心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年08月11日(金) 一緒にやること

ステップ12は「他の人と一緒にやること Working with others」であります。
もしAAプログラムが、本を読んで、それを実践することだけだったなら、おそらくAAミーティングは不要になるでしょう。一緒にやることは、AAプログラムの核心なんだと思います。

AAメンバーは、お互いに仲がよいから一緒にやっているわけじゃありません。一緒にやることがAAプログラムだからこそ、一緒にやっているのでしょう。一緒に活動していれば、いずれ信頼関係が生まれることもあります。が、それは結果です。
信頼できる人でなければ(尊敬できる人でなければ、安心できる人でなければ)、一緒にやれない、というのなら、自分の回復に自分で上限を決めているのでしょう。友人を選んでいるのとは、わけが違うのですから。

でも「こいつとは一緒にやれないな」と思う時も正直あります(しょっちゅう)。一緒にやることがストレスという感じです。そういう時に自分は、一緒に出来ない理由を「相手の性格的欠点が原因」という形で、相手に押しつけて終わりにすることも、ままあります。相手も霊的な病気なんだからと、祈って許してお終いってわけです。
でもよく考えれば、一緒に出来ないのは、自分に「一緒にやる能力が欠如している」ことが真の原因であって、それで良しとしていたら、やっぱり自分で回復の上限を決めていることになるのでしょう。

AAは上意下達の意志決定システムは持ちません。規則もありません。物事をひとつ決めるにも手間がかかります。そんな中で一緒にやるのは面倒です。相手の話に耳を傾けること、自分の意見が通らないからとスネないこと。そういうことが大切なのは、なにもAAに限りません。
面倒なことは嫌なので「自分一人でやり始める」人もいます。そういう人はAAの中で一匹狼になります。場合によっては、人を惹きつけて何人かの集まりになっていることもあるでしょう。
そういう人の話を聞くと、別に間違った話はしていないのであります。それどころか、たいてい「正しい」意見を持っています。そして、自分の正しい意見を曲げてまで、人と一緒にやるのは嫌だったのだろう、と僕には思えます。やっぱりそれも、「一緒にやる能力が欠如」なんでしょう。

正しいと言っても、それはその人の考える正しさにすぎません。もしくは、その人の仲良しの賛成できる正しさと言いましょうか。その正しさにこだわってしまうところに誤謬があるはずです。

最近、自分の力が及ぶ範囲のことだけやって満足している自分がいます。もっと「ままならないもの」とつきあわなければならないと思います。回復の上限を決めているのはたいてい自分自身なのでしょう。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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