TENSEI塵語

2004年02月04日(水) 立春

 春を待ち雪の舞いたるおもしろさ

積もりはしなかったが、今朝、ラジオで「きょうから暦の上では春」と
聞きながら、雪の舞うのを運転席から眺めていた。
昨日まで数日間ほどやや暖かい毎日だったのに、
今朝、またぐっと冷え込んだようなぐあいである。
だいたい例年、2月はまだ寒く、雪も降ったりする。
3月の上旬までは真冬と言いたくなる。
立春が過ぎてから、その冬のもっとも寒い季節がやってくるものである。
かえって正月のころがもっとも暖かい場合も多い。

古今集の
 袖ひぢてむすぴし水のこほれるを 春立つけふの風やとくらむ
 秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる
などと立春や立秋が詠まれている。
どちらも風に春や秋の訪れをかすかに感じ取っているような歌だが、
昔の気候というのはこうだったのだろうか、
そして、現代人はただただこういう細やかな感覚を忘れているのだろうか?
私は長い間そう思おうとしていた。
つまり、本当に日本の季節はそのように変化するのだと。。。
そして、この暦上の節気が日本古来の心を伝えているのだろうと。。。

けれども、ここにもうひとつ大きな謎があった。
 年のうちに春はきにけり ひととせを去年とやいはん今年とやいはん
くだらない歌だとは思うが、資料的価値がある。
旧暦の元旦と立春は、ともに1年の始まりとされていたけれど、
同じ日とは限らなかったことがよくわかる。
むしろ、元旦と立春が一致しなかったことの方が多かったようである。
これが私には実に不思議に思われていた。
それじゃあ、どうやって立春の日を決めたのか、という疑問になるからだ。

いろいろ読んでみたけれど、そういうことを書いたものには出会えなかった。
数年前だったか、もう少し前だったか、黒板に月とか季節とかの表を書いて
生徒にいろいろ説明しているさなかに、この疑問がまた頭を回り始めて、
ふと気がついた。
春分・夏至・秋分・冬至は、日の出から日没までの時間で決まる。
これらが先に決まり、それぞれの中間を立春・立夏・立秋・立冬などと
決めたのではないだろうか。。。
そうして考えてみると、小寒・大寒・啓蟄などのその他の16の節気も、
そのような等分方式で定められ、名づけられているような気がしてきた。
これだったら、上述の疑問は解決するのである。

我々の感覚では、春は3月の中旬か下旬(旧暦2月)にやってくる。
そして、夏の訪れは今の立夏のころで、我々の感覚的夏は長い。
けれどもこれは、5月の快晴の時も清涼感が漂っていたりするし、
6月に梅雨時になると蒸し暑い日もあれば寒い日もあるわけだから、
夏至近くになって夏気分が本格的になると言ってもよさそうだ。
夏の暑さには、だいたい9月の中旬あたりまで悩まされる。
つまり、秋分近くになってようやく秋が感じられるようになる。
冬は、12月に入ってまもなくである。
もしも日本でこの暦が作られたなら、春分・夏至・秋分・冬至の日に、
立春・立夏・立秋・立冬の名が与えられたのではないだろうか。
そして、旧暦1月も、もう1ヶ月遅く始まっていたのかもしれない。
もしそうだったとしたら、月の名前も少々変わっていた。
睦月の次が弥生である。三月が卯月。
梅雨は皐月でも旧暦四月だから、四月雨、、、「さみだれ」とは読めまい、
別の言葉になったはずだし、四月晴れも何と呼んだのだろうか。。。






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