心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2008年01月30日(水) 愛に時間を

というタイトルのハインラインの小説がありました。

愛って何だろう? という疑問の答えは持っていませんが、愛に時間は必要だろうと思います。インスタントな愛ってのはないでしょう。

愛があって一緒にいられれば最高なんでしょうけれど、恋人同士でも家族でもいつも一緒というわけにはいきません。自分の生活を放り出して、恋人との電話に熱中するのが愛だというなら、確かにそうでしょう。でもそれなら、おとうさんが満員電車に揺られて毎日同じ職場へ行くのも、おかあさんがまた汚れる皿や洗濯物を洗い、また汚れる部屋を掃除するのも愛なのでありましょう。だってそのぶん自分の時間を使っているのですから。
自分の時間を相手に分け与えるのが愛なのかもしれません。

「今忙しいから後で」と言われて、ずっとほったらかしにされると「愛されていないのかな」と不安になったりします。あなたの24時間のなかから、ちょっとだけ僕に割いてください・・て感じです。

殺人を犯した少年に、被害者の遺族が多額の損害賠償をしたとき、その意味をこんなふうに説明した人がいました。殺された人の人生の時間は永遠に失われ、殺した少年といえどもそれを「返す」ことはできません。また、少年は永遠に少年院の中に入っているわけではありません。けれど少年は少しずつお金を遺族に渡していくのを長く続けていくしょう。お金を稼ぐには時間が必要です。お金を渡す少年の行為は、自分の人生の一部を切り取って、遺族に渡していることにつながるのです、と。
なんだか「強制された愛」という言葉が浮かんでしまいますが・・・。

AAミーティングに顔を出すのも仲間に対する愛だろうし、スポンシーの電話を受けるのも愛でしょう。愛は時間を要求するのですから。

というわけで、「ステップ4の表なんて3つに分けなくても、ひとつにすればいいじゃん」という理屈をこねまわして、仲間との電話を1時間以上引き伸ばしてしまいました。いやー、愛されているんですね、僕って。え? 愛の強制だって?

やっぱり表は3つ要るんでしょう。


2008年01月29日(火) 金銭的埋め合わせ

3千円を封筒に入れて送りました。

ステップ9は「埋め合わせ」です。元々のオックスフォード・グループでは、この言葉は「償い」あるいは「賠償」だったのですが、AAでは「埋め合わせ」という言葉に代えてあります。それは賠償などという言葉を聞いただけで、アル中さんはメゲてしまい、ステップ9どころかステップ全体を避けてしまうからだそうです。ビル・Wはこうしたアル中心理を理解し、別の言葉に置き換えるのがうまかったのでしょう。

埋め合わせには大きく分けてふたつあると言われます。ひとつは謝罪、もうひとつは物質的埋め合わせ。

相手を傷つけたこと(迷惑をかけたこと)を詫びるのが謝罪です。このときに依存症という病気の説明をすることは大事だと思います。飲んでいた頃の僕らの行動は、いつも不可解でした。人は相手の不可解な行動(狂気)に触れると、人間そのものについての信頼を失って傷つくのです。相手が依存症のことを知っていれば、知らせることは不要でしょうし、言い訳になってしまうなら謝罪だけしたほうがいいと思います。
「申し訳ありませんでした」とか「ごめんなさい」とか、最初はなかなか言えないものですが、だんだん慣れてくるものです。生きていれば人を傷つけ続けるもの、埋め合わせも続いていくものですから、慣れます。それを回復というのかもしれません。

借りたもの(奪ったもの)は返すのが原則です。
お金を返そうと思う時に、借りていた全額耳をそろえて返したいと思うものです。つまり格好良く返したい。格好良く埋め合わせしたい=格好良くステップをやりたい、これは「自分の古い考え」ってやつですね。僕はこのせいでずいぶん先延ばしをしました。
少額ずつでもこつこつ返せばいいのだと教えられて、やっと始められました。
で、毎月一万円ずつ送る決心をしたのですが、我が家でも諭吉君は絶滅危惧種ですから、「申し訳ないけど今月は送れない」という月が何ヶ月も続いてしまいました。しかし、ふと思ったのです。最低一万円ぐらいでないと「恥ずかしい」と思ってしまった僕は、やっぱり格好良く埋め合わせをしたいという虚栄心にとらわれていただけではないかと。

貯金ができるぐらい生活に余裕がある時は、金を返す気持ちはさらに減少するのも体験してきました。


2008年01月28日(月) ブラックアウト

ブラックアウトと言う言葉は、もともとは世界大戦中に空襲から町を守るために行った灯火管制が語源だそうです。きっと真っ暗になるという意味だったのでしょう。だから、劇や映画の場面転換時に暗くなるのもブラックアウトと呼ばれます。暗くなるのはなにも光だけじゃなく、飛行機乗りが強すぎる加速度を下向きに受けると、血液が下半身に集まってしまい目の前が真っ暗になるのもブラックアウトと呼ぶのだそうです。

アルコール性ブラックアウトというのは、酒を飲んだ事による一時的な記憶喪失(健忘)です。飲み過ぎた翌朝に、前の晩のことを憶えていなくて青ざめたことがありませんか?

みんなで宴会をしたときに、飲み過ぎてつぶれてしまい、机に突っ伏して寝ているヤツがいます。こういう人が翌朝になって、前の晩のことを途中までしか憶えていないのは当然です。だって途中から意識を失って(寝て)いたのですから、憶えているわけがありません。意識を失っていなくても、泥酔してもうろうとしていれば、記憶に障害があっても不思議じゃありません。

そうではなく、回りの人から見れば、ちゃんと最後まで意識があったのに、翌日に本人が一部か全部を思い出せないことがあれば、それがブラックアウトです。

アルコール依存症の人でなくても、大酒飲みが大酒を飲んだ晩にブラックアウトを経験することもありますが、それはまれな話です。ところが、アルコール依存症の人は、ブラックアウトの経験を豊富に持っています。その経験に「単に途中で寝たので以降憶えていない」経験を足しあわせば、アル中は本当に記憶喪失が得意技だとわかります。

依存症になりかけの頃は、まだ酒量も多くなく、人と飲んでいるときに泥酔することもまずありません。その頃に、相手から見れば「昨日の晩は酒の量も多くなく、きちんと話もできていた人」が翌日記憶が飛んでいるという経験をします。このブラックアウトは、「依存症への境界線をまたぎ越えた証拠」だとか、「いずれ依存症になる人とならない人を区別する症状」だとか言われます。

本当はどうなのか知りませんが、ブラックアウトを体験したらお酒をやめるのが最善だと思います。


2008年01月27日(日) 愛だろ、愛

1月の終わりになって、いろいろ懸案だったことが片づいてくれました。てゆーか、年末年始に片づくはずだった作業が、まだ残っていたのは「先延ばし」が得意技だからにすぎません。

いままでセルフのスタンドでガソリンをこぼすというバカはやってなかったのですが、先日ついにやらかしてしまいました(機械を信用しすぎ)。そして帰宅して灯油を注いでいたら、それもこぼしてしまいました。屋上の貯水タンクの水が凍ってしまい、揚水ポンプが非常停止していたのに気づかず、明け方に氷を割ったりしていました。ついてない日ってこんなもんでしょう。

さて、AAの中での自分の評判を気にしても仕方ないと思います。
そりゃ、ちょっとは自分の評判も気にした方が良いと思いますが、それが自己評価の基準になってしまっては困ります。「あんた評判が悪いよ」と言われればドキっとしますが、良い評判をもらうためにAAやっているわけじゃありません。

そもそもAAは仲良しクラブではありません。AAの仲間は友だちとは違います。友だち関係とは別のものが僕らを結びつけています。

たとえば自分のバースディミーティングにたくさんの人に来てほしければ、たくさんの人のバースディミーティングに顔を出せばいいでしょう。おまけにプレゼントも渡せばなおさらです。AAの中だって義理もあれば人情もあります。それも悪いとは言いませんが、それとは違うものがあるのがAAでしょう。同じことがしたければAAの外でもできるのですから。

みんなでワイワイ楽しくやっていれば人が集まってくるよ、という理屈でやるなら、なにもAAという名前を使わなくてもいいのです。

批判されるのが好きな人はいません。仲良しクラブに波風立てれば嫌な顔をされるものです。尊敬できる人は、長い継続的な批判にさらされても、自分の信じることがある人です。きっとその人とその人のハイヤー・パワーとの関係がいいのでしょう。僕とは考え方がまるで合わなくても、それは別として尊敬できる人です。
「仲良くやろうよ」と言っている人に限って、実は自分のことしか考えてないとか、もっと私を褒めての賞賛乞食だったりします。

だから下手にAAずれした人よりも、やってきたばかりのAAビギナーの方が純粋だと言われるわけですよ。そういうお前も「すれっからし」じゃないか、というツッコミが定番ですけどね。


2008年01月25日(金) いつでも戻れる

昨年AAの金を何百万円か持ち逃げしたメンバーの一件を聞いたときに、最初に思い浮かんだのは「その人またAAに戻ってこれるのかな?」という心配でした。

行方をくらました人を追いかける力はAAにはありません。おまけに不手際があって、持ち逃げ行為を訴えることもできなかった、とあっては歯がゆい思いをした人も多かったに違いありません。お金は必要だから集めたのであって、無くなれば困ってしまいます。困ればそこに怒りや恨みも生まれて当然でしょう。

金が返ってくればいいという問題ではありません。どこかの会計係を任されたメンバーが、その金を使い込んでしまい(しまったらしく)、顔を出さなくなるということはあります。それを放置しておくわけにはいきませんから、その人に連絡を取ったら、金は戻ってきたけれど、その人はAAからいなくなっちゃった、というケースはいくらでもあります。

メンバー同士いがみ合っていたのではAAが続いていきません。つまり赦しが必要ということです。一方、何でもかんでも許せばいいというものでもありません。ストーカー行為やセクハラがまかり通っては困ります。社会の中のAAですから。その線引きをどこにするのか、明確な指針など聞いたことがありません。

ただ、ひとつ確かなことがあります。依存症とは、酒を飲み続ければ、いずれ酒で死ぬ病気です。そしてAAメンバーが「AAには人の命を救う力がある」と信じるのならば、依存症者をAAから拒絶することが、その人に対して死刑宣告をするに等しいということは理解してもらえるでしょう。

再飲酒した人がもう一度AAに戻ろうとしても、心理的抵抗がある(敷居がすごく高く感じられる)ものです。僕もそうでしたから。社会的に何の罪もない再飲酒ですらそうなのですから、実際問題として持ち逃げの人がAAに戻ろうと思う可能性は低いのかもしれません。

でも、その人が戻りたいと思えば戻れるのがAAです。


2008年01月24日(木) まだまだ続くビッグフットの話

僕は12のステップは旅だと考えています。
ステップ1は、なぜ旅をしなければならないのか。その動機です。旅をしないということは、今のところに留まるということです。いままでと同じ場所で、同じことを続けていくわけです。それには耐えられないと思うからこそ、ステップという旅に出たいと思うのではないでしょうか。
ステップ2は、目的地に着けば、今とは違ってくると信じることです。
そしてステップ3で旅に出る決心をして、ステップ4以降で旅をします。

AAミーティングにやってくれば、たいてい小さなハンドブックを読みますから、第5章に書いてある12のステップを目にするでしょう。でもその短い文章を読んだだけで、どこへ向かってどんな旅をすればいいのか、準備はどうすればいいのか、想像できる人はまずいないでしょう。

ビッグフットというのは、この旅のガイドブックであると考えてもいいでしょう。観光ガイドブックには何が書いてあるでしょう?
まず、パスポートの取得方法、ビザ、通貨の両替、予防接種などなどです。飛行機会社の電話番号や成田空港への交通手段。出国手続き。現地の空港に着いたら、市内のホテルへどうやって移動するか。リムジンバスかタクシーか。ホテルに着いたら晩飯を食いに行きましょう。翌日はいよいよ観光の本番です。ガイドブックには名所旧跡が山ほど掲載されているでしょう。そして、旅行特有のトラブルもいろいろ待ちかまえていますから、その用心も必要です。

こうしてガイドブックによって私たちは旅に出る前に、これから何が待ちかまえているか「おおよそのところをはっきり」と知ることができます。

僕は初めて海外に行く時には、何をどうしたらよいか分からず途方に暮れました。何をしていいか、これから何があるか分からない不安だらけで、いっそのこと旅行なんか中止してしまおうと思ったものです。平たく言えば、ビビって尻込みしていたのです。

ステップという旅も同じじゃないでしょうか。初めての時は怖いものです。これから何が起こるか不安だし、目的地がどんなところかも分かりません。だから旅に対して怖じ気づいてしまい、現状が耐え難いと思っても、旅に出るのを渋る人がいるのです。

ビッグフットを経験したからと言って、ステップという旅を経験したことにはならないでしょう。それは観光ガイドだけ読んでも旅をしたことにはならないのと同じです。ガイドブックだけ読んで旅した気分になっちゃう困った人がいるのも事実ですけど。

ただ、現状には耐え難いと思っていても、未経験の旅に対する恐怖心から「旅は嫌だ。しなくても私は現状で満足だ」と思ってしまう人が少なからずいます。そして「酒をやめているだけで十分じゃないか」と言うのです。こうなってしまうと、ますます旅には出にくくなります。

そうなる前に、とりあえず観光ガイドブックを読んでみるとか、旅行会社のツアー説明会に行ってみるのはいいことだと思います。そして、やっぱりこんな旅行には行きたくないと結論することになるかもしれませんが、それは仕方のないことです。

せっかくAAにやってきたのに、ステップという旅のすばらしい体験を聞くことなくAAを去っていってしまう人がたくさんいます。その現状を変えていこうというたくさんの動きの中のひとつがビッグフットだと僕は感じています。旅の方法論には賛否があるでしょうが、ステップが必要だという彼らの主張についてはAAそのものだと思っています。

(この項おしまい)


2008年01月23日(水) ビッグフットのさらに続き

そもそもビッグブックの解説本(スタディ・ガイド)とか、ワークブックとか、スクリプトとか、誰が書くものなのでしょうか。

アメリカ・カナダの常任理事会は、そのことに明確な方針を表明しています。
・その種の本を理事会が作ってGSOが売れと言うなら拒否したい。
・AA外部の人がその種の本を作ることは認めない。
・AAメンバーが書いてAAメンバーが使うのは賛成も反対もしない。

海の向こうには「俺の理解したステップを伝えてやるぜ」という熱意を持ったツワモノが多いのでしょうか。その種の本もたくさんあるようで、ネットで検索すればいくつか見つかりますし、無償で公開されているものもあります。「心の家路」で紹介しているジョー・マキューの著作も、あくまで「AAメンバーとして、AAメンバーに伝えるために」書かれたもののひとつですね。

さて、B2Bを使っていた人たちは、ワリー・Pの著作を訳して使うことが難しいのなら、いっそのこと自分たちで書いてしまったらどうだろうか、というアイデアが浮かんだのだそうです。そのアイデアが形になって、日本で初めて作られたスクリプトが「ビッグフット」です。日本のメンバーによって作られたと言うことが、僕としては画期的に思えます。

フットというのは「足」のことです。どうせステップの最初の一歩を踏み出すのなら「大きな一歩」を踏み出して欲しい、という思いがビッグフットという名前にこめられているのだそうです。なので、ロッキー山脈の大足巨人とも、ヒマラヤのイエティとも関係がありません。

良く誤解されるのですが、僕はビッグフットの著作にはまったく関わっていません。ただビッグブックのやり方全般を advocate(擁護)するなかに、ビッグフットも含まれているだけです。延々と毎月繰り返されるBFミーティングにも一度も出たことがありません。

ひとつ確信していることは、それまでのAAには足りないものがあったからこそ、ビッグフットによってそれを補おうという人たちが現れた事実です。

ビッグフットを好ましく思っていない(ほとんど敵視している)AAメンバーが居ます。それはその人の自由ですから僕がとやかく言うことではありません。けれど、反対者の意見ばかりが大きくなっていって、ビッグフットがAAから排除されてしまうのは好ましくないと思っています。
向こうの理事会は「個々のAAメンバーのステップの伝え方に、賛成も反対もできるわけがないじゃないか」というサービスの原則に沿った良心を示しているわけです。
ただ一方の声が大きければ、ときどきその原則が壊れてしまうのも経験していますから、ビッグフット関係者以外にそれを擁護する人間が少し居てもいいだろう、と思ってその立場を取っているわけです。スクリプト・ミーティングが存在する余地のない、不寛容なAAになってしまうことが、一番恐ろしいと思っています。

で、この文章は、そうした全体的視野とは関係なく、個人的にビッグフット・フォーマットに対してどんな感想を持っているかを書きたくて始めたのですが、ずいぶん長くなってしまいました。

(さらに続く)


2008年01月22日(火) ビッグフットの続き

昨夜は衛星放送でNFLのリーグチャンピオンシップの試合を見ていました。9月以降の僕は深夜のフットボール中継で睡眠不足が続きますが、それももうすぐ終わりです。マニング兄弟の弟がスーバーボウルに行けるかどうか興味津々でした。録画中継ですから、ネットで調べれば結果はわかるんですけどね。
第4クォーター残り4秒で、キッカーががフィールドゴールを外し、延長に突入したところで、もうそれ以上見るのを諦めて寝てしまいました。

試合の行われたパッカーズのホームスタジアムは、温度がマイナス4度であると画面に出ていました。Lambeau Field はこの前の試合の時は雪が積もっていました。グリーンベイという都市がどこにあるのか知りませんが、きっとアメリカでも北の方だろう、ぐらいにしか思っていませんでした。まだくそ暑い9月から、氷点下の2月まで試合をするなんて、NFLの選手は大変だなって。

帰宅後にケーブルテレビで続きを見ていて、途中で気が付きました。アメリカの気温表示は摂氏ではなく華氏です。華氏のマイナス4度は、摂氏に換算すると−20℃です。いやはや、その温度であれだけ激しいスポーツをするとは。

さて、ビッグフットの続き。

スクリプトとして最も有名なのは、おそらくワリー・Pの Back to Basics(基本に帰れ)でしょう。彼はニューヨークのAAオフィスの書庫から、1950年代に行われていたビギナー教室の記録を発掘し、それをもう一度広めようという運動を始めました。バック・ツー・ベーシックス(B2B)がどれぐらい広まったのかは知りませんが、シカゴにいた経験のあるアメリカ人メンバーに聞いたところでは、B2Bのミーティングはごく普通に存在していたそうです。

B2Bはビッグブックを使うのですが、中身はAAの源流となったオックスフォード・グループの原理を色濃く残しています。ですから、絶対正直、絶対純潔、絶対無私、絶対愛という四つの信条も出てきます。

で、B2Bを日本語に訳し、日本でスクリプト・ミーティングを(おそらく初めて)やった人たちがいました。そしてそれを広めていこうとするときに、B2Bの版権問題が障害になってしまいました。B2Bはあくまでもワリー・P個人の著作で、彼の出した条件と、日本人メンバーの要望がかみ合わなかったのです。

(まだ続く)


2008年01月21日(月) ビッグフット

ビッグフットとは、アメリカのロッキー山脈一帯に生存すると言われる身長3メートル全身毛むくじゃらの巨人の一族です。UFOを目撃した人に限って写真を撮るのが下手でどれもピンぼけだったり、宇宙人に会った人に限って絵が下手だったりするわけですが、その原則はビッグフットにも当てはまります。

という話じゃないですね。

ビッグフットというのは、いわゆるスクリプト・ミーティングのひとつです。ビッグブックを下敷きにした台本(スクリプト)を用意し、それを読むのがミーティングの中心です。ビッグフットでは4回のミーティングでステップ1〜12までを一通り体験することになっています。
僕が体験した一泊二日のセッションでは読むだけでなく、祈りや黙想、棚卸表への記入、埋め合わせの計画作りなどもしましたが、なにぶん4回のミーティングという限られた時間の中ですから、深いところまで掘り起こすのは難しいことです。

スクリプト・ミーティングの源流は、六十数年前のアメリカ、クリーブランドにまで遡ります。地元の新聞がAAの事を取り上げたのが発端となり、クリーブランドのAAにたくさんのアルコホーリクが寄ってきました。ところがそれを受け入れる地元のAAグループはまだ小さなものでした。しかも、12ステップはスポンサーからスポンシーへ一対一に渡されるのが基本でした。
結果として、多くのビギナーがスポンサーにありつけない状態になりました。窮余の策として、教室形式でビギナーを生徒役に、経験者を先生役にして、ステップを「教える」ことをし、一対多の伝達を試みました。教科書には出版されたばかりのビッグブックが使われました。
これがうまく行って、クリーブランドのAAは爆発的な成長を遂げました。そのおかげでAAはクリーブランドで始まったと思っていた人も多かったようです。

その後のAAで、こうした形式が主流になることはなかったのですが、その経験をスクリプトに集約して使うやり方は受け継がれてきました。

(続きます)


2008年01月20日(日) 妙に長い雑記

妻が商店街の福引きでiPod shuffleを当てたのですが、我が家に届いても長いことほったらかしでした。が、この休みに引っ張り出して、ようやく使ってみた次第です。iTuneのソフトはもともとインストールしてあって、曲を買っていたりしたので、あとはiPodをつないで、曲を転送すればいいだけでした。

iTuneがまともに動作せず同じ曲が3回転送されてしまったりとか、トラブルがありながらもなんとか転送成功。付属のイヤーカナル型ヘッドホンにはまったく期待していなかったのですが、結構いい音です。iPod君には得手不得手があり、平原綾香のJupiterや坂本教授のMerry Christmas Mr. Lawrenceあたりは最悪、大塚愛のCHU-LIPはご機嫌という感じです。この傾向は昔から使っている5千円の密閉型ヘッドホンを使ってみても変わりませんでした。

ともかくアップルの製品を見ていつも感心するのは、安い部品を使って実に「それっぽく」仕上げるのがうまいということです。日本のメーカーの場合には、安い製品で高級感を醸してはいけないという縛りでもあるんでしょうね。例えばDSって、どうしてあんなにデザインがダサいんでしょう? アップルを見習って欲しいと思います。

さっそくiPodは子供たちに取られてしまいました。彼女たちの手でDS並の「耐久テスト」にかけられたiPodが、いつまで無故障でいられるか・・・。

さて、上の子が学校でスキーに行く前に、一度スキーをやっておきたいというので、親子でスキー場に行ってきました。我が家は朝寝坊が揃ってますから、お昼ご飯を食べてからお出かけです。スキーはレンタル。ウェア類は10年前のを引っ張り出してきたり、昨日フリーマーケットで買ってきたちぐはぐな寄せ集めです。半日分のリフト券とレンタル費用、家族4人で1万5千円ぐらいでした。
子供たちはスキーは初めてなので、とりあえず平地を2〜3分滑ってみて「スケートと同じ要領だから」と納得してもらい、早速リフトに乗ってファミリーゲレンデに出ました。ボーゲンとか教えてないので、二人とも直滑降であっという間に下って行ってしまい、止まり方を知らないので自ら山に突っ込むことを選んでいました。2回目はハの字と体重移動の練習。昔のスキーと違いますから、滑るだけなら難しいことはありません。
3本滑って売店で肉まんを買って小休止。その後は面白くなってきたみたいで、親を置いて子供たち二人だけでどんどん先にリフトに乗っていってしまいました。夕方までに計10本ほど。

第3日曜日は子供優待の日だそうで、ほんとに小学生ばかりでした。子供だけで滑っているのもまったく珍しくありませんでした。パパ・ママが休憩室で漫画を読んでいて(スキーの格好はしていない)、子供だけが滑っているという家族もみかけました。節約ですね。子供ばかりのゲレンデだったので、うちの子供たちも臆しなかったのかもしれません。
ともかく骨折しなくて良かった。年末に二人とも骨折しているので(上の子は階段落ち、下の子はスケートで転んで)。

最後に、雑記っぽい話をしましょうか。
日々少しずつ回復するなんてのは幻想です。人間の心の変化は、数時間とか数分の短い時間に起こるのだそうです(良い方にも悪い方にも)。だから回復も、長い停滞の期間と、短期間の変化の組み合わせでしょう。例えばAAでされる「気づきが与えられた」という表現も、気づいて行動が変わるという変化が、その瞬間に起きたと解釈できます。停滞ばかりの日々が続くのが当然ですが、そこは根気強く。


2008年01月19日(土) ネット上での無名性とは

『アノニミティをご存じですか?』 - Understanding Anonymity

というパンフレットに、インターネットに関する記述が追加されたので転記しておきます。訳はテキトーにでっちあげたものです。

Q. I maintain an Internet Web site and also belong to an online meeting. At what level should I protect my anonymity on the internet?

問.私はインターネット上でウェブサイトを維持したり、オンラインミーティングに参加しています。ネット上では私のアノニミティ(無名性)をどの水準に保てばいいのでしょうか?

A. Publicly accessible aspects of the Internet such as Web sites featuring text, graphics, audio and video ought to be considered another form of “public media.” Thus, they need to be treated in the same manner as press, radio, TV and films. This means that full names and faces should not be used. However, the level of anonymity in e-mail, online meetings and chat rooms would be a personal decision.

答.公共からの利用しやすさを考えると、インターネット上で文字、グラフィック、オーディオ、ビデオを扱うウェブサイトなどは「公のメディア」の一種と考えられる。したがって、新聞、ラジオ、テレビ、映画、ビデオと同様に取り扱うべきである。つまり姓名(フルネーム)や顔を出すべきではない。一方、電子メール、オンラインミーティング、チャットルームおいてアノニミティ(無名性)をどの水準に保つかは、個人の判断にゆだねられるべきである。

The arrival of new media technologies such as the Internet has offered new vehicles to carry the A.A. message to the public. A.A. members continue to preserve their anonymity in these new public media.

インターネットなどの新しいメディア技術の登場は、AAメッセージを広く一般に運ぶ新しい伝達手段を提供しつつある。こうした新しい公共メディア上でも、AAメンバーはアノニミティ(無名性)を保ち続けている。

press, radio, TV, films(新聞、ラジオ、テレビ、映画)という従来からの言い習わしに加えて、new media technologies such as the Internet(インターネットなどの新しい技術メディア)が続くようになっています。


2008年01月18日(金) 遺伝と環境

病気の原因には、遺伝と環境が挙げられます。
もともと高血圧になりやすい体質を親から受け継いだ上に、塩分の多い食事やストレスの多い職業を選ぶなどという条件が揃うと高血圧になります。同じように味の濃い食事を食べても、高血圧にならない人はなりません。なりやすい体質を持って生まれた人でも、食事などの環境に気をつければ、高血圧になりません。

アルコール依存症の人の子供が、親と同じように依存症になりやすいことは知られています。ただこれが、遺伝によるものか、環境によるものか、という話がありました。

機能不全の家庭で育った子供が、大人になっても満たされない心を抱え、その満たされない心をアルコールで満たす習慣を深めた上でアルコール依存症になってしまう、というひとつのモデルがあります。親がアルコールに溺れていては、家庭がうまく機能しないのも当然です。たとえ親の飲んだくれ期間が比較的短かったとしても、子供の心に不全感を植え付けるには十分です。なので、依存症が親から子に受け継がれるように見えるのは生育環境によるもので、遺伝は関係ないと考えることもできます。

何年か前、アメリカと北欧で、これを確かめる調査研究が行われました。遺伝的に同じ一卵性双生児で、なおかつ養子になった(ならなかった)人を調査したのです。結果は、遺伝上の親がアルコール依存症である子供は、そうでない人に比べて10倍以上依存症になりやすかったのです。これを聞いた頃にネットで探したらアブストラクトが見つかったので、いまでも見つかるかも知れません。

そういった研究が重ねられるにつれ、依存症の人の子供は、大人になっても酒を飲まないのが最善であるという主張がされるようになりました。なにしろ、酒さえ飲まなければアルコール依存症は予防できるのですから、いわゆる生活習慣病に比べればはるかに防ぎやすいのです。(もちろん、ギャンブルとか買い物とか、セックスとか薬などの依存症にならないとも限りませんが)。

もちろん、他の病気と同じように、遺伝するのは病気そのものではなく「なりやすい体質」ですから、アル中の子供が飲んだからと言って全員アル中になるわけじゃありません。親も親族も誰もアル中でないのに、なぜか当人だけというケースもあります。だから、子供の自由だと言ってしまえばそれまでです。

でも、酒など飲まなくても、世の中を生きていくのに不自由しないのは多くの「飲めない」人が証明しています。お父さんはお酒でこんなに苦労した。その体質をお前も受け継いでいるのだから、飲まないのが一番いい、と言ってあげるのが親の責任であるように思います。

アメリカには「じいちゃんも、とうちゃんも、AAメンバー」という3代続けてのAAメンバーもいるそうです。そこまで極端でなくても、「俺は親父を憎み、親父のようにならないと言いながら、大人になったら親父とまったく同じことをしていた」という、笑っていいのかどうかわからない話も結構あります。そんなリスクを負ってまで飲むべきものだとは思えません。

ただ、もう酒の味を覚えちゃった成人した子に酒をやめさせるのは、まだアル中になっていなくても難しい、とはよく言われることでもあります。


2008年01月17日(木) 逃げ道がない

僕は若い頃一人暮らしをしながら酒を飲んでいた頃に、すでに十分酒で苦しんでいたのです。生活がダメになっていることは重々承知でしたが、それでも「やめられない」のではなく「自分が飲む方を選んでいるだけ」、つまり自業自得だと思っているうちは、それほど苦しんでいなかったとも言えます。

しかし、苦しいことは苦しくて、自殺未遂をやらかし、それが原因で長野の実家に戻ることになります。さらに3年後には「アルコール依存症」という病名をもらいます。その前後から、家族や職場の人たちからの「お前は飲んではいけない」という圧力が高まってきました。

そうなってくると苦しさ倍増(当社比)といったところでしょうか。

おおっぴらに飲んでいれば叱られるので、陰でこそこそ飲むようになりました。飲んでいるのに「飲んでない」というウソも平気で言うようになりました。買ってるはずのない酒を買っているので、金も足りなくなります。飲んでいるところは隠せても、飲んで寝ているところは隠せないので、寝ているときもびくびく寝ていました。
わかったよ、うるせーよ、俺だってやめようとしてんだよ、てなことを思ったり言ったりしていましたね。誰かに「お前は酒飲んで寝てていいよ」と言って欲しかったものです。もちろん誰も言ってくれやしませんでしたけど。

飲んで起こしたトラブル以上に、やめられないのが苦しい。自分をコントロールできないってことが、いかに人間の尊厳を傷つけることか。

が、だからこそ良かったとも思います。苦しさ倍増だったからこそ、苦しみの時間は半分で済んだのかも知れません。

たまに家族の人から(妻が、夫が、父が、母が、子が・・)酒を飲んで○○で××なので、どうしたらいいでしょう? という相談を受けることがあります。精神科を受診して・・という型どおりの返事をするのですが、最近はひとつ添えていることがあります。

「飲んでいる本人以外の家族が、<お酒をやめて欲しい>という思いで一致すること」を勧めています。お酒をやめて欲しいが、とりあえず暴力だけ止まってくれればいいとか、仕事してくれるだけでもいい・・という逃げの余地を作ってしまうと、お酒という原因が解決されません。「お酒をやめて欲しい」という言葉が、本人を苦しめるわけで、さらに荒れることになるかもしれません。でも、そこをお茶濁すわけにはいかないでしょう。


2008年01月16日(水) AAという信仰

ビッグブックには、熱心なAAメンバーは無神論者であっても、結局は最後はどこかの宗教にはいるのを好む、と書いてあります。日本のAAの初期の頃の人たちには、カトリックに改宗した人たちが多かったと聞きます。メリノール宣教会というカトリック伝道集団が、日本のAAの誕生に深く関わっていたことと関係あるのでしょう。
改宗した人たちは、スピリチュアルなものを宗教のほうから(も)得ていたはずだ・・と僕は思います。もちろん彼らも宗教の話はしない、という約束を守っていましたから、本当のところどうなのかは確かめられません。
こうした改宗は第二世代(?)ぐらいまでに受け継がれたようですが、その後は傾向が弱まります。おそらくは1980年代後半から起きてきた「AAをより純粋にAAにしよう」という動きと関係があるのでしょう。それは・・・あくまで想像ですが・・・日本のAAメンバーからスピリチュアルなものが失われ、世俗化していった時代だったのかも知れません。

「AAは宗教ではない」と強調する人がいます。

それが「AAは何かを信じることを強制しない」とか「AAは特定の宗教を応援しない」という本来の意味で使われるのなら良いのです。もちろん、そう言う意味で使っている人は沢山います。

けれど中には「AAそのものから、宗教と同じスピリチュアルなものを得られるわけがない」という否定的な意味に使われていることもあるような気がします。つまり、スピリチュアルな尺度で測ったときに、AAよりも、伝統的な宗教のほうが常に優れているはずだ、という主張です。

もっとぶっちゃけた表現なら、「俺たちが宗教で得た霊性を、お前たち若い連中がAAの中だけで得られるわけがないだろう」という雰囲気を感じる事ってありませんか? それともそれは、僕の被害妄想かなぁ。

スピリチュアルなものを得るのに、必ず宗教に入らなければならないとは思いません。霊的な進歩は、AAか宗教かという問題ではなく、個人個人の取り組む真剣さの問題でしょう。まあ、僕もいずれどこかの宗教に属するのかも知れませんが、現状では非宗教的スピリチュアル派ということで。


2008年01月15日(火) 一晩持たない

最初のAAスポンサーとは、電話で相談ごとをほとんどしませんでした。というか、よほど緊急でなければ、電話で相談は受け付けてくれませんでした。それでも電話をかけると「じゃあ、次のミーティングで会おうや」と言われるのが関の山でした。
週に二日は同じミーティングに出ていたのですから、長くても3日待てば良かったのです。「何年も飲んできたのだから、今さら3日ぐらい何でもないだろう」という理屈です。じゃあ冷たい人だったかというと、そんなことはなく、ミーティングが終わった後に、教会の駐車場にうんこ座りして、タバコを吸いながら30分でも1時間でも話をしてくれました。
関係ないんですけど、ジベタリアンなどという「カッコ良さげ」な言葉は気取っていて嫌ですね。僕に言わせれば、あんなのは「ウンコズワラー」です。

「だいたい用がある方から出向くのが世間の常識だろう」と言った人がいましたが、そういうものですね。

過去のスポンシーの中にも、自分が欲しい言葉をスポンサーから引き出すまで電話で粘っちゃう人もいました。スポンサーというのは、スポンシーがしゃべってくれなければできません。何か一言しゃべったら、3倍ぐらい小言が返ってくるようでは、スポンシーも話すのが嫌になってしまいますから、「うんうん、そうだね、大変だったねー」と相づちを打ちながら、話の次の展開を待っているわけです。それは別に「あなたは正しいよ」と同意しているわけじゃないんですけど。

「明日ミーティングで会おうぜ」と言って電話を切ったら、5分おきに電話がかかってくるとか、仕事を終えて自宅に帰ってみたら着信記録が20件とか。留守電は罵声ばかりとか。欲しい言葉を引き出すためには、何だってしちゃうんですね(明らかに方法が間違ってますが)。そのくせ飲む前には電話をかけて来ないのです。
スポンサーやった人なら大なり小なり似たような経験があるんじゃないでしょうか。

とは言え、僕だってぐちぐち言うための電話だってしますけどね。でも人間関係はギブ・アンド・テイクが基本ですからね。


2008年01月14日(月) no but

代々木の東京ステップセミナーの人数は、僕が会場にいたときには200人弱。四谷のビッグブックの集いのほうは、僕が会場に顔を出した頃は60人あまりでした。カウンターもって数えたわけじゃないですけど。

人に挨拶すると「ああ、あのネットの・・」と言われることが多くなりました。どうやら僕はちょっと「有名な」AAメンバーになってしまったようです。この好ましいとは言えない状態を解消するひとつの手段は、ネット活動をやめることです。
もう一つ、リアルなAAとネットで使う名前を変える手段もありますが、そうやって同定を避けるのは僕に似つかわしくない感じがします。メディア上とリアルライフで同定されてはいけない、とは伝統にはないからいいのかな。どんなもんでしょう。

さて、人は皆違うものであります。工業製品じゃないですから。

100人のAAメンバーを集めて、その全員に共通することを探したら、何が見つかるでしょう。全員人間であること。同じ時代に生きていること、などなど。違いを探した方がいっぱい見つかりますね。職業、年齢、性別、信条、国籍・・・。

重要なひとつの一致点は、全員が「アルコールに対して無力」であることです。ほうっておけば、アルコールのなすがままで、人生めちゃくちゃ、ってのが無力です。

逆に言えば、この大切な一致点を探さなくて、他に何を探すんでしょう。「あいつほど俺は酷くない、軽症だ」と言って安心するのも、「俺はあいつほど恵まれないから酒がやめられない」と絶望するのも、どっちも違うでしょう。

集まってやっていくためには共感が必要です。でも無力について共感できなければ、AAの中に留まり続けるのは、難しいことです。無力じゃなければ、その人にはAAが要らないことになりますから。
が、多くの人はこう言うのです。

「それは分かります。でも(but)・・・」


2008年01月13日(日) 年中行事

予定では昨日「三九郎」だったのですが、雪雨で順延し、本日となりました。
三九郎とは、どんど、あるいは左義長と呼ばれるもので、竹あるいは木で三角錐を作り、役目を終えた正月飾りや、昨年のお守り、門松、稲藁などを燃やす年中行事です。この火で焼いた餅などを食べると、虫歯にならないとも言われます。
そもそも子供の行事であり、材料の収拾から、三九郎の設営、点火まで正月の子供(小学生)の役目であり、大人の出番は最後の火の始末ぐらいでありました。昨今のように子供が少なくなってくると、だんだんお父さんたちの手伝いが増えるようになり、しまいには子供がするのは各家を回って正月飾りを集めるぐらいで、どっちが主役なのか分からない状態となりました。子どもたちは燃えるのを見ているだけでは飽きてしまうので、お母さんたちがテーブルを出して豚汁やら焼き鳥やらをふるまったりして・・・。年中行事も様変わりです。

本当はAAの病院メッセージに行く予定だったのですが、なにせ町内に小学生のいる家は数家族しかなく、しかもお父さんがいなかったり、外国人だったりする家もあって絶対数が不足するため、AAのほうは仲間に甘えることにしました。

その昔(たぶん江戸時代とか)三九郎は夜半子の刻に燃やすものだったそうです。僕の子供の頃は夜8時とか7時とかに早まっていました。昨年は夕方5時点火でしたが、今年は「日が暮れると寒いから」という理由で午後3時の明るいうちの点火になりました。
昼間燃やすのは風情がないのですが、寒くないのは助かります。市内では正午に燃やすところもあるのだとか。お手軽にしなければ伝統行事も維持できないのが実情です。

昨年まで子育ての話をしていた奥様たちが、今年はお受験の話をしていました。demands を満たすのが人生とはいえ、次から次へと課題がやってくるものです。我が家は私立へ行かせる金はないので、勉強して公立へ行って欲しいものです・・それも親のわがままか(地元には私立の進学校はありません)。


2008年01月12日(土) ミーティングにおける本当とウソ

今日はミーティングの人数が少なめでした。地区委員会があったり、仕事やプライベートで忙しい人も、回復のために東京に行っている人もいましたから。少ないと言っても、8人いましたけど。

さて、最初は何はともあれミーティングに行くことは必要だと思います。いままで、どんなに飲んだことを反省しても、最後にはまた飲んできたのです。だから、反省は役に立ちません。いろいろとやり方を変えてみて、自分なりに努力してみたものの、でもやっぱり最後には飲んできたのです。だから、自分の考えでやっているうちは、結果はゼロだったのです。少なくとも「飲む、飲まない」という点では、結果はゼロでした。
だから、自分の家や職場でいくら考えたところで、飲まない力は付きません。そこはミーティングに通うしかありません。

が、通えば何とかなるか、というのも実は結構ビミョーだったりします。

だって、AAミーティングには「こういう話をしなさい」という縛りはなく、自由に自分の考えを述べていいのです。だから、話されているのはその人の考えです。その人の考えである限りは、それも「役に立たなかった自分の古い考え」である可能性があります。

端的に言って、AAミーティングで話されていることには、真実とウソがあります。よく「ミーティングでは自分の経験を話しなさい」と言われます。経験はウソをつかないですから。でも、脚色、歪曲、自分の解釈ってやつで、どんどん経験談にもウソが混じり込みます。もちろん、話している人はそれがウソだなんて思っていやしません。ただ、その人の信じていることが間違っているだけです。

真実でない人の話や意見を信じてしまうと、信じた自分が飲む羽目になりますから、真実とウソは見わけないといけません。でも、それは難しいですね。

ミーティングで話されていることが、ノイズ混じりの生のデータだとすれば、そこから真実を選り抜いていく作業は、まるで科学者の研究のようなものです。つまり、相当頭の良い人でなければ、ミーティングに通って人の話を聞いているだけで、真実をつかみ取って回復することは難しいのです。時間もかかりますから、つかむ前にまた飲んでしまうかも知れないし、死んでしまうかも知れません。

だからこそ、スポンサーとか本というものが大事なのです。僕は頭が良くないので本を頼ります。そしてミーティングで人の話(生のデータ)を聞くと、「おお、本に書いてあることと同じだ、なるほどなるほど」と思うわけです。

だいたい、アルコホーリクの頭は「違い探し」が得意で、ノイズ混じりの生データの中から「ノイズばっかり拾い出す」のがお得意なんです。


2008年01月11日(金) バイトについて

酒で生活が破綻してしまって、今日食う米にも困っているなら生活保護しかないと思います。僕は、みんなから集めた税金を生活保護費に使うのは、悪くない税金の使い方だと思います。無駄に使われてるとしか思えない税金もたくさんありますからね。

じゃあ、働かなくてもいいかっていうと、できれば働いた方が良いと思います。
それは早く働いて、生活保護費をもらわずに「経済的に自立?」しなさい、と言っているのではありません。

生保を受けながらアルバイトしても、稼いだぶんだけ保護費を減らされるので収入は増えず「アルバイトなんかするだけ損だ」と言われます。こっそりアルバイトして保護費は満額もらうという不正もあるので、アルバイト自体が好ましく思われていないようにも思います。

けれど、依存症以外の病気とか、その他さまざまな理由で働けないのならいざしらず、働ける年齢の人が、毎日アパートで一人ゴロゴロしていて、夕方だけAAミーティングに出かけるっていう生活はどうなんだろう? って思います。

アル中って人間関係の病気ですから、人間関係を減らしていけば、(つまりアパートで一人でいる時間が長ければ)表面上起きる問題も減ってきます。それでなんとなく回復しているような気になってしまうのですが、実は何も変わっていないので、ちょっとしたトラブルが酒への引き金になったりもします。

人間関係のごちゃごちゃを起こす自分を見つめる作業ですから、金にならなくてもアルバイトした方が回復の役に立つと思いますし、ミーティングで人にも自分にも役に立つ話ができます。金が目的じゃなくて、回復のネタです。

ダメならすぐにやめられるのもバイトの良さです。もちろん、仕事があって休職中の人がバイトするのは不正ですからダメです。一日3回のミーティングの人は、仕事なんかまだ早いです。

年金暮らしをしていたAAメンバーが、いきなり働きだしたので理由を尋ねたら「家で一人でいるとどうも良くない」と言っていました。確かに働きだしてから、その人は良い方に変わったというのが皆の評価です。長いソーバーの人ですら、こうなのですから。


2008年01月09日(水) 女にバカにされたくない?

「セックスは好きだけど、女は嫌い」っていう男はいっぱいいるでしょうね。

体が大人になるとセックスの相手が欲しくなります。
その相手は生身の女が望ましいわけで、ビニールの人形で良いわけがありません。ところが、生身の女には感情も自我もあるので、自由に操ることができません。

テレビ番組で、お見合いをしてもなかなか相手に恵まれない、という男性のためのセミナーを取り上げていました。その講師の女性が、男性たちに徹頭徹尾たたき込んでいたことは「そのままのあなたを男として愛してくれる女性は、世の中にたった一人、あなたの母親だけです」ということです。おお、確かに母の愛は偉大なり。
息子がたとえ、女を見下すようないけ好かない男であろうが、自分のことですら自分でしない怠け者であろうが、プライドばかり高くて思いやりがない男であろうが、母にとって息子は一人の男です。ところが、世の中の女性は息子になる男性を捜しているわけじゃありません。
男の中身が変わるのが一番なんですが、それは簡単な話じゃないので「せめてお見合いの間ぐらいは<良い人>にみせなさい」というわけです。

生身の女を相手にしていれば、逆に見下されることもあるし、やって欲しいことをしてくれないばかりか、して欲しくないことばかりやってくれたりします。それは男女の別なく「人間てそういうもの」なんですが、親離れしていない男は母親像を女に投影してしまうので、その違いばかりに目がいってイライラすることになります。

「過去自分はモテたんです」という人の話を聞いてみても、実はモテたのは学生時代だったりします。学生時代ってのは特殊環境なんですよ。年頃のオスとメスを教室っていう檻のなかに閉じこめてあるんですから。ペットだって、そうやっとけばたくさん子供を産むでしょう?
男女混合のアルコール病棟で、恋愛に走って治療にならないので二人そろって強制退院とか、入院するたびに新しい相手ができるとか・・こういう話と、学生時代モテモテ話は五十歩百歩であります。社会人になって、自由選択市場にでてから、どれだけ実績があったかですよ。

ありのままの自分を受け入れてください、って言う方が無理なんです。

え? お前はどうなんだって?

僕は、セックスも好きだし、女も好きですよ。


2008年01月08日(火) カレンダー

数年前のある日。電話がかかってきました。

「また飲んでしまいました」
「あそう。じゃあ、またやり直そう」

「もう、どうしていいか、わかりません。どうしても飲んじゃって」
「そりゃ、やることやってないから飲むんじゃないですか?」

「ちゃんとミーティングにも通ってたのに」
「そうかなあ、カレンダー見てごらん」

「・・・」
「ミーティングに行った日には○を、行く予定だったのに行かなかった日は×をつけるって話だったよね。カレンダー、どうなってる?」

「・・・」
「カレンダーは正直だよね」

「・・・何にも印が付いてません」
「そうだ。もう×を付けることすらやめちゃってたんだ。それが飲む準備だよ」

「ひいらぎさんはやってるんですか?」
「もちろん、僕みたいにミーティングに出たりでなかったりする人間にはとりわけ必要だよ。自分が思っているほど出てないものだからね」

「明日からまたミーティングに行きます」
「うん、それがいいよ」

まあ、実際にはExcelのシートに記録しているだけなんですけど、自分が思っているほど出ていないもんです。毎週行ってるつもりの会場でも、出席率7割ぐらいだったりして。


2008年01月07日(月) beleiveとfaithふたたび

下の子の手首のギブスは完全に取れましたが、上の子の足首のギブスはまだ半分残っています。ただそれでも、月末のスキーには行って良いと医者に言われたので、ずいぶん喜んでいます。

さて、ステップ2には「信じるようになった」と書かれているので、信じるようにならなければステップ2ができないと思ってしまう人は多いようです。

以前にも http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=19200&pg=20071127 beleive と faith については書きました。

コロンブスがポルトガルの港を出港した頃は、ほとんどの人は「世界は平面で、海の向こうには世界の果てがあり、そこからは海の水が地獄に流れ落ちている」と考えていました。一方コロンブスは、地球は丸いと考え、西へ航海すればアジア(カタイやジパング)へ届くと信じていました。彼はプトレマイオスやマルコ・ポーロの本を読んで、地球が丸いことを信じて(beleive)いましたが、確信(faith)というほどではなかったはずです。

多くの人が「彼の船は世界の果てから地獄に落ちるに違いない」いたわけですから、航海を続ける彼にもしっかりと不安があったはずです。

世界は彼の想像通りではなく、ヨーロッパとアジアのあいだにはアメリカ大陸があり、しかも彼が見つけたのはアメリカの東のバハマ諸島でした。彼はそこをインド(の東)だと思ったようで、現地人はインディオ(インド人)と呼ばれることになりました。

ともかく彼は、大西洋の向こうに土地があることを知り、本国へ帰りました。彼はその後3回新大陸へと航海します。けれどこのときにはもう彼の心には、世界の果てから落ちる不安はなかったはずです。逆に新大陸があることは、経験から来る確信(faith)に変わっていたと考えられます。

ステップ2も同じです。酒に対する無力をハイヤー・パワーが救ってくれる、ということを、疑いを持ちながらも信じてみる(beleive)ところから始めるしかありません。そして、コロンブスがパロスの港を出発したのと同じように、不安と疑いを持ちながらもステップ3で出発する決心をします。順調にその後のステップを航海すれば、いずれステップ12で「霊的目覚め」という新大陸にたどり着くでしょう。
その時に初めて「自分がやってきたことが自分を救ってくれた」というfaith(信仰)が生まれます。

だからステップ2では、疑いながらでも「いっちょ信じてみっか」と始めればいいのです。


2008年01月06日(日) 二者択一

妻がちっとも家計簿を付けないので、仕方なく僕が付けることにしました。薬局でダイエット用と称する栄養剤を買ったり、初詣の神社で何千円もお守り買ってみたり、結構無駄遣いしてるんじゃねーかよ、とは思うのですが、それを追求してスネられて、家計簿を付けることに協力してもらえなくなると、本末転倒です。なので、とりあえずスルーです。

さて、同じことの繰り返しになるのですが、ステップ1は人を回復させないと言います。ステップ1で「無力になる」のではなく、ずっと前から無力になっていることに今さらのように気づくだけの話です。つまり、ステップ1は知識です。
ただ、単に「自分が無力だ」という知識を持つだけじゃなく、無力を「心の底から」認めることが求められます。

無力であるのは嫌なことです。無力であることは絶望です。絶望が好きな人はいないでしょう。誰でも無力は嫌なものです。ですから、無力を認めると、人は無力を解消しようと努力が始まるはずです。

ここから先は僕の考えなのですが、無力の解消には二つの手段があるように思います。ひとつは「大きな力」によって無力を解消するステップ2へと進む方法です。

もうひとつ「もっとやさしい楽なやり方」があります。それは否認です。無力から目を背け「自分は無力じゃないんだ」と言い聞かせる方法です。生活が楽になればなるほど、恵まれるほど、この自己欺瞞が得意になります。もちろん無力は解消できていないので、長い目で見ればいずれ酒へ戻ることになるでしょう。

ステップ1だけができている、という人はいないはずです。そんな絶望的な、暗く、辛い状態に長いこと留まれる人はいないでしょう。だから、前へ進むか、後へ戻るか、どちらかをするはずです。

「AAミーティングに通い続けているけれどステップ1がから後ろに戻っちゃった人」はいっぱいいるんです。


2008年01月05日(土) エレキネタ

携帯電話とPHSの二台持ちという生活を続けています。
単純に電話代の節約を目指しての話ですが、予想外のこともありました。
それはPHS端末の作りがチャチであることです。

携帯とPHSの両方を持っていると、どうしても比較してしまいます。買ったのは京セラ製の最新端末なのですが、全般的に動作がもっさりと遅いのです。ただ、メニュー操作については、もっとレスポンスが悪い携帯電話もあるので我慢しましょう。
こらえられないのは、Opera(フルブラウザ)の遅さです。通信速度の問題ではなく、積んでいるプロセッサの遅さでしょうか。忍耐力養成装置になっています。

おまけにそのフルブラウザが、普通のホームページをまともに表示してくれません。「家路」も読めないところがたくさんあります。いきなりPHSを床にたたきつけて、「ぬおー」と叫びながら外に駆けだしていきたくなりますが、そこは我慢です。

あと作りが安っぽい。携帯電話3社のなかでは、auの端末が一番調達価格が安い=一番安っぽいわけですが、それと比べても明らかに安っぽい。キーの感触も悪いし、手に持ったときの重量バランスが悪いので、メールが打ちにくくてたまりません。いきなりPHSを床にたたきつけて、「ぬお(以下ry

Windows Mobile を積んだスマートフォンには力が入っているのかも知れませんが、主戦場の音声端末がこれでは・・PHSの未来が暗く感じられる今日この頃です。

いや、慣れればいいんだ、慣れれば。

「おせちもいいけどカレーもね」などと言ってしまったら、三日間カレーが続いたりしております。

いや、慣れればいいんだ、慣れれば。


2008年01月04日(金) 変わりたいのに

アルコールの専門病院に入院して分かったことは、やっぱり世の中のアル中の大多数は酒をやめられないのだ、という単純な事実です。
保護室に入れられたときには、こんなみじめな思いをするなら、もう二度と酒など飲むのかと誓いました。けれど、入院中に他の人の「また飲んだ」経験談を聞くにつれ、自分が酒をやめられる見通しも暗く感じられました。
人間はトラブルを抱えていても、そのトラブルが解決不能であると、問題を直視するのをやめてしまうものです。例えば、一生かかっても返済できない借金を抱えてしまえば、借金の残額がいくらかなんてチェックしたくもないでしょう。
だからその時の僕が、断酒という無理な話から目を背けてしまったのも、自然なことでした。

世の中には断酒会とかAAがあることも知っていました。でもそこは、酒がやめられる人が通うところであり、やめられない自分が行くところではないと思っていました。

人はなぜ変わることができるのか(例えば酒をやめることができるのか)の答えは、「そもそも変わりたいと思っているから」だそうです。変わりたいと思っていても、さまざまな心理的抵抗があって、変わることを拒んでしまうもののようです。だから、その抵抗をひとつひとつ外していく作業が必要なんでしょう。

あの時の僕は、AAには酒をやめられる効果はないと思っていました。AAの効果を否定していたわけです。

9ヶ月後にAAに行って、AAで酒をやめている人を見て、なるほどAAによって酒がやめられる人もいると思うようになりました。「AAの一般的効力を信じるようになった」ということです。

しかし、それだけでは十分でありませんでした。自分もAAで酒がやめられるかもしれない、という期待を持つ必要がありました。AAが自分にも効力がある(自己効力)と信じるようになって、初めて継続的な変化が始まりました。

こうして抵抗のひとつが取れたのですが、それには年月と、酒の破壊力と、人の言葉がたくさん必要でした。問題を抱えた人は、変わりたいという願望以上に、自分は変われないという絶望(抵抗)を抱えているようです。お前は変われない、という否定的な言葉は、内にも外にもいっぱいありますから。


2008年01月03日(木) 飲んでた頃の話をしようぜ

初詣に行って、おみくじを買いました引きました。
今年は「おおきち」です。上の子は「こきち」で、下の子は「まっきち」でした。パパは嘘ばかり教えるから全然信じてくれません。

待人:さわりあり来たらず
失物:出がたし下にあり
恋愛:将来幸福になる
病気:信神すれば治る

何年経っても「どのように酷く酒を飲んできたか」という飲んでいた頃の話は大切です。なぜならそれが基礎だからです。

年月の経過と共に、飲んでいた頃の悲惨な記憶は薄れていってしまうものです(スリップして更新しない限りはね)。だからといって、問題が解決したわけではありません。酒に対する用心深さがなくなったぶん、危なくなっているとも言えます。

いかに自分が酒をやめられなかったか=自分がいかに酒に無力だったか、です。

飲んでいた頃の話ができなくなっていくのは、だんだんアルコールに無力でなくなっていく過程です。やめ始めの頃は皆が真剣ですが、体や心や生活が楽になっていくと、無力であるという実感も薄れてしまうものです。要するにステップ1が抜けていってしまうのです。

ステップ1は人を回復させないと言います。それは「酒に対して無力」という大問題を抱えている現実を知るだけの話で、なにも解決していません。解決はその先のステップが与えてくれます。逆に言えば、ステップ1は、その先のステップをやるための「動機」を作ってくれるのです。

その先のステップができない理由には、おそらく二つの理由が考えられます。ひとつは単にステップに慣れていないという場合。もう一つは、ステップをする動機がない場合=ステップ1が抜けてしまった場合です。

ミーティングで飲んでいた頃の話しかしない人もいます。けれど、何年もするうちには不思議といろんな部分が回復しているように見受けられます。一方、飲んでいた頃の話ができない人には「何年経ってもアル中の否認は頑固だなぁ」という評価にしかなりようがありません。

苦しんでいなければステップをやる動機がありません。あの時ステップ1が入ったような気がしていたのは、実は体も心も生活も苦しかったから、無力になったような気がしただけです。それが証拠に、いろいろが楽になってしまった今は、飲んでいた過去のことなど思い出さずに日々を過ごしてしまってますから。

そんなことよりミーティングではもっと別の話がしたい・・ていう気持ちも分かりますが、ミーティング以外でそういう話ができる人間関係を築くぐらい回復しろよ、と言いたいですね。たくさんの人に聞いてもらわないと気が済まない、っていう心の問題も解決しましょう。

年数が経ってからステップ1をやるのは大変です。ステップをサボる癖だけはしっかりついちゃっていて。

いかに自分が酒をやめられなかったか=今も自分がいかに酒に無力「である」か。


2008年01月02日(水) 読むほどにわからなくなる(かもしれない)AA案内

AAの「伝統」はルールではないので、必ずしも守られているとは限りません。
でも、おおよそ守られていないとAAグループが存続できないという経験則です。

・AAは非組織。
AAの各部分の組織化は最小限にする(伝統9)。
肩書きを持った人は奉仕をするしもべであって、責任と同等以上の権限を持たない(伝統2・9)。
AAを職業にすることはできない(伝統8)。ただし奉仕のために専従者を雇うことはできる。

・AAは匿名。
AAメンバーとして名前や写真をメディアに公開しない(伝統11)。
無名であることによって全員が平等であることが確認される(伝統12)。
(メディアでないところ、例えばグループの中で実名を名乗ることは問題ない)。

・AAは献金・経済的自立。
AAの収入源はAAメンバーの自発的な献金のみで、外部から助成を受けない(伝統7)。
AAそのものは資産を持たない、事業を行わない(伝統6)。
献金をすることはメンバーの条件ではない(伝統3)。

・AAの目的は単一。
AAの目的は自分自身と他のアルコホーリクの回復のみ(伝統5)。
AAは外部の問題に口を出さない。社会改革運動はしない(伝統10)。
AAは他の組織に属さない(伝統7)。
AAで回復したいと願うひとはどんな人でも拒まれない(伝統3)。
自分たちはAAグループだと名乗ればそれはAAグループである(伝統3)。
AAメンバーだからといって何かの規則に服従することは求められない(伝統3)。

AAグループは何かの権威に対してではなく、自分たちの良心に対してのみ責任を負う(伝統4)。

・AAそのものの存続
AA全体が存続しなければ、AAグループもAAメンバーも存在し得ない(伝統1)。
したがって、個人よりも常にAAの原理が優先される(伝統12)。


2008年01月01日(火) とめて欲しくない心境

「一杯飲む前にスポンサーに電話しよう」というスローガンがあります。
これは、酒をやめたてで、酒に手を出したくてたまらない人が、なんとか努力して酒を切っていこう、というときには有効でしょう。一人で辛いときに、一緒に乗り越えてくれる人がいれば、心強いものです。

ところが、ある程度の期間酒をやめたあとで、再び酒を飲む=スリップと呼ばれる再飲酒には、どうもこの手段は役に立たないようです。個人的な経験でも、飲んだあとに電話してきた人はいても、飲む前にかけてきた人はいません。つまり、人はその時には、もうスポンサーに電話はできないのです。

おそらく、もう飲むのをとめて欲しくない心境なのでしょう。そうなってしまっては手遅れです。「なぜ飲む前に電話しなかった」と問いつめてみても、役に立ちません。だって、飲みたいのに、スポンサーに電話してしまったら飲めないのですから、電話するわけがありません。最初の一杯を飲むのが「狂気」と言いますが、その狂気はずっと前から始まっているのです。

一緒に暮らしている家族や、同じAAグループの仲間は、「危ない状態になってきた」と気づくものです。だから、危険を避けるように本人にアドバイスをするのですが、すでに精神状態が悪くなっているので、それを素直に受け取ってはもらえません。たいていは過度の干渉と受け止め、気を悪くするだけです。表面上の従順や感謝があったとしても、じゃあアドバイスを実行に移しているかと後でチェックしてみれば、話は耳から素通りしたがごとく無視されているのが通例です。
いや、本人はそれなりに真面目に取り組んでいるつもりかも知れません。でも、必要を満たすだけの真剣さは、すでに失われています。

自分の努力が認められていないと感じたり、周り人の言葉が小うるさく感じられるときは、すでに狂気へと踏み込んでいるのです。つまり飲んでいる状態と同じドライドランクというやつです。

飲まない以上の幸せを求め始めるとドライドランクになりやすいみたいです。飲まないだけで十分幸せでなければ、何を得ても幸せにはなれっこないのです。今が不幸せなのは何かが足りないせいだと思ってしまいがちですからね。ここでも、自分以外の誰か、何かのせいにするという悪い癖が出てしまうのです。


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