心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」

たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2008年02月29日(金) 一段落

僕の仕事にも納期があり、その日までに納品するのが基本です。
ただ、コンピュータープログラムは「一日に何個作れる」という計算の立つものではありませんし、そもそも総量がどれぐらいなのか作る前から正確にわかる仕事でもありません。似たようなプログラムを書き続けていれば、作業量の見積もりもだんだん正確にできるようになるのでしょうが、毎回新しい物を作るのですから予想の根拠がありません。
それでも仕事の計画は立てねばなりませんし、「いつ頃できますか?」というお客さんの質問にも答えねばなりません。
そこでなんとなく区切りの良い「月末まで」と答えてしまったりして、予想が間違っていたりすると月末忙しくなったりします。

今週は朝4時に寝て、8時台に起きる生活を続けていたので、ちょっとへばってきました。僕は外食の時にはお腹が一杯でも残すことができないので、つい食べ過ぎてしまって、この間に2Kg太りました。まあ過労で腸の働きが鈍って、出る物が出ていないせいもあるでしょう。

幸い仕事は木曜の深夜に仕上がって、今日金曜は「何か問題があったときのため」の待機出勤でありました。来週の仕事を前倒しでする気力もないので、机に座っているだけが仕事です。雑記も書いたのですが、脳が半分寝ていたので、脈略がない文章になってしまいました(いつものことか)。

せっかくだから小淵沢のミーティングに出ようかと思ったのですが、体のことも考えてやめておきました。会場から国道まで戻ったところに「一品香」(いっぴんこう)という名の中華料理店があり、そこの海鮮おかき980円が気に入ったのですが、残念ながら今日は諦めました。

ネットで探してみるとこの「一品香」という店はたくさんあるようです。けれどチェーン店というわけでもなさそうです。中華料理の店が多いようです。いーぴんしゃんとカナを振ってあるところもあります。何か中国語で意味のある言葉なのでしょうか。焼き肉の店に「南大門」が多いのと似たような事情でしょうか。そう言えば南大門は燃えちゃったんですね。

ドラッグストアと電器店とユニクロに寄り、吉野家で牛丼とけんちん汁を食べて、セルフでガソリンを入れて帰りました。吉野家のメニューにけんちん汁と豚汁が登場しましたが、この二つはどう違うのでしょう?
妻に言わせれば「どちらも同じもの」なんだそうですが、それでは30円の価格差を説明できません。

いただいているメールに個別に返事できていませんが、この週末に書きたいと思います。一品香の意味、けんちん汁vs豚汁について、掲示板の方ででもご教示頂ければありがたいです。


2008年02月28日(木) 最初の一回

さすがに月末はちょっと忙しくて、雑記を書いている暇がありませんでした。

さて、ビッグブックを使ったスポンサーシップ。僕はスポンシーと向かい合って、この本を1ページずつ読んでいくことから始めています。

まず最初に「初版に寄せて」を読みます。そこを読めばこの本が、AAの最初の100人が「どのように回復したかを、まさにそれがあったとおりに伝えること」を目的として書かれたことがわかります。

原書の中では文章の一部をイタリックで強調しており、日本語版ではその部分をゴシック体で目立たせています。けれど、なぜか「初版に寄せて」の precisely how we have recovered に対応する部分は明朝体のままです。どうしてなんでしょうね?

それはともかく、これから始まるスポンサーシップでは、この本を基本テキスト(つまり教科書)として、最初の百人と同じやり方でステップに取り組んでいくことをはっきりとさせます。スポンシーを導くのは僕ではなく、この本です。だから、もし僕の言っていることと、この本に書かれていることが矛盾してたなら、ぜひ本のほうを信用して欲しいとも伝えます。

当然そのステップには、「自分なりに理解した神」を求めること、棚卸しの表を書き、性格上の欠点を探し、埋め合わせを実行し、日々の棚卸しと祈りと黙想という作業が含まれます。

スポンシーの選択肢は、最後までやり通すか、途中でやめるかのふたつです。残念ながら僕もまだまだ未経験で、きちんとこなせたスポンシーを持った経験がありませんが、それもこれから解消していくでしょう。

ステップを始めるのは、早ければ早いほど良いと思います。なにぶんスポンシーは苦しんでいるのです。かろうじて酒は止まったものの、またいつ飲み出すか分からないという不安を抱えています。酒を飲まなくても、別の依存対象に手を出してしまうかもしれませんし、それさえ自分に禁じれば死にたくなってしまうかも知れません。だから早くステップをやって、それを解消した方がいいと思います。

もちろん、その前に入院が必要な場合だってあるし、ステップが効いてくる前にまた飲んでしまっては話にならないので、ミーティングに通い続け、仲間の中にいることが最も安全な方法でもあります。

ビッグブックの使い方も人それぞれで、1ページずつ読んでいく面倒な方法は取らず、事前に読んできて話だけする人もいます。最終的にビッグブックの中に書かれた考え方・やり方が、スポンシーの頭の中に移るのであれば、途中どんなやり方でもかまわないと思います。


2008年02月26日(火) 対応策

地球温暖化という言葉がよく使われるようになりました。
その中でもよく使われる理屈は、産業革命以降の人間生活の工業化によって、化石燃料を大量に燃やした結果、二酸化炭素排出量が増え、そのCO2の温室ガス効果によって地球が暖まっているという説です。
確かに僕の子供の頃に比べれば、気温は高くなっています。気象庁が気温に使う「平年」とは過去30年の気温の平均値ですが、この平年値がだんだん上がってきています。
人間が化石燃料を使うようになったのは事実ですし、焼き畑農業などによって森林の砂漠化が進んでいるのも本当でしょう。空気中の二酸化炭素の量が増えているのも事実です。

でも、人間の活動と、二酸化炭素の増加あるいは気候温暖化が、結びついているのかどうか、本当のところは分かりません。大きな地球の変動の一部であって、人間の活動とは無関係だという人もいます。真剣になって研究している人たちもいますが、結論は容易にはでないでしょう。

原因が何かに関わりなく、気温が上がっていってしまうと困ります。長野県内でも、気温が上がったせいで、低温を好むリンゴが不作になったりしています。より標高の高い畑へ移ろうという人たちもいます。

これが続けば、北半球の人間は北へ北へと移住していかなければならなくなるでしょう。そして、赤道付近は住むには暑くなりすぎて無人の帯となり・・。

まあ、そうなると決まったわけではありませんが、そうならないためにできることと言ったら「CO2の排出量削減」でしょう。誰が原因を作ったかとは関わりなく、策は行っていかなければならないということです。

同じように、「なぜ自分は依存症になってしまったのか」というのは、酒が十分止まってから考えればいいことで、飲みながら考えても仕方ありません。ステップだと言う前に、まず入院して酒を切ってこなくては話にならない、とビッグブックにも書かれているわけです。「飲んでいる人と酒のやめ方について話しても仕方ない」とビルも書いています。


2008年02月25日(月) コミック

小学生の頃は、親にねだってごくたまに買ってもらった「小学○年生」を大事に大事に読んでいました。中学生になって、自分の小遣いで週刊少年チャンピオンを買うようになりました。当時のチャンピオンには、山上たつひこの『がきデカ』や鴨川つばめの『マカロニほうれん荘』が載っていました。もちろん「あの方」の『ブラックジャック』もあったし、萩尾望都(光瀬龍原作の『百億の昼と千億の夜』もあり、吾妻ひでおも描いていました。

しばらく後に週刊少年サンデーにスイッチしました。
富士スピードウェイでF1をやっていた時期で、村上もとかの『赤いペガサス』が連載されていました。中学生のお小遣いでは、チャンピオンとサンデーを両方買うことはできず、なくなくチャンピオンを諦めたのでした。

高校生の頃に、週刊少年ジャンプにスイッチした時期がありました。鳥山明の『Dr.スランプ』、江口寿史の『ストップ!! ひばりくん!』、北条司の『キャッツ?アイ』などの時代です。

大学生になった頃は、少年マンガ・少女マンガ・レディースコミック手当たり次第に、ひと月に30冊以上マンガ雑誌を買っていました。そりゃもう読むだけでも大変でした。当時はまだ古紙の価格が高く、ちり紙交換古紙回収業のトラックが定期的に町内を回っていたので、読んだ雑誌の処分には困りませんでした。が、月に一回の資源物の日にまとめて出さなければいけなくなると、とたんに辛くなりました。

今では購入する雑誌も減り、週刊誌が一冊と、月に2回出るのが2冊だけです。これだけでも、妻からはマンガばっかりと責められています(これに子供たちのりぼんとちゃおが加わります)。

これだけ長い間マンガを読み続けていても、気がついていなかったことがあります。それは、「吹き出しの書体は、ひらがなが明朝で、漢字がゴシック」というお約束です。少年誌はほぼこうなっています。大人向けのルビ(ふりがな)のない雑誌では書体がひとつのものもあります。でも、言われるまで気がつきませんでしたね。

三十数年マンガを読み続けていても、気がつかないぐらい些細なことなんですよ・・。


2008年02月24日(日) 普通の日曜日

スポンシーAのお母さんから電話があったものの、寝ていたので出られず、起きてから折り返しかけました。教えられたとおり「愛情を持って手放して下さい」という話をしました。

ステップ4の作業がちょっと停滞しているのじゃないかと心配になってスポンシーBに電話。ステップはドミノ倒しのようなもので、1のドミノが2を倒し、それが次に3を倒しと次々と進んでいくのが一番簡単です。途中で足踏みをしてしまうと、先へ進めなくなり、結局最初から倒し直さなければならなくなります。最初の表の話をする日程を決めました。

スポンシーCに電話。こちらは表の前に、一生を思い起こすライフ・ストーリーのタイプの棚卸しを先にやりましょうという話になっていて、もう一部は郵送で届いているので、こちらも話を聞く日程を決めました。

さて、次女は将来「ぱてしえ」になるのが夢だというのですが、いままでケーキを作ったことがありません。とりあえず一個作ってみなくちゃ始まらない・・のですが、スポンジを焼く技量はまだありません。そこで次女はケーキスポンジを買ってくることを決めたのですが、ママは「ツルヤにはね、特別な季節じゃないとスポンジは置いてないのよ」とにべもない、と泣きつかれました。
じゃあパパと一緒にツルヤに買い物に行ってみよう、という話になって出かけましたが、やっぱりツルヤにスポンジは売っていませんでした。代わりにロールケーキを一個買わされました。ロールケーキを切って並べて成形すれば、スポンジの代わりにならないだろうか・・というアイデアなんですが・・。それとパパは夜食用の200円のカップ焼きそば、次女はおやつ用の麦チョコ。
もう一軒、西友にも寄ってみることにしました。やっぱりスポンジはなく、かわりに生クリームを買わされました。
帰りに混んだ道を避けようと、回り道をしたら、そこにアップルランドという地元系の小さなスーパーがありました。「ツルヤや西友にないものが、ここにあるわけないよね」と言いながら寄ってみると、ちゃんとそこにあるではありませんか! さらにパイナップルの缶詰も買わされました。

こうして僕ら二人は、ずいぶん回り道をしながらもケーキスポンジへと導かれました。いや回り道した手間や時間より、いろいろ余計な出費が痛いような気がするんですが。その後も、やれクリームが泡立たない、やれ缶詰が開かない、と呼ばれることしきりでした。

夕方スポンシーCから電話があり、近くまで来たので一緒に晩飯を食おうと誘われ、2時間ほど出かけてきました。

返ってくる頃にはケーキが完成していました。まあ、そんな日曜日です。


2008年02月23日(土) さぶう

昨日は暖かかったというのに、今日は一転して寒さが戻ってきています。木造の教会をお借りしているミーティング会場は寒く、ラッシュガードを着込んでいけば良かったと少し後悔をしました。

以前は「長野のAAは冬はメンバーが減る」と言われていました。寒くなって道の状態が悪くなると、無理してミーティングに通おうとしなくなる人が増え、結果的に飲んで消えていってしまうのだと・・・。最近は、それほど顕著な差を感じません。
精神病院も、正月明け・ゴールデンウィーク明け・お盆明けはアル中さんで混み合うのが通例でした。まとまった休みに連続飲酒に陥って、家族が入院させるというパターンが多かったのでしょう。こちらも今ではそれほどでもありません。
アル中さんはやっぱり年中無休なのであります。

さて、ギャンブルについてもアルコールと同じことが言えます。

いったん飲み始めたアルコホーリクが、もうどうしようもなく「次の一杯」を追い求めるように、ギャンブルに手を出した強迫的ギャンブラーは「さらなるギャンブル」を追い求めます。この強迫性(渇望)はどちらの依存にも共通です。

そして、飲み過ぎてトラブルを起こしたアルコホーリクが「もう二度と飲まない」という後悔と決心をするように、大負けに負けた強迫的ギャンブラーは「もう二度とギャンブルはしない」という決心をします。

だが、酒をやめただけのアルコホーリクがなんとなくイライラして落ち着かないのと同じで、ギャンブルを断っただけの強迫的ギャンブラーもそわそわと落ち着かない日々を送ります。

強迫性(渇望)は、依存対象を断ってさえいれば次第に収まっていくもののようです。だからアルコール依存症の人が「もう私には飲酒欲求がない。飲もうとは思わない」と言い出したりします。だが、その人がまた酒に手を出す日が来ます。ギャンブルの人も同じです。それは意志の力を越えたところにあるのです。

たまたま依存の対象が異なっていただけで、おそらく脳の中で起きている現象は同じでしょう。だがその共通性に気がつくためには、自分の持っている依存の本質を、きちんと見つめることが欠かせないと思います。


2008年02月21日(木) アイデンティフィケーション

AAミーティングで話をする前に「アルコホーリクの○○です」と名乗るのが通例です。アルコホーリクという言葉の代わりに、アルコール中毒者とかアル中とかアルコール依存症という言葉を使う人がいますが、表現の違いは大きな問題ではありません。

これはもともと、"My name is ○○. I'm an alcoholic." という言葉を日本語にしたものだそうです。「これから私はアルコホーリクとして話をしますよ」という宣言だとも言えます。

これはアイデンティフィケーション(身元確認)と呼ばれ、とても大切なことだそうです。自分はアルコールに問題があるのだ、と自ら認めるのはステップの基盤になることです。それから話を聞く人に対して、どんな立場から話をするのか明確にすることで、グループの「唯一の目的」を果たす手段のひとつにもなります。

もちろんアイデンティフィケーションはAAメンバーの義務ではありませんから、かならずそう名乗らなければならないわけではありません。ただ、アイデンティフィケーションをきちんとやりたいと思ったなら、お勧めなのは「少なくともアルコールに問題があることははっきりする言い方が良い」と思います。

複数の依存を抱える人が、たとえば「アルコールと薬物依存の○○です」と名乗るのは良くないと考える人たちもいます。AAの唯一の目的はアルコールなのだから、薬物のことが出てくるのはおかしいという理由だそうです。僕の個人的考えは、そこまで厳しくはありません。他の依存のことも一緒にアイデンティファイするのはその人の勝手だと思っています。

ただ、アルコールに問題があるのかはっきりしない言い方は良くないと思っています。たとえば「依存症の○○」とか「コントロール喪失の○○」とか「クロスアディクションの」などのように、アルコールに問題があるのかどうかはっきりしない表現はいただけません。クローズドミーティングに参加の可否、オープンでも話をしてもらえるのかどうか、そういうことを他の人が判断するのに、必要な情報が含まれていないと困ります。自分のグループではそれで通じても、他を訪れた時にどうなんでしょう?

もちろん、アルコールの問題を抱えていない、他の依存だけの人がアルコールのアイデンティファイをすることはないはずですし、そういう人がミーティングに参加して話をするかどうかは、個々のグループの選択でしょうから、この話題とは別のことです。

僕はミーティングでは「アルコール中毒者のひいらぎです」で始めています。なぜ「アルコール中毒者」という言葉なのか、というこだわりはまたの機会に。


2008年02月20日(水) 元に戻る?

1955年の「再販にあたって」を読むと、AAが広く世間一般に受け入れられていった理由をふたつあげています。ひとつは「たくさんのメンバーが回復したこと」、もうひとつは「家族関係が元に戻ったこと」です。

現在の日本のAAのメンバー数(推定四千数百人)では、たくさんのメンバーが回復しているとは言えないでしょう。しかし、そのことは良く言われることなので、改めてここで取り上げるまでもありません。

「家族関係が元に戻った」が何を意味するのかわかりませんが、原文は reunited homes なので、たとえば別居・離婚していた夫婦や親子が再び一緒に暮らすようになった、ということなのでしょう。でも、僕はそういう実例をAAの中で聞いたことがありません。

別れようかと思いながらも別れなかった夫婦が、酒が止まって時間が経ったら、関係が良くなってきたという話ならいくつも聞いたことがあります(なかなか良くならないという話も当然あります)。でもAAの他でもそういう話は聞きますから、酒が止まっていることで改善できるものなのでしょう。

別れてしまった奥さんや子供とまた一緒に暮らしたいと思っているAAメンバー男性はすごく多いように思います。けれどなかなかその願望が実現したという話は聞きません。

僕の見聞が狭いだけなのかも知れません。酒のせいでバラバラに住んでいた家族が、ふたたび一緒に暮らし始めた、というAAメンバーの話があったら、ぜひお聞かせ願いたいものです。

ただ、あまりのそのサンプルが少ないのであれば、やはり1950年代のアメリカのAAと、現在の日本のAAには、何かの決定的な違いがある、という結論になると思うのです。


2008年02月18日(月) 予備原稿

謙虚さとは自分を小さく見せることではなく、等身大に見せることです。
自分を大きく見せることの虚しさを知ると、今度は小さく見せることが良いと思い始めます。だから、自分にも人にも「小さく見せる」謙虚さを求めます。
人が陰口を言っていれば、そんなこと言わなければいいのにと責めたくなる。それはその人に「小さく見せる」謙虚さを(自分の心の中で)押しつけているのです。誰だって陰口は言わない方が良いと知っています。けれど、だから「陰口は言わない」というのは実は謙虚ではありません。だって、本当は言いたいのに、言わないでおくのは「小さく見せる」行為ですし、人が陰口を言うのを非難したくなるのは「小さく見せる」ように強制したくなるからです。

等身大であろうとすれば、当然陰口も口をついて出るでしょう。それによって、人を傷つけ、自分の評判を落とすこともあるでしょう。でも、それが自分の姿です。実質と評判はできるだけ連動していた方が良いのであって、「小さく見せる」ことによって評判が実質より高くなるのは謙虚な生き方ではありません。

そもそも陰口を言いたくなる原因である、恨みや恐れに対処していくことが、本当の謙虚さです。

とはいえ、回復には時間がかかります。陰口は人を傷つけることも確かですから、ここでも「まるで回復した人のように振る舞う」という方法論を使うべき時なのでしょう。つまり、恨みや恐れが手放せた人が陰口を言わないように、回復していない自分も陰口を言わないように務めることです。

ただ、この方法論は対症療法ですから、それを回復だと勘違いすると、陰口を禁じられた自分がまた別の恨みを抱えることになります。やはり恨みや恐れに対処する作業はべつにきちんと取り組む必要があります。

誰かが誰かの陰口を言うのを聞くのは、決して愉快な気分ではありません。けれど、ここで「まるで回復した人のように振る舞」ってしまい、陰口は悪いことなのに、この人は回復していないなぁと心の中で断罪してしまうのは、自分は陰口を言わないから回復したという幻想に囚われているのです。

行動を変えることによって内面が変化したふりをするのではなく、内面を変化させる努力をして結果として行動が変わるプロセスを楽しみましょう。


2008年02月17日(日) NATTO

妻が調子が悪いと言いだして、ご飯のおかずが納豆だけになってしまいました。
僕の父母は納豆を食べない人だったので、子供の頃の僕は納豆を食べたことがありません。納豆は食べませんでしたが、とろろ(長芋のすり下ろし)は嫌になるほど食べました。
結婚してから納豆を食う羽目になったのですが、慣れるまで大変でした。外見にせよ、匂いにせよ、口の中での感触にせよ、どうも納豆は食べ物って感じがしません。やはり腐っていると表現するのが正しいでしょう。
でも、芥子をたっぷり入れて混ぜることを覚えてから、納豆もそれなりに好きになりました。

よく言われることですが、納豆を最初に食べた人は勇気が必要だったことでしょう。ゆでた豆を藁づとにくるんでおいたら、いつの間にか腐っちゃったけど、他に食べるものがないから、餓死するよりましだ・・と思って食べたのでしょうか。

なぜ納豆菌によって腐った大豆を食べてもお腹を壊さないのか、理由は僕には分かりません。おそらく別の菌で腐った豆には、お腹が痛くなる原因物質があり、納豆にはそれが含まれてないのでしょう。では、その原因物質は、なぜお腹を痛くするのか・・・。おそらくは、人間がそう進化した結果なのでしょうが、じゃあなぜそう進化したのか、というふうに突き詰めていくと、結局「わからない」という結論にたどり着いてしまうものだと聞きます。

なぜ塩はしょっぱいのか、説明しろと言われても困ります。
同じように、ステップがなぜアルコホーリクを回復させるのか、と尋ねられても、僕にはさっぱりわかりません。AAを続ければ続けるほど分からなくなってくる気がします。ちょっとくらい何か理屈をつけてみたところで、結局突き詰めれば「わからない」にたどり着くのですから・・。

慣れるまで良さが分からないのは、納豆もステップも同じかもしれません。納豆を食べたことがないのに、納豆の味を論じても仕方ありません。食った者勝ちです。そして食べたことの無い人に、納豆の味を説明しても伝わらないのも当然です。


2008年02月16日(土) 停電とカフェイン

午前中は停電していたので、目が覚めていたのですが布団の中で過ごしていました。パソコンも使えないし、テレビも見られません。こたつもヒーターも使えないので部屋も寒くてしかたないし・・。電子ピアノを弾こうとした子供が「あっ、これも使えない」と気がついて、母屋のアップライト・ピアノを弾きにいってしまいました。

夕方ホームグループのミーティングの後、ファミレスで仲間とお茶。いつも僕はそこで食事をするのですが、今回は軽食とお茶だけにしておきました。そのぶん、ドリンクバーで紅茶のお代わりが多くなりました。

その最中から帰り道に、なんとなくイライラ感が強まり、帰宅後はさらにイライラしてしまいました。このイライラの原因は何なのだろうか・・・と考えていくと、やっぱりカフェインの摂りすぎだろうと思われます。全然眠くならないし。

コーヒーやお茶の中のカフェインも、やっぱり気分を変動させる薬物だと思います。その変動の幅はアルコールほど大きくはないのですが、何も変化しないわけではありません。年月と共に僕の体の中からアルコールの影響が薄れていき、同時に服用しているうつの薬が減って行くにつれ、カフェインの影響も無視できなくなってきています。
(血糖値による気分の変動も相対的に大きくなっています。つまり腹が減ると機嫌が悪いのです^^)。

だからと言って、じゃあコーヒーやお茶を飲まないでおこうとは、ちっとも思いませんが、飲み過ぎには気をつけようと思います。カフェインによる爽快感を強めようと、インスタントコーヒーをコップにたくさん入れ、どろどろのコーヒーを飲んでいる人の話を聞いたことがあります。人間どんな物質でも乱用できるんですね。

アメリカのAA会場には、カフェイン・フリーのコーヒーを用意しているところもあるのだとか。そういうアブスティネンスを求める人がいても不思議じゃありません。それは決して禁欲による行為ではなく、気分の外乱を避ける気持ちによるのでしょう。

まあ、僕も5年後にはコーヒーもお茶もコーラもやめているかも知れません。逆に、酒に舞い戻っている可能性もゼロじゃないわけです。つくづく困った脳みそです。


2008年02月14日(木) AAの中での自分の評判

AAの中での自分の評判。

評判は高いに越したことはないのですが、評判は狙って取りに行けるものでもありません。それは泡みたいなもので、勝手にぶくぶくと膨れたかと思うと、風に吹かれてどこかに飛んで消えたりします。したがって、評判の高い低いで、自己評価が上がったり下がったりするのは、それは「他者の評価への囚われ」です。
せっかく酒への囚われを取り除いてもらったのに、今度は別のものに囚われたのでは何のためのAAだか分かったものではありません。

AAの中で評判を与えてくれるのは「仲間」です。仲間は大切にしなければいけません。けれど、仲間は(どんなに飲まない期間が長い人であっても)同じ病気であり、わがままで身勝手で、不正直で、常に何かを恐れ、恨んでいる存在だということも忘れてはいけません。そう言う意味で、本当に「仲間」なのです。

仲間同士、仲良くできれば一番良いことです。でも、意見が合うとか仲が良いとかの理由で集まっている集団は、ひとつの衝突やいがみ合いで崩れてしまいます。意見が合わなくても、仲が良くできなくても「仲間とともに」「一緒にやる」ことがAAですから、それができている人同士は意見が合わなくても根源的な信頼が生まれます。

自分が相手にどう思われているか気にならない人はいないと思います。けれど、仲間への囚われから自分を解放していかなければ、細々とした衝突の繰り返しや、納得できない自己犠牲の連続によって、だんだんAAが嫌になってしまうでしょう。でも、それは自分が自分をそうし向けているのです。

仲間同士はひとつの原理と目的を共有できればいいのですよ。
仲が良く楽しそうなのが新しい人を「惹きつける」魅力になるのではなく、衝突やいがみ合いを繰り返しながらもひとつにまとまっている集団に「何かの力の存在」を感じてくれることが魅力でしょう。


2008年02月13日(水) どう森

毎晩寝る前に、猫とモルモットにエサをあげています。なぜなら、エサをくれと鳴くのでうるさいからです。もう一匹ハムスターがいるのですが、これは鳴きません。なので、エサをあげることはありません。

もともと長女がきちんと世話をするという約束で飼うことにしたので、水もエサもケージの掃除も彼女に任せてあります。時々えさ箱が空になっていることがあり、何日もエサをやり忘れているらしいので、たびたび注意をしていました。

が・・、先日そのモルモットが死んでしまいました。餓死でしょう。「だから言わんこっちゃない」と怒りが湧きましたが、鳴いている彼女を見れば、十分自分のしたことの意味を感じているようだったので、あらためて僕が何かを言う必要は感じませんでした。

さて、我が家では一台のDSを姉妹で共有させています。二台買う金がないという理由もありますが、遊ぶ順番を待つことを憶えるのも大切だと思ったからです。『どうぶつの森』というゲームでは、複数のプレーヤーが同じ世界(島)で遊ぶことができます。だから、おねーちゃんと妹は「どう森」のなかで同じ家を共有し、その家のローンを共同して返済しています。

が、ある時二人でドンキー・コングを交代でプレイしている時、おねーちゃんが「ブチッ」と切れてしまいました。理由は妹には倒せるボスキャラが、おねーちゃんには倒せないからです。それも道理で、妹のほうがはるかにDSで遊んでいる時間が長いのです。おねーちゃんのほうは、妹より宿題も多いし、友達と遊んだり、ピアノを練習したりしなくてはなりません。一方妹のほうは友達いない少女なので、DSに集中できます。スキルに差が出るのも当然でしょう。だいたい「どう森」の家のローンだって、ほとんど妹のほうが返しているのです。

で、ぶち切れちゃったおねーちゃんが、「どう森」の妹のキャラクターを削除してしまいました。妹の使っていた家具はすべて家の外に押し出されていたそうです。当然ケンカになり、原状回復の試みもされたようですが、ゲームの中といえども覆水盆に返らずであります。

そんなわけで、子供は子供なりにいろいろあって大変なんであります。


2008年02月12日(火) 神さまの種類(掲示板から)

昨年、ソーバー数ヶ月のアメリカ人AAメンバーが2週間ほど長野に滞在し、僕のホームグループのミーティングに出ていました(当然彼は日本語が分からないのですが)。彼のスポンサーは大工さんで、ビル・Wの家の改装の時に床を張り替えたのだそうです。そして古い床材をもらってきて、その切れ端をスポンシーにあげました。
日本に来たそのAAメンバーは、ズボンのポケットから切れ端を出して見せ、「これが俺のハイヤーパワーだ」と言っていました。

もちろん彼の「神の概念」は変わっていくのでしょうが、とりあえず最初は信じられるものなら何でも良いのです。旅を始めるには最初の一歩が必要で、いきなり目的地に達することはできません。

ステップ2は「健康な心に戻してくれると信じるようになった」とあります。決して完全な信仰を持てとは言っていません。何かが「健康な心に戻してくれる」と信じるようになればいいのです。実はステップ2の難しいところは、神の問題ではなく、自分の心が健康(正気)かどうかという自問です。

ともかく、ステップ1の「アルコールに対する無力」と「自分の人生が手に負えない」ということがしっかり認識できていれば、ステップ2で「力のある誰かに何とかして欲しい」と思うでしょうし、そうすればステップ3で「じゃあ、言われた手順でやってみようか」という決心もつくのです。

飲んでいた頃のアル中さんにとっては「酒」が「自分より偉大な力」です。みんな飲んできた酒の種類は違っていたかも知れませんが、アルコールが入っているという本質はどれも変わりがありません。今度は助かる時にも、神さまの種類についてこだわりがあるかもしれませんが、好きな酒を飲んできたように、神さまだって好きずきで良いのです。

ステップ1がきちんとできていれば、神さまの種類なんてなんでもいいから「助けてくれ」という気持ちになるでしょう。神などという言葉が出てこないステップ1をしっかりやることで、神に関するこだわりからは自由になれますよ。


2008年02月11日(月) 違い

去年の10月から、ほぼ月一回ペースでAA関係で上京していたのですが、それもこの週末で一段落です。しばらくはAAイベントにも行かずに目の前のことをこなしていこうと思います。
この3連休はまとまった睡眠時間が取れず、今日こそゆっくり寝たかったのですが、子供の友達が遊びに来ていたので布団をひいて寝ているわけにもいかず、パソコンの前で半覚半睡で過ごしていました。

「経験の話のところでは、それぞれが自分の言葉、自分の見方で、いかに神との関係を打ち立てたかを述べている」第2章
「この本の個人の経験の部では、それぞれの語り手が、自分より偉大な力にどう取り組み、どう理解していったかをさまざまに書いている」第4章

かなり以前のことになりますが、病院メッセージに行って自分の順番が来て話をしたときに、「AAはあなたに何かを信じることを要求しません。神さまがお酒を止めてくれるとは信じていないメンバーもたくさんいます」という話をしました。いつもAAメンバーが話を終えた後は、時間の許す限り患者さんの話を聞くのですが、患者さんの一人が、こんなことをおっしゃいました。
「せっかくAAには神さまがあるのだから、AAは神さまを大事にして欲しい。信じなくてもいいなんて言わないで欲しい」
その人は年配の人だったので、ひょっとした断酒会の人だったのかも知れませんし、単なるひがみっぽい人だったのかも知れません。でも、僕はその言葉に衝撃を受け、深く感じるものがありました。

酒をやめたいという人が集まれば、そこに酒をやめる力が生まれる・・という理屈で集まるのであれば、ステップや神さまは不要です。この世の中には断酒会という素晴らしい組織があります。AAと断酒会を比べれば、確かに顕名・匿名、会費制・献金性、組織化・非組織化などの違いはありますが、それは表面に現れた違いに過ぎないと思います。本質的な違いは、スピリチュアルか、世俗であるかです。そこをあいまいにしてしまえば、AAがAAである意味が消えてしまいます。

霊性を大事にしないのなら、AAという看板を下ろして無名断酒会とでも名前を変えたほうがいいのです。いや、そんなことをすると「経験に始まり経験に終わる」という大原則を守れてないから断酒会という名前を使うな、と怒られてしまうかも知れません。あっちはあっちで厳しいのです。中途半端は何の役にも立たない・・・。


2008年02月09日(土) 餃子を作る人

家路のニュース検索に、餃子の中毒問題ばかりひっかかる状態が続いていました。
騒ぎをさらに加熱する日本のニュースメディアに業を煮やしたのか、中国の官僚が「日本はもう少しメディアを規制したらどうか」と注文をつけた、とこれまたニュースになっていました。

民主主義が機能するためには、報道メディアの存在が欠かせません。それはなるべく権力の受けないよう独立していた方が良いわけです。そうしておけばメディアは、統治機構とは独立した一種の権力を帯びます。とはいえ、報道メディアも単なる営利企業に過ぎなかったりするわけですが・・・、ともかく「独立性」というものは必要です。

アメリカでAAが始まってしばらくすると、ニューヨークに本部のオフィス(GSO)が作られ、そこへグループの献金が集まる仕組みが始まりました。AAのオフィスはサービス(奉仕)の機関であって、統治や支配をする存在ではありません。しかし、それにはある種の権威がありますし、金の集まるところに力も生まれるのは当然です。

GSOを作っていく過程とは別に、やはりニューヨーク在住のAAメンバーが「AAの雑誌」を作り始めました。これが AA Grapevine です。それが第二次大戦と同じ時期で、従軍する兵士たちの依存症問題に手を焼いていた軍が、対策としてこの雑誌を広く配ったのをきっかけとして、グレープバインはAAの雑誌としての地位を築いていきました。

オフィスがメンバーからの献金とビッグブックの売り上げで維持されたのに対し、グレープバインはその雑誌の売り上げで維持されていきました。今でもアメリカ・カナダのサービス機関は、GSOとグレープバインの二つに分かれています。

グレープバインは、AAメンバーからの投稿記事で成り立っています。どんな記事を載せるかという編集方針には、評議会と言えども(そしてオフィスも)口を挟めない仕組みになっています。決して、グレープバインがオフィスの権力(?)を監視するための報道メディアになっているわけではありません。けれど、AAメンバーの声が直接反映され、意見が広められる存在として、オフィスと独立したメディアを持つのは「民主主義の当然の知恵」でした。

日本にも「BOX-916」というAAの雑誌があります。発送やら集金やらの業務はオフィス(JSO)が行っていますが、編集部(編集委員会)はこれとは独立してボランティアのAAメンバーがやっています。そしてその編集権は「評議会といへども犯すべからず」という取り決めがあります。
輪番制とは言え一度引き受ければ2〜3年は毎月編集作業があるわけで、ボランティアの人たちは本当に大変です。だからそれは有給のオフィススタッフがやるべきだ、という意見もでています。しかし「独立した編集権」がAAの健全な民主主義の仕組みの一部であるからには、その編集権限をJSOスタッフや常任理事の人に任せるわけにはいかないのです。

まあ、民主主義なんて気にしない人達もいるみたいですが。餃子を食べながらそんなことを思ったわけです。


2008年02月08日(金) ベティ・フォードの自伝に学ぶ(その1)

「人は自分でできる範囲のことに直面し、明らかにされたことに対処できるようになるにつれ、より多くのことが明らかにされていきます」
 〜『依存症から回復した大統領夫人』/ベティ・フォード

初めてAAミーティングに行った人の感想はたいてい「みんなが何の話をしているのかさっぱり理解できなかった」というものです。僕も初めてのミーティングでは、なんだか皆が大げさな話をしているようにしか聞こえませんでした。その部屋にいる人の大半はアルコール中毒者本人らしい、という感想だけを持って帰りました。

僕は最初の頃、ハンドブック第3章の「アルコール中毒者を正常な酒飲みにするようなものはない」という言葉に(内心)猛反発していました。二度と正常に酒を飲めない、という事実を受け止めることができずにいたのです。だから、その段階で「無力」だとか「狂気」だとか「ハイヤー・パワー」なんて聞かされても、受け止め得ない言葉は僕の中を素通りしていくだけでした。
その時点で、僕に分かったことは、ともかく毎週その会場に行く必要だけでした。

例えば、パンツの中にウ○コを漏らしたという話を聞いても、僕の心には何も浮かんできませんでした。自分が過去に同じことをしている事実に直面できなければ、思い出さずにおくしかありません。人の心はそうやって自分を守っているのでしょう。

僕は自分の自由な意志で酒を飲んできたと思っていましたから、酔って布団から起きられない僕を上から母が見下ろしている場面ですら、思い出すまいと努めていました。

自分は(飲んでいても、いなくても)人を傷つけ続けてきた、という事実に直面できるようになるまでは、ステップ4の経験談を聞いても、物好きな人の不思議な修行の話にしか聞こえなかったのです。

あれからずいぶん時間も経って、多少はいろんな事を理解し、事実に直面できている気がしているものの、おそらく「対処できないから見ないふり」していることは、まだまだたくさんあるのでしょう。ともかく「より多くのことが明らかにされる」まで、続けていくしかないのでしょう。


2008年02月07日(木) How to お願い

病院メッセージに行ったのですが、患者さんが誰も来なかったので、ホームグループの仲間4人で1時間雑談をしました。

さて、神さまに「あれやってください。これやってください」とお願いすることは、悪い信仰なのでしょうか? いえ、お願いをしてかまわないと思います。

たとえば、今度の学期末の算数テストで100点満点を取ったらDSを買ってくれる、とお父さんが約束したとします。そこで「どうかテストで100点を取れますように」と神さまにお願いするとします。でも、お願いやらお祈りさえすれば、100点が取れると思っている人は滅多にいないでしょう。

だから自分でも努力します。この場合には算数の勉強をするでしょう。でも、努力すればすべての願いが叶うと思っている人も滅多にいません。この世の中は自分の思うようにはならない、という現実は子供の頃から突きつけられるのです。テストに解けない問題が出ちゃうこともあるし、テスト当日に風邪を引く不運もあるかもしれません。
人は時に「すべては自分の努力次第だ」という幻想を持ってしまうこともありますが、いずれ大きな挫折や、あるいはうつ病などによって、現実的な考えへと修正を強いられる仕組みになっています。だってその考えに固執すると、失敗の原因はすべて自分の努力不足に帰され、もっと頑張らなくてはという悪循環から抜けられなくなり、生きることが苦しくなりますから。

努力という「自分の担当部分」と、努力ではどうにもならない部分(つまり神さま担当部分)が両方揃ったときに、うまく望みが叶う仕組みです。担当部分の比率がどうなっているのか僕にはよく分かりませんが。

お願いをするときには、自分も努力をすること、それと結果が悪くても神さまを恨まないこと、この二つの約束を一緒にすることが大切だと教えられました。

お酒をやめようと努力しても、ふと気が抜けて飲んでしまうことはあります。我慢の断酒には限界があります。だから再飲酒すると、つぎはもっと努力(我慢)してみるのですが、それでも飲むときには飲んでしまいます。失敗を繰り返すうちに、酒をやめられる自信が失われ、問題の否認(やめる必要はない)とか、責任転嫁(飲むのは誰かのせい)とかが始まってしまいます。
断酒という大きな責任を、すべて自分の肩に背負ってしまう(つまりすべてが「自分の担当部分」だと思ってしまう)のは大変です。重い荷物は神さまに預けた方が良いのです。


2008年02月06日(水) 不可收拾

ステップ1:私たちはアルコールに対し無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた。

歩驟1.我們承認我們無能為力對付酒精,而我們的生活已變得不可收拾。

「酒精」に対して無能為力であり、生活が收拾不可になっていたことを、承認。と言う感じでしょうか。中国語繁字体のステップ1です。

酒を飲んでいても、いなくても「不可收拾」な日々であります。


2008年02月04日(月) 雪かきならず

よし、今日は会社の駐車場の雪かきをしてやるぜ! と気合いを入れて、長靴や手袋を持ち、防寒のために服の中にラッシュガードとスパッツも着て出かけたのですが、なかなか職場までたどり着けませんでした。

もう朝も遅い時間なのに、なぜ市内の国道が大渋滞しているのを不思議に思いながら高速の入り口まで行ったのですが、「事故通行止め復旧見込みなし」と言われて追い返されてしまいました。職場に電話してみたものの、誰もでません。雪のせいでまだ誰も来ていないか、みんな雪かきに出払っているのか・・・。

渋滞を避ける道を選んでいるうちに、お腹が痛くなってきました。田んぼの真ん中にあるデパートでトイレを借り、下道で行くのは無理と諦めて、そこで朝ご飯を食べながら事故処理が終わるのを待つことにしました。結局職場に着いたのはお昼過ぎ。雪かきはきれいに終わっていました。

さて、某掲示板で「新婚早々ダンナのアル中に悩まされる」という話を読んだりすると、身につまされることだったりするのです。どうしてあの時に妻が僕と別れなかったかと言えば、別れるのもそれなりに大変だったからなのでしょう。

「昔は断酒会でも、最後までダンナを支えるのが使命という感じの奥さんが多かったのが、最近では旦那さんが再飲酒すると、さっさと諦めて離婚しちゃう人が増えてきて」という話を聞いたのは、もう何年前だったか。

以前のAAホームグループに、旦那さんのアル中問題のために、奥さんが断続的に1年ほど通ってこられたことがありました。ところが旦那さんはいっこうに酒をやめる気配がないし、AAの僕らは「いかに酒がやめられなかったか」という話ばかりしていたのです。ある時その奥さんが、「お酒をやめることの難しさが分かりました。夫はいつかやめてくれるかもしれませんが、それまで彼の人生に付き合うつもりはありません。離婚することに決めました。だから、お医者さんも、AAも、もう用はありません」と言われて、それっきり来なくなりました。

僕ら一同「まさか、そんな結論になるとは」と呆然としたのですが、考えてみれば一番無難な選択なのかも知れません。

飲んでいようが、飲んでいまいが、アル中の旦那と暮らすのは大変なのです。いや、ダンナが酒をやめて、自助グループに通い、たとえステップをやったからって、その大変さが無くなるわけじゃありません。酒をやめた途端に以前の良い性格が戻るわけじゃありませんから。

その大変さにつきあえる能力を持った奥さんでなければ務まらないのが「アル中の妻」なんですかね。年間の結婚数が七十数万件、離婚数が二十数万件、とテレビでやっていました。「あの時あなたがお酒をやめなかったら、こうして夫婦でいることもなかったのに」と言われますが、実現しなかった選択肢と現状を比較されても困るよ。


2008年02月03日(日) 原因探し

統合失調症の家族の人にありがちな考えとして、病気になった原因を考えるのだそうです。この病気は破瓜(はか)の病とも言われ、思春期から20代にかけて発病することが多いのですが、その頃は人生の変動期でもあります。例えば、受験や就職に失敗した、失恋をした、友だち関係や金のトラブルがあった、というようなつまずきを経験する時期でもあります。そして、病気になった後で、受験の失敗や失恋のストレスが病気の原因だったに違いない、という考え方をします。

この考えには、じゃあその原因を取り除けば、病気も治るに違いないという願望が含まれています。もう一度本人が努力して受験や就職に成功したり、恋人や友だちに返ってきてもらえば、悩みも病気も消えてくれるに違いない、という願望です。
実際には、すでに病気が始まっていたからこそのトラブルだったかもしれず、因果関係が逆と言うこともあり得ます。

神経症みたいな心因性の病気では、原因を取り除けばけろりと治ることもあるのだそうです。うつ病でも、例えば会社を辞めたら治ったという話も聞きましたが、全般にはそう単純ではないようです。

アルコール依存症の人の話でも、「あれが原因だったに違いない」という病気の理由探しをする人がいっぱいいます。昇進に伴う仕事のストレスだったり、胃の手術だったり、経済的苦境だったり、家族内のトラブルだったり・・・。

「あれさえなければ、俺の人生はこうでなかったに違いない」

と思うのは勝手ですが、何の解決にもなりません。僕もずいぶんそういう考え方をしてきましたけれど、より飲みたくなるだけでした。もしそれがなかったとしても、別のことがきっかけになったことでしょう。

原因探しより、どうやって治療するかを考えた方がいいわけです。


2008年02月02日(土) 信じる力

人の恋路を邪魔する奴は、犬に喰われてと言われます。いやいやごめんなさい。「配慮の欠如」にチェック印です。月夜の晩ばかりではないので、野犬の群れに襲われないように気をつけますね。

さて、信仰心を持たない人のほうが珍しいと思います。

ついこの前のお正月に初詣に行った人は、おそらくお賽銭を投げて、なにかお願いをしたでしょう。家内安全とか、健康とか、お金とか、恋人ができますようにとか・・・。

で、でですよ。それは誰に向かってお願いしたのですか?
まさか、お願いが虚無の空間に吸い込まれて消えていくとは思っていませんよね。どこかに、あなたの願い事を聞いてくれる存在がいる、いるかもしれないと思うからこそ、お参りをするんじゃないでしょうか。

その存在(たぶん神様)は、あなたの健康運、金運、恋愛運その他を支配できる存在なんですよね。そういう力を持ってなければお願いしても仕方ないですから。それはあなたより「大きな力」、ハイヤー・パワーではありませんか? 信じる能力がないとか、信仰を持っていない人のほうが稀有なんです。自分のこれは信仰ではないと主張する人は、何か特定の宗教の信仰とは違うと言っているに過ぎません。

日本を訪れる外国人から見れば、神社に行くのも宗教にしか見えないそうです。知り合いの牧師さんの一家は神社に初詣には行かないそうです。結婚する二人がどんなに努力しても、それだけでは幸せになれるとは限らない、と思うからこそ、神様の前で三々九度をするのでしょう。

AAでは「自分で理解した」神を信じなさいと言います。それは信じられるものを信じることです。せっかく信じるのだから立派な信仰を持とうと思うと、信じることに失敗します。だって信じてないものを信じようとするから無理があるのです。

確かに、何かを叶えてくださいとお願いするだけの信仰心は、ちょっと子供じみている感じがするかもしれません。でも、それを出発点にして、信じる心を成長させるしかないでしょう。自分が今いるところから旅に出るのです。

自分には神様を信じる能力がある、と分かるだけで、とりあえず最初はそれでいいんじゃないでしょうか。現に信じているんだし。


2008年02月01日(金) 読み比べ

ひさしぶりに大型更新をしました。
http://www.ieji.org/archive/warning-signals.html

今のところ最後の入院になっている県立K病院のケースワーカー室には、AAの本が何冊か置いてありました。そこで生まれて初めてビッグブックを見たのです。そのほか、AAのパンフレット類も何冊かありました。それはずいぶん古いもののようでした。

その入院中に「AAをやるんだ」という決意を固めたものの、病院からAAミーティングに行けるのは水曜と土曜日だけしかありません。だから、ワーカー室のAAの本を読んでみることにしました。・・・が、それが全然頭に入ってこなかったのです。
すでにアルコールで記憶力とか、集中力とかがぶっ壊れていたのに違いありません。仕方ないので退院後にゆっくり読めるようにと、AAのオフィスに初めて電話して本を注文しました。その時に、もう売っていない冊子があるということを知りました。もとがオタッキーですから、絶版とか入手不能と言われると、余計に欲しくなります。とはいえ、ワーカー室のAAの本を持ち去るのは、本屋で万引きする以上に悪いことのように思われました(比較の問題ではない?)。

というわけで、病院の事務室で文句を言われながら何十枚もコピーを取り、ホッチキスで製本したのであります。今回の更新ネタもその一つです。

ところで、ビッグブックの旧訳と、新訳を読み比べてみました。
比べてみると、新しい訳はとてもいい訳ですね。分かりやすい。旧訳も悪い訳ではないのですが、「われら不可知論者」「使用者たちに」「ボブ博士の悪夢」あたりは他の章に比べてどうも質が悪く感じられます。章ごとに訳すときの気合いのムラがあったんじゃないか、とか勘ぐってしまいます。3章、5章は名調子なのにね。
新しい訳は、前半にちょっと硬くぎこちない雰囲気があるのですが、後ろに行くにつれて丸さが感じられます。この柔らかさが前半にももっとあったらいいのに・・と思うのは贅沢でしょうか。

ちなみに、病院のケースワーカー室のAA本は、個人が寄贈したらしくその方の名前が書いてありました。まだその本があるか聞いてみたのですが、もう処分されてしまったそうです。


もくじ過去へ未来へ

by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


My追加