TENSEI塵語

2007年08月31日(金) あきれるばかりの文科省素案

きょうの朝刊のトップの見出しは「小学校授業 30年ぶり増」。
文科省が中教審に提出した学習指導要領改訂のための素案だそうだ。

朝刊がまとめるその3つの柱は、
1 小学校の主要教科の授業時間を1割ほど増やす。
2 小学校高学年に、「英語(外国語)活動」を週1コマ設ける。
3 「総合学習」の時間は週1コマ減らす。

ちなみに、私が知る限りでは、小学校の英語の時間は、
今まで「総合学習」の一環で、それが独立するということだ。

お役所の人たちは気楽だ。
授業時間を増やせば学力向上につながる、
小学生から英語を勉強させれば英語能力や国際感覚が増す、などと
因果論なのか条件反射論なのか、実に短絡的な机上の論理で仕事をする。

小・中学校の現状はそんな生易しいものではない。
心的障害をもった子どもたちが増え、授業成立に腐心しているのだ。
時間数を増やしたところで、その困難さは変わりないのだ。

まずやるべき事は、学級定員を減らし、しかも副担任を配置するか、
1学級2担任制度にする、さらに、教科担任制を中学年から実施することだ。
それをした上での授業時間増だったら、これほど呆れはしない。
現状が何もわからずにただ机上の因果法則や条件反射的理論を打ち出すから
無知でアホなやつらと言わざるを得なくなるのだ。


英語を週1時間学ばせることを徹底したって、大人数である。
中学校に行っても、やはり大人数である。
しかも、上記のような、授業成立の危うさに悩まされる状況のままである。

私の学校に来る生徒はそれほど優秀でない。
特に、英語と数学の苦手な生徒が多い。
その英語の能力を見るに、まず第一に、英語の発音をしてきてないなと思う。
単語を読ませても、とんちんかんな発音をする場合が多い。
基本文型程度のセンテンスでも、その基本の自然な語順で言えない。
たぶん、読むことも話すことも、単なる反復練習さえも、
ろくにやって来なかったのだろう。
授業成立が困難な上に、40人近くもいては、
よほど学習意欲がない限り、ほとんど英語を口にする機会がないはずだ。

本当に英語(外国語)の勉強をさせたいと思うのなら、
小学生から始める、ということにこだわるよりも、
まずは、中学での英語教育を改善することだ。
最高8人のグループに1教員という単位で教えることができるよう、
しっかり整備すべきだ。
語学でもっとも大切な基本は、口を動かすということである。
早期に始めても、口を動かすことが少なかったら、何の意味もない。
我々日本人が日本語をマスターするのに、文法は必要なかった。
より理解するために文法は助けにはなるけれど、
我々が日本語を使えるようになったのは、真似てしゃべったからである。

私自身の体験を付け加えると、
私は中学時代、英語の教科書をよく音読してほとんど暗誦していたし、
英作文も好んでやっていたし、英語のテストで100点取らないのは恥だし、
他の苦手な生徒に懇切丁寧に教えたりもしていた。
その点では、その後県下第一の進学校から東大に進んだ友人に負けなかった。
大学時代も、国文科の友人たちに教える格好になったこともある。
それでも、英語で会話ができるかというと、まったくダメなまま今に至る。
理解できるというのと、実際に使えるというところに断絶がある。
その認識がないと、語学教育は語れないのだ。

悩みなき、脳天気なお役所仕事の机上の空論で教育が振り回されて、
とても「再生」なんて期待できん。
きょうの記事であきれることは他にもいくつかあったが、
きょうはこれぐらいに搾ってメモしておこう。



2007年08月30日(木) 蒸し暑い

週間天気予報では、ほとんど曇か雨の日が続くようだ。
かんかん照りで暑い日々にならなくてよかったとは思うが。。。

きょうは始業式である。
学校祭のための日程を考慮した結果、
7月の終業式も2日早め、始業式も2日早めたのである。
朝から雨が降り、暑い日にならなくてよかったと喜んだのだが、
暑いのは日照りだけとは限らないようだ。
日は照らなくても、熱気だけは至る所にこもっていた。

朝からいろいろあって、熱気のこもったところを走り回ったりして、
汗だくになったり、試験監督していても蒸し蒸しする教室にうんざり、、、
ひるごろにはもう、疲れて不機嫌になってしまった。
休日の少ない夏休みだったとはいえ、時間の制約のほとんどない40日間を
過ごしてきたので、久々に時間に追われる1日は疲労が深かった。

夕食後、堪らず宵寝してしまった。
横になったら、警戒したり考えたりする間もなく意識を失ってしまったのだ。
(宵寝するときはたいていそうである)
明日の朝、ちゃんと起きられるか、不安である。



2007年08月29日(水) ベースギターで遊ぶ

今年の文化祭の演奏は、去年の卒業生がチューバで入ってくれるというので、
私は今回はまったくのんびり構えていたのだが、
彼は部員たちの態度が気に入らなかったらしく、
先週の金曜日に「もうやめた!!」とか言い捨てて帰ったそうである。
具体的なことはよくわからない。

実際に彼がこのまま来ないのか、もともと自分で申し出たことだから、
そう簡単にはやめないだろうとわたしは期待しているが、
ただでさえ悲惨な編成を無理して整備しているのに、
この上、低音がなしではもう何ともしょうがなくなるので、
いざというときの保険のつもりで、きょうベースギターを取り出して、
練習を始めてみた。

こんなことなら、時々でも弾いておけばいいのに、
結局、1年ぶりの、いきなりのハードな練習である。
こういう事態になるたびに、さぼってたことを後悔するのだが、
その時になって後悔しても遅い、、、毎度このくり返しである。
でも、若いときにギターやコントラバスで少なからず遊んでおいてよかった。
それさえもなかったら、手の打ちようがないわけだから。。

それにしても、ブランクは痛手だなぁ。
すぐに指が疲れてしまうし、手入れしてない爪は削れてしまうし。。。
右の指も左の指もなかなか素直に動いてくれないことがよくあるし、
何といっても、空振りやファウルチップみたいなのが多い。
楽譜を読むのも、いつも弾いてたころに比べると格段に遅い!
パッと見て、レかシか一瞬迷って遅れることもあるほどだ。
シャープやフラットに対する反応も鈍い。
ハイポジションの音の位置がまったくわからなくなってしまっていて、
いちいち数えなきゃ見つからなかったり。。。

うーーーん、これはいかん。
それでも、合奏をしているのは楽しいのだけれど、
もっと楽しむためには、早く楽器に慣れないと。。。
帰ってからギターの練習もしようっと、、、と思いつつ早めに帰ったが、
酒屋に寄って、ビールの箱を車に積むときに、薬指を痛めてしまった(T_T)



2007年08月28日(火) 「インディ・ジョーンズ 3」

昨日の勢いがそのまま引き継がれて、「最後の聖戦」を見た。
何と何と何と、聖杯を取りに行く話である。
私としては近年、ダヴィンチコードから関心が高まって、
聖杯とは杯ではなくて、、、という説に大変納得しているその聖杯である。
もちろんこの映画では、永遠の生命をもたらす杯として登場する。
それが、見終わった後の感慨を損なった。
しかも、聖杯を何百年も守り続けてきた老人も登場し、
インディたちにはめでたしでも、彼には悲しいラストになってしまった。
昨日の2作目ほど後味のよい作品ではなかった。

しかしおもしろかった。
まず少年時代のインディ・ジョーンズが描かれる。
このころからしぶとく闘って逃げ回っていたようだ。
蛇が嫌いになったのは、この汽車の中での出来事がもとになってるようだ。

昨日の2作目ではヒロインのウィリーとのやりとりがおもしろかったが、
きょうは、父親とのやりとりがおもしろかった。
この父親役は、不死身のアクションの先輩ショーン・コネリーである。
聖杯探しに生涯をかけている考古学者である。
息子とは違って、生死の境での闘いには慣れてないようだが、
危機に瀕しても余裕の人ではあるようだ。
その老人を連れながら、ナチと闘いながら聖杯へと辿り着く。
その間の息詰まる闘いと、とぼけたやりとりがおもしろい。
そして、聖杯にたどりつくための、最後の3つの謎、
父親が研究して書きとめておいた3つの謎の解明というクライマックス。。

それにしても、1番おもしろかったのは、
この闘いには疎い父親が、傘1本で戦闘機を墜落させた場面だな。
あれは笑った、ホントに笑えた、そして、すごい!! と思った。



・・・映画とは別に、もうひとつ後味を悪くさせる情報が。。。

その後、メールチェックをした中に、HMVからニューリリース情報。
サラちゃんの新盤が出た時に知らせてもらえるようになっているのだが、
きょうのは残念ながらDL用のものなので手に入れることはできない。
その曲は「Runnig」という曲だった。

ところで、アルバム発売情報はどうなってるのかなー?、、、と、
何ヶ月かぶりに、オフィシャルサイトと称しているサイトに行ってみたら、
何と何と、最新ニュースは、今行われている大阪での世界陸上の開会式に
サラちゃんが登場して、その「ランニング(ジュピター)」を歌った、
というニュースだった。
えぇーーー? 早く教えてよ!!! と思ったが、、、悪いのは自分だ。
開会式をTVでやったに違いないのに。。。
もっとちゃんとアンテナを立ててなければ、貴重な時間を逃してしまう。

何か、悔しい思いがくすぶったまま寝ることになりそうだ。



2007年08月27日(月) 「インディ・ジョーンズ 2」

「魔宮の伝説」を見た。
最後のトロッコで脱出するあたりからは2、3度見たことがあるが、
なかなか全部を見る機会がなかった。

これは、めっっちゃめっちゃめちゃおもしろい水準の映画だった。
もう、最初のナイトクラブの場面駆け引きと混乱から、
飛行機で逃亡して、墜落直前にゴムボートでとんでもない脱出をして、
そのままゴムボートが橇になって岸壁から落ちて急流を流されて、、、
インド奥地の集落に入って一息ついても、何か緊張は緩まない。
魔宮に向かう途中のジャングルの夜も、静かな夜のはずが、
同行するはめになった歌手のウィリーがジャングルの動物に驚いて
キャーキャー大騒ぎするのがこれもまたひとつのスリルで楽しい。
魔宮に着いてからの晩餐会の料理も、恐るべきものばかりだし、、(笑)

それからの、村の子どもたちを解放し、サンカラストーンを持ち帰るという
使命を果たすための闘いが進行するのだが、
息するのも忘れてしまうほどのめちゃめちゃな展開である。
「何でこれで生きてるの?」度は、「ダイハード」も「24」も凌ぐほどだ。

とにかく、村の長老からシバの神の使いとされたインディたちは、
本当にシバの使いとして村に帰還し、めでたしめでたし、、、である。
ひとつだけ難癖をつけるならば、最後に3人が村に戻るとき、
まず、走る子どもたちを先に村に入れて家族との再会をさせ、
その後でゆっくり歩くインディたちを村に入れさせて欲しかったな、と思う。
アクションシーンの時間的な不自然さは気にしないことにしているが、
こういうめでたい場面での不自然な演出はどうしても気になってしまう。

1作目よりスリルもユーモアも密度が何倍も増して、夢中になってしまった。



きょうは、晋三ぼっちゃんの内閣大改造の話題でニュースは大騒ぎ。
残念ながら私には、今の時点でそれがどうだということは、何もわかりませーん。。。
昼間のニュースである人が、お友だち内閣に代わる○○○内閣、と
おもしろい表現をしていたけれど、忘れてしまった。
ま、明日の新聞をよく読もっと。



2007年08月26日(日) 「ファンタスティック4」再び

1日混成バンドの練習で、バタッ_(_ _)_ 的状態だった。
予定していたレベルまで持って行くことができず、深い疲労感。。。
見通しはあまり明るくない。。。

夕食前から眠りそうだったし、夕食後もTVで陸上競技など見たりして、
睡魔が早く訪れる予感がして早めに風呂を済ませ、
少々疲れがほぐれたところで「インディ・ジョーンズ」2作目を見ようと
思ったが、ちょっと長そうなので、それより少し短いらしい
「ファンタスティック4」を気楽に見ることにした。
2作目がまもなく封切られるそうだし。。。

去年の4月11日に見たきりで、かなり内容を忘れていた。
楽しくて疲れを忘れ、かなり元気になった。



2007年08月25日(土) 宮本笑里「Smile」

きょうは午後、今年度の混成バンドの初練習で、
暑い中、汗びしょになって初見練習の指導に悪戦苦闘した。
楽譜を準備するために、眠いのに朝早くから会場校に出かけた。
夕方にはクタクタだったけれど、夜は市吹の練習で、
ここはちゃんと冷房が入っていたけれど、熱中しすぎて汗ばむほど。。。
明日も混成バンドの1日練習なので、今夜も明朝ものんびりできない。


今はヴァイオリンのCDを聞いて癒されている。

木曜日に出張に行って、通りかかった喫茶店でランチを食べているとき、
TVではNHKの番組がやっていた。
1時からのスタジオパークとかいう番組が始まって、ゲストの紹介があった。
かまやつひろし、レ・フレール、タイナカサチ、そして宮本笑里、、、
この最後に紹介されたのがとても美人なので、
どんな歌歌ってるんだろう?(その時は何にも知らなかった)と興味。。。

その時、レ・フレールの演奏を見ることはできた。
これは以前にも一度見たことがあるすばらしいピアノ・デュオで、
こういうのを紹介するする番組ならと、あとの2人にも期待したのだが、
残念ながら、講習の時間が近づいているので諦めて店を出た。

しかし、その晩、宮本笑里を検索してみた。
・・・・あれ? アイドル歌手じゃないがな〜。。。(笑)
ヴァイオリン弾きで、オーボエの宮本文昭の娘だと言う。
なあんだ、、親の七光りのヴァイオリン弾きかぁ。。。
そう思いつつ、そのオフィシャルサイトのデビューCD紹介コーナーで、
何十秒かだけ視聴できるボタンをクリックするとMac でも視聴できた。
・・・あらあら、ちゃんと弾いてるじゃん。。。

全部視聴してみて、その選曲が気に入ってしまったのである。
大島ミチルや松本俊明、岩代太郎の、いかにも最近のヒーリング音楽的な
曲もあるが、ラフマニノフのヴォカリーズとかラヴェルのパヴァーヌとか、
「スラヴ幻想曲」では「わが母の教え給いし歌」が入ってるし、
何といってもカッチーニの「アヴェマリア」、、、
あの韓ドラの「天国の階段」で繰り返し使われた「アヴェマリア」を
父親のオーボエとの共演でしっとりと演奏しているのにやられた。

今聞いてみると、視聴した時よりもさらにおもしろい編曲と演奏である。
「アヴェマリア」ももちろんそうだが、「だったん人の踊り」とか、
ボーナストラックの「第三の男」(父親と共演)も実におもしろい演奏だ。



2007年08月24日(金) 「インディ・ジョーンズ」

実は、まだ見てなかったのである。
断片的には見たことがある。
トロッコで洞窟内を逃げ、断崖絶壁に出るあたりからは2度ほど見た。
(これは2作目の映画らしい。きょう見たのとは違う)

来年の5月ごろに約20年ぶりに4作目が封切られるというので、
1作目から順に見てみたくなったのだ。
こういう風に、シリーズになってしまったもので、
ちゃんと見てみたいものがいくつかある。
「スターウォーズ」ももう1度ちゃんと全エピソードを続けて見てみたい。
「パイレーツ・オブ・カリビアン」はまだ1作目しか見ていない。
「ハリー・ポッター」は家族は全部見たけれど、私はまだ見ていない。
「ロード・オブ・ザ・リング」も1日で全部通して見直したいものだ。
(これは特に、先日3作目のラストをTVで見たものだから、、、)

すごいすごい、好き、、、といろいろ噂は聞いていたが、
確かに油断ならぬ映画である。
何が起こるかわからない、目が離せない。。。

明日の朝早いので、今夜はここまでである。



2007年08月23日(木) 久々の出張

朝、雨が降っていた。
そのおかげか、かなり涼しい1日となった。

きょうは名古屋の官庁街に出張で、数日前からそれが憂鬱だった。
名古屋中心部の暑さは尋常でないことを今までに体験しているからだ。
気象観測的には先日の多治見市の40.9°は史上最高かもしれないが、
そんな日の名古屋中心部の暑さはそれより3〜4°高いのではないかと
私は疑っている。
とにかくあれだけ車が並び、大規模なエアコンをいくつも動かしているのだ。

しかし、きょうは暑さに悩むことなく行ってくることができた。
昼食を、どれかの庁舎の食堂にでも入ってとろうかと思っていたが、
たまたま通りかかった喫茶店のランチタイムに割り込んで、
たまたま相席にもならないでゆっくり昼食をとることもできた。

きょうの出張は、総務事務研修と言って、
今まで書類で提出していたものを、教員がそれぞれにPCで打ち込んで、
それをそのまま管理職や県のセンターに送って決済を受けるようにする、
その操作の仕方を実際にPCでやってみる講習だった。
要するに、事務合理化・人員削減のためのシステムに移行するわけだ。
・・・こらこら、事務員削減して、ただでさえ仕事が増えている教員の
仕事を増やすんじゃないぞ、と、私はあまりこれに好意的ではなかったが、
ま、昨今のPCでの成績処理程度に慣れた教員なら、
それほど今までよりめんどうになったわけではないことがわかったので、
きょうの講習に出て、そういう点はよかったかなと思う。
入力フォームがなかなかよく考えて作られているようだ。
(ただ、私は今年になって、出張用の文書などは、
 似た内容のものはPCに保存して、少し書き直すだけで再利用できるよう
 ファイルを貯めているのだが、それはムダになってしまうし、
 このシステムでは、いちいち全部入力しなければならないのが×だ)

この夏休み中に県立学校の全教員が、この総務事務研修を受けたが、
ほとんどの教員は三河にある教育センターで、
プロジェクターで映し出された映像を見ながらの講習だったそうだ。
きょうのような、実際にPCを操作しながらの講習は1校あたり数名で、
本格実施されてから、教える役になるのだそうだ。
私がこの講習に出ることになったのは、実に簡単な経緯である。
8月の10日以前には、とてもこんな出張に行ける状態ではないので、
下旬にありませんか? と教頭に尋ね、朝より午後がいいな、と言ったら、
そんなら23日の名古屋の講習に行ってくれ、となっただけのことである。
その時は、まったく事情がわかってなかったので、
そりゃあ、名古屋の方が近くていいわ、ですぐに承諾したのだった。

PCを操作しながらの講習でも、前半は睡魔と闘わずにいられなかった。
こりゃ、もし聞いてるだけの講習だったら耐えられんがな、と思った。
そういう意味でも、ちょっとはラッキーだったかも。。。



2007年08月22日(水) 残暑

学生時代、まだ暦という意識が希薄だったころは、8月の猛暑の中で、
これが残暑とはどーゆーことなんざんしょ? みたいに不思議だったが、
そういうことを生徒に教えなきゃいけない立場になってからは、
寧ろ、こういう暑さをも「残暑」と表現するところが日本的情緒、と
思わずにはいられなくなっていた。

しかし、今年などは、立秋までそれほど暑さに悩まされていない。
立秋直前から徐々に暑くなって、立秋過ぎてから暑さが本格化し、
きちがいじみた暑さも続いた。
だから今年は特に、どこが「残り」だ?と明確に文句を言いたくなるのだ。
ケーキを100個買って、3人か4人に1個ずつ配って、
残りは私がもらう、、、って、そういうのは「残り」とは言わない。
だから、暦の意味について教えなきゃいけない立場であっても、
やはり8月の暑さを「残暑」などと言ってはいけないのではないかと、
今年はさすがに疑問を抱かずにはいられなくなっていたところである。

そしたら、きょうの本家「天声人語」にはこう書かれていた。

 「六月無礼」とは、暑さの盛りには服装が乱れても、大目に見られることをいう。この「六月」は旧暦である。今年は、旧暦と新暦とでは、ひと月半ほど季節がずれるから、「八月無礼」がふさわしいだろう。

 夏の盛りの暑さを、暦の上の立秋を基準に「残暑」と呼ぶのはいかがかと、本紙の声欄に投書があった。今年の立秋は8日だった。たしかに、その日から天気予報などで「残暑」と言われても、実感にそぐわない。ここは1票を投じたい気分で、ご意見を拝読した。


夏は暑く、秋は涼しい、と決めつけてしまった観念がいけないのである。
季節を決めたのは(おそらく)太陽の運行、、、というか、
太陽と地球の関係(日の出〜日没の時間)であって、寒暑ではない。
我々の生身の体感からすれば、9月に入ってからの暑さが「残暑」である。
夏休みが終わったのにいい加減にしてくれぃ!というのが「残暑」である。

5月のGWのころのさわやかな晴れを「五月晴れ」と誤用するくらいなら、
まず、この「残暑」という言葉の使い方を変えてもらった方がよい。


ちなみに、この天声人語の続きはこんな話題である。

 こうした「正確な表現」に、時々とまどうことがある。たとえばテレビなどが、午前0時を過ぎたとたんに、前の日を「昨夜」「きのう」と言う。だが聞く側にとっては、まだ「きょう」が続いているから、いつのことかと混乱してしまう。

 これも、暦と実感のずれだろう。新しい日が始まるには、前の日が終わらなくてはならない。だが宵っ張りはいつも、きょうが終わっていないのに、新しい暦がめくられてしまう。


あるなぁ、これも。。。
午前0時過ぎにニュースを聞いたりして、「昨夜」と言われると、
「え? 昨夜って?」と戸惑って考えなきゃいけないことがある。
ほんの1時間も経っていない前のことを「昨夜」と言うのだ。
「先ほど」とか「1時間前」とか言ってもらえるとありがたいのだが。。。
こんな話は、毎晩9時か10時ごろには意識を失う習慣になっている
橋本氏などには、まったく何のことかわけわからない話なのだろうけど。



2007年08月21日(火) 休まないけど夏休み

あ〜あ、夏休みがどんどん過ぎて行く。。。

夏休みといえども、基本的には出勤である。
しかし、時間に縛られず、日程に振り回されないのはありがたい。

きょうはほとんど新学期最初の課題考査の問題を考え、作った。
解答用紙にまでは至らなかったけれど、大方の問題はできた。
充実感はない。
今週中にやっておいた方がいいことをとにかくやっただけだ。
ホッとしたけれど、充実感も楽しい気分もない。
せっかくの夏休みを浪費している感じだ。つまらない。
(もっとも、学期中の忙しい中だったら、快挙!!と喜ぶところだ)



2007年08月20日(月) 平和主義の基本

きょうの朝日新聞の「月曜コラム ポリティカにっぽん」である。

さきの参院選のさなか、自民党の衆院議員の家に取材の電話をした。
彼は応援演説に出かけて不在、彼の妻とひとしきり話をした。
「私、こんどは自民党に投票したくない。
 何だか、戦争のにおいがしていやだわ」


おや、自民党議員の妻であろうと、ふつうの人であればこんな感覚かー、
と何かホッとするような思いでこの長いコラムを読み始めたのだった。

コラムは、「戦後という時代を支えるのに大きな役割をした人々」が
この夏に次々と逝ってしまった、その人たちについてである。
阿久悠、小田実、宮沢喜一、宮本顕治。。。

阿久悠の「ぼくらの八月十五日は 白い光の夏まつり」で始まる詩を
引用し、上村一夫と阿久悠の戦後について語った後、
小田実についての叙述が長い。

少年の日、小田は3回の大阪空襲を体験した。
飛行機雲の暗闇、渦巻く火炎、黒こげの死体。。。
敗戦1日前の8月14日の最後の空襲は、すでに日本の降伏が決まった後。
地をはいずりながら死んだ人々は、虫けらの死、無用の死、難死だった。
以後小田が
ふつうの人々の視点から「平和」を考える原点となる。

なぜ反戦運動を始めたか。

「まともな心をもつ人間なら黙って見ていられない戦争だったからだと思う。
あの戦争に反対するのに、
人は左翼である必要はないし、
偉大な思想を抱く必要もない

ふつうの人がふつうの感覚で、「戦争はいやだ」と言うこと。
戦争になれば、ふつうの人も被害者になるばかりでなく、
戦地に行って加害者になりうること。
まともな心を失えば「特攻」とか「玉砕」とかに突き進んでしまうこと。
それを繰り返さぬ決意として憲法9条ができたこと。
こんなふうに「平和」を説いた小田は「市民の巨人」だった。


軍国主義にっぽんの教育と風潮は、
多くの国民の「まとも」で「ふつうの感覚」を抑えつけてしまった。
敵であれ味方であれ、戦争は人間を人間として扱ってないじゃないか!!
と憤りを覚えた人も少なくなかったに違いないが、
そう主張することも許されない圧力が国中を覆ってしまっていた。
軍国主義にっぽんの下で、「まともな心」でその圧力と闘った
例えば宮本顕治のような人は12年間の獄中生活を送ったわけだが、
獄死・拷問死した人も多いわけだ。

人間を殺さない、死なせないは、人間生活の基本中の基本だ。
もしもそれを疎かにするなら、ラスコーリニコフ的苦悩は何なんだ?
それなのに、戦争は、罪なき人をむやみに殺し、むやみに死なせる。
無駄死に、犬死にさえ、英雄的行為として奨励し、
虐殺さえ栄光のひとつとして賞讃する。
「お国のために死ぬ」は死が名誉となり、生が恥となる。
仮にそんな道徳が成り立つとしても、もしそうだったら、
あの8月14日の空襲で亡くなった人々の、死の意味は何なのか、、??
泣くにも泣けんがな、、、ばかばかし過ぎるがな。。。

こういう感覚で、憲法9条の意義をもっと真剣に見つめなければいけない。



2007年08月19日(日) 朝日川柳

きょうも、やろうとしていたことがほとんどできないまま終わった。
うーーん、、明日から仕事だというのにーー。。。

昼過ぎに食料品の買い物に出たのだが、帰ってしばらくして、
2時半ごろだったか、にわかに激しい雨と、雷!!
こんなの何年ぶりかと思うような懐かしいにわか雨だ。
雷雨は先月もあった。
しかし、さっきまで強い陽射しだったのに、
一転して激しい雷雨が降り、何事もなかったようにまた晴天という、
こういう夏の風物的な降り方は、最近はとても少なくなったと思う。


きょうおもしろいと思ったのは、またまた朝日川柳である。

  見苦しや局茶坊主掴み合い

小池防衛相が守屋事務次官を退任させようとして、
何と後任を警察庁出身の官房長を事務次官として内定していた一件である。
私はあまり関心がもてなかったが、やたらとマスコミは騒いでいた。
「お局さま」と「茶坊主」にたとえたところが笑える。


  堂々と行けるお方が羨まし

晋三ぼっちゃんは15日の参拝を自粛したようだ。


  恋人に嘘つかれたら別れどき

賞味期限改竄だけでなく、大腸菌や黄色ブドウ球菌検出も重なり、
北海道の夏の観光土産物売り場から、白い恋人が姿を消したそうだ。
アイスキャンディーの大腸菌などはかなり深刻かもしれないが、
私自身は、あの「白い恋人」の賞味期限が4カ月だろうが6カ月だろうが
そう大差ないように思う。
4カ月ももつのなら6カ月もってもおかしくないだろうし、
実際問題ないのだったら、最初から6カ月表示と決めておけばいいのだ。
しかし、ごまかし精神はいけませんよ。
日本中の観光客が信頼しきっていたんだからさぁ。。。


ところで、その朝日川柳のすぐ上に「かたえくぼ」という欄がある。

     賞味期限改竄
  安倍内閣も調べてください     
               白い恋人
   保健所どの



2007年08月18日(土) 仕事、仕事、仕事、、、

10時ごろまでゆっくり眠った。
起きてまもなく、先日注文しておいた2社からの楽譜が届いた。
一方は、昨日から盆休み明けの仕事再開、
一方は、昨日発売の楽譜を含んで注文した会社なのだが、
どちらもきっちりこちらの希望どおりに発送してくれている。
ありがたいことだ。
彼らも、かなり信頼できる音楽仲間と言っていい。

しかし、楽譜の内容まで信頼できるかどうかはわからない。
昼過ぎから夕方まで、楽譜の内容の検討に多くの時間を費やしたり、
代金を支払いにコンビニに走ったり、楽譜に団の印を捺したり、、、、
ずっとそんなこんなで過ごしていた。
これは、給料のもらえる「職業」という意味での「仕事」ではないけれど、
やらねばならぬ、という意味では、私の仕事のひとつである。
他者にも関わってやらねばならぬ、という意味である。


深夜になって「X-File」の17話目を見た。
ますます謎めいた雰囲気を帯びてきた。
こちらも、少しずつでも「見ねばならぬ」という雰囲気になっている。
けれどもこれは決して「仕事」ではなく、趣味に過ぎない。
他者への責任とか、そんな他者などまったく関与していない。
寧ろ「見ねばならぬ」に溺れすぎると、他者に迷惑をかけかねない。




2007年08月17日(金) ドラマ「Hero」

きょうは夏季休暇を取っていたけれど、
8日の出校日に生徒が提出した課題を20日までにチェックしなければ
いけないのに、9日が県大会の決勝の日で、10日もそこまで手が回らず、
そのまま夏季休暇に入ってしまったものだから、その仕事に出かけた。
数日間、職場のことは忘れてのんびりしていたので、
玄関に入ってからも、何か違和感。。。
しかし、休暇を取っていながら仕事に出ると伸び伸び仕事ができるというか
時間の制約も何もなく、好きな時に出たり入ったりできる感じで、
束縛感から解放されて好きにさせてもらっている感じもある。
長い昼食時間をはさんで、2時過ぎに帰宅した。
帰宅後も、きょう借りた吹奏楽CDを聴きながら曲の検討。。。
それから、ちょっとDSで遊んで、1時間半ほど昼寝した。
きょうも暑い日ではあったが、昨日一昨日ほど荒々しい暑さではなかった。


昨夜から、「Hero」の第7〜11話を見た。
最初から全部見直したかったけれど、なぜか、4〜6巻しか出て来なかった。
どこに埋もれているのやら。。。

「Hero」をレンタルで借りて初めて見たのは6年前の9月ごろである。
レンタルで繰り返し見ながら、DVDを見つけたら値段も気にせず、
とにかく手に入れることしか考えずに買った3本目のドラマである。
なーんとなく、つまらんジョークの多いドラマという印象も強いが、
実際見てみると、実に気のきいたユーモアの多い、
それでいて、大切なメッセージをいくつも含んだドラマだと思わされる。
見るたびに、泣きどころが深まっていく感じだ。

安易なストーリーと非難するうるさ方もいることだろう。
特に最終話などは、新進気鋭の代議士の心を動かしてしまうのだ。
現実には、この久利生の言葉に動かされる政治家などいないだろう。
「そんなこともわからないで、国の将来語ってんじゃねぇよ」
しかし、我々は、久利生の言葉に、そーだそーだー! と喝采する。
そして、ドラマの中のこの若手政治家は正義漢だったので、
庶民の心、子どもの心を大切に新たな挑戦をしかける、、という展開。

久利生の仕事に対する姿勢は、全編に渡って、
検事というものの「あるべき姿」を表現している。
それは、第10話に至って、「真実を追究すべき者」全般、
つまり、検事だけでなく、警察、報道に携わる者、、、などなどへの、
「あるべき姿」へと広げられ、最終話では政治家にも広げられるわけだ。
第10話で、久利生はついに刑事の胸ぐらをつかみ、激怒する。
この刑事は、手柄を守るために、若者を冤罪で追いつめ自殺させながら、
あくまでもその若者を犯人に仕立て上げて立場を守ろうと躍起である。
「検事も、警察も、報道も、少しでも心が緩んだら人を殺せるんだよ。
 これっぽちの保身で、人を殺せるんだよ。
 そういうことを忘れちゃいけないんじゃないですか!!」
最後には屈服する刑事も、1度は抵抗する。
「そんなことは最初はわかってたんだよ。でも、そんなのは理想なんだよ」

文学史上の論争にも「あるがまま」か「あるべき」かという論争があった。
「あるがまま」を描くことも大切だ。
そういう真実探索の道もある。
しかし、「あるべき姿」を描くことも大切だ。
「あるがまま」に拘泥して「あるべき」真実を見失ってはいけない。
「あるがまま」の現実に必ず真実があるとは限らない。




2007年08月16日(木) 猛暑!!

猛暑と酷暑がどう使い分けられているか、
Wikipedia を参照してもよくわからない。
気温が35°を超えると「猛暑日」と呼ぶことになっていて、
酷暑と猛暑はほぼ同義だと書かれている。

昨日もきょうも、外は熱風が行き交うひどい暑さである。
TVのニュースでは、多治見と埼玉の熊谷で史上最高の40.9°を観測!!
と大騒ぎであるが、それは象徴的なひとつの記録であって、
生活するものには39°も40°も41°も変わりない。
車の多い街中にいたら、40°なんてとっくに超えているに違いない。
そういえば、愛知国体があったころ、国体の吹奏楽隊の会議のために、
愛知県庁の近くの地下鉄の駅を出たときの暑さは狂気の沙汰のようだった。
そこに行くまでに、いくつかの土地で暑さを耐えては来たが、
その大通りを歩いていると、それまでより倍の暑さという感じがした。
あまりの暑さにあらゆるものが揺らめいてる感じがした。
もちろん、道路には車の渋滞の列が続いていたのである。

きょうも昨日も、猛暑だなぁ、と外を歩いていて思った。
それは、私がきょうも昨日ものんびりと過ごしていたからだ。
きょうはいくつか車で移動するところがあって、
そのたびに外を歩き、それより遙かに暑い車の中に入って、
そのたびにバッと汗をかいたりしていたが、猛暑というイメージである。
4年前の9月1日に、私はその日の暑さを「激酷猛暑」と書いた。
それは、猛暑の中、教室に閉じこめられなければならなかったからだ。
猛烈な暑さの中で仕事をしなきゃならんとなると、酷い暑さとなる。
生活実感から言えば、猛暑と酷暑は同義でない。
10年以上前に、絶対勝たなきゃいかんと細かい練習を強いていた、
あのコンクール前の泣きたくなるような暑さ、あれもまさしく酷暑だった。
凄まじい暑さの中にいると、たいてい頭の片隅にあの頃がイメージされる。



2007年08月15日(水) 不思議な魅力の「X-File」

「X-File」今夜で16話目。
見られない日も何日かあったけれど、2〜3話続けて見ることもあって、
ちょうどきょうで、1日1話のペースで見てきたことになる。

それほど夢中で見ているわけではない。
寝なきゃいかん、と思いつつ見ずにいられない、という見方はしていない。
けれども、何となく深夜のつれづれに見てしまう。

1話完結型だから、「24」みたいに、おーい、どうなるんだー、と
次をみないではいられなくなるような作りではないし、
「王様のレストラン」や「HERO」みたいなみごとなエンディングもないから
ついつい次の回に入ってしまうというわけでもない。
そういう点では、とてもありがたい。

このドラマのラストは、たいていは、
解決はしたけれど、またいつかこんなことが起きるかもしれないぞ、
という暗示めいたシーンを見せて終わる。
しかし、それが次回でないことが我々にはわかる。
だから気長な見方ができるわけだ。

このドラマで扱っている事件は、
超常現象と現実の狭間の、微妙な兼ね合い、
科学的に説明できるか、非科学的かというあたりの微妙な領域、
あり得ないようでいて、本当にあり得ないかどうか定かでないような、
そういう世界にこだわった物語になっている。
そんな不思議な領域での推理サスペンスというのが魅力なのだろう。


きょうは5時ごろに買い物に出たのだが、あまりの暑さに驚いた。
昨日は案外暑くないねー、と思ったのに、きょうはひどいサウナ状態。。。
20秒歩いたら汗をかく、という感じだった。



2007年08月14日(火) 楽譜探しの今と昔

きょうはもうほとんど1日楽譜探しと検討に費やしてしまった。
と言っても、ネット上のことだし、1店舗の中でのことである。

ポップス専門に編曲譜を出しているサイトを見つけたのだが、
お気に入りの中から「何だこれは?」と思って行ってみたらそうだったので
以前も訪ねたけれど、その時はめぼしいものが見つからなかったのだろう。
きょうはいろいろと興味をそそられるものを見つけて、いろいろ検討した。

参考音源をほとんどWMPで聴くことができる。
もちろん、全部聞けるものはほとんどなくて、1分未満だし、
吹奏楽の音とは限らず、ミディ音源の場合も多い。
しかし、まったく聞けないよりはうんと参考になる。
1度聞いて却下することもあれば、数回以上聞いてみたものもある。
時には、iTune Store からDLして、原曲も聴いてみたりした。

とりあえず、きょう1日の成果として、2冊注文してみたところである。

10数年前をついつい思い出してしまう。
年に2、3度上京し、銀座のヤマハや、
東京駅からさらに1時間ほど電車に乗って国立楽器まで楽譜探しに行った。
そういう労もまったく惜しまなかった。
あの頃は、その場で何度も何度もスコアを見て、
おもしろいと確信したものはその場で買って帰り、
あるいは、候補をメモして帰って、音源を探して聴いてから、
電話で注文して送ってもらったりしたものである。
だから、楽譜ひとつ手に入れるのにたいへんな労力であった。

きょう1日の時間の使い方は、何かとても虚しかったような気がする。
もっといろいろなことができたような気がする。
しかし、あの頃を思い起こせば、うんとラクをしているのだと思う。
何しろ、あの頃は、あてもなく、決まり切った店に行っていたのだ。
その2店を移動する間に、ふと新しい店を見つける確率などほとんどない。
今は、ここに居ながらにして、あちこちの店舗に立ち寄ることができる。
それにあの頃は、大移動した上、ずっと歩きっぱなしの立ちっぱなしで
楽譜を物色していたけれど、今はずっと自室に座ったままである。

何といっても、吹奏楽譜が増えた。
編曲譜もだが、日本人の若い作曲家がすばらしい曲を作ってくれている。
そしてそれがインターネットでどんどん手に入る。
本当にありがたいことである。



2007年08月13日(月) 怠惰

一昨日は、朝6時に目が覚め、7時に目が覚め、7時半に諦めて起きた。
昨日は前夜3時半ごろに寝たにもかかわらず、8時半にバッと覚めた。
何となく急かされるような思いで目が覚めるのである。
今朝は、昨夜2時にならぬうちに寝たはずなのに、10時過ぎに目が覚め、
次に目を覚まして起き上がったのが11時半だった。
それでいて、起き上がるのがとてもつらい気がした。

ようやく、長い緊張の日々から、精神的にも解放されたようだ。

午後は、iDisk を経由して大容量の貰い物をしたり、
最新ヴァージョンのToast(焼き焼きソフト)を使ってCDを焼いてみたり、
新しい吹奏楽のCDを聴いて、2〜3曲使えそうな曲を見つけたり、
ヨッシーアイランドで遊んだり、「キリストの棺」を読んだり、
漫然とぐたぐた生活して過ぎてしまった。


そういえば、昨日の続きの余談になるが、
DVDに付いてきたブックレットを見ていて、
監督・脚本のナンシー・メイヤーズがヒロインたちよりも美人で驚いた。
web で探したらここにもここにもここにもいた。
もう60歳近い年齢になってしまっているが、
どうして脚本家という裏方で周りが許してきたのか、ちょっと不思議。。。
近年、監督までやっているところを見ると、
演技自体にもかなりの心得があるだろうと思われるのに。



2007年08月12日(日) 映画「ホリディ」

あまり期待しないで見たけれど、楽しい映画だった。

ロスアンジェレスとロンドンに住む2人の女性アマンダとアイリスが、
恋が破れた傷心を癒す旅に出ようと、互いの家を休暇の間交換する。
互いにどんな相手かわからないが、インターネットでそういう契約をする、
そういう住まいの交換が欧米では静かなブームになっているそうだ。
(我が家だったら、掃除がたいへんすぎてとてもそんなことはできん)

アマンダはアイリスの家に住み始めて退屈になったところに、
アイリスの兄グラハムと出会い、一気に燃え上がったが、
グラハムは既に妻を亡くした二児の父だし、
アマンダ自身がロスで映画の予告編の会社経営をしている身でもあり、
そう簡単には恋愛の成就に向かっては行けない。

アイリスは、アマンダの豪邸に驚き有頂天になって暮らし始める。
そんな中で、嘗ての名脚本家であるよぼよぼの老人アーサーとの交流、
そして、映画音楽作家のマイルズとの静かな恋。。。

2人のヒロインの新しい恋が、正反対というわけではないけれど、
対照的な展開で描かれている。
このあたりが、巧みな技とでもいうべきであろうか。

私としては、両親が離婚して父が去った夜以来涙が出なくなった、
恋に破れても涙が出なくなった、と言っていたアマンダが、休暇期限切れで
ロンドンを去ろうとするタクシーの中で涙を流したあたりからが
もっとも泣きどころになってしまった。

アマンダ役のキャメロン・ディアスは、ちっとも美人には思われないのに、
とてもかわいらしく見えるように演じ、撮影されている。
アイリス役のケイト・ウィンスレットは、何と「タイタニック」のヒロイン?
なかなかの映画だったけど、ヒロインがあんなんじゃ2度目はないぞ、
と思わせた女優だったが、今回はそんな印象はまったくない。
同一人物とは思われないような魅力的な笑顔を見せてくれている。



2007年08月11日(土) 「ヨッシーアイランド」DS

10何年か前の数年間にスーファミでやったゲームがいくつあったのか
覚えていないが(20近くはやったのだろう)、
今でももっとも楽しかったと心に強く残っているのが、
「スーパーマリオワールド」「ガイア幻想記」「ファイナルファンタジー6」
「風来のシレン」と「ヨッシーアイランド」である。

「ヨッシーアイランド」は「スーパーマリオ」と同じシリーズで、
同じタイプのゲームだから、マリオファンにはおもしろくないわけがない。
ただ、マリオやルイージやピーチ姫は赤ちゃんになり、
カメックに連れ去られたルイージを助けに、
ヨッシーが赤ちゃんマリオ(またはピーチ、など)を背中に乗せて走る。
敵キャラを踏むという攻撃方法は同じだけど、
敵キャラを飲んでそのまま吐き出すとか、それを卵にして貯えて、
それを飛ばすという攻撃方法も加えられている。
だから少々やらねばならぬ基本操作が増えて、めんどうになっている。
また、敵キャラとかとげとか、当たってはいけないものに当たると、
赤ちゃんがヨッシーから離れ、風船に包まれて漂うので、
それを時間内に取り戻さないとゲームオーバーになる仕組みである。
やられたらあっさり終わり、というマリオよりは長生きしやすいけれど、
これも考えようではめんどうになった点である。

しかも、序盤からいろいろなことをやらされる。
そこら中にメッセージブロックがあって、新しいアドヴァイスがある。
また、そこら中に隠された趣向があって、
コインやスペシャルフラワーをどれだけ取るかで点数が出るので、
いろいろなところに気を配らなきゃいけない。

とにかくこれも「スーパーマリオ」に負けない楽しいゲームなのだ。
ありがたいことに、1コースごとに自然とセーブしてくれる。
「スーパーマリオ」のセーブは、3〜4コースごとのボス戦を終えるか、
途中でセーブしたいと思ったらアイテムを持ってなきゃいけなかったので、
そろそろ終わりたいと思っても終われないこともままあった。
だから、始める前にある程度の時間の覚悟が必要だった。
こちらは、気楽に、1コースだけ、と遊ぶことができる。

8日の夜に、明日は大会だから夜更かしはできんぞ、と思いつつ、
4コースほど試しに始めたのだが、きょう本格的に遊び始めた。
1ワールド8コースが6ワールドあるようだ。
先を急がず、1ワールド終わったところで、最初の方をやり直して、
技の練習もし直し、得点を書き換えたりもしながら、じっくり先に進んだ。


久々にDSを取り出したので、20日以上もさぼっている
「のだめ」の演奏ゲームもやって、勘を取り戻した。

こんな風に久々の休日が始まった。。。



2007年08月10日(金) のんびり週間に入る

昨夜からきょうにかけて残務整理。
昨日、会場をバタバタと片づけ、とにかく空にして出てきたので、
きょうのうちにゴミと必要物を区別して整理しておかないと、
冬のアンサンブルコンテストのころに余計な苦労をしなきゃならなくなる。
去年よりはバサバサとあっさりゴミを捨てる判断力がついてきたので、
去年よりうんと早く整理が進んだ。
昼前までにほぼ終わり、午後はのんびり過ごした。

明日から1週間ほど、それほど時間の制約のない日が続く。
朝の目覚まし時計も必要ない。
この20日間ほど、休日も目覚まし時計に起こされていたので、
どうもまだその自由に実感がない。

しかも、だいたいこの8月の中旬の貴重な夏休みは、
混成バンドの選曲などに頭を悩ませて終わるのが例年である。
今夜、希望生徒を取りまとめている事務局に問い合わせたら、
希望者が去年よりもさらに減っているので、悩んでしまった。
候補にしていた曲も、これではとてもできそうにない。
一昨年、本番指揮者(=講師)を変えて、練習内容が充実し、
生徒たちが学べることが多くなったと思っているのだが、
厳しいという評判が流れているのか、希望者が年々減っている。
本当に選曲等で悩ましい1週間になりそうである。。。



2007年08月09日(木) 夏休み前半が終了

大会運営というボランティア活動でバタバタしてるうちに8月9日。
夏休みの半分がこれであっという間に消化されてしまった。
何やってんだぃ!!(`ε´) という思いもある。
それがなかったら、のんびりと好き勝手のできる時間があるはずなのに、
という思いもある。
けれども、20年近い期間、この時期を演奏でコンクールに参加するために
あくせくしていた身には、本当だったらもっとストレスの深い
部活指導に苦労しているはずなのだ、という意識も常にある。
簡単にいえば、部活を免除されてる代わりに運営をしているのだ、
と割り切ってしまえば、それほど無駄な時間を過ごしているとは思わない。
せっかく部活の方を免除されたのにこんなことやってる、と思うか、
部活を免除されたからこちらに奉仕する、と思うかは、心の持ちようである。

準備には膨大な時間を要するけれど、それによって、
この大きな行事が問題なく進んで行くのを感じるのは快感だ。
練習を重ねた上で、ステージの演奏が創られて行くのと同種の快感だ。
周りで一緒に働いてくれている補助員の生徒たちもいい子たちばかりだ。
たいていは、大所帯の吹奏楽名門校の、出場枠から外された子たちなのに、
本当に気持ちよく、献身的に働いてくれている。
(もちろん、各地区から派遣された先生たちも同様である)
きょうなどは特に、県下の最優秀の14校が集まって演奏したので
ステージではかなり美しい音の世界が繰り広げられたはずなのだが、
観客には知られないその裏方の世界もなかなか美しい世界なのである。

そういう喜びも感じることができなかったら、
この仕事は余計な負担でしかないだろう。
そして、いろいろな無駄をなくし、より効率的に行事が進むよう、
改善していく楽しみもあるし。。。



2007年08月08日(水) 立秋

本格的な夏になった。
きょうはじりじりと太陽が照りつけた。
日曜ごろから晴天が続いているが、照りつけ度はきょうが最高だった。
午後の2時半ごろから、明日の大会の必要物を置きに会場に走ったのだが、
横からの陽射しが頬をじりじりと攻撃しているのがわかった。
暑い、、、けれど、昨日までの湿っぽさがきょうはないということか。。。
そういえば、風がちょっとさわやか、、、と、
一昨日か昨日かきょうあたりに秋になったことをハッと気づかされたのだが、
傍にいる人たちに、風のことを言いかけて、言葉を呑み込んだ。
それ以上にじりじり照りつける暑さが優っていたのだ。
しかし、時折感じるきょうの風は、やはり貴重な気がした。

  秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる

毎年立秋のころに、この歌を思い出しては風を感じようとするのだが、
たいていは蒸すような暑さが悩ましく、嘘だ〜〜ぃ(`ε´)、である。
昔とは違う。
現代の地上は至る所暖房機だらけである。
車とエアコン(の室外機)だけ取っても、暖房機が密集した状態だ。
吹く風が熱風であっても何ら不思議でない世の中なのだ。
しかし、きょうの風は、何となくこの歌の風情を感じさせてくれた。
珍しい立秋である。

(それにしても、この「風の音にぞ」の「音」とはどういうだろう?)



2007年08月07日(火) 「ナイト・ミュージアム」

昨夜の塵語の話題は原爆関係の話題にしたけれど、
昨夜は「ナイト・ミュージアム」を見た。
夜になると博物館の剥製やら人形やらが生きて動き出す、という話。
ちょっと冗漫なところもいくつかあるが、楽しい映画だった。


きょうで、明後日の大会の準備が98%ほど終わった、
いいペースだ。



2007年08月06日(月) 原爆をめぐるいろいろの思い

前任校の修学旅行で広島に3度ほど行ったのは幸運だった。
旅行が好きなくせに出不精の私は(とにかく時間が取れん)、
そういう機会でもなければ、未だに一度も行っていないかもしれない。
その広島コースには、秋芳洞や萩本陣の露天風呂というおまけがついていた
から、さらに幸運だった。

アメリカでは、広島・長崎に原爆を落としたのは、
戦争を早く終わらせ、犠牲者を減らすために必要な正当な行為だった、
という教育がなされているそうだ。
今夜のニュース番組「ゼロ」によれば、
25人の教師が集まる会で、そう教えている教師は24人だと言い、
ある教室の講師として招かれた、原爆を戦艦で運んだひとりは、
子どもたちにそう語り、原爆を運んだことを「誇りに思う」と語った。

「ゼロ」のキャスターのひとり、嵐のメンバーの櫻井が、
(なんでこんなのがキャスターやってるんだ?? と思ってたけど)
きょうはいいことを言っていた。
「これはキノコ雲の上での論理なんですよ。
 キノコ雲の下で何が起こっていたかを知ったら、こんなことは言えない」

広島・長崎に対する日米の認識には溝がある、という趣旨だったが、
こうさせてしまったのは、終戦間際の日本政府や軍部の責任である。
とにかくまず、大本営発表の罪がある。
国民には真実を伝えず、あちこちでの大空襲になすすべなし。。。
敗色濃厚になっても、本土決戦・一億玉砕などと謳って、
民心を鼓舞し、対外的にはあくまでも挑戦的な姿勢。。。
後から冷静に見れば、やけくその軍策というべきものだったのだけれど、
2つの原爆はさすがに大打撃だったらしく、ついに降伏した。
そういう流れを見れば、アメリカのような見方もやむを得ないところがある。

しかし、あの原爆投下はアメリカの「実験」だったという見方もある。
実験のいい機会だったという見方である。
そう根拠の薄い見方ではないようである。
もしそうだったら、本当に許せない凶行である。

アメリカでそういう教育が長年に渡って続けられてきており、
そういう教科書もちゃんと出ているそうだが、
日本の政府がそういう現状に抗議したことはなかった。
日本の教科書検定や首相の靖国参拝などなどについて、
周辺諸国から敏感な抗議が来るのに対して、
日本政府は、そういうことには甚だ鈍感である。

実際のところ、戦後政治を動かして来た自民党の政治家たちは、
戦争の悲劇、原爆の悲劇といったことに対して鈍感なのだ。
それよりも、アメリカの戦後処理に対する感謝の念が優っていたのだ。
そういう人たちによって戦後政治が操られてきたのだから、
平和主義も耄碌せざるを得なくなってしまったわけだ。

だから、戦後62年にもなって、やっと首相の口から、
被爆者の救済について専門家の委員会で見直す、という言葉が出るしまつ。。
もちろん、選挙で大敗し、内閣支持率も25%未満に下がってしまったから
こういう逆風緩和の言葉を発信せざるを得なくなっただけのことである。
(本質的には、被爆者への思いやりより、自己保身という意味である。
 それほどまでに、庶民の運命に対して鈍感なのである)

アメリカ的な見方にも、状況判断として一理あるとは思う。
しかし、そこでとどまってしまうのは間違いである。
そんな生易しい悲劇ではなかったのだということを、
しっかりとアメリカの若者や子どもたちに伝えて欲しいものである。
そして、自国が核を保有するということは、
また、さらなる悲劇をひきおこす可能性を孕んでいるのだと、
しっかり認識できるような教育をして欲しいものだと思う。
そういうことを世界の国々に訴えていくのが、
被爆国日本の政府の、最優先すべき義務なのではないかと思う。
自民党は、そういう点では、呆れるほど怠け者の与党を続けてきた。



2007年08月05日(日) 関心の的? 晋三ぼっちゃん

大イヴェントの終わった翌日は惰眠を貪りたいものだが、
さっそく9日の決勝大会に向けての準備に入った。
校舎を開ける鍵は、木曜日に会場準備に行く前に借りておいた。
とにかくまずプログラムを編集し、進行表を確定し、、という仕事とともに
昨日の様々の残骸の整理もある。
そちらの方に半分近い時間が取られてしまった。
こういう仕事は広い場所を取るので、誰も来ない休日が好都合である。
しかし、まぁ夕方までにきょう予定していたことはだいたい終わった。

4日ぶりに家族とゆっくり夕食をしたわけだが、食後の朝刊も4日ぶり。。
朝刊の「声」(投書欄)を見てびっくり。
晋三ぼっちゃんの話題がいっぱいである。
20歳の大学生も選挙後の晋三ぼっちゃんの態度を批判しているし、
54歳の自営業の人も「ヘンな首相の早い退陣」を望んでいる。
それ以上に驚いたのが「川柳」のコーナーである。
7句のうち、5つがぼっちゃんネタである。

  約束をした覚えない安倍さんと
  約束をしたなら国民横向かぬ


みごとですなぁ、、、ぼっちゃんよ、何が「お約束」なんだぃ??
 じーさん「散歩の帰りに饅頭買ってきてあげるよ」
 孫   「饅頭いらなーーい。アイスがいい」
 じーさん「・・ほら饅頭買ってきてやったぞ」
 孫   「えー? アイスがいいって言ったのに。饅頭いらない」
 じーさん「でも、約束したからのぅ、、」
晋三ぼっちゃんの「約束」は、こんな感じである(笑)

次の2つもみごとだ。

  昔から大店潰すは若旦那
  朝青龍辞めるな晋三ここにあり


「からえくぼ」のコーナーにはこんなのがある。

        『続投』
  あなたの「鈍感力」を愛読しています。   安倍晋三
  渡辺淳一どの


先の「ヘンな首相の早い退陣望む」のまとめの一段落はこうだ。

無責任・非論理・鈍感な安倍さんだが、
前任者ほどには時の運が巡ってこなかった。
独善的に憲法や教育をもてあそばれては、国民は困る。
早い退陣を願うばかりだ。



2007年08月04日(土) 県大会順調に終わる

去年から一手に引き受けるようになったこの仕事も、
今年は、準備もかなり長期間に分散して行うことができ、
現地に2泊して朝晩の長距離運転を省略したことと、
特に、舞台進行役として来てくれた人がうまくやってくれたので、
ほとんどバタバタする必要がなく、余裕の運営ができた。
2日間とも、実に順調に大会が進行した。
もちろん、そのために慎重に準備をチェックし、完璧にお膳立てしたのだ。
疲れたけれど、心地よい疲労である。

この仕事はたいへんな負担である。
絶対やらないぞ、と言えば回ってくることもないし、辞めることもできる。
しかし、誰かがやらなければならない。
誰かがやらなければならないけど、私である必要はまったくない。
広く県内の人材を求めれば、私よりもっと能率的にてきぱきと、
巧妙に仕事をこなす人材がいるはずである。
私はもともと先んじて事を成すことが苦手で、こういうのに不向きである。

もしも私がこの役に適任だと言えるのだったら、
それは、こういう仕事に喜びも感じることができる点だけであろう。
引き受けてしまった義務感だけでも、こういう仕事はできる。
しかし、喜びも伴わなければ、損、でしかないだろう。
とにかく、膨大な時間と、場合によっては金銭的負担もあるのだから。。。




2007年08月03日(金) 「議員は頭を使え」

昨日の夕方ごろからきょうの午後にかけて、強い風が吹くことが多かった。
いわゆる暴風とか強風には至らないけれど、荒れ模様という雰囲気だった。
しかし、雨は予報で言われていたほど降らなかった。
雨が降ると打楽器等の積み下ろしがたいへんだが、ほとんど降らなかった。
こうして、開催を危ぶむ人もあった大会1日目は、無事終わった。

昨夜会場からホテルに戻って寝るまでの3時間ほどTVをずっとつけていた。
今朝も起きてから2時間ほどTVをずっとつけていた。
もちろん、台風情報のチェックも兼ねて、ニュース番組ばかりである。
どれも、最新ニュースの内容はほとんど違いがない。
今朝のニュース番組だけでも、同じことを3度か4度知らされた。
こんな風に、深夜と朝にニュース番組を見てるだけで、
報道が繰り返しインプットされ、毎日続けると世の動きに精通するんでは?
私の日常の朝晩はこんな風ではない。

そんな中で、こんな話をしているキャスターがいた。

「党議拘束 → 議員は 頭 でなく 頭数」

どういうテーマのコーナーで出てきたのか定かでないのだが、
これは、今の国会の最重要問題点である。
党議拘束など持ち出して、自分の頭を捨てさせ、
党の決定どおりの審議・挙手(起立? 投票?)をさせるのならば、
しかも、自分の意見を貫く者を、小泉クンのように制裁するのならば、
地方区などというものは必要ない。
必要なのは、「誰」でなく「党員」に過ぎないのだから、
すべて比例代表制で決めればよい。
考えなど持ってようが持っていまいが関係ないのだ。
実際、晋三ぼっちゃんの支配下で、ぼこぼこ不備だらけの法案に、
自民党員こぞって賛成、賛成、賛成、、、なんて、不気味でしょうがない。
議員にまでなって、いったい何してるわけ?? と叱りたくなる。
ちょっと頭を使えば、賛成するのは恥ずかしいような法案に。。。
なぜ地方区など設けるわけ?
このためにいろいろな弊害があると私は思っているけれど、
でも、その趣旨は、(彼らには「地盤」が大事なのだろうけど)
人物に投票できるようにするためではないのか?

そのキャスターの結論は、

「議員は 頭 を使え」

というものだった。
それは、基本だ。

言いなりのアホどもに高額な給料や退職金や政治資金を恵んでやるなんて
そんなアホらしい無駄遣いはない。
もちろん、議員だけじゃない。
公務員、もちろん教員にも、言いなりのアホがおおぜいいる。
私も時々言いなりのアホにならざるを得ないことがあってイヤになる。
言いなりのアホほど管理職になりやすいし、
管理職は言いなりのアホほどかわいがり、持ち上げる。
教育の癌にはいくつかの種があるけれど、
この、「言いなりの美学」も深刻な癌のひとつである。



2007年08月02日(木) コンクールと台風

台風5号は、今九州を北上している。
日本海を抜けて北海道に向かうという予想だ。

2、3日前から台風の接近が告げられていたが、
私の予想は今夜の予想とそのころから同じだったので、
この近辺には無関係な台風になるだろうと楽観していた。
しかし、きょうになったら流石に朝から騒がしくなった。
対策を講じる電話のやりとりがやや頻繁に交わされた。
台風はかなり外れるから危険はないだろうと思っていても、
県内の1部分だけでも警報が出たら、その間は開催するわけにいかない。

コンクールが中止になると大変である。
やらないわけにいかないから、会場と審査員を早急に決めなきゃいけない。
これは実にたいへんなことだ。
公共のホールが、明後日貸して、といって、はい、と即答するわけがない。
そのあたりには割と厳しいルールがあるものだ。
審査員7人も、そう簡単に決まるものではない。

そして、会場も審査員も用意でき、延期開催を知らされた各学校も大変だ。
50名もいる出場部員の都合というものもある。
トラックやバスの手配も急遽やり直し、ということになる。
出場する生徒は、1日あたり1000余人である。
動く人数も物も、多すぎるし大がかりすぎる。
前売り入場券の払い戻し問題も出てくることだろう。。。

しかし、明日は何とか開催できることだろう。
会場の準備にやってきて、今夜は現地に宿泊である。
夜9時ごろまでここにいて、1時間以上車を飛ばして帰宅して、
翌日早朝にまた同じ道をたどるのが時間の無駄なので、泊まることにした。



2007年08月01日(水) とんだトラブル

午前中、一緒に吹奏楽部顧問をしている若手のNくんに、
出演者用リボン(ビラという)の封筒詰めをしてもらっている間に、
電話の応対をしたり、コンビニに走って掲示物をコピーしたり、
これでほぼ準備は終わりに近づいた。
厄介な仕事を積極的にやってくれたNくんにはランチをおごった。

ここで、2、3年前からうっすら考えていたことをやってみようと、
ついつい余計な誘惑に取り憑かれて、試みに入ったのが運のつき。。。
賞状は、学校名や日付などは鉛筆書きで、賞だけはゴム印を捺して授与する。
賞状をもらうと、それぞれの学校に持ち帰ってから、
鉛筆書きのところを筆などで改めて書き直して飾ったりするわけだ。
学校に筆で書ける人がいない場合は困ってしまう。
下手ながらも筆で書くか、飾るほどの成績でなければ鉛筆のままになることも。。。

鉛筆書きの作業もなかなかたいへんだし、
そもそも、鉛筆書きで賞状渡すなんて、何か重みがないではないか。。。
それで、近年得意としている、PCでの差込印刷を考えたのである。
(ちなみに、書道6段か7段ほどまでやっていた私は、細筆はダメである)
 初回はたいへんである。
賞状の空欄に、できるだけ違和感がない位置に文字が入るように、
微妙な位置関係を調整しながらレイアウトしなければならない。
しかし、いったんそれができてしまえば、連続印刷で済んでしまう。
手書きの味わいがないという批判を受けるかも知れないが、
一度やってみて、意見を聞きたいところだ。
文句が出なければ、来年から楽ができるし、次の担当者も楽ができる。

レイアウトの調整はどうやるかというと、
エクセルでまず適当な位置に印字したい内容を書き込んで、
それを白紙に印刷しては、賞状の上に重ねて位置関係を見て、
文字の位置をずらして行くのである。
(きょうは最終的に20枚近くをそのために費やした)

ところが最初の1時間近くは、プリンタ無反応に悩まされた。
図書館から発行する賞状のために、一昨年から4回ほど使っている
パソコン室のプリンタである。
何をやっても、うんともすんとも言わない。
そのうち、電気系統の点検のために全館停電となり、中断を余儀なくされた。

40分ほどの停電後、作業を再開したのだが、やはりプリンタ無反応。
ヘルプの指示に従ってさまざまに試したけれど、やはりダメ。。。

結局、コントロールパネルのプリンタの選択を、
同機種で2種類ある「コピー」の方を選んでやったら、反応が変わった。
プリンタは反応するようになったが、いちいちメッセージが出る。
    黒インクの情報が間違っている。。。
はあん、、???
どういうことかわからない。
それでも、「印刷続行」ボタンをクリックすると印刷してくれるので、
それでレイアウト調整を進めることができた。

やっと妥協できる程度のレイアウトができた時には5時近くになっていた。
明日の午前中の作業になる。
それにしても、いちいちあんな不可解なメッセージが出るようでは、
連続印刷ができる意味がほとんどなくなってしまうじゃないかーー(`ε´)

PCは実に便利だ、
しかし、いったんつむじを曲げられると、理不尽なわからず屋になる。
「なんでこうなるの????」を今までも何度体験したことか。。。


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