心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」

たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2004年04月30日(金) ゲインライン突破

AAって、ラグビーで言えばフルバックのような役割かな〜と思ったことがあります。
いろんな人の働きかけがあっても、止まらなかったお酒。ゲインラインを次々突破されてきたボール。ゴールラインとの間に残った最後のディフェンダー。ゴールライン手前でようやく止まったという人も多かったのではないかと思います。
でも、最近は「地獄の10年ないし20年」を通過しない人も増えてきた気がします。

ちょっと遠くのミーティングまで出かけました。そういう機会に、古本屋をまめに当たっています。『星の瞳のシルエット』の揃いを探しているのです。しかし20年近く前のマンガは商品価値がなくなってきているのでしょう。店頭から消えつつあります。不ぞろいのバラが棚に残っていたので手にとって見ましたが、それほど感慨深いものじゃありません。けど欲しいものは欲しい。

国道を走行中、左側の居酒屋の駐車場から出てくる車がありました。反対車線からはその居酒屋に入ろうという車が、後ろに運転代行業者の車を引き連れて、ウィンカーを出していました。その後ろには長い車の列ができていました。
駐車場完備の居酒屋の存在もどうかと思いますが、その問題は置いておきます。代行を引き連れているのは、二軒目をはしごする人々でしょうか。
僕が車を停めると、まず左から車が右折していき、次に反対車線から車が駐車場に入ろうとしました。その時です。ルームミラーにバイクのヘッドライトが映り、「ビィーン」と加速する音が聞こえました。(あ、ぶつかる)と思った瞬間、僕の車の左脇をすり抜けようとした原付は、駐車場に入る車のどてっぱらに「どん」と音をたてて突っ込みました。
原付は加速中だったので、そんなにスピードは出ていませんでしたが、運転していた若者は車のCピラーにぶち当たって投げ出されました。
自分で立ち上がっていたので、生命に別状はないでしょうが、左手を押さえていたので骨折ぐらいはしているかもしれません。

それで僕はどうしたかですって? 代行の二人が車から降りて、車道に転がったバイクを片付けてくれたので、そのまま帰ってしまいました。途中救急車とはすれ違わなかったので、たいした怪我ではなかったのかもしれません。

自分が車両事故にあわないのは、運転がうまいからじゃなくて、単に幸運が続いているからだとは思います。


2004年04月29日(木) GW初日

「えんぴつ」の投票ボタンを削除しました。

結構、数多くの皆さんに投票ボタンを押していただいたのですが、結局のところ投票ランキングからこの雑記にやってくる人は、ほとんどいませんでした。数はゼロじゃないので、続けていけば何かの効果はあるのかもしれませんが、皆様にボタンを押していただくという労力に比べると、その成果が少なくて「費用対効果比」が悪すぎると判断したからです。
それに、あの日記とランキングを争っているのは実に虚しいものであります。

長岡に行く予定でしたが、別件で回避となりました。

連休中は僕のルーチンのミーティング場はすべてお休みです。逆に言えば、どこに行っても自由というわけです。しかし、怠惰な人間に自由を与えると何もしない典型で、放っておくと僕はどこにも行かないでしょう。

せっかくのチャンスだから、山の向こうのまだ行ったことのないミーティング会場に行ってみたい気もするのですが・・・。


2004年04月28日(水) オイル交換における金銭的失敗の諸相

『星の瞳のシルエット』を思い出してしまったので、B○○K ○FFに買いに出かけました。しかし、10年以上前の少女マンガはほとんど存在していません。セットもので美品を買いたかったのに、バラの汚本しかなく、しかも欠けた巻もあるので、買うのを諦めました。本気で入手を考えるならヤフオクでしょうか。

去年の夏の車検の時にエンジンオイルを換えてもらってから、一度もオイル交換をしていませんでした。ディーラーで換えてもらうと意外と高いので、久しぶりにカー用品店で交換してもらうことにしました。

高いオイルを長く使うよりも、安いオイルを頻繁に変えたほうが良いものです。そこで一番安いオイルを選ぶことにしました。車の説明書によれば、必要なのは約6リットルです。ところが安いオイルは4リットル缶しかありません。高いオイルだと6リットル缶もあれば、1リットル缶もあります。でも、高いオイルは要らないのです。
どうやっても4リットルを2缶買うしか方法はありません。
オイルフィルターを選び、ついでにワイパーブレードも交換することにして前後3本を買い、交換工賃を支払ったら、全部で一万円を超えてしまいました。

「オイルだいぶ余ってますが、どうしますか?」とピットの工員に聞かれましたが、「捨ててください」と言っておきました。取っておいても、次の交換時期までには酸化してしまいます。余らせてしまったオイルのお金を考えると、決して安く済んだとは言えません。次からは、素直にディーラーで交換してもらうことにします。

セルフのスタンドで2円値上がりしたガソリンを満タンにし、洗車をして帰りました。
僕のゴールデン・ウィークは始まったばかりです。


2004年04月27日(火) ひいらぎとの出会いと別れ

24才か25才のときだったと思います。当時はまだインターネットは日本にはなかったので、パソコン通信の時代です。ネット上で僕は「suzune」と名乗っていました。これは川原由美子という人が描いた『前略・ミルクハウス』という10巻のマンガの登場人物(男性)の名前で、この名前を選んだのは、単に考えるのが面倒だったからです。
そのうち、この涼音という名前でパソコン雑誌に記事を書く人物が現れ、ネット上で混同されることが増えました。僕はやむなく、ハンドルネームを変更する必要に迫られたのです。

「suzune」を選んだときと同じように、本棚を眺め「hiiragi」を選びました。これは当時 『星の瞳のシルエット』という10巻のマンガが本棚に並んでいたからです。この作者(柊あおい)の別の作品『耳をすませば』は、後にスタジオ・ジブリで映画化され、さらにその作中作『猫の恩返し』も映画化されています。

酒井美羽のマンガにも「柊」が姓の登場人物が出てきますが、当時の僕は「柊」という姓が実在するとは夢にも思いませんでした。

日渡早紀のマンガ『僕の地球を守って』にも「ヒィ=ラギ」という登場人物が出てきます。

ようするに僕は少女マンガおたくであったわけです。そしてヲタ友たちには「なんと安直な選択」とからかわれたものでした。

31才のとき、僕は初めてAAグループというものと出会います。その時そのグループのメンバー全員がニックネームを名乗っていました。そこで僕は、何も考えずに「ひいらぎ」と名乗ったのです。以来僕はAAのなかで「ひいらぎ」であり続けたのです。

ゴールデンウィークが明けると、僕が病院を退院した日がやってきます。無事その日がきたら僕は、ひいらぎであることを止めて、本名の下の名前を名乗ることにします。物事はシンプルなほうが良いからです。

「ひいらぎ」はもともとネット上の人物です。僕が「ひいらぎ」であることを止めても、彼はネット上のどこかに存在し続けるのかもしれません。彼が依存症について語ることはないでしょうけれど。


2004年04月26日(月) ウィーンは君を待っている

とても疲れた状態で会社のデスクに座っていました。
今日やった仕事といえば、先週木曜日に一日で13ページ書き上げた粗製濫造の書類を、みんなに回覧してチェックしてもらったこと、それをFAXしたこと、5部コピーを作ったこと。そして、会社のホームページを一ページ仕上げたことです。
自分がなぜ、ここに座っているのか、疑問を持ってしまいました。

(ウィーンは君を待っている)

はて、ウィーンとは何のことだったのか。
今月も無事給料が出ました。喜ばしいことであります。僕は、給料が出なくても働くほどお人よしではありません。しかし、労働は「苦痛と金銭の等価交換」ではありません。働くからには、金銭以上の何かが必要です。

(ウィーンは君を待っている)

心をかすめる、この言葉はなんだろう。

先日のオープンスピーカーズの記事は、翌日の新聞には載らなかったのですが、翌々日の火曜日の紙面にタブロイド版の3分の1ほどの大きさの記事になっていました。

(ウィーンは君を待っている)

だからウィーンて何なんだよ!

椅子に座っているという仕事を終え、いつもとは違うAAミーティングに行こうと立ち上がったときでした。携帯電話が鳴り、地元の週刊新聞からAAのことを記事にしたいという話が舞い込みました。時間がないので、取材は29日に電話で受けることになりました。
29日は長岡に行く日でしたが、こちらを優先させることに決めました。

峠の登りは遅いトラックに阻まれて、ちっとも道がはかどりません。トンネルに近づいたころに、一通のメールが携帯に着信しました。それを見て僕は気が変わり、アクセルとブレーキを同時に踏み込んで、無理やり車を180度回しました。

市内に戻っていつものミーティングに出て、そして家に帰って、新聞社に送る封筒を整えました。僕は第一にその時間が欲しかったのです。他にも欲しいものはあり、それらもそれなりに満たされました。
自分の心に率直に耳を傾けられなくなったら、それは疲れている証拠なのでしょう。何をしたいのかも分からなくなったら、自分に素直になるにこしたことはありません。
今日という一日が過ぎれば、人生の終着駅も、一日近づくのですから。

ウィーンは君を待っている


2004年04月25日(日) ビバ・輪番制

大阪でのAAのサービス・フォーラムへ。

今回はパソコンを持っていかないことに決めていました。触るパソコンがなければ、腕の炎症も少しは癒えるだろうという考えです。高速バスに5時間も乗ると、さぞかし飽き飽きするだろうと思っていたのですが、行きも帰りも寝ている間に着いてしまいました。

サービス活動とは、AAを維持し、それを伝えていこうとするすべての行動を含んでいます。

会場は熱気に包まれていました。この熱気が一部のメンバーのものに過ぎないのは残念なことに思います。でも、じゃあ僕が毎年このフォーラムに参加するかといえば、毎年は出ないだろうなという気がします。

家族もちはサービス活動をするなと言う気はありませんが、ステップの12に書かれているように、(家族に対する義務からは解放されているがゆえに)「素晴らしいサービス活動を展開できるのは、独身のAAメンバーの特権」であるからです。

残念ながら僕はその特権には恵まれていません。それはそれでよいのだと思います。
何らかの理由で家族を持たない人たちが、自分の時間をAAのために継続的に捧げています。その捧げ方はさまざまですが、そういう人たちの存在にAAは大きく依存しているのは事実です。

AAのサービスは輪番制です。どんなに「やりたがり」の人でも、任期が終われば椅子から放り出されます。どんなに嫌々やっている人でも、時期が来れば開放してもらえます。


2004年04月23日(金) 回復

仲間のバースディミーティング。女性なので花束をプレゼント。
前回よりも花屋さんを訪れる人の数が多かったのは、やはり月曜日と週末の違いでしょうか。年配の女性や若い男性が花を買っていきます。人はなぜ花を買うのでしょうか。切花なんて、楽しめて数日なのにね。自分でもなぜ花を贈っているのかわかりません。自分はわからない男であります。

仲間から電話があって、看護学校の生徒さんたちにAAを紹介する授業の機会を貰ったのだとか。ついでに付属の図書館にAAの本やパンフレットを結構たくさん買ってもらえたのだそうです。やはり、認めてもらえることは嬉しいことなのでしょう。「良かったですね」と言っておきました。
こちら には、「正しく評価されないのが当たり前である」とあります。それはつまり、正しく評価されたいという欲望が誰にでもあることを示しているのでしょう。そして、良い評価を得たときの心の高揚は、とても心地よいものであり、悪い評価を受ければとても残念なのでしょう(当たり前か)。
だからこそ、正しく評価されなくても自己憐憫に浸るな、腐るな、怒るな、それで当たり前なんだということなんでしょう。

1年目のバースディの時は、なんと言っても自分が嬉しいです。でももう少し時間が経つと、自分のバースディよりも、仲間の(1年とか2年の)バースディのほうが喜びが大きくなります。本当に良いことが起こったのだと思えてきます。
飲んでいたころ、他人の幸せを妬んでばかりいたアルコホーリクが、人の幸せを喜べるようになる。これが回復でなくて、なんでありましょうか。

自分が何年経ったかは覚えていても、仲間が何年経ったかはうろ覚えです。仲間のバースディは早くやってくるのに、自分のはなかなかやってきません。


2004年04月22日(木) 3万訪問御礼

ホームページ最下段に設置してあるビジターカウンターが3万を超えました。

数字が増えるのは、なんとなく嬉しいです。注目を浴びたいという欲望が満たされるせいでしょうか。
でも一度カウンターが壊れて、いきなり88万になったときは、あまり嬉しくありませんでした。2万4千近くまでいったのに、1万5千まで戻ってしまったときは、こころに隙間風が吹いた感じがしました。
まあともかく、壊れやすいカウンターなんで、そのたび「だいたいこれぐらいの数字じゃないかな」と設定しなおしております。だから、3万といっても正確さはまるでなくて、ただの目安に過ぎません。

訪れてくださる方々に感謝です。誰も見てくれなかったら、ウェブサイトの維持ってとてもつまらない作業になってしまうでしょう。ひまりの丘 にリンクを設けました。

パソコンが立ち上がる確率がだいぶ悪くなってきています。無事起動したときもUSB関係のデバイスが全滅している場合が多いので、USBカードとUSBハブを交換してみました。USBスピーカーの音が途切れなくなってクリアな音になりましたが・・・起動失敗の確率は変わっていません。

睡眠不足で頭痛がしますし、腱鞘炎で右腕が痛いです。今夜は早く寝るつもりだったのに、もう1時であります。


2004年04月21日(水) 疲労とドリンク剤

非常に気が進まなかったのですが、出張に行ってきました。
とても疲れました。
とても疲れたのは、ドリンク剤を飲んだのが原因でしょう。
今回はショコラBBライトでした。

出張先では立ち仕事が多いので、欝っぽいからとか、疲れているからとかいう理由で、椅子に座り込んでいるわけにもいきません。過労気味なので、出張自体を回避したかったのですが、仕事なのでやむを得ません。
こういう場合は仕方ないので、ドリンク剤を飲んで元気を無理やり出すことにします。

ドリンク剤には微量のアルコールが含まれています。しかし、僕の場合にはそれが問題になるわけじゃありません(シアナマイドなどの抗酒剤を飲んでいる人は反応することがあるので注意してください)。元気が出る材料はビタミンB類やE、それからタウリンなどの栄養成分です。でもこいつらにはそんなに即効性はありません。
即日「眠気が取れて元気になる」理由は、なかにカフェインが含まれているからではないでしょうか。カフェインの覚醒効果によって、一時的に元気が出ているだけの話では?
「一日一本」とか言って、毎日ドリンク剤を飲まないと済まない人々は、実はうつ病患者のリタリン中毒と同じ状態なんじゃないかと思うのです。

それに、元気が出ないときには、休んでいるのが一番です。休息こそが元気の元なのに、休息しないで動いてしまうのは、体力の前借り、というか「体力の借金」そのもの。
そして、この取立ては結構キツいです。そんでもって、身体がさらにツラいから、また一本飲むことになる。

だから常用はしないように気をつけています。でも、いざって時は頼ってしまい、毎度「体力の取立て」にあって苦しんでいます(今日のように)。
栄養のバランスの良い食事をして、適度な運動と十分な休息をしていれば、こんな人工的な栄養剤に頼らずに済むのでしょうが・・・せめて出張の前の日ぐらい、食事と休息について考えてみるのが正気なのかもしれませんけれど・・・ううぅ。


2004年04月20日(火) 混む

午前中休みを頂くことにしました。
仕事に行く前に医者に寄らねばならないのですが、この先生もだんだん人気が出てきたようで、待合室が混み合うようになりました。以前は「患者さんを5分待たせることなんて、めったにないんじゃないのかな」と笑っておられましたし、事実30分も待つなんてことは(初診の人でもいないかぎり)珍しいことでした。
信頼している人が評価されることは嬉しいことですが、待ち時間が長くなるのはあまり嬉しくありません。時間短縮の単純な戦略は、朝早く起きて、クリニックが混みあう前に診てもらうことです。ですが、今朝はそのために早起きするのがとてもしんどかったのです。

「義父の手の治療のために、病院に連れて行くんで、午前中休ませてください」

我ながら「平気で嘘をつける」人間だなぁと思います。実際に義父に付き添っているのは妻でした。彼女が戻ってきて、まだ布団の中にいる僕を発見し、会社には電話したのか? ご飯は食べたのか? ときいてきたので、両方にYesと答えると放っておいてくれました。

10時半に再度起床。診察室の混み具合は「一冊の週刊誌のなかから気に入った記事を読みきるだけの待ち時間」という、僕にとってちょうどいい程度でした。

半日しか仕事をしていないのに、3日分ぐらい進んでしまいました。ある程度創造性の必要な仕事なので、そういうこともあります。単純に身体の疲れが取れたから、心や頭のコンディションが良くなったのかもしれません。

「PAGE FAULT ON NON PAGED AREA」の原因は、USB関係の故障と判明しました。


2004年04月19日(月) ハード・ラック・ディ

コンビニで朝刊を買ってみましたが、載っていませんでした。年に一回あるかないかの殺人事件。バスが衝突して小学生たちが怪我。それに、会場近くの駐屯地でやっていた自衛隊祭りの賛成反対。ニュースに事欠かない日曜日だったようです(悪いニュースは良いニュースを駆逐する?)。

夕方から雨になりました。土曜に久しぶりに洗車したばかりだというのにです。

昨日と同じ公民館で、今夜は普通のAAミーティングでした。新しい人が誰か来ないかと、密かに期待していたのですが、その願いは裏切られました。まあ、そんなものでしょう。すぐに報われると期待しても仕方ないし、報われないからといっていじけても仕方ありません。
いつものメンバーがあらかた揃えば、それでよいでしょう。皆の顔が輝いているように見えたのは、昨日のスピーカーズのおかげでしょうか。

「あ、いけね。レンタルDVD返すのに、持ってくるの忘れちゃった」

延滞料って妙に高いんだよねー、などと仲間と話したあと、家にいったん戻って返しに行きました。実は借りたのは先々週の土曜であり、返却期限は先週土曜まであったのに、今日までだと勘違いしていたおかげで、延滞料300円×2枚×2日=1,200円を請求されてしまいました。

Windowsが起動時に「PAGE FAULT ON NON PAGED AREA」という呪文を吐いて青ざめるようになってしまいました。きっとWindows Updateでインストールしたデバイスドライバのせいに違いありません。でも、どうやって戻したら良いのか分かりません。


2004年04月18日(日) オープンスピーカーズ無事終了

朝8時半に会場に着いたときには、もうかなりの人が集まってくれていました。みんなで準備。
僕は長野のオープンスピーカーズやステップセミナーには、毎年出ているわけではありません。理由は農繁期(種まき・田植え)と重なる日程になることがあるからです。だからスピーカーミーティングの運営には慣れていません。他にも緊張した人はいるでしょうが、僕が一番?緊張してテンパっていました。

人数は数えていませんが、県内からも県外からも予想以上にたくさんの仲間が集まってくれました。それに、会場の後ろのほうに何組か家族とおぼしき皆さんもいらっしゃいました。やっぱりメディアの力は偉大だなと思います。なかなか「自ら足を運んで」くださる人は少ないのです。
まさに「わらをもすがる」気持ちで来られたのかもしれませんが、AAがその答えとなっているかどうかは僕には分かりません。ビル・Wが書き残したように「AAはアルコールの問題に対する唯一の解決でもなければ、最善の解決でもない」わけです。でももし、誰かがAAを選び取ってくれたのなら、仲間が増えて私たちはもっと安全になるわけです。

今回の会場は全館禁煙で、タバコを吸うには一階の渡り廊下まで移動しないといけませんでした。以前の見慣れた光景、会場の一歩外に出ると、廊下はタバコを吸う人たちで溢れ、空気は真っ白、というのにはお目にかかりませんでした。喫煙所はAAメンバーの社交場でもあるのですが、そこまで行くのが面倒でスピーカーの話を(以前より)たくさん聞いた人も多かったのではないかと思います。

課題も残ったけれど、ともかく今回は終わりました。ほっとしています。地元紙が取材に来られたので、明日の朝刊に載るでしょう(タブロイドサイズのやつね)。仲間の力で成し遂げたイベントという感じでいっぱいです。

帰宅後、疲れて寝てしまいました。夜、二人の娘と久しぶりに一緒に風呂に入りました。

「僕もだんだん<AA人>になっていくなぁ」と言ったら、仲間に「良かったじゃないか」と言われました。AAはひょっとしたら壮大な虚構かもしれません。けど、一生ばれない「永遠の嘘をついてくれ」るのならば、だまされてみるのも悪くないかも。


2004年04月17日(土) 種まき

実家へ稲の種まきに行きました。田植えのときに使う苗を育てるために、でっかいトレイみたいなのに土を盛り、その上に発芽した籾を撒いて、また土を薄くかぶせ、そして水と温度管理を適当に行えば、3週間後には植えられる苗に育ちます。
もちろん苗の状態で農協から購入することもできますし、籾の状態でも買うことはできます。でも買えば金がかかりますから、手作業をすることで購入資金を節約しているわけです。
籾を発芽させるのはそれほど難しい技術ではなく、単に籾殻のまま水につけておけば良いだけです。が・・・母が雑に籾を選んだせいでしょうか、今年は2割ぐらいの米が発芽しないまま残ってしまいました。
発芽しない米は、殻が取れてお米(玄米)になってしまいました。それが籾の間に点々と散らばっているのです。それを箸代わりの竹串2本でつまんで取り除くという、気の遠くなるような作業が待っていました。「なんでこんなことになるんだ。農協で籾を買ってくりゃいいじゃないか」と電話をしてみたのですが、残念ながら売り切れでした。

それでも夕方には作業も終わりです。兄は自室で昼からビールを飲んでばかり・・・、休みだからといって昼から酒を飲む習慣は「いかがなものか」と思うのですが、そんなことは母からも義姉からも甥や姪からも言われているでしょうから、重ねて言うことはしないことにしています。
僕は今年の秋は、ラウンドアップやら新潟やらで、稲刈り・脱穀とも逃げ出す予定でいますから、春のうちに恩を売っておいたほうが得策です。

義父(これは我が家のほう)が竹を鎌で切っていて、間違えて自分の左手を切ってしまったのが、確か一週間前です。救急病院で筋肉を縫い合わせてもらったのは良いのですが、今度は「親指が外側に曲がらない」そうで、手術して入院となりました。妻はそちらにかかりきりです。

でも子供たちは、種まき後に母がお風呂に入れてくれましたし、夕食も途中の吉野家で豚皿を買ってきて先ほど済ませました。布団もひいたし、あとは歯磨きをさせればOKというところ。


2004年04月16日(金) やめられない理由

朝刊も夕刊もコンビニで買ってみましたが、記事は載っていませんでした。明日でしょうか。

もはや僕にできることは、当日朝遅れないように、きちんと起きて会場に向かうことぐらいでしょうか。そして仲間と「一緒にやること」です。
AAのイベントは人数がたくさん集まれば成功というわけでもありません。盛り上がれば成功というわけでもないし、会場献金がたくさん集まって黒字になれば成功というわけではありません。もちろん、人数は多い方が良いし、にぎやかな方が良いし、赤字にならないに越したことはありません。でも逆に考えると、これを達成すれば成功という基準はないのです。

一回限りのイベントが地元のAAを大きく変えてくれるわけではありません。そのことは経験的に分かっています。でも、何もしないでいると、自助グループというのは尻すぼみに衰退してしまいます。苦労して(?)何かをなし遂げて、わずかばかりの成果を得るのです。その積み重ねでなんとか現状維持+αを遂げているのでしょう。
すごく効率の悪いやり方にハマっている気がしないでもありません。でも、もっと効率の良い方法があったら「教えて欲しい!」と叫びたいぐらいです。

もっとよい方法があったならば、依存症の治療法はもっと昔に確立されて、病気に苦しむ本人も家族も、もっとずっと数が少なかったに違いありません。でも、そうはならなかったし、今もなっていません。だから、効率が悪かろうが既知の手段を取るのです。

もしAAで誰も助からなかったら、とっくにAAには見切りをつけていたでしょう。でも、全体に比べればわずかな数ではありますが、助かる人間がいるのです(自分も含めて)。その助かった喜びは、イラクから救出された3人の喜びに勝るとも劣りません。

「くだんねー」「つまんねー」「もー飽きた」と不平ばかり並べながらも、僕がAAをやめられないのは、そこに理由があるのでしょう。


2004年04月15日(木) 可換なもの

僕の住んでいるところから西を見ると、3000メートル級の山が立ち並んでいます。真冬にその山に登ろうという人間の気が知れませんが、「そこに山があるからだ」と言われれば、そうなのかなと納得してしまいます。
一冬にいったい何人が入山するのか知りませんが、毎冬たいてい遭難する人がいます。登るからには自己責任なのですが、だからといって遭難した人間を放っておくわけにもいきません。県警のヘリも飛ぶし、民間のヘリもチャーターされます。捜索隊が雇われて入山します。指が何本か無くなっていても、生きて帰ってくれば万事オールライです。人の命は金には替えられません。
イラクの3人の命も、金で買えたのならそれで良かったではないかと思います。例えその原資が税金であったとしても(うがち過ぎか?)。

仕事中に今度は全県版のローカル紙から電話がありました。オープンスピーカーズの予告記事を書いてくれるということでした。質問されたのは「事前申し込みは要るのか」「途中で話をする一人は病院のスタッフなのか」「問い合わせ先は東京のセントラルオフィスでよいのか」でした。
AAのイベントは(宿泊しない限り)事前申し込みは不要なのが普通なので、わざわざそのことを断ったりしなかったのですが、世の中ではたとえ参加無料でも、参加の申し込みが必要なイベントが多いってことなのでしょうか。

オープンスピーカーズミーティングと呼びながら、実際には参加者の九十数%がAAメンバーという実態は、ぜんぜん「オープン」でないのでないか? という素朴な疑問に端を発して、新聞への予告記事という方向へ今回は走ってみました。オフィスの電話が鳴りっぱなし、というわけでもなさそうです。
さて、当日ふたを開けてみて、実際どれくらいの人が「初めてAAにやってきた」人なのでしょうか? 答えは3日後です。

(病院や保健所へのお知らせはいつもどおりやっていますよ)


2004年04月14日(水) 正直と馬鹿正直

先日のことですが、ホームグループのミーティング会場を借りている公民館の隣の村役場から電話がかかってきました。もちろん勤務中の電話が歓迎であるはずもないのですが、これも7章に書かれている12番目のステップの一部だと思って諦めるようにしています。ステップのなかで自分に都合の良いところだけを受け入れていれば楽なのでしょうが、どうもそれでは前進しないようなのです。

先月、公民館の利用料減免申請書を提出したのですが、それには団体の名簿をつけなくてはいけませんでした。そんなものは作りようがないので僕の住所と名前だけを書いて、あとは会の規約上名簿を作成も公開もできませんと書いておきました。ところが、それでは規則上よろしくないというのです。
AAのことを紹介するパンフレットを同時に出しておいたので、こちらの事情もある程度分かっている様子でした。こちらも無理を通そうとは思いませんから、「減免は通らなくても、公民館さえ使わせてもらえれば、有料になってもかまわないのですが」と言ってみたものの、それでも納得していただけません。

「村の在住者が5人以上参加している必要があるのです」と言われました。
昨年はそんなことは言われなかったのですが、規則は変わるものだし文句を言ってみても仕方ありません。
「村の在住者もいるとは思いますが、こちらとしては確かめようもありません」
そう、人口7千人の村に5人もAAメンバーがいるわけがありません。
「口頭でかまいませんので、5人以上いると言っていただけると、私も上司に説明しやすいのですが・・・」

僕は一瞬躊躇しました。「はい」と言えば、それはおそらくは嘘になるでしょう。でも「いいえ」と答えれば相手は困ったことになるでしょう。都会の市役所と、田舎の村役場では、いろいろと事情も違います。余計な変化が起きるのは好ましくありません。
「正直と馬鹿正直は違う」
という先人の言葉を思い出して、「おそらく5人はいるんじゃないでしょうか」と答えておきました。

前回も、前々回も参加者は二人でした。「またひとつ嘘をついてしまったな」と思ったものですが、その思いすらすぐに忘れてしまい、ここ数日、そんなことがあっとことすら思い出せないでいました。

5人の村民が名簿に名前を書いて提出できるまでグループが成長すれば、こんな悩みはなくなるのでしょうが、それはだいぶ未来の話になるでしょう。


2004年04月13日(火) ひみつ資金

「毎年この時期になると調子が悪くて」と春も夏も、秋も冬も言っているような気がします。薬を飲まないとうつが悪化します。でも飲むと眠くなります。眠気・だるさというのは典型的な副作用なので心配はしていません。しかし、飲んでも飲まなくても、あまり結果は変わっていないような気もします。
仕事を午前中休みをもらいまして、寝ていたら少し楽になりました。身体の疲れは心の疲れ、心の疲れは身体の疲れ、なのかもしれません。

毎月給料から数千円を天引きして、積み立てをしています。以前は「社員旅行積み立て」と呼ばれていたものですが、誰も社員旅行に行きたくないという理由で毎年4月に払い戻されます。音沙汰がないので、経理に催促してみたら「すっかり忘れていた」そうであります。ともかく今週中には現金を手にできそうです。

この積立金払い戻し・年末調整の払い戻し、このふたつは時期が来れば期待できる「ひみつ資金」であります。でも身につかないで、使っちゃうんですけどね。


2004年04月12日(月) 紙の新聞

仲間の2年のバースディミーティング。女性なので花束をプレゼント。
普段花など買わないので、どれを買ったらいいのか悩んでしまいました。チューリップにカスミソウにミニバラ。ラッピングに時間がかかったのは、選定に無理があったせいでしょうか。おかげで、ジャスコの入り口の花屋前で10分以上立ち尽くす羽目になりました。
しかたなく花を眺めていましたが、ラベルが張ってないと何という名前の花なのか分かりません。

そう言えば父は園芸が好きでした。花き農家をやっていれば幸せだったのかもしれません。富山のチューリップ祭りに行きたいと願いながら果たせなかった父。なぜかアメリカとフランスには行った父。今度はフランスの田舎を訪ねたいと、ラジオのフランス語講座を聞いていたっけ。でも、耳が悪くなって、聞き取れずに苦労していたようでした。好きだったクラシック音楽も聴かなくなって・・・。
「本は年老いてからでも読めるが、音楽は老いてからでは楽しめん。心しておけよ」

先週の日経新聞の夕刊に女性のAAの記事が載ったのだとか。事前にセントラルオフィスから話を聞いて知っていたのですが、長野県には地元紙以外に夕刊はありません。全県そうなのかどうかは知りませんが、ともかく僕の住んでいるところでは、夕刊を読みたかったらローカル紙を取るしかありません。
全国紙の朝刊も、締め切りが一番早い版が割り当てられていて、プロ野球の結果とかも、試合が9時半ころまで続いていると、途中経過までしか載りません。

ニュースはネット上で朝日と産経のサイトを読んでいます。なのになぜ紙の新聞を読んでいるのか? 閲覧性の良さ、雑報の類、テレビ欄あたりに必要性を感じているのかもしれません。世の中を総覧的に見るには、やっぱり紙の新聞が一番なのかな。

ちなみに僕が新聞を読むのは夜10時ぐらい。24時間前のニュースを読んでいることになります。


2004年04月11日(日) いかなる論争にも参加せず、賛成も反対もしない

サマーワの安全も、邦人3人の身柄も金で買っているのではないかと、疑り深く考えてしまうひいらぎであります。
ま、そんなことはともかく。

2月に保険証の切り替えがあって、新しい保険証を貰いました。いままで慣れ親しんだ三つ折のものではなく、家族一人ひとりにクレジットカード大のプラスチックカードが配られました。もちろん7才と5才の子供にも一枚ずつです。

今までは家族に一枚だった保険証。家族が別居して暮らすために、遠隔地保険証?というのが発行してもらえて、これが単身赴任やら就学学生やらの必要を満たしていたわけです。でも、これは保険証の筆頭者(本人てやつ)の申請がないと発行してもらえません。

でも世の中には筆頭者の意に沿わずに別居するケースもたくさんあるわけです。つまり、別居だとか、DVが原因で脱出したケースとか。こういう場合には、飛び出したほうは保険証が使えなくなるわけなので、病気になったときにとても不便だったわけですが、それもこれで解消ですね。

健康保健でこれができるなら、なんで納税者番号制度は実現できないのかなぁ。貧乏人のわずかな定期預金の、さらにわずかなスズメの涙ほどの利息からも、きっちり税金を取られてしまうのはなぜなんだろう。均等課税の消費税と違って、所得に対する税なのに。やっぱり、公にできない所得の多い人が政治をやっているからかな。

まあ、政治にまつわる話は置いておくとして、今日は来週やるオープンスピーカーズの横断幕を作りました(紙だけど)。長尺印刷のできるプリンターなんて日ごろは欲しいとは思わないのですが、A4版の紙を張り合わせていると、面倒くささにため息がでました。

「ひいらぎ」の名前を使うのもあとひと月になりました。バースディの日がきたら、ニックネームはファーストネームを使うようにする予定です。


2004年04月10日(土) Change tires

「さすがにもう雪は降らないだろう」ということで、タイヤを交換しました。タイヤの保管場所が高いところなので、上げ下ろしに体力を使います。夏タイヤを点検してみると、スリップサインが目立ち始めています。このシーズンか、次のシーズンで寿命を迎えるでしょう。
子供たちも作業を手伝ってくれました。もっとも彼女たちは、タイヤの溝にはまった石をとるという意味のない作業に熱中していたので、僕の作業はちっとも楽にはならなかったのですが。義父が妻の車のタイヤを交換してくれたので、助かりました。

夏タイヤの乗り心地を思い出そうと、少し走ってみたのですが、土曜の市内は混んでいるので山に向かいました。公園の桜は3分咲きから5分咲きといったところでしょうか。来週の後半は天気が悪そうなので、桜も全部散ってしまうでしょう。

それでもまだ夜はコタツがありがたいです。寒暖の差に身体が順応できていない感じで、なんとなく調子が悪いです。もっとも、身体の調子がいいときは、それで当たり前だと思っているので、そこに感謝もなにもないのですが。


2004年04月09日(金) ディジタルもの様々(その1)

最近予備の原稿が底を突いていて、夜のうちに更新できないことが続いています。

こちら に先月の統計データを載せました。これはWebサーバーであるApacheのログをさまざまに解析してみた結果です。これは、ホームページだけじゃなくて、その他のページへたどり着いたケースも全部含んでいます。Perl言語の練習をかねて大作(?)に挑戦してみました。毎月2日に自動更新の予定ですが、5月2日にちゃんと動くかどうかは、その日になってみないと分かりません。

見ていて面白いのが、検索キーワード でしょうか。やっぱりSMAP歌強しです。作者としては、どのページが最もアクセスされているかも気になるところです。当然一位はダントツでホームページなんですが、次がリンク集になっていて、AA関係リンク充実を標榜する立場としては嬉しかったりします。

話が変わって、最近 iPod をはじめとして、ハードディスクを記憶装置に使ったポータブルMP3プレーヤーが増えてきました。普段車で移動している自分には不要なものですが、長距離を電車で移動する時には欲しくなります。でもMP3フォーマットは音が悪いです。320KBpsならそれほど不自然ではないけれど、一般的な128KBpsだとなんだか「ザラザラ」した音になってしまいます。ヴォーカルは艶っぽさを失い、ストリングスはなんだか平板な音になります。
WMA形式だとかなり良くなるけれど、こちらは復号できない難点があります。

なんでこんな音の悪いものが流行るのだろう・・・と不思議に思っていたのですが、電車の中ではたと気がつきました。車中で音楽を聴いている人は、たいてい耳の穴に突っ込むようなイヤフォンを使っています。まあ考えてみれば、電車の中で周囲に音漏れするようなヘッドフォンを使っていると迷惑だし、密閉式だと周囲の音が聞こえなくて逆に危険です。

僕も耳差込み式のイヤフォンを持っていますが、あれではどんな良い音を再生しても意味がありません。まあ、若者がポータブルラジオで音楽を聞いていた世代もあるんだし、ラジカセでシャカシャカ音を鳴らして喜んでいた世代もあったわけです。ポータブルプレーヤーもおじさん向けのガジェットではなくて、若い人向けなのかと得心した次第です。

大学のオーディオ部も部員が一人だけなんだとか。ハイファイサウンドへの関心は失われつつあるのでしょうか?


2004年04月08日(木) 父のことばかり思い出す一日

ボスとふたりっきりで、とても気詰まりのする一日でした。

僕の共感する言葉の中に、「尊敬できないからといって、礼を失してはならない」というのがあります(衣食足りて礼節を知るといのも真実でしょうけど)。

普段はPCのファンの音でうるさいマシンルームも、自分ひとりでいると静かなものです。内線がかかってくる前に、相手が受話器を上げた音が聞こえてくるぐらいです(1階と2階で離れているのに)。
一日に何度も打ち合わせをするなかで、突然彼が、僕の父と会ったときの話を始めました。それは父の死の2週間前のことで、当時僕は飲むことも、飲まないでいることも出来ない状況でした。父と何を話したのか、なぜその話をここで持ち出したのか、ボスは話さなかったし、僕もボスに尋ねませんでした。
もともと彼の最近の行動は、理解不可能どころか了解不可能なものが多いのです。

もしかすると、僕はボスの意図を確かめるのが怖かったのかもしれません。「あの時苦境から救ってやったのだから、今俺の苦境に力を貸してくれ」と言い出されたらどうしよう。恩を返せと言われたら・・・。確かにあの時に仕事を失っていたら、僕はもっと困っていたでしょう。
だが正直な話、僕はその後もこの会社で働きつづけてきたことそのものが、あの時の埋め合わせだと思っているのです。それ以上の責任は引き受けられません。僕はいつも自分の能力を過信し、能力以上の責任を引き受けて、結局は自分も他人も傷つけてきました。「出来ない約束はするな」というのも、AAの仲間の教えのひとつです。

ボスが苦境に陥っているのはよく分かっています。でも、僕が替わりにその責任を引き受けて解決することはできません。彼の人生を僕が替わりに生きることはできないのです。僕の人生を誰か他の人に生きてもらうわけにはいかないように。

ホームグループのミーティングの後、実家へ。
母が言うに、
「お前は誰かに似て、嫌いとなれば顔を見るのも嫌だというタチだからねぇ」
この場合の「誰か」が誰をほのめかしているのか、確かめるまでもありません。それは父のことです。

珍しく父のことばかり思い出す一日でした。


2004年04月07日(水) 「良くなる前には、いったん悪くなる必要がある」

地元紙に記事が載ったのを見かけたのでしょうか? もう少し規模の大きな新聞(全県紙)の報道部の人からオフィスに電話があったそうです。あいにく所長が不在で、用件はいろいろなルートを辿って僕のところへ転送されてきました。教えてもらった番号へこちらから電話してみたのですが、記者さんは忙しいようでなかなかつかまりません。
しかたないので、資料をそろえて郵送しておきました。それを見て、興味を持ってもらえるかどうか、記事になるのかどうか、その問題はもう僕の手を離れ、相手の問題です。
最初に掲げた目標は達成できているので、あまり欲をかかないことにします。

報道といえば、例えば「オレオレ詐欺」の報道が一時期目立ちました。手口自体は昔からあるもので、テレビ番組なんかでも取り上げられていたものです。それが増えた背景には長引く不況があったのでしょう。それに偽名の銀行口座もインターネットで簡単に変える時代です。

手口が報道されれば、自分にでもできるんじゃないかと思う人間も増えるのでしょう。事件報道によって事件が拡大再生産された可能性があります。でも、おかげでそういう手口が広く知られるようになって人々がだまされにくくなり、銀行の窓口でも年寄りが多額の振込みをしようとする場合には事情を聞くようになりました。最近では事件を聞くことも少なくなりました。
結局報道が社会システムの変化を促進したことになりますから、長い目で見れば良いほうへ変化したことになります。一時の悪化は必要なことだったのでしょう。

60年代から70年代にかけて、アルコールやドラッグがアメリカ社会を蝕んで、伝統的な家庭の価値観も崩れていきました。でもおかげで政府も動いたし、民間のアディクション治療も広まりました。
日本の社会は、アメリカ社会の10年か20年後を追いかけている、なんて言い方はもう廃れてしまいましたが、真実を突いていると思います。長い不況は終わりそうですが、今度は貧富の差が広がるだけのような気がします。社会がより競争的になると、ストレスのはけ口を物質やある種の行動に求める人は増えることでしょう。
こんな田舎ですら、バツと言われるドラッグが広まっているそうです。

病理に苦しめられる個々の事例に心が痛まないわけではありませんが、「良くなる前には、いったん悪くなる必要がある」と割り切るほかはありません
というか、そうとでも思わないと未来に期待が持てなくて、やってらんねーという感じです。


2004年04月06日(火) もしも視線が・・・

僕は朝起き抜けはとても調子が悪いです。
運悪く朝の電話で僕を叩き起こしてしまった仲間など、「なんでこいつはこんなに不機嫌なんだろう」「ひょっとして飲んでいるんじゃないだろうか」と思うほどだそうです。
なんかそれは、とてつもなく悪いことをしているような気がしていたのですが、AAのフェローシップ(親睦会)などで、そういう人間は僕ひとりではないということを知って楽になりました。僕は朝の不機嫌な肉体と精神に対して無力であることを認めたのです。

地元紙に載せてもらったオープンスピーカーズの予告記事に、セントラルオフィスの番号がのせてあります。そのことは事前に所長に伝えておいたのですが、実際に記事になったのをFAXで送ろうとして新聞をコピーして、そして「裏側」を送ってしまったようです。オフィスには白紙が届いてしまったようです。いろいろ手間をかけてしまって、ごめんなさい。
朝は頭が働いていないし、出社時間は迫って焦るし・・・言い訳ですね。

春になって暖かくなったせいでしょう、人々の服装も身軽になってきました。
仕事帰りの道で、ミニスカートで自転車に乗る若い女性を見かけました。若いといっても小学生とか中学生とかじゃなくてですね、むっちりとした太ももに僕の目がくぎ付けになってしまうような年頃なんです。どれぐらい短いかというと、もし駅の階段を彼女が上っていて、後ろから見上げたら「ぱんちゅが丸見え」であろうことは間違いありません。
下半身からマグマのようにこみ上げてくる情欲は、ちょっと脇に置いておいて、僕は考えにふけったのです。その彼女は、短いスカートを実に恥ずかしそうに下に引っ張りつつ自転車に乗っているのです。なぜそんなに恥ずかしいのに、ミニをはくのでしょうか。
人間誰だって若いうちは(若くなくても)自分に性的魅力がない(ゼロである)と考えたくはないものでしょう。ミニをはく行為は、魅力の確認なのではないかと考えたのです。

ある神父さんの話で、「もし人が視線で女を妊娠させることができたならば、自分は何千人もの女をはらませたであろう」という、とっても正直なのがありました。男ってそうなんですよね。いくつになっても。
だから、女性の皆さんにお願いしたいのは、AAミーティングにタンクトップやミニスカートで来るのは止めてください。邪念が起きて迷惑ですから。


2004年04月05日(月) 出来事の羅列

午前中は、最近珍しいぐらいに「うつ」が酷くて、椅子に座ったまま何もせずにいました。他の人たちは皆で現地に出て行ってしまったので、マシンルームには僕一人です。最初に息苦しさを感じたときは、ストーブをつけっぱなしだったので一酸化炭素濃度が上がったのかなと思い、窓を開けに行きました。ところが外の新鮮な空気を吸っても、息苦しさは治りません。
「あ、これは不安発作だ」
と思ったときには、もう胸が苦しくなって・・ああこのまま視野が狭くなって、意識がぼんやりとしていくのか・・・と諦めの気分でした。他には誰もいないので、遠慮なくごろんと横になってしまいました。そうやって、ああなんだか久しぶりだなぁ、ここんところ身体も心も疲れがたまっていたからなぁ、などと考えていたら、普通に息が出来るようになりました。

お昼休みに机に突っ伏して寝ましたら、物音を立てる人も、起こしてくれる人もいないので、いつの間にやら午後の就業時間に思いっきり食い込んでいました。でも、寝たおかげですっきりしました。

AAミーティングのあとで、レンタルしたDVDを返しに行く予定だったのですが、自宅に忘れてきてしまい、もう一往復する羽目になりました。

オープンスピーカーズの予告記事が載った新聞を、義父が届けてくれました。取材もせずに、送った資料に目を通しただけで「よくこれだけの記事が書けるものだ」と感心してしまいます。そのうちウェブのほうにもコピーを掲載しますね。お礼状を書いて、ついでに当日の取材もお願いしなくては。

「えんぴつ」の毎日の雑記の右下に、投票ボタンを設けました。気が向いたら押してあげてください。投票していただきますと、えんぴつの「禁酒・禁煙」日記ジャンルの投票ランキング中に「たったひとつの・・・」が登場します。偶然それを見かけた人が、僕のページを通じてリンク先のいろんなところを訪れてくれると嬉しいです。
そんな次第ですので、ひとつよろしく。


2004年04月04日(日) 惑星大集合

スタッドレスタイヤに履き替えるどころか、雪が降りました。
でも、そんな雪はどうせあっという間に消えてしまうでしょうから、タイヤを履き替えない理由にはなりません。その作業をしなかったのは、単に寒かったからだけです。

3月の末に水星が観測の好機を迎えました。水星は太陽の一番近くを回っているおかげで、日没後(か日出前)のわずかな時間しか見ることが出来ません。日没の20〜30分後、太陽の沈んだあたりに明るい星が見えれば、それはまず間違いなく水星です。
ところが、長野県には山があって、水星はその陰にすぐ隠れてしまいます。おかげで僕は、いままで水星を見たことが一度しかありません。東京にいた頃はもっと地平に恵まれていたのですが、なぜか見ようという気に成れませんでした。
そんなものを見て何になるのだ? と言われると答えに困ります。山から木を落として何になるのだ? というのと似ています。実利はたぶんないでしょう。でもそこには、何か原始的なアニミズムが宿っていて、人を神妙な気持ちにさせるのです。

日没後に空に目を向ければ、水星は見えなくとも、西の空に金星が輝いています。その近くには火星が、天頂近くには土星が、東のししの後ろ足には木星がいます。仕事帰りに車のエンジンを温めながら、傍らで空を見上げているのは「変な人」なのでしょうか。

週末に、子供と一緒に星を見ようと思っていたのに、お天道様は意地悪であります。


2004年04月03日(土) 今夜すべての公園で

梅が満開です。
桜も暖かいところでは、もう開花しているのかもしれませんが、お花見を楽しむのは4月中旬でしょう。ソメイヨシノではなくて山桜の類になると、ゴールデンウィークぐらいが見ごろの場所もたくさんあります。信州に春はなかなかやってきませんが、明日はスタッドレスタイヤをノーマルタイヤに履きかえる予定です。

若かりしころ(つまり今はもう若くないと認めているわけですが)、花見といえばサバイバルゲームでした。モデルガンで撃ち合いをするゲームであります。もっとも、BB弾は当たると痛いので、僕は赤外線銃専門でした(撃たれるとヘッドギアが振動する仕組みでした)。
公園で夜桜を見ながら一杯飲んで、それから銃を持って草むらの中に散り、暗闇の中を匍匐前進し、そして走る走る走る。あっという間に酔いが回って、3ゲームめあたりからもう意識が薄れてしまい、気がついたら翌朝アパートで寝ていたというのが毎度のパターンでした。

あるとき下北沢の居酒屋で飲んでいたら店が仕舞いになって、外へ出たら、市街戦を戦っている連中に出くわしたことがあります。よく一般市民を巻き込まないものだな〜と感心していたのですが、その後各地で一般市民に弾が当たるという事故が相次いで、サバイバルゲームはあっという間に社会から締め出されてしまいました(当然か)。

サバイバルゲームはしなくなったし、公園で焚き火もできなくなってしまったけれど、夜桜の花見はその後も続けられました。といっても、二十代半ばからの僕は迷惑を撒き散らすだけの存在になっていたので、歓迎はされなかったけれど、それでもお誘いは続いていました。
そのうち公園まで歩いていくことができないほど身体の具合が悪くなって、お誘いにはのることもできなくなってしまいました。

ごみ焼却炉の煙が街の明かりに映えて美しいあの公園で、今年も花見が開かれるという連絡がありました。雨天でも「飲み」は決行だそうです。残念なことに、僕は今晩違うところに用事があります。距離も離れ、生き方もまったく異なってしまったけれど、あのころ一緒に飲んでいた皆が、今夜も楽しい酒を飲んでいることを願っています。


2004年04月02日(金) 実業と虚業

4月だというのにまだ暖房が要ります。

来週から、始業時間が30分早くなることになりました。もっとも、いつも遅がけの会社なので、それでも普通の会社よりも遅いのですけれど。朝の弱い僕ですから、30分と言えども馬鹿にならないのですが、そのこと自体はやむを得ないと思っています。
ただ気にかかったのは、ボスが「就業態度はボーナスの額に反映させる」と言ってのけたことです。先々月の打ち合わせで会社の収支状態を明らかにして、その悲惨さから皆に「この夏のボーナスはゼロだな」と理解させた経緯があります。である以上、ボーナスの多少という単語を使うのは強がり以外には感じられません。

強がりや現実逃避の態度は、周囲の人々をうんざりさせる傾向があるようです。その点では、僕は「うんざりさせ屋」としての長いキャリヤーを持っているわけです。「まだ敗北していない」「まだ何とかなる」そう自分に言い聞かせていたし、言いふらしてもいました。しかしAAミーティングにつながって、自分のどうしようもなさを見つめさせられたときに、やっと現実を正視できるようになっていったのです。

ビジネスの分野では、強気のコメントが当然とされています。でもそれも実績を伴わなければ誰も信じはしません。もしビジネスという言葉が実業を示すならば、正直であることは美徳でありましょう。不正直で塗り固める必要があるならば、そんなビジネスは虚業に違いありません。「おれおれ詐欺」ではないけれど、世の中にはいつも虚業がはびこっています。
でも、実業と虚業の境目なんてあいまいなもので、判定役は「正直さ」しかあるまいと、いつも考えています。

そんなこと言ってるから、いつまでもビンボーなのかもしれないけど。


2004年04月01日(木) 水分摂取量

最近、コンテンツのほうの更新がまるでなくて、毎日訪れてくださる皆様には申し訳なく思っています。いろいろと技術的には改めているのですが、変わったところは人目にはつかないのであります。

たとえば、こちら のページには、リンク先の更新チェック機能をつけてみました。このページは15分ごとに更新され、リンク先の内容が変更されているかどうかチェックするようになっています。ということは、各サイトに一日96回ものリクエストを送信することになります。
技術的なジャーゴンが並んでしまいますが、HEADリクエストでLast-Modifiedフィールドを返すサイトは、サーバーへの負荷は最小限ですみますので、ご迷惑もかけていないと思います。
そうでないサイトはGETリクエストで中身の変化を追っています。そうすると、アクセスカウンターが96回増えてしまうのではないかという心配があるわけなのですが、CGI型のカウンターには触らないようにしているので、大丈夫なはずです。問題なのは、SSI型のカウンターを使っているサイトです。滅多にないので、たぶん心配ないとは思うのですが、もし自分のサイトのカウンターの増え方に異常があると思った場合はご連絡ください。
(いちばん心配なのは、あをねこさんところの掲示板だったりして・・・)。

昨日、塩分の足りない人が多いと書いたのですが、外食中心の人はやっぱり塩分過多になりがちです。人間、味が濃いほうが美味しいと感じるのが自然なので、食堂などの味付けは濃い目になり、必然的に塩分が多過ぎることになるのだとか。こういう人に対して「塩分を控えろ」と言っても実際問題無理なので、じゃあどうすればいいのか。ある栄養学者さんの話によると「もっと水分を摂るといい」そうであります。つまり、体の中が塩分過多にならないように、水分を摂って「薄めろ」ということなのでしょうか。

僕は、朝起きてコーヒーを一杯。仕事中に烏龍茶を三杯。朝夕の食事の前後にお茶をそれぞれ一杯。自宅のパソコンの前でジュースを二杯。水分摂取量は、飲酒時代とそれほど変わっていないかも知れません。


もくじ過去へ未来へ

by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


My追加