たりたの日記
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2013年01月28日(月) 南相馬へ


朝7時50分、石巻ベースのスタッフの方々に別れを告げ、南相馬へ石巻から南相馬市へ。石巻〜子午田〜仙台〜亘理〜相馬〜原ノ町と5回の乗り換えで4時間半、亘理から相馬までは常磐線の代行バスとなる。今回の旅の中では最も移動に時間がかかり、乗り継ぎが不安でもあったが、のんびりした在来線で車窓を楽しみながらの移動は新幹線では味わえない旅の面白さがあり、疲れることもなく、12時43分、原ノ町駅に着く。駅にはふうこさんとちかこさんが出迎えてくださった。お二人には12月15日の「ミシュカの森」のイベント、末盛千枝子さんの講演会で初めてお会いしてからの再会。あの時、南相馬をお訪ねしたいと話したことがこうして実現したことがまずはうれしかった。

絵本を作り、さまざまなアートプロジェクトで子ども達を支援しているふうこさんと自宅で文庫を開き、幼児と若いお母さん方を、また小学校や学童保育室で子ども達を支援していらっしゃるちかこさん。そんなお二人の活動にコラボさせていただく。

まずは南相馬市の火力発電所をひかえる浜辺へ。美しいとしか言いようのない浜辺、穏やかで人を癒すような豊かな海。この同じ海が牙を剥き、人々を動物を家を田畑を車を連れ去り、また押し返したことが信じられない。この浜辺からずいぶん離れた道路の上に船が打ち上げられていたと聞けば、その広範囲に及ぶ津波をようやく想像することができる。
ふうこさんは今真冬の風の中で波乗りをする、津波の後、海を憎いと思ったけれど、海が悪いんじゃない、海を憎んでごめんねと言って、また海へ入るようになったという。ちかこさんは海に向って絵本の朗読をなさったと聞いたので、わたしは海に向ってアメイジング・グレイスを歌った。ここから天国へ旅立っていかれた方々の魂へ向けて。

次にふうこさん達が連れていってくださったのは南相馬市の小高地区。尾高駅に車を止める。この駅からまっすぐに伸びている道の両側には店らしい面影も家家が立ち並んでいるが、誰も住んでいない、誰も歩いていないゴーストタウンのような町。震災後、原子力災害に伴う警戒区域に定められ、人の立ち入りが禁止された場所なのだ。現在は町への出入りはできるようになっても、インフラが整っていないので、ここでの生活は不可能。この土地を追われた人達はいつ戻ってきて生活ができるのか、この先の見通しも分からないという不自由と不安とを強いられている。ちかこさんの娘さん、めぐみさん(12月にはまぐみさんにもお会いしている)の婚家先の呉服屋さんはこの駅前通りにあるのだが、家の痛みが進んでいるため、立ち入り禁止の黄色いテープが貼られていた。こうして人の住まない家屋は朽ちて行く。早くインフラが整い、この町に住人が戻ってこれることを祈る。

午後3時、太田小学校の学童保育室へ。子ども達のいる場所はどこも独特の明るさとわくわくするような空気がある。わたしがザックからリコーダーを取りだすと、2年生の女の子たちが、わたし達もいっしょに吹くと教室に戻り鍵盤ハーモニカを取ってくる。たちまち賑やかな音楽が流れ始める。ちかこさんが、この土地の昔話を題材にした手作りの紙芝居を読まれるというので、ちかこさんの朗読のあわせて、即興で笛の音を入れる。絵本はキーツの The Snowy Day を子どもたちとやり取りしながら英語と日本語で読み聞かせし、マザーグースの「豆がゆあつい」の手あそび、イギリスの昔話から「カメの遠足」のお話をする。1年生から6年生まで10人ほどの子ども達と2人の先生方の学童保育室は家庭的な暖かさにあふれていて、見知らぬわたしを昔からの知り合いのように受け入れて下さった。この子ども達との時間も忘れることはないだろう、

学童保育訪問の後、ちかこさんのお宅の「チューリップ文庫」に立ち寄り、御茶をごちそうになる。たくさんの絵本や手作りの人形や手芸品など、子ども達が喜びそうな空間にほっかりする。お姉さんとお二人で文庫活動をなさっているというのも素敵だ。わたしも子ども達が小さな頃、団地の我が家で「たんぽぽ文庫」を開いていたので、ちかこさんの絵本や地域の子ども達への思いは良く分かる。文庫の気分を思いだして懐かしく、嬉しかった。

 午後5時原ノ町駅に戻るとこの旅の最後に会うことになっている、のぞみさんが車で待っていてくれた。彼女は仙台からわざわざ車で迎えに来てくれたのだ。アメリカに滞在していた時、コミュニティーカレッジで出会い、いっしょに勉強したり、買い物に行ったり、ピアノとバイオリンの演奏などもした友人だが、帰国後彼女はドイツへの駐在が長く、会うこともないまま20年が過ぎていた。20年のブランクはどこかへ飛び、仙台までの道中、また仙台駅から午後9時過ぎの新幹線に乗るまで話は尽きなかった。なんと貴重な再会だっただろう。

11時半家に無事帰り着き、旅はすべて予定通り終了。懐かしい出会い、新しい出会い、旅を計画する時にはまだ見えていなかったことがひとつひとつ実現し、たくさんの種となった。
そうだ、この東北の旅を記念して、春になったら、「南浜ひまわりプロジェクト」で咲いたひまわりの種をまこう。ここでも小さなひまわりプロジェクト・・















2013年01月27日(日) 石巻の被災地へ

朝目覚めると一面の雪。あまり雪の降らない石巻なのでこうした大雪は珍しいとのこと。まずは雪かき。この日は礼拝に出かけるスタッフや休暇を取っているスタッフもいたので、わたしもスコールジャケットと長靴という格好で男性2人のスタッフの雪かきを手伝う。車もすっぽり雪に覆われてているので、その雪を払うことから・・・。道の脇に積み上げた雪でゆきだるまならぬスノーウーマンを作ると、シスターすぎたが「カリタス石巻ベースへようこそ」という旗を作ってきて下さる。

午前中は支援のための手芸品のシュシュを作りながら、ベースの中にあるサロンにお茶を飲みにいらっしゃる方々のお話を伺い、午後はスタッフの方から車で津波の被害にあった場所に連れていっていただく。ボランティアで来た人を被災地へ連れて行くこともスタッフの仕事ということなのだが、予想だにしなかったことなのでほんとに有難かった。

まずは津波にすっかり呑みこまれた南浜町や門脇町へ。「がんばれ石巻」の大きな看板の前にはお供えの品々が置いてあり、そこが祈りのスポットであることが分かる。昨夜の雪ですっかり雪で覆われているのだが、雪の下にはまだ家財道具や生活用品がそのまま残っているということだった。雪から顔を出している歪んだやかんが目に止まった。目の前に白い棒が立っていて3月11日のこの地点での津波の高さ6・9mの位置に目印がつけられていた。その白い棒を見上げた時、その水の深さに息苦しくなった。今までに覚えたことのないその息苦しさがピタリと心に貼り着いたように今だに消えない。津波の後のしるしを見ただけでこのように息苦しいのだから、その中に波に呑まれた人たち、それを目にした人達の恐怖はけっして消えることはないだろうことが分かる。

沿岸部にある門脇小学校の校舎は一部焼けただれていて、洪水と火災の壮絶さを伝えていた。幸いにも児童達は教師の誘導ですぐ裏手の日和山へ避難し全員無事だったと聞き安堵する。
その日和山公園から被災した沿岸を眺めていると同じ場所で写真を撮っている外国人から声をかけられる。彼は東京に住むイラン人のフリージャーナリストアフシン・バリネジャドさん
被災の直後ここを訪れ、ボランティア活動をする一方で被災地の写真を撮り続けているという。石巻に来るのは今回で30回目だというので驚く。「この事を世界に伝えていかなくちゃならないです。この被害の中で混乱もせずに静かに受け入れている素晴らしい人達のことを世界に紹介したいんです」と流暢な日本語で話され、名刺も下さった。11月にはJICA地球広場で写真展覧と講演会を開かれたようだ。彼のように海外からのボランティアもたくさんいらっしゃることだろう。頭が下がる。お会いできて良かった。
車は女川町へ。この町では人口一万人強で800人以上の方々が亡くなられたという。そして忘れられない光景。大きな鉄筋コンクリートのビルがその土台のところから地面からはぎ取られ横倒しになっているのだ。しかも3箇所で。いったい何が起こったというのだろう。15メートルを超える津波がどれほどの破壊力を持っているかが、今だに放置されたままの横倒しになったビルが伝えている。それにしてもここにある女川原子力発電所が破壊されなかったのは不幸中の幸いだった。破壊され得ることもあったと思うとゾクリとする。
雄勝町、雄勝硯で有名なその町は、町そのものが津波にすっかり呑みこまれ、なくなっているのだった。
北上川本流を遡った津波が壊した鉄筋コンクリートの橋を見る。そうしてそのたもとの大川小学校後へ。108人の児童のうち、74人が死亡・行方不明だという。小学校の門の前には花がたくさん置かれ、まだ火の消えない線香が置かれていた。真白な雪野原の向こうに子ども達が描いたのであろう壁画が見えた。
あのシルエットは!近寄ってみると銀河鉄道の絵と宮沢賢治のシルエット、そして「世界が全体に幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない・・・」という言葉が壊れかけた壁の上にはっきりと残されていた。この絵や言葉を描いた子ども達、それを日々見ていた子ども達があの瞬間の津波にさらわれていってしまったという受け入れがたい事実・・・

テレビで繰り返し映し出される津波の映像があまりにつらく、途中からその事実から目をそらし耳を塞いでしまった。今、ようやく目を開けしっかり見よう、きちんと聞こうとしている。これまで同様、何ももできないことには変わりない。けれど受難の地を踏んだことで心の中に大きな変化が生まれていることは分かる。
被災地めぐりの後、追分温泉に立ち寄り、ベースに戻るとコンポステーラの巡礼路で出会ったカナダ人からメールが届いていた。そこには「あなたのカミーノからの種は成長していますか?」とあった。あの巡礼で手にした種の芽吹きがわたしをここへ運んだのだと思った。そしてここ石巻の巡礼でいただいた種はどのように芽吹くのだろうか。



シスターすぎたとスノーウーマン


津波の高さ6・9mの目印


日和山公園より被災した沿岸部を望む





大川小学校









2013年01月26日(土) 仮設住宅地でのお茶会

カリタスジャパン石巻ベースでの活動1日目

この日は3人のスタッフと共に仮設住宅の集会所でのお茶会へ。
8時半からの祈りとミーティングの後、茶菓子、コーヒー豆、コーヒーメーカー、お茶、お湯を入れたポット、水に至るまでワゴン車に積み込む。お茶会は朝10時から午後4時まで。三々五々集会所に集まっていらっしゃる方々のお話を伺う、いわゆる傾聴ボランティアだ。

お茶飲み話や井戸端会議が苦手なわたしにこの役割が果たして勤まるだろうかとこころもとなかったが、集まって下さった方々と過ごす時間は優しい時間だった。話しながら涙する方もいらっしゃるけれど、どの方にも大変なところを潜り抜けてきた故の深さと真摯さを感じ、こちらが浄化されるような気持ちを覚えたからだ。

また500戸近い仮設住宅の自治会の問題が噴出し、お互いに本音でぶつかりあう場面もあったが、それすら微笑ましくも思えるような優しさがあった。

長年仮設でのお茶会を続けている若いスタッフの方も同様の感想を持っておられた。彼女は、美しい人たちと出会ってしまったから、ここを去れないと言っていた。その言葉、感性にも胸を打たれる
伺った様々なエピソード、いっしょに歌った歌、おひとりおひとりの顔を忘れることはないだろう。心優しいスタッフの方々のことも。
この日シスターとゆっくり話す時間もあったのだが、その時、わたしがボランティアと言うより巡礼と思って来ましたというと、わたしもここへ派遣される時、巡礼に行くのだと思いましたよ。でも生きることそのものが巡礼ですけれどね。とおっしゃった。この言葉も忘れることはないだろう。
前日から感じてきたが、ここは巡礼路やテゼで宿泊した修道院の宿泊所と空気が似ている。スピリチュアルな場所・・・
わたしはただ一度の参加だが、ここのスタッフの方々はいくつかの仮設住宅の集会所で毎日のようにこの傾聴ボランティアを続けていらっしゃる。地道だがこうして弱い方々に寄りそっていくこと、寄りそい続けることがいかに大切なことか。

「みんな3月になったら石巻を引き上げると言ってるけど、カリタスさんは続けて来てくれるんでしょ」
その言葉が耳に残っている。




仮設住宅の集会所へ



め組Japanの被災地のひまわりを咲かせるプロジェクトの写真展に立ち寄る


2013年01月25日(金) 雪の盛岡へ


朝7時に家を出て、午前10時、雪の盛岡へ到着。
盛岡の友人と7年振り(これで2度目なのだが)にめでたく再会!

まずは「かたつむり号」というバスで盛岡城跡公園へ。降ったばかりの雪が木々を覆っていてそれは美しい雪景色。家から持ってきた自家製バナナケーキをいっしょに食べながら歩く。あんまり白い雪が美味しそうなので、バナナケーキにのっけては食べた。我ながらヘンな人と思いながら。

「ね、次はどこへ行くの?」
「ないしょ」
らしいな(笑)ようこさんもおなじくらいヘンな人。

石割桜、啄木新婚の家、もりおか啄木・賢治青春館へ。ここで美味しいコーヒーをご馳走になり、北上川沿いを歩き、賢治が「注文の多い料理店」を出版した「高原社」へ。
道のあちらこちらにブロンズの賢治像や賢治をしのぶものがあり、賢治の街なんだなぁと思う。前にようこさんに会った時には岩手山を望む小岩井農場やイギリス海岸や賢治の生家を案内してもらったのだった。その時のことも思い出しながら北上川の眺めも心に染み、美しい雪の中の印象深い散歩だった。

あたたかいうどんの昼食の後、ようこさんに別れを告げ、午後2時41分のはやてに乗り込む。仙台から小午田で乗り換え石巻へ。
午後5時半にカリタスジャパン石巻ベースに到着。
シスターすぎたが暖かく迎えて下さる。荷物を宿泊する部屋に置き、簡単なオリエンテーションを受けてから迎えにきてくれたゼミと山の仲間のあきこさん(彼女はこの暮れまで石巻災害復興支援協議会で働いていた)と石巻の街へ。
あきこさんとは三年か四年振りだろうか。そのうち石巻へ行くからと言いながらずいぶん時間が経ってしまった。
素敵なエスニックのお店で食事をしながら、ここに至るまでのいろいろな話を聞く。

「たりたさんは説明しなくてもなぜわたしがここに来たかったか分かるでしょ」
「分かるよ・・・」
彼女とわたしはほぼ同じ時期、山に魅入られたのだった。初めての山が雪の山いう冒険に満ちた山行きで。彼女はネパールの山にも一人で出かけていた。その行動力を羨ましく思っていた。

彼女がくれた『奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」』は石巻の被災の様子やその後のボランティア活動を知る上でとても良い本だった。
9時にベースの部屋に戻り二段ベットの布団にくるまりながらしばらくこの本を読みふけっていた。


盛岡城跡公園(岩手公園)


ヒマラヤ杉


石割桜


北上川







2013年01月24日(木) 受難の地へ

明日から4日間の予定で石巻と南相馬へ。
あの震災の時に覚えた衝撃、思い巡らしたことは、その本当のところは、口にしてもいないし、文章にもしていない。それに続く母の死、父の死と同様に、わたしの中でまだ解決していないこと、まだ終わっていないこと。

受難の地へ行かなければという思いはずっとあったが、こんなに遅くなってしまった。
受難の地への巡礼・・・ボランティアというよりはその想いが強い。
苦しみながら津波に飲みこまれた無数の人々、今なお苦しみを負って生きている方々、苦しんでいる生き物、土地。
それが自分にとって、けっして無関係ではないということは分かる。何もできないことも分かってはいるけれど、その地を踏まなければと思っていた。

単独でカリタスジャパンの仙台サポートセンターにボランティアの申し込みをした。26日、27日と石巻ベースに寝泊まりして割り振られた仕事をすことになる。おそらくは仮設住宅やホールでの傾聴ボランティアが主になるだろう。
何かをしてあげるというのではなく、寄りそうという気持ちでと、ボランティアの心得に記されていた。
寄りそうということをわたしは学ぶことになるのだろう。

28日は石巻から南相馬市に移動し、津波の被害の残る土地を案内していただき、その後、学童保育室での読み聞かせの活動に参加させていただく。

この旅で、震災の日、安否が気がかりだった盛岡の友人と仙台の友人にも会うことができる。また震災の後、石巻で復興の支援を続けてきた文学ゼミの友人とも。そして暮れに参加した末盛千枝子さんの講演会(ミシュカの森主催)でお会いした南相馬で子ども達を支援している二人の方にもまた。
懐かしい友人たちとの再会と新しい出会いの日々になることだろう。

しかし、ここに来て突然の膝の故障もまた意味があるのだろうか。今日整形外科へ行くと変形性膝関節症との診断され、炎症止めと湿布薬を処方される。明日からの旅行は問題ないがあまり歩き過ぎないようにとのこと。実際、膝がカクカクして乗り物の移動が精一杯のところだろう。
ゆるされるならば、その地をしっかり歩きたい気持ちがあったが、そうもいかないようだ。
それにしても尾てい骨だとか、腰だとか、膝だとか、なさけないこと・・・
いえいえ、行けるだけいい。動けるのだからいい。感謝。


2013年01月21日(月) オレンジ色の光に包まれて

雪の日から1週間。
まだ道の片隅や田畑に雪が残っていて空気は冷たい。
でも今日くらいは歩けるだろうと、伊奈コンポステーラを1時間半ほど歩いた。
春、夏、秋と季節の移り変わるこのは畑中の道をくりかえし歩いてきたが、褐色のこの冬枯れた道もとても好きだ。
午後3時半から歩き始めたので、ちょうど陽がゆっくりと傾いていくのを見ながら歩くことになる。ちょうど日没前は辺りがオレンジ色に照らし出され、夕陽が輝く。これは冬に、この季節に独特のオレンジ色という気がする。オレンジ色の光に包まれ、しばし至福を味わう。
一瞬のうちにこの光は消えてしまうのだが、地球の別の場所を照らしているのだ。

ミレーの晩鐘の絵を思い出す。
夕方、まだ農作業をしている中、教会から夜の祈りの鐘が鳴るのだろう。
夕暮れの中で祈る人の姿・・・

そういえば、ここのところ、2005年09月05日(月)の「たりたの日記」
< 小山清「落穂拾い」を読む> の検索でこちらにいらして下さる方々が多い。そこで、この記事を読み返してみた。
わたし自身、すっかり忘れていた小山清著の「落穂拾い」や「良きサマリア人」を思い出すことができた。










2013年01月16日(水)  「テゼの祈り」 事始め

この日は大宮教会での第一回目の「テゼの祈り」の日だった。
教会のメンバー11人の小さな集まりだったが、とても良い時間だった。

フランスのテゼ共同体で世界から集まってきた大勢の方々といっしょに声を合わせて歌いながら、また沈黙の中で、日本に戻ったら、2,3人の小さな集まりでも良いから、このテゼの祈りの集いを定期的に開きたいと思っていた。そしてそのことのために祈っていた。

今日はその祈りが聴かれ、テゼの祈りの集まりが、わたしの所属する大宮教会で開かれた記念すべき日。
これから毎月第3水曜日にこの集まりを続けていく。
わたし一人ではとてもできないが、教会の行事の中に組み入れられ、奏楽や受付、聖書や詩編を朗読も教会のメンバーがかかわって下さることになったのだ。

わたしの役割はテゼの歌の選曲をし、プログラムを作り、奏楽の練習(今回はリコーダー)やソロのパートを練習すること。また月始めの水曜日のテゼの歌の練習のリードをすること、つまりオーガナイザーの役割。

11月、12月と2度、テゼの歌の練習をしたが、その甲斐あって、今日の讃美はハーモニーがとても美しく、わたしのリコーダーはところどころ変な音が出たものの、まずは瞑想的なテゼらしい讃美になったと思う。

このテゼの祈りが、こうした時を必要としている方々のために広く開かれた場所になるといい。
そのように用いていただけますように。


この日のプログラム

      テゼの歌による祈りの集い

2013年1月16日 午後7時〜
於:日本ルーテル教団 大宮シオンルーテル教会

*祈りの順序は以下の通りで、間に歌をはさみながら進められます。
*短い歌が繰り返し歌われます。心を合わせ、祈りつつ歌いましょう。
*途中に長い沈黙の時があります。主の語りかけに耳をすませましょう。

・詩篇 33:1〜12
・聖書朗読 イザヤ60:1〜6       
・沈黙
・共同の祈り
・主の祈り
  天におられる私たちの父よ
  み名が聖とされますように
  み国が来ますように
  みこころが天に行われるとおり 地にも行われますように。
  わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
  わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
  わたしたちを誘惑に陥らせず
  悪からお救いください。
  国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。

主の祈りの後もしばらく歌が続きますが、いつお帰りになっても結構です。
    最後の歌の後も、礼拝堂では沈黙を大切にいたしましょう。

*大宮シオンルーテル教会では今年から毎月第3水曜日の午後7時より
「テゼの歌による祈りの集い」を持ちます。来月は2月20日です。
 
*集いに先だち2月6日(水)に、テゼの歌の練習をしますのでご自由にご参 加下さい。
 ソプラノ、アルト、テナー、バスのパートを練習します。楽器を演奏なさ る方は器楽用の楽譜もありますので、どうぞ楽器をお持ちになってご参加 下さい。


♪ 今日予定されている歌の歌詞 ♪

1 すべての人よ 主をたたえよ すべての人よ 主をたたえよ  (す1)
Laudate omnes gentes, laudate Dominum.
2 わが心 たたえよ主を いのちの主 聖なるみ名  (す5)
3 マラナタ 
4 いつくしみと愛のあるところ 神ともに  (す28)
  Ubi caritas et amor, ubi caritas Deus ibi est.
5 歌え主に感謝 めぐみ深い主に 歌え主に感謝 アレルヤ  (す21)
  Cofitemini Domino, quoni am bonus. Cofitemini Domino, Alleluia.
6 この暗闇 照らすあなたの火 とわに とわに消えない  (T1)
7 わたしたちが暗闇にとどまることのないようにキリストは光として世にこ  られた(う1)
8 主よあなたを見つめつづけ 待ち望む主の光 
  暗闇にさまよう時もあなたはわたしの主 わたしの道を知る(T139)
9 あわれみたまえ主よ  (す53)
10 主こそまことの救い とわの喜び わが力 わが歌 
           主のみを信じて けっして恐れない  (す2)
11 主は種を蒔く ひかりの種を 主は種をまく 喜びの種を (う30 )
12 たたえよ神を たたえよ神を ともに歌え アレルヤ  (す15 )
   Laudate Dominum, Laudate Dominum,omnes gentes, alleluia!
13 主に頼る人はさいわい 主に希望をおく人  (す6)
14 待ちのぞめ 主の日を 心を主にむけ  (す11 )
15 キリストの平和がわたしたちの心のすみずみにまで ゆきわたりますよ  うに(う20 )


  す  歌集 すべての人よ 主をたたえよ ( テゼ共同体の歌 )
  う  歌集 うたえ暗闇にとどまることのないように                   
  T  歌集 Taize


2013年01月14日(月) 雪の日

今日は一日朝から雪。
せっかくの雪なのに外に出ないのももったいないので、郵便ポストまで歩いてみるがなかなか大変。雪の伊奈コンポステーラ(とわたしが呼んでいる、近くのジョギングロード)を歩くのは無理だとあきらめる。
良かったのは、先ごろ買った、ランズエンドのスコールジャケット(ジュニパーグリーン、好きな色)の防水性が確認できたこと。

今日予定していた英語のクラス、中止にしたのは正解だった。保護者にクラスの中止を打診したところ「子どもは歩いてでも行きたいと言っていますが・・・と」。Hちゃんの言葉が身に染みてうれしく、来週の日曜日のサダナの黙想会をキャンセルし、振替の英語クラスをすることにした。

さて、2013年が始まって最初の日記。ブログは旅行記のようなまとまったもの、写真をたくさん載せる場合に用い、日記はやはりこちらにしようと思いながら、書くタイミングを逃していた。毎日、今日こそ書こうと思うのに、時間が見つからなかった。忙しいはずはないのに、忙しいのはどういうわけなんだろう。

今日は朝から雪、外は静か。
予定の仕事がなくなってぽっかりあいた時間、ここを開くのにふさわしい。

さて、遡って昨年、暮れから新年のことを記しておこう。


2013年01月06日(日) 奈良の写真 つづき








2013年01月05日(土) 奈良へ

奈良を歩くのは三度目ということになる。
一度目は、おきまりの中学校の修学旅行で。何も覚えていないと言っても良いくらいだが、鹿に餌をやっている写真があったことで奈良に行ったのだということが辛うじて分かるといったお粗末さ。
二度目は高校3年生の3月、奈良女の受験の後、いっしょに受験したクラスメートの親戚の人が、石舞台古墳のある飛鳥や天理市を案内してくれた。その清々しい風景や独特の町の空気はとても印象深く、受験はみごとに失敗したものの、あの受験旅行は思いがけず良い旅だった。

さて、今回はそれから40年近くも経て、夫と二人の旅。
宮崎の帰省の帰りに次男のいる大阪に立ち寄るついでに奈良を歩いてみようと夫を誘った。
奈良への憧れのようなものはあった。百人一首に出てくる奈良の都、折口信夫の「死者の書」に出てくる奈良の里。できれば、あの小説に出てくる山々に登ってみたいが、それだけの時間も体力もないので、せめて世界遺産に指定されているところを訪ねることにした。

4日の夕方に奈良に着いたので、まずは興福寺から東大寺へ。夕焼けに五重塔のシルエット・・・良く写真でみかける風景なのだが深く内に入り込んでくるような印象深い風景だった。

5日の朝、電車で奈良駅から法隆寺駅まで行き、そこから20分ほど歩き、法隆寺と中宮寺を訪ねる。
法隆寺のすっとした立ち姿の美しい救世観音、中宮寺の微笑の美しい菩薩半跏像に出会うことができてよかった。写真では伝わってこない、エネルギーというものがある。異なる仏像からは異なるエネルギーが届き、仏像によってその強さも違うように感じた。

午後、薬師寺と唐招提寺を回るが、夫もわたしも、この唐招提寺の境内が最も気に入った。この木々も池も建物も、その空間そのものが瞑想的な感じがあった。唐招提寺の金堂は奈良時代建立の寺院金堂では現存唯一のものだからだろうか、あるいは鑑真和上が戒律の道場として開いた寺だからだろうか、時間を経ても損なわれることのないスピリチュアルな空気を感じたことだった。

6日の午前中は東大寺ミュージアムと東大寺の大仏殿、二月堂と回る。
修学旅行で見たはずなのだが、目で見ても心では見ていなかったのだろう。
初めて目にする感動があった。
大仏、仁王像、日光菩薩、月光菩薩、どれも素晴らしかった。

















2013年01月03日(木) 西都原

宮崎に来てからずっと晴天が続いている。2日は温泉に出かけ、この日は義母の故郷の土地を訪ね、西都原古墳へ。

西都原古墳の広々とした公園では小さな子ども達が凧揚げをしていた。その子ども達の姿に、小さい頃の我が家の男の子たちの姿が重なる。
この西都原古墳も、いろいろな時期に来ているので思い出深い。子ども達と凧揚げをしたり、義姉と二人でジョギングしたりしたことが甦る。あの時は義父も元気で、わたしたちが走る間、義母といっしょに散歩していたのだったが。

夫と義姉が小さい頃から馴染みの鰻屋さんで食事をする。この鰻屋さんも義父が良く連れて来てくれた懐かしい店。今は人気の店になっているらしく、店の前には何人もの人が席の空くのを待っていた。

この鰻屋さんの隣にある神社は宮大工だった義母の祖父が建てたと聞いている。
神社の境内のそびえる樹齢千年の上穂北のクスを神社と共に写真に収める。


2013年01月01日(火) 元旦

義母、義姉と共に義母の通っている教会の新年礼拝へ出席する。
義母はもう一人でバスやタクシーに乗って教会へ通うということができなくなっているのだが、教会のお友達が母の送り迎えをして下さっていて義母も礼拝に参加することができるのはほんとに有り難い。

礼拝の後は義母も久し振りに家に戻り、義母が大切にしてきた赤い塗りの重箱に詰めたおせちで新年を祝う。

昨日はみんなで海辺へドライブし、しばらく輝く海を眺めていた。
この日も陽射は暖かく、眩しいくらい。
ゆっくりと時間が流れていく、静かな年明け。


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