TENSEI塵語

2006年09月30日(土) 簡潔な嘆願書

きょうの朝刊の「声」欄の、大阪のある女性からの投書である。
(たまたま橋本BBSにも引用されていたのでそこからコピペした)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

       特別ではなく普通の政治を

投資で大金持ちにならなくても、
毎日まじめに働いたら家族が安心して暮らせるようにしてください。
どうしても働けず困った時は、
人間の尊厳を傷つけるようなことは言わずに生活保護で助けて下さい。
介護保険料は毎月払いますから、
病気になったら安心してプロに介護していただけるようにしてください。
何でも民営化しなくていいから、郵便局や役所が便利なところにあって
安心して相談できるようにしてください。
大企業の大もうけの陰で、
リストラや過労死がまかり通ることはやめさせて下さい。
憲法は変えず、守ることに専念してください。
少子化対策、特別なことは考えてくれなくてもいいですから、
安心して子どもを産み、育てられる国にしてください。
アメリカのごきげんばかりとらずに、
近隣の諸国とも仲良くできる外交をお願いします。
以上のことをやって頂ければ、
教育基本法にわざわざ「愛国心」を書き足さなくてもよくなるでしょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

晋ちゃん、方向性間違ってえへん? と問いかけているような文章である。
こういう理屈っぽくなく愚痴っぽくもない、簡潔な文章を書きたいものだ。

しかし、晋ちゃんの1番の願いはこんな庶民の素朴な思いよりも、
おらっちにも軍備はあるからよぉ、いつでも相手になってやっからよぁ、
見くびんじゃねぇぞ、と言える日本にしたいというところにあるのだから、
仮にこの投書を目にしたところで、何言ってんだぃ、でポイ、だろう。
彼らが次に庶民に目を向けるのは、選挙の時だけである。
それ以外の時はふんぞり返っている彼らが、
その時だけはその時だけは下僕であるがごとくに頭を下げるが、
庶民の意見に耳を傾けるわけではなく、
一方的に自分への投票を嘆願するだけである。



2006年09月29日(金) 形ばかりのPR

今週は、夕飯後しばらくして横になっても、
しばし腰を癒す程度で起き上がって宵寝を避けることができていたのだが、
今夜はもう横になったら瞬時に深い眠りに落ちてしまった。
すっきり目覚めたのが午前0時ちょっと前で、3時間近い睡眠である。
最悪のパターンの復活である。

残念ながら、明日は休日ではない。
中学生の学校見学という行事がある。
夏休みに計画されていたが、台風が近づいていて中止になった、
その代替案として、明日、簡略化して行うことになったのである。
私はそうまでするほどのことはない、と強く思っているが、
やらないわけにはいかないだろうというのが大方の共通感覚のようだ。

公立高校でも授業参観日だの、学校見学会だの、何とか評価だの、、、
これらがすべて、現場の教員の活動の成果による発案ではなくて、
公立学校も企業経営的努力をせよ、というお上の発想からやらされている、
これがとにかく気に入らない。
外回りだけの企業的努力だけで、実際には何の資金もないから、
外の人に見せようにも、見せる物など何もありはしないのだ。

明日の見学会にしても、学校の中を見せて、説明するだけだ。
別段、すばらしい設備があるわけでもない。
私はいろいろな中学校にも高校にも出かけるけれど、
今努めている学校はどちらかといえば、設備は劣っているし、
各部屋の照明は暗いし、部活動も活発でない方の部類である。
もしも、我々の営業的努力で施設を自由に改変できるならおもしろいのだが、
県教委はそういうことは認めない。
私立高校と公立校ことは本質的に違うのだ。
PRすべき何もないのに、PRだけはせよと言う。
これもまた、雰囲気だけで机上の思考に悦に入る、
我々の上役官僚だちの悪癖に翻弄される我々の徒労のひとつである。
まったくやりきれない。

入試の面接や、入学後の生徒に尋ねてみると、
毎年この見学会に来た生徒よりも来ていない生徒の方が多いようだ。、
実際、こんな施設や部活動を見せたって、
見学前より見学後により魅力を感じる中学生が多くいるとは思われない。
そう大した取り柄も作ることができないのに、PRも糞もないもんだ。
教員にしたって、あんたいい加減もう早く辞めたら? 
と言いたくなるようなのが何人かいるわけだし、
そうしてまた、私自身、この学校の運営方針や教員間の雰囲気が、
たいへん気に食わないので、不満プンプンなのである。
校長の教育方針にしても、他校の真似事、他校と同じ水準だけで、
独自のセールスポイントなど、何ら考えてもいないのだ。
外部にPRできる段階などではないのである。

ぜんぜん納得できないことに手を出したくないが、
私がさぼれば、負担が他の人に行くことになる。
今まで、他にも数限りなくあった事態である。
それが私の精神を大いに疲弊させる。蝕まれている感じである。



2006年09月28日(木) 晋ちゃん饅頭?

成り行きでニュース番組を見ていたら、
その番組の1000人を対象にした調査では、内閣支持率70%。
またある新聞の調査では67%とか。。。
小泉くんの時には及ばないが、高い支持率である。

次いで、画面には晋ちゃん饅頭なるものを買えなかったおばちゃんたち。
予約段階で売り切れ状態だから、飛び込みでは買えないのだそうだ。
さまざまな晋ちゃんグッズがあるようで、とりあえずライターも映ってた。
こういうのが、小泉くんのころから露骨になってきた自民党の戦略らしい。
政策自体は庶民の生活を脅かす、しかし、そこに庶民の目が向かないよう
イメージと雰囲気で、熟慮なき庶民の好感を集めようとする。
高利貸しの企業が、かわいい犬ととぼけた飼い主のCMを流し続けたのと
似た手法である。

晋ちゃん饅頭を買えなくて、無邪気な笑顔でインタビューに応じていた
あのおばちゃんたちが、平和憲法の書き換えを望んでいるとは思えない。
「お国のために闘う」教育を望んで、晋ちゃんを追っかけているとは
思えない。
そういうこととは無関係に、ただ、今の流れに身を委ねているのだろう。
2年前にはヨン様を追っかけていた程度の部類かも知れない。

内閣支持率とは別に、内閣政策支持率というのも出してほしいものだ。
私から見れば、内閣支持・不支持は政策支持・不支持以外の何ものでも
ないのだが、最近の世論調査では、それらは別次元のようである。
新聞もTVニュースも、そういう点に深入りしないのが不思議だ。



2006年09月27日(水) 安倍内閣発足

塵語を開いて、1時間以上、何も書けずにいた。
あれから20年、組合活動自体も衰退の一途を歩んでいるし、
私自身の内部でも、組合活動は衰退し、停滞してしまっている。
そのことについて、書きたいことはいくつも浮かぶのだけれど、
どれを書き始めてもたいへん厄介なことになりそうで、書き始められない。
めんどくさいのである。
要は、無気力状態に陥ってしまったということだ。
一昨日・昨日とかけて、半年前からの願いを果たしたので、
気が抜けたのかもしれない。。。

安倍くんと小泉クンが交代したようだ。
小泉くんのあの気持ち悪い顔を見なくてすむようになったのは嬉しいが、
今度の首相の公約は、怖い政策が並んでいる。
今度の首相の顔はそう気持ち悪くないし、
ヒトラーみたいに虚勢をはった物言いもしないけれど、
政策構想では、いろいろと危険な問題がからんでいる。
それがかえって心配である。



2006年09月26日(火) 昔書いた人形劇台本(その2)

昨日の続きで、第2場からを写しておこう。

中に出てくる「人勧書名」というのは、給与や人事に冠する要求を並べた
署名で、組合員か否かを問わず、ほぼ全職員が署名に応じてくれるが、
まれに絶対に組合の署名はせんぞ、という人もいるのである。
また、「加入書」というのは、組合に新規に加入する申込書のことである。
県内の小中学校のような、全員加入の御用組合でなく、
組合つぶし策の一環である「教育会」の設置の影響もあって、
組合の組織率が落ちており、組織拡大ということが運動の要のひとつだった。
そのころ私がいた支部は、他支部と比較すると拡大の進んだ方で、
冗談の好きな支部長は、5人(3人?)入れた分会にはサントリーオールドを
贈呈すると言ってハッパをかけていたのである。
実際はひとり2人入れるのもたいへんな状況だったので、
そういう分会は1校あるかないかというくらいだった。

なお、ここでは「F」とか「○○子先生」とか「○○分会」にしてあるが、
もちろん、もとの台本では実名のとおりで書いてある。
「F」は以前から有名人だったし、
「○○子」はその会で新加入者のひとりとして紹介される予定だったから、
この中に実名で登場させるのも、座興の大事な要素である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

         2 署名拒まるるの場

F   すみません。人勧署名お願いしまーす。
甲   何や、それ?
F   さっき配った職場新聞に書いてお願いしておきましたけど、、、
甲   今鼻かんだ紙かな? 何ならもう1回広げよか?
F   給料値上げの要求署名で、全員の方にお願いしてるんですが、、、
甲   何人書いた?
F   まだひとりです。
甲   あんたひとりやろ。
F   当たった。
甲   10人回ってみんなに断られたやろ。
F   当たった。
甲   そんなつまらんことやっとる間に、
    喫煙かバイクでもつかまえて来い。
F   しかし我々は、働く者の生活と権利を守るために、、、
甲   わしゃ、そんなはした金上げてもらうより、管理職になった方が
    ええなぁ、、みんなもそう思っとるわい。ヒッヒッヒ、、、
F   (気を取り直して、乙に)人勧署名おねがいしま〜〜〜す!
乙   おう、給料は上げてほしいけど、僕は署名はせん。
    君たちでやってくれ。頼むよ。
F   (呆然とするが気を取り直し、半泣きになって次の新任に向かい)
    あの、人勧署名お願いできますか?
教頭  (突然Fの前に現れる)
    おい、職員室で組合活動なんかやってもらっちゃ困る。
    そんなもんは標本室で取れ、標本室で。
F   勤務時間外ならいいはずですが、、、
教頭  そんなことは聞いたことがない。
    とにかく、職員室でやってもらっちゃ困る。
    生徒に見られたら教育上悪い。
F   めっちゃめちゃなこと言わんで下さい!
新任  F先生、この場はここで引き下がってください。
    僕がこの署名を書きましたから!(と紙を出して渡す)
F   (紙を受け取って何度も見直す)加入書だー!(気絶する)



        3 新規加入者続出の場

F   (名古屋弁丸出しに翻訳して読んで!)
    わはははは、、、おもしろくて笑いが止まらん。
    ついこの間まで3人しかいなかったのに、
    あの新任が、1カ月で20人も入れてまった。
    若い連中はもうみんな組合員だ。
    支部目標30人も、その内うちの分会で独占だ。
    商品のオールドもごろごろしとる。
    30人入れたら、支部長からベンツがもらえることになっとる。
    支部長泣いてまうに。ああ、気持ちええ。
新任  (紙を持って入ってくる)先生、またひとり入りましたー。
F   (名古屋弁で。以下同様)誰、誰?(紙を見て)え?あいつが?
新任  どうやら○○子先生がおめあてのようですがね。
F   意地汚ねぇ野郎だな、まったく。。。
甲   (登場。太鼓持ち風に)や、どうも、こんち、お日柄もよろしゅう
    あたいも仲間にいれていただきやすんで、どうぞ、
    (大きく抑揚をつけて)何とぞよろしゅうお願いいたしやす!
F   (紙を投げ捨てて)お前なんか入れてやるか、たわけ!!
甲   ど、どうしてでございますか!?
    私はずーーーっと前から組合活動に憧れておりました。
    組合なしには、わ、わ、わ、我々の、えーーー、せ、性格も、
    いや、せ、せ、せ、生活も、ま、ま、守られま、せんし、、
    きょ、きょ、教員も、し、し、死んだ、、じゃない、
    し、し、し、し、真の。きょ、きょ、教育は、、、、
F   どもるな、そんなとこで。
甲   と、とにかく、私も入れてください、お願いです。
F   おい、君が若い教員を全員引っぱってくれたのはいいけど、
    こんなのまで入ってくるとなると、、、、どうしよか。。。
新任  学校を良くするためには、こういう人の協力も必要になるんじゃ
    ないでしょうか。
F   あ、ありがとうございます!! 私を仲間外れにしないで下さい!
乙   (端に現れて)あのう、、、、(加入書を持っている)


        4 再び職員会議の場

教頭  ・・というわけで、この件につきまして皆さんにご審議いただき、
    最後に採決によって決定といたしたいのでございますが。。。
F   あれ? 校務委員会で決定じゃないんですか?
教頭  やはり、日本は民主主義の国歌でございますもんですから、
    本職員会議も憲法の精神に則りまして、
    職場で全員の意見を闘わせまして、共通理解を作って行くのが
    当然の方法であると存じております。
    (独白)・・畜生、40人も組合に入れちまいやがって。
    エ〜〜ン、権力のない教頭なんて意味がないヨォ〜〜。。。
    ヒトラーみたいにいばりたいヨオ〜〜。。。
    淋しいから、わしも組合に入れてもらおっかなー。。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、この人形劇は、支部のイヴェントの余興である。
退職者と、その年度に入った新しい組合員を激励するだけでなく、
青年部を元気づけ、また、組織のなかったある学校に分会ができたことを
祝福し激励する催しでもあった。
だから、私自身は次のように最後を締めるのは嫌いなのだけれど、
その会の余興に相応しいように、当然幕切れはこうなるのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

        5 眩き陽光の場

F   いやぁ、まったくすばらしい職場になった。
    これもみな、君のおかげだ。
新任  この現代の状況の中で、組合に入って闘うことは、
    教育者として当然です。使命です!
F   些か歯が浮かないでもないが、、、いや、まったくそのとおりだ!
    そして、君のような若い教員こそ頑張らなきゃならない。
新任  はい。
F   青年部がたるんでいてはいけない。
新任  はい。
F   青年層こそ先頭に立って闘わなきゃいけない。
新任  同感です。
F   初任者研修粉砕だ!
新任  やりましょう!
F   そして、若い分会こそ頑張らなきゃいけない。
新任  ○○分会に期待しましょう!
出演者一同 (人形も全部出る。声をそろえて)おしまい!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    

         



2006年09月25日(月) 昔書いた人形劇台本(その1)

前々任校にいたのは、22年前からの4年間だが、
管理職や御用主任たちと喧嘩が絶えなかった代わりに、
同僚にはたいへん恵まれたたいへん楽しい職場であった。
前半の2年間に、私はあることを変えたいと思って、
組合の人たちに理解してもらって一緒に活動に取り組んでもらったので、
その成り行きから、2年目の終わりごろに彼らの仲間として加入した。
そのころの私の関心は、学校を変える、ということしかなかったが、
もっと広く組合活動を理解するために、その翌年には分会の委員をやった。
仕事場所も、勝手に職員室から社会科標本室に移し、
社会科の仲間2人と、笑いに満ちた毎日を送っていた。
他の教員からも、生徒たちからも、3匹の腕白坊主が標本室にいると
見られていたようである。

3月に、支部内の組合の退職者と新加入者を激励する会がある。
その時には、各分会で余興をやらなきゃいけない。
その3人の腕白のうちの、若いFくんが、
家からあんぱんまんの指人形を持ってきて、人形劇でもやろうと言い出し、
私に台本を書け、というので、ひと晩かかって書いて見せたら、
腕白が2人とも、すぐにセリフの練習に入ってくれた。

その台本が、この春の大掃除の時に出てきた。
そのうち、アップしようと思いながら、億劫なまま放ってある。
とりあえず、ここに書いておこうかな、と思う。
とにかく、もう紙がぼろぼろで、鉛筆も消えかかっているところがある。

登場する「教頭」は、私が4年間喧嘩し続けた教頭をモデルにしている。
実際こんなことをこんな口調で話していたやつである。
それにヘコヘコする太鼓持ちみたいな主任が2、3人いたので、
そいつらもモデルにしてあるが、こちらはかなり脚色してある。
2人の腕白の仲間が即座に採用してくれたのは、
こんなやりとりが実際にもあったし、ありがちだったからである。
きょうはまずその第1場だけ。。。。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
       虐げられし人々(part 2)〈陽光編〉

         1 職員会議の場

教頭  明後日の全校朝礼から、ステージにしっかりと日の丸を掲げて、
    生徒の規律を正したいと思いますもんですから、
    職員もご協力願いたい。
甲   君が代もぜひ毎回歌わせるようにしていただきたいもんですな。
教頭  それも名案で、ゆくゆくはそうしたいと思っておりますんですが
    まずは日の丸への敬意を徹底させるということで。。。
F   ちょっとすみません(手を上げる)
教頭  (別の方を向いて)はい、Fくん。
F   なぜ朝礼に日の丸を掲げるのか理由がわからないので、
    説明願えますか?
教頭  あんた、そんなこともわからないの? それは、
    日本の国旗だからです。
甲・乙 (パチパチパチ、、、)
F   その国旗が、日本の軍国化の象徴的役割を果たしてきたことから、
    いろいろと論議されている事情もありますし、
    もっと慎重にすべきじゃないですか?
教頭  何も知らんくせに偉そうなことを言うな!
    あんたは戦争に行ったのか!
    わしゃ、戦争に行ったからよう知っとる。
    日の丸は立派な国旗です。その日の丸に守られながら、
    私の同僚が死んでいったのです。あんたにそれがわかるのかね。
F   だから、そういう時代を復活させてはいけないと、
    国旗や国歌の扱い方が問題になってるわけで、、、
教頭  何もわからん人間の言うことなど聞きたくない!
    ・・・ま、ともかくでございますね、校務委員会で既に
    決まったことでございますもんですから、ご協力願います。
甲   つきましては、朝礼の進行役として、私から提案がございます。
    私が、礼!! と号令をかけましたら、
    このように手の先をぴんと伸ばしまして、
    90度で最敬礼をお願いいたします。
    先生方が手本を見せませんと、
    生徒がなかなかピシッ!! としませんので、ヨロシク!
乙   なお、先生方が率先して出席されますよう、
    私が先生方の出席をとらせていただきます。
教頭  そういうわけで、徹底方おねがいします。
F   (遮るように)ちょ、ちょ、ちょっと。。。
教頭  まだ何かありますか? これはもう決まったことだから、
    何言っても無駄だよ。
F   この問題で、出席とるという言うのも問題じゃないですか?
教頭  あんたは生徒の出席もとらんのかね。
F   次の3点について、もう一度検討していただきたいのですが。。。
教頭  決まってしまったことは変えられない。
    では、「伝達」も済みましたので、これで職員会議を終わります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いやぁ、こうして写していても、あのころを思い出してムカムカするなぁ。

それはそうと、題名のところにパート2と書いてある。
もうひとつ以前に書いていたのだろうか? 記憶にないのだが。。。
    
   



2006年09月24日(日) 余力

いやぁ、きょうも疲れた。
4回目の混成バンドの練習で、合奏指導で立ちっぱなしだっただけでなく、
パート練習の時間にもいろんなパートに出かけて楽器指導をしたり、
個々の生徒の事情を聞いたりした。
クタクタになって帰って、、、バタッ_(_ _)_
と、本当にベッドに横になった。
でも、15分ほどで起き上がって、夕飯の用意に協力した。

夕食後は、楽譜書きに3時間以上没頭した。
市吹の練習で、「テルーの唄」を市販の編曲譜を1音上げて演奏してもらい、
しかも、このパートはここでこの楽譜のここに跳び、
他のパートはこの楽譜のここに跳び、、、などと複雑な指示をしている。
本番で間違いがあってはいけないので、整理しようとしたのである。
しかも昨日、以前から考えていたいい音色の組み合わせを確認したので、
それを採用して編曲し直したのである。
8割方できたころにはもう11時を回っていた。

まーぁかーーーん_(_ _)_、、、と思っていても、
案外まだいくらでも力が残っているものだ。甘えちゃいけない。



2006年09月23日(土) きんつば

火曜日に始まった今週は、秋晴れの日が続いた。
ちょっと陽射しが強く、室内が暑く感じられる時間帯もあったが、
空気がさわやかで、風が心地よかった。
きょうは夕方まで家に籠もって、楽譜書きしたり横になったりを繰り返し、
夕方に外に出てその涼しさに驚いて、一層秋の訪れを強く感じた。
やっと秋らしくなりつつあるなぁ、、と思えるようになったのだが、
きょうは秋分の日、秋のど真ん中の日である。

昔の人は、日の出から日没までの時間のそれぞれの区切り、
つまり、日の出から日没までが一番長いとか、一番短いとか、
日没から日の出までの時間と同じだとかで、区切りを作った。
そのそれぞれの区切りは、それぞれの季節の雰囲気が出始めたころである。
ところが、安易にその日をその季節の始まりとはしなかった。
それぞれの中間に、それぞれの季節の始まりを置いた。
これは、なかなか奥深いことのような気がする。
きょうは、改めてそんなことを痛感したので、それを詳しく書こうと思った
が、すでに一昨年の立春の日に書いていた。
市吹からの帰り道に頭の中で文章を考えていたが、
ほとんどはその日の日記の繰り返しだったようである。

それにしても、こういう季節感の用語と言い、和菓子の名前と言い、
実に奥深い情緒があるものだ。

昨日の朝のラジオで鈴木杏樹に「きんつば」の由来を教わった。
(本当は上の話題で終わるはずだったが、標題を変えたのである)
私の「きんつば」との出会いは、アイスキャンディーである。
小学生のころの好物だったが、名前が不思議でしょうがなかった。
小学生には「つば」は「唾」しか連想できなかったのだ。
名前は何となく気持ち悪いけれど、甘い氷に覆われた小豆の棒アイスは、
気持ち悪いどころかなかなか魅力的だった。

大人になってから、和菓子のきんつばに出会って、
ところどころが白い、薄い皮に覆われた餡菓子を見て、
なるほど、あの棒アイスの原型はこれだったかと、感動しつつ納得した。
それから何度か和菓子のきんつばを食べる機会はあったけれど、
幸い甘すぎるきんつばには出会ってない、たいていは上品な小豆味である。
しかし、きんつばの名前についてはまったくわからぬままだった。

江戸時代に大阪でこの菓子が作られた当初は、刀の鍔の形をしていて、
「銀鍔」という名前だったそうである。
それが江戸に持ち込まれ、少し製法が変わり、
名前も「銀よりは金の方がいい」ということで「金鍔」となった。
そのままの形を保ってくれれば、我々の感覚を悩ますことはなかっただろう。
明治時代に全国的に作られるようになったとき、
しだいに形が長方形になってしまったようである。
実際の形が「鍔」ではなくなったのに、名前にだけ「鍔」が残ったのが、
不幸の始まりと言えよう。
しかし、それ以降は、味の追求以外それほど変化なく安定しているようた。

半世紀生きてきて、初めて知ることが何と多いことか。。。



2006年09月22日(金) 祝! 都教委敗訴〜!

入学式や操業式で、日の丸に向かっての起立と君が代斉唱を教員に義務づけ、
それに違反した教員を処分した都教委を相手に争われていた訴訟で、
都教委の指導は「不当な支配」にあたるとして全面否定する判決が下った。
教育基本法や憲法の改悪に意欲的な首相が就任して、
日本の将来に暗い陰を投げかけている中での、珍しく明るいニュースだ。

私の、日の丸・君が代問題についての考えは、
一昨年の4月4日に書いたとおりである。
儀式の一般的なアイテムに過ぎない限りでは適度に容認もし協力もするが、
そこに不自然な強制力が働いたら、拒絶する。
若いころ、この問題についていろいろ考えたが、
現実的には、儀式に日の丸を掲げ、君が代を歌わせても、
生徒たちには、日本の国旗と国歌はこれだと再確認させる程度の意味しか
与えていないと判断したからである。
しかし、「お国のために闘う」愛国心の育成めいたものが漂ったら、
そんな呑気な対応はしていられなくなる。
処分覚悟で、抵抗する側に入る。

私人としても本当は逃げてはいけないが、うやむやにすることも可能だ。
しかし、公務員としての教員なら、そういう問題から逃げてはいけない。
公僕なのだから公のためにダメなことはちゃんとダメと言わなきゃいけない。
それを貫き勝訴した、東京都の401人の教員たちは立派だ。



2006年09月21日(木) 台風の名前

今日本に近づきつつある台風14号の名前は「ヤギ」というそうだ。
さっきヤフーの天気図を見て知った。
台風の名前として、どうしてこういう命名をするのか不可解である。
そういえば、何号か前の台風は「マリア」さまだった。
こういう名前に常に接するわけではない。
TVの台風情報でも、「台風○号」とはよく言うが、名前は言わないものだ。
何かの拍子に、進路図の傍らに書いてあるのを見て、へえ?と思う程度だ。
誰がどういう理由で名前をつけているんだろうと、
時折疑問に思う程度だった。

先週だったか、朝のラジオで鈴木杏樹が話題にしていたが、
私はその時、車の道筋選択の決断に追われていてよく聞いていなかった。
十何カ国かから10個くらいずつ出された名前を順繰りに使っているだけ
というような説明をしていたような覚えがあった。
さっきの「ヤギ」に大いに刺激を受けて、検索してみた。

・・・あまりにくだらないので、ここにわざわざまとめる気がしない。
台風委員会とかいう国際的委員会が、こんなことを大まじめにやっている。
世界7不思議のひとつにあげてもよさおうだ。
リンク貼りつけるだけにしておこう。→ 台風の名前
ちなみに、日本が提出している名前は、
「てんびん」「やぎ」「うさぎ」「かじき」「かんむり」「くじら」
「コップ」「コンパス」「とかげ」「わし」の10個だそうだ。
「くじら」とか「わし」あたりは、些かなりともわからんではないが、
「かんむり」も「お冠」といえば怒っていることだから、連想可能だが、
「大型で強い台風 うさぎ」あれ? 「コップ}あれ? って感じである。
どうせそう意味もなく選ぶくらいなら、
「オロチ」「スサノオ」「弁慶」「武蔵」「風神」「阿修羅」・・など、
荒々しいか勇猛なイメージで選んでほしかったものだ。

昨日の「ぼたもち」「おはぎ」に比べると、
なんと軽薄で根拠の希薄な、味わいも何もない命名の羅列であろうか。。。



2006年09月20日(水) ぼたもちとおはぎ

最近はほとんど食べることがなくなって、忘れていたが、
ずーーっと前に、ぼたもちとおはぎの区別が疑問だったのである。
地域による呼び方の違いなのか、あるいは、
中がまったくの餅になっているのがおはぎで、
中の米が半殺し状態で中途半端な餅になってるのがぼたもちか、、とか。。
ぼたもちが「牡丹餅」と書かれてることもあって、
そのイメージもわからないでもないが、じゃ、おはぎは何? となる。。。

今朝ラジオで鈴木杏樹が話していたのは、どちらも同じだが、
ぼたもちは「牡丹餅」で春のお彼岸用、
おはぎは「お萩」「萩の餅」で秋のお彼岸用、ということであった。

・・・な〜るほどー、、、途端にぼたもちに季節の情緒が漂った。
子どものころは、あの重量感のある風貌を「ぼたぼたもち」などと
からかっていたものだが、「牡丹餅」「お萩」は何と美しい命名だろうか。
実際ぼたもちを供えるのはお彼岸だけとは限らないだろうが、
季節による呼び分けという点が多いに気に入ったのである。

ところで、私は実は「お彼岸」の意味もよくわかってない。
「彼岸」といえば「あの世」「極楽浄土」のことだし、
「お彼岸」にはご先祖様を供養することぐらいだったが、
それらの観念がうまく結びついてないし、なぜそれが春分・秋分なのかが
「お彼岸」が近づくたびにうっすらと感じる疑問なのだった。

お彼岸は、まず1日だけでなく、春分の日・秋分の日を中日とする、
前後7日間を言うのだそうである。
てことは、23日だけでなく、きょうから始まっているわけだ。
なぜ、それが春分・秋分なのかというと、
この日は太陽が真東から出て真西に沈むので、
日没の時に西方浄土を想うことができる、という説があるようだ。
これも、な〜るほどー、、と思わせる。


そういえば、ぼたもちはともかく、月見だんごはどうなった?
中秋の名月の話題が出ないようだが、私がニュースに疎いからだろうか、
と思って、PCに入れてある「日めくり」を見てみたら、
きょうはまだ旧暦7月28日なのだそうだ。
え? まだ7月? と思ってよく見たら、「閏7月」となっている。
旧暦7月が2回あったということらしい。
そうすると、旧暦8月15日は、16日先なのか、17日先なのか、
とにかく、今年の中秋は10月の5日か6日あたりになるようだ。
まだ話題にならないはずだ。
そのころは雨の少ない時期のはずだから、美しい名月が拝めるかもしれない。




2006年09月19日(火) 中途半端

結局最近ギターは弾いてない。
先週など宵寝が続いて、それどころでなかった。
夏休みに読んでいた「パズルハウス」も9月に入ってからはまったく。。。
このごろ取り組んでいる編曲作業はまだまだ終わっていないし。。。
これらは最近のものを思いつくまま並べただけで、
ずっと以前からやろうと思っていてできないでいることはいくつもある。

とにかくいろんなことが中途半端なのだ。
イヤになるほど中途半端なのだ。
この部屋の中に、さまざまな「無用の長物」が保管されていて、
残念ながらそれらは休眠にうんざりして死にかけている風情である。
そういう思いが、何をやっても空虚と倦怠を私にもたらす。
要するにそれは、人間として何もかも中途半端な自分への苛立ちでもある。

早く仕事を辞めたい。いつなら辞められる??
そんなことばかり心の奥で考えている。
そういう思いもまた、空虚と倦怠の闇を広げるばかりなのだ。
そうして、明日のことばかり思い煩って、イエス様の教えに背いている。

何とかせねば。。。



2006年09月18日(月) のんびり曜日

きょうはまったくの休日である。
マーチング県大会の日だが、去年から役員を免除してくれている。
まったく外に出ず、家の中に籠もって静かに過ごした。
台風が日本海の海上を通過したはずだが、風雨の影響はほとんどなかった。
北陸各地では、フェーン現象で30度を超える暑さだったようだが、
このあたりではそういう波瀾もなかった。
雨も降り、風も吹いたが、概して静かな休日だった。

昼間は、「テルーの唄」の楽譜書きをやっていたが、挫折した。
FF3を夕方1時間半ほどやった。
相撲中継の最後の30分ほどを見た。
授業の準備もせねば、と内心脅かされて吐いたが、
実は明日やればいいのだと何度も何度も自分に言い聞かせた。

夕食後は、部活の生徒用に編曲をしていた。
先日少しだけやりかけていたのである。
学校祭が終わって、練習する曲がなくなったので何とかしなきゃいけない。
市販の楽譜はほとんどそのままでは使えないので、
場つなぎ的でもいいから、何か用意しなきゃいけない。

選んだ曲は、ゴールドブレンドのBGMに使われている曲である。
そのメロディーをもとに編曲されたのを、小松亮太が弾いていて、
それがCD「イマージュ」に入っている、そのピアノ編曲をもとにした。
「目覚め」という題なのだそうだ。
このヴァージョンは、ややタンゴ調で始まり、
中間部はバロック音楽のようなパッセージが長く続く。
この中間部のあたり、生徒はかなり手こずるだろう。
このヴァージョン自体にいろいろな要素があるので、
編曲する際にも、いろいろな練習要素を盛り込んでみた。
ステージで演奏するわけではない、練習用の楽譜なので気楽である。

ついつい没頭してしまって、気づいて風呂に入ったのが午前0時。
今はもう2時になろうとしている。
せっかく休養できたと思ったのに、寝不足で疲れた週明けになりそうだ。
ま、週明けはいつもそんなもんだけど。。。



2006年09月17日(日) FF3を始めてみた

きょうはのんびり寝ていたいなー、腰も痛いなー、、と思いつつも、
えいっと起き上がって、混成バンドの練習へ。。。
しかし、今年はまだ中間地点にありながら、いい成果が出ているので、
うれしいし、心も軽い。
2時ごろから、大阪から本番の指揮者が来て棒振りを交代したが、
いろいろといいことを教えてやってもらえた。

それでも、疲れには勝てん。
夕食後、やはり1時間も経たないうちにダウンした。
ちょっと腰を癒しに横になっただけだが、ほとんど躊躇なく沈没したようだ。
気づいたら10時になっていた。
2時間弱の睡眠であるが、これでやっと普通の夜が過ごせるわけだ。

寝る前に書きかけていた市吹の活動日誌を書いて、久々にDSを取り出し、
きょう届いていた「ファイナルファンタジー3」を始めてみた。
私はずっと前に、5、4、6、7の順にやったきりである。
FF4の時のグラフィックがどんなだったか、よく覚えているが、
今回のFF3では、このDS版でグラフィックを一新したそうで、
小さな画面ながら実に美しいCGアニメーションに驚かされた。

やっと、主人公ひとりだけが、あたりに頻出するザコ敵と戦いつつ、
最初のボス敵をやっつけて、最初の使命を受けたところである。
20分ほど、めんどうなコマンド式戦闘を操作しつつ進めてみたが、
目が疲れてしょうがないので、今夜はたったのこれだけで中断である。
かつては、初日に2時間どころか、4時間か6時間はやるのが通例だった。
この老いた目と驚異の小画面では、なかなか昔のようなわけにはいかない。



2006年09月16日(土) 腰が痛い

火曜日の草取りの時に、危険を感じていたのだけれど、
これくらいの痛みはすぐに治ると思っていたのに、一昨日からよくない。
戻りがききにくい、というタイプの痛みようである。
長時間座った状態から立って歩き出すときに、なかなか直立できない。
背骨の合わせ目が開いてしまっているみたいな感覚である。
また、長時間座っていると痛くなる。

こういう時は、せっかくの休日だから湿布薬貼って寝てるのがいいが、
きょうは午後と夜に練習、明日は午前午後と練習である。
そうして、今も1時間半ほど、新しい曲の編曲をしていた。
そろそろ腰がつらくなってきたので、今夜はこの辺にしておこう。



2006年09月15日(金) でーきたーー\^o^/

今夜もどうにも耐えきれず、宵寝してしまったが、
11時に起きてから、「ゲド戦記〜目覚め」の楽譜を完成した。
今、パート譜も作り終えたところである。

先週、1日でとりあえずの形を作って試奏してもらったのだが、
やはり終わりの方があっさりしすぎているので、8小節増やして、
対戦率も作って、いっそう盛り上がるようにした。
メドレーにした場合、この後に「テルーの唄」が入ることになるので、
ここで全体のクライマックスのような場面を作っておいた方がよい。
これで、「旅路〜異変〜街〜逃亡者〜目覚め〜テルーの唄〜エンディング」
という一連のメドレーができあがることになる。

私は根本的にものぐさでめんどくさがりなもんだから、
この塵語でもついつい愚痴が増えてしまうのであるが、
それでも、市販の編曲に不満があった時にはこういう労を惜しまない。
また私は、音楽をほとんどフィーリングのみでやって来て、
基本的素養は何もないから、頭に描いたことを音符にして音にしてみると
あてが外れることも多く、こういう創造的作業には臆病なのだけれど、
試行錯誤や書き直しを繰り返し、何とか得心の行く流れを見つけ出す。
プロなら5分で済ませるところに5時間かけているかもしれないのだが、
案外しぶとく根気よくつきあえるのである。
それは、それだけその原曲に惚れてしまった証拠でもある。
苦労はしても、そういう音楽と深くつきあえることは喜びだし、
そういう音楽は自分の手によって可能な限り活かしたいと思う。

どうせつき合うなら、とことんつき合いたいものだ。
それは、相手が音楽でなく人間の場合でも同じだ。



2006年09月14日(木) 宵寝しすぎた。。。

足腰への疲労がたまって、癒されていないようだ。
きょうは昼ごろにはもう、歩くのも難儀で億劫になってしまった。
それでも、長い廊下を何度も歩かねばならず、
3階や4階まで、何度も上らなければならない。
夕方にはもうその疲れが精神にまで及んで投げ遣り状態である。

今夜の宵寝は最悪だ。
横になったのは9時ちょっと前だったと思う。
しばらく横になっていたが、眠りには落ちなかったので、
そろそろ起きようかな、、、と思ってるうちに沈没したようだ。
途中で1度目が覚めた覚えがある。
その時に起きたつもりだったが(そういう夢を見ていたのかもしれない)、
ふとばっちり目を開けたら1時40分なので驚いた。
こうなったらもう2〜3時間は眠るべきである。
しばらく頑張ってみたが眠れず、部屋の電気もPCもつけっ放しだと思うと
結局起き上がって部屋に上がって来ないわけには行かなかった。
睡眠時間が中途半端である上に、相撲ダイジェストも見損なってしまった。
最悪である。

さーて、、今夜はどうするべきであろうか。。。
とりあえず、今週に入ってからできないでいた、
先週の編曲の仕上げをしなければならない。
好都合な時間が与えられたと思うべきだろう。
この時間だと、酒の力を借りてもう1度寝ようと考えない方がいい。
しかし、睡眠時間を補わずに1日をスタートするのも不安だ。
こういうケースでありがちなのは、朝の5時ごろから眠たくなることだ。



2006年09月13日(水) 白鵬3勝1敗

白鵬が3連勝しているけれど、初日には負けている。
その日は、実は私は今場所が始まったことを知らず、見ていない。
問題は、どういう負け方をしたのか、なのだが。。。
このところ、毎場所、初日に土である。
この悪い癖を改善しないと、綱取りを素直には応援できんなぁ。
おじちゃんたちは、圧倒的な強さの横綱を君に期待しているのだよ。
それでも、千秋楽まで1敗を守れるようなら、綱取り応援してあげるけど、
まだ21才だし、焦ることはない。
2日目から3つの取り組みを見たけど、安心して見られる状態じゃないなぁ。
十分に反省と稽古を積み重ねて、例年にはきっと横綱になってほしいものだ。

今場所は、栃東と魁皇が黒星先行しているようだ。
栃東は右足が悲惨な状態だが、負けた昨日も1勝目のきょうも、
痛々しいほどの気力を見せた。
琴欧州の怪我がかなり回復してるようで、持ち味が出ているようだ。
これは今場所のもっともうれしいニュースだ。
きょう1敗を喫してしまったようだけれど。。。
把瑠都が早くも2敗というのが意外だ。
大関までは快進撃を続けるような気がしていたが。。。
しかし、きょうの対露鵬戦は、厳しい、見応えのある力相撲だった。
ちょっとした駆け引きの妙が、明暗を分けた。



2006年09月12日(火) 悪循環から来る疲労

先週の肉体的な疲労は激しかったが、土日に回復できたとは言い難かった。
昨日は、1時間目にテント片づけがあったりしたのだが、
きょうは、まず朝出かける前に資源ゴミ回収で、
出勤してから3時間立ちっぱなし歩きっぱなしの連続授業で腰も痛く、
午後は近所の養護学校の草取りに出かけた。
その作業がイヤなわけではないが、きょうだけは勘弁して欲しくて、
朝から曇天を見上げつつ、雨が降って中止になることを祈っていたが、
時折降る小雨の中での除草作業になった。
先週の火曜日以来、日常慣れた範囲を超えた肉体の酷使が続いた。

昨日もきょうも、夕食後耐えきれずに横になって、そのまま眠った。
この時間に寝ると、たいてい2時間弱で目がすっきりと覚める。
また、昼間の作業で大汗をかいているので、シャワーでも浴びるために
何としてもいったんは起き上がらなければならない。
夕方には心身ともに朦朧としていたのに、
この一寝入りした後は、実にすっきりと冴えている。
朝までいろんなことができそうな感じである。
翌日が休みなら有意義な時間が過ごせそうなのだが、2時には寝るために、
ウイスキーを飲みながら、中途半端な時間を過ごすことになる。

アルコールの力を借りても、うまく寝つけないこともある。
しかしとにかく、できるだけ寝なきゃいけない。
2時過ぎに眠れても、4時間程度の睡眠である。
宵寝の2時間の睡眠は、とてもすっきりした目覚めなのに、
この夜中から朝にかけての4時間ほほどの睡眠の後は、瞼も体も重い。
この、通常でない睡眠のリズムが、余計に体を疲れさせているのだろう。

この宵寝は絶対にやっちゃいけない、と自戒しているのだが、
この2週間ほどは、どうにも耐えられないことが多かった。
それが疲労の悪循環を招いていたのだ。
明日から正常な日程に戻るので、何とか通常のリズムに戻したいものだ。



2006年09月11日(月) 現代日本を象徴する世論調査

今朝、まだガタピシガタピシしているような体にむち打って出校したら、
1時間目は学校祭後の清掃にあてるという。
グランドのテントやシートの片づけは体育の時間にでもやるのだろうと
思っていたのに、それもこの時間にやると言う。
それで、テントの片づけでまず大汗をかくはめになった。
それは、2時間目の頭まで食い込んだ。
いじわるなことに、きょうからの新しい時間割で、
1時間目にあった授業は4時間目に移されていて、
要するに、貴重な空き時間にこの肉体労働を課せられるはめになったのだ。
授業後も、体育大会でやり残した競技をやるだの、学年集会をやるだの、
どうして教員というのは自分たちを酷使することをこうして次々考えるのか、
どうも不可解なことである。

くたくたになって帰り、夕食後は耐えられそうにも思われたが、
結局1時間半ほど沈没した。
眠りに入るときに、昨日実は書こうとした、不可解な世論調査を思い出した。

昨日、朝刊の1面のトップの見出しを見ただけで、不思議な感覚。。。
まず大きく「年金・福祉改革 48%」とあり、その横にやや小さく
「本社緊急世論調査 安倍氏支持54%」とある。
その上に横向きにさらにやや小さく「次の首相に望む政策」とある。
すごい違和感である。
弱者切り捨て路線の後継者に、年金・福祉を期待だって?
実際安倍くんが最近掲げている中にそんな悠長なものは全然ないぞ。
彼は、とにかく憲法改悪に意欲を燃やし、「お国のため」教育への改悪、
ろくなことは言ってない。
消費税アップだって、福祉のためよりも、軍備拡張でしょ?

その朝刊は、妻の傍らに広げられていたもので、その見出しだけ見て、
「どうして、望む政策が年金・福祉で、安倍支持となるんかねぇ?」
と言ったら、政策と支持とは関係がないことも書いてあると言うので、
取り上げて読んでみた。

うーーーん、、、何と恐ろしい。。。

・次の首相にふさわしい人は安倍官房長官が54%と断然多い。
・安倍氏の政権公約について「内容を知っている」人は11%。
・次の首相にふさわしい人として安倍氏を挙げた人でも、
 政権公約の「内容を知っている」と答えた人は10%。
・安倍氏の人気の理由は「人柄やイメージ」が44%
           「他によい人がいない」が25%
           「若さ」11%
           「実行力」10%
           「政策や主張」は5%で最少。。。

もうここまで読んだだけで、あきれ果てるしかない。
しかしもう少し読んでみよう。

・次の首相にいちばん力を入れて取り組んでほしいことは、
  「年金・福祉の改革」が48%で圧倒的に多い
  「財政再建」17%
  「格差の是正」10%
  「地方の活性化」「アジア外交の改善」ともに9%
  「憲法改正」はわずか2%に過ぎない。

この最後の問は、択一でなくしてほしかったな。。。
改憲を望んでいる人がどれだけの割合なのか知りたかった。
択一のこの回答で、改憲は二の次なのは察せられるけど。。。
しかし、安倍くんの最重要課題はこの改憲、恐るべき改憲なのだ。
私は、彼の台頭を、戦後の還暦を経た、悪魔の到来と呼ぶ。

こういう無思慮な政治的態度にあきれ果ててからもう20年以上だが、
こうして改めて数字で示されると、そら恐ろしく暗澹たる思いに陥る。
政治家を支持する理由の筆頭が「人柄やイメージ」とは何であろうか?
国民のほとんどは、彼の「人柄」などは知らない。
TVや新聞に登場する彼から、「人柄」まではわからない。
政策に「人柄」は現れると思うが、多くの人は政策も知らないそうだ。
人々が感じているのは、なーーーんとなーくの「イメージ」に過ぎない。
そんなイメージを頼りに、我々の生活を委ねる人々の気持ちが理解できない。

しかし、これは、長年のそういう国民感情のなれの果てなのだ。
何が何でも自民党、何をされても自民党、どんな仕打ちを受けても自民党、
この安定したイメージ支持が、国民の思いを無視した指導者を育てたのだ。
もっとよく考えて、ひとつひとつの政策に厳しい裁定を下していれば、
「他によい人がいない」なんていう悲しい状況は生まれなかったはずである。

政策や主張と政治家支持とがまったく別物であるというのは、
きわめて異常なことなのだが、それを新聞がまったく論評しないのも異常だ。
そうして、時の権力者がある程度の成果を収めて安泰となってから、
あれこれ批判側に回ったりするのが常である。

・ 



2006年09月10日(日) ギターを弾き始めたが、、、

始業式は10日前にあって、新学期が始まったのだが、
授業もなく、活動やイヴェントに追われていた10日間は、
私の感覚では夏休みの延長みたいなもので、明日から新学期の感じである。
午前中のうちに、明日から授業が始められる準備をし、
先週書き忘れた市吹の活動日誌も2週間分書き終えた。

昼食後、ギター弾かなきゃな、、、と思いつつ、
その前に、来週から部活で何の曲を練習させようかと、
以前書いたアンサンブル用の楽譜ファイルを探しているうちに、
睡魔に襲われて、堪らず横になったら、瞬時に沈没してしまった。
途中、妻にPCのことで質問されたが、起き上がれずにさらに沈没、
買い物に出なきゃあ、、と目を覚ましても、なかなか起き上がれない。
少しホッとした時に、たまっていた疲れがどっと押しよせるようだ。

夕食後、ギターを取り出してきた。
昨日までは、10日間ほど酷使した指が痛かったが、きょうは大丈夫。
今まで、長いブランクの後でやって来たのは、たいていは、
基本練習とかつてのレパートリーの復活だったのだが、
今回の忘れようは並々でないので、そういうことはもっと先に延ばして、
2、3年前に何かのついでに買っておいた、宮崎アニメのギター編曲集を
取り出して、「マルコとジーナのテーマ」と「風の丘」を弾いてみた。

・・・困った。
左手の指を効率よく使えるよう指示されている指番号が見えないのだ。
まったく見えないわけではないので、まったく弾けないわけでもない。
指番号が書いてなくても自分で決めればいいが、時間がかかることがある。
指番号が書いてある限り、とりあえずはそれに従うのが無難なのだが、
見づらい、または、見間違えたりするのである。
こんなところに「1」なんて書いてあるはずない、と思うのに、、、、
と、よく見てみると、「0」が2つ並んでいるだけだったりする。
「4」と「1」なんて見間違えるはずがないものだが、
「4」の斜めの棒が薄くて、横棒が五線と重なっていると「1」に見える。
つまり、弾く以前に、楽譜を読むのが難儀になってしまっているのだ。
たぶん、昼の太陽の光が入っている明るさなら読めるのだろうが、
この蛍光灯の灯りでは、これからも苦労が続きそうである。

しかし、何とか続けて行きたいものである。
取り戻すのに急ぐ必要はない。
とにかく、今回はあきれ果てたのである。
ここまで弾けなくなってしまったか、ということだけではない。
実は、先日、ちゃんと足台も使ってしっかりした姿勢で弾こうとしたが、
どうも変なのである。
構えたときに、フレットがこんな位置に来ることはない、
ネックがこんな方向に行くことはない、右手の位置も変だ、、、
どうもしっくりしないのだが、慣れないせいかなと、強引にそのまま弾いた。
しかし、一昨日そのことを考えていて、ふと重大な誤りに気がついたのだ。
何と、足台を右に置いて、右足を乗せて弾いていたのだ。
確かにペースギターは長いので、その方が弾きやすかった。
しかし、この普通のギターの場合は違う。
左足を足台で高くして、左右の腿の上にギターの膨らみをを乗っける
というのが、長年取ってきた形だった。
そんなことさえ忘れてしまっていたのだ。
幾つかのショックが大きかったので、今回は、1日10分でも弾くぞ、
と決意を新たにしたのである。



2006年09月09日(土) 編曲作業にあくせく、、、

高校時代から編曲をやっていたけれど、
高校から大学にかけてはギター合奏用だからまだよかった。
せいぜい5パートだし、同じ音色楽器だからバランスの問題も少ないし、
大学のサークルではスコアさえ書けば、
急がなければパート譜を専門の係に任せることもできた。
ところが、吹奏楽の編曲をするようになったら、たいへんだった。
同じ楽器も2〜3パートに分かれているから、全部で30パート近い。
まだ手書きでしか楽譜が書けなかったころは、
同じメロディーや伴奏を何パートもくり返し書かなければならなかった。
そうしてスコアが完成しても、それがどういう音で再現されるかわからない。
それなのに、それを耳で確かめるために、パート譜を書かねばならぬ。
スコアに書いたすべての音符を、再びパート別に全部書いていたのである。
今思うとすごい労力だったのだが、そうするしかなかったのである。

私がPCを使い始めたのは、編曲作業のためである。
最初はWin3,1 で「アンコール」というソフトを使った。
数曲それで編曲した。
Xのバラードを3曲ほど卒業式用に編曲したのが主な思い出である。
書いた分を好きな時にミディ音源で聞いて点検できるし、
(その代わり、ミディ音源での音のバランスは実際とまったく違う)
スコアを書けば、そこからパート譜も作ってくれるのでありがたい。
音符入力は手書きよりも時間がかかるけど、全体の時間は短くなる。
それに、同じ要素はすべてコピペで写せてしまうので楽ちんである。
しかし、ホルストの「木星」の編曲をしたときに、
最後の方になると、コピペに十数秒を要するようになった。
大容量の作業に耐えられなかったのはPCの方かソフトの方か、
はっきりはわからないが、Mac に乗り換えソフトも「フィナーレ」にした。

昨夜は疲れて9時過ぎから11時まで眠った。
それから起きて、「ゲド戦記〜旅路」のパート譜を作った。
それから風呂に入り、「ゲド戦記〜目覚め」の編曲に取りかかった。
朝4時までやって、眠って、10時に起きて、、、、
それから市吹に出かけるまでの時間、ずっと取り組んで、
この「目覚め」のパート譜までとりあえず作ってみた。
要するに、きょう1日は、食事と排泄以外の時間を編曲に費やしたのだ。
昨日までのハードな肉体労働の後遺症で全身ガタピシ状態だったが、
横になりたい欲求をこらえて、ずっと編曲作業に没頭していた。

特別な音楽教育を何も受けずに来てしまった私には、
こういう仕事はどちらかというと悩み苦しむことの方が多いのだが、
それを支えてくれるのは、ミディ音源での再生である。
それは、入力した音符の正誤を教えてくれるばかりでなく、
ここまではとりあえずうまく行っているらしいことも教えてくれる。
今までの経験で、ミディ音源と実際の音とのギャップは頭の中で変換できる。
そうしてできあがりつつある様子を感じられるのが大いなる励みとなる。

今夜、市吹で試奏してもらったら、「旅路」の方は、
長期間推敲を重ねただけあって、想像していた雰囲気が出ていた。
しかし、昨夜から作り始めて、午後2時半にとりあえずの見切りをつけて、
大急ぎでパート譜を用意した「目覚め」は今ひとるだった。
しかし、この試奏に臨む時の、緊張と、音を聞きつつ安堵して行く時間、
これもまた、たまらない魅力なのである。



2006年09月08日(金) 疲労困憊_(_ _)_

たいへんな体育大会だった。
朝出勤すると、もう実施が決まっていたので大した問題はないと思ってたが
グラウンドに出たら、本部席あたりのテントの中の地面がぐちゃぐちゃ。
私は、ほんの数メートルのことなので、テントを後方に移動させて、
ぐちゃぐちゃでないところに本部席や来賓席を作ればいいと思ったが、
担当者はあくまでも定位置で、段ボールを地面に敷こうとしている。
だから、段ボールの不足分をかき集めに走り回った。
まずこれで汗びしょびしょ。。。。

それからずっと門番をしていたが、わかりやすい駐車スペースがすぐに
埋まってしまったので、保護者用に駐車の誘導で走り回るはめに。。。
いかにも体育大会らしいわ、と思いながら走り回っていたけれど、
さすがに疲れて、6月に教育実習に来ていた卒業生に自転車を借りた。
とにかく、こんなことをしている間に、さらに汗びしょびしょ。。。

もう昼過ぎにはぐったりしてしまったが、
保護者の来客が最も多いのが、昼過ぎの応援発表の時間である。
昼の駐車場の誘導もほぼ終わり、応援発表がひとつ始まったところで、
ほとんど前触れの感じられない雨が、激しく降り始めた。
それは20分も続かなかったが、トラックは水浸しである。
やったー、応援発表だけこの後済ませて、あとの競技はカットだー、
早く終われるぞーー、と喜んだが、残念ながら、
トラック内の芝生の上の2競技をやっているうちに、トラックの水が引いて
結局、最後の種目だけをカットして、勝敗に関わる種目は全部行った。

片づけもたいへんである。
何もかもが泥だらけで、あれもこれも通常の2倍以上の労力と言える。
とりわけ、地面の泥まみれの段ボールを剥がす余分な仕事が加わっている。
まー動けないかと思っていたけど、まだまだ何とか動けるものである。

今夜は慰労会が計画されていたが、きのう出欠を問われて×にしておいた。
確かに、この疲れではとても行く気にはなれなかった。
が、昨日断ったのは、明日の市吹の練習までに編曲を完成して
パート譜を用意するところまで終わらせなければならなかったからだ。
パート譜は、スコアから自動的にPCが作ってくれるが、
ひとつひとつ実用的なレイアウトに整理しなきゃならないから、
十分な時間を確保しておかなければならない。
今夜はこれからそれに取りかかるのだが、すぐ沈没してしまうかもしれない。
しかし、ありがたいことに、明日の夕方までは、
いつ起きていつ寝てもいいのである。
すぐ沈没して夜中に起きても、その後好きなだけ作業ができる。
朝早く起きるために早く寝直そうと焦る必要もない。
こういう時間が、この10日間ほどまったくなかった。
実に窮屈な時間のやりくりで疲弊していた。
束の間の自由な時間だが、やっと休日が来たのだ。



2006年09月07日(木) ギターを続けよう

いやぁ、きょうの体育館の片づけには参った。
1年生の生徒数十名と、1年生担当教員で椅子片づけをした、
そこまではいいが、その後、床に敷いたシートを巻き取る作業があった。
計算に入ってなかったが、我々1年生担当教員しかいない。。。
椅子片づけですでに汗をかいていたが、この巻き取り作業で、
もう全身汗でずぶ濡れになった上、腰にも大ダメージである。
最後にこれほどの重労働が待っていようとは考えもしていなかった。
きょうの仕事は吹奏楽部で一緒に演奏することだけだったはずなのに。。。

演奏は(私自身のである)、もっと悲惨な事態も想定していたが、
割と間違えずに弾けたが、ベースギターの空振りが数カ所、
ギター伴奏の方は、間違えないにしても、思うような音にならなかったのが
数カ所、、、間違えないと言うだけで、満足なものではなかった。
また、ちゃんと鳴らせなかった焦りから、落ち着いて弾けなかった。

ベースギターは数年前から急場しのぎで弾いてきただけなので、
ベースギターの奏法で弾いているわけではないし、
そもそも、今のようにクラッシックギターの奏法で弦を押さえていたら、
あまり長く弾き続けると指や手首を痛めるに違いない。
実際3日ほど前から、かなり指や手首の関節が痛い。
だからこちらはそれほど熱心に追求しようとは思わないのだが。。。

ギター伴奏は極めて簡単に書いてある。
コードは頻繁に変わるけれど、ほとんど基本のコードである。
楽譜を書いて試しに弾いてみたらすんなり弾けたので、良しとしたのである。
ところが、以前よく弾いていたのは十数年前までだし、
その長いブランクのために、指の位置が安定しないのである。
これはベースギターと持ち替えのためでもあるが、それだけではない。
指の位置感覚がまだしっかり取り戻せていないのだ。
だから、フルートの生徒と3回くらい合わせると、
3回目にやっと納得のいく伴奏ができるというような感じだった。
右手の動きもまだぎごちなく、パターンが変わった瞬間に戸惑ったりする。

何よりも驚いたのは、基本練習の音階練習やアルペジオ練習も思い出せず、
暗譜してよく弾いていた曲も、最初の2小節さえ思い出せなかったことだ。
まったく、あきれるほどの退化ぶりである。
いざという時には何とか使えるくらいにちゃんと保っておきたいものだ。
そういうわけで、今度こそは放ったらかしにはしないぞー、と、
強く決心をしたのだった。いい機会になった。



2006年09月06日(水) 41年ぶりの親王誕生とかや。。。

明日の文化祭、明後日の体育祭を前に、きょうは1日雨で、
明日もまだ降り続けそうな気配で、やきもきしながら準備を進める中、
世間は、紀子さま男児御出産とやらで大騒ぎだったようだ。
ニュース番組で、さまざまな町でのお祝いイヴェントが本道されていた。

皇位継承権第3位とということだが、要するに、
次の次の世代の天皇の候補が誕生なさいました、ということだ。
これで、女帝を認めるかという皇室典範改定論議はお休みになるようだ。
ルール作りというのはそういうものではないと私は思うのだが、
現実的に、自分たちの都合のいいようにルールを変えるのが自民党政治だ。
ま、今女帝云々を問題にし始めると、皇太子と秋篠宮が争うはめになること
も懸念されるから、こういう状況での論議は避けた方がいいと思うけどね。

そういう、世間が盛んにおめでたがっているニュースの陰で、
新聞には、次期首相最有力候補の安部くんが、憲法改定を主眼にしていると。
こんなやつに首相やってほしくねぇぞーーー、と懸命に思うのだが、
残念ながら、我々にはまったく選ぶ権利がない。
こんな重要なことを公約されて、身内で決めてしまうなんて理不尽だ。
とにかくこれだけはやめてくれぃ。

日本の暗い将来を思いつつ、お世継ぎ候補の誕生を祝福する気にはならんわ。
ま、もともと、天皇の光景がどうのなんて、興味ないんだけど。。。



2006年09月05日(火) カラフルウミウシ

きょうは恐怖の体育祭準備日である。
午前中は炎天下で、グランドの草取りだとかテント張りだとかで汗だく。
もうこれだけで、頭もぼぉ〜〜〜っとして、何する気力もなくなる。
午後は、競技のための選手集合のリハーサルめいたことをやっていて、
私はこの学校に来てからは、グランドから抜け出そうとする生徒の監視と
注意役で、以前に比べたら比較的楽ちんな仕事である。
グランドで召集だの、競技の運営に関わっている係はたいへんだが、
最近はそういう方面から外れることができて助かっている。
しかし、めったに外で長時間過ごすことのない身には、
何もせずにお天道様の光を浴びているだけで存分に疲れるのだ。

それでも、終了後の部活もちゃんと出た。
とにかく今年は自分がまず練習しなきゃならないので出ないわけにいかない。
疲れている割には、意外と間違えることも少なくなったようである。
しかし、いつもの習性で自分以外の個々の音を聞いてしまうといけない。
ちょっと気になることがあると意識がそちらに向いてしまって、
ふっと自分の次の動きを忘れてしまう。
4時半ごろから6時半ごろまでとりあえずみっちり練習した。

帰り道、案外元気な自分に驚いた。
それが、合奏練習で気分転換したためなのか、
車の中で流れている亮太くんの演奏のためなのか、
昨夜2時ごろ、最近取り組んでいた編曲譜がほぼ完成したからなのか、
昼ごろぐったりしかけていたのに不思議に元気で驚いた。
ところが、帰宅してビールを飲んで夕食を済ませたら、、、沈没した。
もう、横になったら瞬時に深い眠りに入ったらしい。
それが何時だったか、、、今夜、昨夜作り終えた楽譜を点検して、
修正したのが9時過ぎだったから、横になったのは9時半ごろだろうか。
11時にパッと目が覚めて、起き上がるのはつらかったけれど、
きょうは汗だくになったし、埃の入った目も痛かったので、
風呂にも入らず目薬もささずに寝てしまうのはまずいと思って、
よっこらしょと起き上がって、気力を振り絞って風呂へ。。。

風呂上がりにTVをつけたら、面白い物を見たのである。
4人のタレントが、見たこともないようなものの名前を聞いて、
それを想像して絵を描くというクイズをしていて、その題のひとつに、
「オシャレコンペイトウウミウシ」というのがあった。
何じゃそれは?! というような名前だが、実際いるそうである。
正解の映像の中で、この「オシャレコンペイトウウミウシ」だけでなく、
「シンデレラウミウシ」と「インターネットウミウシ」を紹介していた。
笑える命名だが、いったい誰がこの芸術作品を創ったのだろうと思わせる。
ついつい、その後で検索して、上記にリンクした画像を見つけたが、
フルーツポンチウミウシ」なんてのもあった。
こんなところにも、不思議に満ちたおもしろそうな世界がある。
疲れた心身に、思いがけずまた新しい刺激を与えてくれたのだった。



2006年09月04日(月) 「海猿」を見た

学校祭の一環で、芸術鑑賞会と称する映画鑑賞会で「海猿」を見た。
(生徒会の予算が少ないので、3年に1度は外部公演、2度は映画なのだ)
そのためにわざわざ市民会館まで集合するのである。
ステージの効果を使うわけでもない映画ごときに会館ホールはもったいない
が、こんな時期なもんだから、体育館では暑すぎるのである。
我々の高校時代は10月の終わりか11月の初めにやっていたのに、
そもそもこんな時期に文化祭だの体育祭ということがいびつなのだが、
学校祭はじめ学校行事のいびつな構造についてはまた後日にしよう。

やるべきことがいっぱいたまってるし、楽器の練習もしたいので、
こんな映画見てる暇はないぞーー、と思いつつ、
途中で出て学校に先に戻ろうかなー、、、とも思いつつ、
一応日程どおりに行動して、会館での開会式の席に座って、
映画が始まってもとりあえずそのまま席に座っていただけのことだが、
見始めたらついつい一生懸命見てしまった。

座礁した客船の救出作業中に、隊員2名と乗客2名が、
火災と浸水に囲まれた一室に閉じこめられてしまうという話である。
乗客のひとりは妊婦だし、ひとりは避難中に大怪我をしてしまっている。
ほぼ絶望的な状況からの決死の脱出劇である。

こういう映画の常で、そんなところで感傷に浸ってる場合じゃないじゃん、
早く次に進みなよ、、、ダメだってー、早くしなきゃあ、、、
ほーら、のんびりしてるからまたたいへんなことになっちゃった!!
急いだら楽勝で助かったのにーーー、っていうタイプの展開だったし、
救助隊員の主人公の安否を港から見守るフィアンセのセリフが、
こんな時にこんなセリフしかないんか! と思わせる月並みなものだったが、
沈没を運命づけられた船中での奮闘は、2転3転、、4転5転して、
見ていてたいへんつらい、息詰まる展開であった。
主人公のその奮闘を支える思いが、恋愛の方よりも、
以前、2人を救おうと懸命だったが、ひとりを死なせてしまった、
今度こそ、みんなが生きて帰れるようにという必死の思いで一貫している、
それがよかった。
あっという間に2時間が経ってしまったという感じだった。
伊藤英明くんのたるんたるんのセリフ回しも、最初の方ではいつもどおり
気になったが、救出劇に入ってからはもうまったく気にならなくなったし、
どこでどう勘違いして思い込んでしまっていたのか、
ヒロイン役だと思っていた伊東美咲が出てこなくてあてがはずれた恰好に
なったことも、もうまったく関係なくなってしまったほどである。
ちなみに、帰ってから検索してみたら、
美咲ちゃんの映画は「海猫」というまったく別の映画でした、、f^_^;
以前、題だけを聞いて、ころっと深く混同してしまったようでして。。。

・・・というわけで、忙しい中のこの呑気な半日は、これで良しとしよう。



2006年09月03日(日) 屈折の学校祭(その1)

学校祭4日前だというのに、校内が妙に閑散としている。
出校して活動している生徒もいるが、2、3の教室に入りきる程度だろう。
全校生徒の2割いるかいないかという程度である。
確かにきょうは休日なのだが、休日だからかえって伸び伸び活動できる。
この日を活用しないのは、行事を活かすためには大きな損失なのである。
学校祭前の休日の閑散とした光景に寂しい思いを毎年抱いているが、
要するにそれは、学校祭が生徒の行事になっていない如実な表れだからだ。

よりよいイヴェントを求める気持ちがある場合には、
工夫や発想にはきりがないものである。
実際、私が今までに目にしてきたところから思い起こしても、
何とかうまくきっかけを与えて活動が盛り上がってくると、
生徒の方からあれもやりたい、こういうこともやりたいと意見が出て、
工夫して何かを作り始めたりするので、ますますみんなが忙しくなる。
知恵を集めてよりよいものを創って発表し合うのが学校祭で、
先生や、一部の生徒の提案した苦肉の策を最低限やっつけ仕事をするような
省エネ活動では、何時間も授業を潰して学校祭をする意味はない。
それは時間の浪費に過ぎない。


・・・しかし、きょう私は活動に専念しすぎて疲れた。
宵寝をしたけれど、やはり疲れた。
途中だけど、もう寝るとしよう。



2006年09月02日(土) ご無沙汰は禁物

きょうも明日も、文化祭準備のため朝から夕方まで出校である。
毎年この時期は暑いという先入観があるので憂鬱なのだが、
幸いきょうは、陽射しは強かったけれど秋の空で、爽やかだった。
ツクツクボウシの声をろくに聞かないうちに秋が来たようだけれど、
このまま秋になるとも思えない、また残暑がぶり返すのだろう。。。

きょうは10時ごろから8年ぶりかのギターを練習し、
10時半からフルートの生徒と「テルーの唄」を合わせてみた。
これくらいの伴奏なら、以前は楽勝だったはずだが、
コード進行にもふっと戸惑うし、時々弦を押さえ損なってしまうのである。
なかなか感覚が戻らない。
爪の手入れも怠っていたので、なかなかいい形に磨けなくて、
爪弾く右手の方も、何か引っかかる感じである。

午後、合奏をやると、もっと困ったことに直面した。
ベースギターをしばらく弾いてから、普通のギターに持ち替えると、
フレットの幅も違うし、弦と弦の間も違うし、弦の太さも違うので、
なかなかギターの指の位置がつかめなくて音を外しっぱなし。。。
実に困ったことである。

やっぱり楽器はちょいちょい弾き続けてなくてはいけない。
何年もご無沙汰してしまうと、修復に何日もかかってしまう。
そんな状態では、融通もききにくい。
こういう機会はめったにないだろうと、ずるずる怠けていると、
いざという場合に、指も楽器もなかなか言うことをきいてくれないのだ。
もう練習を再開するのも億劫になっていたほどの楽器を引っ張り出したのは、
それだけの必要性に駆られてのことだったのに、
その必要性をちゃんと満たすことができるのか、甚だ不安である。

楽器だけじゃないなぁ。。。
友人たちの多くに、もう長いこと無沙汰を続けている。
もう今さら連絡をとるのが億劫になってしまうほどに。。。
これもまた、よくないことだ。
ま、今までの経験では、友人の場合は昔の感覚を取り戻すのに、
楽器ほど苦労はしないものだけれど。。。



2006年09月01日(金) 夕立を懐かしむ

9月初日のきょうは、午前中が雨が降り、涼しい1日となった。
雨は昼には上がって、昼過ぎにやや蒸し暑い雰囲気にはなったが、
それほど鬱陶しく感じさせるほどの暑さは戻ってこなかった。
雨らしい雨がまとまって降ったのも久しぶりのような感じだ。
降りそうで降らない、降ってもパラパラでおしまい、あるいは、
夜のうちに少し降って朝になると晴れていることが続いていたから。。。

最近ちょいちょい気づいていたことだが、夕立がないのが不思議だ。
8月も後半になると、連日激しい夕立があってもおかしくない。
小学生のころ、山中の郡上八幡に住んでいたから、
なおのことそういう観念が強いのかも知れない。
あのころは、毎日川に泳ぎに行っていた。
家から水泳パンツだけの恰好にバスタオルを羽織って川に行き、
8月の後半になると、遊んでいるうちに一転俄にかき曇り、、、
雷雨のシャワーを浴びながら帰るのだが、パンツ一丁のままだから平気だ。
それも私の懐かしい夏の風物のひとつである。
結婚後、混雑するお盆の徹夜踊りを避けて、盆過ぎに八幡にドライブし、
夜の郡上踊りまでいようとしたことが2、3度あるが、
どれも、もうそろそろ始まるかな、というころに雷雨になり、
懐かしい雰囲気を味わえずに帰るはめになった。
1度は、雨が激しすぎて通常のルートが大渋滞で進めず、
タクシーの運転手の勧めで裏道を走ったら、実はたいへんな山道で、
空いてはいたが、狭いわ、途中水の噴き出しているところはあるわ、
真っ暗だわ、分岐点でどちらに行くべきか迷うわ、、、で、
実に危険な冒険になってしまったこともある。
郡上では今年でも夕立が相変わらず多いのだろうか?

あのあたりに比べると、確かにこのあたりは夕立が少ない。
しかし、連日のように夕方帰るころになると、
フロントガラスの前が何も見えなくなるほどの豪雨に悩まされた年もあった。
今年は、まだそんな気配も感じられない。

そういえば、昨日、相変わらずアブラゼミの大合唱を聞きながら、
これが夏休みの終わりのころの音だろうかと違和感を覚えた。
ツクツクボウシの声が、夏の終わりのうら寂しい情緒に興を添えてるはず
なのだが、、、そんな声はまったく聞こえない。
今年は蝉たちが鳴き始める時期もかなり遅かったのだ。
例年、甲子園の高校野球が始まるころには蝉の声が佳境に入っているのに、
今年は、甲子園が佳境に入るころに、夏らしい鳴き声が響き始めた。
何か、2〜3週間ほど季節がずれているのではないかと思わせる。
この季節感のズレは、今年しばしば感じさせられているものだ。


 < 過去  INDEX  未来 >


TENSEI [MAIL]