心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2004年05月31日(月) 心の痛み・体の痛み

昨晩、偶然かかってきた電話にうつのことを相談すると、スピリチュアルな回復を目指すにしても、とりあえずは医者のサポートは欠かせないのではないか、という提案をもらいました。
また3時間しか眠れず、早期覚醒してしまい、早朝から社長の自宅に電話して、今日はいろいろとやらなくてはいけない仕事もあるけれど、どうか休ませて欲しいとお願いしました。社長も、病気で倒れて、服薬が欠かせないようになってから、なんとなく寛容です。

医者に行き、症状を伝え、どの症状をどうして欲しいのか相談しました。ゴールデンウィーク明けに自ら望んで切ったミラドールが復活しました(倍量)。夜のレスリンも倍量になりました。心の中の悲しみと不安感を取って欲しいと3回お願いしましたが、「あなたはアル中だから安定剤はだめ」とまっとうな答えをもらいました。最初の頃はともかく、今はまったく出してもらっていないです。

「ということは、処方してもらった薬が効くまでの期間は、この悲しみと不安に耐え続けろということですね」とたずねると、医者は「そうです」と簡潔に答えました。

月曜に昼間にヒマがある人に相談の電話をしました。とても助かりました。
「あなたは迷える一匹の子羊を救った羊飼いです」と伝えると、その人は自分がクリスチャンだと答えました。最近、クリスチャンの人に導きを得ることが多いです。これは単なる偶然なのでしょうか。それとも今まで僕が彼らの声に耳を傾けなかっただけでしょうか。

「あなたがいままでAAに使ってきた100の力を30にして、残りの70は他のことに使いなさい」
自己犠牲は美しいときもあるが、自分がそれに酔っているときは、こっけいでしかありません。
僕はAA以外のことにも生きがいを感じることに負い目や罪悪感を持っていました。でも、生きがいはたくさんあるに越したことはありません。

僕はラウンドアップで、いろいろなことに気づいてしまいました。気づきたくなかったことまで気づいてしまいました。でももう、それは知らなかったことには戻せません。

夕方からAAミーティング。苦しいときには、誰の言葉も心に入ってきます(逆に言うと苦しくないときは、人の話に好き嫌いがあるわけです)。みんな大好きだよ、と言いたくなりました。

ミーティング後のちょっとしたアクシデントで右腕を火傷してしまいました。ちょっと皮がむけたところがあるだけで、あとは真っ赤になっているだけです。水で冷やすと痛くないんですが、右腕の回復はちょっと焦っちゃいます。


2004年05月30日(日) 考えて、考えて、考えた

来年の9月に福岡で、日本AAの30周年を祝う記念集会があります。それは関東も含めた全国評議会で決めたことです。現地の実行委員会では、それに近い時期のローカルイベントの開催を慎んで欲しいという要請を全国に出しました。
関東(甲信越)では、春秋にラウンドアップ(RU)という数百人規模のイベントを行っています。過去に周年記念集会が行われたときには、重なるRUは中止になっていたそうです。だから、来年の秋の関東のRUはやめたほうがいいという意見が出ていて、僕も役割上その意見に賛成でしたし、それが正しいことだと確信していました。

一方、やっぱり来年の秋もRUはやりたいという意見も根強くあります。そういう人たちの理由は、福岡まで行くにはお金がかかるから貧しい人は行けないし、まして生活保護の人々はどうなんだという話でした。でも、僕はそれだったら一回ぐらい我慢したっていいじゃないかと思っていたのです。それになんとなく建前っぽい感じがします。
今回の茨城のRUに参加したのは、どうしてそんなにRUが必要とされているのだろう? という理由が知りたかったからです。

ラウンドアップでは、ミーティングやワークショップが開かれています。でも規律に縛られないAAでは、それ以外のことをやっている人もたくさんいます。ただロビーに集まってしゃべっている人、ハイキングに行く人、ソフトボールをやる人、麻雀をやる人、ラッフルをやっている人・・・。僕は特定の誰かと一緒にいるのではなく、いろんな場所をうろつきまわりました。

初日のオープニングでは、九州から来た集会実行委員が「関東は九州に恨みでもあんのかよ」と訴えて大うけしていたそうです。

答えは最終日の「さよならセレモニー」の中にありました。各種のプログラムから一人ずつ、それに参加した人が感想を短くしゃべりました。ソフトボールの人の話はとても率直でした。「俺はソフトボールをやりにRUに来ている。ソフトボールのないRUには参加しないよ。みんなでソフトやるのがいいんだ」
もちろんミーティングに何かを見つけたと言う人もいました。でも、そんな人ばかりじゃありません。ずっと麻雀ばかりやっていた人もいました。ラッフルの運営にかかりきりの人もいました。仲間に囲まれて延々おしゃべりを楽しんでいた人もいました。
僕は一人に30周年集会についてどう思うか尋ねてみました。
「行くとしても、お義理の気持ちが強いと思う」
委員会では聞けない正直な話がここにありました。

家に帰って、疲れたので布団に横になって考えました。なかなかまとまらなかった考えが、急に一つにまとまりました。30周年集会にはソフトボールはたぶんないでしょう。麻雀もラッフルも、24時間仲間としゃべる部屋もないでしょう(一ヶ所に集中して宿泊しないから)。
彼らの求めているものは、来年のその日の福岡には用意されていないのです。彼らは30周年という「晴れがましさ」を求めているのとは違うのでしょう。彼らが必要としているものを奪うのは間違っているような気がしてきました。

だから僕はもう、来年秋のRU開催には反対しません。でも、30周年の晴れがましさは福岡に譲ってやって欲しいです。AAが始まったのは東京ですから、関東も30周年かもしれませんが、その「晴れがましさ」は彼らに譲ってやって欲しい。そうじゃないと、一生懸命やってる九州の人々があまりにかわいそうです。それを求める人は九州まで行けるでしょう。できるだけ日付は福岡とずらして、(30周年と言わず)普段どおりのラウンドアップをやるのが一番だと思いました。

正しいかどうかわかりませんが、僕の意見は変わりました。今回ラウンドアップに行って良かったと思っています。

実際にどうするのかは、今後委員会の人々が決めていくでしょう。


2004年05月29日(土) ラウンドアップ参加(土・日)

土曜朝3時半。目覚まし時計よりちょっと早く仲間の電話で起きました。
4時半集合。
中央道・首都高・常磐道と抜けて、現地に9時過ぎに到着。
午前中のオールドタイマーズ(古株)の話を聞きました。一人30分ですからかなり長いです。6人中4人の話を聞きました。人の話に好き嫌いがあるのは良くないですが、僕も普通のAAメンバーです。
お昼を頼み忘れたので、おにぎりで昼食。
午後は医療関係者との交流会に参加。よく考えずに質問したので、自分でも何をたずねたいのかわからなくなってしまいました。アルコール依存症に関わる医療関係者が、回復の失敗例ばかりを目にして燃えつき(バーンナウト)してしまうことがあるように、AAメンバーも12番目のステップの成功率の悪さにセルフ・エスティーム(自己評価)の低下を経験することがあります。それを補うのにはどうしたらいいかを聞きたかったのですが、話はスポンサーシップへ。ただ、セルフ・エスティームは自給自足が原則かな、という結論が見えたので、それでいいことにして別の場所へ。

麻雀に参加するものの、途中で腹痛を起こし惨敗(4位)。
夕食を食べて、入浴。男湯の中で男だけの分かち合い。その後、珍しくラッフル(ビンゴ大会みたいなもの)に参加。仲間に話の押し売りをしてしまいました。ちゃんとラッフルに参加したのは初めてかな(時間は半分だけだけど)。
再び麻雀へ。2位、トップと調子を上げていくけれど、おけらになった人がでたので、これも神の意思かも知れぬと思い終了。
24時間ルームで話している仲間に、「もう寝るね」と言って部屋へ行ったのが12時ぐらい。打ち合わせがあるはずだったのに忘れてごめんなさい。こんなに早く寝るのは自分としては珍しいことなのですが、麻雀を続けた仲間も、24時間ルームの仲間も、寝たのは同じ1時だったようです。

日曜朝7時起床。朝風呂と食事。さよならセレモニーに出席。解散後、ロビーでたむろしていたら、急に踊りだして倒れた人がいました。僕は彼がふざけているのだと思い、「酒飲ませりゃ治るよ」と冗談を飛ばしていたのですが、事態は冗談どころではなく、本物のアルコール性てんかんでした。断酒後の期間が短い人が身体に無理をすると起こることがあるのだそうです。東京の仲間たちは、処置にも慣れたものです。舌を噛み切ってしまったので救急車が呼ぶことになりました。貴重な経験をさせてもらいました。

10時半出発。3時に集合場所に帰還。一度もハンドルを握らせてもらえませんでした(信用まるでなし)。

大勢の中にいると、自分がありきたりのAAメンバーであると確認できて嬉しいです。回復は競争ではないから、優れたAAメンバーになる必要はありません。無名のひとりである喜び。
こちら のオーナーと会えました。更新止まってますけど、お元気そうで何より。
日記読んでますと言われること数回。駄文を読んでくださってありがとう。

宿泊のイベントでは、毎回身体も心も疲れきってしまいます。明日からまた仕事かと思うとうんざりですが、仕事を休めない理由は増えています。こんなに疲れるなら二度と行くものかと誓うのですが、しばらくすると懲りずにまた行ってしまいます。
でも、いろいろな事象が僕をだんだんAAイベントから遠ざけていくでしょう。もう一度会いたいけれど、おそらくもう会えないだろうと思った仲間には挨拶しておきました。霊的な交わりの中で、僕たちは共にあるでしょう。

実行委員の皆さんお疲れ様。ありがとう。今度は僕らの番です。


2004年05月28日(金) 予定稿(金曜夜用)

だいたいラウンドアップに行こうという動機が実にうつ病の人間らしい考えから来ているのです。例えばラウンドアップは楽しいからとか、回復を得たいから、ヒントを得たいから、人と交わりたいから(たとえそれが麻雀卓を囲んででも)というのなら、それはまさに純粋な動機です。

しかし僕はラウンドアップにそんなに行くほうではありません(疲れるし)。大体2年に一回のペースでしか行っていませんでした。しかし去年は一回、今年は二回参加することになります(一回は実行委員だけど)。なぜ急に回数が増えたのかというと、それは役割が割り当てられたからであります。どこへでも極力顔を出す役目があります。そこで何が起きているのか知り、人々と話をすることが大切だということになっているのです。
だから僕はラウンドアップ「にも」行きます。でもその理屈に得心が行っているかというと、心の奥底まで納得しているとは言えません。だから、自分が十分活動しているということを、まずは自分自身に納得させ、そして出来れば他の人にもそう評価してもらいたいという動機付けが行われます。だから、ラウンドアップに行く動機が純粋ではありません。

もちろん行けば楽しむでしょう。得がたいものも得るでしょう。そのことに疑いはありません。でも、「自分が納得できていない責任を果たすため」そして「自分が無能力者でないと証明するため」という不順な動機が混じりこんでいると、どこか隙間風が吹いてしまいます。

けれども種をまいたのは自分です。刈り取ることは簡単です。動機と目的を今からでも「楽しむこと」に切り替えてしまえばいいわけです(じっさいそれが簡単にできるほど器用な人間ではありませんが)。
久しぶりに会う仲間もいるでしょう。よく顔をあわせる仲間ともっと長い時間行動を共にするのもいいかもしれません。いつだってたいした目算もなく、出たとこ勝負で生きてきたんじゃなかったっけ。

人間の心の奥底には、人間では埋めることの出来ない間隙があるといいます。ラウンドアップがそれを埋めてくれる人もいるのでしょう。残念なことに僕はそうではないし、なれるとも思いません。だからといってひがんでみても仕方がありません。

時間と言う無限の力を持った神様が、なにもかも押し流して行ってくれるでしょう。来年からはまた2年に一回のペースに戻ればいいだけです。

まあともかく、元気はありませんが、ラウンドアップに行ってきます。
無理に楽しもうとせずに、仲間の中を漂ってきます。


2004年05月27日(木) イライライライライライライライラ

朝すっきり目がさめたと思ったら、単なる早期覚醒だったようで、身体がきつくてたまりません。
回復は一日ずつ なのだから、プログラムを始めたからといって、そんなに早く奇跡のような結果を期待するのは無理でしょう。

依存症からの回復とかうたいながら、すっかりうつ闘病記へと変わっているこのごろであります。

うつ状態は、落ち込んでばかりではありません。イライラして落ち着かないということもあります。大した仕事はしていないのに、一日緊張が解けないおかげで、夕方には疲労がたまっています(易労性といいます)。「ああ疲れたな、早く帰って横になりたい」というのが自然な考えなのでしょう。でも、夕方に駐車場で、落ち着きのなさを全開にしてしまいます。素直に家へ帰るより、ルーチン外のミーティングに出てみたくなるのです。
しかし物事が決断できないのも症状ですから、車の暖機運転が終わっても、まだ運転席で決められずにいます。そして、いくらなんでもこれからミーティングに行っても遅いだろうという時間になって、家へ向かいます(外部要因による意思決定)。

ミーティングに行って見慣れた仲間の顔を見れば、心は安らぐでしょう。しかし身体は確実に疲れます。疲労の上に疲労を重ね、そいつを翌日に持ち越していくのは良くありません。ルーチンのミーティングだけきっちりこなしていればいいのだと分かっていても、イライラ落ち着かないのです。
まして週末にはラウンドアップが控えています。これも肉体的には大変です。過労と抑うつ全開で行ったら台無しですから、僕の選択は正しいのでしょう。
でも何か、脅迫的な何かが存在しています。

僕は大局観を失っています。時期が来れば良くなるのは経験が証明しています。じりじりと一日が過ぎていくのを待っていればいいはずです。でも、どうしても、「世の中でこんなに苦しい思いをしているのは自分だけ」という考えにとらわれがちなのです。

困ったものです。


2004年05月26日(水) 意識的なふれあい

例の本には、一日一回黙想の時間を持ったほうが良いと書かれていました。牧師であるAAメンバーからもステップ11を勧められました。いままでは暖かいお風呂の中で機会的に黙想するだけだったのですが、とりあえず黙想を毎日の習慣にしてみようという気持ちになりました。

姿勢はいろいろと試したみたあとで、シャーロック・ホームズが考え事をしているポーズが具合がいいとわかりました(僕の場合)。そしてやってみると、昔、願いながら決して叶わないだろうと思っていたいろいろなものが、今、自分に与えられていることに気づいて驚きました。

そして、僕が意識的な黙想から得た最初の神からの導きは、「財布の中の現金を勘定したほうがいい」というものでした。なかなか現実的で、異論をさしはさむ余地がない導きであったので、さっそく実行に移しました。

久しぶりに身体の奥底から眠くなり、歯磨きもせず、緑内障の目薬もせずに寝てしまいました。だからといって翌朝の目覚めがすっきりしていたわけではありませんが、通常の不機嫌な朝がやってきました。

布団の中で、なぜ僕は仕事がこんなに嫌なのだろう、休みたいのだろうと考えていました。話の成り行きで僕は慣れない仕事を抱えています。慣れない仕事は失敗する可能性が高いので不安なのですが、それはいつものことなので良しとします。問題はその仕事に値段をつける必要があることです。慣れたことなら自分の仕事に値段をつけるのも慣れています。世間の相場も知っています。慣れない仕事は見積もりができません。相場がわかれば、それにあわせることもできますが、それを知りません。
つまり僕は困り果てていたのです。けれど自分ではそれを認めたくありませんでした。値段なんてテキトーにつけちゃって、後で赤字になっても知らん顔、ぼろもうけしたらほくそえむぐらいのいい加減さがあればいいのでしょうが、残念ながら持ち合わせがありません。
「そうか僕は困っていたのか。そんな立場に追い込まれた運命を呪っていたのか」

午前中に2本の電話をかけ、僕は押し付けられた仕事を押し返すことに成功しました。誰も怒ってなんかいませんでした。言葉を翻した僕をあきれちゃった人もいるかもしれませんが、It's not that matters. であります。

ただ漫然と祈るのではなく、意識的なふれあいを求めていくことが、今の自分に必要とされているようです。


2004年05月25日(火) スピリチュアルな病気

「うつ」をやめれば、楽になる。 という本を読んでいます。この本は書名でずいぶん損をしているような気がします。この本に書かれているように、大半のうつ病者は自分は治らないと感じています。その人たちに対して、治ると断言されても、それを信じてみようという気になれないものです。

また、ある書評で「こんな内容をうつ状態の人が読めるわけはないし、読んだらもっと自責の念を強めてしまうだろう」と書かれていたので、そうかもしれないと思い、調子が良いときに読むように決めていました。

しかし、調子の良いときには、苦しんでいないわけですから、この本の内容に耳を貸そうという気にはなれないでしょう。僕は抑うつに対してまったく無力を認め、よくなるためなら「なんでもする」(とは言わないが、できるだけのことはしてみよう)という気になったのです。

「生理学的理由によっておこるうつでも、治るとまではいかなくても、コントロールできるようになる」という文章を読んだとき、僕の求めていたものはまさにこの言葉だと思いました。治るとは言ってくれなくていい、それは信じられない。でも、良くなるというのなら、そうなりたいと思うのです。

僕はこの本を読み始めたばかりですが、「うんうん、私もそうだった(今もそうだ)」と思い、「ひょっとしたら、私にもできるかもしれない」と感じています。

それは僕がAAのビッグブックを読み、そこに書かれていることを受け入れるだけの、ほんのわずかな謙虚さをようやく獲得できたことが効いているのでしょう。AAの仲間の話は大切であります。それなしには僕は依存症から回復できませんでした。しかし、仲間の数は有限です。そこに僕の悩みがありました。しかし、ビッグブックに書かれていることは、時代や人種や文化を越えて普遍です。原理はいたってシンプルでした。

うつは身体の病気であり、心の病気であり、またスピリチュアルな病気であると説かれています。確かに身体や心の病気であれば、薬は必要だし効き目があるかもしれません。でも、スピリチュアルな部分は自分が良くなろうと思い、そのために何かをしないと良くはならないことは、依存症での経験が教えてくれています。

確かに自分は病気であることを選択している部分があります。他の人からどう見られているか、何を期待されているかに泥濘しています。他の人の役に立つことが目標だとするならば、まず役に立てる自分が存在することが欠かせません。そうでなければ、ドーナツの穴と同じように空虚です。
ステップを踏む過程は、本来すがすがしいものであるはずです。ステップが苦しいのは自分の側に大きな問題が残っているからでしょう。僕はその問題を出来る限り取り除きたいのです。

今回のうつのエピソードの中で僕は剥き出しの感情で人を傷つけました。後悔しています。後悔はしていますが、それは相手の傷のことではなくて、そのことで相手の僕に対する評価が悪いほうに変わってしまうのではないかという恐れであり、相手との関係が変化することへの恐怖心の表れにすぎません。
僕は自分を苛むことで償いにかえているのです。そうではなく、僕は傷に直面しなくてはいけません。たとえただ待つことしか手段がないとしても。

僕はアルコールより古い問題に対して、やっと向き合おうという気が起きてきたのです。


2004年05月24日(月) たっぷり疲れるということ

あをねこさんのサイトのリンク集からたどって、抑うつ尺度 にたどり着きました。抑うつの自己診断なんて初めてみました。
ためしにやってみましたが、Zung式で69点、ベック式では34点を獲得してしまいました。毎週自分の体重を量ってグラフを描いて公開している人もいます。毎週(か一週おきに)これをグラフにしてみると面白いかもしれないと思いましたが、グラフを描くプログラムを書くと考えただけで気がめいってしまいます。(体重は計るんじゃなくて、量るものなのね)
だいたいそれに何の意味があるのか?

今の僕には明るい未来を提示されても、そのどこかに不安を見つけずにはいられない状態です。そのせいで人を傷つけたり、イライラさせたりしたとしたら、大変申し訳ないです。

そんな状態でも最低限の日常生活を維持できるようになっているのは、それは確かに回復なのかもしれません。しかし、心の中の痛みは、数字に現してみたところで意味はありません。

相手が自分のために何をしてくれるかを目盛りにしているうちは、幸せは訪れないといいます。自分が相手のためになにをしてあげられるのかを目盛りにするのだと言います。しかし今の自分は、中身が少ないウォーターボトルのような存在で、分かち与えると量が減ってしまうような、そんな錯覚に包まれているのです。なみなみと水があふれるような、そんな存在に憧れます。だが今の自分は違います。

最後に入院した病院のアルコール担当医が言っていました。「アル中の人は、自分が嫌いだね。もっと自分が愛せるようになれればいいのにね。でもそれは案外難しいね」
そしてこう付け加えました。「誰かに愛してもらうのが、自分を愛せるようになる一番の早道なんだけどな」

同じことを言っているような気がします。

3時間しか眠れず、職場で最低限の仕事だけこなして帰ってきてしまいましたが、それでも眠れません。ミーティングに行って帰ってきたら、すこし眠くなってきました。いつかは眠れるようになるでしょう。明日はひょっとすると、きょう頂いたさまざまな贈り物の価値がわかるようになるのかもしれません。

私は抑うつに対してまったく無力であり、日々の生活が手に負えない状態です。


2004年05月23日(日) 予備校

下の子供は保育園の年長さんです。
でも、まだオムツが取れていません。
親は早く取りたいのですが、本人が取らせてくれないのです。
昼間はオムツをしていません。夜、お風呂から出てくると自分でオムツをし、その上にパンツをはいています。どうやら夜中に起きてトイレに行くのが面倒らしく、オムツをしていれば朝までぐっすり眠れるという魂胆らしいのです。気温が上がって、ものの乾きが良くなる夏場には、オムツなし作戦に出る予定です。

アルコール専門病棟に大人用オムツは欠かせません。
禁断症状(離脱症状)のひどい人は幻聴や幻覚を見るのですが、それが何日も続く人がいます。いくらカギのかかる保護室に入れておいても、中で暴れていると怪我をすることがあります。しかたないのでベッドに沈静帯で固定されてしまいます。そこで必要になってくるのがオムツです。
病院がオムツを用意してくれるわけじゃありません。でもそんな状態で本人がオムツを買出しにいけるはずもないので、看護婦さんが病院の売店から「ツケ」で買ってきてくれるわけです。
長い人だと一週間以上も保護室の中で叫びつづけているので、「人間の生命力ってすごいなー」と感心してしまいます。

保護室から病棟に戻ってきた人のベッドのしたには、余ったオムツが置かれています。本人は恥ずかしく、そんなものがベッドの下に存在していることすら許せないのですが、看護婦さんは処分することを許してくれません。なぜなら「もったいないから」であります。その屈辱と後悔が、本人に「二度ともう飲まない」と固く固く誓わせるのですが、次の外泊の時には酔っ払って病院に戻ってきちゃうわけで、オムツは無駄にならないのであります。

当時は保護室の中で叫んでいるのを狂気だと感じていました。しかし「二度と飲まない」という固い誓いを簡単に破ってしまうことが真の狂気であることに気が付くのは、ずいぶん後であります。

僕は病院でオムツの世話になったことはありませんが、飲んでいた頃は布団の中で寝ながら小便してしまったことは一度や二度ではありませんので、あまり人のことは笑えません。


2004年05月22日(土) ゆっくり休むということ

午前中に「パパご飯」という言葉で起こされました。相変わらず睡眠不足で頭がずきずきします。レトルトの牛丼を暖めご飯にかけてあげました。普段レトルト食品を食べなれない彼女たちは、「パパの作るご飯はおいしい」などとほめてくれるのですが、もうしばらくすれば、それぐらい自分たちで出来るようになってしまうでしょう。

午前中に起きたので、昨日行きそびれた医者に行きました。土曜日の午前中という診察時間は最近新設されたせいか、すいていました。診察時間も長かったのですが、そのぶん有意義だったというわけでもありません。半年ぐらい前から昼間眠いのが続いていたので、原因を探っていったところ、毎朝飲んでいたミラドール50mgではないかということになって、連休明けから止めています。最近の不調はひょっとするとそのリバウンドかもしれません。
「ミラドール50mgで眠くなる人は初めてだね」
と言われましたが、こちとらアル中であります。気分を変える薬には敏感に反応しちゃいます。ミラドール50mgはたしかにほんのちょっぴりかもしれませんが、僕の脳は不可逆的に壊れているので常人と一緒は困ります。まあ、処方は伝えてくれてあるので、チェックしなかった自分にも責任はありますが。

今週は部下一名が出張先で寝坊して、相手の会社からお昼近くに「まだ来ないんですけど」と催促がくる事件がありました。本人が以前「ストレスが多いせいか、毎晩酒飲んじゃうし、酒量も増えちゃうんですよ」と言っていました。たぶん飲み過ぎで起きられなかったのでしょう。僕も良くやりました。昨年転職していった人も、酒を飲まないと眠れないと言っていました。
「あんまりまじめに仕事すんな」というのが僕のアドバイスであります。

午後は布団で寝ていました。義父が来て子供たちを指揮して部屋の片づけをしていましたが、僕を起こさないように気を使ってくれたようです。義父母と僕の関係は、嫁と姑の関係よりもっと遠い感じです。

夕方AAの仲間から電話が二本。ひとつは明日の委員会は休むという通知、もうひとつはノートパソコンの異常の相談でした。どんな用件であれ、人とコミュニケーションがあるのは嬉しいです。だが待っている人からは、電話もメールも来ません。

夕食後、こんどはパソコンの前で寝ました。「どんな問題も、それを乗り越えるだけのエネルギーと一緒にやってくるんだ」とはスキャットマン・ジョーの言葉。彼もアル中で薬中で、12ステップのことを歌っています。明日は東京。


2004年05月21日(金) 長文

二年前の夏に汗水たらして働いていた自動車工場が閉鎖になるというニュースが飛び込んできました。いい金づるお客様だったのに残念であります。リコール隠しのニュースは無関心で見ていましたが、世の中はいろんなとこまで影響が及んでいくものですね。
ビールに「妊婦に悪影響」と表示するのも、所詮はメーカーの責任逃れという話がありましたが、そんなものなのかもしれません。

僕は飲んでいた頃、国民年金を払わないどころか、健康保険すら払ってなくて、保険証持ってなかった時代もあります。まあ医者に行けないのも自業自得だったんですが、一番金がかかった自殺未遂の時には、せっかく保険証を持っていたのに使えませんでした。

会社の同僚が昨年から僕と同じ精神科医にかかっているのですが、「ちっとも良くならない」という理由で自主的に治療をやめてしまいました(うつ病者は基本的に病識がない)。薬もなくなったので、そのリバウンドが来て仕事になっていません。周りの皆に「他の医者でいいから行きなさい」と無理やり薦められ、リバウンドだけ抑えてもらいに行ったつもりが、結局治療を再開することになりました。「今度の医者はすいていて、ゆっくり診てくれるのでいい」そうです。

僕がこの精神科医にかかるようになったのは、もう十年近く前です。その頃は確かに待合室はすいていました。最近は混んでいることが多くなり待ち時間が長くなっています。人気が出たのか、精神科に対する偏見が減ったのか、世の中が殺伐として病気の人が増えたのか、理由は僕にはわかりません。

別の同僚は面白半分に「オンラインうつ病診問」を笑いながらやっていたのですが、最後に「あなたは仮面うつ病の可能性大です」と出て真っ青になっていました。まあ、頸肩腕症候群と一緒で一種の職業病であります。

最近は疲れているのに夜眠れません。昨日も眠れたのは朝4時ぐらいだったでしょう。時期が関係あるのか、妻もうつで朝起きられません。小学校に行く子供の面倒は義母がみてくれています。どうしても今日しなければならない仕事があるわけじゃないので、過労気味なら休んでもよかったのかもしれません。でも、休みたくはなりませんでした。別に日に休みたいから。
ぼうっと仕事せずに座っていても一日は終わるのですが、なぜかきちんと働いてしまいます。でも、頭の中に鈍い塊があるような感じは取れません。
こんな状態でミーティングに行くのは馬鹿げていると思ったので、まっすぐ家に帰りました。そこで妻がまだ寝ているのを見つけ、子供たちが「パパご飯」と言って寄ってきた時に、僕の中のなにかがブチンと音を立てて切れてしまいました。

義母の「夕飯はカレーを用意するから、子供に食べさせてあげて、子供をお風呂に入れてくれるわよね」という言葉に、「あー、はいはい」と素直に答えることができません。
普段だったらお安い御用ですが、今日の僕には無理でした。こんなことならミーティングに逃亡していたほうが良かったという後悔がよぎります。
そういえば今日は医者に行く日だったのに、すっかり忘れて帰ってきてしまいました。急いで行ってみると、普段だったら混んでいる駐車場に車が一台もありません。クリニックのドアは閉まっていて、診察終了時間が30分繰り上がったことを告げる張り紙がしてありました。
帰る道すがら、この数十分の間に、なにか事態が改善していないか期待したのですが、何も変わってはいませんでした。

僕は何もかも放り出して逃げ出したくなりました。でもどこにも逃げ場はありませんでした。感情の二日酔いと、ワーカホリズムと抑うつが、たった何週間か数日のあいだに、僕をがけっぷちまで追い込んでいたのです。ステップ4・5で気がついたのですが、僕は追い詰められるといつも酒の中に逃げ込んでいました。酔いつぶれている間に、誰かが事態を収拾してくれるのを願っていたのですが、たいてい物事は悪い方向からもっと悪い方向に向かっただけでした。
長年の習慣がぶり返していれば、病気もぶり返していたでしょう。ただ何かが「そっちの道は危ないよ」とささやいてくれたので、僕は違う方向に向かって逃げ出しました(やっぱり逃げるんかい)。

「パパは疲れているから」と言って僕は子供の世話を放棄して寝てしまいました。カレーを持ってきた義母に大声で起こされたとき、僕が取った行動は「寝ている妻を強引にゆすり起こす」でした。眉間に深いしわを寄せた彼女が用意してくれたカレーを食べてまた寝てしまい、次に起きたときには、入浴後の子供たちが布団に向かうところでした。

「助かったよ、ありがとな」と言ったとき、妻は怪訝な顔をしていました。あの時僕の心を去来した感覚を、彼女に説明してみても多分理解してはもらえないでしょう。
明日はゆっくり休んだほうがいいという提案をもらっているので、ミーティングには行きません。日曜日は疲れる予定が入っていますし、月曜日は医者に出直さなくてはいけないので、ミーティングには行かないかもしれません。
だから文章にしてここに下ろしておきました。少しは楽になりました。


2004年05月20日(木) 優しくしたい

日々のアクセス数をグラフにするプログラムを 書いてみました

でかいコンテンツを加えた11日の翌日からアクセス数が1.5倍ぐらいになっています。一度に読みきれる分量ではなかったので、何日かに分けて実に来られたってことでしょうか。その後は減少傾向です。このコンテンツについていただいた反応は、メールを一通頂いただけでした(まだ返信書いてませんすみません)。
もっとも、コンテンツ変更について直接反応をもらうことはほとんどありません。掲示板に感想を書いていただければ、すんごいラッキーてな感じであります。
なので、Webマスターとしてはアクセス数のグラフを眺めてみたり、Googleでの順位を確かめてみたりぐらいしか、反応の探りようがないのが本当のところです。

それにしても、土日の落ち込みようが顕著で思わずくすりと笑ってしまいました。以前は昼休みはアクセスの山でしたが、今は谷であります。まあ、お互い堅いことは言いっこなしってことにしましょう。

今週は出張に行った水曜日以外、定刻までに会社にいけた日がありません。まともな会社だったら首でしょう。まあ、低空飛行でも墜落しないのを目標にしています。うつ病の人間は自分に高いノルマを課しがちです。ちょっとずつちょっとずつ無理と我慢を重ねて、耐え切れなくなって(周囲から見れば)突然とんでもないわがままをやりだす狂気であります。
調子のいいときの自分を本当の自分だと思いたいのはやまやまなのですが、波の底にいる自分も自分であります。
でも、優しさを出したいのに、それが心の中から出てこないのは辛いよう。


2004年05月19日(水) 基本的に仕事の愚痴の話

僕は人にお金を貸せるほど裕福ではありませんが、もしそうだったとしたら、貸せる基準は「相手が返せるかどうか」にすると思います。そうでなければ、貸したのでなくて、あげたのと同じになってしまいます。

しかし銀行が僕の勤めている会社に金を貸す基準は、現在どれだけの利益を上げているかではないらしく、どちらかというと売り上げの額に注目しているようです。
何でそんなことを言うのかというと、ときおり赤字の仕事を引き受けるからです。見積書の金額から仕入れの金額を引いた額では、とうてい営業経費やら、人件費やらをまかなうことができないケースが、ままあるわけです。
まあ、それも会社の事情だから仕方ないですし、技術屋としては金額のことであれこれ言いたくない気持ちがあります。

けれど、歯車は悪い方向に回るものです(マーフィーの法則)。赤字の仕事は、見積書の金額を抑えるために納期が短く設定されている場合が多いのです(工期=金額)。当然、納期は守られず、客は怒り、営業サイドは「赤字の仕事をいつまでやってんだ」と文句をたれるのですが、技術サイドは「こっちが赤字にしたわけじゃねーぞ」と反論することになります。
早く次の仕事を入れて黒字に転換したくても、技術屋の手が空かないと受注できません。そうやってタイミングを逃すと、良い仕事は去り、また赤字の仕事が・・・。そして職場の雰囲気は殺伐と・・・。

こんなことなら、最初に赤字の仕事を引き受けなけりゃ、歯車は良い方向に回っていたかもしれないのにと、後になって思うものなのでしょう。けれど、よい仕事が来るまでじっと耐えていても、かならず仕事があると限ったわけでもありません。それに売り上げを確保しないと銀行が・・・。つくづく経営というのは、というか商売というのは「博打とおんなじ」だなぁと思うのです。才能のない人間がやるものじゃありません。

まあ、僕は一介の社員で、経営者でもなんでもないし、今後とも人様に給料を払う立場には絶対ならないでしょうから「基本的にはひとごと」です。でも、将来に暗雲が垂れ込めていると、明るい気分にはなれません。
今日出張して打ち合わせをした仕事が、そんな「赤字仕事」でした。その仕事を実際に引き受ける(割り当てられる)社員がかわいそうであります。


2004年05月18日(火) しょうじきになったおとこのはなし

パソコンを組み立てるときにやるミスで、ありがちなのが「ビスを中に落っことす」というやつです。パソコンの中はカードが挿さっていたり、ケーブルが這っていたりするので、手を突っ込むとたいてい後悔します。見える場所にあれば、帯磁したドライバーの先っちょにくっつけて取り出せばいいのですが、奥へ入ってしまうとやっかいです。
こんな時のために、先っちょに磁石が着いた棒という工具がありまして、僕も百円ショップで買ったのをスチールラックにひっつけてあります。

先日その棒が机の下に落ちていたので、また子供たちがいたずらしたのだろうと、そんなに気にもかけずにいました。しかし、ふと気がつくとパソコンのモニター(CRTディスプレイ)が変色しています。

磁石をテレビに近づけると、テレビの色が変色します。距離や角度を変えると、オーロラのように美しい模様を見ることができます。きっと皆さんも子供の頃に磁石とテレビでいたずらしたことがあるでしょう(ねーか)。でもテレビ画面に近づけすぎると、そこが磁化してしまい、色が着きっぱなしになってしまいます。そして電器屋さんに修理してもらうはめになり、すんごく怒られるわけです。

一応子供たちに「磁石で遊んでねーか」と尋ねてみましたが、口をそろえて「知らなーい」と言っております。なかなか正直者には育ちません。だいたい親のほうが、「おなかが痛いよ」と言われても「大丈夫ひと晩寝れば治るから」と言って寝かしつけ、翌朝「寝たけど治んないじゃないか、うそつき」と言われているようでありますから、なかなか正直と言う美徳は身につかないものであります。

モニターにデガウスという機能があるのですが、何度やっても直りません。
このモニターは秋葉原で買って送ってもらったものですから、販売店に持ち込むわけにもいきません。メーカーに修理を依頼しようにも、「まず梱包材料を送ってもらって、それに入れて送り、修理が終わったら送り返してもらう」という手順で、梱包材も有料なら、送料も全部こっち持ちです。ちなみに、モニターの重さは僕の体重の半分ぐらいです。

もう少し安価にすます方法はないのか、ネットで探して見ました。工具メーカーから こういう工具 が出ていました。7千円なら修理より安いかな。でも こっち のほうが効きそうな感じですが、値段がわかりません。

この消磁器ってのは自分で作れないのかネットで探してみると、確かに作っている人がいました。でも我が家は「部屋の隅っこに要らなくなったトランス」が転がっていたりはしないので、材料購入費が高くついてしまいます。

原理的には、コイルに交流を流すことで、磁界を高い周波数で反転させ、それによって脱磁すると説明してありました。うーん、よく分からないがともかく磁界が反転すればいいのだな。コイルに交流といえば思い浮かぶのがACモーター。ACモーターの中では磁石が回っています。
僕は百円ショップで買った磁石の柄を両手で挟むと、竹とんぼを飛ばすように(キリを揉むように、棒で火をおこすように)回してみました。

「原理的には似てるはずだ。反転の周波数は低いがそこは根性でカバーだ」

しばらくしてコツが判りました。モニター表面に対して円を描くように磁石を回すこと。渦を描くように円の半径を大きくしていくこと。そして、最後はモニター表面からゆっくりと距離を離すことです。キリキリ回し続けること30分。モニター表面からオーロラが消えました。

このようにして僕は人間消磁器になったのであります。


2004年05月17日(月) 一問一答

「あなたは不満を持っている」
「はい」

「あなたはその不満がどこから来るのが具体的によく分かっている」
「もちろん」

「あなたはその不満が正当なものだと思っている」
「はい」

「あなたはその一方でそれが本当は正当でないとも思っている」
「はい」

「でも理屈で感情は納得させられない」
「はい」

「不満を口に出しても、どうせ解決はできないと諦めている」
「はい」

「わがままだと言われるのは嫌だ」
「どちらかといえばいいえ」

「わがままな自分は嫌いだ」
「はい」

「自分が我慢することで解決するなら、それが一番いいと思っている」
「はい」

「苦しくないですか」
「いいえ」

「本当は苦しんでしょう」
「はい」


2004年05月16日(日) こんなことならスプリングカップに

連休明けから日没後になるべく西の空を眺めるようにしているのですが、きれいに晴れ渡ることはなくて、彗星は見えないままです。

Windowsが起動時に「PAGE FAULT ON NON PAGED AREA」という呪文を吐いて青ざめるようになったという話は、検索してみると4月の19日に書いています。あれ以来、いろいろと対策を講じてみたのですが、一向に状況が良くなりません。パソコンが正常に起動するのが3回に一回だったのが、いまは5回に一回ぐらいになっています。ひどいときは10回連続でブルースクリーンになって、もうそれだけでげんなりという感じです。

パソコンの電源ユニットが寿命を迎えているのではないかという可能性を考えて、今日は電源ユニットを新品に交換してみました。1万3千円という割と高級品を投入してみました・・・が、起動すらしなくなってしまいました。電源は入るのですが、パソコンが起動してくれません。
ショップに文句を言いに行ったら、しぶしぶながら「初期不良ですね、本来なら交換なんですが、あいにくお客さんが買っていったのが最後のひとつでして」と言われたので、同じ価格の別の電源ユニットに交換してもらいました。
そして、帰宅して2回目の交換作業を終え、電源を入れたら無事起動しました・・一回だけ。二回目からは、最初に買ったユニットと同じで、電源は入るけれど起動しません。

「これは・・・電源ユニットを壊すパソコンなのか?」

また同じ症状でショップに文句を言ったら、なんか店員がやな顔をしそうだなーと思うと行く気になれません。それにまた交換してもらっても、3台目も破壊するだけでしょう。

元のユニットに戻したら、もう夕方でした。2回連続で無事起動しています。あいからず原因はさっぱり不明です。

うつの時期がやってくる前の独特の焦燥を感じています。バースディミーティングのときに仲間に「ビルのようになってください」と言われました。ビル・Wのようにいつかうつから解放されるといいね、という意味だそうです。僕にはそんな瞬間が来るとはとても思えません。


2004年05月15日(土) コントローラブル

僕は普段はテレビを見ません。
家にテレビが無いわけじゃありません。
それにまったく見ないかというとそんなことも無くて、家族と夕食をとるとき(これが数が意外と少ないんです)には、一緒にテレビを見ています。いや、そんな時も一人朝刊を読みながら食べているときが多いかな。
夜7〜9時ぐらいは、見ても見なくても同じようなバラエティ番組が多いです。食事のときに見るのはこういったものです。夜10時以降はニュース番組を見ることもあるのですが、テレビの音がしていると子供たちが寝ないので自粛しています。深夜になると気に入った番組がありません。
以前は、「お母さんと一緒」とかが子守の強い味方だったのですが、長女が小学生になってから効き目がなくなってしまいました。

パソコンにはテレビチューナーボードが挿してあって、こちらならいつでも好きな番組が見られるのですが、めったに使っていません。

テレビは毒でしょうか。僕にはインターネットのWWWのほうが毒がたくさんあるような気がします。でも、こちらは嫌なものは避けて通れます。

一方でDVDとかはよく見ています。好きなときに見られるし、いつでも止めてまた続きを見られるし、気に入ったところは繰り返し見られます。中身のほうは、テレビ番組とさして違いはありません。

新聞にしろインターネットにしろDVDにしろ、僕は自分の自由な楽しみ方が許されるほうが好きで、一方的に押し付けられるメディアが嫌いなだけなのかもしれません。自分の思い通りにしたいし、思い通りにならないものは我慢できないだけなのかも。


2004年05月14日(金) 予備校

先日出かけた帰りの話。
上の子は耳管の働きが弱く、気圧の激しい変化に中耳がついていけません。だから、標高のアップダウンの激しい岐阜県内の中央道を、僕としては珍しく制限速度で走っていました。
追い越し車線を、車列が次々と追い抜かしていきます。やがて、前にも後ろにも、一台も姿が見えず、僕の車だけになってしまいました。僕は自分の車のヘッドライトだけを頼りに、車を走らせ続けました。

ほどなく、後ろから一台の車が追いついてきました。その車のヘッドライトが妙にまぶしいのです。最初はハイビームを浴びせられているのかと思いましたが、僕の走っているのは走行車線です。遅いと思うのなら抜いていくのは簡単です。
その車は僕の車の背後にぴたっとついて離れません。ルームミラーが眩しいのは激しく迷惑ですが、ぶっちぎるというのは遅く走っている主旨に反します。そこで、僕は速度を落とすことにしました。70キロ・60キロ・・・50キロ。これ以上下げると速度違反というところで、ようやく抜いていってくれました。

車は国産の白いワンボックス。よくフロントグリルに青いLEDとかを仕込んでいる車種です。そのヘッドライトが、ハイワッテージバルブに取り替えられていました。
多分オーナーは、ヘッドライトが暗く感じたので、一番明るいやつに取り替えてみたのでしょう。でも実は、暗いのはランプのせいじゃなく、光の反射の設計が悪くて、光が散らばってしまうからなんです。バルブを明るくしてみても、まぶしい光を撒き散らす車になるだけなんだけれど、眩しいことがカッコイイのでしょうか。

今度は順序を入れ替えて、僕の車が後から続きます。前が明るくて、なかなか具合が良いです。トンネルに入ると、宮崎アニメで車や飛行物がトンネルを通過していくシーンみたいで、なんか感動しました。

でも、この御仁。ドライブには不慣れらしく、後ろから付いていくのが不安になるような蛇行ぶりです。幸いなことに、後ろからトラックがやってきて、宮崎アニメ君はその後ろにくっついて、先に行ってしまいました。

この日も追突事故の渋滞が二回ありました。安全運転以前に、安全な車を作って欲しいものですが、まあ車も商品だから売るためには何でもありなのが実情。


2004年05月13日(木) 商業主義2

そういえばフィリップ・K・ディックの小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』が、ブレードランナーという映画になったとき、喜んで映画館に見に行きました(古い話だな)。かっこいい映画に仕上がっていて、生涯名声とか富とかと関係なかったディックが完成を待たずに死んでしまったのはつくづく残念だなと思いました。
しかしこの映画、エンディングが改作されていて、思わずスクリーンに向かって「ばかやろう」と叫んでしまいました。原作の「人生そんなに選択肢もないし、生きていくのは辛いけど、でもやっぱり生きていくしかないんだよなぁ」という、ディック自身の人生と重なるかのような「生きていく切なさ」が良かったんですが・・・。
商業ベースに乗らないものはプロの作品とは呼べないけれど、商業主義のにおいがぷんぷんするのは好きになれません。

悪天候の中、集まってくれた仲間に感謝。皆さんが来てくれないと大変だったんですよ。
実は昨日休んだせいで、今日出張に行かざるを得なくなっちゃっていそうで、出社するまでひやひやだったんですが、それは無事明日で良いことになって、ほっとしたものです。
なかなか笑顔で「ありがとう」と言えるまで回復してません。

最近「健康ブームで乙種の焼酎が人気」なんだそうで、ネットオークションで「森伊蔵」の偽物が売られて摘発されたりしています。「百年の孤独」なんかも売れているのだそうです。十数年前、まだ酒を選んで買う楽しみが残っていた頃、「百年の孤独」は結構好きで飲んでいました。部屋にビンがゴロゴロするぐらいに。

そんな話から、いきなりガルシア・マルケスの『百年の孤独』が読みたくなって、アマゾンで注文してしまいました。近年改訳があったので、読みやすくなっていると期待しています。「百年の孤独」を飲んでいた頃、友達から借りて、読もうと努力したのですが、根気が尽きて読みきれなかったのです。「族長の秋」は面白く読めたのですが、当時の酒代のために古本屋へ売ってしまいました。

受注がないまま会社が息絶えてしまい、フリーランスで仕事をするという事態を覚悟していたのですが、今週は急にいくつかのオファーがありました。ボーナスは期待できないけれど、会社はしばらく持ちそうです。中国市場機軸の景気回復なんて、本当にあるとは思いませんでしたが・・・まあともかく、神様は僕が時間にルーズな生活をするのを許してはくれなかったようです。


2004年05月12日(水) 商業主義

一ヶ月の静養が必要という診断書で学校をお休みしてしまった、長女の学校の先生ですが、やっぱりうつ病だったそうです。
僕も診断書は医者に書いてもらったことがあるんですが、この「一ヶ月」にはあんまり根拠はありません。どんなに経験深い医師でも、うつ病者がいつになったら回復するかなんて判りはしないそうです。本当だったら半年とか一年とか書きたくても、それは本人の社会生活に差し障るのでかけませんし、それで悲観的になられても困ってしまいます。
飲みだした薬が効くのに大体2〜3週間が目安ですから、+αで一ヶ月というのもあながち根拠なしとは言い切れません。でも中には本当に心の風邪みたいなもので、一週間でけろりと良くなる人もいるわけで、診断書の期間なんて、手相見の予言と似たかよったかだそうであります。でも手相より高いですね。
教員も余ってはいないようなので、代わりの先生が見つからず、三月に退職した元担任の先生に代役を頼むとか。みんなで、泣きながらお別れしたのにね。

有給の過ごし方として適切であったかどうかは疑問ですが、「ちょびっツ」の原作のコミックスを読破しました。僕はアニメの方を先に見たので、いくつか疑問が残っていました。「なぜ、ちぃはゴミ捨て場に捨てられていたのか?」「第一話でゴミ捨て場に忘れ去られたMO風のディスクの中身は?」という、関心がない人にはまるで関心がないであろう僕の疑問も、原作ではきちんと種明かしされていました。
あるブログで、作者CLAMPの築いた世界観が、アニメ化によって無残に壊されているのはなぜか? みたいな話があって、もちろんネタバレの無いように、詳しいことは伏せられていたのですが、僕も原作を読んでみて、こりゃ原作→アニメの順に見た人は残念に思うだろうなと思いました。
まあ、雑誌用のマンガと、週一放送用のアニメでは、製作コストが桁違いです。それに雑誌の倫理コードと、テレビの倫理コードは違います。例え放送枠が深夜であって、DVDの購買層が成人したむさくるしいオタッキーに限られるとしても、テレビ番組は健全でないといけないのでしょう。それにより低い年齢層に売るためにも・・・でも、そういう商業主義で作品の世界観まで変わっちゃうのは悲しいです。

以前にハリウッドの映画のDVDは安いのに、アニメのDVDが高いのはなぜか、という話が掲示板でありましたが、アニメは売れる数が限られているので、製作コストを価格に転嫁せざるを得ないのだとか。転嫁されても平気な、シングルでリッチなヲタ層が市場を支えているのだね。僕は2年遅れで、レンタルで借りて見てるだけですが。

そういえばWinnyの作者の47氏がタイーホされました。東大の講師に雇われていたと聞いて「やっぱそれぐらいの才能がないとなー」と、二流の自分と比べてちょっとうらやましかったです。でも思想犯だとは思わなかったな。

早くも「すすむなんて呼ばないぞ」宣言を頂いております。


2004年05月11日(火) 襲名?

えー、本日よりひいらぎ改めまして「すすむ」にさせていただきます。
お察しのとおり、本名の下半分です。
変更の理由は、最近の東京近辺での一部の潮流にあわせたというところでしょうか。流行に弱い僕であります。メリケン風ですね。
「浸透には時間がかかりますよ」と、同じようにニックネームを変えた方からは言われます。僕自身、ニックネームを変えた人を「昔の名前」で呼んで平気な顔をしていたりします。名前なんてビンに貼り付けるレッテルのようなものだと思っているのですが、年月はビンとラベルの間の糊を固めるようであります。
そういえば昔、仕事で電話したときに、相手の女性から「名前が変わりました」と言われて新しい姓を教えられたので、てっきり勘違いして「ご結婚ですか、おめでとうございます」と言ったら、「逆です。離婚です」と冷たく切り返されたことがありました。
最近は、結婚した女性が旧姓のまま仕事を続けるのも珍しくなくなりました。
(谷亮子って誰かと思ったよ)。

ビッグブックからの引用を使って病気の説明を試みた「アルコール依存症という病気」と、「自助グループのススメ」を追加しました。見た目はあまり変わっていませんが、年に一度の大変更であります。
ホームページ(いわゆるトップページ)から「長野」の単語が減り、「アルコール依存症」と「自助グループ」の単語が増えているのは、Googleに対する実験です。

郵便貯金の暗証番号が書留で来ました。毎月こつこつ小額を貯めてバースディ献金をするのは、毎月小額の個人献金をするのと変わりないのかもしれません。でも、貯金は簡単だけど、振込みは時間がかかるんですよ。毎月になおせば振込み手数料もばかにならないぐらいの額でしかありませんし。感謝してるふりぐらいさせてください。

今月下旬が有給休暇の支給日で、ウチの会社は有給の繰り越しがないので、一日でも消化することにして明日は休みを貰いました。でも正面切って「有給ください」と言えなくて、医者に検査に行くことになっていたりします。


2004年05月10日(月) ドドソソララソ

実に間抜けなことに、7年のメダルを注文してしまいました。
返品してもしょうがないので(できるのか?)、取っておくことにしましょう。そのうち7年になる仲間もいることですし。
今夜注文のFAXを送ったから、あさってには届くでしょうか。

今日はプログラマーとして恥ずべき失敗をしてしまいました。プログラムというのは人間と違って何度同じことをやらせても文句を言いません。先にへこたれるのは人間のほうであります。だから、できる限り根気よく、さまざまな入力を与えて動くのを確かめるのが良いプログラマーであります。
「動くはずです」ではなくて「動きました」と言える物を差し出せ、と新人には口をすっぱくして言ってきた自分ではありますが、なぜ口をすっぱくするほど言わねばならないかというと、それが守られないからであります。そして僕もその例外ではありません。
先週の木曜日に送ったソフトは、「これだけ机上で見たんだから、テストしなくても大丈夫」とタカをくくって送ったものでした。今まではそのソフトは問題なかったのです。でも、今回はついにジョーカーを引いてしまったようで、電話がかかってきてしまいました。
同じ職場の人間に「どうした?」と聞かれたので、「未テストのソフト送ったら、動かねーって」といったら馬鹿にされ、その原因がまた超初心者的だったので、また馬鹿にされてしまいました。でも、まったく反論できません。
で、これで懲りるかというとそんなことは全然ないんです。

下の子がピアノのおもちゃを弾き始めました。ドドソソララソばっかり弾いているので、なんとなく幻聴を聞いているような気分です。


2004年05月09日(日) One day at a time

『星の瞳のシルエット』ですが、別巻も含めて全部手に入りました。ご心配を頂いた方、ありがとうございました。誤解が誤解を呼んで、愛する二人が延々とすれ違いを続けるという、昔風のストーリーです。
これが連載されていた当時の「りぼん」は100万部以上を売り上げる巨大雑誌でした。いま思えば健全なマンガであります。最近の少女マンガは、男女が親しくなるとたいていセックスをすると相場が決まっております。同じ年代がターゲットと思われる少年誌では、セックスを扱うのはタブーになっていて、しかも読者の多くは成人であります。
「冬のソナタ」も誤解が誤解を呼んで・・というストーリーは、典型的な(昔の)少女マンガであります。見ている層も典型的な(昔の)少女たちなのでありましょう。

8年前の5月9日。僕は精神病院を退院しました。AAでは入院期間中はソブラエティに数えない風習であります。DSM-IVでも、入院期間中の診断名には「管理された環境下における」という枕詞がつきます。入院期間を数えないのにはそれなりの意味があるのでしょう。
この日は木曜日だったので、翌日金曜日は仕事を休ませてもらい、土曜日11日にホームグループのミーティングに出ました。仕事は翌週の13日からです。
最初は9日をバースディにしていたのですが、そのうち気が変わって「退院後に初めてAAミーティングに参加した日」つまり11日にしています。
それは、退院後半年ほどミーティングに行かなかった人が、ミーティングに戻った日をバースディにしているという話を聞いたのが契機になっています。「自分にとってAAプログラムが始まったのは、その日やねん」と言われ、それはそうだよなと納得してしまった次第です。

ずいぶん長かったようで、まだたったの8年かというのが正直な感想です。あれからずいぶんいろんなことがありましたが、今日一日の生き方に変わりはないつもりです。

体調不良を理由に田植えはサボってしまいました。こりゃ秋は大変だ。


2004年05月08日(土) 変化

ホームグループのミーティングをやっているのは村の公民館であります。
昨年は利用料の減免申請というのが認められ、会場費を払わなくて済んでいました。また1年間を経過したということで、毎回予約をしなくても会場を使わせてもらえるようになっていました。けれど、今年から減免団体の規則が変わったようで、村民が5名以上参加していることとか、各種会計書類の提出とか面倒なことが増えてしまいました。
昨日届いた封書には、減免は却下と書かれていました。会場費を払うのは仕方ないけど、毎回予約しなくちゃいけないのは面倒です。ま、いたしかたありません。使わせてもらえるだけ良しとしましょう。

ここのところ二日ばかり、夕方西の空を眺めているのですが、天気は下り坂らしく、雲に覆われて彗星の姿は見えません。

子供の学校の先生が、4月で変わったのですが、この先生が「1ヶ月の休養が必要」ということで休んでしまいました。もともと養護学校畑の長い先生で、「元気が一番」という教育方針だったそうなのですが、やっぱり一般学級のお母さんたちの要求は違うようで、「騒いでいる男の子を静かにさせないと勉強に集中できない」とか「毎日宿題を出してもらわないと困る」とかいろいろクレームがでてしまったようです。
新しい環境に慣れずに、精神的に参ってしまったのでしょうか。学校側は病気については何もいいませんが、うつ状態だったら、まず何よりゆっくり休んで欲しいものです。


2004年05月07日(金) さっさーと駆除しませう

またウォーム型のウィルスが蔓延しているようで、僕のメールボックスにも毎日数通ずつやってきます。ノートン博士が削除してくれています。
このウォームは差出人を詐称するようで、例によって送った覚えのないメールが「あて先不明」で送り返されてきたり、「あなたのパソコンは感染している」という身に覚えのない警告を受け取ったりしています。
このウォームは、Internet Explorerのキャッシュも漁るようですので、「心の家路」を見てくださっている方が感染した場合には、そのページの下部にある僕のアドレスも収集・利用されてしまうわけです。
感染しているかどうかは、こちら のページの最下段「検索画面を表示する」を使ってみてください。もし感染していた場合は、駆除ソフトは こちら で配布されています。

郵便貯金の暗証番号を忘れてしまった(間違えて覚えていた)ので、番号紹介を出しました。一週間から10日後くらいに書留で教えてくれるそうです(金は取られませんでした)。
バースディケーキを注文しました。

あさっては田植えの日ですから、朝寝できるのは明日だけ・・・と思っていたら、連休の関係か、なぜか土曜日が破砕ごみ収集の日なのでした。ぶう。


2004年05月06日(木) 小便臭い

先日一日一家で出かけて帰ってきたら、我が家としているアパートの一室がすごく匂いました。「動物臭かった」ので、たぶん原因は飼っているモルモットでしょう。
モルモットは一日に200mlのウォーターボトルを飲み干すぐらいの水分を摂ります。そして、同じだけの量のおしっこをするわけです。最初は何の音かと驚いたぐらい、強い勢いで「ジョー」とやらかします。ケージの一番下に敷いた新聞紙は毎日取り替えているのですが、その上のスノコはそう頻繁には取り替えられません。
それから、運動させるために一日1〜2回、キッチンに放して散歩させているのですが、どこか隅っこに入り込んで、そこで「ジョー」とやらかしてます。気がついたときはトイレットペーパーで拭くんですが、気がつかないまま乾いたのもたくさんあるんでしょう。

普段自分たちが、このにおいの中で暮らしているのに気がつかないとは・・・。思わずファブリーズを買ってきたくなるような強さです。一日閉め切っていたのでなおさらでしょう。でも、もっとも30分もしないうちに気にならなくなってしまいました。嗅覚は同じ刺激にはすぐに鈍磨してしまいます。他人の家の生活臭が気になるのは、誰しも同じでしょう。逆に自宅のにおいは、気がつかなくても意識下に働きかけて「我が家の安心感」(とか不安感とか)を作り出しているのかもしれません。

独身時代タバコを吸っていたとき、銭湯から帰ると自分のアパートが強烈にタバコ臭かったのを覚えています。後半はたぶん、たまらなく酒臭かったのでしょう(その他の異臭もたくさんしたでしょうが)。
ヘビースモーカーが近寄ると、タバコの臭いがします。飲んでいるアル中は、もちろん酒臭いです。肝臓や腎臓が悪いと独特の匂いもします(甘臭いような)。
もしかすると、モルモットのにおいは洗濯物にも染み込んで、今の僕は「モルモットの小便臭い」のかもしれません。まあ、酒臭くないってことで勘弁していただきたいです。


2004年05月05日(水) 黄金週間の終わり

ゴールデンウィーク中は、とりあえずやりたいことはかなりできました。

実は前半は、「あれもやらなくちゃ、これもやらなくちゃ」と結構パニックになっていて、「やらなきゃならないこと」をリストに書き出そうかと思ったぐらいです。そうして、リストに優先順位をつけ、その先頭から順番にこなしていこうと真剣に思ったものです。
ああ、なんて有意義な休暇の過ごし方なのでしょう。

「そうやってリストを作ったら、そこから3分の2を削る」

というのが、たしか『どうやって飲まないでいるか』にあったような気がします。たとえばAAのある分野について、連休前は「4つのことを片付けたいし、片付けるべきだ」と考えていたのですが、実際に手を着けたのは二つだけです。あとの一つは、8月までに片付ければいいことだと判りました。そして、残りの一つは、もはやそれが何だったのかも思い出せません。

他のことも同じようなもので、何がやりたかったかも忘れているのが大半です。

今日は、このサイトのリニューアルの準備をしていました。アルコール依存症について、ビッグ・ブックからいくつかの引用をしながら、説明をしてみようという試みです。引用については、JSOに連絡して許可を貰わないといけませんが、おそらく許可はもらえるのではないかと信じています。
依存症の説明の文章を書くのが目的なのですが、ビッグブックの一部を紹介することで、その本を読んでみようという人が増えてくれるという副次効果も期待しています。

連休前までは実際に使っていた石油ファンヒーターを片付け、扇風機を出しました。別に扇風機は出す必要は無いのですが、扇風機とファンヒーターは押入れの中で同じ空間を共有できないので、仕方がありません。

先月から騒いでいた『星の瞳のシルエット』ですが、オークションで無事落札しました。
明日は、春のラウンドアップの料金の振込みをします。でも、今月給料が出なかったら行きません。
自分のバースディ・ミーティングの、ケーキを予約しないといけません。あ、メダルも注文しとかないと。


2004年05月04日(火) オフコース・AA・イズ・カルト

ふと考えたのですが、人を「無条件降伏」にまで追い込んでおいて、その精神状態に対して「ほらこの手段なら助かりますよ」とやる点では、AAもカルト宗教も変わらないのじゃないかと思います。

もちろん、人を追い込むのは「酒」であって、自助グループでもなければ、医者でも家族でもありません。でも、「もう一度彼が酒に打ちのめされるまで、自由にやらせてみようじゃないか」とか言って、ほったらかしておくのがAAのやり口です。
そして、「もうえり好みができないことは分かりました。煮るなり焼くなり好きにしてください。助かるんなら何でもします」(ここまで塩らしいせりふを言いながらAAに来る人はいませんが)という状態になってから、ゆっくりと「ステップ」でもって調理するわけです。

これで、AAという団体が「不浄の財産を喜捨して出家しなさい」とでも言えば、完全なカルトであります。でも、AAメンバーはAAになかなか金を出しません。

しかし、「出家信徒みたいな連中が偉そうにあがめられている」と言われると、一概には否定できない面もあります。ホーリーネームみたいな変な名前を使ってるし。「12のステップは社会復帰のステップだ」とか言いながら、社会復帰どころか人生がAAになっている連中ばっかり目に付かないか? と問われれば、そういう面もあります。

あえて反論させてもらうなら、そうした「出家信徒的メンバー」は、老若関係なく何らかの理由で、社会通念的な欲を捨てざるを得なかった人々なのです。社会の中で一定の地位を占めるとか、財産を築くとか、まばゆい家庭を持つとか、そうした価値観での幸福の追求を、もはや望まない(望めない)人たちが多いのです。

また、AAというのは入るのも出るのも自由なのです。そして、飲まない生活を成し遂げた人のかなりの部分が、数年のうちにAAから出て行ってしまうのは事実です。歴史の長いアメリカのAAでは、彼らもいつかは戻ってくることが経験として知られていますが、日本のAAはまだそこまで歴史の積み上げがありません。

出て行くならご自由にどうぞ、というのですから非カルトであります。でも残った人間がカルトっぽさを出しているのかもしれません。するってーと僕は在家信徒かな。でも、AAの人間てのは俗っぽくてバタくさくて宗教的でないし、組織だって行動するのが苦手でカルト的なこともまるで出来そうにありません。

AAをカルトだという人間は、実際にAAを見たことがないのでしょうね。


2004年05月03日(月) Raison

水族館の疲れが残る中、それでも峠を越えてミーティングに行ってきました。
そうやって自分のではないミーティング会場に通う理由は、単に「飲まないで生きる」だけという以上に、いろいろな理由が増えてきています。例えばAAの中においても、人間関係は「ギブ・アンド・テイク」であることを理解したのも理由です。
「与えられるよりは、与えることを」というほど純粋な理由で行動できればいいのでしょうが、残念なことに(?)僕は聖人ではありません。自分のグループのミーティングに来てもらえば、やっぱりその人のグループを訪れておきたくなるものです。「貰いっぱなし」というのは、なんとなく居心地が悪いし、怠慢を理由に人間関係が切れてしまって後悔する自分も嫌だからです。
それは悪く言えば「浮世のしがらみ」なのかもしれませんが、AAは別に俗世を離れて存在してる信仰の塔ではありません。まさに俗っぽいところです。
思えば、飲んでいた僕は「与えられること」ばかりを望んでいたし、「与えること」をしていたとしても、その裏にはそれ以上の見返りがあることを期待していました。超俗的な世界に自分が属することを望んでいながら、それ以前に俗世という地面に足を着けて立つことすらままなりませんでした。

疲れた身体を引きずってミーティングに通うと、一年目のころを思い出します。肝臓が悪かったせいか、いつでも身体が疲れてだるく、睡眠が安定しないせいで眠く、たいした仕事をしていないのに夕方には疲れ果てていました。
ミーティングの帰り道は、まぶたが閉じそうになるのをこらえて車を運転していました。そうまでしてミーティングに行く理由は、「薬を飲む」理由とよく似ていました。

今僕はSSRIという薬を飲んでいます。薬が効く理由は、それが脳内でセロトニンの再吸収が阻害する作用をするからです。でも、なぜセロトニンの再吸収を阻害すると、うつに効き目があるのかというのは、誰にも答えられない疑問であります。根源的な疑問は解決されないけれど、それでも僕はSSRIを飲んでいます。

ミーティングに通うと、なぜ飲まないで生きていけるのか、その理由を明確に説明してくれる人はいません。それでも僕はミーティングに行っています。

ミーティングに行く回数は以前より減りましたが、行く理由は以前より次第に増えています。


2004年05月02日(日) 子供は天ムスのファンになりました

車のCMではないけれど「モノより思い出」というわけで、家族で水族館に行ってきました。
京浜方面ではなく名古屋を選んだのは、道路がすいているからという単純な理由です。下の子は水族館の隣の遊園地の観覧車を見ただけで喜んでくれたので、4時間のドライブをしたかいがあったというものです。

水族館は入るとすぐ巨大なシャチが出迎えてくれるという演出に富んだものでした。イルカのショーも楽しかったのですが、ついついイルカそのものではなく、正面に投影されたスクリーンに目が行ってしまうのが悲しいところ。これじゃテレビで見てるのと変わりません。(そういえば東京ドームの喫煙室でモニターを眺めながら観戦している人々は、家でテレビを見ているのと感動の種類が違うのか疑問に思ったことがありました)。
暗闇の中を泳ぐベールガの一匹は妊娠しているという話でしたが、やっぱり哺乳類だからおなかがでているのがそうなのかな。
楽しかったけれど、人が多すぎて疲れてしまい、全部は回れませんでした。

本当は遊覧船に乗る予定だったのですが、大観覧車の迫力に負けて遊園地で時間を使うことになりました。観覧車の中で立ったり座ったりすると観覧車が揺れるので禁止としました。それから下のほうを回っているときより、上のほうを回っているときのほうが、時間がゆっくり流れている気がするのですが、特殊相対性理論と関係があるのでしょうか? 生まれてはじめての観覧車でしたが、二度と乗るのはごめんです。

行くときは名古屋高速3号大高線から名四国道で、帰りはその逆行の予定だったのですが、気がつくと夕暮れの中、なんだか見慣れぬ風景を走っていました。
「パパ、椰子の木が生えてるよ」
「ああ、あれはね、ソテツといって椰子とはちがうんだよ」
おかげで知多半島の先端まで行かずにすみました。

これで、「AAだから」という理由で留守にしても、しばらくは不満が出ずにすむでしょう。


2004年05月01日(土) 惣領冬実のマンガに一伍くんという登場人物があったな

金曜日は、子供たちは学校や保育園があったので、昼間もゆっくり寝ていられました。調子に乗って金曜の晩も夜更かしをしたら、今朝は早々にたたき起こされてしまいました。おかげで睡眠不足であります。

昨年の春にプランターで買って来たイチゴですが、収穫できたのは2個ちょっとでした。夏に伸びたランナーから子株を作り、全部を地面に下ろしたのが秋です。冬場は「雪捨て場」になる場所なので、3月に見たら全部の葉っぱが「しおしおの茶色」になっていたので、今年の収穫は諦めていました。
けれど、植物とは強いものです。聞き覚えたとおりに枯れた枝葉を処理して日が当たるようにし、水を定期的にやっていたら、どんどん新しい葉が出てきました。十数個の花が咲いていますから、今年は収穫が期待できそうです。秋にはまた子株を取り、移植もやって、狭い地面をイチゴで一杯にする野望です。

夕方から地区委員会。秋のラウンドアップを控えて、30分時間を拡大してやっています。
会場になるホテルとはもう契約も済んでいるので、これからは中身を決めていくだけです。そんなにいつもと違わない、普段どおりのラウンドアップになるような気がします。とは言っても、僕はいままで4回しかラウンドアップに行ったことはありません。群馬の赤城山・箱根・昨年の山梨、それに前回99年の長野です。今回は10月の3連休です。
怖いのは、子供の運動会と重なる可能性なんですよね。と思って、調べてみたら、保育園も小学校も重なっていませんでした。よかった。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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