ケイケイの映画日記
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2008年08月31日(日) 「アクロス・ザ・ユニバース」





実はこの作品の監督ジュリー・テイモアが苦手です。「ライオン・キング」などで鬼才の舞台監督として名を馳せてから撮った映画デビュー作「タイタス」を観ましたが、どーも鬼才過ぎてついていけず。作品の完成度は相当高いとはわかったんですが、「私ってすんごいでしょ〜、センス抜群でしょ〜、こんな才能、二人といないわよ〜ん」的ムードが充満していて、胸やけがしました。続く「フリーダ」は、ところどころ「才女よ〜ん」が顔を出すも、故郷メキシコの偉大な画家フリーダ・カーロを、渾身の演技で魅せたサルマ・ハエックに感激し、胸やけには至らず。そしてこの作品です。またまた「私ってすごいでしょ〜ん」的場面の続出に、白ける気分にはなったものの、全編流れるビートルズの楽曲の素晴らしさと、主演二人を始めとする出演者の瑞々しさと頑張りで、まずまず楽しませてもらいました。

1960年代のリバプール。造船所で働くジュード(ジム・スタージェス)は、まだ会った事のない米兵だった父に会いにアメリカに渡ります。ひょんな事から名門大学に通うマックス(ジョー・アンダーソン)と知り合ったジュードは、マックスの妹ルーシー(エヴァン・レイチェル・ウッド)に惹かれます。今後のことで父親と対立したマックスは、ジュードを伴いNYへ向かいます。間借りした家は、セクシーな歌姫セディ(ディナ・ヒュークス)を初め、少し風変りなアーティストの集まりでした。毎日刺激的な日々を送る二人の元へ、恋人が戦死してしまい失意に沈むルーシーがやってきます。

ビートルズがとにかく凄いと感じるのは、時代・年齢・性別を超えて、誰もが曲を知っているということです。ミュージカル仕立てで、全ての曲はビートルズの曲であるこの作品は、大胆な試みではなく、実はアイデアだけで勝ったも同然だったんだとは、映画が始まってすぐわかります。

ゴスペル風あり、R&B風あり、ソウルフルあり。優しいバラードも熱唱型のバラードになっていたり、多彩なアレンジでとても楽しめます。アレンジの上手さもさることながら、これはビートルズの楽曲が如何に素晴らしいかの証明にもなるなと感じました。

前半は何にも問題なし。テイモア女史の才気も、この楽曲がこのダンスシーンにこんなにマッチするのかと、感心。私が特に好きだったのは、ビートルズで一番好きな曲「カム・トゥギャザー」にのせて、猥雑で刺激的なNYのダウンタウンを表現しているミュージカルシーンです。その他こった美術で表現された徴兵検査のシーンなど、そのまま舞台で使えそうでした。それが後半、段々雲行きが怪しくなります。

これでもかと繰り広げられるおサイケなシーンの連続は、当時のベトナム戦争反対の時に起こった、フラワーチルドレンのムーブメントを表現しているのだと思います。しかしこれが5分程度のミュージッククリップならともかく、洪水のようにあれこれ繰り出されては、もうゲップが出ちゃって。斬新さを求めるせいか、グロテスクな趣向も見られ、段々首を傾げてしまいます。

そこを救ったのが、若さの特権である政治への怒りや恋愛、才能の開花への苦悩など、青春の光と影の瑞々しさを描くストーリーです。深みのほども浅からず深からず、バックに流れるビートルズの名曲と上手く共存していました。

瑞々しさを更に協調したのが出演者たちです。主役のスタージェスとウッドは清潔感があり、汚らしい場所にいても決してそれが埋没しません。これが若さなんだなぁと痛感。他の出演者も、歌姫役ヒュークスの歌声が素晴らしかったです。

画像のデモ行進は、ベトナム戦争反対のデモです。こうして見ると、地球の苦悩は延々と場所を変えて続いてるのですね。それを音楽の教科書に載る、将来は立派な「クラシック作曲家」ビートルズで表現するのは、戦争反対の祈りも、永遠に続くと表現したかったのかなと、今感じています。


2008年08月28日(木) 「セックス・アンド・ザ・シティ」




レディースデーに「SATC」を観る、という誠に正しい鑑賞です。そう思う人が多数おられたみたいで、平日のラインシネマ、久々の盛況でした。ドラマは全く未見でしたが、あらゆる女性雑誌でこの作品の特集を組んでおり、主要四人のキャラと、これまでの粗筋を頭に叩き込んでの鑑賞でした。いや〜想像以上に面白かったです。通俗的でありながら、辛辣でリアルな描写も含み、中年女性たちを描く「ガールズムービー」という趣でした。

ドラマ終了から四年。PR会社社長のサマンサ(キム・キャトラル)は若い恋人スミスと変わらずロスに住んでいますが、事あるごとにNYに帰ってきます。シャーロット(クリスティン・デイビス)は夫ハリーと仲睦まじく、子供が出来ないため中国から養女のリリーを迎え、ますます家庭は円満に。ミランダはバーテンのスティーブと結婚。一人息子は5歳になりますが、認知性の義母の介護や、仕事と家庭の両立の大変さに疲れ気味です。そんな中、キャリー(サラ・ジェシカ・パーカー)は作家として三冊本も出し、長年別れと再会を繰り返してきたミスター・ビッグ(クリス・ノース)との仲も順風満帆。ようやく二人は、結婚へと話が進みのですが・・・。

本当に作り方が上手い。びっくりしました。ドラマの粗筋をたたき込んだくらいの私でも、充分楽しめます。華やかなNYでキャリアウーマンとして成功している、まずこの部分で少数派のはずの女性たちなんですが、キャラの肉づけが、幅広い層に理解と共感を呼ぶようにしてありました。仕事と家庭の両立、不妊の悩み、自分を押し殺しての若い恋人と恋愛は本当に自分らしいのか?否定していたはずの結婚が40にして決まり、潜在的な結婚願望があったのか猪突猛進になってしまい、花婿は置いてきぼり、などなど、40代の女性の悩みの博覧会のようです。

賢明な答えはすぐに出ず、悩み苦しみズタボロになる姿は、とっても人間臭くそして愛らしい。普通は仕事にも成功、美貌にも恵まれファッションはブランド品に囲まれて、男も不自由せずの女性たちなんて、鼻もちならないはずなのに、あぁ私たちシモジモの女と同じ悩みを抱えているなんて、やっぱり女同士よねぇ・・・と、とても共感できるのです。一見完璧に見える女性たちの「弱さ」の見せ方の上手さが、ドラマのヒットの要因の一つだったのでしょう。

そしてとても潔いと思ったのは、男性の甲斐性をアテにする人がいなかったこと。たまたまミスタービッグはお金持ちですが、ストーリーからは、キャリーがそこに惚れたようには感じません。彼女たちから見れば、年収は数倍格下のスティーブに対し、他のみんなが好感を持っているのは、純粋に彼の人間性を観ているからでしょう。仕事もやっぱり頑張らなくちゃね。私は「この指輪は自分で買いたかった」と言った、サマンサの男前さに感激しました。

まずはその辺が前面に感じるので、ゴージャスなバカンスやファッションも、上手く女心をそそるポイントになっていました。私は正直このキャリー役で、サラ・ジェシカ・パーカーが一躍アメリカのファッションリーダーになったのが、とっても謎だったのです。スタイルはいいけど小柄だし、ハリウッド的美人とはちと違うし、個性派キャラというのでもなし。しかし画面に出てくるキャリーは、本当にどんなファッションもよく似合い、彼女なりの着こなしが出来ているのです。いくら素敵な服でも、着ているのがスーパーモデルでは観賞用になりますが、彼女の見事な着こなしを観ていると、自分だって頑張ればああなれるかな?という、女心を刺激したのでしょう。彼女の二の腕や太ももなどのしっかりした筋肉を観て、あぁ努力しているんだと立派に思い、私もサラが好きになりました。

そんな頑張っているキャリーが見せる悲惨な素顔や、他の三人が見せる女体盛りや全裸ファックシーン、お漏らしなど、普通なら下品に映るはずのものまで、爆笑したり痛々しかったり、感激で涙が出そうになったりと実に的確に挿入してあり、お見事。40女の赤裸々な悩みに伴う無様さが、こうもキュートの映るのかと感嘆しました。

男性陣の悩みも、私なんかには手に取るようにわかり、とっても同情しちゃった。優柔不断の中から、しっかりと誠意も読み取れます。彼女たちが怒るのも最もなんですが、結婚や恋愛は、正しい事が必ずしも正しいとは限らないもの。相手をどこまで受け入れるか、許せるか、それは当事者でなくては測れないものです。中年ならではの味わい深さで、それを感じさせてもらいました。

ラストも40女ならではの見識の高さと落ち着きを感じ、とっても良かったです。女の友情も捨てたもんじゃないと、胸を張れる作品です。女同士で観て、あぁでもないこうでもないと、鑑賞後話がはずむこと絶対の作品です。この調子で5年後10年後の「SATC」が製作されることを、熱望します。


2008年08月24日(日) 「デトロイト・メタル・シティ」




実はハード・ロックが好きです。ヘビメタももちろん含む。但し主に聞くのは70年代が中心という、云わば「ロック原始人」なため、今の曲はほとんど知りません。この作品の原作は未読ですが、私のテリトリーでもあるし、何より大好きな「KISS」のジーン・シモンズもご出演ということで、すんごい楽しみにしていました。演出にパンチ不足で、物足らない部分もあるんですが、たくさん笑ったし、まずまず面白かったです。

オシャレな都会的ライフを目指して、大分から上京してきた心優しき青年・根岸宗一(松山ケンイチ)。スイートな渋谷系ポップミュージックにはまり、夢はそのタイプの曲調でデビューすること。が!実際は悪魔的なデスメタル系バンド「デトロイト・メタル・シティ(DMC)」のボーカル、ヨハネ・クラウザー鏡い箸靴董大人気を呼んでしまっているのです。この落差に日々悶々としている宗一は、ある日学生時代の憧れの人、相川さん(加藤ローサ)と、町でばったり再会します。

とにかく松ケンがいい!白塗りのクラウザーと宗一では、衣装から仕草まで全く違うので、演じる方としては比較的ノリやすかったのでしょう。大げさな身振りで口汚なく大ボラ吹く「カッコいい」クラウザーと、クネクネ体を揺らしながら、心優しくも気持ち悪いマッシュルームカットの宗一を、怪演&好演。普通ならやりすぎだよの芝居も、とてもこの作品には合っており、照れも恥ずかしさもなく演じているのが、とっても好感を呼びます。松ケンは何をやっても暑苦しくなく、爽やか系の役もOK。これは演技力以前の本人の素地も重要だと思うので、今以上に化ける事必死だと思います。

怪演と言えば、所属のデス・レコードの社長役・松雪泰子も出色でした。表現方法は過激ですが、DMCへの愛情も充分感じられます。これも照れて演じれば萎んでしまう役ですが、これでもかのはじけっぷりと下品ぶりは天晴れで、きつめのS的美貌とも相まってとても良かったです。そう言えば若い頃から「とっても美人だけど何か変」のキャラだった彼女、年齢が行ってどういう風に変化するのかと思っていたけど、ヌードなんか使わず、女優として上手く乗り切ったですね。




その他DMCのメンバー秋山竜二&細田よしひこ、取り巻きの大倉孝二や岡田義則、お母さん役の宮崎美子も、みんなギャグの間合いや息の合わせ方も上手く、とっても笑わせてもらいました。唯一よくわからん仕事のメディアプロデューサー役の鈴木一真は、イマイチだったかなぁ。あれでは胡散臭過ぎて逆効果。谷原章介だともっと良かったかも。

加藤ローサの「顔が綺麗で心が綺麗」”だけ”の相川さんも、すごくいいアクセントでした。両方綺麗なら、普通は完璧でしょ?しかしこの相川さん、それ以上の女性的や人間的な魅力が、全然ないのですね。人間性が薄口過ぎてペラペラです。宗一の大学の後輩役高橋一生が、ちょっと天然だけど人柄の良さをとても上手く滲ましていたのと、比較して下さい。原作を知る息子に聞くと、原作でも相川さんはそうなんだって。これはローサ嬢の演技力不足が功を奏したのでしょうね、うんうん。

渋谷系スイートポップの住人は、幸せを呼ぶ歌詞とは裏腹、どうも実態なく雰囲気だけに流されている感があるのに対し、反社会的なデスメタル系住人は、根性と魂がメラメラ感じられるのは、原作でもそうなんでしょうか?それなら上手く作者のメッセージをすくい取ってもいました。ヘビメタへの熱い愛を感じました。

ギャグやストーリーは、原作から抜き出しているのでしょう。すれ違い勘違いのシチュエーションが上手に描かれていて、とっても笑えます。宗一の葛藤も本人は深刻、描き方はあくまで軽くというのは正解だったです。ただ宗一が「生れながらのデスメタルの天才」と、社長に言わしめるのは何故か、その辺はちょこっと描いて欲しかったと思いました。

あと楽曲のレベルが低い。ダメだしされる宗一が作ったポップスと五十歩百歩。というか、ポップスの方が良かったかも。この辺は結構重要だと思います。

で、ジーン・シモンズなんですが、伝説のデスメタラーで架空の人物役。う〜ん、DMCのビジュアルは、もろKISSのパクリでしょ?それならメイクして、KISSのパフォーマンスして欲しかったなぁ。「メイクしたら三千万、舌ベロベロ出したら一千万、火ぃ噴いたら二千万ギャラ上乗せね♪」とか、ジーンがぬかしたとか?それで実現しなかったというオチ?素顔に半分眼帯で顔を隠した姿を見ても、なんかありがたみも薄かったなぁ。ボーカリストとしてのジーンは魅力が薄いしね。ポール・スタンレーを呼んで欲しかった!というのは、個人的な私の趣味なんで、却下で結構です。中途半端な扱いなら、デスメタル系新旧対決として、デーモン小暮でも良かったんじゃないのでは?閣下なら何でもやってくれそうだしね。




他にも取り巻きの人数が少なすぎかなぁ。あれだけ日の出の勢いのグループなら、もっと楽屋外はファンがいっぱいですよ。重量感不足です。クラウザーは「一分間で11人レイプした」と言われているお方なのに、メインで頑張るファンは男ばかりで、グルーピーのお姉ちゃんは?映っているだけだったのが、少々物足らん。何かお姉ちゃんたちにもギャグして欲しかったです。同じメタル系女子バンドの衣装が微妙。年増の松雪泰子が、あわやパンチラか?というくらい頑張ってるんですから、若い美波がやるならこれくらい着な(←クリック)。まぁでも、これらってリアリティ重視し過ぎですから、別にこれくらいでもいいのかもね。

劇場は若い子で満員で嬉しい限り。色々文句も垂れてますが、李闘士男監督の二作目も、まずまずの出来だと思います。


2008年08月17日(日) 「ハムナプトラ3 呪われた皇帝の秘宝」




面白かった!今回中国に飛び、ジェット・リーやミッシェル・ヨーという、大物国際派チャイニーズ俳優を使っていたので、あの「ハムナプトラ」が、超豪華大作に格上げするのかしら?と思っていました。しかし!観ている時はとっても楽しく中身はスカスカ。まったくもって正しい、「超B級娯楽大作」でございました。

数々の冒険からは、今は隠居も同然のリック(ブレンダー・フレイザー)とエヴリン(マリア・ベロ)夫妻。相変わらず夫婦仲は良いものの、気がかりなのは一人息子のアレックス(ルーク・フォード)のこと。アレックスは大学を休学して、遺跡発掘に励んでおり、2000年前の皇帝陵を発見したのでした。折しも夫妻は外務省から「シャングリラの眼」と呼ばれるダイヤを、香港の博物館まで運ぶのを引き受けており、家族は香港でエヴリンの兄ジョナサン(ジョン・ハナー)と共に合流。しかし中国を最強の国にしようと企むヤン将軍(アンソニー・ウォン)が、将軍(ジェット・リー)を蘇らせようと、「シャングリラの眼」を狙っていました。

冒頭2000年前の中国を描いています。ハリウッド映画で描いていると思えば、なかなかしっかりした描写です(と私は思う)。CGも駆使して、見応えもあり。確かに世間様が言うように、この役(皇帝)はジェット・リーでなくてもいいけど、やっぱ作品の値打ちを上げるのにはプラスですよね。
横恋慕する憎たらしい悪漢なんて、リーにしては珍しく、キャスティングは良かったんじゃないでしょうか?

謎の美しき呪術師ツイにミシェル・ヨー。ヨー姐さんと言えば、コン・リーと並ぶ国際的中国系大女優ですが、この役はもうちょっと若い綺麗どころでも良かったよなぁと思っていたのですが、それなりに含みのある役でした。こういう無茶苦茶な設定も「ザ・中国四千年」と、ヨー姐さんの貫録で納得させられます。それにね、ジェット・リーとタイマン張れるのは、世界中探してもヨー姐さんの他にはいませんから。女も伊達に年食ってるわけじゃないぜという、良い見本です。

このシリーズは全部観ていますが、覚えているのは主要キャストとイムホテップとミイラだけ。他は「面白かったけど全部忘れた」、そんなシリーズです。そういう作風に嫌気がさしたのか、インテリ女優の誉れ高いレイチェル・ワイズは降板。代わって登板したのがマリア・ベロ。いつもはブロンドのベロですが、前任者にならってブラウンヘアで登場。が、とっても地味〜。年はさほど変わらないんですが(ベロが四つ年上)、とにかく老けたエヴリンで華がなさ過ぎなわけね。こりゃ色々言われそうだなぁと思いつつ観ていましたが、なんのなんの。脚本が「おばちゃんエヴリン」に合わせておりました。

息子は大学生だし、主婦として家族の絆は守らなきゃいけなし、息子の恋路も気にかかる。ええもうね、これぐらい老けてなきゃ、説得力がありません!それに前二作では覚えがないほど、今回のエヴリンはアクションもこなしています(忘れているだけかも知れないけど)。ベロの老けっぷりに引っ張られてか、全然若いままのフレイザーも、それなりに大学生の息子がいる風に見えたのですから、アップでお肌の荒れも晒したベロは、浮かばれましたね。フレイザーは相変わらず、漫画チックでユーモラスな役が良く似合い、今回も満点でした。ジョナサン伯父さんのユーモアも健在です。

たたみ掛ける危機また危機は、私はゴージャスな上海の街を車で爆走するプロットが一番楽しかったです。このクソ暑い夏に、雪崩シーンもなかなか涼しくて良かったです。唐突に雪男(イエティ)やドラゴンが出てくるのはちょっと笑えましたが、噴飯にはあらず。この辺はRPGのゲーム感覚という感じかな?ラストの戦いも強引にミイラに持っていってましたが、「ハムナプトラ」と言えばミイラなので、これも致し方なし。ワタクシは突っ込みませんので。

これは「ハムナプトラ」なんですから、豪華絢爛からちょい外れたキャストで、ストーリー運びなんかは二の次で、冒険娯楽大作を愛でれば良いわけで。中身がないだとか、ストーリーが強引だとか、必ずこの手の作品では言う人がいますが、それは前二作でわかってるでしょ?文句言うために観るなら、観ないでくんない?ジェット・リーやミッシェル・ヨーが出ていようが、中国四千年が舞台であろうが、いっしょですよ。これは「ハムナプトラ」なんですから。すんごいおいしいラーメン屋でも、手の込んだ高級懐石料理は出せませんから。娯楽大作で練った脚本と心理戦が観たい方は、迷わず「ダークナイト」をご覧下さい。もう一度言うけど、私は面白かったです。

次は南米ですってよ。また観なくっちゃ。


2008年08月13日(水) 「スカイ・クロラ」




10日から15日まで盆休みです。今年は姑の新盆なので何かと忙しい上、よんどころない事情で、夫は盆休み一日一回は仕事場へ顔出しと言う羽目に。うかうかしていたら、映画の一本も観られないので、優先順位下位の作品でしたが、10日の夕方、ちょっと時間が空いたので観てきました。押井守作品は、「攻殻機動隊」と「イノセンス」だけ。押井ファンからすれば浅い解釈でしょうが、私なりに咀嚼出来たし、映像のセンスも美しく、私とは相性の良い作家だとは感じていました。その感覚は今回も健在で、上記二つほどではありませんが、楽しませてもらいました。

世界的に平和が維持されている現代社会。人々は「ショーとしての戦争」を欲し、擬似的に民間会社が演出して利益を得ています。その会社の一つに所属する戦闘機パイロット、カンナミ・ユーイチ(声・加瀬亮)は、欧州のある基地に配属されます。ユーイチを含め、戦闘パイロットたちは全て「キルドレ」と呼ばれる少年少女たちです。「戦争」で命を落とさない限り、永遠に思春期のままで、配属先が変わる度に以前の記憶が曖昧になります。女性司令官クサナギ・スイト(声・菊池凛子)に惹かれるユーイチには、彼女がユーイチの前任者のジンロウを殺した、キルドレなのに子供を産んだなど、様々な噂が耳に入ります。連戦連勝だった彼らですが、”ティーチャー”と呼ばれる卓越した技術を持つライバル社のパイロットの出現で、苦戦を強いられます。

戦闘場面の映像が秀逸。たぶんCGと手描きアニメが合体していると思われますが、下手な実写より迫力があります。それと生死を賭けた戦いなので、迫力があるのは当たり前なのですが、戦闘機の流麗な姿、空の青さと雲の白さのコントラストは、もの哀しく美しいです。

キルドレは思春期なのに、始終煙草を吸う姿が強く印象に残っています。彼らは外見は大人未満ですが、酒を飲み煙草を吸い、セックスもします。彼らは配属先が変わる度に、操縦技術は覚えているものの、その他の記憶は曖昧です。しかし人とは経験で感情や思考が深まるものでしょう。おぼろげな記憶の積み重ねは、彼らを外見以上の大人にしているはずです。

ティーチャーは戦争に加わる者の中で、唯一の大人の男性です。「ティーチャーは大人の男だ」と、キルドレの男子たちが語る時、それ大人の男性に対する畏れを感じさせます。娼婦たちに嫌悪感を露わにするスイトや、「キルドレなのに、何故あの人(スイト)は子供が産めたの?」と憤る、女子パイロット三ツ矢(声・栗山千明)には、成熟した女性への嫉妬が感じられます。永遠の若さを持つ彼らの葛藤が、垣間見られる瞬間。成熟期を迎え、やがて老いるからこそ、青春時代が輝くものだとわかるものです。思考は段々成熟していくのに、感情のコントロールは子供のままのキルドレたち。常に死と隣り合わせのまま、「不安定な怒れる若者」の時代だけを生きなければならない彼らに、とても哀れを感じました。

スイトは優秀なパイロットであったが故、8年もの長きに渡り、この地にとどまっています。「死ななかった」と言う事です。大人の8年はあっと言う間ですが、思春期の、それも多数の「若き死」を見つめてきた8年は、壮絶な長さであったでしょう。感情を滅多に露わにしないスイトの謎めいた様子は、この8年に作られたものなのですね。

このショーは、平和しか知らない民衆が、自戒の為に編み出したものです。国と国との戦いであった戦争が、企業と企業にすり替わる。ここに「利権と金」という、戦争の本質が露呈しているように感じました。

三ツ矢の言葉でキルドレの謎は少し語られますが、私にはわかりづらく、謎は謎のままでした。しかし戦闘場面があっても、常に静寂に包まれた画面からは発するミステリアスで哀しい雰囲気は、彼らが謎の存在であっても、決して不満の残るものではありませんでした。

声優に人気俳優を使う事は、いつも賛否両論がありますが、私は上手ければどちらでも構いません。今回は違和感なく、私は良かったと思います。


監督はキルドレの姿に、現代の不可思議な若者たちを投影したそうですが、残念ながら、私にはそこまでは感じられませんでした。感じたことを言葉にするのが、難しい作品です。私の感想もキルドレの存在と同じく曖昧ですが、「観て良かった」という感想は、強く残る作品でした。


2008年08月07日(木) 「闇の子供たち」




阪本順治監督、渾身の作品。前評判の高さからか、夏休みのレディースデーとも相まって、劇場は超満員。正直演出や筋運びには疑問がたくさんありましたが、この現実を世間に問いたいという、真摯な監督の思いは熱く伝わり、私も力の入った鑑賞でした。秀作・傑作ではありませんが、掛け値なしの「力作」です。

タイ。ここでは貧困層から10前後の子を買い取り、売春宿で働かせるという実態があります。日本人の音羽恵子(宮崎あおい)は、そんな悲惨な状況に置かれるタイの子供たちを救おうと、現地のNPO法人に参加。しかし一部の同僚の「何をしにきた」という、冷たい目にも晒されています。一方日本新聞社のタイ・バンコク特派員南部(江口洋介)は、闇ルートでタイの子供の臓器が、脳死ではなく生きたまま売買されていて、近々日本の子供に提供されるという情報を掴みます。

客に凌辱される子供たちの様子が、とにかく衝撃的です。檻のような部屋に詰め込まれた子供たちは、客から凌辱の限りを尽くされ、エイズになり使い物にならなくなれば、ゴミ袋に入れて捨てられ、健康な子も臓器売買のため、命を落とします。客は欧米人と日本人ばかり。私は小児性愛のことはほとんど知らず、スクリーンに描かれる様子に怒りと居た堪れなさで、疲労困憊になりました。そんな中でも、子供たちの黒々とした眼は、射るようなまなざしを観客に向け、絶望的な怒りを表現しています。監督は演じる子供たちが傷つかないよう、細心の注意を払ったとか。性的な場面も別々に撮り編集したと読み、ホッとしました。

この場面の衝撃性から、R12ではなくR15が良いという意見もありますが、私は是非中学生にも観て欲しいです。「地図では20cm」の距離の国で、自分より年下の子が貧困のため、性の道具にならなければいけない状況があると知るのは、立派な教育です。昨今援助交際は、小学生にまで広がっていると聞きます。その本質はこういう恐ろしい事なのだと、子供たち自身にも理解出来ることでしょう。

恵子は実のところ、日本で煮詰まってタイにやってきたようです。南部が現地で雇うカメラマンの与田(妻夫木聡)も、日本で芽が出ず、タイならばと流れて来ています。そこには環境の遅れているタイならば、日本で居場所のなかった自分にも、何か出来るのではないか?という思いがあったのではないでしょうか?無自覚な見下しです。恵子につらく当たるNPOの同僚の「日本でもやれることはあるでしょう。何故タイなの?」は、それを見抜いているからでしょう。

実際恵子の青臭い正義感は、数々の場で短絡的な言動を起こし、足を引っ張るばかりです。正しい事を正しいと言うだけでは、世の中は通じません。しかし劇中南部に「バカ女」呼ばわりされる彼女は、観客ではないでしょうか?監督は意識的に恵子をイラつかせる女性に描いていると感じました。後半からの彼女は愚直ではあるけれど、その成長した姿は目を見張るものがありました。NPO法人の女性リーダー、ナパポーンが恵子に向けて「あなたしか出来ないことがある」と語るのは、日本に住む観客にも向けられた言葉だと思います。

手術のお金は日本円にして5000万円。日本の富裕層なら、なんとかなる値段です。「臓器はどういう手段で手に入るのか、わかっているのか?」と詰る恵子に、子供の母(鈴木砂羽)がヒステリックに「話すことも出来ず寝たきりに子を持つ親の気持ちがわかるか?」と言い返します。これは理解出来る人はたくさんいるでしょう。私も気持はわかる。

しかし本来は、切羽詰まった親の心理につけ込む人々こそを、糾弾せねばならないはずが、力点がウェットな親の心理に置かれているので、その辺の演出が弱いのが残念です。

南部の現地での取材方法なども、とてもスリリングなのですが、日本での取材方法に疑問が湧きます。取材に恵子も同行させるのですが、その必要はありません。あの展開は同行させればわかりきったことで、強引な運びだと思いました。日本の闇ルートの黒幕に取材に行った際にも、向こうの用心棒にぼこぼこに殴られますが、相手は天下の新聞記者、すぐに訴えられるはずで、余計に話は拙くなるのでは?危ない橋を渡る人が、こんな頭の悪い事をするでしょうか?

銃撃戦の演出も謎。あんなに人がいっぱいのところで、事を起こせばその後どんな展開になるのか、目に見えています。目に見えているから、あの結果では、少々強引過ぎます。最初に発砲した相手も意味不明。狙う相手が間違っています。

子供を買う側にも、NPO側にも、元は売春宿に居たであろう大人が出てきます。何故両極端の生き方になったのか、その辺をもう少し掘り下げて欲しかった気がします。二人ともが「日本人嫌い」というのにも、監督のメッセージが含まれているのでしょう。

そしてラストのオチ。違和感がいっぱいだったのですが、原作とは変更してあるそうです。何度も回想場面が出て来たので、薄々気づいてはいました。監督は「日本人の罪」について、深く問いたいようです。南部の同僚記者清水(豊原功補)が語る、「この子だけを救っても、何も状況は変わらない。元を根絶せねば同じことが繰り返されるだけだ。そこを打開しなくてはいけない。記者は観て観ぬふりをするのではない。観て観たものを書くのだ」というセリフは、本当にそうだなと私は感じ入りました。この作品の世界観を要約すると、このセリフになると私には思えます。ならば「日本人」にだけ、罪を特記したようなこのオチは、返って焦点が散漫になった気がします。

予告編にある、宮崎あおいとキスしている少女の運命は、彼女が字が書けたことから決まりました。NPO法人が、学校に行けない子供たちのために字を教えるのは、正しかったわけです。教育の必要性を本当に実感させられました。教育は親にも必要です。世の中の仕組みの裏しか知らない貧困層に、人間としての倫理や尊厳を理解してもらうのには、やはり教育だと痛感しました。子供たちだけを救っても、状況は変わらないでしょう。タイのスラムで学校を作るための寄付があれば、是非したいと思います。

少々消化不良気味でしたが、阪本監督のタイの子供たちの現状を観て知って感じて欲しいという思いは、十分過ぎるくらい感じました。フィクションである映画ならでは凄みも、再確認出来ます。その志の高さに、監督や全ての出演者に敬意を払いたくなる作品です。この感想文が、一人でも多くの方に観ていただけるきっかけになれば、とても嬉しいです。


2008年08月05日(火) 「ダークナイト」



素晴らしい!
、三日の先行上映で観てきました。アメリカでも大ヒット中で、記録更新を爆走中らしいですが、さもありなん。クリストファー・ノーラン監督としての初のバッドマンもの「バッドマン ビギンズ」では、従来のダークファンタジーを抜け出し、若々しい大人のヒーローものとしての世界観が好評でしたが、今回は単にヒーローものとしての枠に留まらないスケールの大きさを感じさせる、堂々たる娯楽大作になっていました。架空の町ゴッサムシティを通じて、現代における世論が支持する「罪と罰」を、実に写実的に描いています。

犯罪の町ゴッサムシティ。バットマン(クリスチャン・ベール)とゴードン警部補(ゲイリー・オールドマン)は、犯罪撲滅のため、日々闘っていました。そこへ辣腕にして正義感溢れる新任検事ハーベイ・デント(アーロン・エッカート)が加わります。デントはバットマン=ブルースが愛するレイチェル(マギー・ギレンホール)の恋人でもあり、ブルースの胸中は複雑です。そんな日々に得体の知れない奇怪な犯罪者ジョーカー(ヒース・レジャー)が現れ、次々と凶悪な犯罪を犯して、彼らを追い詰めます。

冒頭まずは銀行強盗を見せながら、ジョーカーの紹介に入り、次は前作「ビギンズ」の紹介もチラリ(ちゃんとキリアン・マーフィーも出てます)。これが非常にテンポも手際も良く、期待感を煽ります。そしてこの冒頭の油断ならない展開こそが、本筋を深く象徴していたのだと、鑑賞後に唸るのです。

アクションシーンとドラマ部分の比率がとても良いです。アクション場面はバットモービルなど出てくる割には、荒唐無稽の感じはあまりしません。大型トラック、バスを使ったカーチェイス、大規模なビルの爆破、バットマンらしい高層ビルでのアクションなど目を見張るものがあり、良い意味でお金がかかっているなぁと感じさせ、堪能出来ます。素手のアクションも取り入れ、バージョンも多彩です。

公開前から話題だった、故ヒースの渾身の演技は前評判以上です。私は「チョコレート」以外、ヒースの演技はこれといって記憶に残っていないのですが、このジョーカーは本当にすごい。いつもの彼を微塵も感じさせません。不気味で不潔な容姿、卑しさ満点のひょこひょこした猫背の歩き方、常にぴちゃぴちゃ舌打ちして話す様子は、嫌悪感もいっぱい感じさせます。しかし残忍で凶悪な犯罪を次々と犯す様子は、とてもクールでクレバー。この落差が唯一無比的な存在感と魅力を感じさせます。

彼の語る裂けた口の秘密は、父や妻が出てきます。それは両方本当で両方嘘なのでしょう。次に語る時は、また別の話が出てくるはず。生まれおちてすぐから犯罪者になる人はいないでしょう。それぞれに理由があるはず。途方もないスケールの愉快犯であるジョーカーは、他者へ向ける不可解な敵意や悪意を持つ、昨今の理由なき犯罪者の化身のようだと感じるのです。

絶対的な強さを誇るジョーカーの出現に、掌を返したようにバットマンを追い詰める民衆。ジョーカーはバットマスクを取るよう、バットマンに命じたからです。自分の身が安全ならば、簡単に人身御供を差し出す民衆。そして警察官もまた、「民衆」なのです。生活の窮状からマフィアの手先となった警察官を浮かび上がらせ、先の展開に含みを持たせます。

矛盾に満ちたゴッサムシティの「正義」を前にして、デントの正義は全くぶれません。素直に敬意を感じるとともに、その輝きの眩しさに、一抹の不安も感じさせます。「正」しか知らない危なさは、一度挫折するとダメージも大きいはずだから。彼がとあるビッグネームキャラに変貌する様子は、驚愕と哀しみが伴うものですが、裁きの場では白か黒かだけではなく、幅を持たせた考えも必要なんだと痛感させます。そこが正義に対して柔軟な思考を持つゴードンとの対比にも感じました。

その他ケイティ・ホームズと交代して、より大人っぽくなったマギーのレイチェル、マフィアのドンであるエリック・ロバーツの小心なふてぶてしさなど、出てくるキャラは全て隅々まで描きこまれていました。

しかしそのせいで割を食ってしまったのが、肝心のバットマンだったようです。今回は若干線が細く感じて、少々物足りません。ヒーローとしての苦悩も、スパイダーマンのヒーローと本当の自分との狭間で、アイデンティティに苦悩すると言ったものではなく、ゴッサムシティを守ってきた自分が、まさかの敵意を民衆から向けられると言ったものです。マスクを取るか取るまいかの葛藤は、もう少し描いても良かったかも。でもこれは贅沢な要求かな?

見せ場の盛り上げ方の上手さとスピード感にあふれているので、二転三転する展開の最中に、これはいらないかもと思わせるエピソードもあるのですが、他でアドレナリンが噴き出すので、あまり気になりません。

ラストのバットマンの選択は、正直私には偽善に感じます。彼はバットマンではなくなっても、ブルース・ウェインの生活があるのですから。そういう意味では裏も表もなかったジョーカーやデントは、天晴れだったと思います。しかし次のシリーズももう制作に取り掛かっているそうな。なのでこのラストは、壮大な前振りなんでしょう。問題定義をして次に繋げるとは、高等技術ですね。


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