TENSEI塵語

2007年07月31日(火) 「X-File」をついに見始める

きょうも1日中県大会の準備である。
きょうもまだ、電話の応対が10本以上あった。
昨日、事務の人から、電話まだたくさんありそう? と問われた。
書類には連絡先としてケータイやケータイメールまで書いておいたのだが、
なぜか、大半の人が学校に電話してくるのだ。
直接本人につながる方が楽だと思うが、不思議なことだ。
去年は、元の担当者がやっていたとおりにやったので、
電話に加えてファックスや封書もうんざりするほど届いた。
それでは事務の人も堪らないだろうと、ファックス報告を無しにして、
封書の方は別の担当者のところに送られるように改善した。
来年は、連絡の優先順位を変えて明記するようにしよう。
プログラムが予定より1日早く、しかも昼過ぎに届いたのはありがたい。
さっそく、出演団体用の封筒詰めに取りかかることができた。
去年に比べると、かなり余裕のある準備作業である。

帰ったら「X-File」の最初の3シーズン分が届いていた。
先日、廉価版の予約販売を見つけたので予約しておいた。
書かれていた発売日より4日遅れで届いた。
夕飯を、娘の帰りを待たず私と妻で用意して早く済んだので、
夕食後に2話だけ見た。

この最初の2話を、数年前に見たはずである。
そして、それっきりになってしまった。
なぜそれっきりになったか、確かな理由はわからない。
わかりにくいドラマだ、という感想だったような気もするし、
そのころ忙しかったのかもしれないし、
レンタルに通って取っ替え引っ替え夢中になる意欲が湧かなかったのだろう。
同じころ「ER」も2〜3話見たが、これもそれっきりになった。

しかし、「24」に夢中になってるうちに、
(その上、ダン・ブラウンの小説に夢中になった影響もあるかもしれない)
アメリカ製のドラマに対する印象もかなり変わって来たらしい。
「ER」も含め、いくつかのドラマを今まで楽しんできた。
そして、今夜の「X-File」の印象も、嘗てとはかなり違っているようだ。

2人のFBI捜査官の、実に閉塞的な状況下での危険な捜査を、
緊張感をもって見守り続けた。
未確認飛行物体とか地球外の知的生命体とかにこだわるモルダー捜査官に
あまりばかばかしさを感じなかったのは、ロズウェルを経たからだろうか?
まだ2話見ただけだが、1話ごとのラストは、やはりすっきりしない。
しかし、次を見たくなる。
これから第3話を見てから寝るつもりである。

「X-File」はシーズン9まであったはずである。
今回手に入れたのはシーズン3までで、それだけでも72話あるようだ。
とりあえずこの3シーズン分を見て評価を下そうと思う。






2007年07月30日(月) 「幻夜」

昨日の夕方、東野圭吾の「幻夜」を読み終わった。
10日前にヒロイン美冬について書きとめておいたが、
その後、ますますそのしたたかで冷徹な生き様が明らかになった。

美冬は明らかに極悪な女である。
こういう人物を描くときには、最後の最後に、その栄華の絶頂で、
破綻させるか、破綻の暗示に至って幕切れとなるパターンが多い。
我々読者も、その悪者の正体を暴き、罰を下そうとする者を応援する。

しかし、「白夜行」もこの物語もそうはならない。
「白夜行」の雪穂以上に、この「幻夜」の美冬は順風に吹かれて幕切れ。。
読む我々も、何だこれは!! こんなことでいいのか!! などと、
道義心から怒りを覚えたりはしない。
寧ろ、美冬ちゃん、無事でよかったね、と安堵と祝福で読み終える。。。

いや、誰でもそうなのかは知らないが、少なくとも私はそうだった。
作中の男たちと同様に、その美貌に魅せられてしまったのだろうか、、?
それとも、美冬を通じて描かれているのが、
「悪」以上に「懸命な生き様」だからであろうか、、?
もしも多くの読者が同じような思いで読み終えるのだとしたら、
「白夜行」と同じように、作家の仕掛けた魔力の虜になってることになる。

読んでいる間、雪穂ちゃんがんばれ、美冬ちゃんがんばれ、と
応援しながら読んでいるだが、読んだ後に、それでもふと思う。
雪穂ちゃん、美冬ちゃん、本当に幸福なのかぃ? 何か、儚いなぁ、、と。
しかし、彼女らはもう、そう生きざるを得なくなってしまっている。


昨日の続き。。。
昨夜のTVも選挙速報で埋め尽くされていたし、きょうの新聞もだ。

橋本さんが寄せてくれたコメントとそれへの返信をコピペしておこう。

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    自民党大敗          橋本裕

万歳!
共産党や社民党にもう少しがんばってほしかった。
私はセブに行く前に、妻と不在者投票を済ませましたが、
相変わらずの低投票率ですね。


    Re:自民党大敗         tensei

最終的に投票率は58.6%でした。
1000万人以上が期日前投票を利用した。
関心が高い、というのが報道機関の評価ですが、
まだまだ、こんなんでは、、と思いますね。。。
しかし、小泉クン就任以来のイライラむかむかが、
やっとちょっとだけすーーーっとしたような気分でもあります。

「自分を選ぶのか小沢さんを選ぶのか」と大声張り上げてたぼっちゃんは、
大敗しても自分が選ばれなかったとは思わないようで、続投表明。
悪いのはボクじゃなーい、社保庁が悪い、赤城が悪い、久間が悪い、
ボクはちっとも悪くなーい、、、みたいな感じ。。。

「美しい日本」を作ると言った約束を果たす責任、とばかり言ってるけど、
一方的に宣言しただけで、国民と指切りげんまんしたわけじゃないぞ。
「美しい日本」がどういうものなのか、
わかりやすい表現で国民に全貌を説明したこともまだないはずだし。。。
誰が期待しとるの?? 

ま、この状況に陥って、代わってやろうという人もないだろうし、
解散総選挙なんてやったらたいへんな目に遭うだろうし、
気丈な続投宣言を演じるしかないのでしょうが。。。
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2007年07月29日(日) 自民、予想以上の大敗\^o^/

まだ最終の確定に至ってないが、
自民は40にも達しそうにないし、民主は60を超える勢いだ。
公明党も議席を維持できそうにない。
つまり、与党は大敗、民主がバリバリ票をぶんどっているというわけだ。

民主が議席を増やしすぎていることには、それはそれで不安がある。
ま、まだ政権奪取というわけではないし、ここしばらくは、
国民にもっと信頼されるような政策に徹するだろうと期待したい。

とにかく、今回は、晋三ぼっちゃんをギャフンと言わせなきゃいけなかった。
小泉クンが不可解な人気でお膳立てした安定多数の議会で、
好き勝手な法案をバサバサ通してきたお調子乗りのぼっちゃんに、
いい加減にせい!!(`ε´) と、ブレーキをかけなきゃいけなかった。
農水相の不始末もお手柄だったけれど、
年金問題については民主党のお手柄だったから、
民主党にご褒美をあげる結果になっても、そう文句は言えまい。
しかし、国民のほとんどが、共産党や社民党の地道な調査や批判を
まったく評価しようとしないこともよくわかって、実に残念だ。

きょうは、仕事をどう進めるか予定が立てられなかったので、
朝、県大会の出場校宛の郵便物を整えて投函しに行く前に、投票に行った。
10時ごろだったが、実ににぎやかな雰囲気の投票所だった。
たいてい夕方に行ってたのだが、時間が早かったから混んでたのだろうか?
妻子も午後2時ごろに投票に行ったが、おおぜい来ていたという。
ひとり、投票用紙の書き方について質問しているじーさんのために、
人の流れが滞って長い列ができてしまう程だったという。

それでも、投票率は45%程度だったようだ。
期日前投票を加えても、50%台にとどまるのだろう。
半数近い有権者が、大事な局面だとは認識できない、、、これこそ深刻だ。
民主主義も平和主義も破壊しようとしている首相の姿が見えてない人が、
有権者の半数以上も占めているわけだ。
日本の教育で最も欠けているのは、政治や社会について考える教育である。
そんなことを学ばせても、進学競争には勝てないからだ。
進学競争に勝たせるためには、盲目にして従順にする方が好都合だからだ。

さて、楽しみにしていた、晋三ぼっちゃんの敗北コメントは、、、?
「厳しい状況」は認めたけれど、泣かなかったし、退陣も言わなかった。
困難にはなるけれど、「『美しい日本』を作るという『約束』を果たすのが
私の責任ですので、努力していきたい」と言ってのけた。
そんな『約束』、ちっとも認めとらんぞーーー!!(`ε´)

「美しい日本」は、一首相の思い込みで作るものではない。
少なくとも、その一首相の思い描くイメージは「美しい日本」ではない。
実際、そう言ってる側から、次々に美しくない現実が暴露されている。
彼のイメージする「美しい日本」はそういうのがばれない限りでの美しさ、
北朝鮮の軍隊行進のような美しさに過ぎない。
そんなのはもうとっくにバレバレである。

「美しい日本」は、選挙を通じて国民が作ることができるはずだった。
本当にそんな選挙が繰り返されていたら、
戦後日本が還暦を迎えても、耄碌せず、若々しさを保っているはずだった。
今ごろになって、似たもの同士の政権交代が大きな期待になっているが、
政権交代がもっと大胆に、頻繁に行われていたら、
今回の選挙の争点になったような不祥事はなかったはずである。
(これについては別の機会に書こう、、ていうか、以前書いたような、、)

きょうの選挙結果は、最近の各機関の世論調査が暗示していた。
しかし私は、その通りになるかどうか、かなり危惧していた。
自民党の仕打ちに文句を言う有権者がたくさんいても、
選挙の時にはおおぜいの人が自民党に票を投じる、というのが
戦後の日本の民主主義の実態だったからだ。
政策への是非と、投票の意味とがまったく分離していたのだ。

きょうの選挙結果にはかなり満足できる。
(民主以外にも票が散ってほしかったと思うけれど、、)
しかし、投票率が低すぎる。




2007年07月28日(土) 参院選前夜

午前中だけのつもりで出校して、県大会の準備。
きょうの主な仕事は、進行表や注意事項を確定して、
県大会出場校に郵送する封筒を用意することだ。
その前に、プログラムの原稿を確定して、印刷屋を呼んでデータを渡した。

住所の入力にも手間取った。
参加申込書がまだ出揃わないので、連盟の名簿から転記したり、
参加申込書から転記済みのところも、実はそれは学校の住所ではなくて、
改めて入力し直したり、、、そんな厄介なことは予想もしてなかった。
いざ封筒に宛名を印刷しようとしたら、
通常みんなが使用しているプリンターはうまく紙送りしてくれないので、
何度か失敗を繰り返して、結局別の環境に移動しなきゃならなかったり。。

3時近くまで昼食も取らずに悪戦するはめになった。
急いで出て、コンビニで買った昼食を取りながら帰宅したが、
花火大会の客の渋滞が早くもできていて、帰宅に1時間近くかかった。
ゆっくり眠ってもいないのでもうくたくたである。
帰宅後1時間ほど眠ったけれど、起きるのがつらくてしょうがなかった。
むりやり起きて、市吹の練習に出かけた。

こんなことを書いておくのは、来年への記録のためである。


明日は参院選、、、歴史的な意義をもつに違いない参院選である。
自民党が今までどおりの順当な票を得れば、
おぼっちゃん首相のわがままはますます通り、
日本の平和も民主主義ももうあえなく死滅への一途をたどる。
この参院選の目的はひとつで十分である。
自民党の大敗、晋三ぼっちゃんをずたずたに切り裂くか、
ぼこぼこに鉄拳を与えて、再起不能のダメージを与えることだ。
ヒトラー小泉と晋三ぼっちゃんは、絶対首相にすべきでなかった。

しかし、私はまだ些か迷っている、







2007年07月27日(金) 再び、映画「手紙」(T_T)(T_T)(T_T)

きょうは1日中、県大会のプログラムの原稿作りと、
いくつもの問い合わせに応対して過ごした。
こんな風に忙殺されてると、何でこんなことしてるのかなーと不思議になる。

夜は仕事を忘れて「手紙」の後半を見た。
一昨日、貸していた人から帰ってきたので。。。
前に見たのは5月11日である。
2カ月以上経った今も、あの刑務所での漫才の場面は忘れられない。
再び、あの場面に涙しようと思って、全部を見る時間はなさそうなので、
ご令嬢朝美と別れざるを得なくあたりから見始めた。

繰り返し見ることによって、前にちょっと惹かれたことが、
より大きな意味を持って迫ってくることがある。
そういうことを期待して見たり聞いたりするわけではないが、
実際に、そういう予期せぬ事態に遭って、驚かされたりする。
それは、映画やドラマだけでなく、読書でも音楽でも同じである。
いわゆる熟読の楽しみというやつである。

今夜は、沢尻エリカの演じる由美子の存在の大きさにとりわけ感動。。。

家電量販店に就職できて、成績も挙げつつある直貴が、倉庫に左遷された。
これもまた、兄貴の罪のせいという理不尽な扱いである。
会社の会長が、厳しい励ましにやってくる。
会長の心を動かしたのは、由美子が直貴に内緒で出した手紙だった。
会長が甘いことを言わないところに、
却って由美子の思いが込められているようだ。

理不尽なこの場所から逃げないで生き続けることと、
手紙の大切さについての、由美子の毅然とした態度に感動させられる。

このこぢんまりした印象の女優の魅力は、儚げな笑顔と、
さりげなく発せられる言葉にも強さを感じさせるところだ。
「1リットルの涙」でも感じさせられたことだ。


ラストの漫才がなぜ泣かせるのか、再確認した。
直貴は、兄に最後の手紙を書き、家族のために兄を捨てると宣言した。
兄も、その手紙で、自身の罪の深さを真に思い知った。
しかし、映画は、その兄弟の訣別で終わらない。
直貴は慰問漫才の中で、バカな兄貴だとさんざんこけ降ろして笑いを取る。
しかし、かけがえのない兄貴だ、というメッセージを、兄に伝えるのだ。
捨てる、しかし、兄貴は永遠に兄貴だ。。。

唯一の愛と心の支えの対象である弟から手紙で捨てられた兄が、
そして、自身の犯した罪の大きさと深さに絶望しかけていた兄が、
この言葉を聞いてどう感じたか、、、言葉で説明はしたくない。
その深い心の交流が、一層涙を誘うわけだ。



2007年07月26日(木) バタッ_(_ _)_

きょうは、吹奏楽コンクール地区大会の運営。
疲れたー。

もどかしい演奏の連続にも疲れたー。



2007年07月25日(水) 久々に「ART OF LIFE」

XJapan の「青い夜 白い夜」のライヴDVDが届いた。
'94年の12月30日、31日の東京ドームライヴを収録したものである。

今夜は明日の地区大会の準備に会場に行っていたので帰りが遅く、
「青い夜」の3分の1くらいしか見ることができなかった。
聞いているうちに、あんまりミキシングの状態がよくないので、
アルバム「ダリア」を改めて聞きたくなった。
ライヴとは関係ないけど、超名曲の「Crucify My Love」も聞きたくなった。
しかし、すぐには見つからなかった。

その代わり目に入ったのが「ART OF LIFE」である。
30分弱の、組曲というか交響詩というか、長い1曲である。
数年前にこれを車で聞きながら疾走していた時期があった。
「黒のオデッセイに似合う曲だと思わん??」と言って、
Xファンの友人にも妻にも笑われたものだが、
ピンクフロイドの「狂気」や「アニマルズ」ほど格調高くないにしても、
全編に流れるYoshiki 節も、リズムの変化の妙も実に好ましいものだ。
(ピアノソロが次第に破壊的になっていくところは聞いてて辛いけど)
歌なしの長いバンド演奏部分があるのもエキサイティングで嬉しい。

明日出かけるときにはこれを持って出て、黒のオデッセイの中で聞こう。



2007年07月24日(火) ・・・・・。

また書いてる途中で日記が消えた(`ε´)

疲れに耐えて書き続けたのに〜〜〜(T_T)

書き直す気力なし。。。

システムから全部インストールし直さなきゃいかん、と思うが、
その膨大な作業量を思うと、なかなか踏み切れない。

あ〜〜あ。。。_(_ _)_



2007年07月23日(月) 解放

きょうは、朝、追試の監督がひとつあり、午後には会議が2つあった。
その合間に、県大会の準備をいろいろ進めた。
去年は地区大会が終わるまで県大会の準備にかかれなかったのだが、
今年は地区大会準備をほぼ終えてしまったので、早々に取りかかった。
このあたり、なかなか満足の行く展開が続いている。
しかし今夜は、休日もゆっくり寝てなかったせいか、
夕食後わけわからない状態に陥って、実に久々に2時間ほど宵寝した。

補充授業も終わり、追試監督も終わって、いわゆる教室仕事は一段落である。
これだけでも精神的にかなりの解放感である。
たとえば、明日は午後パワーポイントの講習が入っているけれど、
午前中は出勤してもまったくのフリーである。
世知辛い世の中になって、昔のような気ままな夏休みではなくなったけれど、
教室仕事から一時期解放されるだけでも、夏休みはありがたい。
他の仕事に専念できるからである。

県大会準備もできるだけ計画的に進めて、
去年のような忙殺は避けたいものである。
仕事と趣味をバランス良く楽しめる毎日を過ごしたいものだ。
好きなことだけやっていたいなんて贅沢は言わないから。。。



2007年07月22日(日) 「ツイン・ピークス」

とんでもない状況で、BOX の最終回が終わってしまった。
このDVDは5年前の11月に出たそうで、
その翌年にシーズン2が出ると予告されてたそうだが、まだ出てないそうだ。
そのころにDVDを買って見た人たちには残酷なことだ。
なぜパラマウントは続編を出し惜しみしたのだろうか、、??

不思議な魅力を湛えたドラマである。
次から次へと謎に包まれる。
そもそもの、殺されたローラの真実が謎である。
それも次第にわかりかけてきているし、犯人もわかりかけてきている。
しかし、その周辺の人物にも謎が多い。
誰が誰を愛し、誰が誰を信じているかも、あやふやになってくる。
見ている我々は、誰彼となく疑心暗鬼に陥りそうである。
「24」を見ていると、誰を信じたらいいんだーー、と悩ましくなるが、
ああいうドラマの先駆けみたいな感じに思われてくる。
場面が変わるごとに、これは誰で、ここは誰の家だ?? 
何で彼らがここに? 、、等々と、いちいち考えることも珍しくない。
遊びの要素も挟まれ、そう緊張の連続ということもないのだけれど、
様々な不思議に突き動かされて、ついつい熱心に見てしまう。



2007年07月21日(土) 競争原理の弊害

本人はセンター試験を受けるつもりはないのに受けさせられたり、
その学校に行く気はないのに受けさせられたり、というようなことがある
ということは聞いたことがある。
もう合格校に行くことは決めても、さらに他校を受けさせて、
学校全体の「実績」を上げようという魂胆らしい。
なんちゅうことするねん!!(`ε´) と怒ってしまう。
受験は生徒の選択の自由で、その選択にアドヴァイスすることはいいけど、
生徒が選択もしない学校を無理に受けさせるとは何事だ、と思う。
それがふだんの感覚である。

しかし、こんな極端な暴挙に及んだ学校もあるとは。。。

 私立大阪学芸高校(大阪市住吉区、近藤永(えい)校長)が大学入試で、優秀な生徒の受験料を負担し、志望校とは関係なく多数の有名私大を受けさせ、合格実績を「水増し」していたことがわかった。大学入試センター試験の結果だけで合否を判定する私大の入試を利用。06年度入試を受けた生徒は、1人で「関関同立」と呼ばれる4私大の73学部・学科に合格していた。同校は、合格実績を上げた生徒に対し5万円の「激励金」も払っていた。
 同校によると、73学部・学科に合格した男子生徒は特進コースに在籍し、成績は理系トップ。国公立大志望だったが、関西、関西学院、同志社、立命館の「関関同立」の5学部・学科も受けるつもりだった。大阪学芸高は受験直前、センター試験の成績だけで合否が決まる枠のある、「関関同立」の文系を含む計68学部・学科にも出願することを持ちかけ、同意を得たという。
 男子生徒は元々受けるつもりだった5学部・学科と合わせ73学部・学科にすべて合格した。受験料と願書の送料計約143万円は全額、奨学金の名目で学校側が負担。さらに激励金5万円と数万円相当の腕時計を贈ったという。
 同校は06年度の4私大の合格者数を延べ144人と公表しているが、この男子生徒が半数以上の実績をあげていた。合格者の実数は33人だった。男子生徒は第1志望の公立大の理系学部に進学した。
 同校は02年度から、模擬試験で成績優秀だった生徒を対象に、有名私大の受験料を負担する「進学奨学金制度」を始めた。制度は非公開で、適用する生徒にだけ伝えていた。07年度は、1人で十数学部・学科に合格した生徒がいるという。近藤校長は「そのつもりはなかったが、結果的に水増しと言われても仕方がない」と話している。


文科省や教育再生会議は、「競争原理」が好きである。
競争させれば教育の質は高まるというおかしな信仰に盲目である。
自分たちが出世競争、売名競争にあくせくし続けているからだろう。

「競争原理」はあまり押しつけると、「虚しい実績」競争に陥る。
学校間などは本当にそういう争いになる。
先日も、統一学力テストかなんかのために、過去問を懸命にやらせたり、
試験監督の教員が試験中にヒントめいた合図をした問題が報道された。
教育関係者が、生徒の学力ということを本当に真剣に考えたら、
そんなとろくさい学校間競争などということは微塵も考えない。

「競争原理」を教員間に押しつけると、目も当てられない悲惨な状況になる。
これについては、もう以前(4月9日かな?)に書いた。



2007年07月20日(金) 「ツイン・ピークス」を見始める

きょうは、補充授業準備、授業、追試験作りで1日が終わってしまった。
ばかばかしい時間の使い方だと思うが、しないわけにもいかない仕事である。
しかし、ホントはきょう終えることができるとは思ってなかったので、
きょうのうちに片づけてしまうことができて、実にハッピーである。

帰ったら「ツイン・ピークス」が届いていた。
アメリカのちょっと古いTVドラマである。
たまたまサイトを行き来している間に見つけて興味が湧き、
楽天でもっとも安い値段にしている店を探して注文しておいた。
まだ娘が夕飯作りにとりかかった頃だったので、夕飯前から見始めた。
1時間半のパイロット版と、50分ほどのエピソードが7つだが、
ついつい、第4話まで見てしまった。(夜中の2時を過ぎた)

アマゾンのストーリー要約
アメリカ北西部の小さな町ツイン・ピークスで、
ある日、ビニール袋に包まれた少女の死体が発見される。
被害者は地元の高校に通う17歳のローラ・パーマー。
検死の結果、彼女は死の12時間前に少なくとも3人の男と性交渉があり、
ドラッグの常習者であった事実が判明する。
町でも評判の優等生だった彼女の身に何が起きたのか?
事件解決の為に派遣されたFBI特別捜査官クーパー(カイル・マクラクラン)はいくつかの謎めいた手がかりを発見する。
しかし捜査が進むに連れ、ローラを巡る人々の意外な一面が明らかとなり、
事件はさらに複雑な様相を呈していく。


謎は深まり広がるばかりなので、ついつい見続けてしまったのだ。



2007年07月19日(木) おもろい女

東野圭吾の「幻夜」を500ページ(6割)ほど読んだところなのだが、
「白夜行」の雪穂に引き続き、美冬というヒロインがおもしろい。
謎の美貌の悪女として、一刑事が化けの皮を剥がすために追いかけるが、
なかなかぼろを出さない、、、どちらも実にそつのない行動を取る。
雪穂に桐原という陰のパートナーがいたように、
美冬にも雅也という陰のパートナーがいる。
阪神大震災の直後の混乱の中での雅也の密かな凶行を美冬は見ていた。
しかし、美冬はそれを咎めるどころか、雅也の危機を救い、共に上京した。
その後の2人の関係がどのようなものかはだんだんわかるようになっている。

「白夜行」では、雪穂たちはあまり登場しなかった。
10日ほど前に、「白夜行」の不思議な印象を書いた。
「出番も少なく、中心として描かれないのに、主役のようだ」
それに比べると、「幻夜」の2人の出番は多い。
昨日読んだ部分の、美冬と雅也のやりとりはおもしろかった。
美冬は雅也の前でだけ、関西弁丸出しで話す、その調子もおもしろい。
そして、雪穂もこんな考えだったのだろうな、と思う。

美冬が、銀座の一流宝石店の社長と結婚しようとしていることについて。。

「美冬、おまえ、本気か」
「何が?」
「何がて、、、本気であの男と結婚する気なんか」
「当たり前やないの。そんなこと、伊達や酔狂でできるかいな」
「けど美冬はあの男のことを好きでも何でもないんやろ。それやのに、、」
「ちょっと待って。そのことやったら前から何遍も説明してるやないの。
 あたしはあの男が好きなのと違う。あの男の妻という座が好きなんよ。
 好きなものを手に入れたいと思うのは自然なことやろ?」
「そんなん、、、おかしい」
すると美冬は真顔に戻り、腕を組んだ。低い声でしゃべりだした。
「雅也、あんた、金のために結婚するのは動機が不純やとか
 いいだすんやないやろね」
再び横を向いた彼に、しょうがないなぁ、と呆れたような声を出した。
「ええ歳して結婚に理想を求めてどうするの。
 結婚は、人生を変える手段なんよ。
 世の中で苦労してる女を見てみ。みんな旦那選びをしくじってる。
 真面目第一とか、子ども好きとか、そんな寝ぼけたようなことを
 結婚の条件にしてるからや」
「好き同士が一緒になる、というのが本当の結婚とちがうのか」
「好き同士やで。秋村さんはあたしのことが好きやし、
 あたしは秋村夫人という立場が好き。何も問題ないやろ」
「俺の言いたいのは」
「わかってる」美冬は彼の口の前に手を出した。
「惚れ合ってる者同士のことやといいたいんやろ。
 けどな、そういう2人に結婚という形が必要か。
 あたしが本当に好きなのは雅也だけ。
 雅也もあたしのことを愛してくれてる。そうやろ?
 あたしらには結婚なんていう形式は必要ない。
 そんなものより、もっと強い絆で結ばれてる。
 あたしが結婚した後も、2人はずっと一緒や。
 あたしにとって雅也はこの世で信用できる唯一の同志。
 あたしも雅也にとってそういう存在でありたい。
 ただし、2人の関係は誰にも知られないようにする。
 相手が苦しいとき、舞台の裏側から助けてやる。
 世間の目には真実は見えへん。警察にもわかれへん。
 それでええと違うの?」
「けど俺は、美冬がほかの男のものになるというのが我慢ならん」
「結婚したからというて、あの男のものになるわけやない。
 名字が変わるだけや。
 たったそれだけのことで、遺産の相続人と生命保険の受取人になれる」


2人のやりとりはまだまだ続く。美冬は愛や幸福についてズバズバ語る。
それだけでなく、雅也を精神的に強くするための調教にも余念がない。
そうして2人の会話は、新しい罠(策略)の相談へと入っていく。

そういうもんじゃないでしょ、美冬ちゃん、と言うべきところだが、
美冬の言葉が妙に説得力をもって迫って来るのは、
この物語全体の雰囲気や、ここまでの経緯のせいでもあるだろうし、
具体的な形は成してないが、菜々子さまをも超える程の美女のイメージが、
私の中にできあがってしまっているからでもあるだろう。



2007年07月18日(水) 順調なコンクール準備

去年のきょうは地区大会のプログラム原稿を作っていたようだが、
今年はもう印刷屋に回し、校正も終わって印刷にかかってもらっている。
去年の一昨日ごろは、地区大会で選ばれる代表校に渡してもらう
県大会のための資料の封筒詰めにあくせくしていたようだが、
それはもう、先月の理事会までに用意して各地区事務局に配布した。
去年、荷造りをして宅急便で送るのが予想以上に手間だったので、
今年は何とか手渡しできるようにと、早々に準備したのだった。

去年は1週間先に発注した出演者用リボンを、きょう発注した。
ついでに、地区大会の分も発注して、事務局校に送ってもらうことにした。
帰宅してから、地区大会の審査講評用紙などを印刷した。
これを、明後日くらいにプログラムともども事務局に渡したら、
私の地区大会関係の準備作業は終わりである。
例年より数日早いペースである。

県大会の準備は、地区大会が終わって代表校が決まらないとできないことが
多いけれど、それ以外の文書の準備などは地区大会までにやっておけそうだ。
去年は地区大会から県大会までの1週間ほどが、
まったく気が抜けないほど慌ただしく忙しい毎日だったけれど、
今年はいくらか余裕ができるだろう。

もちろん、これらの仕事に専念していたわけではない。
昨日書いた補充・追試というくだらん仕事の準備はしなきゃならなかったし、
午後の大半は、最近できなかった図書館の仕事を片づけていた。
閉館時刻を5時半まで延ばし、生徒を帰らせて施錠してから、
審査用紙などを印刷するために急いで帰宅したのだった。
明日は昼から1校練習を見に行かなければならないこともあって。。。



2007年07月17日(火) とりあえず一段落

きょうで1学期の授業が終わった。
明日は通常より2日早い終業式だが、2学期の始業式も2日早くしてある。
学校祭をできるだけ終わらせるために、
土日曜日との関係でこういう日程にせざるを得なくなったわけだ。
きょうは、それがとってもありがたい気分だった(錯覚なんだけどね)。

しかし、不振者生徒の補充授業・追試というのがあるので、
授業は終わったと言ってもほっとしてはいられない。
これは実にくーだらない仕事である。



2007年07月16日(月) やっぱり、坊ちゃん?

きょうの天声人語を読んで笑った。

 きのう岩波文庫の創刊80年について書いたら、「一番売れたのは何か」と質問をいただいた。答えは、157万部を数える『ソクラテスの弁明・クリトン』である。

 古代ギリシャの哲人ソクラテスは、「神々を信仰せず青年を堕落させた」と告発される。『弁明』は、その裁判での反論演説の記録だ。彼は死刑を宣告される。逃亡もできたのに拒み、毒杯をあおいで死んだ。「悪法もまた法なり」の言葉を最期に残したとされる。

 「昭和のソクラテス」と呼ばれた人を思い出す。戦後の食糧難時代に、違法なヤミ米を拒み、極度の栄養失調で死んだ山口良忠判事である。「自分はソクラテスならねど食糧統制法の下、喜んで餓死する」と病床日記に残した。この秋で、亡くなって60年になる。


ここまで読んだ限りでは、話が次のように展開するとは全く予想しなかった。

 「立派だ」「愚直にすぎる」。感想は分かれよう。だが「ザル法もまた法」とばかりに、事務所費の疑惑に頬被(ほおかむ)りする当節の大臣に比べれば、どれほど「品格」に富むことだろう。論法は同じでも、モラルは天と地ほどに違う。

 「李下(りか)に冠を正さず」と言う。だが赤城農水相は、不自然極まる経理処理で「冠を正し」てしまった。疑惑を晴らすには、李(すもも)を盗んではいないと、手を開いて見せるしかない。この場合は領収書を示すことだろう。

 かばい続ける安倍首相にも、「仲良し内閣」と批判が募る。首相と赤城氏は、祖父同士も「首相(岸信介)と農林相」の間柄だった。御曹司ゆえの大甘か。
 ちなみにではあるが、岩波文庫の2位は136万部の『坊っちゃん』である。


この最後のオチに笑ってしまった。
先日、社民党の福島さんが「ぼんぼんの政治」と言ってたし、
晋三ぼっちゃん、という見方はほぼ一般的のようだ。
晋ちゃんと徳ちゃんは「仲良し」ぼっちゃんたちかね〜?(笑)


ちなみに、きょうの朝日の世論調査によれば、
内閣不支持率はさらにややアップして55%、支持率は30%に微減。
投票先についても、比例・地方とも民主が徐々に増えているようだ。
とにかく、おぼっちゃまに地獄を見せてやらなきゃ、、、
それが今回の選挙の使命だ。国民の使命だ。

今回の調査では、
「最近の発言や行動を見て安倍首相の印象がよくなったか」
という質問を採り入れたそうだ。
   よくなった  6%
   悪くなった 45%
   変わらない 45%

私がこう問われたら、真の答えは「変わらない」なんだけど、
ますます悪くなった、という意味を込めて「悪くなった」と答えただろう。
「変わらない」にも、「変わらずよい」と「変わらず悪い」の2つがある。
ここまで選択肢に入れなきゃあね。。。
それにしても、「よくなった」と思える6%が不思議だ。どこが???



2007年07月15日(日) 音楽三昧の1日

台風一過でさわやかに晴れてきたし、のんびりできる1日だったので、
何をしようかなー、、、、、、、、、、と考える間もなく、
今年の課題曲や2、3の吹奏楽曲の研究をしていたら1日過ぎてしまった。

課題曲4のスコアを、ちょっと細かく点検した。
そう目新しい発見はなかったけれど、イメージはよりはっきりしてきたし、
留意するところもいろいろとわかってきた。
また、地区大会で演奏される予定の曲を3曲ほど、
サイトからダウンロードしたり(以前簡単にできたのができなくて苦労した)
手持ちのCDを探したりして、繰り返し聴いた。
スコアがないので聴くだけである。
どれも市吹の候補曲にしてもいいかも知れないと思えた。
毎年選曲に四苦八苦する私には、候補曲は多い方がいい。
教えてもらえてよかった、という感じである。

明日は2校の練習を見に行くことになっている。
明後日は勤務後、前任校の練習を見に行くことになった。
木曜日にも1校見に行くし、土曜日にも1校予約が入っている。
1回くらい見に行ってアドヴァイスしたところでそう役に立たんと思うが、
ま、私としては、自分自身のための勉強になって良い。



2007年07月14日(土) 権力者と憲法

昨夜は、書いている途中で力尽きた。
最近こういうケースが目立ってるが、とにかく映画は長いので、
遅い時間になってしまうのだ。
ちなみにこの映画は2時間半である。

ピーターは演説の後、さっさと聴聞会から退席する。
その広い会場を、議長の罵倒と戻るように促す声を背に、
報道関係者や傍聴人かき分けるように退席する場面、ここが泣けるのだ。
なぜって? それは、これから見る人のためにバラしてはいけない。

ピーターが流れ着いて生活することになったローソンの町の人々の
愚直と言ってもいいほどの温かさが、
権力側の狡猾な愚かさを一層引き立てている。


実は私は、日本でレッドパージが行われていたころ、
アメリカでもこのようなアカ狩りが行われていたことを知らなかった。
あるいは、学生時代に何かで聞いたかもしれないが忘れていたのかも。。。
日本のはレッドパージと言うけれど、アメリカのはマッカーシズムという。
マッカーシズムという語には聞き覚えがあるけれど、
アメリカでのアカ狩りとはまったく結びついていなかった。

ウィキペディアのマッカーシズムの項から引用しておこう。

              概要

 この様な事態に陥った基盤としては、1949年に、中国共産党が国共内戦に勝利し中華人民共和国を成立させたことや、ソ連が原爆実験に成功し、アメリカの核独占が破れたことから、狂信的反共主義者の「共産主義」への脅威感が病的に拡大されたことにあったと言われる。反共ヒステリー状況と見る社会学者もいる。

マッカーシーはその告発対象をアメリカ陸軍やマスコミ関係者、映画関係者や学者にまで広げるなど、マッカーシズムは1950年代初頭のアメリカを恐怖に包み込んだが、マッカーシーやその右腕となった若手弁護士のロイ・コーンなどによる、偽の「共産主義者リスト」の提出に代表される様な様々な偽証や事実の歪曲や、自白や協力者の告発、密告の強要までを取り入れた強引な手法が次第にマスコミや民主党から大きな反感を買うことになる。

 その後1954年3月9日には、ジャーナリストのエドワード・R・マローにより、マローがホストを勤めるドキュメンタリー番組「See it Now」の特別番組内でマッカーシー批判を行い多くの視聴者から支持を得たことを皮切りに、マスコミによるマッカーシーに対する批判が広がった。その後同年の12月2日に、上院は65対22でマッカーシーに対して「上院に不名誉と不評判をもたらすよう指揮した」として事実上の不信任を突きつけ、ここに「マッカーシズム=アメリカにおける赤狩り」は終焉を迎えることになる。

 しかし、事件が収まった後も「赤」への敵意はアメリカ社会の底辺に根強く残され、保守意識の基盤を形成した。


            再評価の動き

 1990年代以降に公開された資料等に基づき、「当時のアメリカ国内では現実にコミンテルンがマスコミや政財界、軍部まで取り込み工作活動を行っており、マッカーシーらの活動は、手法に強引さはあったものの、当時のコミンテルン人脈を断ち切った」として再評価する動きもある。

 日本の知識人では、中西輝政などがマッカーシズムを評価している(『諸君!』2006年5月号「マッカーシーは正しかった」、同6月号「やはりマッカーシーは正しかった」)。中西は、「マッカーシー上院議員の多くの指摘は殆ど全て正しい告発だったことが、この十年間の情報史料の公開によって確証された」と説明している(前掲5月号)。


           映画界への影響

 告発された映画人は、チャーリー・チャップリン、ジョン・ヒューストン、ウィリアム・ワイラーなどアメリカ人や外国人の関係者を含めた数百人に上る。

 エリア・カザン、ウォルト・ディズニー、ゲーリー・クーパー、ロバート・テイラーと、ロナルド・レーガン(後のアメリカ大統領)などは告発者として協力したことで知られる。
 
 それに反して、パージを推進した非米活動委員会がアメリカ憲法と権利章典に違反するとして、ダニー・ケイ、ジュディ・ガーランド、ヘンリー・フォンダ、ハンフリー・ボガート、グレゴリー・ペック、カーク・ダグラス、バート・ランカスター、フランク・シナトラ、キャサリン・ヘプバーン、ベニー・グッドマン(順不同、一部)など映画人・公務員多数が反対運動を起こした。

 マッカーシズム以降、ハリウッドには根強い共和党への不信感が生まれ大統領選挙でも民主党支持が定着している。


レッドパージがGHQの指令で行われた話を知ったころ(たぶん高校時代)
あの憲法を日本に公布させた人たちが、
そういう弾圧を推進したということが不思議だった。
公布後数年も経たぬうちに、憲法違反を奨励しているではないか、と、
そのころそうまではっきりした批判をしたわけではないけれど、
少なくとも、なんでかなー、なんかへんだなー、くらいの思いを抱いた。
その結果、日本国民の多くに反共精神が培われたわけだ。
「しかし、事件が収まった後も「赤」への敵意は
 アメリカ社会の底辺に根強く残され、保守意識の基盤を形成した」
とまったく同じだ。
保守派の将来を見通した一時的な作戦だったのかもしれないなぁ。。。

本国でも同じことがあったのだと知って、ますます驚く。
「言論の自由」というものを、日本より先に知っていた国ではないか!

映画では、
「言ってはいけないことがある」「言ったら破滅だ」
という状況が強調されている。
真実を語れ、と言いつつ、用意された猿芝居を強要する。
真実を語ると、侮辱罪だ、反逆罪だと脅される。
共産党員でないのに、共産党員として懺悔しないと投獄される。。。

どうして、こんな暴挙が、自由国家で許されるのだろうか、、?

庶民が法に違反したときの摘要は厳しい。
しかし、権力者が憲法をないがしろにしたり違反したりしたときの
マスコミの糾弾は手ぬるすぎる。



2007年07月13日(金) 映画「マジェスティック」(T_T)

先日職場で話題になり、興味を持ったのだが、
900円台で売ってるDVDを見つけたので早速取り寄せて見てみた。

駆け出しのシナリオライター、ピーターは突然企画をキャンセルされた。
終戦後数年経ったいわゆるアカ狩りの時代で、
大学時代に共産党系のサークルに所属していたというだけのことで
共産党員と誤解され、FBIに目をつけられることになってしまった。
そのサークルは「戦災地救済部」と言うのだそうだ(何が悪いのだろうか)。
仕事も失い、恋人にもふられ、酔って海岸線をドライブしているうちに
川に落ち、流れ着いたところで助けられたが記憶を失っていた。
その町の元映画館経営者のハリーが、息子のルークだと思い込んだ。
ピーターの背格好がルークとそっくりだったのである。
ルークの恋人だったアデルも町の人々も、
出征して戦死したと思っていたルークが生還したと思うことができた。
町中がルークの生還を祝い、希望と喜びを噛みしめた。
記憶を失っているピーターは戸惑いながらも、アデルの恋人として、
そしてハリーの息子として、映画館の復興に尽力する。
その映画館の名前が「マジェスティック」である。

しかし、物語はそこで終わらない。
この後に本当の「マジェスティック」が演じられる。

FBIは行方知れずになっていたピーターを遂に見つけ、拘束する。
彼が救われ自由になる唯一の道は、聴聞会において、
用意された声明文を読み上げることである。
その声明文とは、共産党員としての過ちを認め(そうじゃなかったのに?)
謝罪し、用意されている「仲間」リストを読み上げて「仲間を売る」ものだ。
要するに、切支丹の「踏み絵」と同様の性格のものである。
そういう儀式を公衆の面前で行わせる、卑劣な猿芝居である。

「真実を語る」ことを宣誓させられた聴聞会で、
ピーターが戦災地救済部に入った理由を正直に答えると、
「ふざけるなら侮辱罪だ」と議長に制せられる。
この場合の「真実」とは、「権力」が用意したシナリオでしかないようだ。

促されて「声明文」を読み始めたピーターは読み続けることができなくなる。
そして、投獄も厭わず、語り始める。

「問題は、私が共産党員かどうかと違う」(そもそも党員ではないのだ)
(議長)「それ以外に大きな問題はあり得ない」
「正直言って、僕には信念というものがない。必要と思えなかったし、、、
 本当を言えば、信念を持つだけの勇気もなかった」

そうして、彼はルークの信念と勇気を讃え、
「彼ならこういうでしょう」と話を続ける。
「『僕らが命を懸けて守ろうとした国はこんな国ではなかった。
 あなた方が示すアメリカという国は、冷酷で度量が狭い』」

更に彼は「合衆国憲法」を取り出し、その「修正第1条」を読み上げる。
議長の盛んな制止と妨害をものともせずに。。。
その条文を、とあるサイトからコピペすると、、、
「連邦議会は、国教を樹立し、あるいは信教上の自由な行為を禁止する法律、
 または言論あるいは出版の自由を制限し、または人民が平穏に集会し、
 また苦痛の救済を求めるため政府に請願する権利を侵す法律を
 制定してはならない」

それについて、彼は続ける。
「この憲法修正1条はアメリカの基本理念です。
 国民が国と交わしたもっとも大事な契約です。
 たとえこの憲法や修正箇条という契約がただのサイン入りの紙切れでも
 身勝手な都合による変更が許されない、唯一の契約書です。
 議長にも、捜査官にも、誰にも変えられない。
 これを守るため、多くの血が、、、、、」



2007年07月12日(木) お先まっ暗

雨3日目である。
台風が近づいていることもあって、これからまだ2〜3日は大雨のようだ。
この時期は梅雨も明けて、猛暑酷暑が訪れることもあるから、
夏休み前に汗を垂らしながら授業をやらなくてもいいのが実にありがたい。
きょうの午前中には、日没後のように暗くなって激しい雨が降った。
そう長く続いたわけではないけれど。。。

参院選公示、で、ニュースもうるさくなった。
昨夜、大相撲ダイジェストを見ようと思ったら、
7党首討論とかいうのが放映中で、見れなかった。
少しだけ見ていたけれど、熱い議論を闘わせているわけではなかった。
司会者みたいな人の質問に、指名された党首が答えるだけである。
質問先は偏らないように配慮されていたようだが、
私が見ていた何分かの大半は晋三ぼっちゃんが喋っていた。

自分が強行して決めてきた数々の法案を評価してくれ、
評価してもらって当然だ、、、と言わんばかりの熱弁をしている。
自分はいいことばかりをしてきたというこの自信はいったいどこから?
そりゃあ、自信や自負がなきゃこんな地位で突っ張ってはいられないだろう
が、数々の批判も何のその、念仏を聞く馬のようになれるのが不思議だ。
誤りだらけのぼっちゃん法案と思っている者から見ると、
何かもう、とても人間が話しているとは思われなくなってしまう。

農水相の問題でも批判を浴びている中で、「美しい日本」を語れる、
これもあまりにも不思議だ。
行政から見捨てられて、餓死してミイラ化しかけた状態で発見された人が
いると報道された後で、ぼっちゃんの「美しい日本」を聞いた。
本当に、何をもって「美しい」と言っているのか、
ぼっちゃんがちゃんと説明したことってあったっけ?
私には、独裁的権力の下で全国民が言いなりになって敬礼する国、
を思い描いているとしか思えないのだが。。。

参院選では、自民党は絶対に負けなければならない。
自民党が過半数を取ることは絶対にあってはならない。
この何ヶ月の間でさえいくつものめちゃくちゃな暴挙に及んできた悪魔が、
これで参院選に勝ちでもしたら、やりたい放題、
国民が不幸な「美しい日本」という将来が約束されるも同然である。
ぼっちゃんは大敗しなければ決して反省しない。

  それにしても、昨夜のニュース番組で、自民党の組織票一覧を見て、
  そのあまりの種類の多さに驚いた。
  こういう組織票のほとんどが、一国民という立場からの政策評価とは
  無関係に、組織の圧力で投票されるんだなぁ。。。
  そういう立場に身を置いたことがないので、その心境がわからない。
  そして、こういう組織票が生きているということは、
  それだけ、我々の税金がそういう組織に流れているということだ。
  こういう悪循環を基盤に自民党政権が続いてきたわけだ。
  「美しい政権」というのはあり得ないのだ。
  「美しい日本」という語に寒気を覚えた理由のひとつがここにもある。

しかし、政権交代の候補者が民主党では、そう大差ないと言わねばならない。
我々が若かったころの、自民vs社・共という対立構造だったら、
毎回のように政権交代することにも大いに意味があった。
もう、現代のような構図になってしまったら、政権交代は却って危険だ。
似たもの同士の2大政党が、ひとつの権力に団結してしまう恐れがある。
それこそ、もう目も当てられない不幸な状況になってしまう。
自民がとりあえず第1党を守りつつ、好き勝手はできない、というのが
もっとも望ましい形なのではないかと思われる。
戦後民主主義は、もうよぼよぼ爺さんになってしまったのだ。

きちっと正当な発言をしてくれる政党の躍進を期待したいのだけれど、
(ま、日本国民の心性からして、こんなことはまずあり得ないのだが)
これとても、あまり躍進すると、反共路線の大政党たちが潰しにかかる。
それもまた、似たもの同士の団結を促す恐れがある。
戦後民主主義は、耄碌してしまって、八方塞がり、、、
本来の行き場を見失ってしまっているのである。

そんなわけで、自民大敗を願いながらも、その思いは複雑である。
しかしとにかく、今度の選挙は、晋三ぼっちゃんを落胆させなければ。。。
強行採決乱用政治(=実質的な独裁)に歯止めをかけなければ。。。
わがままがすんなり通らないことを教えてあげなければ。。。



2007年07月11日(水) 番狂わせ

今週はいろいろと狂いっぱなしであたふたしている。

まず月曜日の前夜だが、大相撲ダイジェストが1:45分からでは
寝るのが遅くなってしまうと思いつつ、結局その頃まで起きていたので、
TVのスィッチを入れてみたら、ウィンブルドンの男子決勝をやっていた。
見始めたらすごい試合なので、第3・4セットを見てしまった。
それでもう未明の3時も回ってしまい、
第5セットも、もちろん大相撲ダイジェストも諦めて寝た。
翌日は寝坊もしなかったし、睡魔にも悩まされることはなかったけれど、
午前中は体が重たくて困った。

火曜日の朝は、月1回の資源回収だった。
しかし雨降りの朝は行われないことになっている。
外に出てみたら雨が降っているので、きょうは中止だなと思ったら、
運んでいる人の姿が見えた。
回収場所の見える所まで行ってみたら、まだいつもより少ないけれど、
決行しているらしかった。
さぁ、困った。
雨が降っていなければ、台車を使って1度で運べるはずなのだが、
傘をささないわけに行かないほど雨が降っているので、台車は使えない。
その労力は、たぶん、台車を使った場合の10倍ほどになった。
もう終わった後は、貧血で倒れる寸前のように辛かった。
その体調不良は昼前まで続いた。

職場に行くと、想定していなかった仕事が、蛆虫のように湧いてくる。
結局、忙殺されて、ぐったり。。。

しかし、様々な分野の仕事が着実に片づいて行くのを感じるのは快感だ。
本を読もうと思えば読める時間もなんとか見出せているし。。。

新横綱白鵬。。。
3場所ほど前まで、初日に破れる場所が続き、序盤に苦しんだので、
その安定感が不安で、横綱にするのが不安だったけれど、
この4日間は安定した余裕の相撲のようだ。
こういう誤算はうれしい。

月曜からずっと雨である。
きょうは午後から降らず、教室に行くと何となく蒸し蒸し感があったが、
7月にしては暑さに悩まされない日が続いている。
台風の接近と梅雨前線の動きのために、今週末までこんな天気らしい。
週間予報では、18日の終業式まで晴れマークが見られない。
うだるような暑さの中で7月の授業をやった経験が何度もある者にとっては
これも実にうれしいことだ。



2007年07月10日(火) 「白夜行」

東野圭吾の、854ページもある持ち歩くのもたいへんな文庫本である。
きょうの夕方やっと読み終わった。
といっても、読み始めたのがいつかわからない。
先月の12日に、帰る途中喫茶店で本を読んだことが書いてあるが、
この時は、久々にこの「白夜行」を開いたのだった。
最初の数十ページを読んでから、なかなかゆっくり読む時間が取れず、
それを読みたくて寄ったのだった。
それからコンクール関係の仕事もあったし、試験もあった。
まとまった時間が取れるときは、DVDの視聴に時間をとった。
若いころは、身の回りにものが少なかったので、
ひとつのことに専念しやすい環境にあったのだけれど、
今は、仕事も多岐に及んでいるし、いろんなものに囲まれていて、
本を読み始めても、なかなか一気に読んでしまうことができない。

それでも、登場人物の印象が強いせいか、
しばらく離れていても、すぐにその世界に帰って行ける。

この雪穂の存在感はなんだ?
小説全体の中で、そう多く登場するわけではない。
登場したときでも、雪穂の位置から描かれることはない。
実際のところ、何をどう考え、感じているか、そんなことは描かれない。
彼女はいつも脇役に過ぎない。
しかし、物語のさまざまな出来事に、常に影のようにまとわりついている。
出番も少なく、中心として描かれないのに、主役のようだ。
雪穂よりもうんと出番の多い桐原も、中心として描かれることがない。
また、桐原と雪穂が共演する場面もない。
それにもかかわらず、桐原という助演男優を通じて、
ヒロイン雪穂の真実が描かれているような印象を受ける。

桐原の言葉の中に
「おれの人生は白夜の中を歩いてるようなものやからな」とある。
解説者(馳星周という知らない作家だが)はこう書いている。
「幼いときに落ちた落とし穴から這い出ようともがく二人には、
 決して明るい昼の光は当たらない。
 白夜のように曖昧な薄暗い光が二人の行く手を照らすだけだ。
 その道行きは、暗く、おぞましく、利己的で、
 だがそれゆえに哀切を帯びている。
 読む者の心を、鋭いナイフのように抉る」
これは実に的確な表現ではないかな、と思う。
作者は、まさにこんな光の当て方で、主人公たちを描いているのだ。
実に、小憎い描き方である。

雪穂も桐原も、わるいやつらであるらしい、、、
良識的な登場人物たちもそれに気づいて危険視する、、、そう思いつつも、
がんばれ、がんばれ、と思いながら読んでしまう。
私はすっかり作者の仕掛けた魔力にかかってしまっている。
そうして、物語の終盤になって、彼らを白夜に彷徨わせたのが、
卑劣なじじいや、自分勝手な親たちであることを知らされるわけだ。

常に哀しみの漂う、壮大なる静かな物語であった。


余韻も覚めないうちに、「幻夜」を読み始めた。
阪神大震災や地下鉄サリン事件などを描いていて、もう夢中になった。



2007年07月09日(月) あきれたぼっちゃん語録

きょうの夕刊のほんのわずかな記事なのだが。。。

 首相は赤城氏の政治団体の事務所費問題について「赤城氏はかなり詳細に説明している。月800円の光熱費、5万円の人件費、3万円の事務所費。その内訳については言っている。これを示せば十分だろう」と述べた。

十分だと思ったら追及せんわぃ!

赤城氏は「法律で公表する必要がないと書かれている」として領収書の公開を拒んでおり、首相はこうした赤城氏の姿勢を容認した。

要するに、赤城氏はとても真実を明らかにすることはできないし、
晋三ぼっちゃんにも、それがよくわかる(自分にもそういうことがある)。

 与党の議員立法で改正された政治資金規正法では、5万円以上の領収書の写しの添付を義務づけられたのは資金管理団体だけで、今回問題になった政治団体は対象外だ。

なんでそういう限定を設けたわけ?
政治家が経費として計上することには変わりないんでしょうが?
いんちきだらけなんじゃないの?
自分たちの身に関わることには、抜け道だらけのポーズ法案。

首相は「基本的に資金管理団体になるべく集中していくことが大切だろう」と述べる一方で、さらなる法改正については「政治団体は7万ぐらいある。議員の身分にかかわるものだからよく議論しないと」と慎重姿勢を崩さなかった。

1億何千万、、、いや、将来まで考えれば何億という国民の運命に関わる
問題については、国民の意見も無視してごり押しして行けても、
たった7万の政治団体のためには慎重に議論するわけね?

それにしても「議員の身分にかかわる」とはどういう意味だろう???
あのねぇ、国民はねぇ、「領収書はいらない」ということ自体が、
不可解でしょうがないわけだよ。
ちゃんと領収書だの納品書・請求書を提出しないと、公に認められない。
ちょっと話題は外れるかもしれないけど、
昨日のニュース番組の、社保庁の職員の態度なんかひどかったなぁ。。。
人様からお金を預かった記録はちゃんと自分たちの職場にあるはずなのに、
所得証明を持って来なきゃ年金払わんぞ、という高飛車な態度。。。
これはおかしな例だけど、庶民はそんなことまで言われて、
役所に記録があって当然と思い及ばなかった人は泣き寝入りするわけだ。
庶民はそれほど苛酷な金銭管理を要求され続けてきたわけだ。
とにかく、公的に使用するものを購入して立て替えた、
その「もの」は存在しても、領収書という紙切れ1枚紛失したら、
「もの」は公的な財産として使われて、カネは私的な負担となる、、、
それが庶民に課せられた法的な制約である。
何で政治家だけは、どんぶり勘定でほくほく顔が許されるのか、
そこからまず説明していただかないと。。。

一方、基礎年金の国庫負担を3分の1から2分の1に引き上げるのに伴う消費税率の引き上げについて「まず徹底的に歳出削減する。公務員の人件費を削減していく。

ちょっとちょっと、、また我々の給料引き下げかよ!
それとも、人員削減??
小学校の教員増やしてやってくれ、それこそが教育再生の基本だぞ!!
ぼっちゃんは、現実を見る能力もないくせに、教育を語り、語らせ、
憲法をねじ曲げようとし、「美しい日本」を語る。
(「美しい日本」なんてもう何の内容も伝わらない単語になってしまったが)

政府の資産を売却していく。こうした歳出削減で財源は出てくる。それでも届かない際には秋に議論する」と述べ、秋以降の税制改正論議で取り上げる姿勢を示した。

おいおい、いっそのこと政党交付金を廃止したらどうなんだぃ?
諸悪の根元なんじゃないの?
税金の無駄遣いだし、誤った税金の使い途だし。。。
それに、国会議員の給料も退職金も高額すぎるのでは、、?
本当に歳出削減を真剣に考えるなら、まず自分の身の回りでしょ?

給料を減らすと優秀な人材が集まらない、という意見もあるようだけど、
政治家の場合は、儲かりすぎるからかえって変な奴が集まってる感じだ。
国民のためでなく、カネのため、ってやつがはびこっている。
本当は、政治家こそ、安月給でかまいません、人々のために働きたい、
という人たちでなければならないのだ。
それでは献身的な人が集まるとは限らないので優遇しているのだろうが、
現実にはそれが弊害になっていると言わざるを得ない。

だいたい、自分の考えを持たないか、殺すかして、
ただ党の方針に唯々諾々なんて情けない連中は政治に関わるべきでない。
そんなのが、議員として収入を得るなんて、もってのほかである。
議員である、公務員であるということは、県民・国民のために働くことだ。
党のために働くことではない。
党のためだけに働いて、なぜ、税金から収入を得られるのだろうか?
(この意味でも、小泉クンの、郵政制裁はとんでもない罪を犯している)


・・・まだ書きたいことがあるのだが、疲れた、時間ももう遅い。。。
あ、もう1個だけ。。。

首相は参院選で責任を取るべき責任ラインを示す考えはないかとの質問に対し「ありません」と明言。「改革を前に進め、経済を成長させていく。日本を美しい国にしていく。その約束を果たすために全力を尽くしたい」と続けた。

うーん、確かにね、、、「美しい日本」に貢献もしているかもねぇ。。。
不良議員を次々に閣僚に昇らせてスポットライトを当てて、
不正経理、、、あるいは暴言。。。
知ってか知らずか、わずかばかりの膿を出すことには貢献してくれてる。
こういう晋三ぼっちゃんの人事は、手柄と言っていいかもしれないねぇ。。



2007年07月08日(日) 昨夜の続き

昨夜は、酔いと睡魔でわけわからなくなって眠ったようだ。
今朝PCの前に座った時、昨夜の塵語を書き終わったような気がしないが
保存した覚えもない、そのまま電源切って消えちゃったのかな? と
不安だったが、書きかけでそのままアップして眠ったようだ。

わからんことの多すぎる作品ではあった。

まず、アレンがなぜ、善良そうな王である父親を殺して剣を奪って逃げたか
これがわからない。
もう一人の自分、「影」に動かされて凶暴になることがある、と
後半になってテルーに告白する場面はある。
その「影」に異常に怯えるアレンの姿はしばしば描かれる。
しかし、それがなぜなのか、どうもわからない。
仕事に追われる父親と、我が子より猫をかわいがる母親の下で、
愛情に飢えたから??(笑)

世界が均衡を失い、さまざまな災厄が起こっているところから始まる。
しかし、後半はそんなことはどうでもよくなったように、そこから離れ、
アレン、テルー、テナー、ゲドと、魔法使いクモとの闘いに終始。
アレンとテルーの活躍で悪役クモが滅びると、めでたしめでたしで、
アレンは、自分の国に帰って罪を償うよ、とテルーに語る。
(昨夜書きとめたテルーの説得もあって、
 アレンは自身の生としっかり向き合う意志が固まったわけだ)

しかし、あれ以来世界が、とりわけアレンの国がどうなっているのか、
さっぱり疑問だ。
また、国ではアレンはどういう存在とされているのだろう。
親殺しで王殺しの犯人扱いだったら、帰って償うどころか、
帰ったら即刻死刑なのではないかと思うのだが。。。

また、世界が均衡を失った前半のテーマが後半は不問にされているが、
その犯人は、、クモ? クモが死んだら、均衡は取り戻せる??
そういう仄めかしもとりあえずは読みとれなかったので、これも謎だ。
要するに、世界の崩壊という問題はいったいどうなったのかがわからん。

テナーがどういう人物なのかもわかりにくい。
魔法使いだと噂するおばはん2人が登場する。
実際、薬を作ってやっているようだ。
普通の生活しかしていないようだが、過去には何かあったらしい。
クモによって地下牢に閉じこめられた時に、
昔も地下で生活していたようなことがチラッと語られる。

これらは要するに、原作のさまざまな要素をチラチラと盛り込み過ぎて、
原作を知らない人間に疑問を増やさせているのではないかと思う。
描ききれる程度に、情報を精選してほしかったなぁ、と思う。

また、後半から終盤にかけて、テルーの存在感が大きくなるばかりで、
ゲドは魔法も封じられ、「戦記」どころか、
最初から最後まで、ゲドはアレンの案内役でしかない。
少なくとも、この作品の全体は「ゲド戦記」のタイトルに合わない。

結局のところ、「ゲド戦記」というタイトルの下にアニメ化するのでなく、
題材とエピソードを借りた新しいタイトルの作品にしてもらえれば、
それほど無理なく作品が統一され、批判も少なかったのではないかと思う。




2007年07月07日(土) アニメ「ゲド戦記」(T_T)

悪評高い「ゲド戦記」をついに見た。
まぁ、悪い批評しか聞いてないし、読んでない。
この作品の監督の父親である、かの尊敬する宮崎さんは、
この作品が完成された最初の試写会の途中で退席してしまい、
ロビーで煙草を吸っているところで取材され、何も言葉と発しなかった、
そんなドキュメント映像も見たことがある。
原作を読破した妻は、この深い世界観が2時間足らずに描けるはずがない、
と言わんばかりに、その複雑さを語ってくれたことがある。
「ハウル」の原作者はアニメを誉めたそうだが、
「ゲド戦記」の作者はアニメを認めてくれなかったそうだ。。。

これだけ「駄作」の印象を予め与えられてしまうと見るのが億劫になる。
しかし、ジブリのスタッフたちが作った作品である。
ダメならダメで、どこがどうダメなのかを知りたい気持ちもあり、
今までどおり手元に置きたい気持ちもありで、注文しておいた。
一昨日届いたが、一昨日は仕事があったし、昨日は菜々子さまを優先。

ここまで私は、ゲド戦記の全貌を敢えて知らないままにしてきた。
妻から何度か聞かされた断片的な話も、つなぐことなく次々忘れた。
批評も封切り当時の批評以後は読まず、解説も何も読まなかった。
このアニメを見るときには、純粋にこの一作品として見てやろうと思った。
「風の谷のナウシカ」を初めて見たおよそ四半世紀前は、
実に斬新なすばらしいアニメだと思い、その思いは今も保っているが、
宮崎駿大監督がその後も描き続けた原作を最後まで熟読してしまうと、
原作が先にあったとしたら、あのナウシカにホントに感動できただろうか?
と思ったことがあったからでもある。

今夜「ゲド戦記」を実際に見て、今までのジブリ作品との違和感や、
言葉による直接表現が多すぎるような、そんな批判的な思いも生じた。
また、宮崎父監督が「トトロ」以来熟成した遊び心もまったくない、
そういう点にも確かに不満を抱かざるを得なかった。

しかし、まったく飽きることもなく、うんざりすることもなく見続けた。
そして、テルーとアレンの心が通じる場面では、涙せずにいられなかった。
ズバズバ言葉で語りすぎだよ、とハラハラしながらも、感動はした。

「大切なものは命に決まってる」
「人はいつかは死んでしまうのに、命を大切にできるのかな?
 終わりが来るのがわかっていても、それでも、
 生きていかなきゃならないのかな?」
「違う!! 死ぬことがわかっているから、命は大切なんだ。
 アレンが怖がっているのは、死ぬことじゃないわ。
 生きることを怖がっているのよ。
 死んでもいいとか、永遠に死にたくないとか、
 そんなのどっちでも同じだわ。
 ひとつしかない命を生きるのが怖いだけよ!!
「テルー、、、」
「命は自分だけのもの?
 あたしはテナーに生かされた、だから生きなきゃいけない」

ちょっと言葉で語りすぎだぞ、と思いながらも、そうだそうだ、と思う。
ここで、テルーはアレンを抱きしめ、アレンの「真の名」を呼ぶ。
アレンの「影」から教えられた名だ。

「レバンネン、、、そうして命はずっと続いて行くんだよ」
そして2人の抱き合うシーンは明るくなる。
水平線の際から光を投げている太陽は、朝陽なのだろう。

私はこの場面にいたく感動した。
それから、龍に庇護された不死の少女なのだと知ることにもなる。



2007年07月06日(金) 映画「犬神家の一族」

前作は30年前だったんだ。。。
大学時代だ。
確かにあの頃古本屋で2〜3冊100円とかで買いあさって
気晴らしに読んでいた本の中に、何冊もの横溝作品があった。

映画の金田一耕助が石坂浩二と聞いた時にはあまりにも意外で驚いて、
実際見てみたら、もう驚くばかり、非の打ち所のない適役で、
(原作の描写から受ける風貌は渥美清か西田敏行なんだけどね、、)
まずこの金田一耕助に惚れ込んでしまった。

また、原作からは果てしない怨念みたいなものは伝わってくるけれど、
美とか妖艶とかはあまり感じられない。
しかし、市川昆監督の横溝シリーズには、美と艶が加わっている。
美しくない小説を美しい映画にしているとして、私は絶賛した。

前作のDVDを買いたかったけれど、見つけたころはかなり高額で、
そのうち、廃盤になったのか、なかなか買えないでいた。
しかし、リメイク版が封切られ、珠代役が菜々子さまだと言うし、
前作も一緒になった製品が発売されると知った時、すぐに注文しておいた。
それがやっと発売日を迎え、きょう届いた。

さっそく、まずリメイク版を見た。。。。
、、、、菜々子さまの出番が少ないがな〜〜(`ε´) (ノ`´)ノミ┻┻
しかし、ラストの「金田一さまは?」の時の笑顔だけで1億円の笑顔だ。

このリメイクがいいかどうか、前作も見てみないと何とも言えない。
第1印象としては、何となく謎めいた艶みたいな魅力が希薄になっている、
そんな印象を受けるのだが。。。



2007年07月05日(木) 消費税上げるだと〜〜?(`ε´)

ニュースショー「ゼロ」に晋三ぼっちゃんが生出演していた。
偶然で途中からだったが、年金台帳問題解決への明るい見通しを語っていた。
具体的な話にならないのはいつもどおり。
細かく問い詰めたら、そう楽観的には語れないはずだと思うが、
選挙前だからとにかく楽観的な話をして有権者を懐柔するしかないか。。
とにかく、ぼっちゃんの話はいつも具体的でない。

年金の財源の問題で、2分の1を税金でまかなうとか、、?
そのために消費税を上げる、とか、、? そんな案を語っていた。
ちょっとだけ具体的。

しかし、今までの、無駄遣いの数々を不問にして、
消費税を上げてまかなうことを語っているので、心底ムカムカ来た。
今までどおり、年金のための保険料を払いつつ、
さらに年金の財源のために消費税を上げる、それを当然のように語る。
年金台帳の解決にかかる莫大な費用だって、それ自体無駄遣いなのに。。。
過去の政府や省庁の無駄遣いはすべて水に流して、
これから足りない分は国民から搾り取るのが当然だ、という論理である。
自分がこの生放送のスタジオで同じテーブルに座っていたら、
ぼっちゃんの話の途中で卓袱台返しは間違いなかった(ノ`´)ノミ┻┻

それで、司会者は、消費税を3%上げるぞ、と宣言して選挙に臨んだら
どうか、とけしかけたが、そこからまたぼっちゃんは抽象論。
選挙前にとうていそんなことは言えないというわけだろう。
これからいろいろと見直して、無駄遣いを省いた上で、、、などと
今さらながらの歯の浮くようなきれい事を並べて、
いざ政権が維持されでもしたら、国民には手痛いお礼の数々が待っている。

もう腹が立って腹が立って、きょうはこういう話題のつもりではなかったが
とりあえず一時しのぎの鬱憤晴らし。。。

星野元監督がなぜかこの番組に出ているが、名監督だったかもしれないが、
こういう番組に出てはダメだ。
人生の達人みたいなつもりになってアホなことばっかり言っとる。
こういう番組のコメンテイターとしては、あまりにも浅薄だ。



2007年07月04日(水) 辞任はあくまで「選挙のため」か

きゅーまンがついに防衛相を辞任した。
初代防衛相という冠にも大きな疵がついた。

それにしても、どのコメントを読んでも、辞任の理由は選挙でしかない。
選挙前でなかったら、辞任など考える必要もないと言うがごとくである。
国民のためでなく、仲間のためでしかない。

そこから滲み出ているのは、選挙前であるがために辞めざるを得ない
無念さ以外の何ものでもない。
自分の失言がどういう意味で失言なのか、まだおわかりでないようだ。
謙虚に反省して、失言の意味を真剣に考えようともしていないようだ。

「しょうがない」にまつわるきゅーまンの話は、
我々にとっては突飛に思われるものであるにしても、
彼らの仲間内では、極めて常識的な論理なのに違いない。
だから調子に乗っているときに、ポロッと公の場で出てしまうのだ。
晋三ぼっちゃんも同類だから、非難の声が出始めて困りはしたものの、
何が批判されているのか、はっきりとらえることができなかったようだ。

晋三ぼっちゃんが選んだ閣僚は、失言不祥事だらけ。。。
こんな短い間にいくつ出てきた? もう3人が入れ替えである。
ぼっちゃんご自身の思想にも困ったものだけれど、
良識ある人を見て選ぶ能力にもまったく欠けているようだ。
ま、今回に限ったことではないけれど、そういう点が甚だしく目立つ。



2007年07月03日(火) 不快指数満点

朝、雨が降ったりやんだり、、、やんでしばらく曇り空だが、
また降ってくるだろうと思ってると、晴れて蒸し風呂状態。。。
かと思うと、また怪しい雲行きになって、、、やがて小雨。。。
実に煮え切らない降り方である。
通気のよいところは過ごしやすいが、通気の悪い部屋は蒸し蒸しする。
晴れるとどこにいても蒸し蒸しする。。。
これだけでもかなり不快な1日だ。

週間予報を見ると、今後1週間は曇と曇時々雨ばかりである。
じめじめした1週間になるようだ。

雨のせいなのか、朝も帰りもやたらと車が多くて渋滞攻め。
朝は、たまらず、賭けで別ルートに回ってみたらますますひどい渋滞。
渋滞を抜けてからも、どの信号でも長々と並ぶ。
急がねばならなくなり、バイパスの空いている車線を突っ走ろうとすると、
そう速く走るわけでもない車が前の車を追い越そうと前を塞いでしまう。
あんたの走りは、人の車を追い越すほどの走りじゃないがね!!(`ε´)
(高速道路でトラックがよくやる、実に迷惑なタイプの追い越しだ)
疲れた帰路では、5箇所も長い渋滞で、参った。
うんざりする、、、不快指数100%である。

きょうで定期考査が終わった。
考査期間中は、試験作成や膨大な採点に追われるけれど、
スケジュールとしてはわりとゆとりがある。
それが終わってしまい、首尾良く採点も終えることができたけれど、
明日からまた、じめじめ蒸し蒸しした空気の中で忙しい毎日が再開する。
そんな思いも、不快指数100%に貢献しているかもしれない。



2007年07月02日(月) 久間防衛相の失言

久間防衛相が「広島・長崎原爆投下はしょうがない」と発言して大騒ぎ、
の話を今朝の通勤途中のラジオで聞いた。
それだけ聞いただけでは不思議でしょうがない。
被爆者を軽んじた発言と取られたとしたら申し訳ない、みたいなコメントも
あるらしいことから、本人はそのつもりで言ったのではないらしい。
どういう前後関係で出た言葉なのか、
職場に着いてから新聞を見てみたが、やはりよくわからない。
急いで走り読みしたせいでもあるけれど。。。

以下は、サイト asahi.com の一昨日深夜の記事から。。。


 久間防衛相(衆院長崎2区)は30日、千葉県柏市の麗沢大学で講演し、1945年8月に米軍が日本に原爆を投下したことについて「原爆を落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今、しょうがないなと思っている」と述べた。原爆投下を正当化する発言とも受け取られかねず、野党が久間氏の罷免を求める動きを見せるなど波紋が広がっている。

 久間氏は「我が国の防衛について」と題した講演で、東西冷戦下で米国と安全保障条約締結を選択した日本の防衛政策の正当性を説明する際、原爆投下に言及した。

 久間氏は「米国を恨むつもりはないが、勝ち戦と分かっていながら、原爆まで使う必要があったのかという思いが今でもしている」としつつ、「国際情勢とか戦後の占領状態からいくと、そういうこと(原爆投下)も選択肢としてはありうる」と語った。

 久間氏は講演後、朝日新聞の取材に対し、「核兵器の使用は許せないし、米国の原爆投下は今でも残念だということが発言の大前提だ。ただ日本が早く戦争を終わらせていれば、こうした悲劇が起こらなかったことも事実で、為政者がいかに賢明な判断をすることが大切かということを強調したかった」と発言の意図を説明した。



朝日新聞の取材に対し、さらに詳しく話していることには、
あれ以上戦争が長引くと、ソ連が介入してくる、ソ連が北海道を奪っていく、
だからアメリカは早く降伏させるべく原爆投下に及んだのだ、と言っている。
「戦後の占領状態からいくと、原爆投下も選択肢としてはありうる」
というのはそういうことを念頭に置いているようだ。

だから、ソ連が入り込んで来る前に終わってよかった、
あそこで原爆投下されて、降伏の決断に至ったのだから、
あれはあれでしょうがないな、というのが彼の「頭の整理」のようだ。


な、なに言ってまんねん!!(`ε´)
「しょうがない」で済まされる問題でっか??

「ただ日本が早く戦争を終わらせていれば、こうした悲劇が
 起こらなかったことも事実で、為政者がいかに賢明な判断をすることが
 いかに大切かということを強調したかった」

これは正しい。
しかし、彼の言葉はぜんぜん、このことを強調していない。
アメリカの占領政策と、日本の戦後の歩みを擁護しているだけだ。

日本はもっと早くに降伏すべきだった。
空襲や原爆の被害は最小限か無しで済ませるべきだった。
結局は、政府や軍部の暴走にブレーキがかけられるために、
大陸や国内で過大な庶民の犠牲を必要としたのだ。
情けないことだ。
彼らの利害や面子のために、多すぎるほどの命が落とされ、
多すぎるほどの人体や人格が傷つけられた。

先日、米下院の外交委員会で、慰安婦問題の可決がされた時、
ニュース番組に、ワシントンポストに意見広告を出した側の人が2、3人
出てきてコメントしていたが、せせら笑うような表情で、
アメリカの議会からそんなことを言われる筋合いはないようなことを言って
いたので、背筋がぞっとするような思いがした。

戦後政治の与党側にいた人々の中には、
日本の「侵略」戦争に対する反省の思いの希薄な連中が多すぎるのだ。
久間じーさんもその類なのだろう。
ついつい本音が出てしまうので、後で取り繕っても説得力がない。


しかし、私は一方で思う。
もしもあの大戦末期に
B29各機によって日本のあちこちが焼け野原にならなかったら、
憲法9条の平和主義は戦後の国民に受け入れられただろうか、と。。。

だからこそ、過大な犠牲を絶対に無駄にしてはいけないと思うのだ。
そして、為政者たちには、我々以上に、平和主義を貫いて欲しいと思うのだ。
晋三ぼっちゃんのように「戦前体制への回帰」をめざす首相は、
悪魔としか呼びようがなくなるのだ。



2007年07月01日(日) 中森明菜を聴く

木曜日の夜に、中森明菜の「艶華」というCDの存在を知ったのだった。
演歌を歌ってCDにしたとかいうことである。
へぇ? 何でそんなことするの? と不思議に思いつつ、
それを「艶華」というタイトルに表現しているのに興味を持った。

しかし、演歌だもんなー、とその時はそれを買わないで、
その関連で知った「バラード・ベスト(おまけDVD付き)」と、
去年の25周年ライヴのDVDを注文した。
昨日は暇を見つけてそれらを見たり聞いたりしていた。

中森明菜がアイドル歌手で人気絶頂だった時期はあまり知らない。
テレビもあまり見なかったし、音楽の興味も別の方向にあった。
時々、いい歌を歌ってるなぁと、ちらちら知ってはいたが。。。
その存在が大きくなったのは、歌ではなくてドラマだった。
10数年前に「素顔のままで」というドラマを勧められて、
レンタルで借りて見たときに、助演していた、それが良かった。
繰り返し見て泣いた、、、けれど、ダビングする余裕なく返してしまった。
DVD時代になってから、折を見て探しているけれど、
再発売はまだされてないようで残念だ。
あのころから、歌の方でもちょっと興味がくすぶっていたのだった。
だから、木曜日に唐突な興味を抱いて、注文に及んだわけだ。

「セカンドラブ」などは、あるオムニバスCDでもうお気に入りに
なっていたが、今回のCDではナイトクラブ風のアレンジで聞ける。
「難破船」「あの夏の日」「赤い花」「サンドベージュ」
「初めて出逢った日のように」など、聞いたことあるようなないような、
そんな曲をいくつか楽しんだ。
竹内まりやの傑作「駅」もこのCDで、重厚な弦楽をバックに歌っている。
歌唱力についてはそれほど卓越したものを感じていなかったのだけれど、
これを聞いたら、並の歌い手でもないのかもしれないと思わされた。

その勢いで、まずCDのおまけのDVDを見た。
24年前の、アイドル時代のライブのハイライト版である。
いかにもつまらないステージだった。
「セカンドラブ」のサビの部分で、
観客の男どもが大声で合唱するのにも閉口した。
もう1枚の、去年の25周年ライブの方がうんとおもしろい。
本人だけ見てたら、ガリガリに痩せた40過ぎのおばさんより
ちょっとぷっくりしたかわいい娘時代の方が良さそうなものだが、
どこを取ってみても、おばさんになってからのステージの方が魅力的だ。
観客の盛り上がりもすごい!!

それで昨日「艶華」と去年のアルバム「Destination」を注文したのだった。
それは何と、きょうの午前中に届いた。
それやあれやを聞きながら、きょうやっと採点の仕事を始めた。
演歌はともかくとして、「花よ踊れ」や「落花流水」がとてもおもしろい。


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