心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2008年10月31日(金) お先真っ暗

昼/鮭いくらわっぱ飯弁当
おやつ/チョコホイップロール
夕/焼き餃子・きのこ入りひじき煮・インスタントのみそ汁
夜/おにぎり(お昼の残り)
朝/コーヒー・バナナ・ヨーグルト
昼/マーボー豆腐丼
夕/味噌タンメン
53.3Kg, 11.4%
増えてる。

職場のお昼休みは部屋の明かりを消すことになっています。最近の「エコ」ブームに乗っているのもありますが、単なる経費削減であります。

お昼ご飯を食べるのに多少暗くても差し障りはありませんが、気分も少々暗くなってしまうのが難点です。少年マンガ誌を読む人などは、ブラインドを開けて対処しています。逆に、机に突っ伏して寝るにはちょうどいいぐらいの暗さで、雨の日などは熟睡しすぎて困るぐらいです。

今日の午前には、「環境」なんとかという題名の付いたメールが来ていましたが、例によってタイトルだけ見て開封しませんでした。そういえば僕は「エコ・リーダー」などという役割ももらっているんでしたっけ。まあいいや。

そのうち上司から、「先ほどの環境のメールにもありましたが・・・」というメールが来ました。ほらね、書類読むのは、それが仕事の人がしてくれるのよ。いや、それはともかく、メールの文面が問題です。

「来週から、朝9時から午後4時まで、部屋の明かりを消すことになりました。ブラインドを開けて対処してください」

それを読んで、フロアが静まりかえりました。最近のエコの厳しさに沈黙せざるを得なかった・・のではなく、最近の不景気風で、経営環境もここまで厳しくなってしまったのか。お先真っ暗な気分が広がってしまいました。

午後1時になって、外に飯を食いに行っていた人たちが帰ってきました。彼らが照明を点けようとするのを、誰かが「午後4時まで消灯なんだそうです」と制止しました。

「いや、いいじゃないか。来週からなんだから、せめて今日の午後くらいは明るく過ごそうよ」

うん、そうだね、せめて今日ぐらいはね。と、一同しんみり。士気の低下は目を覆わんばかりであります。

午後3時ぐらいになって、また上司からメールが配られました。

「先ほどのメールは削除してください。正しい内容は昼休み消灯の徹底でした」

ああ、よかった。なんだよ勘違いかよ。
いかんいかん、僕が環境のメールにさえ目を通していないのが、ばれちゃったじゃないか。


2008年10月30日(木) できの悪いやつ

昼/鮭いくらわっぱ飯弁当
おやつ/チョコホイップロール
夕/焼き餃子・きのこ入りひじき煮・インスタントのみそ汁
夜/おにぎり(お昼の残り)
朝/コーヒー・バナナ・ヨーグルト
昼/マーボー豆腐丼弁当

ご飯を炊かなくなっています。
朝1合炊いたからって、食べて出て行くとは限らないし、夜帰ってきて食べるとも限らないからです。12時間保温したご飯を冷凍するのもできれば避けたい。
だからといって、夜帰宅してからお仕掛けをして、炊きあがるのを空腹のまま待つのも辛いものです。

というわけで、炊きたてを冷凍しておくことにしました。いままでラップでくるんでいたのですが、専用の容器×5を西友にて398円で購入しました。ツルヤに行けば299円らしいのですが、当面ツルヤに行けそうにありません(涙)。

ともかく、これで冷凍ご飯+レトルトカレーという組み合わせもオーケーです。二合炊いたご飯を5つの容器に入れ、冷凍庫の半分を占領させています。

親鸞については詳しくは知りませんが、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という言葉は知っています。

ここで善人は、ハンドブックに出てくる聖人ということばと同じような意味でしょう。悪人とは凡人(できの悪い人)というほどの意味です。とびっきり素晴らしい人であれば、善行を積んで往生できるかも知れない(でもやっぱ無理かも)。ましてや僕らできの悪い凡人には自力で往生するなんて無理だよ、という話ですねきっと。

自分が「そこそこできの良い人間」であり、だいたいこのままでも天国や極楽へ行けそうだと思っている人に信仰は無理なんです。信仰には、自分が悪人であり、悪行を働いていて、このままだと地獄に堕ちそうという自覚が必要です。

「あいつがやっていることより、俺の方がまともだ」という比較では、魂は救済されません。

地獄に堕ちる前に、死なないうちから生き地獄。いや本人はお気楽でも、周りが・・・。

ウィキペディアって便利ですね。


2008年10月29日(水) ともかく5年は

昼/幕の内弁当(コンビニ)
夕/ラーメン・プリン・ドリンクバー
夜/カップ天ぷらそば
朝/コーヒー・バナナ

初めて入ったラーメン屋は、おいしかったけれど、好みの味ではありませんでした。

さて、回復の努力を、山を登ることにたとえます。回復を重ねても、山頂に達することはないのですが、ともかく登るわけです。

登り始めは、麓の森の中です。木々に覆われた道を歩いていきます。目標とする山頂も見えなければ、自分がどれぐらい登ってきたかも見えません。その割に、道は上り坂できついわけです。努力しても成果が目に見えない時期で、つい嫌になって回復をあきらめてしまう時期でもあります。

でも、辛いのをこらえてもっと登っていくと、やがて木々が途切れだして、目標である山頂が見え始めます。自分が何を目指しているのか、目標が明確になってきます。

さらに中腹まで登って振り返ると、意外と自分も高度を稼いでいることに気がつきます。見下ろしてみると、麓には森が見え、自分がかつてそこで迷っていたことや、そこから歩いて登ってきた道も分かります。自分も確かにある程度の回復を得ていることを実感できるようになります。
見上げれば山頂は遙か遠くだし、相変わらず上りはきついけれど、最初の頃のような「なんでこんな辛いことを」という思いは消えていくでしょう。

じゃあ、そこまで登るのにどれぐらいかかるか。

目安は5年でありましょう。アメリカで5年飲まなければ、その後も8割は飲まないとう調査があるそうです。日本の断酒維持率のグラフも同じです。

僕の最初のスポンサーも「ともかく5年続けろ」と行っていました。それは彼がミーティング場を5年維持し続けたという経験から言っているのですが、たまさか偶然なのか、ここでも5年という数字なのであります。


2008年10月28日(火) 泡風呂

夜食/唐からしの種・ミニッツメイド(健康レシピ)
朝/トースト・バナナ・コーヒー
昼/デミグラスハンバーグ弁当
夕/ハヤシライス・串カツ・ポテトサラダ(ツルヤ)
53.0Kg, 10.8%
夜食/唐からしの種・ヨーグルト・グレープフルーツジュース
朝/コーヒー・バナナ

夕方になったら頭がガンガンして、とても仕事になりません。定時で仕事を切り上げて帰ることにしました。
スーパー・ツルヤは8時閉店なのですが、閉店間際に行っても陳列棚ががらがらだったりします。1時間以上前に着けたので、お弁当なども見切り価格なのにまだ残っていてくれました。疲れたからゆっくりお風呂に入ろうと思い、入浴剤を買うことにしました。
お湯が泡々になるという入浴剤を発見し、それを選びました。

帰ったら、本当に泡々になるか、早速実験です。
説明書き通り、湯船に5センチほどお湯を溜め、入浴剤を溶かします。あとは、蛇口からでなくシャワーを使って給湯。おお、水面を叩くシャワーから、泡がぶくぶくと出ています。それはいいんですけど、湯気も盛大に上がるので、換気を続けないとサウナになってしまいます。

10分後、給湯完了。トイレに行く、体重を量るなどの儀式を終えた後に入浴。
「あわあわだぁ〜、うふふふ。厚さ10センチ」
などと遊んでいるうちに10〜15分経過。
頭と体を洗っているうちに、泡が減ってしまったので、ふたたびシャワーで泡作り作業をし、お風呂で暖まってから出ました。

体がすごくだるく、おまけに気持ち悪くなりました。
おそらく、筋肉中にたまっていた疲労物質が、温めのお湯に長く浸かったことで血中に流れ出したのでしょう。疲れたときは、ぬるいお湯に長く入るのが良いと言いますが、飽きっぽい僕は湯船に浸かっていると、すぐに飽きてしまうのです。今回は泡々のおかげで長く入っていられた、というわけです。

お風呂にラジオを持ち込んだり、テレビを取り付けたりする人の気持ちが分かりました。翌朝は、わりと疲れが取れた感覚でした。ストレッチもすれば、もっとよかったかも。

これからの季節、残り湯は早めに捨てて、昼間部屋にいないときはずっと換気扇を回していないと、お風呂の壁がカビるんるんになってしまいます。


2008年10月26日(日) このごろブログばかりで淋しいの

朝/コーヒー
昼/お肉料理のランチコース
夕/一杯のかけそば
夜食/インスタントラーメン
朝/コーヒー
昼/ビーフライス・レタスサラダ
夕/おにぎり弁当(おかずは揚げ物ばかり)・ゴボウサラダ
52.8Kg, 10.9%

サラダと言えば生野菜ばかり食べていたので、ゴボウを選択してみました。

この頃はブログを始める人ばっかりで、個人でウェブサイト(ホームページ)を始める人がめっきり少なくなってしまいました。

発信したい情報が時系列に並んでいればブログは最適ですが、そうでない場合は検索性が悪かったりする難点があります。それでも面倒なHTMLを憶えたり、ホームページビルダーやらFTPやら使いこなすのは大変です。ともかくブログで始めるのは、そうした面倒を避けられるという利点があります。

ただ、何となく、最近はブログばかりで淋しいと感じるのです。「家路」を始めたころには、AAメンバーで個人のアルコール関連サイトを維持している人もいたのですが、みんなだんだん止めていってしまいました。それに比べれば断酒会の方は頑張っていらっしゃるようです。

バブル以前昭和年代の日経平均推移のグラフと、GDPの現在までの推移のグラフを重ね合わせてみると、日経平均は1万円前後が適正値ではないかと思います。例えば株価が適正値から±3割ぐらい振れるものだとすると、7千円〜1万3千円のレンジで動くもので、7千円ぐらいになってから買えば、必ず1万円まで上がるんじゃないかな・・という話を、株価が1万円台後半だったころにしたのですが、誰も耳を傾けてくれませんでした。株に興味がある人は、1万円まで下がるという話に耳を貸したくもないし、株に関心の無い人は意味のない話です。

不景気の間は1万円を上下する展開、好景気になればまた1万円代後半まで行くでしょうが、はたして何年かかることか。

ま、株など買えない貧乏人の僕には関係ない話です。


2008年10月25日(土) 日記風

昼/きのこ栗ご飯(コンビニ)
夕/パエリア・ガーデンサラダ・ドリンクバー(サイゼリア)
夜食/鮭いくらご飯(スーパー)
朝/コーヒー・トースト
昼/カレーライス・サラダ・おみそ汁
夕/ピザ

コンビニ弁当代を節約しなくては、と思ってスーパーで見切り品のお弁当を買い、冷蔵庫に保存しておいたのですが、翌朝忘れて仕事に行ってしまいました。帰宅してそれを夜食に食べる羽目になるのです。

さて、3時間しか寝られなくても、とりあえず起きて高速バスに乗り、東京まで移動してカウンセリングを受けました。今月からフルタイムの仕事になったので、平日だけの先生(カウンセラーさん)にはお願いできなくなってしまいました。引き継ぎをして頂いて、今回から週末に出ている別の先生にお願いすることになりました。

「やっぱり離婚して良かった」と少なくとも僕は思っている、ということが再確認されたこと。これから子供との関係をどのようにしていきたいか、自分の側の希望について。そして次回への宿題。

明治通りを歩いて渋谷駅まで南下しました。この秋の流行は黒なのでしょうか。モノトーンの服装の人ばかりという感じ。電車で秋葉原へ移動。秋葉原は6年ぶりです。
秋月電子があいかわらずそこにあることを確認。

せっかく来たのでメイド喫茶に入りました(もちろん初体験)。500円のジンジャーエールを頼み、チェキでメイドさんと写真を撮ってもらいました(これも500円)。
「しまったー、お昼ご飯を食べてこなければ、ここでオムライスを食べられたのに」
20分ぐらいで飽きたので、「いってらっしゃいませ〜」と言われながら退店。

さて、moral と言う言葉は「道徳的・倫理的」という意味の他に、もう一つ「精神的」という意味を持っています。moral support とは「精神的なサポート」という意味です。人間誰でもモラル・サポートが必要なんだと思います。孤独で生きていける人はいませんから。「心の支え」は必要なのです。
自分の子供も、父親によるモラル・サポートは必要としていると思います。直接は関与できなくても、毎日気にしている人がいるという心の支えは、役に立つのではないでしょうか。そして、僕自身も孤独に生きていけないので、モラル・サポートを必要としているのです。


2008年10月23日(木) 経験を積む

夕/ラーメン
夜/グレープジュース・ヨーグルト・紫のじゃがビー
朝/トースト・コーヒー・チーズ

ラーメン屋は初めて入ってみましたが失敗でした。でも入ってみなければ失敗かどうか分からなかったわけで「経験を積んだ」としておきましょう。

「経験とは、誰もが自分の失敗につける名前のことである」
 〜オスカー・ワイルド

前に年金の天引き額が上がった、と言う話を書きました。
そのことで、隣の同僚が怒って総務に電話しています。

気に入らないのは額が上がったことではなく、標準月額報酬の算定に交通費支給額まで含まれていることだそうです。彼は通勤距離が長いので、ガソリン代も高くなります。最近、ガソリン代を市価スライド制にしてくれと、会社と交渉中ですから、もしそうなるとガソリン価格高騰を受けて、支給額も上がるはずです。

「そうなったら、年金の天引き額まであがっちゃうじゃねーか」

というのが彼の言い分です。会社の近くに住む人はそうならないのだから不公平だと。総務の女性に電話をかけて文句を言ってみたところで、もとよりそういうルールなんだからしかたないでしょう。会社によっては経理どころか総務までアウトソーシングされていますが、ここはまだ両方とも内部処理ですが、総務も苦情受け付けで大変です。

電話を切ると彼は、「これは政府に文句を言わないといけない」と言い出しました。どこだ、と聞かれたので、「社会保険庁じゃねーかなぁ」と答えておきました。国の政策に関心を持つのは悪いことじゃないでしょうね。

反対側の同僚は給与明細を見て「この非課税って何ですかね」と聞いてきました。交通費は非課税なんですよ、と答えるとほくほく喜んでいました。彼はプリウスに乗っているので、交通費が黒字になります。プリウスが同クラスの車より100万円以上高額だってことは、彼の頭の中で合理化されてしまっているようです。

このように交通費一つとっても、人により立場により感じ方が違うわけで、人の気持ちを推し量ることは難しいことであります。


2008年10月22日(水) いつもウジウジ

夕/鶏肉のピリ辛マヨネーズ・ちくわの磯部揚げ・オクラのおかか和え・おみそ汁(定食屋)
夜食/チーズ・柿の種の残り
53.0Kg,10.7%
朝/おにぎり1個・ヨーグルト(コンビニ)
昼/ハンバーグ弁当(コンビニ)
体脂肪率が着々と上昇中です。

合理化は「節約する」という意味ではないし、感受性が高いのは「精神的に不安定」という意味ではないわけでして。説教は「叱る」という意味ではないし、信仰は「宗教」という意味ではありません。ふとそんなことを考えました。
「地雷を踏む」という言葉は騒動に巻き込まれるという意味より、「その騒動から抜け出せない」という表現です。地雷を踏んだ足を上げると地雷が爆発してしまうので、最悪を避けたければ事態に巻き込まれ続けるしかない、というある意味さらに最悪な状態を嘆く言葉です。

その人の基本的な性格
http://blog.goo.ne.jp/akatsuki10_001/e/dd0634f69658ef40eea419f02e7e4964
というお話をいただいているので、遅くなりましたが僕も書いてみたいと思います。

4才の頃の記憶は全くありません。
直接の記憶は5〜6才ぐらい、保育園での思い出から始まっています。
後に「親友」と呼び合うようになった近所の男の子とも、3才の時に出会っているはずで、あちらはそれを鮮明に憶えていたのですが、僕はさっぱり忘れていました。
間接的な記憶では、「小学生の低学年の頃に3〜4才のころを思い出していた」、という記憶があります。祖父祖母・父母・そして6才年上の兄との生活であり、たまに兄が遊んでくれる以外は、遊ぶ相手もおらずに寂しかった、と思い出したのを憶えているのです。そのくせ寂しいとはなかなか言えませんでした。

9才の頃というと、小学校3〜4年でしょうか。
初恋というのとはちょっと違うのですが、近所の同級生に美人で、頭が良くて、運動もできるという3拍子そろった女の子がいました。近所だという理由だけでそれなりに仲良くしてもらって、僕は彼女がずっと同級生でいてくれると思っていたのですが、彼女の親が教師だったため、4年生にあがるときに転校してしまいました。
3年生の終わりにクラスのみんなで寄せ書きをして送ったのですが、僕が書いた文章の詳細は忘れましたが、当時自分でも「本音を書いてない」と思いました。例えば「あなたがいなくなって寂しい」とは書けなくて、「遠くへ行っても元気でやれ」とか書いてしまうわけです。
自分を大きく見せたい、弱いところは見せたくない、良いところ?だけ見せていたい。そういう虚栄心、邪魔なプライド、高慢、不正直なところは、すでに9才の頃にはしっかり形作られていたわけです。
その後、偶然同じ高校に進学し、2年生の時に同じクラスになって消息を知ることになります。彼女は芸術系の大学に進学して、その関係の仕事をするのかと思いきや、田舎へ帰って今は開業医の奥さんです。栄養状態が良いのか、年賀状の写真に写るご本人は太っ腹であります。(現実なんてそんなものさ、ふっと遠くを見る)。

14才のころの記憶はたくさんありますが、印象に強く残っているのは恋心か。
同じクラスのいじめられっ子の女の子から、僕の親友(小学校の時とは別)にラブレターを渡してほしいと頼まれました。いわゆる「郵便屋さん」というやつです。ところが僕が手紙を届けると親友はあっさり断って、手紙は開封もせずに突き返してきました。
ところが、これがいじめられっ子の悲しさですが、彼女が告白して断られたという話は、僕が彼女に手紙を返すよりも早くクラス全員の知るところとなり、みんなのからかいの対象になってしまいました。
それから僕が彼女に手紙を返しに行ったのですが、追いつめられた彼女は「じゃあ責任取ってあなたが私とつきあってほしい」と言いだしました。え”?
実は僕は前々から彼女のことは「そんなに悪くはない」と思っていました。中学生の男の子は「彼女欲しい」が始まる時期でもありますから、邪魔なプライドを捨てれば「渡りに船」でも良かったんですね。でも、やっぱりあっさり断りました。
Aがダメだから代わりにB、という選択肢にされるのは面白くない、という以上に、皆が(いじめ対象として)悪い評価を与えている彼女を、あえて選ぶ勇気がなかったのです。自分の価値観よりも、周囲の価値観を優先してしまったのです。
二十才をすぎてから中学の同級会があり、彼女とはそこで再会することになります。まあすっかりキレイでかわいくなってしまって、自分の判断ミスに地団駄踏みましたとも。
その後彼女がどうなったのかは噂にも聞きませんけれど、きっと今頃は栄養状態が良くって、太っ腹になっているに違いありません。(現実なんてそんなものさ、ふっと遠くを見る)。

自分の奥深いところの気持ちを把握して、それに素直に従って、照れずに行動する・・・というスキルがなかったために、ずいぶんウジウジした人生を歩く羽目になりました。それらは若き日の過ちで済ませるにしても、今の自分はもうそんなに若くないのですから、「自分の奥深いところの気持ちに素直になる=自分に正直になる」ことを身につけねば、ウジウジした年寄りになってしまいます。


2008年10月21日(火) みそ汁世界・2

夕/野菜タンメン
夜食/グレープフルーツジュース・インスタントの野菜スープ・亀田のスーパーフレッシュ柿の種
53.0Kg/10.8%
朝/レンジでチンするエビピラフ
昼/オムライス(コンビニ弁当)

総務から封書が来て、今月から厚生年金の天引きが725円上がりました、と書いてありました。何でも毎年同じ率で上昇していって、ある所まで行ったら上がらなくなる仕組みなんだとか。その頃には年金徴収の税化とか言い出しているかもしれません。

社会保険庁のサイト
https://www3.idpass-net.sia.go.jp/neko/action/z0401
で、加入記録を調べてみると、現在のところ加入月数が235月。25年に達するまであと5年半。若い頃に飲んだくれて年金を払っていなかった時代があるので、人様より遅れています。また、実家に居候してアルバイト生活だった時代は国民年金加入になってますが、これは親が代わりに払ってくれたぶんです(ああ30過ぎていたのに恥ずかしい)。

それを親に返さなくちゃ、とも思うのですが、それよりも自分の娘が将来年金が払えない経済状態になったときに、黙って代わりに払ってやれるのかどうか、そっちの責任を重く感じます。

なんだかんだ親に文句を言ってみても、成人した後も親から金をむしって生きてきたわけです。子供を成人させれば、とりあえずの目標達成なのでしょうが、その後も「親が自分にしてくれたことを、自分も子供に同じようにできるか」と問われると、結構厳しいものがあったりして。

今回の離婚では親に経済的に頼ることは無しにしようと努めています。「じゃあ、保険が満期になったんだけど、その金はお前要らないだろうから、かーちゃん海外旅行に行く代金にしちゃうな」と言われると、え〜そんな〜って感じですけど。

実家で飲んだくれていた頃、僕が商店街の福引きで海外旅行を当てました。それで父母が初めてアメリカに海外旅行に行きまして、翌年自費でフランスへ行きました。そこで親父が亡くなってしまって、「一人の旅行は寂しい」と言いながらも母の海外旅行は止まらず、最近では「とーちゃんのぶんも倍行けるからいいや」と言っています。

夫婦が年老いて、ダンナの方が先に亡くなると、残された奥さんがストレスフリーの人生を謳歌して長生きする。奥さんの方が先に亡くなると、寂しくなったダンナは1〜2年で後を追うように・・って話はよくあります。夫婦ってどんなものか、真実を映す鏡のように思います。

先週末が関東のAAのラウンドアップで、今週はあちこちで「精神的に調子が悪い」という話を聞きます。そりゃたぶんラウンドアップで肉体的に疲れてきたからでしょうね。体が疲れれば心も不調になります。なので、ラウンドアップの後は、具合の悪いAAメンバーが増えるんですよ。


2008年10月20日(月) 揺さぶりを受ける

夜食/カップ麺(かけそば)
朝/バナナ・ヨーグルト・コーヒー
昼/明太子のパスタ(コンビニ)
夕/サンマの塩焼き・オクラのおかか和え・海藻サラダ・みそ汁(食堂)
夜食/電子レンジで作るリゾット・グレープフルーツジュース
朝/ヨーグルト・おにぎり・コーヒー
昼/鮭とキノコの弁当

別れた妻からは時々メールや電話が来ます。
たいていは子供のことの報告で、明るい話題は多くありません。ただ、短いメールなので、読むのはそれほど負担ではありません。

ここのところ年のせいか文章読解力が落ちていて、四角いメール(改行のないメール)を読む気力が萎えているのですが、昨夜のメールはまさに四角でした。

内容は、長女のストレスが身体症状に出てしまい、あっちこっちの医者に行ったり、学校を休んだりしたという話でした。それだけならともかく、「それはあなたが悪い、あなたはわがままなのだ」という話であります。いや、まあ、両親の離婚が子供に負担をかけているのは事実でしょう。僕がわがままなのも事実です。しかし、なぜ離婚になったか、その原因の話は妻の頭の中からすっぽり抜け落ちているようです。

だが、その話を始めると、半年前の離婚騒ぎの渦中に戻ってしまいます。幸いコードレス電話の子機が気を利かせてバッテリー切れになってくれたおかげで、そう長くならずに電話を切ることができました。

元妻と娘二人の家庭は、心理的には子供三人しかいない状態に似ています。お母さんがお母さんではなくて、真ん中の娘になり、長女が心理的に妹二人の面倒を見ている感じです。でも長女は子供だから大人の役はできない。それが長女の心身症の原因でしょう。

冷静に話し合えば、元妻も自身の落ち度を認めざるを得なくなります。そうはしたくないので、心理的に混乱したままこちらにぶつかってくるのでしょう。だから破壊力が強い。着々といろんな人を巻き込んで、「わがままな夫に捨てられたかわいそうな妻」という自己像を強化しているようです。こちらの弱点はよく知っています。

最近落ち着いてきたので、東京のカウンセラーに通うのも終息に向けていこう・・・なんて甘い考えを持っていたのですが、まさに甘い考えでした。とほほ。

翌々日まで引きずらないように、なんとか今日のうちに精神的に立て直したいものです。


2008年10月19日(日) 自分の子供のための

AAメンバーは全国に四千数百人いる勘定だそうです。
その半分ぐらいは子持ちでありましょうか。

はたしてそのうち何人が、「将来自分の子供にAAが必要になる」可能性を真剣に考えているでしょうか。アルコール依存症は遺伝性の病気なので、アル中さんの子供は、他の人よりずっと依存症になりやすいわけです。

子供が小さいうちは、まだお酒を飲まないので、依存症になる可能性なんて現実味がありません。成人した子供でも、機会飲酒に留まっていれば、依存症にはならないだろうと親は思ってしまいます。

最近でこそAAに若い人たちがやってくるようになりましたが、40才・50才になってからAAにたどり着く人も多いわけです。自分も若いころは普通に酒が飲めていた(はず)と思っているアル中さんも多いのではないでしょうか。子供だって同じ道筋をたどる可能性はあるわけで、その場合、子供が40才・50才になってからAAを必要になるわけです。その頃、親である自分たちが生きていて、直接手助けできるとは限りません(生きていてもできるとは限りませんが)。

AAにアル中さんを救う力があると信じるのなら、やはり「自分の子供のために」より質の高いAAを地域に根付かせて残す、という意識的な努力が必要だと思います。

子供と一緒に暮らしていようといまいと、毎日会えても一生会えなくても、「自分の子供のためにAAを残す」という考えは必要だと思いますよ。酒を飲まなくても、他の依存症になったりしますしね。

まあ、アル中さんは「・・という一般原則は理解できるが、自分だけは例外」という理屈が大好きだったりしますので、自分の子供は例外的に依存症にはならない、と決めつけてお終いってことになりがちなんですけど。

夜食/バナナ
朝/バナナ・おにぎり・コーヒー
昼/明太子とイカのスパゲティ・サラダ・アイスコーヒー
夕/ツルヤの天丼弁当


2008年10月18日(土) じゃがべぇはジャガビーの間違いでした

掲示板のほうで「宗教は阿片だ」という話で盛り上がって?おります。

なるほど宗教は阿片でありますか。ならば、無宗教も阿片です。一度無宗教に手を出してハマってしまったら、もう無宗教から抜けられなくなってしまうのです。

ミーティングに通わないのも阿片です。一度通わないことにハマってしまうと、もう通えなくなってしまうのです。

人間というのは必ず何かにハマるようにできております。

雑記を書くのをサボるのも阿片です。書かないことにハマってしまうと、もう二度と書けなくなってしまうのです。それが怖くて、時々サボりつつもなんとか続けているのです。

離婚してまだ半年も経っていないので、自分の離婚について自分で評価を下すのはまだ早いと思っています。

学校を出て就職して2〜3年すると、この会社(業界)は自分には合わないのではないかと感じて転職を考える人がいます。いわゆる第二新卒というやつですね。2〜3年でそう感じて行動に移すから良いのです。転職の市場もあります。これが10年同じ仕事をした挙げ句に、「やっぱりこの仕事は俺にあわねえ」とか言い出して仕事を辞めるヤツは「バカだ」と言われたものです。10年も続けなければ、自分に合っているのかどうかも分からんのは、愚か者であるということでしょう。
離婚も同様でありましょう。2〜3年で「この人とは合わない」と考えて離婚するのは良いでしょうが、10年も結婚生活を送った挙げ句に「やっぱこの人とは暮らしていけない」などと言い出した自分は愚か者だったと今では思います。
とは言え、合わないものは合わないわけでして、

○○するのに早すぎると言うこともなければ、遅すぎるということもない。

○○には、断酒という言葉を入れてもいいし、離婚という言葉を入れてもいいと思います。(さすがにおっぱいという言葉は入りませんよ、のぶさん)。

朝/トースト・チーズ・コーヒー
昼/カレー
夕/ミートスパゲティ・ドリンクバー(ロイホ)
夜食/バナナ
計測なし
朝/寝てました
昼/鹿児島ラーメン煮玉子入り
夕/ツルヤのアジフライ・エビフライ・一人用サラダ・インスタントの豚汁
夜食/まだ
52.3Kg, 9.9%


2008年10月16日(木) 何本目の指

夕/イカと大根の煮物・ソーセージの天ぷら・オクラのオカカ和え・みそ汁
53.2Kg,10.3%。
夜食/バナナ・チーズ・じゃがべぇ
朝/コーヒー・バナナ・ヨーグルト
昼/カルビ重弁当
夕/豚しょうが焼定食(吉野家)
夜食/しょうが担々スープ
53.3Kg,10.4%

なんかバナナダイエット化してきました。
一時期店頭から消えたバナナも、また棚にたくさん並んでいます。
タンパク質が足りなそうだったので、一気に肉主体にしてみました。

ステップをやり遂げれば、スカッと晴れ間が広がるみたいならいいんですけど、実際の回復はじくじくと細かなぶり返しを伴ったものですからね。と、いきなりそんな話をしてみました。

1階でプログラムの動作テストをしていて、修正のたびに3階の自席まで戻らないといけません。いったい今日一日で何度階段を上り下りしたことでしょう。野球部の合宿じゃないんだから。足腰鍛えられちゃいましたよ。

「間違いはここに違いない」と指差したとき、間違いは人差し指の先にはないと言います。では、残りの4本の指のどれがが指し示す場所でしょうか? 実は、それも違います。

「間違いは6本目の指の差す先にある」

それぐらい、自分じゃ気がつかない場所で間違っているわけです。だからなかなか修正できないのですわ。プログラムのミスも、性格上の欠点もね。


2008年10月14日(火) ダイエットメニューではありません

これが普通なんです。

おやつ/コロッケパン
夕/おでん、インスタントのみそ汁、バナナ
夜食/インスタント京風うどん
朝/コーヒー、バナナ
昼/天おろしそば

ちなみに 52.4Kg,11.1%。体重はろくに増えていないのに、体脂肪率は2%あがりました。たぶん寒くなったからでしょう。いや、寒くなれば脂肪が増える動物じゃなくてですね、体脂肪計の導電率計測の熱較正が不十分なのじゃないかと。安物でしたから。

おでんは賞味期限が二日前に切れたものを、なべで暖めなおしました。
「賞味期限切れは食べないのじゃなかったのか?」と、別れた妻の生き霊が背後から声をかけてきそうな気もしましたが、男も一人暮らしで苦労させれば少しは変わるってことなのでしょう。だが、乾麺のそばはダメです。

いや乾麺のそばだって、大鍋に水をたっぷり入れてゆでればおいしいはずです。それを光熱費節約のために、中鍋で水少なめでゆでるからだめなんです。そうめんじゃあるまいし、そばは何年も寝かせたほうがうまいってことはないので、あまり古い乾麺も困るし。

おでんの中の玉子でタンパク質も摂り、バナナで野菜(果物)も摂り、健康に留意しております。

○○○○さんも○○○さんも、女性の固定ファンがついて良かったじゃないですか。ほらやっぱり、別に痩せる必要なんかないんですよ。と言葉は優しげながら、顔は笑っていなかったりするわけですな、僕の場合。


2008年10月13日(月) 年数なり

僕はAAスポンサーがどんなにすばらしい人であったか、という話は滅多にしません。
どんなにすばらしい人と知り合いであっても、僕が回復するわけじゃありませんから。その人となりを話すことはありません。どちらかというと、スポンサーはダメダメな人であり、そのダメさ加減が僕に自分のダメっぷりを認めさせ、心の回復が始まったのです。(つまりすばらしい人だったんですけど)。

他の人が「○○さんはすばらしい」と話しているのを聞くと、良い感じはしません。○○さんを褒めているようでいて、実はそういうすばらしい人と知り合いである僕ってスゴイでしょ、と自慢をしているわけですから。○○さんというすばらしい人からステップを教えてもらった、というのも同様で、だから僕のステップもスゴイでしょ、という虚栄心がチラチラ見えるからです。
たぶん、人なのではなく原理が重要なのだ、ということが分かっていないのでしょう。AAメンバーは、だれでもそういう中二病に罹患する時期があるのでしょう。僕にもあったし。

焦らなくても、人は実績によって評価されます。5年になれば5年なり、10年になれば10年なりの評価がついてきます。それを1年2年で得ようとしても無理です。それに正当な評価を受けなくても、努力したことは(しなかったことも)神様はちゃんと見ているのです。それが自分の心の奥底にいる神様であってもね。

夜食/かっぷ焼きそばと付属のスープ
朝/ランチパック(中身がスパゲティ)、みかん1個
昼/ビーフカレーとドリンクバー
夕/和風スパゲティ
夜食/なし
朝/トースト1枚、レタスをちぎっただけのサラダ、チーズ1個、コーヒー
昼/海老天丼弁当、おにぎり1個


2008年10月12日(日) 死ぬことすらできない

最近無差別に人を殺す事件が目立つようになりました。
どこかで誰かが「そういう人たちは、以前の社会であったら、自分の命を絶つ結末を選んでいただろう」と書いていました。産経新聞だったかな。ちょっとあいまい。
追いつめられると自殺を選んでいた人たちが、社会が変わったがために他者の命を奪う選択をするようになった、という文脈で今の社会を嘆く文章だったように思います。

アルコール依存症は緩慢な自殺だという話があります。
逆に言えば、フツーに自殺できない人たちであります。

僕も自殺未遂の経験があります。首をつったこともあるし、手首を切ったこともあります。首つりはひもが体重に耐えきれず切れてしまって失敗、リストカットは病院に運ばれておしまい。それでもリスカのほうは、わりと派手な傷跡が残っている・・と自分では(恥ずかしいながらに)ある意味自慢にも思っていたのです。

が、兄はその傷をみて「本気じゃねぇな」と言いました。

兄の大学時代の友だちが失恋を苦に自殺を試みたことがあったそうです。その手首の傷の派手さと比べると、僕のは全然大したことはないんだそうで。「お前は本気で自殺もできない」と言われたようで、結構落ち込みましたけどね。

だいたいAAに来る連中なんて、自分で命を絶つ選択ができないビビリばっかりなんですよ。だって本気の連中はAAにはもう来れないわけだし。などと言ってからかって、意地になって自殺されても困っちゃうんですけど。

生きていれば良いこともある。と思えなくなるのが自殺する前の心理なんだとか。でもそれは病的で、正常ではないのです。だから、健康になるまで生き延びるしかありませんね。生きていればいいこともある。たぶん。

「せめて恋人を抱いて、もうこのまま死んでもかまわないっていうような夜があって。天の一番高い所からこの世を見おろすような一夜があって。死ぬならそれからでもいいじゃないか。そうだろ。ちがうかい?」〜中島らも『今夜すべてのバーで』

それがあったからどうだ、ってこともあるかもしれません。でも明日という箱に何が入っているかは、開け続けなければ分からないのです。まあ、生き延びたいから酒飲んできただけなんですから、それほど心配しちゃいませんが。

昼/スーパーのサラダ、煮るだけの煮込みうどん
夜/白身魚のおろし煮、レタスをちぎっただけのサラダ
夜食/まだ

仲間の色紙作りが手についてないけど、もう寝ます。


2008年10月11日(土) 仲間の死

「彼には、アルコール無しの人生なんて考えられない。そしてやがてはアルコールの有る無しにかかわりなく、人生そのものについて考えられなくなってしまうだろう。そのとき彼は、誰も知ることのないような孤独を味わう。彼はまさにぎりぎりのところにいる。終止符が打たれるのを心から待ち望むようになる」〜p.220-221

2005年の春のことでした。横浜の女性フォーラムで開かれたAAイベントで、東北のメンバーの「第11章の先頭を読んで、これは自分だと思った」という話を聞いて、11章の先頭って何だっけ? とまるで理解できませんでした。

最後の入院の時、病院のケースワーカー室に古いビッグブックがあって、入院中に二度は通読しているはずです。退院後も事情があって毎日AAミーティングには行けず、かわりにビッグブックを読んでいましたから、11章だってずいぶん読んだはずです。

「ビッグブックの集い」なんてものに関わって以降、何度も何度もビッグブックは読んでいるはず・・なのですが、先頭から読み出しても11章までたどり着いた回数は意外と少なかったのかも知れません。

改めて読んで「これは自分だ」と思いました。

AAに来て酒がやめられて素晴らしい、と口では言いながら、実は再び無事に酒を飲めるようになれるんだったら、それこそ何でもしたい気持ちでした。その気持ちを無理に封じ込めていけば、やはり死にたい気持ちが浮かんできたものです。「なにがあっても酒を飲むことだけはダメだ」と思いこめば思いこむほど、死は近くにありました。

今は幸いそういう気持ちからは解放されています。まあ、することをサボっていれば、またぶり返してくるでしょうけれど。

11章の続きには「私たちはそこからどうやって脱出したのかを述べてきた」とあります。アルコールに代わる素晴らしいものはあります。けれど、それを伝える能力のない自分を情けなく思うこともしばしば。でも、それも含めて自分なのでありましょう。

ステップをやるのに早すぎることはない、という確信が強まった出来事でした。

あの春のイベントで一緒にお昼を食べた仲間と、新しいグループをはじめたのが半年前。思えば不思議な縁です。

「神さまは、運命の糸を紡いだり、チョンと切ったりする」

という言葉に思わず笑ってしまいましたが、まさにそんな感じであります。長い苦しみから解放されて良かったね、としか言いようがありません。


2008年10月09日(木) 職場の飲み会でした。

最近会社から実力のある人たちが辞めていきます。そういう人たちに限って、僕のことを前社時代から評価してくれていたので、社内で僕をひいき?してくれる人が減ることにもつながります。今回飲み会に誘ってくれた人は、そんな中でも会社に残っている営業部長さんなので、関係は大事にしなければなりません。
おまけに、その飲み会は元来6月に「離婚したHさんを励ます会」として設定されたものが、忙しくてずるずる10月までずれ込んだものなので、逃げるわけにもいきません。

部長さんは、数年前に離婚し、1年ほど後に再婚しています。離婚前から「次の奥さん」を準備していたわけではないそうです。1年で扶養家族ありに復帰したテクニックを伝授してもらう、っていう冗談を言っていたのですが、4ヶ月も経ってしまえば「そんなのどこへでもまめに顔をだせばいいんですよ」の一言でその話はお終いになりました。

話題はどうしたって、同僚の奥さんがどうとか、お子さんがどうとかいう話になりがちです。独身のやつに彼女がいるといないという話も。

4人で飲んだうち、部長を含めた若い二人は家庭持ち。僕は再婚指向。前社時代から10年以上のつきあいの同僚は、独身でおまけにしばらく前に10年以上つきあった彼女と別れたばかり。なので「で、彼女と別れて、その後どうなのよ」という話になりました。

彼曰く、「楽になった」そうです。
毎週日曜日に「どっかへ連れて行け」と言われて、一緒に遊ぶのは楽しかったけれど、しんどかったと。今は金が貯まってうれしいそうです。
寂しくないの? と聞いてみると、そりゃ別れた当初は落ち込んでいたけれど、雑種の子犬を飼ってから楽しくて、毎週末犬と遊んでいるそうです。

よくしつけられて、言うことを聞く犬に慣れてしまうと、また今度人間の女を相手にするときに、とってもしんどいんじゃないかと周りの3人は心配したんですけど、彼は「もう女いらないかも」と言います。

若いときに感じた、あの女に対してムラムラする気持ちが戻ってこないそうで、要するに中年の坂を転がり落ちていると、性欲も次第に減退してくると言いたいのでしょう。「確かに、もうアダルトビデオとか見るのがめんどくさくなってるもんな」とか誰かが言って、皆で自分の中にもそういう部分を見つけて暗くなっていました。

沖縄料理の店で、烏龍茶がなかったので、ウコン茶2杯、ジャスミン茶1杯を飲みました。締めにソーキそばを食べたら味が薄いのが気になりました。七味をかけようとおもったら、瓶の中身が液体です。珍しいと思いつつ、念のため匂いを確かめたら、ぷ〜んとアルコール臭がしました。唐辛子を泡盛に漬け込んで七味の代わりにしているんだそうです。
味気のないそばを食べて帰ればすでに11時でありました。


2008年10月08日(水) そう思わないとやってられない

お風呂は僕の毎日の楽しみです。
しかし、さすがに今日は遅くなったので、シャワーにとどめました。
それでも毎日自宅のお風呂に入れるって素晴らしい。とゆうか毎日自宅に帰れる仕事って素敵。これで自宅で誰かが待っていてくれたら、とか言い出すと、途端にグチっぽくなるので、それはおいといて。

シャワーを浴びながら、今日あった一つひとつのことを思いだし、はたして「その出来事に意味があったか」と考えてしまいます。有意義なことをしたのか、無為に過ごしたのか、あるいは害になっただけか。いろいろ考えても結論は「分からん」です。

無駄な時間を使ったようでいても、意味があったのかも知れません。
人の役に立ったと思っていても、実は足を引っ張っていただけかも知れません。
そう思うと、自分の行動、自分の毎日、自分の人生に、意味があるのかどうか、それすらも疑わしくなってしまいます。

でもたぶん、ずっと上の方から、大所高所から見渡して、いろいろと考えて意味を与えてくれる存在があるのでしょう。だから自分で意味が分からなくても、神さまが考えてくれるから大丈夫。てゆーか、そう思わないとやってられません。

自分でもっと努力すれば意味が分かるかも知れない、と頑張ってみることもできたわけですが、もうそれに疲れていたわけです。酒をやめたかったと言うより、飲むことに疲れていた。だから酒をやめたというのに似ています。

「AAはそれを必要とする人のためにあるのではない、AAを求める人のためにあるのだ」という言葉がありました。

○○はそれを必要とする人のためにあるのではない、それを求める人のためにあるのだ。

○○にテキトーな言葉を入れてみると、なんとなくそれっぽい警句になりますな。

信仰とか、

お金とか、

おっぱいとか。

最後は下世話かつ意味不明になってしまいました。きっと僕は疲れているに違いありません。


2008年10月07日(火) アル中になって

アル中になって良かったか悪かったか、という話をしました。
そりゃまあ、アル中になって職も金も人間関係も失ったし、知らぬ間に若さも失ったし、精神病院にも入院しましたから、アル中になったことは損でした。

でもその一方で、それなりの恩恵もいただいているのは確かで、それは他に代え難いものです。

良かったか悪かったかと言われれば、「アル中でない人生は生きてみたことがないので比較のしようがない」としか答えようがありません。あのままアル中にならなかったら、今頃ボストンあたりに住んでパツキンの妻との間に可愛いハーフの子供をもうけていたかも知れません。あるいは、地元に残って中学校の先生になり、妙に若い奥さんをもらっていたかも知れません(なんだか奥さんにこだわるな)。
それに比べて今の生活が惨めというわけでもないし。なんとなく、いろいろと愛されているという実感はあります。妄想と現実を比較して、自分を自分で惨めにする必要もないのです。

良かったか悪かったかは分からないのですが、この世の中に自分はたった一人である以上、アル中でない自分は存在しません。アル中である自分しかいません。つまり「アル中である」ということは、自分と分かちがたい一つの個性であり、それがなくなってしまったら僕が僕ではなくなってしまいます。それは「片目が見えない」とか、「遷延性うつ病」とか、「血液型AB型」と同じ、僕の大事な特質です。

はてさて話は変わって、神さまは(ハイヤー・パワーは)、その人の回復のステージに見合ったものを与えてくれます。回復の度合いに見合った仕事とか、人間関係とか。見合わないものは、例え間違って与えられても、いずれ失うことになっています。
異性についても同じで、その人の回復のステージに見合った異性しか与えてもらえないのです。ろくでなしの相手を嘆いてみたところで、その相手を選んだのは(というか与えられたのは)、自分の回復がそこまでしか進んでいなかったからです。要するに釣り合いが取れているわけですよ。

と言う話は、現在進行形のカップルにはなかなか言えないものです。破局が訪れた後で、その片割れに「あなたがきちんとステップをやって、もっと回復すれば、あれよりずっと良い相手が与えられるよ」と言って励ましてあげるのがせいぜいでしょうね。

要するに、自分が満足できていれば、それでいいって話ですよ。


2008年10月05日(日) アルコールとセックス

ネタがないので、適当な話題を拾っておきます。

アルコールを飲むと性欲はどうなるか。アルコールには前頭葉(理性)による抑制を取り除く効果があるので、飲めば男女ともに性欲が昂進します。ひらたく言うと、より「やりたい気持ち」になるわけです。

男性の場合、さらに血中のアルコール濃度が高めていくと、勃起中枢が機能しなくなって、ペニスの勃起力が急速に低下していきます。やりたい気持ちはあっても、できなくなってしまうわけです。デートの時にお酒を飲み過ぎちゃって、後で彼女に叱られた、という話はアル中さんに限らず、一般の人にもありがちな話です。

女性の場合には、アルコール濃度が高まっていくと、テストステロンという男性ホルモンが増加することが知られています。テストステロンは性興奮を高めるホルモンなので、当然性欲は高まります。しかし飲み過ぎれば眠く無気力になるのは男女同じで、「やりたいのにその気になれない」という結果になります。

結局のところ、過剰なアルコールは性衝動を高める一方で、性活動を抑制してしまい、フラストレーションが高まる結果となります。まあ、単純に飲みすぎは体に良くないと言っているだけなんですけど。

さて、肝臓がアルコールを分解するには、アルコール脱水素酵素が必要です。実はこの酵素は男性ホルモンの合成にも使われています。アル中さんのように毎日たくさんのお酒を飲んでいると、肝臓はたくさんアルコールを分解しなくてはなりません。すると、男性ホルモンの合成に必要な酵素が不足してきます。

結果として男性ホルモンが減ってくると、精巣が萎縮し他の男性ホルモンの分泌量まで減り出します、女性ホルモン優位の体になっていきます。筋肉は落ち、体毛が薄くなり、胸の脂肪が乳房化し(女性化乳房)、なによりも性欲が低下し、最後はインポテンス(勃起不全)になります。無精子症も。

「うちのダンナはアル中じゃないけれど、毎晩飲み過ぎて夜の生活ができないので、子供ができない」という話は、まずアル中さん間違いなしでしょう。

もちろんすべてのアル中男性がそうなるとは限りません。だいたいもともとのテストステロンの量には個人差があります。酒を飲みながら活発に性活動を行っていたという人もいますが、やっぱりテストステロンが多いせいなのか、頭髪が不自由な方が多いように思います。逆に「ホテトル嬢を呼んだんだけど、できなくて、金だけ払って返した」というような話をしている人は、ふさふさとした髪の毛を維持している、という傾向を感じます。

いずれにせよ、酒をやめれば精巣の機能は徐々に元に戻るようで、酒をやめて半年1年と経てば(個人差はあれど)男たちの顔は脂ぎってくるわけであります。もちろん煩悩も戻ってくるわけです。

そうならない場合には、うつ病などのアルコール以外の問題が隠れていないか調べてみるべきでしょう。


2008年10月03日(金) 恥?

病気であることは恥ずかしいことなのか、ということを再び考えてみます。

福岡で小学1年生が母親に絞殺された事件がありました。「我が子殺し」の倫理うんぬんという話はざっくり省きます。

僕はテレビを持っていないので、ニュース番組もお昼のワイドショーも見られません。新聞もとっていません。ニュースソースはネットの新聞社のサイトだけです。少なくともネットのニュース記事を読む限りでは、母親は「体調不良」あるいは「病気」であったとのみ、子供のほうは「特別支援学級」に入っていたという程度のあいまいな記述しか見かけませんでした。

母親が進行性の難病に苦しんでいたことや、その病名。あるいは子供の発達障害の程度ということは、ニュースには現れてきません。確かに病名などは明かすべきでない個人情報であるのかもしれませんが、他のことであれば容赦なくプライバシーを暴き立てるメディアが、ことこれに関してはあいまいにお茶を濁します。

そこがあいまいであれば、事件に至るまでの母子の事情よりも、殺人事件後の母親の狂言に興味が集まってしまうのは当然でしょう。

発達障害ゆえに母親を追いつめざるを得なかった子供。子育ても困難な病状に絶望していた母親。そのように追いつめられて、殺人事件という結果になってしまったことの「やりきれなさ」がこの事件のキモであると思うのですが、どうも世間は狂言の真意などのほうに興味が映りがちです。もちろん、ニュースメディアと言えども商売なのですから仕方ないことなんけど。

殺人という最悪の結果になるのだったら、その前に助けを求めれば良かったわけですが、それができない、それがしにくい世間の有り様。そして、ニュースに病気や発達障害のことが乗らない世間の有り様。この二つは同一のものでしょう。

つまり、「病気であることは、あるいは障害は、隠さねばならない<恥>である」という社会の有り様です。そして「そんなことになるなら、その前に助けを求めれば良かったのに」という話が、同じニュースメディアに流れていくやりきれなさです。

考えるのが面倒になったので、ここらへんでおしまい。


2008年10月02日(木) AAオン・ザ・ライン

木曜日は残業ディということで、まだまだ同僚たちは仕事を続けていましたが、僕はフルタイム勤務に順応することも考えねばなりませんので、珍しく8時前には自宅に戻っていました。

最近では珍しく自炊もしました。スパゲッティをゆでて、インスタントのペペロンチーノのかけただけです。炭水化物と塩分しかありませんが、インスタントの玉子スープも飲んだのできっと大丈夫でしょう。

木曜日なので、以前お誘いを受けていたSkypeを使ったミーティングに参加させて頂きました。自宅にいてくつろいだ格好で、真面目なミーティングに参加できるのは、なんとも不思議な体験です。第一週はスピーカー・ミーティングということで、Nさんのお話しが続く間、実は僕は何をしていたかというと、マイクをミュートして洗濯物を干したり畳んだりしておりました。
パンツを畳みながら、Nさんの話に、しんみんりと自分の過去を思い出していたりいましたよ。ええ。

スカイプ・ミーティングについてのご案内はこちら。
http://aaskypemeeting-jp.blogspot.com/

聞いている人の表情が見えないので、face-to-faceのミーティングより若干話すときに緊張感が高いかもしれませんが、たぶん回数を重ねれば慣れるでしょう。近くにミーティング場がないという方も、あるいは(21:30-22:30なので)仕事で遅くなって地元のミーティングに間に合わないって方にもよろしいのではないかと。

僕も早く帰れたときは、なるべく参加させて頂きます。

リンク集にドバタケさんのブログ パンドラの希望 を追加しました(愛称「パン希望」^^)。それから九州沖縄セントラルオフィスの携帯用ページを追加しました(情報感謝)。


2008年10月01日(水) 対症療法をしない

午前中の仕事が一息ついたので、雑記を書いてみたり。

昨日のミーティングは「ステップ7」でした。
6と7は性格上の欠点と神との関係がテーマです。

僕は最近、「性格上の欠点は、いわゆる風邪の症状みたいなものなのではないか」と思うのです。

風邪を引くと、熱が出たり、咳や鼻水が出たり、頭が痛くなったり、めまいがしたり、お腹を下したり・・・といろいろな症状が出ます。
性格上の欠点もいろいろで、12&12のステップ4には「七つの弱点」として高慢、怠惰、飽食・・などがあり、ビッグブックには自己中心、不正直、恐れ・・などがあります。
で、風邪の症状のバリエーションと、性格上の欠点のバリエーションが、よく似てる気がします。症状を治そうとしてみても始まらないのではないか、と思うのです。

つまり、熱が出るから解熱剤、咳が出るから咳止め、下痢すれば下痢止め、そんな感じで対症療法をやって無理して活動するよりは、休めるならゆっくり布団で休んで風邪そのものを治すのが本筋です。同じように、高慢だから謙虚になろうとか、怠惰だから勤勉になろうとか、不正直だから正直になろうとか・・、これもやっぱり対症療法に過ぎないのではないかと。本筋は霊的な病を治すことだと思うのです。

じゃあ霊的な病とは何なのか・・。AAの言葉で説明せずに、別のところ(実はうつ病の本)から引っ張ってきましょう。

・自己肯定感の欠如(自分との親密さの欠如)
・他者との親密さの欠如
・神との親密さの欠如

スピリチュアルな健全さとは、自己信頼があって、他者や神と親密な関係を築いている状態でしょう。同時にこれは「霊的に目覚めた、アルコールから解放された状態」として、AAメンバーが目指すべき目標です。

大切なことは、ステップ2と3の理解。スピリチュアルな目覚めが、私たちをアルコールからも他の問題からも救ってくれるという理解。そして、ステップ全体はそれを目指す手段だという理解です。

ところが、ステップ2と3をすっ飛ばして、6と7で「性格上の欠点」と向き合ってしまうと、そもそも自己肯定感がない人、あるいは他者(神)との関係に親密さより恐れを感じている人は、たとえばこんな風に考えてしまいます。

「自分は怠惰である。だから人から認めてもらえないのだ。怠惰をやめ勤勉になれば、みんなから良い人だと認めてもらえるのじゃないか」

こうやって努力しても、なかなか人から「よく頑張ってるね」とほめてはもらえません。いずれ努力するのが嫌になって、「ステップって難しくてできません」と言い出すでしょう。この人は解熱剤を飲んでがんばって仕事している人に似ています。そのせいで風邪をぶり返し、寝込む羽目になって人に迷惑をかけ、「どうして俺こんなにがんばったのに、ほめてもらえずに責められるんだろう」と逆恨みをしているのです。

自分、他者、そして神との親密さ。これこそが性格上の欠点を取り除く本筋です。欠点だらけでも他者から受け入れられ愛されるものですし、神様はあなたがどんなに欠点だらけでも愛してくれます(だって神様はなんでもできるんでしょ、欠点があるからあなたを愛せないなんて決しておっしゃらない)、だからこそあなたは欠点だらけの自分に対して、深い深い自己肯定感を育てていけばいいのです。

そうやって気がついたときに、怠惰がちょっとだけ勤勉に変わっていたりしますよ。

「幸せは蝶のようなものである。蝶を掴もうと思えば逃げられるけれども、他のものをじっと見つめていれば、いつの間にか蝶が静かに肩の上に止まっていたことに気づくものである」


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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