心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2012年04月24日(火) 「あなたのためだから」

仕事柄IT関係のサイトは時々覗いています。中でも小寺氏の文章には、忙しくてもなるべく目を通すようにしています。その中にこんな文章がありました。

小寺信良「ケータイの力学」:青少年条例と憲法の関係
http://plusd.itmedia.co.jp/mobile/articles/1111/07/news053.html

> 自由主義社会において、人の行動を規制するというのは、憲法に定められた数々の自由を制限することであり、大変な権力である。曽我部先生の講演でもっとも興味深いのはこの部分だ。
> 「あなたのためだから」という理由で人権を制限できるのか。通常人権の制限は、他者の人権や公益を害する場合にのみ可能である。したがって、本人にとって有害であることを理由に、人権制限はできないのではないか。例えば成人であっても過度の飲酒・喫煙は健康を害する恐れがあるが、行動が規制されているわけではない。

引用元は未成年のケータイ使用を規制する法的根拠についての話なのですが、引用部分は「本人のためだからという理由で人の自由を制限できるか」という問題提起になっています。

自立支援というニーズ
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=19200&pg=20111025
どこから手を付けるべきか(その3)
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=19200&pg=20111013

という雑記のエントリでは、金銭管理ができないために、所持金をあっという間に酒やギャンブルに費やしてしまう人たちのことを書きました。そして、その人たちのために、金銭を預かって小分けにして渡す公的サービスが必要とされていることも書きました。

けれど、考えていただきたいのは、人は自分の財産を自由に処分する権利を持っており、金銭管理のサービスはその権利を制限していることです。つまり、生活保護で月初めにもらった保護費を、一日でギャンブルや酒や買い物に費やしてしまい、残りの一ヶ月近くを食うや食わずで過ごすのも、その人の自由な選択であり、人にはそうした生活を選ぶ権利があるというわけです。

これには、常識を持った人はそういう選択をしないという前提があるように思えます。自分の行動がどんな結果を生むか予測がつき、たとえそうしたい衝動を持ったとしても、知性を働かせてそれを避けられる人であれば、その選択を「自由」なり「権利」と呼んでも良いでしょう。人に迷惑をかけるわけではありませんから。

それを「あなたのためだから」という理由で制限するべきなのか。

食うや食わずの生活に30日間近く耐えられる人だったら、その自由を認めてあげてもいいのかもしれませんが、実際に金が無くなって生活できなくなったからと、相談に来られる窓口のほうは困ってしまいます。

衝動的に、あるいは無計画にお金を使ってしまい、月半ばで生活費が足りなくなってしまう。酒や薬やギャンブルが止まっても、それが改まらない人がいます。それが買い物に対するアディクションというわけではありません。

その背景には知的障害や発達障害が隠れいているのかもしれません。そうした障害がなくとも、成長する過程でそのスキルを身につける機会がなかったのかもしれません。

いずれにせよ、足りないと言われて金を渡し続けるわけにもいきませんし、叱ってみても説教してみても、そうした金の使い方が改まるわけでもありません。だからといって、ほっておいて良いというものでもありません。例えば、福祉事務所の職員が困窮した相談者を追い返して、その人が餓死してしまったら、人権侵害だとして糾弾されること間違いなしです。

結局、お金を全額その人に渡さず、小分けにして必要なだけ渡すことになります。つまり、誰かがその人に替わって金銭管理を代行するわけです。

家族がいれば、家族に管理してもらうのが理想です。でも一人暮らしの人はそういうわけにいきません。また家族がいても、家族も同じ問題を抱えたりします。金銭管理を代行する公的なサービスが必要です。

成年後見制度というのがあります。認知症のお年寄りや、知的障害の人が、だまされて高額な商品を買わされたりしないように、本人に代わって財産を管理する仕組みです。裁判所が後見人を選びます。各地の社会福祉協議会で後見人を引き受けるサービスをしています。ただ、これの法定後見制度は明らかな障害がないと使えません。

手帳を持っていないレベルだと、本人が同意して契約することで任意の後見制度が使えます。ただこれは任意契約なので、本人側からの申し出で解除できます。金銭管理を受ける側とすれば、「自由を制限されている」と感じるものです。自分の金なのに全部渡してもらえないのですから。だから、不満に思って契約を解除しちゃうこともしばしばです。(せっかく本人を説得して同意させたのに・・・)

そんな感じでいろいろ面倒なので、福祉事務所の職員が、金銭を小分けにして渡したり、現物支給することも行われています。あるいは、訪問看護や介護の人が善意で金銭管理したり・・。本当はそういうことはしてはイケナイのですが、現実的にそれしか解決策がないこともあります(でも法的には根拠がない)。

話は変わって、何度も刑務所に入る人は、生活能力に支障があって、刑務所の外ではなかなかうまく暮らしていけない人も少なくありません。(刑務所の中ではきっちり管理されて生活できるし)。そういう人に対する出所後の生活支援を行うとすると、どうしても(金銭管理も含めて)何らかの自由の制限をせざるを得なくなります。すると「外に出ても刑務所と同じぐらい自由がない」と感じてしまう・・という話も聞きました。

明らかな障害を持っていない人に対しても、公的な金銭管理のサービスを提供する必要があるのだと思います。(法定後見制度みたいな使いにくい仕組みじゃなくて)。でも、それは人に自由を制限することにつながります(しかもそれに法的根拠を与えろという話になる)。

そこで冒頭に書いたような、そもそも「あなたのためだから」という理由で人権を制限できるのか、という話が登場してきます。

人権の制限にはそれなりの根拠が与えられてきました。認知症のお年寄りや知的障害の人には「判断能力がないから」。未成年には「判断能力が未熟だから」。

しかし、現実の「困った人たち」は、そういう明らかな判断能力の欠如はありません。生活費を使い果たしてしまうことを見ると、やはり何らかの能力の欠如はあるのでしょう。でも、それは手帳とか診断書という形では証明されません。だから、制限することに法的根拠がない・・にも関わらず、現実には制限せざるを得ない。「あなたのためだから」という理由で。そこに現場の困難、困惑があります。どうすれば良いのかは正直僕にはわかりません。

ただ、一つだけ確かなことがあるとすれば、それはアディクションがとまっても「解決せずに残るもの」だということです。酒や薬やギャンブルが止まっても、まだ金銭管理の問題は残る人はいます。「回復すれば」とか、12ステップをやれば解決するというものではありません。別種の手助けが必要です。

もう一つ「家族が管理してくれれば理想だ」とは書きましたが、その家族が親である場合は問題が残ります。親が年老いて死んでしまうと、管理できる人がいなくなってトラブルが表面化します。親が生きているうちは、ちゃんと働けて、生活できていた人が、独居になったとたんに生活が崩壊・・という話は珍しくなく、AAで病院メッセージに行くと、患者さんの話に良く聞きます。親としては、よかれと思って面倒を見ていたのでしょうけど。

この雑記で何が言いたかったかというと、管理される側からは「自由を奪って」と責められ、内心「人権侵害なのでは」と悩み、やっていることに法的根拠がないことに不安をおぼえ、それでも目の前の問題を解決しようとしている人の心情、お察ししますということです。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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