TENSEI塵語

2006年10月31日(火) 救済になってない!

世界史等未履修問題で、文科省の出している救済策が、
補充授業の上限は70時間とする、というもの。。。
つまり、教育課程表の上で、3単位ないし4単位世界史をやるとなっていて
実は日本史など別科目をやっていたところへの救済策に過ぎない。
上限70時間って、今から授業時間以外に70時間も余分にやるのは、
生徒たちにとってたいへんどころの騒ぎではない。
生徒に罰を与えているようなものだ。

これはもう、責任は社会科の教員にあるのであって、生徒には責任はない。
生徒に落とし前をつけさせるのは筋違いである。
だから、今から授業を再編成して今年限りの策を講ずるべきだろう。
ところが、文科省も教育委員会も石頭の集まるお役所なので、
指導要領の規定をないがしろにしては沽券に関わるというわけなのだろう。

しかし、指導要領だって、実にいいかげんなものだ。
世界史は必修、日本史は選択、という規定も根拠薄弱だ。
国語科の私には、国語総合という科目の意義が未だにわからない。
検定合格した国語総合の教科書をいくつも見ているとますますわからない。
この点についてはまた後日の問題になるが。。。
一時導入された必修クラブや生活科は消え、
代わりに「総合的学習」なるものが導入されたが、
これの趣旨は、嘗て教育政策上徹底的に潰しまくった生徒会活動、
つまり自治活動を維持して行われなければならなかったものだ。
自治活動は管理教育の敵だと、お役所思考のお歴々が潰して、
徹底的に管理する教育をめざしたら、学校は荒れる一方だわ、
他方おとなしく物言わぬ子どもが増えて静かにはなるものの、
思考力や自主性はは減退する一方なので、慌てて導入したに過ぎない。
だから、彼らは絶対的規範のつもりで押しつけているかも知れないが、
どちらかというと浅はかな、規範と言えるほどの重みのないものである。

だから、今年だけの特例で何とかして欲しいものである。
授業時間内の科目の再編で対処できるように。。。
すでに卒業した生徒については不問となることだし、
(厳密論から言うなら、それこそ本当におかしなことだ。
 実際にはもうどうにもできないので不問にするだけのことだ)
大切なのは、来年以降そういうミスがなくなることなのだから。。。


それにしても、なぜ社会科の教員が、世界史を教えずに済ませるとか、
日本史を教えずに済ませるとかいうことに平気でいられるのだろうか。
嘗て、社会科ではない私でも、それには黙っていられずによく意見をした。
結局は受験への対応のためなのだが、
受験を教育の中心的な目標にするというのは実は恐ろしいことなのだ。
しかし、教育行政は、それを奨励しそれに拍車をかけるよう働いてきた。
根本的な問題はそこにあるのだ。



2006年10月30日(月) スマートボール

来週大阪にコンサートに出かけて、ついでに、あれ見てこれ見て、
あれ食べてこれ食べて、あそこ行って、これ買って、、、と
大はしゃぎしてる人がいたので、「大阪 名物」から始めて検索してみた。
これが食いだおれ太郎かぁ、これがグリコの看板かぁ、、と見て行くうち、
ふと目にとまったのが、スマートボール店。

新世界という場所に、ニュー・スターというスマートボール店があるそうだ。
「スマートボール」で検索しても、この店の話題しか出てこない。
もしも、日本中にこの店しかないとしたら、これはもう、
大阪の名所というだけでなく、日本の名所ではないか。

まだ郡上八幡に住んでいた小学生のころ、
夏になると毎夜のように場所を変えて催される郡上踊りの会に、
時々出かける楽しみは、子どもにとっては踊りよりも夜店だった。
そう買えるわけでもないが、何となく心が浮き浮きした。
金魚すくいの親父が私の父の知り合いだったらしく、よく遊ばせてくれた。
私の姿を見ると、すくうためのあの最中の皮を3、4本渡してくれたのだ。
そのおかげで、背後から「あの子上手ーい」という声が聞こえるほど
金魚すくいだけは上達した。

徹夜踊りで有名な盆踊りの時や、春の祭の時は夜店もいっそう派手になる。
広い場所をとるパチンコやスマートボールも並んだりした。
10円だったか5円だったかで、20個ほどの球をもらって遊んだ。
貧しい子どもにはパチンコは呆気なさ過ぎておもしろくなかった。

スマートボールは、パチンコの台を大きくして横にして、
緩やかな傾斜にしたもので、大きな球がゆっくりと
釘や壁にツンツンはね返りながら動く。
うまく点数穴に入ると、台のカバーのガラスの上を5個の球が転がってくる。
実に情緒のあるゲームである。
子どもは、ひとつずつ球を入れて、ひとつが決着するまで見守って、
そうしてまた次の球を入れて打つしか能がなかったが、
ベテランのお年寄りがやるのを見ていたら、
柔らかい動作で次々に球を入れて打ち、
台の中でもいつも複数の球が行き来し、それがまたよく入るので、
台の上のガラスの上にも次々に5個ずつの球が落ちてきて転がって、
実に壮観な眺めで、その妙技に惚れ惚れ見とれたものである(笑)

自分でも何度か作ったことがある。
板に適当に釘を打ちつけ、ところどころに、点数穴の代わりに、
ここに入ったら何点という半円のスペースを釘を並べて作る。
要するに、後に知ったコリントゲームというやつである。
しかし、あんまりおもしろくないんだな、せっかく作っても。。。
釘の配置がいい加減すぎて、おもしろくないのだろうけど、
それ以上に、あのスマートボール特有のゆったりした動きも、
球の心地よいバウンドも、とても易々と作れるものではないのだ。

パチンコはちっともやりたいと思わないが、
スマートボールはまたやりたいな、と郷愁まじりに長年思い続けてきた。
何とかして大阪に行かなければ。。。

ちなみに、「スマートボール」で検索したら、
スマートボールをヴァーチャルで遊べるサイトがあった。
ちょっと遊んでみたら、、、入りすぎ! 
あっという間に25個が1000個に増えたのでやめた。
もちろん、優雅な動きも心地よいバウンドも味わえない。




2006年10月29日(日) 学校制服

スイスで初の学校制服が現れ、賛否の議論が盛んなようだ。
洋服代の軽減、階層差別の防止が主な理由のようだ。
バーゼルの公立中学校の2学級だけの生徒が6ヶ月間実験的に着用し、
成績や家計負担への影響を見てみるそうだ。

写真を見ると、ちょっと派手な柄のポロシャツに、
ソフトな素材のジャンパーのようなものを羽織っているようだ。
同じ制服でも、日本と何と発想が違うことか。。。

20年近く前に、前任校に赴任したとき、生徒指導部に配属となったが、
その年から指導部長が、制服を変える提案をし始めた。
詰め襟は詰め襟でなくなってしまっているし、
セーラー服は、長いスカートの流行でやくざっぽくなってる時代だった。
私自身、特にセーラー服の学校には慣れてなかったので、異様に見えた。

指導部長は、男女ともブレザーにしたがっているようだった。
私は、その気軽に話せる部長に、学生時代からの考えを提案した。
下はジーンズ、上は、夏はTシャツ、冬はトレーナーとジャンパー。
もちろん、即座に却下された。
職員会議で意見を求められた時も、できるだけ簡素で活動的な制服で
あってほしい、と述べて、たとえば、、、と上の例を挙げてみたが、
誰にも相手にされなかった。
私の本当の考えは、もっと過激で到底受け入れられない。
通学は私服でよい、やるべきことさえちゃんとやってくれれば
服装はどうだってかまわない、その代わり、試験の合格点は6割、
寝てばっかりいるやつや、授業の妨害をするやつは即刻家庭待機。
授業を受ける権利を放棄している者や侵害する者は登校の権利なし。

指導部長の提案は、結局職員会議でも否決された。
反対意見には、セーラー服が好きだから、とか、
セーラー服姿の生徒に惹かれて奥さんにした人もいる、などという
とんでもない、意見にならぬ意見もあった。
ホントにもう、あの会議にはあきれた。
また、同窓会の年輩層からの反対も激しかったようである。

生徒と、授業の中の余談で、制服について話したことが何度かある。
私の案の方向に賛成の生徒もいたが、比較的少数派で、
特に女子などは、意外とセーラー服にこだわっている生徒が多いものだ。
きわめて古臭い制服だと思うし、それとミニスカートを組み合わせると、
前近代的な感覚と現代的な感覚がちぐはぐに組合わさって、
まったく見られたもんじゃないのだが、それを気に入ってる若者が
意外と多いということだ。



2006年10月28日(土) 造反議員の復党問題

きょうも某高校に頼まれて練習を見に昼に出かけた。
学校で少し仕事もしたかったので、昼前に家を出た。
車中のラジオで、自民党の郵政民営化の際の造反議員復党問題について、
庶民の反対派・賛成派を交互に電話で登場させ、意見を聞いていた。
反対派の主張はわかりやすい。
単なる数合わせみたいな感じで腹が立つ、というのが主だった。
賛成派の主張は、ぐちゃぐちゃして何を言いたいのか私にはわからなかった。

私はある意味では賛成である。
そもそも、党議拘束に従わなかったから追い出すというのに反対である。
基本的な理念に賛同できて党に所属していても、
細部の政策については、個々の考えや事情・立場によって、
さまざまな考えで行動していいはずである。
投票する人の中には、自民党なら誰でもいいという人もあるだろうが、
その候補者に対する信頼で投票している人もいるのだ。
もしも個人的な意志というものを認めず、党議に縛るのならば、
国政選挙などというものは比例代表だけでやるべきだろう。
個などは認めず、党という団体の意見しか認めないのだから。。。
わがまま坊やだった小泉クンのあの処置は、
自由民主党などという看板を立てた不自由反民主党だと暴露したのである。
ともかく、造反議員として離党を余儀なくされた人たちは、
不当な扱いを受けたわけだから、悪いのは小泉クンただひとりであって、
小泉クンが総裁でないならいつ復党したっていいんじゃない? という意味。

しかし、ある意味では大反対である。
あれだけの脅迫や圧迫にも耐えて党議に背いた。
その気骨ある精神に惚れた人も多いはずである。
私も、今回ばかりは野田聖子に入れてあげてもいいな、と思ったほどだ。
そういう有権者も多いはずだ。
そうして、無所属という厳しい立場ながら当選したわけである。
これで、尻尾振って不自由反民主党に寝返ったりするのは、裏切りである。
任期中は復党すべきではないだろう。
復党するにしても、今後は党議で縛るつもりはない、個人の自由を尊重する、
という趣旨の一筆を取ってから復党すべきであろう。

自民党が復党を願っているのは、現国会議員だけだそうで、
先回の選挙で負けた人は対象外ということについてももめていると聞いた。
党の公認なしでも、刺客を送っても当選できるつわものはやはり欲しい、
負けるようなやつはいらん、ということか。
国政レベルにおいても、自分たちに都合のいいルール作りが得意な政党
なんだから、節操のなさなんてのは恥ずかしくも何ともないのだろう。



2006年10月27日(金) 大学受験と高校教育

世界史不履修問題というのは、実は教員たちの涙ぐましい親心の産物である。
何とかして希望の大学に入れるようにしてやりたい、
予備校に頼るのでなく、自分たちの手で生徒の希望をかなえてやりたい、
そういう思いの表れである。
また、生徒たちも親たちも、受験に必要のない科目よりも、
受験に必要な科目に力を入れて欲しいと願っている。
ま、要するに利害が一致しているわけである。

私自身はそういうところに落ち着いてしまうのが嫌いで、
できる範囲で受験のめんどうは見るけれど、
受験のために授業や行事が侵されるべきではないという考えなので、
いろいろと苦々しく思うことが多い。
全員が大学を受験するわけでもなく、また、受験はするにしても、
さまざまな推薦入試で決めてしまう生徒が増えている現代ならなおさらだ。
しかし、そういう観点からいろいろと意見を言えば、
生徒のことを真剣に考えない不熱心な教師として非難を浴びるか、
時代錯誤の問題外の考えとして黙殺されてしまうか、どちらかである。

世界史・日本史問題について言えば、
私はどちらも必修にすべきだとずっと思ってきたし、
社会科の教員自身がどちらか一方の選択でよいと考えること自体、
ありえない不思議なことだと思ってきたので、
今回の発覚問題では、正直、ざまぁみろ、とややすっきり感覚である。
当事者たちにとっては、よかれと思って熱心にやっていたところへ
冷たい水をぶっかけられた、という感じなのだろう。
これを機に、頭を冷やして、受験指導について考え直して欲しいものだ。
また、こういう状況を生みだした遠因である、高校入試制度についても
大いに反省して欲しいものだ(もう手遅れだけど、、、)。

ある時、日本史の小テストや定期考査の問題を見たら、細かさに驚いた。
私は受験生時代に、高校のノートを下地にして、
そこに教科書や参考書や問題集からいろいろと補足を書き込んで、
それを改めて新しいノートに整理して、それを全部暗記した。
当時のいわゆる重箱の隅をつつくような項目も含まれていた。
しかし、その記憶の片隅にもないような細かいことが、
授業のテストとしていくつも出題されているのである。
「えらい問題が細かいねぇ」
「いや、これくらいやっとかないと受験に対応できませんから」
確かにあれから30年も経つと、重箱の隅も増えてるんだろうな。。。
「補習でやったら?」
「補習でもやりますが、ぜんぜん足りません」
どの生徒にも一様に重箱の隅に付き合わせる必要はないと思うのだが。
それでいて、国語の授業で基本的な史実を尋ねても、生徒は知らない。。。



2006年10月26日(木) 世界史と日本史

教育課程が今の新課程になってから、地歴科では世界史が必修、
日本史・地理のうち1科目選択となったのに、
そのうち1科目しか受けさせていない学校、世界史を受けさせていない学校
のことが問題となり大騒ぎである。

それにしても、世界史が必修で日本史は受けなくてもよいというのは
なぜなのだろうか?
私は旧課程のころから、世界史か日本史かで選択させているのに反対だった。
受験競争はどうあれ、両方しっかり教えなければいけない。
しかし、教師がそう考えても、実際のところ、
生徒は受験科目でない科目はやりたがらないし、
生徒の親も、受験科目に力を入れて教えて欲しがっている、、
そういう世間のニーズの前では、理想論は潰されざるをえなかった。

もちろん、私の高校時代は、1年生の時に私の大の苦手科目の地理、
2年生の時に、世界史と倫理社会、3年生で世界史・日本史・政治経済。
理科も、文系でも生物・化学・物理・地学を受けたし、
多くの実験レポートを書かされた。
そういえば、文系でも数学3まであったなぁ、、今では信じられないことだ。
実力テストや模擬テストなどの受験向けサポートはあったが、
補習もなく、試験前の部活禁止期間などもなく、学校祭は10月後半、、、
うるさいほどの進路指導などもなかった。
要するに、おおらかで、高校らしさが残っていた時代なのである。

残念ながら、私は怠け者の不勉強の代表選手だったので、
世界史の授業で習ったことなど片っ端から忘れてしまった。
だから、現代の国際問題に関連して歴史的背景に及んだりしても、
即座にはっきり理解することがほとんどできない。
そういえばそんなこと聞いたような気がする、とか、
あれ何だったっけなー、、、と記憶の奥の院の錠がなかなか開かない。
しかし、この「何となく聞いた気がする」というのも大事なのだ。
すぐに生かせなくても、仕事の役には立たなくても、
ちょっと何かの拍子に何となく関連付くのが一般教養というものである。
どこでどう役に立つのかわからないのが一般教養なのである。

高校時代は、実のところ、世界史も日本史もおもしろくなかった。
別世界の話を聞き、用語を覚えろと強要させられているだけの気がした。
受験生になることを決めて、自分で日本史の受験勉強を始め、
かなり細かいノートを作り、片っ端から覚えたのだが、
そうして勉強しているうちに、日本史がつまらなかったのは、
淡々とした通史だったからではないかと思うようになった。

教員になってから、私はしばしば社会科の教員に提案した。
日本史は、戦後史から、あるいは昭和史から、あるいは、
大いに譲歩して明治時代から、せめて江戸時代あたりから始めたらどうかと。
今生きている社会をより理解するための日本史であって欲しいと思ったのだ。
そして、そこから順次遡って行くのだ。
また世界史だったら、市民革命直前あたりから始めるか、
あるいは、現在の国際関係のさまざまな実態から始めて、
そのテーマ別に、そういう問題の根深い歴史を語ったらどうかと。。。
歴史は現代に息づいている、と社会科教員なら私以上に信念をもっている
だろうから、私が言うまでもなくそうしたがっているだろうと思っていた。
しかし、そういう考えはまったく受け入れられなかった。
第一、そういう教科書はまったく作られていないし、
そんな順序で教えたら、模擬テストにまったく対応できない、
模擬テストは古代から順々に出題されるのだから。。。

高等学校の学習内容が、受験対策に支配されるなんて悲しいことだと思う。
大衆の愚の恐ろしさを感じるのは、選挙の時ばかりではないのだ。



2006年10月25日(水) 夏休みの変質

先週から腹立たしい議論が会議に出ている、そのひとつが、
来年、学校祭日程に伴う、2学期の開始を2日早めるという話。。。
結局、夏休みが1日短くなった今年とは違って、
2学期の始業式を早めるならそれだけ1学期の終業式も早め、
夏休みの期間は確保する形で決着がついたのだが、
そうだとしたら3日早めるのが得策だろうという議論の時間がなかった。
とにかく、管理職の頭に、始業式を2日早めるという結論敷かなく、
そこに会議を誘導することに教頭が腐心しているさまがありありである。
教頭は議長である。
議長の原則をまったく知らないようだ。
実に下劣な会議というしかない、つまり、こういうのは会議とは言わない。


昨年、県教委が、夏休みの開始や終わりについては、
1週間程度の範囲で各学校で柔軟な対応をしてもよい、などという
実に無責任にして挑発的な通達を出した。
私はまずこのことからして、県教委に激しい怒りを抱いている。

夏休みは、夏が暑いから作られた。
まだ、自動車もそんなに走ってなく、エアコンどころか扇風機さえ
一般家庭にはなかった、のどかな時代に作られた。
オゾン層がどうのこうのとか、地球温暖化とか言われなかった時代である。
そんな時代から夏休みは必要とされていたのだ。
ところが、次第に夏の暑さは尋常ではなくなってしまった。
車が増え、どの車もエアコンを目一杯に作動させ、
一般家庭も企業のビルもエアコンをフル活動させ、
地上から発散する熱気と、相変わらず照りつける太陽とで、
数十年前とは比べものにならぬほど熱気がこもってしまうのだ。

私は、週休2日g取り沙汰されていたころ、週休2日に反対だった。
休日出勤が増える教員と、休日を満喫できる教員の格差が広がるだけである。
それは、ただ単に、部活動を見なければならない教員や、
受験主要教科を担当する教員の負担を増すばかりだと思ったのである。
(そして、実際そうなってしまった)
週休2日にするよりは、夏休みを長くしろ、というのが私の主張だった。
7月中旬や9月上旬などは、耐えられないほど暑い日が続くからである。
夏休みを延ばしたって、上記の格差の問題は変わらないが、
少なくとも、暑くて授業どころでない、という理由はあるからである。

その一方で、組合が集約する職場の施設関係のアンケートには、
毎年「全館冷房!!」とだけ書き続け、もしそれが実現するなら、
夏休みなどお盆休み程度でもかまわない、と考え続けてきた。
長い夏休みを設定する理由がなくなるからだ。

昨年の県教委の通達は、私のこういう考えとはまったく逆向きである。
先にとにかく社会の流れに屈して週休2日にしてしまった。
さらには、いくつかの祝日を月曜日にして、3連休が増えた。
これは実は、学校にとってはたいへん迷惑なことなのだが、
週休2日も月曜祝日も、経済効果を求める経済界からの要請なのだろう。
そうしたら、授業時間の確保ということをうるさく言わなきゃならなくなり、
学力低下を防ぐ方策をあれこれ指示しなければならなくなった。
そこで、夏休み40日間の攻撃に入ったのである。
「夏休みを減らせ!!」と高圧的には言わない。
そう言えば、非難が自分たちに集中することがわかっているからである。
「柔軟に対応してもよい」というのは自由の恩恵ではない。
「お前らで競争しあって夏休みを縮めろ。暑くったってそんなことは知らん」
という意味である。
まったく、根性の汚い通達なのである。



2006年10月24日(火) 下手な設計

昨日から昨夜にかけて久々の、びしょびしょ音を立てての雨降りで、
今朝から次第に晴れるとともに、日中は涼しい風が吹いていた。
まだシャツ1枚でも十分な陽気だが、さすがに風に吹かれると寒いほどだ。
その風が校舎の廊下にも走って、清々しい空気が通っている。

ところが、職員室に入ると、むっとするような生暖かさがこもっている。
忙しく働いていると、何やら蒸し暑いようなうっとうしさがある。
外に出ると上着が欲しいくらいの涼しさなのに、
そこではとても上着を着ている気にはなれない。
もうすっかり秋だなぁと思って職員室に入ると、残暑の名残を感じさせる。

だいたい、この職員室は狭く、風通しが悪い上に暗い。
暗いのは照明をケチっているせいでもあって、
これは今年の初めや去年の初めにしばしば練習に訪れた他校の職員室に
夜になってから入った時に痛感した。
しかし、風通しも悪く暗いのは、廊下との間を仕切る壁のせいである。
小学校や中学校を訪れると、こういう職員室が圧倒的に多いのだが、
今まで私が見てきた高校の職員室は、廊下の部分も含んだ、
両側を南北の窓に挟まれた職員室が多い。
当然こういう職員室は風通しもいいし、採光も見晴らしもいい。
ま、職員室を1階に置こうとするとこうならざるを得ないだろうけど、
やはり、あまり上手い作りではないなぁと思う。

進路指導室など、もっとひどいものである。
4つの小さな部屋を使っている。
かつて倉庫だったり、どれかの教科の準備室だったのを、
ちょっとずつもらい受けて、継ぎ足して使うようになったそうである。
だから、たいへん使いにくい部屋になっている。
この部屋の唯一の良さは、桜の眺めが校内で最高の点である。

それにしても、作法質とかいう名の和室がたいてい1階か2階に、
かなり広いスペースで作られているけれど、
この部屋の本来の目的は何なんだろう??
たいてい茶華道があればその活動場所になってはいるが、
そのためだけに作られたということは考えにくい。
前任校で、稀に百人一首のために生徒に使わせた例はあるが、
ま、ほとんど活用されないずにかび臭くなってるのが普通だ。
かなり無駄なスペースなのだが、1階や2階を占拠してしまっている。
それに引き換え、1階や2階にあったらもっと利用されるに違いない
図書館は、たいてい4階の行き止まりに作られている。
授業での利用価値の高い視聴覚室も、同様である。

最初の、校舎の設計に携わった人々が、どれだけのイメージを働かせたか、
甚だ疑問である。



2006年10月23日(月) 新タイプのドラマ「のだめ」

「のだめカンタービレ」のドラマが始まっていて、今夜見てみた。
きょうがまだ第2回のようだ。
ずっと前に、一気に10冊ほど読んだというメールを2人くらいから
もらっていたので、おもしろいらしいと気にはなっていたのだけれど、
まだ漫画の方は読んでいなかった。

何かすごく漫画的な演出のドラマである。
ヒロインの野田めぐみが殴られてぶっ飛んで行くところといい、
のだめよりこちらが主役かと思われる千秋の独白のパターンといい、
細かい場面ごとの区切り方といい、、、何か不思議な新鮮な感じである。
画面はバカなことばっかりやってるようなコメディーなのに、
美しく格調高いクラッシックの名曲が効果的に流れている。
エンディングも実に楽しげに作られている。

娘が3巻まで買った原作漫画が廊下に置いてあったので読んでみた。
驚いたことに、原作漫画よりドラマの方がより漫画的ではないか。。。
原作者の作画はあまり上手いとは思えない。
絵に動きがあまり感じられない。
ドラマにしたら、リアルなだけ余計に漫画的になったような感じである。



2006年10月22日(日) 昨日の続き、、かな?

きょうは朝から夕方まで混成バンドの練習会。
来週は本番の指揮者が1日見てくれるので、私の練習はきょうで最後である。
くたくただが、やれやれ、、という解放感がある。
今年の参加生徒は概して熱心で、欠席も少ないし、熱心に練習してくれた。
まだ音のしっかり出ていない生徒も、半数近くいるけれど、
例年に比べたらたいへん優秀な生徒の集まりだと言える。
例年よりもかなり細かい要求もできた。
もう15年ほど混成バンドの練習をひとりで見て来ているが、
毎年、本番はプロがやってくれるから幸い、気楽という感じだった。
今年は自分で振れないのがちょっと残念なほどである。

それにしても、ホントに音楽活動が楽しいと思う。
出かけるときや、出かけなきゃいけない休日のことを思うときなどは、
あ〜あ、休めないのかー、と気が重たくなるのだが、
練習が始まってしまうと、それが仕事だということは忘れてしまう。
忙しいとか休みがないとか、ぶつぶつ文句ばかり言っていないで、
こういう時間を過ごすこともできるに至った、
何年もに渡る長い長い経緯・めぐりあわせに感謝すべきなのだ。



2006年10月21日(土) 創造活動

きょうは昼から、2カ月前から頼まれていた某高校の吹奏各部の練習に。。
「生徒たちも楽しみにしてます」なんて念を押されると、
どんなに疲れていても、休養を欲していても、キャンセルはできない。

昨日の仕事からの帰り道の車内で、予定曲目と聞いていた曲を何度も聞いた。
夜に、2週間前送られてきたスコアを見ながら予習しようと思ったら、
ぜんぜん違う楽譜だった。
また、もう1曲は、自分が持っているはずのCDが見つからない。
それで、1時間早く出かけて、自分の努めてる学校に寄って、
部室にあるCDやカセットテープを差がしたが、やはり見つからない。
結局、2曲とも、模範演奏を聞きながらの下調べはできなかった。
困った!!
勉強不足のまま、2時間余の練習に出かける度胸は。私にはないのだ。

しかし、意外にも楽しい練習になった。
スコアは勉強不足でも、手直しすべきところがたくさんあった。
それから市吹の練習に行ったが、やはり疲れ以上に楽しい感じが強い。

どんなに忙しくても、創造的な作業は楽しいものだ。



2006年10月20日(金) 疲れ?

廊下である先生とすれ違った時に「疲れてるみたいだねー」と言われ、
適切な言葉がとっさに浮かばず「疲れとるわ」と答えたのだが、
よくよく考えたら、疲れというよりは、積もり積もった嫌気なんだな。。。
会議ではしょうもない議論、短絡的なお達し、
あれもやらにゃこれもやらにゃとばたばた自転車操業なのに、
「平等」に降りかかってくる雑用の数々、、、
(これを余分にやってるんだからそれは勘弁してよと言いたくても言えない)
休日もほとんど仕事から解放されない、疲れて不規則睡眠の悪循環。。。
1週間か2週間、仕事休んじゃえ!!! という衝動に駆られる。
しかし、授業をやってる間は、そういう嫌気を
忘れるこtができるんだもんなー、、、皮肉なものだ。。。

今夜は頭の中がとりわけ無秩序のようだ。もうやめとこう。



2006年10月19日(木) 対北朝鮮に新たな動き

中国の高官ら(名前も書きたいが漢字使用が難)が北朝鮮に赴いた、
その中の一人、唐氏は、最近米・露と会談を重ねている。
新聞には、彼は切り札とも書かれている。
どういうメッセージを持って北朝鮮に入ったのか、
その結果がどうだったのかは、よくわからない。
先週の水曜日にニュースステーションで予言していたことが、
数日遅れで実現したような格好だ。

ライス国務長官が、6カ国協議参加国を回るらしく、
昨日来日して外相と会談し、きょうは日本の外相も連れて韓国に行った。
3国での会談を行ったようだ。
ライス女史はさらに中国・ロシアも訪れるようだが、
TVでは、ライス女史も北朝鮮を訪れる可能性があるように言っていた。

実際のところ、何がどう動いているのかよくわからないのだが、
各国がなにやら慌ただしく動き始めたようなのだ。



2006年10月18日(水) 「刑事コロンボ」

2時間ほどもある映画を見るほどの時間はないし、
1時間前後のドラマでも連続ものを見るのが億劫なときに、
ちょっと何か見たいな、という時に時々取り出すのが「コロンボ」である。
ずっと前に、1巻(2話)900円程度の旧シリーズ全巻セットが
出ていた時に買っておいたものである。
TV放映をまともに見たことがあるのは2、3回だったので。。。
「古畑任三郎」はレンタルに頻繁に通っていたころ全部見たので、
そのうち「刑事コロンボ」も見てやろうと思いつつそのままになっていた。

たいてい75分程度だが、今夜は失敗だった。
終わって時計を見たら予定より遅い、、、見たら今夜のは96分だった。
今夜見たのは、やっと第10話である。
この1年ほどの間に、やっと10話を見たわけである。
今までにどんな物語があったのかはもう忘れてしまった。
それくらい間を置きながら見てきたのである。
私は連続ドラマを見始めると、それに集中して他を見なくなる。
時には、時間も忘れ、仕事も忘れて、何話も見続けて失敗することもある。
また、連ドラから離れている時期に、長い時間が許されれば映画を見る。
だから、なかなか「コロンボ」の出番がないと言えばそうも言えるのだが、
しかし、考えてみれば、これも1話完結とはいえ、連続ドラマである。

「刑事コロンボ」も「古畑任三郎」も、私の印象はちょっと複雑である。
見ている間は実におもしろい。
完全犯罪を装う犯人をどう追いつめ、何を決め手にするか、、、
最初に犯人も犯行の手口もすべて視聴者にさらけ出しておいて、
1刑事の思考の経路を描くニュータイプの推理ドラマの魅力は、
作られ始めてから30年以上経った今でも衰えてはいないと思う。
ラストも、スカッとさわやかタイプでなくて、
地位が固まってるか固まりつつある人々が犯人だけあって、
奮闘虚しい、そこはかとない余韻が漂うのもなかなかいいんだな。。。

反面、そのドラマの過程で、何となく憂鬱で重ったるい要素もあるんだな。
まず、殺人の犯行現場をつぶさに見なければならない。
コロンボ刑事(古畑刑事もだが)のアプローチがねちっこ過ぎる。
とりわけ、初期段階でどうでもいい会話から入って行くのがイライラする。
また、犯人も、知らぬ存ぜぬ、関係ない、わからないで無視すればいいのに
やたらと挑発的になっていく、、、それはこのドラマのおもしろさでもある
が、いささか不自然さを感じさせる要因でもある。

あまりおもしろすぎても生活を破壊する。
例えば「24」シリーズなどは完璧に生活を破壊する危険がある。
「刑事コロンボ」のおもしろさは、私にとって適度でありがたい。



2006年10月17日(火) さらに別の見方

今夜も2時間宵寝をしてしまった。
昨夜は1時間ほどで起きたのだが。。。
宵寝は再び寝るのがちょっと遅くなる上、時間のロスが大きい。
夜の時間が有効に使えない。
疲労が蓄積されるという悪循環にもなってしまう。
極力避けたいのだが、ちょっと横になりたいという誘惑に負けてしまう。
足腰がだるくてしょうがないからである。
きょうのように、3時間連続授業で座って休む間がないとか、
さらに電車に乗って出張に出なきゃならない場合はダメージが大きい。
横になっただけで起きられることも多いが、
昨夜も今夜も、眠らないように警戒する間もなく眠りに落ちてしまった。


橋本BBSに、常連客の渚のバラード氏が、
昨日の北野氏や橋本氏に対する反論を書いている。
これもまた、な〜るほどと思わせてくれるものであるし、
新聞やニュースの報道とかなりすんなりつながりやすい解釈である。
{中国の人民解放軍が金正日政権打倒に向けて鴨緑江を渡る」という点は
新聞やTVのニュースなどではまったく感じ取れないのであるが。。。
私は極めて無知な人間なので、こういうさまざまな解釈を読み返しつつ、
今後どのように動いて行くのかを勉強して行くしかない。

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新たな似非評論家の登場ですな。まあ、馬鹿田、馬鹿寺、馬鹿中、馬鹿原、馬鹿島といった連中に比べれば性質が悪くはなさそうですが。(今後も要注意)北野氏の出鱈目というか誤認識の項目を以下に明示します。

1.米国が北朝鮮と直接交渉しない理由

北野氏は過去の経緯に全く触れていないのです。1994年当時、北朝鮮を巡る情勢は戦争寸前であり、当時金日成が存命で、「戦争になればソウルは火の海だ」と嘯いておりました。事実、38度線を越えた先には北朝鮮軍の砲撃部隊が集結しており、開戦となれば、通常は山肌に隠れている大砲を一斉に引き出し、韓国目掛けて凄まじい砲撃が始まったことでしょう。米国は原子力施設等のピンポイント攻撃を検討していたようですが、韓国に対する攻撃を憂慮し、交渉で緊張を鎮めました。もし攻撃があれば、恐らく10万人単位の人名が失われたと言われています。

この結果、カーター元大統領が特使として派遣され、核兵器開発を止める代わりに軽水炉の建設と燃料油の供給が約束され、その方向で進んでおりました。ところが、北朝鮮は約束など完全に欺き、核兵器開発を継続していたのです。要するに米国は、「北は全く信用出来ない」という確信に基づき、二国間交渉には応じないのです。

では、何故六カ国協議に拘るかと言えば、複数の関係国と協議した結果の約束は二国間のものよりも重く、北が約束不履行となった場合、中国やロシア、更には日本、韓国と共同で北への圧力を掛けられ、北を封じ込める効果が大きいと期待出来るからです。

2.米国が北朝鮮の核保有を認めない理由

インドとパキスタンの場合と全く事情が違います。彼等は二国間の勢力バランス維持の目的で核保有国となった訳で、第三国への影響は殆どありません。また、両国とも国際常識の通じる指導者が存在し、暴走の危険は少ない国だと考えて宜しいでしょう。

では、北の場合は何が問題かと言えば二つあります。一つは、東アジアは冷戦が継続しており、現段階では北の南進など現実的に無理ですが、事情が許せば北の力で南北統一をしようという意志は捨てていない筈です。そのような国が核兵器を保有すれば、最悪の場合何が起きるか、考えただけでも恐ろしいことです。核弾頭はなくても、韓国内はおろか日本に対してもミサイルで核物質をばら撒くことは可能であり、テポドンが完成すれば(当分無理ですが)米国内だって危険に晒されます。また、韓国、台湾、ベトナム等が核保有を言い出すことも考えられます。(核ドミノ)

二つ目は、北が核兵器や核物質を他国に売却し、アフリカや中南米の国、更にはテロリスト集団にまで核が流れてしまう危険性が大いにあります。麻薬や覚醒剤、偽札といった非合法な品目を世界中に売り捌いて来た国ですから、核だって平気で売りますよ。

こんな国を野放しにしておいて良い筈がなく、米国が金正日政権を潰さずにおくことは全くあり得ません。米国軍需産業は金正日政権の存続を望むという「橋本説」は、次の点で根拠がありません。先ず、北を攻撃して降伏させるのは極めて簡単であり、数日で片が付くでしょう。勿論、中国その他が軍事支援しないことが前提ですよ。その場合、兵器の消耗量など微々たるものであり、軍需産業に特需とは成り得ません。ベトナム戦争みたいに長期化しなければ、軍需産業は儲からないのです。また、先日も述べましたが、米国は世界中何処でも軍事プレゼンスを確保出来ます。北朝鮮など問題外であり、米国軍隊(特に海軍機動部隊)の東アジアへのシフトは、中国の覇権主義に対する牽制です。

3.金正日の暴走

現段階で、金正日は明らかに核武装国家の道を選択してしまっており、もう後戻りなど出来ない状況です。「体制を保証してくれれば、核兵器開発をやめてもいい」なんて甘い要求は絶対に通らない段階です。北野氏の寝惚けているのは、こういう現実が分かっていないところです。

米中露韓日の決断は、「金正日体制の武力打倒以外に現状の打破はあり得ない」ということであり、間違いなく中国がその役割を担うことでしょう。中国では胡錦涛国家主席が中央委員会で江沢民の影響力を排除し、軍部を含めて完全に国内を掌握した段階で、人民解放軍が鴨緑江を渡り北に侵攻する筈です。北野氏がその時何を言うか、大いに見物です。

尚、胡錦涛自身は非常に合理的な指導者であり、「靖国問題」を持ち上げていたのは国内の江沢民一派(親朝反日)へのポーズであり、彼自身は「親日反朝」の人です。彼の本音は「靖国問題」など全くどうでも良く、「北朝鮮問題」への対応を緊急に協議するために安倍首相を中国に招いたというのが真相のようです。

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また、次のは、12日の橋本説へのコメントである。

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何点かコメントさせて戴きます。

>現在の、北朝鮮も、国を実質支配しているのは軍部です。金正日総書記はその傀儡だと考えていいでしょう。もちろん軍部も完全に一枚岩ではありません。金正日も軍の一部に影響を持っていますが、その基盤はそれほど確固としたものではないようです。

金正日が軍部を掌握出来ていないのは通説であり、そのとおりだろうと思います。では、逆に軍部が実権を持っているかといえば、そうではありません。北朝鮮で行われていることの殆ど全ては、金王朝の親子二代に亘る方針です。核武装は金日成からの悲願でした。

>これらは解放政策に反対する軍部の保守派のしわざでしょう。「金正日の最大の敵は、ブッシュではなく北朝鮮軍部だ」といわれるゆえんです。今回の核実験も、軍部の「暴走」とみたほうがいいと思います。

あの国では現体制維持が至上命題です。軍部の「暴走」というよりも、金正日との利害が一致した結果でしょう。

>アメリカや中共の保守勢力が改革解放路線を歓迎しないのは、北朝鮮を軍事独裁国家として存続させたいからです。これによって、アメリカはアジアにおける軍事プレゼンスを保つことが出来ます。

改革開放路線など、あの国の体制では無理であって、歓迎か否かなどは問題外なのです。アメリカの軍備配置が東アジアにシフトして来たのは、北朝鮮ではなく、中国そのものです。東アジアでは冷戦は終わっていません。台湾との関係にしても、アメリカが遠ざかれば中国は台湾に間違いなく侵攻します。勿論、厄介な存在ではありますが、北朝鮮などは大局においてマイナーな存在です。ソビエト連邦の崩壊依頼、世界は「パックス・アメリカーナ」の時代に入っており、アメリカは唯一の治安維持機能を有する大国として、地球上全域でプレゼンスを持っています。

>北朝鮮が軍事独裁国家としてがんばってくれれば、在日米軍基地も存続できますし、日本という経済大国をこれによって支配もできるのです。つまり、アメリカの世界覇権主義にとって北朝鮮はなかなかうまみのある「切り札」なのです。こうしたアメリカの世界戦略の罠におちているのが日本の政治家や国民なのだと思います。

これは反米の人の考えることであって、日本にノドンやテポドンが(今のところ)降って来ないのは、米国の軍事力が存在するからです。日本が経済大国になってからは、安くないコストを払っていますが、1970年代頃までは安保只乗りで守って貰っていたのです。安保がなかったら、日本は共産主義の軍国主義国家に占領されていたかも知れませんよ。「罠におちている」のではなく、それが最も国益に適った賢い選択だからそうしているのです。



2006年10月16日(月) またまた北朝鮮問題

忙しいばかりで、どうということもないつまらない1日だった。
会議が2つあったが、どちらもいらいらするばかりの議題。。。

橋本さんがきょうBBSに引用してくれていた文章もおもしろかった。
これは、北野幸伯という人のメルマガだそうで、
12日に引用させてもらった橋本さんの、軍部実権説とは違い、
ジョンイルの、地位・権力と金を守りたい一心の暴挙として書かれている。
これは橋本さんの話を聞く以前のジョンイルのイメージのままだし、
橋本説を聞く前に抱いていた数々の疑問に答えてくれそうな文章である。
これもメモ(コピペ)しておこう。
ただし、肝心な疑問、なぜアメリカが2国での協議に応じず、
ミサイル問題、核実験問題まで起こしても、
ジョンイルのアメリカとだけ協議したいという願いを無視しているのか、
という点については後日説明してくれるそうである。


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金正日の願い

独裁者金正日はいったい何を願っているのでしょうか?これは、もうはっきりしています。自分のありあまるお金と権力を維持すること。
これ以外にありません。

彼は別に、アメリカと戦争したいわけではないのです。ありあまる金と権力を持つ人が、一国で世界総軍事費の48%を占めるアメリカとの勝ち目のない戦争を望むはずがありません。

では、どうすれば自分の金と権力を維持しつづけることができるのでしょうか? アメリカと合意に達すればいい。冷静に考えてみましょう。

中国とロシアは、(北よりはマイルドであるが)同じ独裁国家。別に「北朝鮮を民主化しよう」などとは考えていません。また、韓国はずっと太陽政策でやっていますから、これも脅威ではない。日本には平和憲法があり、北を攻撃することができない。

「6カ国協議・6カ国協議」といいますが、金正日にとっての脅威は、アメリカ一国だけ。アメリカは、アフガン・イラクの政権を武力で崩壊させた。また、ユーゴ・グルジア・ウクライナ・キルギスの政権を革命により崩壊させた。結局、金正日には二つの道しかありません。

1、アメリカと合意し、絶対権力者の地位にとどまる
2、アメリカと戦争をし、殺されるか、フセインのようにブタ箱にぶちこまれる

2は最悪ですから、1しか選択肢がないですね。そこで、金正日は何を主張しているか?

1、6カ国協議はもういいから、アメリカと2国間協議がしたい
2、2国間協議の目的は、「体制を保証してくれれば、核兵器開発をやめてもいい」ということ。

これを別の言葉でいうと、「俺(金)が今の金と権力を持ち続けることを保証してくれれば、核兵器は別に必要ない」と。皆さんどう思います?

核兵器がなければ、別に金正日が北のトップだっていいじゃないですか?(もちろん、誘拐もやめてもらわないといけませんが。。。)

「いや、アメリカは民主化を世界中で行っているから、それは無理でしょう!」

本当にそうでしょうか? リビアの独裁者カダフィは、「すいません。もう逆らいません」とアメリカにお願いし、体制を保証してもらいました。

サウジアラビアは政教一致の絶対君主制。クウェートは立憲君主制ですが、皇太子が首相をしている、実質独裁。アラブ首長国連邦は、7首長国による連邦制で、各首長国は絶対君主制。旧ソ連アゼルバイジャンの初代大統領はKGBの大物アリエフ。2代目は息子のイリハム・アリエフで実質独裁。トルクメニスタンは、「終身大統領制」を議会が認めた、独裁国家。カザフスタンのナザルバエフ大統領は、現在4期目。経済を急成長させているものの、独裁。

こうやって見てみると、アメリカは、「逆らわない独裁者」を保護、あるいは放置している実績があるのです。これらの国には、石油あるいはガスがたっぷりあるという共通点もあります。

中華人民共和国は、ご存知共産党の一党独裁。ですから、論理的にはアメリカが北朝鮮との交渉に応じ、「核兵器を廃棄しなさい。それで体制を保証しますよ。君の金と権力は保証してあげるから、余生は人民のためにつくしなさい」ということもできる。

実をいうと、北朝鮮問題というのは、アメリカがその気になれば、一ヶ月くらいで全部解決してしまう話なのです。

(じゃあ、なぜアメリカは北問題を解決したくないの?という話は、また後で。)

6カ国協議の参加国(おそらく日本以外)は、全部この辺のロジックに気がついています。朝日新聞06年10月5日付にこんな記事がでています。

「「冗談でも言うな」「安保理は分裂」 声明案で米大使
(中略)
 北朝鮮の核実験声明に対応するため、国連安全保障理事会が4日に開いた非公開協議で、米国とロシアの国連大使が激しい応酬を展開したことが、複数の出席者の証言から浮き彫りになった。」
何をそんなにもめたのでしょうか?

「チュルキン大使が中国の努力を評価したうえで「影響力のある国がもう一つある。米国はなぜ直接協議に応じないのか」と発言した。」(同上)

そうです。ロシアの国連大使チュルキンさんは、「アメリカがその気になれば、北問題は解決できる」ことをしっているのです。で?

「これに怒ったボルトン氏は「すでに6者協議の一環でやっている」と応じ、激しく反論し、言い合いとなった。米朝協議に言及したことをチュルキン氏が「冗談だった」と弁明しても、ボルトン氏は怒りが収まらない様子。議長である日本の大島賢三・国連大使が「安保理の結束が大切なので、今日はこの辺で」と引き取った。」(同上)

米ロの代表が口論し、日本の大使が「まあまあ。和をもって尊しとしましょうよ。聖徳太子もいっていますから」。さすが共生の国日本であります。皆さん、ボルトンさんが何で怒ってるのか理解できます?

RPEを読んでない人は、なんのことやらさっぱりわからないはずです。これはチュルキンさんが、アメリカのもっとも痛いところをズバリと突いたので、怒っちゃたのでしょう。

もう一国、アメリカの本音を知っているフランス。ロシアに助け船を出します。

「一方、フランスの国連代表筋はボルトン氏のこの発言に対して「ここ数日で声明を出さなければならないという点でほとんどの国はすでに一致している。ボルトン氏の方が孤立ぎみだ。彼の言う通り安保理は分裂しているが、14対1だ」と皮肉った。」(同上)

どうです? 想像ですが、皆うざったいのですよ。「ロシアは、6カ国協議に一生懸命じゃない!」などと批判する人もいます。しかし、正直北問題は、アメリカと北が話し合えばすぐ解決する。ロシア大使は「アホくさ」と思いつつ、鼻くそをほじくりたくなっているに違い
ありません。

次に疑問が出てきます。

「アメリカが2国間協議に応じないのは、現状を維持したいからだとわかりました。現状維持なら、金正日も枕を高くして寝ていたらいいでしょう?どうして、ミサイルをぶっ放したり、核実験をする必要があるのですか?」

ですね。ということは、金さんは相当追い詰められていて、何とかアメリカを協議に引っ張り出したい理由があったということになります。一体なんでしょうか? ミサイルの時にも書きましたが、それがアメリカによる金融制裁。

アメリカ政府は05年9月、マカオの銀行「バンコ・デルタ・アジア」(BDA)が北朝鮮の資金洗浄に使われているとし、米金融機関との取引を禁止しました。

この発表を受け、BDAでは取り付け騒ぎが起こった。そして、中国当局は北朝鮮関連の口座を凍結する決定をしました。実はこの措置が案外効果があったのですね。北朝鮮はただでさえ貧乏。独裁国家の金(かね)は、零細企業と同じ。零細企業って、社長のお金と会社の金の区別がないでしょう。

それと同じで、北朝鮮の金(かね)は金正日の金(かね)。自分のお金を自由に動かせなくなった金正日。困ってしまって、中国に泣きついた。中国経由でアメリカに圧力をかけてもらおうと。

共同通信06年2月11日付は、金正日が1月に中国を訪問した際、胡錦
涛国家主席に、「アメリカの経済制裁が続けば、北朝鮮体制が崩壊す
る恐れがある」(アイゴォ!)と訴えたと報じています。

ところがアメリカは聞かないどころか、金融制裁をますます強めることにした。今年1月、アメリカのグレーザー財務副次官補(テロ資金・金融犯罪担当)は、東京・ソウル・北京・香港・マカオを訪問。「北朝鮮の違法行為にか関わるなよ!」と強く要請(命令)します。


2月初め、アメリカばかりではなく、今度は日本の大手銀行がBDAとの取引を中断。マジで困ってしまった、北朝鮮。ちょっと疑問がわいてきますね。

「とはいえ、アメリカの制裁はマカオの銀行一行と米金融機関の取引を禁止しただけでしょう?それが、本当に効果があるのですか?」

こういう質問は当然出てきます。これに対する回答が、06年2月14日付ウォールストリートジャーナル(WSJ)にでています。

同紙によると、アメリカ政府がBDAに金融制裁措置をとった後、北朝鮮のかなり多くの貿易取引が中断されている。つまり、マネロンに使われているBDAばかりでなく他の合法的な貿易が止まってしまったと。

WSJによると、北朝鮮の銀行・貿易会社は取引銀行を探しているが、みつけるのが困難。また、「ピョンヤンの某銀行幹部は「BDA事態は、北朝鮮経済に予測よりはるかに大きな打撃を与えている」「資金がほぼ止まっている状況」。

中国の事業家は「現在、北朝鮮が原料代金をきちんと支払えない状況であるため、靴製造のためのゴムを送れない」と語っています。さらに。米紙フィラデルフィア・インクワイア5月24日付には、ピョンヤンのイギリス系銀行大東信用銀行(DCB)頭取のインタビューが掲載されています。

同行のコーウィー頭取によると、DCBではアメリカばかりでなく、他の外国銀行との取引中断や口座の閉鎖が続発しているとのこと。どういうことかというと、アメリカはBDAと米金融機関の取引を禁止した。ところが、他の銀行や貿易会社も、「後々アメリカ政府とのやっかいな問題にまきこまれたくないな」ということで、北朝鮮ビジネスから手を引いてしまった。そして、北朝鮮への資金の流入がとまってしまった。


2月16日。楊亨燮・最高人民会議常任委副委員長は演説で、「アメリカは金融制裁などによって6カ国協議の共同声明履行を全面的に拒否するという信義のない行動をとっている」と制裁解除を要求します。アメリカは無視。オンマ。金正日の焦燥は日ごとに募るばかり。(涙)

4月13日。北朝鮮の金桂冠・外務次官は、アメリカがマカオの銀行に対する金融制裁を解除すれば「6カ国協議に復帰する」と発言。いかに北が困っていたのかが非常によくわかる言葉です。アメリカはこれも無視。

困った金正日。また、中国に泣きつきます。中国の武大偉外務次官は4月26日、自民党の山崎拓前副総裁と会談。「アメリカに金融制裁を緩和するよう求める」と語ります。さらに、山崎さんに「日本も一緒にアメリカを説得してくれ」と要請。アメリカはまた無視。

もうニッチもサッチもいかなくなった北朝鮮は7月5日にミサイルをぶっ放します。アメリカはまた無視。結局、ミサイル発射も無視されたので、今回の核実験に踏み切った。目的は、米朝協議をすること。そして、短期的には、体制を脅かしている金融制裁を解除してもらうこと。(北は金融制裁を解除してくれれば、6カ国協議に復帰してもいいとしている。)長期的には、核兵器を廃絶するかわりに、体制を保証してもらうこと。ず〜と流れを追っていくとわかるでしょう。

アメリカが北朝鮮との交渉に応じず、追い詰めていったので、北は暴発した。アメリカが時期を特定できたかは別として、原因は「アメリカの制裁」であり、結果が「ミサイルと核実験」となります。

つまり予定どおり。(^▽^)(^▽^)(^▽^)

決して、金さんがバカだからとか痴呆症だからとかシークレットシューズだからとかいう理由ではないのです。昔日本も、アメリカに石油禁輸措置などで追い詰められ、真珠湾攻撃に踏み切りました。基本的パターンは同じです。

こんな風に書くと、「北野は北を擁護するのか!」とか「北野は反米なのか!」とかメールを送ってくる人がいます。私は事実を書いているだけで、別にアメリカが嫌いなわけではありません。むしろ日米ロ印の一体化を主張する、親米。

ではアメリカは、なんのために、2国間協議に応じず、北が暴発するよう誘導したのでしょうか?

(つづく)
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2006年10月15日(日) 消費者金融に、天下り?

きょうは朝から出校して仕事した。
校舎や職員室の鍵を持っていた野球部の顧問は、部活が終わると帰ったので
朝から夕方まで校舎にいたのは私ひとりだけである。
採点と授業の準備をバンバンやってしまうつもりだったが、
よくよく考えたら明後日の県の理事会の資料を頼まれていたので、
それを準備して印刷しているうちに、さらに考えると他の資料も必要、、、
結局5種類の資料を準備し終えたのが3時半ごろである。
採点は1時間ちょっとしかできなかった。
帰るころにはもう、頭も目もぼぉ〜〜っとしていた。
もちろん、きょう1日の仕事は、やってもやらなくても1円の違いもない
まったくの無償奉仕である。
誰かに褒めてもらえるわけでもない、精神的にも無償奉仕である。
時間と労力で、ささやかな安心を買うだけのものである。

昼食をとりながら新聞を見ると、朝日の1面トップの見出しは、
「消費者金融 天下り23人」
何のこっちゃい、と思いつつ中味を読んでみると、
旧大蔵省や財務省のOBが、武富士・プロミス・アイフル・アコム・三洋
など、大手消費者金融5社に天下りしていたという話である。
こういう業界の監督役だった人たちが、より監督強化するために
監視と倫理のために採用された、、、というわけではないようだ。
会長(!)・社長(!)・副会長・副社長の地位についた人もいるようだ。
監督強化どころか、銀行に対する看板役、役所へのとりなし役として、
重要なポストに就き、大いなる儲けに貢献していたような話である。

「国家公務員法は、離職後2年間は退職前のポストと密接な関係にある
 営利企業への再就職を原則禁じている。
 OBらの大半はこの期間が過ぎてから天下りしていた」

この「大半は」というのも何か妙な感じがするのだが、
いずれにしても、彼らは退職後に豹変したのであろうか?
官僚である間は、いささかの不正も見逃すまいと正義漢に燃え、
最終食後は、どんな手を使っても我が社の発展あるのみと使命感に燃えた?
そんな豹変はあんまり考えられんわなぁ。。。
要するに、あの、国家の中枢部には、金儲けして裕福すぎる生活を求め、
有力者たちの社交界でガッハッハと笑っていたい連中がうようよしてるのだ。
金儲けのためなら手段を選ばぬ連中が。。。

昨日、貧民救済支援を目的とする金融業者の話を読んだので、
この記事が格別印象に残ったのだった。




2006年10月14日(土) ノーベル平和賞

今朝はのんびり朝の光の中で朝刊を読んだ。
こういう休日の朝を過ごせるのも珍しいことだ。
ま、明後日返却すべきテストの採点は昨日何とか済ませて来たし、
明日はまた休日出校して仕事を片づける予定でもあるからだし、
きょう予定していた市吹のための楽譜書きは、
無理にきょうやらなくても、今月中にできればいいと判断するからでもある。
ま、ちょっと開き直ってのんびり新聞に目を通していたのだが。。。

今朝の記事でもっとも驚いたのは、ノーベル平和賞を受賞した
ムハマド・ユヌスとグラミン銀行の記事である。
恥ずかしながら初めて知ったが、こういう人もいたんだぁという驚きである。
それで、検索して彼について書かれたサイトを読みあさった。

ムハマド・ユヌス(グラミン銀行創始者)

第9回日経アジア賞 経済発展部門

グラミン銀行訪問記

貧民銀行−たった6ドルで人生が変わった

読書ノート/ムハマド・ユヌス自伝

・・・・・などなど。


アメリカで最新の経済学を学び、意気揚々と帰国した高慢な経済学博士が
最下層の貧しい生活を目のあたりにして始まったマイクロ・クレジット。
この、現実の中に入って行って胸を痛めるというところが
すばらしいではないか。
政治家にこそこういう目と心を持ってほしいと思っているのだが。。。

消費者金融・高利貸し問題が出てくるたびに、
ぎりぎりの資金繰りに苦しむ人たちを支援する何らかの機関が
少しは現れんのか、と、漠然と思ったりしたものだが、
もう30年ももっと悪条件の人々を支援してきた人がいたのに驚きである。

しかし、この方法が、全体的に贅沢になってしまった日本のような社会でも
生きるのかどうかとなると、かなり疑問だなぁ。。。

しかし世界はそうでない。
20億人以上が飢えや貧困に喘ぎ、何秒かに一人が餓死している。
一昨年に書かれたらしい記事では、このマイクロ・クレジットの利用世帯は
4000万、翌年には1億をめざすと書かれている。
途上国だけでなく、先進諸国の貧しい地域にもこのシステムが広がり、
60カ国ほどに及んでいるという。
その中で貧困層から脱しられたのは半数ほどだとも書かれている。
それだけでもすごい成果だと思うのだが、
世界中の貧困人口は気が遠くなりそうな数字である。

「2015年までに世界の貧困人口を半減させる」ことが、
ユヌス氏の人生の最終目標なのだそうだ。

こういう話に接すると、いつもそうだが、
自分の存在がいかにもつまらなくちっぽけに思われて、イヤになってくるわ。
・・・でも、気を取り直して、きょうすべきことをちゃんとしないとね。。。



2006年10月13日(金) 「プロデューサーズ」

うーーむ、、確かにミュージカルは楽しい!! 拍手!!
と思わされる映画である。
宣伝文句にも、
《「オペラ座の怪人」「シカゴ」を超えた!
 トニー賞史上最多12部門受賞のブロードウェイミュージカル》
とある。
「オペラ座の怪人」や「ミス・サイゴン」とは音楽のジャンルが違うので
比較はしにくいと思うが、
「シカゴ」同様、ショー的要素の楽しさは満喫できた。
物語は「シカゴ」よりうんとわかりやすく、笑える要素も多い。

おカマ集団は出てくるわ、劇中劇の台本はヒトラー賛美だわ、
私の趣味からして憂鬱な素材が入っていて、非常に心配していたが、
実際それほど不快な思いをしないで済んだ。
とにかく、ミュージカル部分が、音楽も振り付けも実に楽しく作ってある。
この映画の目玉の「最低の台本・演出家・キャスト」による、
ヒトラー賛美の歌と音楽が始まった時、
観客がみな、口をあんぐりと開けて呆れて見てるところが最も笑えた。
やがて観客は次々に怒って席を立って帰ろうとする。
ところが、ある瞬間から、観客は席に戻り、拍手喝采の大成功である。
それはほんのちょっとしたことなのだが、こういう喜劇では十分だろう。

予期せぬ成功を収めてしまった2人のプロデューサーズには、
それから二転三転の運命が展開されるが、
結局のところは、ひとりの青年の成長と友情、
そうしてミュージカルのすばらしさというテーマで全編が締めくくられる。
久々に、楽しく温かい映画を見ることができてよかった。



2006年10月12日(木) 北朝鮮とアメリカ

国連安保理では、北朝鮮への制裁をどの程度厳しいものにするかで、
かなり緊迫したせめぎ合いがこれからあるようだ。
すでに日本は独自に明後日から北朝鮮の船舶入港禁止にするそうで、
直接の輸出入(中国経由というのもあるそうだ)をストップするそうだ。
私のような素人の庶民から見ると、こういう意味での制裁で、
一番苦しむのはいったい誰なんだろうと思ってしまうのだが。。。
北朝鮮の政治的指導者層が、底辺の庶民のことをどれだけ考えているか、
まぁ、日本でもそう考えてないんだから、ほとんど期待できない。
また、北朝鮮への制裁のはずが、日本の業者にも打撃となる例もある。
そんなことを懸命に議論している国会等の様子を見て、
何か寒々とした思いにもなるのだが、さらに国会の様子の中で、
安保理の制裁決議案に盛り込まれる「臨検」(船舶検査)なるものの
「周辺事情」解釈の辻褄合わせを首相や防衛庁長官が熱弁しているのを見て
不安がいっそう募ってきた。

私が見ていたのはニュースステーションだが(10時台はそれだけ)、
安保理の審議とは別に、並行していくつかの会談が組まれており、
そうした会談の成り行き如何では、
明後日あたり中国かロシアの誰それが北朝鮮に向かうという可能性も
生まれるかもしれないという見方もあるようだ。
とにかく、平和推進国であるべき日本があまりカッカしてはいけないと
思うのだが、もっともカッカカッカしているようで不安だ。


昨日、橋本さんと昼食しながら北朝鮮の話もしたのだが、
その時の彼の見解が非常に興味深く、なるほど〜と思わせるものだったので、
新聞記事やサイトの記事を読むときにも、
彼の見解を裏づけるような資料がないかと思ったのだが、見つからなかった。
そんなことどこにも書いてないぞーー、とメールしておいたら、
彼のBBSに昨日の話をさらに順序立てて書いておいてくれた。
新聞やTVでは報道されない情報も総合しての見解なのだそうである。
BBSのカキコはどんどん奥に送られてしまうから、
きょうのうちにここにメモ(コピペ)しておこう。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
      北朝鮮とアメリカの国際戦略

北朝鮮を理解するには、戦前の日本を思い浮かべてみればよいと思います。
戦前の日本は軍部が天皇を傀儡にして、威張っていました。そして、
軍部が暴走して、15年戦争に突入しました。

その直接の原因は、アメリカをはじめとする列強の経済封鎖でした。
石油をとめられたら、もうおしまいだと思い詰めて、
最後は海軍まで同調して、無謀な戦争に突入したのです。
これによって、300万に以上の日本人の命が奪われ、
2000万人以上のアジアの人々の命が奪われました。

現在の、北朝鮮も、国を実質支配しているのは軍部です。
金正日総書記はその傀儡だと考えていいでしょう。
もちろん軍部も完全に一枚岩ではありません。
金正日も軍の一部に影響を持っていますが、
その基盤はそれほど確固としたものではないようです。

複数の消息筋の話では、
金正日の義弟、張成沢(チャン・ソンテク)労働党中央委第1副部長が
9月末に平壌市内で交通事故にあい重傷を負っています。
張成沢は金正日や北朝鮮に改革解放政策を導入しようとしている金正日や
北朝鮮政治経済の中共政治経済への一体化を進める
中共の胡錦濤に近い人物だといわれていました。

したがってこの事件は、「金正日や胡錦濤の反対勢力
(北朝鮮軍部やそのバックにいる中共の人民解放軍や長老)が仕掛けた陰謀」か脅しだという説が有力です。

同様の事故が、金正日の身辺で続発しています。
金正日自身が列車爆破事件であやうく暗殺されようとしています。
これらは解放政策に反対する軍部の保守派のしわざでしょう。
「金正日の最大の敵は、ブッシュではなく北朝鮮軍部だ」
といわれるゆえんです。
今回の核実験も、軍部の「暴走」とみたほうがいいと思います。

なお、アメリカはこうした北朝鮮の現状を正確に把握していると思われます。
そしてその立場は、金正日を追いつめることです。
つまり、北朝鮮の解放政策の邪魔をすることです。
アメリカはこの意味で、
実は、北朝鮮の保守的な軍部を応援しているわけです。
構図からいくと次のようになります。

 (!)アメリカ−中共解放軍−北朝鮮軍部(軍部独裁)
 (2)胡錦濤−金正日(改革解放)

韓国の政権は(2)を支持してきました。、
また、小泉首相も(2)の路線で走り出したのですが、
アメリカのブッシュに叱られて路線転換しました。
阿倍政権は(1)の路線を踏襲することになるでしょう。

アメリカや中共の保守勢力が改革解放路線を歓迎しないのは、
北朝鮮を軍事独裁国家として存続させたいからです。これによって、
アメリカはアジアにおける軍事プレゼンスを保つことが出来ます。

北朝鮮が軍事独裁国家としてがんばってくれれば、
在日米軍基地も存続できますし、
日本という経済大国をこれによって支配もできるのです。
つまり、アメリカの世界覇権主義にとって北朝鮮は
なかなかうまみのある「切り札」なのです。
こうしたアメリカの世界戦略の罠におちているのが
日本の政治家や国民なのだと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さらに、

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10月9日(月)に北朝鮮が核実験を発表してから、
世の中が大騒ぎをしています。
日本政府も北朝鮮にたいする制裁措置を早々と講じました。
安保理でも制裁決議が裁決されようとしています。
新聞を読むと、「狂気の金正日」などという文字が踊っています。

しかし、こうしたときこそ、腰を落ち着けて、
もうすこし広い視野から事件の本質を冷静に捉えてみる必要があります。
核実験をした北朝鮮は非難されて当然ですが、
なぜ、この時期にこうしたことが強行されたのか、
その行動の原因を考えるべきでしょう。

私はその背景に、北朝鮮の軍事独裁体制を温存させようという
アメリカ産軍複合体の強固な世界戦略があると考えています。
したがって、北朝鮮の行動に反発し、これを暴挙として非難し、
ただ制裁を講じることで、北朝鮮問題は解決しないと思っています。

何故、日本が戦争に突入したのかといえば、
戦争で得をすると思った人たちがいたからでしょう。
出世のチャンスがある職業軍人たち。
それから軍需景気を待ち望む財閥。
そして戦争に勝てば貧乏から抜け出せると考えた大多数の国民です。
こうした目先の欲につられると、
人は誰でも大きな見地から物がみえなくなるのだと思います。

現在の北朝鮮では軍部が特権階級です。
この特権を手放さないためには、
なんとしても改革解放政策は阻止しなければならない。
そのために軍事的緊張をつくりださなければならないのわけです。
そして、これはアメリカの産軍複合体の利害にも一致しています。

ゴールドマンサックス証券は10月11付けのレポートで、
「核実験実施により、安部首相の改憲構想に追い風」として、
「防衛予算の拡大の恩恵を受ける」として三菱重工を買い推奨しているそうです。
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2006年10月11日(水) 北朝鮮問題

きょうは午前中はずっと試験監督、
午後は校務もあり、試験の印刷や採点もしなければならなかったが、
その合間に、朝日・毎日・中日の北朝鮮関連記事を読みあさった。
昼は、橋本氏とこの件について話した。
夜も、サイト検索してさまざまな記事を読みあさった。
晋ちゃんの「行くとも行かないとも言わない」靖国参拝宣言を思いつつ、
日韓併合の歴史について書かれた記事も読んでいた。
さまざまな思いが去来するだけで、考えがまとまらない。。。
きょうはそんな1日だったと言うにとどめておこう。



2006年10月10日(火) 皮肉な自由

午後から鶴舞公園の中にある勤労会館に出張だった。
考査中の出張は実に迷惑である。
試験問題を作ったり採点したりする午後の半日が潰れてしまうからである。
昨日作り終えるつもりだった試験が、結局できずじまいだったので、
きょうは一層、出張が迷惑に思われた。

こういう日の出張は、早めに出て、のんびり外食して行くものなのだが、
ぎりぎりと思われる時間まで試験問題の草稿を作って出かけた。
電車では遅刻しそうだったので、車で会場まで出かけた。
そうしたら意外と早く、30分も早く着いてしまった。

30分の余裕の時間ができた。

昨日も一昨日も、1日自由だったが、試験問題が気になってしょうがない
中で、伸び伸びすることができなかった。
好きなことを思い切りする前に試験問題を作らねばならず、
抑圧状態の中で、昼寝したり、掃除したり、報道に耳傾けたり。。。
宿題をしなければならないのにそれから逃げ回っている子どもと同じである。

しかし、その30分に喫茶店や会館の長椅子で
試験問題を作るわけにもいあかないし、採点するわけにもいかない。
できるならやりたいが、そういう場所でやってはいけない。
困った不自由な状況である。
しかし、そういうことのできない不自由な30分を得て、
私は、公園内の散歩をすることにした。
25分ほど公園内を歩き回った。
最近一番したかったことをしたのである。
快晴で風の穏やかな、爽やかな空気の中をのんびり歩くこと。。。

時間を多少気にしながらではあったが、すばらしい解放感だった。
不自由だからこそ、このささやかな自由を得ることができた。
この3連休にも得られなかった自由な空気を吸うことができた。
何でもできる状況だったら、仕事に囚われて過ごしたに違いないのだ。

ちなみに、試験問題作りは、帰宅後一気に片づけた。



2006年10月09日(月) 北朝鮮の核実験

今、午後2時ごろなのだが、、、、

午前11時ごろ北朝鮮が、安全で確実な核実験を成功させたと発表した。
各国は、まだその真偽を分析中である。
韓国は、北朝鮮北部の海に近いファデ郡の標高360mの山中で、
マグニチュード3.5から3.7程度の地震を観測したと言う。
揺れの型からして、人工的な爆発によるものであることは確からしい。
アメリカの観測によれば、マグニチュード4.2だそうである。
この地震の規模は、核実験が成功したにしては、小さすぎるそうである。
だから、これが本当に核爆発を伴う核実験だったのか断定できない。
そんなわけで、まだ核実験の真偽をめぐって大騒ぎである。

こういう時になると登場する、もうかなり有名になった軍事評論家が、
北朝鮮がどの程度の実験をしようとしていたのかわからないが、
少なくとも予定していた爆発には至らずに終わったのでないか、
しかし、起爆装置がとりあえず働いた、という意味での成功だとすれば、
一応核保有国として認めさせることにはなる、というような説明をしていた。

核実験の確証はまだ得られていないが、
中・韓・露の3国が北朝鮮に対して厳しい態度に転じている。
今まで対話による北朝鮮への説得路線を堅持していたが、
それを無視された結果になったからである。

・・・とりあえずここまでが2時ごろにわかっている範囲である。


今、夕方の6時ごろなのだが、、、

午後5時半までに、情報が少しだけ増えた。
日本の気象庁は、マグニチュード4.9を観測した。
例の軍事評論家の話では、4.2とか4.9となると、
広島に落とされた原爆並みの威力のものが実用的なレベルにあると
いう風にみなすことも可能だという。
また、ロシアの国防省は、特殊な技術(?)により核実験を確認したという。
冷戦時代の核開発で地下核実験を度重ねているノウハウの賜物だそうだ。
しかし、ロシア以外はまだ事実を把握できてないとしている。

それよりも、私がたいへん気になったのは、
韓国の大統領の記者会見で、日韓首脳会談の内容報告をしている時に、
「歴史認識」の段になった途端に中継が切れてしまったことだ。
確かに、核実験の報道の最中に入ってきた中継だから、
その件に関する談話がその流れの中では必要なのだろうが、
それまで割と気さくに流暢に話していた大統領が、
非常に入念な前置きを用意しながら「歴史認識」の話題に入ろうとする
その瞬間にぷつっと切れてしまったのだ。

その後、晋ちゃんの会見が始まったが、
彼の報告にはこの「歴史認識」についてのやりとりの報告がなかった。
2番目に質問した韓国の記者が、靖国問題について、
晋ちゃんの「率直な感想と哲学」を問い質したが、答弁は抽象的。。。
どういう風に大統領にお話したのか、まったくわからない。

昨日の日中首脳会談でのこの件のやりとりにしても、
なぜあれでとりあえず収まるのか、一般人の我々には謎のやりとりなのだが
(まるで禅問答のような難解なものである。晋ちゃんの
 「行くとも行かないとも行ったとも行かなかったとも言わない」
 一時逃れ的な答弁に、それ以上突っ込まず、
 靖国参拝は自粛するという意味に解釈してくれたようなのだ。
 どうも政治家というのは、我々庶民とは別の言語圏にいるようだ)
きょうは昨日のようにすんなりとは行かなかったのではないだろうか?
本来、これがきょうのトップ記事になるはずだったのに、
北朝鮮の核実験宣言にトップを乗っ取られてしまった感じだ。


先日からしばしばラジオなどで聞いていたのは、
北朝鮮は経済的にも追いつめられており、
アメリカと何とか二者協議を行いたい、そのための切り札が
きょう意外と早く決行(宣言)された核実験ということでなる。
今のところ、アメリカはあくまでも六者協議に加わらせる方針で、
二者協議などに応じる考えはないと明言しているが。。。
まぁ、私などにはこれからどう動いていくのかよくわからない。
軍事行動に発展するのではないかという不安が先に湧いてくる。
もちろん、当面は経済制裁という形を取るのだろうが。。。
また、こういう状況が長く続いてしまうと、
再軍備を促す改憲論議が加速されそうな不安も湧いてくる。
確かに、平和憲法の大きな外敵は、
こういう軍備を盾に対話に応じない国でもあるのだ。


きょうはもう報道に進展はなさそうだから、これまでにしよう。
テスト問題をじっくり考える時間がなかった。
急いで作らなければならない。。。



2006年10月08日(日) 怠惰な休日

テストの一部を作り、床屋にも出かけ、、と朝から快調な出だしだったが、
昼からは怠惰な生活になった。
1時間ほどTVを見て、その後ちょっと横になったら、
すぐに眠りに落ちて、時折目が覚めても起き上がれず、眠り続けた。
夕方、そろそろ買い出しに行かねばとむりやり起き上がったら、
妻が珍しく買いものに出かけていた。
私があまりにもよく眠っているので、諦めて出かけたらしい。
それから、洗濯物を取り込み、トイレ掃除、台所掃除、段ポールの整理、、
などをやった。
もうテストを作る気力が失せていたので、そういう仕事に逃げたのである。

昼に見た1時間のTV番組は、信長まつりの実況生中継である。
昨日と今日が信長まつりだということを、橋本氏の日記で知った。
地元の行事を他県の人に教わったわけである。
もちろん、見たこともないのだ。
1度だけ、名古屋かどこかで飲み会があった時に、
寄るところがあって市役所あたりから益まで歩く途中で遭遇したことはある。
数分立って見ていたが、あまりにも悠長な展開でほとんど1コマだ。
その時も、後から妻に聞いて信長まつりと知ったのだ。
小学6年生の時、鼓笛隊のパレードをさせられたのは、
確かこの時だったような気がするが、パレードをしただけで、
祭見物まではしていなかったはずである。

橋本氏が娘の写真を撮りに出てくるそうだし、床屋でも話題になったし、
いったいどんな祭なんだろうという興味も湧いたし、
親ばかぶりをからかいに行きたい気持ちも湧いたし、
ちょっときょうぐらいは見物に出かけようかな、と思ったのだが、
風が強いので自転車ではつらそうだし、バスで行くのかー、と思ったら、
たいへん億劫になってしまって、TVで済ませてしまった。
そうしてその後惰眠を貪ったわけである。
まったく、怠惰とぐうたらの象徴のような午後であった。



2006年10月07日(土) 中秋の十六夜月

昨夜はあっけなく宵寝してしまい、深夜に目が覚めた時には
夕飯の時、後で月を見に外に出てみようと思ったことなど忘れていた。
もっとも、昨日は1日中雨で、夕方には一時晴れたけれど、
帰宅するころにはまた雲が覆っていたので、夜中に見れたかどうか知らない。

きょうは日中は風が吹き荒れ、晴れてはいたが荒れた不安定な天気。
寒いのか暖かいのかも、一言では表せないような微妙な陽気だった。
市吹に出かける夕方は、重い雲と晴れ間の混在する空から雨が落ちていた。
しかし、市吹の練習場に向かう途中、西向きに走っている前方に、
出たばかりの十六夜の月が大きく見えた。
上下を厚い雲に挟まれて、くっきりと模様のある丸い月が見えた。
くっきり美しい月とは言えなかったが、微かに赤みを帯びた月で、
そのあたりだけが不思議な絵画のような光景だった。
そこへ、風に吹かれた灰色の小さなちぎれ雲が興を添えてくれた。

昔の人も、十五夜の月が見られなかったら、翌日の月を見たいと思い、
それが見られなかったら、またその翌日に月の出るのを待ったのだろうか?
十五夜を過ぎた後の月の名前はなかなか情緒が漂っているものだ。
十六夜の「いざよい」というのは、ためらうように出るという意味だ。
十七夜の月は「立ち待ち月」、立って待っているうちに出る。
十八夜の月は「居待ち月:、立っているのに疲れて座って待っていると
出る月という意味である。目安としてはこれが8時過ぎくらいである。
十九夜の月は「臥し待ち月」そろそろ横になって待って見る月である。

こういう命名は、新月、三日月、半月、十三夜、、、等々の命名とは
根本的に異なっている。
命名の中に、人間の営みや願望が現れているような命名である。
満月を過ぎた、ちょっと欠けたそんなに取り柄のない月に、
「いざよい」「たちまち」「いまち」「ふしまち」などと名づけた、
こういうのも日本文化の貴重な財産に思われる。



2006年10月06日(金) 古典文法教育

全日制の学校で教えるようになってから23年目になったわけだが、
現代文でも古典でも、結局のところ国語の授業では何を教えるべきなのか、
いまだにちゃんとした答えを出せずにいる。
生徒たちと関わっているうちにわからなくなったのである。
このことについて書き始めると、これでひとつの大きな話題になるが、、、

古典の授業でどれくらい文法に力を入れるべきかについても、
長年の悩みになっている。
それが悩みになったのは、それだけ生徒が理解してくれないからである。
動詞の活用さえなかなか定着しないし、助動詞の活用も覚えられない。
努力して理解しようとする生徒もいるから、
一握りのわかる生徒とちんぷんかんぷんの生徒の差が大きくなる。
実は動詞の活用や、助動詞の意味と活用を暗記できたところで、
それらが文章の中でどう生きて働いているかがわからなければ意味がない。
だからそれらの暗記は、ほんの初歩の必須であって、
こんなところでつまずいていては、文章の理解に入るのは至難なのだ。
ところが実際の話、2年生になっても3年生になっても、
まったくわからないまま進級している生徒がおおぜいいる。

若いころは、きちんと順序立てて教えれば理解してもらえると思い込んで、
工夫してプリントを作って教えたものである。
確かに、その教えた時にはちゃんと理解はしてくれるようである。
問題は、その理解が長続きはしないということである。
生徒たちの多くは、復習して自主的に覚えようとしないからである。
我々は、生徒たちのそういう習性を見落としがちである。
そこでしばしば小テスト攻勢に入るわけだが、
結局は、主体的な努力派とぼんやりな怠惰派の差を広げるばかりである。

いっそのこと、文法はなしにして、単語と文章の内容さえ教えればいいか、
とか、文法は後回しにしてまずは古文の音読に徹しようか、とか、
いろいろ試みたが、どうも具合が悪い。
私は高校時代、勉強というよりは趣味のように古文の音読をしていたが、
生徒たちはそう積極的に音読などしない。
それに、1年生の教材になっているような古文は、
そう内容的におもしろいものではないし、味わい深いものでもない。


10年ほど前に私は、まず動詞の活用を教える際の大革命を行った。
まず、何はともあれ、「かきくくけけ」から入ることにした。
それを口真似させ、サ行で言わせ、タ行で言わせ、、、
まず、耳と口でこのパターンを覚え込ませる。
次いで「ききくくるくれきよ」を口真似させ、サ行、タ行、、、
次いで「けけくくるくれけよ」を口真似させ、サ行、タ行。。。
それに慣れてから、実際の動詞の活用に入り、しばらくは毎時間練習。
パターンとその判別に慣れてきたら、変格活用も耳から教えて口真似させる。
口真似で全員が言えるようになるまで、書くなと言う。
また、この段階での画期的な点は、上一段・下一段を教えないことである。

これをやり始めて、動詞の活用についてだけは従来より定着したが、
助動詞や形容詞など、まだまだ不徹底な課題が残っていた。

現任校の1・2年生の古典の授業は、2クラス3分割の26〜8人制である。
今年、再び1年生の担当になったので、
今まで不徹底だったところを、開き直って徹底してみた。
要するに「耳と口から」を今までの数倍も徹底することにしたのである。
動詞の活用も、助動詞の活用も、形容詞の活用も、
耳で聞かせて口真似をさせるだけでなく、
授業の最初の15分くらいは、その復習で反復練習である。
順々に言わせていくので、これだけで生徒は2〜3回当たることになる。
人が当たっているときに勝手なおしゃべりをしない調教が必要である。
教材の文章は、活用語だけ品詞に分けて、活用を全部書かせ、
その中の何形であるかもはっきりさせる。
それもまた、ひとりずつ言わせながら進めていくのである。
最近は、その反応が非常に早くなってきた。

同時進行の他の2講座の先生たちは従来どおりに進めているので、
私の講座は遅れがちで、たいへんである。
しかし、基本的事項を問う学年統一の小テストをやってみると、
6割の合格ラインで不合格者が4割くらいいる中で、
私の担当クラスの不合格者はほとんどいなくて、
不合格だとしてもほんの1、2点足りない不合格である。
基本的なことはマスターしてくれつつあるらしい感触が最近の励みである。
こういう感触が長年得られなかった。

語学は「耳と口から」「反復練習と応用練習」を、
古文を教える上での原則にして、もっと広げようと思う。
昨日と一昨日書いた語学教育についての考えは、
きょうのこの話を書く前置きのつもりで書いた。

古文は、範疇としては日本語なのだけれど、箇所によっては、
英語やフランス語などの外国語の文章よりも難解な異国原語である。
この認識は大事だ。
しかし、今使っている日本語のもとのあり方の記録であることも確かだ。



2006年10月05日(木) 語学教育(2)

きょうは空き時間が1コマしかなかったが、その唯一の空き時間に、
背後の給湯室から、コーヒーメーカーが途中で止まってると訴えがあった。
見に行くと、入りかけたコーヒーが途中で止まっている。
コンセントをずーーっとたどって入っても抜けているわけではない。
しかしよく見ると、湯沸かしポットも冷蔵庫も止まっている。
これはブレーカーが落ちているとしか思えないので、配電盤を探した。
どこにあるか人に聞いても誰も知らない。
階段下の壁の箱を開けてみたけれど、違っていた。
事務室や職員室の中も見ながら廊下を3往復して、
今までぜんぜん気づかなかったが、階段下の階段のある壁に、
埋め込み式の大きな配電盤があることに気がついた。
壁と同じ面に似たような色で塗装されているので、意識しないとわからない。
事務に鍵を借りに行って、30ほど鍵がついている鍵束を渡され、
鍵を探すのもひと苦労だ。
ようやくその鍵を探し当てて開けてみると、たしかにそれは配電盤で、
スイッチはどれもオンになっていたが、ひとつだけ中途半端なのがある。
その該当場所を示すプレートを読んでも、職員室の給湯室とは書いてない。
しかし、さんざん迷った末、これ以外に考えられんわ、と、
いちかばちかで、いったんそのスイッチをオフにしてオンにしたら、
給湯室の方から、電気が戻ってきたと報告があった。
いつもより多く使ったわけでもないのにプレーカーが落ちたのは謎なので、
電気屋に見てもらうよう事務室に頼んでおいた。
貴重な空き時間がそんな風に潰れてしまった。


さて、昨日の続きであるが。。。

私自身は中学時代英語が好きで、よく教科書を読んでいただけでなく、
班活動の一環の勉強教え合いで他の生徒にいつも教えていたこともあって、
教科書は全部暗唱していたし、100点取らなきゃ恥と思っていた。
高校時代は、増える単語を覚えるのについて行けず劣等生だったが、
浪人して受験生となってからせっせと単語を覚えて、
上智大の、質より量みたいな、速読速解の英語の入試問題にも何とか
クリアした(受験に行くまで知らなかったので戸惑った)。
それが私の7年間の英語の勉強の概略なのだが、
ずーーっと英会話の方はからっきしダメである。

しかし、上智でフランス語を勉強したら、読めるようになるのも早いが、
何かの拍子にフランス語のセンテンスがパッと浮かぶようになった。
語学は耳と口から、繰り返すのが一番である。
実際、母国語の習得は、繰り返し聞いたことの口真似の繰り返しである。
理屈など何も習わないのである。
外国語を学ぶ場合には、機会が限られるので、理屈を併用して能率的にする
が、日本の中学・高校の英語教育は圧倒的に能書き優先である。
これでは英語表現に慣れるための能率にはならない。

この23年ほど、中学を中くらいから中の下くらいの成績で
卒業した生徒たちのめんどうを見てきたことになる。
たいていは、まず英語(と数学)の苦手な子たちである。
英単語テストを見るとびっくりする。
中一の基本単語から始めていることがあるが、それでもできない。
動詞の活用もまったくできていない。
教科書を独力で音読できない子が多い。。。
どうも、中学時代にろくろく英語の発音をせずに来たらしい。
それで、基本文型がどうの、前置詞がどうの、
と言ったってちんぷんかんぷんに違いない。

小学校に中途半端以下の申し訳程度の時間と経費を注ぎ込むよりも、
中学校の英語教育を充実させてほしいものだ。
大人数の一斉授業では無理である。
ごく少数の優秀な生徒たちが、塾の助けも借りて習得できるだけである。
教師とやりとりする中で繰り返し発音できる授業が必要だ。
5人から、せいぜい多くても8人くらいのクラスで学べるようにしてほしい。
かなりの経費が必要だろうが、税金の使い方を間違えなければ難しくはない。

この英語教育の失策も、形式主義でポーズばかりの教育政策に対する
私の数多い不平不満のひとつである。



2006年10月04日(水) 語学教育

妻が勤める小学校にもAETが来て、英語の授業を行うそうだ。
今年は特に家でそのAETの話題が出るのだが、
彼はドラムを叩くのが好きで、日本でもレッスンに通っていて、
英語の教員として雇われて来ているのに、
時間外にも喜々として金管バンドの子どもたちに教えてくれるそうである。
職員室でのようすは控えめでシャイな感じなのに、
授業では大きなアクションで子どもたちに英語を教えていると言う。

そのAETが週に何回来るのか尋ねたら、何と2週間に1回だと言う。
来ない週は担任が先週の復習をすることになっているとか。。。

ちょ、ちょっと待ってね、、、週1回で、しかも2回に1回は
私と比べてもはるかに英語を知らない妻が教えるわけ、、??

だから、いまだに「How are you?」の問いにもちゃんと答えられない、
AETが毎回頭抱えている、と妻は笑っている。

何という安上がりな語学教育であろうか。
こういう策を持ち込んだ我々の上層部でもある官僚たちは、
「やっております。進んでおりますでしょ?」
と悦に入っているのだろうが、現場からすれば迷惑な時間のむだである。
中途半端なことはやらぬ方がいいが、これは中途半端以下である。

私が英語の早期教育を反対するのは、どうせケチケチ教育財政だからである。
中学校でさえ、一斉授業の大人数でやっている。
しかも週3回きりだという。
授業中どれだけ発音する機会があるのだろうか?

私は日本の英語教育の根本的な誤謬は、文章主義の一斉授業だと思う。
少なくとも中学までは、最高8人くらいの少人数で、
会話中心の英語教育をするべきだった。
語学なんて、わけがわかってもわからなくても、
とにかく発音して、とにかく「こう言うもんだ」でいいのである。
理屈などは後でいいのである。
実際、我々は日本語をそうして習得してきたのである。

私のこういう考え方は、英語の先生たちにも極論だと思う人がいるらしい。
しかし、私がこう考えるようになったのは、
大学時代、上智のフランス語教育を受けてからである。
文法の講義など後回しで、とにかく絵を見ながらテープを何度も聞いて
覚えて来いと言う。
実に酷な宿題を毎週出されて四苦八苦した。
とにかく、よくわからなくても何度も口まねしておいて会話の授業に出る。
そうして、どんどん質問されるうちに、謎が解明されるのである。
それから文字化された文章を読んだり、文法を教わったり。。。


この続きは明日書こう。



2006年10月03日(火) 「青春歌年鑑’80年代」

・・・というタイトルの2枚組CDを買ってしまった。
先日、CMで見たフォークソングを集めたアルバムを買おうかと、
楽天で検索しているうちに、それが70〜80年代のバラード集になり、
さらに気が変わって、とりあえずこの2枚組CDに落ち着いたのである。

80年代というと、大学の5年目くらいから就職して7年目くらいである。
この時期に限らず、中学1年の時からずっとそうなのだけれど、
聞く音楽はクラッシックが主だったし、TVなどあまり見なかったから、
こういう歌の数々は、どこで聞いたのかわからない曲ばかりなのだが、
そこそこに耳慣れた曲がたくさんあるものだ。
当時は誰が歌っている何という曲か知らないまま耳に入っていて、
その後のさまざまな機会に知るようになったものも多い。
小学生のころ聞いていた歌謡曲やGSの曲のように、
積極的に何度も何度も飽きるほど聞いて、今思うと懐かしいというのでなく、
回数としてはそれほど多く聞いたわけではないけれど、
耳に入って来ていた中で、印象強く残りやすい曲だったのだろう。

今夜さっそく37曲ひと通り聞いてみた。。。

ダンシングオールナイト、異邦人、ルビーの指輪、大都会、、、

「異邦人」はとりわけ好きである。
期待してこの歌手のアルバムを借りて聞いたことがあるが、
いいのはこれだけだった。

スニーカーブルース、待つわ、ランナウェイ、ハイスクールララバイ、、、

そろそろ跳ばしてもいい曲が現れてきた。
しかし、「待つわ」はすばらしい。

聖母たちのララバイ、さよなら、恋人よ、哀愁でいと、心の色、、、

「哀愁でいと」以外は真剣に聞いてしまう。
特に「マドンナたちのララバイ」は火曜サスペンス見てたから。。。
「恋人よ」つらいなぁ、、、つらい。。。
「心の色」もあの頃から好きな曲だったが、
中村雅俊が歌っているのがいいような悪いような、微妙な点である。

SACHIKO、昴、愛はかげろう、メモリーグラス、もしも明日が、、、

「SACHIKO」と「メモリーグラス」はぜんぜん馴染みがない。
しかし「メモリーグラス」は去年か一昨年のある時に、
スター物まね大会みたいな番組で聞いて、それからちゃんと聞きたいと
思っていた。堀江淳なんて歌手の名前もその時まで聞いたことがなかった。
これもかなりの気に入りである。
「昴」というのは巷では人気らしいが、私はあまり好きでない。
「もしも明日が」は、定時制にいたときに、卒業式の後のお祝い会の
教員の余興のギター伴奏をしたので、必死に練習したから懐かしい。

パラダイス銀河、探偵物語、ダイアモンド、キャッツアイ、、、、

「探偵物語」はまず第一に赤川次郎の原作が好きである。
映画もレンタルビデオで見たことがある。
歌は原作のイメージとぜんぜん違うが、こういうムードの歌はすきなので。。

ジュリアに傷心、スイートメモリーズ、ワインレッドの心、、、、

「ワインレッドの心」を初めて聞いたのは、安全地帯の演奏でなく、
同僚のカラオケだったが、衝撃的だったな。。。

セカンド・ラブ、愛を止めないで、デイ・ブレイク、恋一夜、、、

「セカンド・ラブ」はあんまり記憶にないが、今夜初めて聞いたとしても、
これはいい曲だと思う。
ただし、「愛を止めないで」とそっくりなメロディーが多い。
要するに、泣きどころをちゃんとつかんでいるというわけだ。

時をかける少女、恋に落ちて、初恋、CHA-CHA-CHA、

「聖母たちのララバイ」の岩崎宏美にしろ「恋に落ちて」の小林明子にしろ
曲がいいだけでなく、ホントに歌が上手いと感心する。
「ルビーの指輪」ももっと歌の上手い人に歌ってほしかったなー。

雨音はショパンの調べ、星空のディスタンス、ロマンティックが泊まらない。

「雨音はショパンの調べ」は吹奏楽の顧問になってから、
部室の楽譜棚に吹奏楽譜があるのを見た。
題名に惹かれたが、どんな歌かぜんぜんわからなかった。
小林麻美は知っていたが、モデルだとばかり思っていた。
何年化してレンタルで借りて聞いて、洒落たムードがいいと思った。
しかし、吹奏楽でやりたい曲ではなかったので、楽譜は埋もれ続けた。



2006年10月02日(月) 健全なる寝坊

昨夜は0時半ごろに寝たのだが、私としてはかなり早い方だ。
それで、6時前に目が覚めてしまったのだ。
それで起きてしまってもよかったのだが、もう少し横になっていようと
寝直してしまった。
それから2度ほど目を覚ましたが、その時は起きる気力がなかった。。。

・・・ふと、追い込まれたような思いに襲われてはね起きると、
時計は7時半をさしていた。
いつも起きる時間より40〜50分も寝坊である。
大急ぎで用意をして出かけ、職員室には勤務時間2分前に飛び込んだ。

しかし、何となく体が軽い感じで、大儀な感じがしない。
仕事にもさっさと取りかかれる感じだ。
昨日まで睡眠不足に喘いでいたが、昨夜は7時間ほど眠ったことになる。
珍しいことだ。
出勤のために焦らされたが、いい寝坊になったのかもしれない。


ちなみに、私が遅寝なのは、早く寝ると早く目覚めてしまうからである。
9時に寝てしまったときは4時ごろまで眠りたいものだが、
たいてい2〜3時間ですっきり目が覚めてしまう。
修学旅行など、翌朝極度に早起きする必要のある夜はたいへんである。
4時半とか5時に起きるために11時ごろに寝たりすると、
寝つくのに時間を要するだけでなく、
夜中に何度も目を覚まして、寝続けるのに難儀をしなければならない。
ともかくもう少し眠っておかなければ、、、と耐え続けねばならない。
その闘いにへとへとになる。

通常の私の眠りは、すぐに眠りに落ちて、朝まで起きない。
子どもがまだ赤ん坊だったころ、夜泣きにめったに起きないので、
夜泣き知らず、と言って妻からしばしば嫉まれたものだ。
夜中の1時半とか2時ごろに寝て、4時ごろ目が覚めるなんてことはない。
たいてい、朝、目覚まし時計に起こされるまで深い眠りにいるようだ。
起きてから夢を見ていたという記憶がほとんどない。
宵寝は2時間程度で目が覚めるが、夜中に寝ると5時間程度で目が覚める。
寝る時間帯によってどうして眠り方が異なるのか、よくわからない。



2006年10月01日(日) 意地悪な雨

きょうは市吹が市からの依頼で毎年やっている市民体育大会の開会式演奏。
入場・退場用のマーチと式典音楽の演奏なのだが、
20分以上もかかる入場行進は、団員たちにはなかなかハードである。
毎年ほとんど同じ曲だとはいえ、新しく加わった団員もいるし、
毎年出られる団員ばかりとは限らないし、慣れる必要もあるので、
1カ月ほど前から毎週少しずつ練習を繰り返して来ているのである。

練習した以上はちゃんと本番もやりたいのが普通だけれど、
私はこの行事に限っては、雨で中止にならんかなぁ、、と毎年願う。
練習時間を割いたことが無駄になってもいいから中止になってほしい。
朝の集合が早いし、だいたいこの時期は休日がつぶれているからである。
朝、中止の連絡を電話で受けたら、ゆっくり眠り直したいのである。
そう願わない年は、混成バンドの練習が続いてある日だけである。

2、3日前から、きょうは曇のち雨という予報が確定していた。
とても朝から雨が降りそうには思われなかった。
今朝起きたときも、いつ降るかわからないくらいの風域は漂うが、
朝のうちに降りそうにはまったく思われなかった。
もちろん、団長からの中止の連絡も入らないので出かけた。

集合時間の8時半ごろまでは、降り出すのは2時か3時かと思っていたが、
それから急に暗く湿っぽくなり始め、
団員たちが控室から演奏場所に集まり始めたころにポツポツし始めた。
10分ほど前にはこんな事態はまったく想像できなかった。
気紛れのポツポツかな、と思ったらそうでもないらしいので、
急遽、大会役員がみな開会式のために出て空になったテントの中に、
団員たちを入れさせてもらった。
人間は濡れてもいいけれど、木管楽器や太鼓は濡らすわけにいかない。
私だけがテントの前で小雨に濡れながら指揮をするはめになった。

それから帰宅して、昼寝したいなと思いつつ、編曲の続きをやっていた。
坊ずが昼から太極剣(?)なるものを習いに行くことになっていて、
小雨程度なら自転車で行くことになっていた。
昼食を取りながら、本格的に降るのは夕方だろうと言っていたのだが、
12時半ごろになってひどい降りようになってしまった。
それで結局送り迎えをせざるをえなくなった。
最悪である。きょうの雨は朝も昼もタイミングが意地悪すぎる。
疲れているのにさんざんいじめられたという感じである。
しょうがないから、送って帰ってきてから1時間だけ昼寝をした。
妻も、勤務先の小学校の運動会で、やはり午後の雨が大変だったようだ。


夕飯を早めに終えたので、夜が長くなり、何しようか考えていたが、
フジテレビの「絶景」シリーズの番組を見始めたら、9時まで見てしまった。
きょうの絶景は、ビクトリア滝、中国の崋山、フィジー島、アラスカ北端。
旅行などぜんぜん行けないから、テレビ画面で楽しむしかない。
テレビ画面で楽しむことができるだけでも、ありがたいと思わなければ。。
きょうはそれを見る時間があったというだけでも、ありがたいことだ。

何のことはない、、、一昨日も昨日も、職場から帰るときに、
疲れて投げやりになっていたので、
テスト作る資料を持ち帰るのを忘れてしまっただけのことである。
だから、今夜は開き直ってのんびりと時間を使ったのである。
もちろんそのしわ寄せは明日以降のいつかに来るのであるが。。。


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