TENSEI塵語

2006年08月31日(木) 合奏を楽しむ

ステージで指揮棒を振るのが楽しくてしょうがなかった若かりし時代は
もう10年ほど前に終わって、昨今はできれば人に本番を任せて、
気楽な立場でいたい、という欲求の方が勝っている。
幸い、文化祭の吹奏楽部の演奏は、去年も一昨年ももうひとりの顧問が
一手に引き受けてくれたので、練習は時々つきあったものの、
本番は近くに付き添っているだけで気楽だった。

ところが、先日練習を聞いたら、低音がバスクラリネット1本では
あまりにも頼りないので、結局、ベースギターで参加することになった。
3年前にも、ベースギターで参加したが、
去年と一昨年はチューバが入ってくれていたので免れたのだ。

実は私は合奏に加わって演奏した経験が非常に少ない。
中学時代からほとんど指揮台に立っていたので、楽器は苦手である。
混成バンドで、練習は指揮台でトレーニングをさせながら、
本番ではコントラバスで演奏に加わったことが2度ばかりあるが、
こういう時は、自室でCDに合わせて何度も練習しなければ、
どこでどう入り、どういう役割をしているのかわからなくて苦労した。
重奏ならまだしも、合奏の一員であることに慣れていないのである。

きょう、初めてベースギターを抱えて生徒と合奏してみたが、
一昨日の夜練習し、所々指番号も書いておいたにもかかわらず、
いざみんなと合わせてみると混乱しっぱなしで、情けない限りだ。
しかし、合奏するということは何と楽しいことであろうか。
ひとりで練習している時とはまったく違う。
自分の弾いている音符に多大な意味が付与されるのだから。。。
この楽しみは、合奏を指揮する楽しみとはまったく別のものである。

今夜は、ギター伴奏とフルートソロのための「テルーの唄」の楽譜書き。
3年生のフルートの子と演奏して、先日書いた「旅路」につなごうと思うが、
ギターは何と7、8年ぶりである。
簡単なアルペジオ風の楽譜だとは言え、ちゃんと弾けるだろうか?
さっき、試しに弾いてみたら、爪の手入れを怠っていたので悲惨な音だ。
爪が変に引っかかったり滑ったりするので弾きにくくてしょうがない。
爪切りもやすりも見つからないし。。。



2006年08月30日(水) 創る喜び

昨日作り終えた部活用の「ゲド戦記〜旅路」の楽譜を、
今朝の部活の時間に試奏してもらった。
イメージしていたよりかなり音が薄いし、
楽器の使い方でかなり無理しているのがありありとわかる感じだ。
しょうがないわなぁ、、、
頭の中では、オーケストラを吹奏楽のフル編成に変換して鳴っているのに、
部活は8人程度のきわめていびつな編成なのだから。。。
ま、この曲の美しさは誰もが認めるに違いないからよしとしよう。

きょうは夏休み最終日である。
本当は明日もまだ夏休みのはずであるが、9月2日3日が土日なので、
この土日を学校祭準備に使いやすいように、
明日と明後日で課題実力考査なるものを済ませようと、こうなったのだ。
ま、今年はそれが得策だと思うけれど、
問題なのはあちこちで夏休みを大幅に縮めようという動きがあることだ。
すでに1週間縮めた学校が県内でも2、3校はあると言う。

その夏休み最終日の職員室は閑散としている。
私のような気弱な人間は、明日からの憂鬱を和らげるために、
必ず始業前日は出勤するのだが、皆さん剛胆でうらやましい限りである。
午前中、試験問題の印刷と部活の練習を見たが、
午後は職員室を閉めようかなー、と教務主任が言っているので、
昼過ぎには帰宅した。
最近、夏休み中の仕事の疲れが押しよせるように体に出ているのだが、
きょうは首と肩が痛み始めて、帰ってからしばし横になった。

しかし、起き上がって、昨日の曲の吹奏楽フル編成用の編曲にかかった。
音符を打ち込んだり修正したりするたびに、ミディ音源で鳴らしてみる。
ミディ音源と実際の生音では、まったく違うが、
今までの経験をもとにイメージを置き換えつつ、チェックして行く。
徐々にできあがりつつあることが実感できる、それがありがたい。
だから、やり始めるとやめられなくなるのである。
自分の手元から、今までは存在しなかった物が生まれつつある喜び。。。
休暇というのはやはりこういう使い方をしないとね。。。
休暇らしい休暇がもっとたくさんあったらなぁ、と今さらながら思った。                                                  



2006年08月29日(火) のんびり曜日

きょうは私にとって数少ない夏休みの休日の最終日となった。
振り返ってみると、この夏休み中、完全に仕事から解放されたのは、
8月12・13・14・15日だけである。
土日のほとんどは仕事で出ていたし、夏季休暇を申し出ていても、
半日は学校に出ていたし、その他の休暇を2時間×3日取ったけれど、
そのうち2回は大会準備で豊田に走り、もう1回は下見の準備のためだった。
この夏休みは、初の大役が2つも入ったので落ち着かなかった。

きょうは1日家で過ごして、疲れると横になること数回、
そのうち、夕方3時に横になったときは、2時間ぐっすり眠った。
まあ、のんびり過ごしたといっていいだるう。

午前中に、昨日やり始めた編曲の、部活用のだけはできあがって、
パート譜の印刷もできた。
明日は部活をするようなので、そのお土産ができた。
先日から、新しい曲がほしいと生徒からせがまれていたのだ。
夕方起きてから、これもまた先日来気になっていたテストを作った。
明後日実施の試験だが、やっとその時間が取れたわけである。
もしもきょうできなかったら、明日の段取りに苦しむところだったが、
これで明日は何とか軽快な気分で出勤できそうである。

備えあれば憂えなし、、、と言いたいところだが、
きょうの2つが有効なのは明日の午前中に関わる程度のもので、
実は、この夏休みのやり残しの仕事は、まだいくつかあるのだ。
これからしばらく、まだ時間の捻出に苦心しなきゃならない。

教員の夏休みは、民間企業よりも少ないというのが、
この20年間ほどの、体験的な実感である。
しかも夏休みは精神的重圧の強い仕事が多い、これも私の長年の実感である。



2006年08月28日(月) 編曲作業

きょうは、昼過ぎに学校から帰って、
「ゲド戦記」の「旅路」の吹奏楽用編曲作業を始めてしまった。
本当は、映画の方を見に行くことも、午後の日程の候補にしていたのに。。

オーケストラの譜面を吹奏楽用に書き換えるのもたいへんな仕事なのに、
この作業の元になるのは、おそらく耳コピーででっちあげられたピアノ譜。
昨日、曲集を買って帰ったものの、見て途方に暮れてしまった。
「もののけ姫」の「アシタカせっ紀」も「オペラ座の怪人」序曲も、
こういう心もとないピアノ譜から編曲したものだけれど、
どうやってやっていたのか思い出せない。
編曲を始めてみたものの、悩みに悩んで遅々として進まない。

きょうは、ある程度進んだところで、ファイルを別保存して、
部活の、7、9人用のいびつな編成のものをまず作ることにした。
まだ完成していない。
しかし、特別な音楽教育を何も受けていない私にとっては、
この作業は和製と格闘するいい機会である。



2006年08月27日(日) 混成バンド練習会

昨日の午後に引き続き、きょうは朝9時集合の1日練習である。

もう最近は2、3時間の部活さえ見てないのだから、
1日練習はたいへんである。
しかし、この3、4年の混成バンドの音と今年はかなり違っていて、
わりとよく音がそろっているから、不快な音が少ない。
その分、ストレスも少なかった。
(実は毎年不快な音だらけで、聞かなかったことにしてたみたいな、、)
昨日始めた「第六の幸福をもたらす宿」と、
きょう配った、凝った編曲の「翼を下さい」の2曲を何とか形にできた。
曖昧な部分も、ちょっと部分練習を繰り返したらすぐにまとまってくる。
予想よりは早い進展だし、例年よりいい感触である。

ただし、パーカッションの出席が悪く、打楽器はまったく未完成。
まだ先が見えないという感じである。

それにしても、疲れた。
かつては、夏の1日練習とかはあたりまえのような不可欠のものだったが、
ここ数年はめったにないものになってしまっている。
怠け癖がついてしまっているので、かえって疲れも激しいのだ。
ま、旅行疲れを癒す間もないままこうなっちゃってるしね。。。



2006年08月26日(土) 多忙な休日

妻が、市内の小学校の合唱祭のため、まず朝学校まで車で送った。
(結果的に、今年いきなり新設された最高の賞をもらったそうだが、
 もうここ数年、きょうも含めて、聞かされるのは愚痴ばかりである)
それから、学校に寄って、雑用を片づけ、昨日の忘れ物を取った。
それから、明日東海大会に出場する近隣校の練習を見に行って、
率直な感想や注文をいくつか顧問に進言した。
昨日も見学に寄ったのだが、昨日は課題曲で、
どちらかというと私の苦手な器械的な作りの曲だったので、進言はひとつ。
きょうは自由曲の「海のオーロラ」で、こういうのは私も得意分野だから、
大いなる師でもある先生相手でも、いろいろ言いたくなるのである。
大会の勝ち負けよりも、とにかく感動的な演奏をしてほしいと思うから。

それから、混成バンドの練習会場に走った。
きょうが今年度の初日で、曲は「第六の幸福をもたらす宿」である。
今年の3月に市吹で演奏したばかりだが、他に思いつかなかった。
たいへんな曲のはずだが、さいわい、初見のきく生徒が集まったようで、
とりあえず全曲を通せるのに、それほど苦労をせずにすんだ。

それから夜は市吹の練習である。

疲れた、、、確かに疲れた。。。
でも、いい曲に取り巻かれているので、心は何となく楽しい。



2006年08月25日(金) 雑感あれこれ

旅行中、ニュースでちらっと聞いた。
次期首相候補の3名の、主な方針の紹介があり、
改憲・教育改革だの消費税率アップだの、あと何だったか忘れたが、
3人とも首相になって欲しくないと思った我々はどうすりゃいいんじゃ??
なすすべもなく、悪魔が政権を握るのを見ているしかないわけ??

小泉くんが靖国参拝したことは支持する人も、
次期首相に靖国参拝することは控えて欲しいという人がいるらしい。
それとこれとは別ってわけかな?
昭和天皇の「不快メモ」直後には、首相の靖国参拝反対が多かったのに、
小泉くんが参拝したとなると、またちょっと評価が変わる。
一貫した価値判断があっての意見なのか、はなはだ疑わしい。
ホントはしない方がいいと思うんだけど、
小泉クンがやったのは小泉クンらしいぞ、拍手!! なんてのは困るよ。
国家の一大事だということがわかってるんかね、君たちは??

宿泊客の多い大ホテルでは、朝食バイキングが大流行のようだ。
2日とも朝食はバイキングだった。
何度か経験しているので、私の取り方はわりとあっさりしてはいる。
小さなクロワッサン2、3個と、ハムを2、3枚、
ポテトサラダかマカロニサラダ、フルーツポンチ類に、飲み物。。。
それでも通常よりは食べ過ぎの傾向にあるが、残しづらいので食べる。
昔の、出されたものを食べられるだけ食べるというあり方から、
自分で取ったからにはちゃんと食べましょう、というあり方に変わった。
多くの選択肢の中から自由に選べるようになったわけだけれど、
自由であるために、精神的負担は増したとも言える。
ビール飲みながらの夕食バイキングってのはわりと好きなんだけど。。。
つまみ欲しいな、と思うと、すぐに手に入れられるし。。。

・・・・うーーん、もうちょっと書くことがあるんだけど、
眠たくなってきたし、明日も朝から夜中まで日程が詰まっている。
今夜は諦めて寝るとしよう。



2006年08月24日(木) 下見最終日

下見の目的は昨日まででほぼ果たせたと言える。
今年度とは異なる計画案・コース案もいくつかあり、
その検証のために予定よりもおおく歩くはめになったが、結局のところは、
今年度の案は非常によく考えられた案だというところに落ち着いた。
幾つかの修正案はできたが、ほぼ今年度と同じコースでよいことになった。

それでももう半日ほど視察できるわけだから、
念のため、添乗員が見つけていた「スペース童夢」に寄ることにした。
これは、小樽に近い余市町出身の毛利さんの功績を記念して作られた
体験型宇宙施設だということだ。
修学旅行客には必ず見てもらうという3D映画と「3Dシアター」と、
映像に合わせて座席が激しく揺れる「スペースシップ」を体験し、
その他いくつかのものを見、宇宙食なるものを買って帰った。
修学旅行でここを利用する学校は、この施設と並んでいるニッカと
セットで、見学を計画するという話だ。
ここでの所要時間を1時間程度にするならば120人が限度だとも言う。
小樽の近所といっても20キロは離れており、
実際車で走ってみたら40〜50分ほどかかるので、
今回我々が検討している旅行の行程には入りようがないことがわかった。

小樽に入って、バスの駐車場とクラス写真の場所だけ車内から確認し、
せっかくだから町の中を歩きたい気持ちもあったけれど、
2年前1度来ているし、飛行機の時刻が心配なのでそのまま走った。
タクシーは高速道路を疾走してくれたけれど、
空港に着いた時には、もう昼食も満足にできない時刻になっていた。


さて、携行したエアエッジとちびバイオの活躍ぶりはどうだったかというと
あまり優秀な働きではなかった。
1日目のホテルでは、部屋に端末が来ていたので、
サイト巡りも塵語のアップもできたが、メールは受信できなかった。
メール受信をエアエッジで試みたが、またまたできなくなっていた。
このあたりまだ大きな課題が残っている。
1日目のニセコは、エアエッジがまったく動作しなかった。
圏外のようである。
1階のロビーまで下りれば、端末もあり、無線LAN も可能だった。
しかし、塵語は書きかけて、アップまではできなかった。
電池切れが近づいてしまったためである。
なぜだか、入れたつもりなのに電源コードは忘れてきたようだ。
入れるつもりだったので充電も満タンではなかった。
これは些か反省すべき点である。
ま、いいんだけどね、2、3日程度の旅行だったら、
この程度の不便は不便のうちに入らない。
しかし、エアエッジのメール受信については解決しておかなければ。。。



2006年08月23日(水) 鯉と露天風呂

久々によく眠った。
7時間は眠っただろうが、まだまだ2、3時間は眠れそうだった。
いつもだったら、午前0時にならぬうちに眠ったりしたら、
夜中に目が覚めて寝直すのに一苦労するのに、そういう悩みもなかった。
しかし、9時に打ち合わせだと言うし、ちゃんとテーブルで朝食のようだし、
名残惜しいような気持ちで起き上がった。
暑くて汗かいて起きるということもなく、とにかく眠るのに適温だったのだ。
日常の仕事からも解放され、出発日の早起きの緊張感からも解放され、
思いっきりリラックスした眠りだったのかも知れない。

きょうの日程は、朝、まずホテルの責任者と修学旅行1夜目の打ち合わせ。
それから、アイヌ文化交流センターピリカコタンに行き、
時間設定等を検討し、2夜目の宿泊先のホテルでの打ち合わせ、
それから、今回最大の懸案事項であるラフティングの選択メニューの検討の
ため、ニセコのライオンアドベンチャー(旧セゾンクラブ)の担当者から
さまざまのメニューについて具体的な説明を聞く、、、となっていた。

昼食を終えてライオンアドベンチャーに向かう車中では、
今朝眠り足りなかったのか、ほとんど眠り続けた。
寝ぼけたままラフティング乗り場の小屋で車を降りると、
TVでもめったに見られないような美人が出てきた。
何でこんなところにこんな美人がいるのかな? 夏のバイト嬢かな?
担当者がもうすぐ来ますからお待ち下さい、と言うのかと思ったら、
いきなり名刺を出して自己紹介して、説明に入ろうとするものだから驚いた。
飾り気なくひたすら活動的で、話しぶりもきわめて明瞭である。
ラフティングの説明のうちは型どおりの説明を聞いている感じだったが、
トレッキングの紹介で半月湖のコースを歩いたり、
インドアメニューの説明をしてもらっている間は、
ビジネス半分の楽しい談話の時間みたいになった。
これは、ガイドブックなどにもそうとは載せられない名所だぞ。
これから北海道旅行しようとする人は、ここをプランに入れるべし。
ただ、ここに行きさえすれば、この女性に必ず会えるかどうかは知らない。

その夜のホテルの部屋は16階、
前方にそびえる山は、残念ながら雲に覆われてほとんど隠れていたが、
眼下にはゴルフ場や森が広がり、壮観な眺望だった。
きょうも脚のダメージがひどく、脚を癒しつつ景色に見入っていた。

窓の遙か真下に半円形の池がある。
さっきの女性が説明場所への移動中に、
「それじゃ、今夜は東山プリンスで鯉と露天風呂ですねー、アハハ、、」
と言っていたことについて、風呂の中を鯉が泳いでいるのでないことは
その時に確かめておいたが(あたりまえだ)、この部屋に入ってきたとき、
添乗員が一緒に入ってきて、その真下の池を指さしつつ、
この真下の池にたくさん鯉が飼ってあって、この内側露天風呂なんです、
露天風呂に入ると鯉が目の前に寄ってくるんです、と説明してくれていた。
その時間は、同行者たちと約束した夕食時間に近かったし、
その後だとしばらくの間、修学旅行客の入る時間になるらしい。

静かになった夜の10時過ぎに露天風呂に入ってみた。
暗い、、! こんなんじゃ何も見えやせんがな、、、と湯に浸かってみると、
やがて、水面に黒い背中を出して泳ぐ姿がいくつも見られるようになった。
さらに、目の前に3匹ほど集まってきて、そのうちの1匹が、
こちらを向いて口をぱくぱくやっているのも見えるようになった。
この露天風呂より少し低いところに池が作られていて、
温泉の湯は溢れるとその池に流れ込む仕組みになっている。
どうやら、この鯉たちは冷たい池の水より温かい水が好きなようだ。。。
当然のことながら、露天風呂を吹くひんやりした風は生臭いが、
それも風情である。
全身温まっては、池を眺めながらの半身浴、、、を4、5回、
優雅に繰り返してから、上がった。

こりゃあ、明るい時にも入ってみなきゃ、、と早起きするつもりだったが、
残念ながら翌朝は、朝風呂を楽しめるほど早起きできなかった。
それがちょっと心残りである。





2006年08月22日(火)

上空から見る雲の光景は驚きである。
こんなに立体的で雄大な光景とは。。。
かなり下の方にムクムクしてるのもあれば、ぽこぽこ浮かんでるのもある。
その遙か上空の我々と同じ目線のところに灰色のが長くたなびいている。
そのさらに上を見ると、軽やかでさわやかなのが流れている。
またある場所では、地上を覆い尽くした雪のように広く固まっている。
時々むくむくと立ち上っている部分もあるが、、、いや、
ぜんぜん立ち上ってない、煙のようだが制止している物体に見える。
そんな分厚い塊のような雲の上空にもさまざまな姿の雲がある。
1時間半眺めていても、まったく飽きることがない。

やがて飛行機が高度を下げ、塊のような雪原に突入した。
窓の外は真っ白になり、やがて一面灰色になった。
ふっと田園風景が現れた、と思ったらまた灰色に覆われた。
地上にへばりついていたように見えたあの雪原の下に、
こんなに大量の空間と美しい風景があったのが不思議なほどである。
やがて何度も地上を見せたり隠したりしながら、ようやく雲を抜けて、
飛行機が着陸した。
雨が降り始めたのは、到着ゲートまで走っている途中である。

きょうは、来年の修学旅行のための下見という出張で札幌に来た。
羊ヶ丘公園、札幌ドーム、開拓村、白い恋人パーク、大倉山ジャンプ台や、
昼食場所・夕食場所を回った。
札幌ドームでは、サッカーコートを外に出して、
野球用の芝生を敷き詰める作業をしているのを高いところから眺めた。
大倉山でリフトに乗って展望台に向かう途中、
いきなりジャンプの練習をしている選手が滑降してきて、
飛んでいくのを真横から見た。
ジャンプ台といい、その観覧席といい、そして市全体の眺めといい、
これらもまた、たいへん雄大な光景だった。



2006年08月21日(月) 甲子園の決勝戦に感動する

延長再試合にも関わらず、こいつら疲れてないのか?! と、
不思議に思わせるほど緊迫した展開だった。
早実が1回と2回に1点ずつ取って2対0。
6回表に駒苫がホームランで1点を返し、勢いづきそうなその裏、
2アウトからの4ボールでランナーが出ると、タイムリーヒットで3対1。
7回にも加点して4対1。
しかし、このまま終わりそうにない雰囲気が漂っている。
案の定、ノーアウトのままツーランホームランが出て、4対3である。
この大会全体を象徴するような土壇場の追い上げ劇である。
しかし、早実のエース斉藤は冷静に後続の3打者を抑えた。
実に引き締まったいい試合だった。

もっとも、全部見ていたわけではない。
職員室のTVがついていたので、時々見ていたのである。
きょうはほとんど仕事はなく、ちょっとした打ち合わせや下調べがあり、
午後から帰ろうと思ったが、部活の生徒の相談にものっていて帰れず、
この試合が終わって、少しして休暇をとって帰らせてもらった。

先場所の大相撲の千秋楽と同様に、
互角の力を持った者同士が渾身の力で戦う勝負はとりわけ感動させるのだ。
駒苫も、負けたとはいえ、1イニングには1点しか与えていないし、
2本のホームランで1点差に迫っている。
そうして、その勢いに呑まれなかった早実もすばらしいということになる。
強さというのは計れない。
ただ、きょうの試合では早実が勝ち、駒苫が負けた。
それだけのことである。
互角の力を出しあったから、緊迫したゲームとなり、感動させてくれた。
決勝戦に限らず、そういう試合は今までにもあった。
そういう感動をもたらしてくれた高校生たちに、感謝! である。

私が吹奏楽コンクールの多大な雑用を請け負っているのも、
そういう若者の姿を見るのが好きだからだと思う。
夏休みを自由気ままに過ごせないのは残念だけれども、
自由気ままに過ごすだけでは得られない何かを感じているのかも知れない。



2006年08月20日(日) 悪戦苦闘

午前中には午後は高校野球の決勝(早実vs駒苫)を見ようと思っていたのに、
昼から他ごとに気を取られて、夜になるまで完全に忘れていた。
夜に友人からのメールで、引き分け再試合になったことを知り、
ヤフーのスポーツニュースで確認したら、延長15回、1対1の引き分け。
乱打線の目立った今大会では珍しい投手戦だったようだ。
しかし、球場や運営側の都合もあるだろうが、翌日再試合は酷だ。
きょうだけで、投手はほとんど2試合分投げているのだ。
何とかならんもんだろうか、、、ならんわなぁ、、、宿泊費もかさむし、
応援団もさらに1日以上延びたら困るだろうし、、、いろいろ事情がある、
しかし、選手のことを思うと、決していいことではない。

今となって、試合見たかったなぁ、、と後悔しているのだが、
それを忘れてしまったのは、木曜日の「あっけない結末」の続きである。
昨日、昼ごろ学校で1時間余り仕事を片づけ、エアエッジを買って帰った。
それを使う前に、ソネットを通じて、マカフィーのウィルス対策と
スパムメール対策のソフトをダウンロードした。
今まで、このちびバイオでは、メールを受信しないようにしていたが、
いつでもどこでもインターネット可能になれば、
そういう対策も当然必要になってくる。
とにかく、最初の受信でドバッと入って来るに違いないのだから。。。
それから市吹の練習に出かけ、エアエッジの作業は夜中にやった。

すべては順調に進んだように思われた。
100ほどのメールが、スパムメールと普通のメールに区別されて入った。
そこまでは感動ものだった。
ところが、その後、まったくメールの受信がなくなった。
いつも使っているMac に入るメールも、こちらにはまったく入らない。
きょうの昼ごろ、友人にテストメールを送ってみたら、
送信はされているのに、Mac には入った返信もバイオには入らない。
昨夜100ほど入ったメールの日付を調べると、17日のメールまでである。
つまり、サーバーにまだ残っていた17日までのメールは受信したが、
18日以後のメールはさっぱり入っていないと言う不思議な現象である。
それに加えて、送信はできるが受信はできないという不思議な現象である。

結局、マカフィーのサポートセンターに電話して、、、2時間!!!
指示される通りにやってもなかなかうまく行かないので、
担当者も3度ほど、電話を離れて調べに行ったりもしたほどで。。。
結局最後にスパムキラーをアンインストールしてインストールし直し、
今度はうまく受信できるようになった。
ルータから直接つないでも、エアエッジでつないでも、自由自在になった。

サポートセンターのアドヴァイスを受けながらとは言っても、
片手に電話を持ちながら、すべて片手でPCや虫眼鏡を駆使し、
なかなかうまく行かない試行錯誤をするのは、まさに悪戦苦闘であった。
このバイオノートは、コンクールの審査集計や、
出先での急ぎの仕事などにも、何度も貢献はした。
小さく薄く軽いから、持ち歩くにもほとんど苦にならない。
しかし、インターネットのできないモバイルノートなどというのは、
半分死んでいるようなものである。
紛失したエアエッジが見つかったら、必ず、と思いながら1年以上過ぎた。
やっとこれで、ちびなノートの存在が大きくなった。



2006年08月19日(土) 何でこんな編曲が、、??

3時に帰宅したら、「ゲド戦記」の吹奏楽譜が届いていた。
ミュージックエイト社が、一昨日まで盆休みだったのに、
しっかりと昨日発送作業に励んでくれたようだ。
どれだけの注文が1週間ほどの休みにたまっていたのかは知らないが、
私の注文はその中でもっとも遅い方だったことは確かである。

しかし、スコアを取り出して見たとたん、へなへなと力が抜けてしまった。
3日前からサントラ盤を聞きながら、編曲譜の内容紹介を参照しながら、
あれこれ想像していたのと、あまりにも違いすぎるのだ。
最初の部分と最後の部分を見て、愕然・当惑してしまったのだ。

まず、最初の部分、、つまり、1ページ目をめくって、唖然。
解説では、最終トラックのエンディングの部分から始めた、とある。
私はそれをとても歓迎していた。
この曲は、一番美しい、心に迫る曲だからだ。
この曲さえ入っていれば文句を言う筋合いはないというほどで、
私は、それを最後にももう一度演奏させてやろうとさえ思っていた。

ところが、きょう届いた編曲はそうではないのだ。
グロッケンソロと書かれて、表記されている3小節ほどのメロディーは、
「テルーの歌」の一部分で、そこから楽器が加わり、、、
次に出てくるテーマの音符をどう読んでも、エンディングと一致しない。
確認のためサントラ盤を聞いてみたが、やはり一致するメロディーではない。
寧ろ、実にダサい開始方法である。

途中の難曲かについては、少々のことは許そう。
しかし、最後の2曲、「時の歌」と「テルーの歌」の編曲は許せない。
「時の歌」は打楽器をふんだんに使った、少々激しい曲になっているし、
「テルーの歌」は、茶化すようなエンディングアイテムに堕している。
もう、恥ずかしくて練習で試奏してもらうこともためらってしまった。
こんなのなぜ売りに出せるんだぃ? 無償サービスでも提供できないぞ。
それに、あの一番の名曲は、結局どこにも採用されてないじゃないか。

結局、その後の市吹の練習で団員たちにその編曲を音にしてもらったのだが、
最初と最後のひどさはますます明らかになった。
もしこの楽譜を活用したいと思うなら、
最初と最後と途中の2カ所ほどを、自分で編曲しなきゃならんということだ。
昔はちょいちょいしたことだが、今そんなことができるだろうか?



2006年08月18日(金) 20000を超えた!

今ここに来たらカウンターが20030になっていた。
昨夜がいくつだったか覚えてないが、19990台だったことは確かだ。
1日に20か30のカウンターの動きは、
この世界に張り巡らされた蜘蛛の巣の世界では決して多いわけではない。
しかし、私にとっては不思議で驚異である。
私自身がこの日記のありかを教えたのは7、8人程度だし、
その人たちだって、毎日読みに来ているとは限らない。
だから、私にとって未知のいくらかのアクセスが不思議で驚きである。

私はどちらかというと、日記派というよりは手紙派である。
自分だけの秘め事的な日記はあまり長続きしない。
高校時代にわりとがんばって書いていた時期もあるが、たいていダメだった。
たったひとりでもいいから読んでくれる相手がいる手紙だと張り切るのだ。
だから、若いころはよく手紙を書いた。
しかし、あのころの手書きの手紙は今のメール機能とは違って、
大半は相手のもとに去ったきりで、私のところには残っていない。
インターネットでメールを始めたとき、書いたものが手元にも残るので、
手紙がそのまま日記にもなることに非常に便利なものだと感心したが、
こちらの日記機能は、手紙的な緊張感の中で書ける日記である。
だから、何とか続いているのだが、特に検索機能を付け加えてからは、
日々の覚え書き的性格が強くなって独り言が多くなった代わりに、
毎日欠かさず書こうという意志が強くなったように思われる。



今夜は、取り立てて明日までにやらなきゃいけないような仕事もないので、
(明日も休日出校して片づけておかなきゃいけない仕事はあるにしても)
市吹で練習している曲のスコアの検討をした。
最近、市吹の練習がマンネリ化してるなぁ、と反省している上に、
いろいろと表現上の気がかりがあって、1カ月以上前から考えていたことだ。

まず「パイレーツ・オブ・カリビアン」のサントラを何度も聞き返しながら
スコアを眺めて、何カ所か編曲譜の変更案を書き込んだ。
かなり大きな変更なので、練習の時に慎重に比較検討しなければならない。
次に「オリエント急行」を聞きながら、原曲の譜面を眺めた。
こちらは編曲でなく、作曲者の指揮した演奏を聞きながらの原曲譜なので、
書き換えはできない。
その代わり、奏者が間違えていることに2、3気づいた。

なかなかやれないでいたことがようやくできて、充実したひとときだった。
きょうの全校出校日は、嫌気のさすことが次々とあったのだが、
もうそういうことはすべて忘れて嬉しかった。
創造的な営みに関われたという思いが、何よりも嬉しく楽しいのである。



2006年08月17日(木) 2つのあっけない結末

WILLCOM のエアエッジを登録したのは2年3カ月ほど前のようだ。
どこでも好きなときにノートでインターネットにつねげるので便利だったが、
(それ以前はどうしてたんだろうと思い出してみたら、
 TDKのカードにケータイをつないでやっていたのだった。
 機種変更でそれができなくなって、新しいモバイル用品を探したのだ)
ある一時期使わないことがあって、次に使おうとしたらカードがなかった。
そんなはずはない、このノートといつも一緒にしてたはずだと、
さんざん探したけれど、ぜんぜん見あたらない。
この春の大掃除で絶対見つかるという確信があったが出てこなかった。
WELLCOM のサイトで、カードの買い換えについて調べたら、
前の機種の番号などがいると書いてあって、それは無理なので保留にした。

しかし、使わないまま使用料を払い続けているわけだから、
もう4万円以上無駄にしていることは明らかだ、、、というわけで、
今までのを解約して新規に購入・登録するしかないかな、と考えた。
それで、今夜その相談にサービスセンターに電話してみた。

「1年以上お使いですので、機種だけ買い直しということができます」
あっけない結論だ。
そんならそうと、サイトにも書いておいてくれぃ。
最寄りの店で(といっても扱う店舗は限られているが)手続きすれば、
すぐに使用可能となるそうだ。
そんならそうと、ちゃんと書いておいてくれぃ。
もっと早く解決できたのにー。。。


坊ずのノートが先月壊れて、10日ほど前に退院してきたのだが、
ワイアレスでぜんぜんつながらなかった。
ネットワークのワイアレスのアイコンは頑として×印のままである。
最初、そうめんどうな設定をした覚えがないので、不思議でしょうがない。
今夜再度試みたが、何ともしょうがなかった。
しかし、稀に出てくるメッセージに気になる文句があった。
「ワイアレスのスイッチをオンにしてください」
????、、、Mac のかつてのOSで、スイッチと言えば、
アプリケーションの設定画面にあるスイッチをクリックすることがあったが、
そんなものは、どう探しても見つからない。

ふと閃いて、ノートの前面をよく見たら、何とスイッチがあるではないか。
動かしてみたら、ランプがついた。
それからブラウザを起動してみたら、あっけなくつながった。。。

まさかこんなスイッチがあったとは、、、ぜんぜん知らなかった。
修理の人がオフにしたのだろう。
これは、機械についてよく知らないまま、行きあたりばったりであれこれ
操作しているために陥った無駄な苦労と、そのあっけない結末である。





2006年08月16日(水) {ゲド戦記」の音楽

今夜は昨夜の続きで「バック・トゥー・ザ・フューチャー2」の予定だった
が、
HMVが一昨日出荷してくれたはずの「ゲド戦記」サントラ盤が
昨日もきょうも届かなかったので、運送屋の配達状況をweb で確認の上、
電話で再確認したところ、9時過ぎに届いたので、これを聞くことにした。

新しい曲を吹奏楽譜に編曲して次々と売り出すミュージックエイト社が
きょう付けで「ゲド戦記」メドレーを発売すると先日知ったので、
買うべきかどうかためらっていたサントラ盤をまず注文したのである。
だから、今夜の聴き方も、まずはそのメドレーの曲順に会わせた
トラックの順番ということになる。
味気ない聞き方である。

しかし、それだけ抜き出しながらでも、いいメロディーにいくつか出会えた。
そのメドレーの順にダビングして聞いたりサントラ盤の順に聞いたりして
もう多い部分は数回聞いたところだ。
大ヒットしている「テルーの歌」よりもエンディングの「時の歌」の方が
こうして聞いているだけの分にはいい曲のようだ。
しかし、映画の中では「テルー」は重要な映像シーンに流れるだろうし、
「時の歌」は、物語が全部終わったエンドタイトルに流れるのだろう。
「時の歌」の入っているトラックは長くて、前後に別の曲がある。
前の曲はたぶん映画のラストシーンに流れているのだろうし、
後の曲はエンドタイトルの最後の締めくくりに流れるのだろう。
どちらも美しい曲である。
この締めくくりのメロディーをもっともしっかり聞かせてくれるのは、
「旅路」と題された曲のようだ。
他のメロディーについてもこうしてまとめられるようになるには
もう少し時間がかかるだろう。

サウンドトラック盤だと、基本は映画の効果のために使われる曲集なので、
美しいメロディーだけでなく、効果音というべき音楽も含まれる。
実際、中には鑑賞用としてはつまらない曲も含まれているということだ。
しかし、全体として、私は今夜聞いたこういう情緒に頗る弱い。
こういう情緒を先に体に取り込んでしまってから映画を見るのは、
私にとってはたいへん危険である。
物語にだけでなく、音楽面からの感情移入が激しく働くからである。
「千と千尋」の時には、あのエンドタイトルの歌がそう隙でもなかったのに
実際すべて見終わったエンディングのあの歌に完璧にやられてしまった。
それほど音楽の効果というのは恐ろしいものである。
どうか「ゲド戦記」が映画としては駄作でありますように、、、などと、
おかしな願いを抱かざるをえなくなってしまった。



2006年08月15日(火) 「バック・トゥー・ザ・フューチャー」

こんな基本的な人気映画さえ、きょう初めて見たのだった。
みんなのシネマレビュー」で、絶賛と高得点が並んでいるのだが、
前半はちょっと期待はずれでむしろ退屈な感じだった。
いかにも古めかしい感じのタイムマシーンといい、
マーティの母になるはずの女性がマーティに恋してしまったり、
そんなところはおもしろいにしても、
話が父と母をちゃんと結びつけなきゃあ、というところに集中すると、
ちょっとばかばかしい気分になってしまったのだ。
しかし、後半の展開はおもしろかった。
落雷を利用した帰還もおもしろかった。
戻ってみたら現実がぜんぜんちがっていて、こんなのめちゃくちゃだと
思ったけれど、しかしそれだからおもしろいのだとも思った。

過去に戻って現実を変えることができるなら、
きょうなども、朝にもどってやり直したいような1日だった。
特に何かに集中したということもなく、漫然と過ぎてしまった。
こんな後悔の念に打ちひしがれる休日は今までにもいくらでもある。

小泉クンが予想どおりきょう参拝をした。
もうあきれるばかりである。
彼のアジア外交は喧嘩腰である。
何をそうムキになっているのかというほど喧嘩腰である。
「中・韓のいいなりになる必要はない」みたいなことを彼はよく言うが、
そうして、参拝するか否かは「自由な心の問題だ」と言うが、
参拝を控えるということが、歴史認識に基づいた心の問題なのだ。
既に何度も書いたように、慰霊は靖国参拝以外にできないわけではない。
靖国参拝などは寧ろ形式的慰霊に過ぎないのだ。
この問題に限らず、私から見ると彼は日本を悪くする名人である。
過去に戻って現実を変えることができるなら、
小泉クン失脚大作戦を引っさげて7、8年前に戻りたいものだ。
しかし、私個人にいったい何ができたのだろうか?

「バック・トゥー・ザ・フューチャー」はあと2作続いている。
あと2作を楽しんでから改めて評価するとしよう。



2006年08月14日(月) 「クラッシュ」

きょうは午前中は2時間半にも及ぶ大買い物、
午後は3時間近くもかけて2カ月ぶりのトイレ掃除と風呂場の掃除。
風呂掃除を終えたころは朦朧としていたが、何か楽しい気分だった。

その時ニュースでちらっと見たが、今朝、首都圏は大停電の朝だったそうだ。
何か、見たこともないような変わった形の作業船が、
船を停めるためのおもりを降ろそうとクレーンを上げたら、
そこに送電線があって大停電となったそうである。
ニュースでは駅を中心にその大停電の影響を報告していたが、
こういう報道には引っかからないさまざまなドラマが、
実際にはさまざまな個人の周りに起こっていたんだろうな、と、
一昨日見た「大停電の夜」を思い起こしていた。

さて、そんなことも思ったせいか、今夜は、
見ないままたまっているDVDの中で、「クラッシュ」に目がとまった。
昨年度のアカデミー作品賞、脚本賞、編集賞。
「全世界が震えた、衝撃と感動のヒューマン・ドラマ」という宣伝文句。
これだけで、興味をそそるに十分な宣伝であるが、
「大停電の夜」に触発された興味は、これが群像劇であり、
1件の自動車事故から、さまざまな悲劇の連鎖が描かれ、
やがて、「悲劇を乗り越えた先に見る、小さな光」が描かれるらしいこと。
そんなわけで、今夜は「クラッシュ」を見始めたのだった。

それは、私にとっては、実に虚しい、無駄な2時間だった。
ほとんど意味不明の会話の連続だった。
最初の30分を過ぎたころ、この塵語での感想を、
「最初の30分はまったく意味不明で退屈この上なかった」と書くつもりで
しかし、後半の展開に期待していた。

ちょっと良かった場面がなかったわけではない。
前夜にセクハラ的取り調べをした巡査が、その女の事故現場に遭遇し、
女に拒絶されながらも命がけで救出する場面。
ペルシャ人の店主が、鍵の修理人を恨み、疑って、拳銃を向けると、
妖精の衣を着たと信じたその娘が父をかばい、撃たれても死ななかった話。
しかし、この映画の大半のセリフは理不尽な発言の連続なのだ。
彼らはいったい何を怒っているのかさっぱりわからない。
大半が、意味不明で動機も不明な会話の応酬のように思われるのだ。

晦渋なる映画を好む評論家たちは言うだろう。
「この映画は現代アメリカをよく表現している」
「この映画は人種差別の現実をよく描いている」
「この映画はそんな現実を、日常にありがちなレベルで無理なく描いている」
しかし、私にはほとんどの会話とその心理が意味不明だ。

数年前に見た「アメリカン・ビューティー」と同じく、
アカデミー賞の選考を大いに疑う作品の代表になってしまった。
イライラさせるばかりの作品に過大評価するな、と言いたくなるのである。



2006年08月13日(日) 映画の「いま、会いにゆきます」

この原作を読んだのは’04年の10月13日のようだ。
その時こう書いている

「結局は、このヒロインのひたむきな心に屈服した。
 読み終えた直後よりも、しばらく反芻しているうちに、
 悲哀と幸福の混じり合った感情が膨らんだ。

 すでに映画化され、今月末からロードショーだそうである。
 映画館に見に行くかどうかわからないけれど、
 どう映像化されているのか、楽しみである。
 妻役は竹内結子だということで、ぴったりのような気がする」

その楽しみにしていた映像をきょうようやく見た。

原作以上のすばらしい作品になっているのではないかと思う。
何といっても、映像が美しい。
不思議なメルヘン的な物語にふさわしい映像である。
とりわけ、ひまわり畑に登場した竹内結子が美しい。
昔見た、ひまわり畑を目玉にした洋画の女優とは大違いである(笑)

この物語の切ないところは、澪の思いが死を覚悟の上での愛であることが
しだいに明らかになっていくところにある。
そのキーワードは、あなたの隣は居心地がいい、というシンプルなものだが
高校時代の奥手で素直になれない2人の恋から始まっているので、
その思いが非常に真実味のあるものになっている。
そうしてまた、佑司をちゃんと生んでやりたいという思いである。
「いま、会いにゆきます」という言葉がこの物語の終盤で語られるころには、
死を覚悟した愛という重い意味を帯びているのである。

竹内結子の演技は、「ランチの女王」というドラマでも絶賛したくなったが
この映画の演技も絶賛したくなるほどである。
ついつい、いろいろの場面で泣かされてしまった。
ちなみに、私がもっとも好きな場面は、
佑司のバースデーケーキを12年分予約する場面である。
監督も脚本家も同じ気持ちだったのかも知れない。
映画の始めにバースデーケーキの配達があり、
映画の最後も、このバースデーケーキのクローズアップで終わる。

哀しい物語なのに、温かく前向きな物語である。
こういうのに弱いんだな。。。



2006年08月12日(土) 「大停電の夜に」

きょうは久々のほぼ完全休養日。
2度昼寝をし、グタグタ過ごして、夕方は市吹の練習に行った。
帰ってから、映画「大停電の夜に」を見た。

この感動は「天使のくれた時間」('01.12.8)の感動に煮ているかも知れない。
主な登場人物は12人の老若男女で、それより圧倒的に多いが、
クリスマスの夜にもたらされた、わかりあえる奇跡という物語である。
奇跡をもたらした天使は、この映画では大停電の暗闇ということになる。
もっとも、真っ暗では映画の映像ができないので、
どの場面にも何らかの薄明かりはさしている。
その中で特に効果的なのは、ろうそくの灯りである。
12人の主要登場人物の中に、キャンドルショップを経営する娘がいる。
この娘とろうそくがとてもいい役回りを演じている。
刑務所帰りの銀ちゃんも、この映画全体をひときわ温かくしている。
また、この12人の人間関係の紡ぎ方が絶妙である。
無理に全員を関連づけようともせず、適度な出会いや関わりの中で、
適度な心の奇跡を描いているように思われる。

こういう映画に出会えると、うれしい。



2006年08月11日(金) 「有頂天ホテル」を見たが、、、

きょうは、出校して昨日の残務整理。
未整理のまま持ち帰ったものを整理して捨てて、身軽になった。
やれやれ、本当に終わった、という実感である。
しかし、10月の理事会で提案したり修正したりすることが幾つかあるので
早めにそういうことを整理して文書にしておかなければ。。。

ほーんとに久しぶりに、1時間ちょっと部活の合奏を見てやった。
何カ所か、ポップス的奏法になるように手直ししてやった。

朝も少し寝坊したのだが、夕方も帰ってから一寝入りした。
体はかなり休息を求めているようだ。


夕食後、笑いを期待して、昨日届いた「有頂天ホテル」を見た。
残念ながらそう笑えるギャグでもなかったし、
そう格別おもしろい映画とも思えなかった。
もっとはちゃめちゃな展開を予想していたのに、意外と常識的な範囲。
最初の30分ほどは退屈でさえあった。
いろんなところでいろんな事態が展開しているから場面転換は早いが、
決してテンポがよいとは言えない。
つまらないというほどでもないが、かなり期待はずれであった。



2006年08月10日(木) 県大会終了!!

やれやれである。
4・5日のプログラムで「歌劇」が「過激」になっていた誤字の他は、
これといった過ちもなく、苦情もなく、すべて順調に進んだ。
こういうのは、裏でどれほどの苦労があろうと、
順調に進んであたりまえ、問題が起きたら重罪、というのが常識だから、
私のような事務能力の劣った人間がイヴェントを順調に終えるのは、
奇跡といっても過言でないのである。

この仕事はたいへん損な仕事である。
もしこれがなかったら、のんびりと遊びまくっていられた20日間が、
張りつめた緊張感とともに、作業作業で潰れてしまった。
何の報酬もない。取り立てて感謝してもらえるわけでもない。

しかし、異様に緊迫感の漂う1日を過ごし、
審査結果発表を終えて、悲喜こもごもの高校生たちを見ていると、
こんな形ででも、こういう大会に深く関わっていられるのは
ありがたいことなのかも知れないな、、、と思ってしまうのである。
いい表情の、1000人近い高校生たちに囲まれて過ごす3日間なのだ。
それがこの仕事の貴重なご褒美なのだと思うべきだろう。



2006年08月09日(水) 台風の猛威?

朝起きてびっくりした。
空は真っ青に澄み切って、かんかんに日が照っているのだ。
きょうは午前中は雨、と決めつけて昨夜寝たので、別の世界に来たようだ。
その時点で、てっきり台風7号は消滅してしまったのだろうと思った。

しかし、夜のニュースを見て驚いた。
台風7号のマリアは魔女だったようである。
昨日の時点で暴風はなくなり、勢力は弱まったと言われていた。
が、静岡あたりから、沿岸を「なめるように」ゆっくり歩きながら、
しつこい豪雨を降らせたようである。
都内の品川区でも土砂崩れがあったという。
こんな話はめったに聞かない。
それ以外にも、土砂崩れ、床下浸水、水死体。。。

こちらは対照的に、陽射しの強い1日だった。
大した風ももちろん吹かない。
好天気なのに、昨日のうちにきょうの行事を中止にしてしまったから、
のんびりと仕事をかたづけることができた。

3時過ぎに豊田に向かい、明日の荷物を置いて6時半には帰宅した。
昨日大編成、きょう小編成の大会を終えた中学校の事務局が、
昨日から気が気でなかったけど、今朝晴れてたのは本当にうれしかった
と言っていた。
こういう大がかりな大会が台風で阻止されるというのは、
本当にたいへんなことなのだ。
これを、マリアさまの温情と言うわけにはいかない。
マリアはただ、もっとも通りやすいところを通っただけだ。
いじめる相手はだれでもよかったのである。



2006年08月08日(火) 台風

立秋のきょうは、近づく台風のために波瀾。
何と、明日予定していた中学生の見学会は中止になった。
その準備のために1・2年生の出校日になっていたが、
準備がなくなってしまって、かなり簡略な日程になってしまった。

だから、教科会もあり、職員会議もあったけれど、
私の明後日の大会のための準備作業はほとんど片づいてしまった。
ありがたいことである。
台風が、明日には去ってくれるのもありがたいことである。
大会当日に暴風警報が出たりするとたいへんである。
その日の大会は中止にし、大急ぎで代わりの会場を確保し、
審査員を新たに依頼して開催しなければならなくなる。。。
きょうと明日は中学校が県大会を開いているが、
きょう1日、中学校の事務局は台風の動向に気が気でなかっただろう。

幸い、台風は勢力を弱め、暴風域もなくなったそうである。
明日の午後に豊橋以東に上陸し、関東方面に進む予想だということだ。
歩みが遅すぎて予想がしにくいらしいが、強風注意報でとどまりそうである。
明日の中学生の見学会を中止にするほどのことがあったのかなかったのか、
いまだに判定しがたいほど、この午前0時前後もぼんやりと静かである。

とにかく、この台風7号マリアが、この地方を騒がせた今年の台風1号だ。


ちなみに、きょうも昨日と同じ会館のランチにした。
きょうの内容は、
・うどんころ
・カジキと中えびの刺身
・ロールキャベツの和風あんかけ
・焼き豚をのせたサラダ
昨日ほどナイスではないにしても、どれも丁寧な味つけだし、
月並みなちっこい甘エビでなく、お頭つきの海老を出すところが憎い。
安易でない、それだけのことだが、この店の特徴で、大事なことだ。



2006年08月07日(月) 気に入りのランチ

朝、アナウンス原稿とプログラム原稿を、
理事長・副理事長・事務局長にファックスし、印刷屋と連絡を取る。
9時から、数日前臨時にセットされた会議である。
こんなのは、2週間ほど前に段取りした時には入ってなかった。
誤算である。
司会の教頭も校長も、そう他にすることもなくて、悠長に会議を進める。
休みボケかもしれない。
こちらは早く印刷屋にプログラムの印刷を始めてもらわないと
明日の作業に差し支えるので気が気でない。

会議はとりあえず1時間くらいかなと見当をつけて、
印刷屋に10時過ぎに来てくれと言っておいたが、
そのあたりの時間になっても事務から何の連絡もないので、
会議を抜け出して事務で聞いてみたら、
来たけど、また後で来ると言って帰ったと言う。
やっぱりちゃんと頼んでおくべきだった。
今度来たら、会議中でも呼び出してくれぃ、と頼んでおいて、会議に戻った。
こういうのも誤算である。

とにかく会議も終わり、印刷屋に原稿も渡して、隣の市の中学校に走る。
昨夜、中学校の県大会の準備をしている事務局から電話があって、
社旗と連盟旗が欲しいと言う。
私は一昨日の帰りにいやいや持ち帰ったのだが、
中・高共通で使うものだと、その電話で初めて知らされたのだ。
豊田まで行くわけにいかないから、当日の朝会場に行く、
近隣の中学校の先生を尋ねて、その人に預けることにしたのだ。
これもまた、誤算のひとつである。
さらに、途中で郵便局に寄って、アナウンス原稿を速達で送っておいた。

昼食場所に困って、とある会館のレストランに入った。
ひとりで食べに入るのは初めてだが、ここのランチはかなりの気に入りだ。
きょうは、
・山菜そばころ(歯にしみるほど冷たい)
・鮪の刺身といかそうめん
・鮎と茄子と南瓜とオクラの天ぷら
・大根と上品に煮た豚の角煮
それぞれ丁寧な作りで、コーヒーもデザートもついている。
980円はランチとしては高いかもしれないが、
いつ行っても空いているのが不思議なほど、ランチとしては良質である。
私がその会館名を敢えて書かないのは、宣伝したくないだらである。
こういう穴場は、静かな環境に保っておきたいものだ。
いわゆる何とか会館に付属のレストランなんてのは、あまり注目されないが、
私は、3つの会館のレストランはかなり高い評価をしている。
ただ、ちょっと場所が離れているので、めったに行けないだけだ。

学校に戻って、審査用紙・講評用紙を作った。
前任者がこのあたりを整備してくれてなかったので、
新たに作った上でレイアウトして、手動で印刷するしかなかった。
これで、かなりの仕事が片づいたことになる。




2006年08月06日(日) 貸切状態

また相変わらずの仕事の話である。
だって、きょうなどもこれしかないのである。
他には何もできないし、心を動かされるほどのものもないのだ。
寂しいことだ。
きょうは原爆記念日だけど、先日すでに関係したことを書いてしまったし。

昨夜はくたくただったけど、HPに発表する資料を急いで送っておいたら、
今朝ちゃんとアップしてくれていた。
web 担当者はどこやらの中学の先生だそうだが、とても勤勉な人らしい。
こういう人が後を引き受けてくれると、仕事のし甲斐があるものだ。
打てば響く、ということが大事なのだ。

きょうは終日、ひとりで職員室で仕事をした。
まったくの貸切状態で、邪魔も障害もないから、
職員室の一角の机などを端によけて、昨日持ち帰った荷物を並べ、
悠々と荷物の整理ができた。
人気もなく、ドアの開閉も私以外にはしない職員室は冷えやすく、
毎日の設定温度では寒いくらいで、設定温度を1度上げた。

昨日から作っていたプログラム原稿のファイルが、途中で壊れてしまった。
邪魔なシートを削除していたら、削除していけないシートを削除したらしい。
開こうとしても、まったく何も表示されなくなってしまったのである。
それで、また新たに作り直さなければならなくなって、午前中を費やした。
さらに作業を進めるために問い合わせたい人は、ぜんぜん連絡がつかない。
こんな日曜日にあくせく働いてるのは、10日の出場校だけだわなぁ。。。

とりあえず、こんな日にしかできない大荷物の整理と封筒印刷を済ませた。
夜はアナウンス原稿を作った。
今までとは大幅に改良したので、明日理事長と副理事長にファックスして
伺いを立てなければならない。



2006年08月05日(土) 2日目も無事終わり〜

とにかく、歩き疲れの立ち疲れである。

2日間の大会の後かたづけはたいへんである。
1時間半近くかかってしまった。
大事なのかもう不要なのか、俄に判断しかねるものが散乱している。
今年は、とりわけ落とし物・忘れ物が多くて、
取りに来ずじまいの大量の忘れ物を箱に放り込みながらため息をついた。
楽譜の忘れ物がやたらと多いのはどういうわけじゃ?
負けたからもういらん! というわけかいな???

もう帰って、バタッ_(_ _)_ となりたいばかりだ、と思いつつ、
市吹の練習に向かった。
渋滞はまったくなく、快走できたので精神もかなり目覚めて冴えた。
休憩後の後半の練習に間に合った。

帰宅後、とりあえず吹連のサイト用に2日間の結果を送り、
次回、10日の決勝戦のプログラムを送った。
仕事三昧ですがな。。。
明日も出勤して、決勝戦のための準備をやらなければならない。



2006年08月04日(金) 1日目無事終わり〜

準備不足はなかったようだ。
やれやれだ。
プログラムの曲名の中で、2カ所、「歌劇」が「過激」となっていて、
かなり笑い話のネタになってた。
よく見直したつもりだったがなぁ。。。
よく見えてないもんなぁ。。。
しかし、親交の遅れもほとんどなく、何のトラブルもなく過ぎた。
やれやれだ。

外は異常な暑さになっていた。



2006年08月03日(木) いよいよイヴェント前夜

長い長い準備作業だった。
特に昨日までの4日間はフルタイム準備作業だった。
ずいぶん長い時が過ぎた感じだが、ふと振り返ってみると、
何ということもなく、あっけなく夏休みの2週間が終わっている。

きょうはほとんど終わっていて、
事務局連絡の台本を書いたら、すっかり気が抜けてしまった。
次の県代表選考会のプログラムの準備をしようと昨日は考えていたが、
ついつい、何をする気も起こらなくなってぼんやりしてしまう。
昼に、先日買い忘れた(勘定に入れ損なった)ことに気づいた、
プライマリー大会の分の出演者用リボンを買いに走った。
遅ればせの報告や問い合わせがくるので、細々とした雑用はあったが、
もうそれ以上はご勘弁を、って感じだった。
これからが本番なのだし、まだ忘れてることがあるかもしれないのに。。。

3時から年休を取って、コンビニで掲示物の増し刷りをして、
豊田の会場の準備に走った。
大会当日はちゃんと出張の派遣依頼があるから出張だけど、
こういう夜の準備作業に出張の派遣依頼は出してもらえない。
しかし、こんなたいへんな仕事をしに行くのに、
年休を取らなきゃいけなくて交通費も自腹、、、こんな風にしたのは、
いったいどんなやつらだ!!?
何年か前までは、こういう点は実に曖昧に処理できたのだ。
ついでながら、この一連の準備作業にしても、
学校にわざわざ出かけずに、自分のPCでやった方が早かった。
たぶん、1日分早くすべてがこなせただろう。
しかし、何年か前から、仕事は学校でやれ、ということになった。
私の年休の半分以上は、仕事のための年休である。
能率よく仕事したかったら休暇を取れ、という世の中になってしまったのだ。
まったくアホらしい限りだ。

それはそれとして、とにかく明日と明後日が県大会である。
ここ数年、明日は豊田に泊まって、2日間を過ごすことにしている。
その後、また大忙しの4日間をはさんで、10日には、
明日と明後日に選ばれた14校による代表選考会、つまり決勝大会がある。

とにかく、まず、明日の朝、早起きしなければ。。。



2006年08月02日(水) 分担

きょうは半日くらい暇になるかと思ったら、やはり間違いだった。
予定外のことに時間を費やさなきゃいけなくなるのは、
まだ仕事の内容が十分に見えていないからだ。

午前中、審査員に渡す「審査・講評用紙」を印刷した。
10年くらい前まで、中学校の先生たちと集まって
コンクール地区大会の準備をしていたころは、この用紙の枠だけ印刷して、
出演順・学校名・審査員名などを手で書いていた。
私は早々にエクセルのマクロによる連続印刷を覚えたので、
説明しても理解してくれない中学校の先生たちから離れて、
ひとりで地区大会の準備をするようになった。
しかし、私の「審査用紙」印刷は、審査員の名前は手入力で、
審査員名を変えるたびにマクロを実行しなければならない。
私の前任者のファイルはその上を行っていた。
マクロを1度実行しておくだけで、審査員名も自動で変えて、
すべての「審査用紙」を印刷してくれる。
おかげで、それをpcとプリンターに任せて、
4階の図書館から1階の職員室に封筒を取りにも行けるし、
煙草を吸いにも出られるし、印刷が完璧か点検もできる。

前任者から送られたファイルは、ひとつのファイルで、
この審査用紙はもちろん、審査集計から、プログラム・進行表の作成、
さまざまな場面での封筒印刷、、、などなど、煩瑣な一連の作業が、
実に機能的にできるようになっている。
要するに、多くの作業が切り離せない、もし切り離したら能率が悪い。
だから彼は、去年と一昨年、ほとんどの仕事を自分で背負った。
住居も職場も、大会の会場に近かったので、
現地での仕事も全部背負い込んだ。

ここ10年以上、会場は豊田に固定されていて、それはまだ続きそうである。
今までのように、事務局は会場に近い人が、、、という発想にこだわると、
負担が2、3の支部に固定されてしまう。
私が今年引き受けたのは、現地の仕事は現地に近い人に任せて、
それ以外の事務を、遠隔地の人間でもこなせるかを試すためだった。
もしそれが可能なら、県大会の事務局はどの支部の人間でもできるし、
会場の地区の補佐には、負担の軽い仕事が回せることになる。
これはきっとうまく行きそうである。





2006年08月01日(火) 「パズル・パレス」

相変わらずコンクール準備に朝から晩までかかりっきりである。
定番の仕事の他に、緊急ファックス・緊急電話や、郵送作業もある。
前任者がこの作業のために作ったファイルは実に機能的だけれど、
整理されてない上に、さらにこういうのあるといいと思わせるような
やや中途半端なものなので、整理したし作り足したりの作業もある。
引き継いだばかりの今年は、何かと時間がかかるのだ。

昼食時にダン・ブラウンの「パズル・パレス」を読み始めた。
読書はホントに久しぶりである。
相変わらず興味深い情報が満載の小説である。
きょうはもう眠いので、読み始めた、
それだけささやかながら心の余裕もできた、それだけ記録しておこう。


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