わりを戻していく途中には、以前の不健康なパターンが顔を出して、こまかなぶり返しを伴うものでしょう。それは、食べ物依存の人が失敗をしながら安全なフードプランを確立していくように、共依存の人も行動の安全域が定まっていくものでしょう。

そして、そうしたフードプランや行動の安全域が定まった後は、アルコールやギャンブルの人と同じように、そこから一切の逸脱を避けるのが abstinence ということでいいのではないか、と考えています。

ともあれ、共依存の問題というのは、他者の存在を脇に置いて、共依存者本人だけで決まるものです。隣でアル中が飲み続けようがやめようが、問題は共依存者の中にあるわけです。酒をやめる・薬をやめるために役に立つ行動ができる、できないってのは、共依存であるかどうかとは無関係だと思うのです。

(昨日の雑記で「共依存の概念が変わっちゃう」と書いたのも、単なる僕の揶揄で、本人の治療にデメリットがある家族の行動が共依存だという文脈で講演が行われていたわけではありません。念のため)

それともう一つ感じたことは、損得勘定による誘導がいいことなのかどうか。
被虐待の子供の面倒を見ている人が、問題行動(例えば子供の万引き)をやめさせるのに、万引きがどんなに迷惑なのか倫理観や道徳に訴えても効果が薄いため、万引きすると大人に怒られるからとか、大人になるとそれで刑務所に入れられるから、と「万引きしたら損だから」と教えた方が効果が高いという話がありました。DV夫のグループ療法にしても、薬物依存の新しい治療法にしても、同じです。

自分が人にかける迷惑とか、あるいは自分の健康、そんないろいろなことをおもんぱかって行動を変える・・・そういうふうに導くには手間も金もかかりすぎるのでしょう。だからこそ、「おもんぱかる」ことを期待せず、なんだか即物的な損得勘定で誘導する。

そのことにちょっと虚しさを感じてしまったのです(それがあの揶揄に形を変えて現れたのでしょう)。

禁煙が1年間続いたら報奨金を出す方法に批判があるのだとか。その気持ちが分かります。

とはいえ、それに虚しさを感じてしまうのは、自分が駆け出し(何の?)である証拠であるかもしれません。あるいは素人である証拠かも。


2010年07月06日(火) 新しい依存症治療

最近休みの日となれば研修や公開講座に行っている気がするのですが、土曜も依存症の公開講座に行ってきました。前半は薬物(アルコール含む)依存症の新しい治療法について、後半はギャンブル依存症の話でした。

実はその前にAAのイベントに参加しいて、遅れて参加したので始まりから1時間ぐらいは聞き逃してしまいました。(だが、そこはたぶん依存症とは何かという話をしていたと思われるのでいいや)。講師は国立精神・神経センターの臨床家の先生です。新しい治療法というのは、必ずしも abstinence (アルコールで言えば禁酒・断酒)を目指すのではなく、moderate (アルコールならば適正飲酒)もありというものでした。

アメリカでは abstinence base ばかりではなく、moderate base の治療も増えてきていると聞いたことがあります(例えば自助グループならMM)。なぜ断酒・断薬を目指すのではなく、節酒(節薬?)なのかというと、断酒を強調すると治療の拒否・中断を招いてしまうからです。未治療のまま放置して病気を悪化させるより、拒絶を取り除いて治療に巻き込んだ方が良いという考え方です。

「節酒」と聞くとAAの人間として反発を感じてしまうのですが、聞いてみればこれは治療と言うよりは「医者が行う治療への導入(介入)技法」です。つまり治療の入り口戦略。ここから治療に入って、急性期治療を経て、慢性期治療へと進む。AAは一生をスパンとした究極の慢性期治療(再発防止)であって、この先生の話とは分野がまるで違うのだ、と思い至った後は心落ち着いて話を聞くことができました。

覚醒剤やアルコールの害を強調するばかりではなく、それにメリットもあることも気づかせる。これは動機付け面接(MI)の技法です。飲み続けるメリット・デメリット、やめるメリット・デメリット、これを表にして書き出してもらい、意志決定を促していきます。

治療の場に来たことをとにかく褒める、褒める、褒める。例え前の晩に覚醒剤をやっていて尿検査に反応が出てもとがめない。これによって、「また覚醒剤やっていることがバレるからもう診察には行かない」という気持ちを避けさせます。・・この話を聞いていて、昨年信田さよ子先生のDV加害者のグループ療法の話を思い出しました。自分の加害行為を自覚していなくても、反省していなくても、ともかく治療の場に来たことを褒め続ける。共通するのは、早く結果を出すのを目的としていることです。

従来の手法はとかく直面化を大事にしました。自分のやっている行為(酒、薬、ギャンブル、加害)の無意味さ、破壊性に気がついて、反省を促し、それによって行動を変えさせる方法でした。しかしこれには時間がかかります。最近の手法は、自覚や反省よりも「変わることのメリット」を強調して、それに吸い寄せている感じです。

家族の対応についても話がありました。家族に対して「本人を手放して」という対応から一転して、積極的に治療や再発防止に関わるべきとなっています。いくら「手放して」も酒や薬でトラブルを起こしていれば入院させるなどの手間を家族がかけねばなりません。本人にとって見れば家族に関わってもらえるわけです(寂しくない)。ところが酒や薬をやめたとたん家族はそれぞれの生活に戻っていってしまいます。すると本人は放置されて寂しいので、再飲酒してトラブルを起こします。こうして再飲酒のメリットを学習してしまいます(子供と一緒だ)。

そこで、やめていることがハッキリしているときは、家族が本人にご褒美をあげる。ご褒美といっても、やめるたびにディズニーランドのホテルに泊まっていたのではお金がいくらあっても足りないので、繰り返し実現可能な些細なことです。例えば本人が寂しくないように好きなテレビを一緒に見てあげるとか、好きな料理を作ってあげるとか。

逆に飲んでいることが明らかなときには、親切はしない。といっても、明らかな懲罰ではなく、例えば駅まで車で送っていたのを取りやめるとか、お金が足りなくても追加のこづかいは絶対あげないとか。

(こうなると共依存の概念も変わっちゃうのかも。本人の治療にデメリットのある家族の行為は共依存で、治療にメリットがあれば協力行為なのか?)

・・・そんな話を聞いていて思い出したのは、以前に発達障害児(含む被虐待)のケアの本に書いてあった、「良いことをしたら褒める、悪いことをしたら無視」という対応の基本です。発達障害児は(児に限らず大人も)障害を乗り越える動機や方向付けがハッキリしている訳じゃありません。そこでメリット・デメリットによって誘導する、ということになっちゃうのでしょう。それは、薬や酒をやめたい動機が薄い依存症者や、自覚のないDV男にも当てはまるというわけです。ようするに子供扱いか(犬猫のしつけだったりして)。

類似点は他にもあります。例えばシール。子供のケアの場合には、決まった日課をこなせたらシールをあげます。シールがたまると映画やおもちゃのご褒美がもらえる仕組みです。これをトークンエコノミーと呼びます。アルコールや薬物の治療でも、診察に来たらシールをもらえ、それがたまると何らかのご褒美がもらえるトークンエコノミーを採用しているのだとか。

(AAミーティングに行くとハンコがもらえ、ハンコがたまると福祉事務所から来月お金が支給される・・てのは違うのか)

こんなふうに、発達障害児(者)のケア、DV男のセラピー、薬物依存症の治療導入、の三つで同じ技法が使われているということに気がつきました。倫理に訴えたり、道徳を教えるのではなく、利益によって誘導するのは、ちょっと虚しい気もしますが、方法を選んでいられないほど現場は切迫しているということなのでしょう。

座長の先生は「いろんな方法が増えることは良いことです」とまとめていました。

ただ、講師の先生が moderate base の治療をする根拠として、コカインやヘロインの使用者には適正使用者(軽症例)もいるエビデンスがあると強調していましたが、実際話に出てくるアルコールや薬物の話は断酒・断薬が必要な重症の話ばっかりだったので、そこがごっちゃになっていたところが気にかかりました。


2010年07月05日(月) 大阪とコロンバイン

トラウマを扱った講座の話をもう少ししてみます。

池田小事件を覚えているでしょうか。
大阪の附属小学校に刃物を持った男が侵入し、児童を殺傷、8人が死亡、15人が重軽傷という大事件で、メディアにも連日大きく取り上げられました。講師の先生は、この事件のときに被害があった小学校の子供たちや、その親のメンタルケアをするために派遣されており、その経験を話されていました。

被害者の親たちは、非常に怒っているわけです。犯人だけでなく、事件を防げなかったという理由で学校・警察・社会全体に対して激しい怒りを抱いています。人間は傷つけられるからこそ、怒る(恨む)わけですが、ではその傷をどうやってケアしたらよいかを考えねばなりません。

調べてみると、アメリカでも似たような事件が起きています。コロラド州でコロンバイン高校銃乱射事件というのがありました。いじめを受けていた高校生二人が学校で銃を乱射、死亡12人・重軽傷24人という大事件です。当然そちらの親たちも、激しく傷ついて怒ったわけです。

しかるに事件から1年後、事件のあった図書館を取り壊すのか、それともメモリアルホールとして残すのか、学校と親を交えて話し合いが行われました。その記録を読むと、親たちは感情的にならずに、実に冷静に話し合いをしているのだそうです。しかし、池田小の現場にいると、とても1年や2年でそんな落ち着いた状況になるとは思えない、この日米の違いは何なのか、アメリカの親たちはどうやって傷を乗り越えられたのか、それを調べたのだそうです。

コロンバインの親たちは、この事件は私たちに与えられた mission であると考えたのだそうです。つまり事件や子供の死は神から与えられた試練であり、(その意味は人智を越えているのでわからないものの)試練を乗り越えることが自分の人生の目的・目標であるという理解に至ったというわけです。だからそれに負けてしまっては、生きる意味が失われてしまいます。

その親たちが、特に信心深いとか、宗教に熱心というわけではなかったのですが、いざ人生の危機が訪れたときに、最終的に頼りになったのは心の奥底にあった根源的な信仰でした。

日本人は非宗教的な国民だと言われます。しかし、日本人がもともとそうだったわけではありません。第二次世界大戦では、宗教が戦争に協力をしました。宗教ばかりではなく、政党も新聞も戦争協力をした時代だったのですから、宗教ばかりを責められません。しかし、戦後日本が戦争を否定するときに、戦争に協力した宗教も捨て去ろうとしたわけです。

無宗教化、総中流化、単一民族化によって(実際にはそのどれも実現していないのですが)日本には理想的な市場が誕生し、それが戦後の経済復興を助けたのは言うまでもありません。得たものも大きかったものの、その過程で失ったものも少なくないはずです。危機のときに人生に生きる意味を与える根源的な信仰心もその一つだったのではないかと思います。怪しげな宗教に引っかかってしまう人が少なくないことも、それを裏付ける事実です(つまり人には信仰心が必要なのだという)。

アルコール依存というのも、人生のなかでは大きな危機です。なぜ自分が(他の人はならない)この病気になったのかという悩みを持つ人は少なくなりません。しかし、それをミッションと捉え、乗り越えることが神が与えた試練であり、人生の目的であるとする人の生き方は力強いものになります。

人間の心の奥底にある信仰心は、危機に働いて人を助けてくれる、人間の健康の一要素です。

なぜこんな話を書いたかというと、虐待による複雑性PTSDは、この心の奥底にある健康な信仰心を破壊してしまうのです。危機にも意味があり、それを乗り越えることに生きる意味がある、と信じられなくなってしまいます。しかし、そうした健康を失ってしまった日本人に、それを説明することは骨が折れるのである、という話です。

(神戸の連続児童殺傷事件と取り違えて記述しており、指摘を受けて訂正しました。ありがとうございました)。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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