心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年07月17日(月) 権威というもの

医者には治せない病気というのがあります。
たとえば虫歯です。歯科医は虫歯の被害が広がらないように削り、その場所に補てつ物を入れるのであって、本来の歯を再生しているわけではありません。治療と言うよりは工芸であると、自嘲気味に語った歯医者がいました。
ともかく、人間の治癒能力は歯にはほとんど及ばない、その事実を歯科医も、患者も、「望ましくはないが変えられない事実」として受け入れています。たまに元の歯に戻せといって歯科医を困らせる患者もいるそうですが、それが出来る名医がいるなら僕もかかってみたいです。
それでも日本の歯科医療は進歩しているのであって、多くの国では、歯が痛んだら抜くしかないという治療が行われているわけであります。

依存症にも治癒はありません。
再び飲酒がコントロールできるようになったという話を聞かないこともありませんが、その人本来の寿命までほどほどに酒を飲んで生きた事例が十分な数が集まったという報告は、シルクワース博士の時代も現代にもありません。
元の状態に戻せと行って医者を困らせる人の数は、歯医者を困らせる人の数よりずっと多いでしょう。無論、それが出来る名医がいるなら、僕も一度はかかってみたいです。
依存症の回復は layman に任せられているのであります。

じゃあ依存症の治療に精神科医は不要かといえば、そんなことはないでしょう。
第一に、自助グループがすべての問題を解決できるわけではありません。
たとえば、(数を数えたわけじゃありませんが経験的に)依存症の人が別の精神疾患にかかっている割合は、世間の人と変わらないでしょう。依存の後遺症で一時的にうつが出ている人を除けば、おそらく1割ぐらいがうつであり、1%ぐらいが統合失調症であるはずです。こうした問題について、自助グループの方が精神科医より役に立つとは言えないでしょう。

第二に、医者の権威は layman にはないものです(あったらやだし)。
医者が「自助グループに通いなさい」と勧める以上に効果的なことはありません。これは逆のことを考えてみれば分かります。「自助グループなんか通ったって無駄ですよ、僕が治してあげますから」と言われた患者がどう感じるかです。

第三に、医者に名医とヤブがいて、はたまた患者一人一人と合う合わないの相性があるように、自助グループだって善し悪しがあるし、合う合わないもあります。だめな(と言って悪ければ合わない)自助グループに通うより、医者に通っていた方がよほど安定した断酒が続いている事例は、世の中には山ほどあるはずです。
それに自助グループのない地方も、日本にはずいぶんあります。

医者が不要だった人はたくさんいるでしょうが、だからみんなに医者が不要と言うことにはなりません。第一は常識の問題。第三は自助グループ側の質と量の問題。
でも、権威は医者だとか職業的カウンセラーに任せておいたほうが無難だと思いますね。

依存症者は権威に弱いというか、個人に惚れ込みやすいというか、個人崇拝が得意であります。人にコントロールされることは大嫌いなくせに、自分が尊敬している人の敷いたレールの上を喜んで走っていきます。自分で考えると不安でたまらないので、無闇な安心に浸っていたいのでしょう。
そうして最後には「信じていたのに裏切られた」と言って嘆くのであります。人に依存した自己責任なのに。
その点、良い専門家は過度な崇拝を適当に処置するすべを、経験によって知っている(はず)です。

話は変わって、マット・スカダーの四作目『暗闇にひと月』を読了しました。いよいよAAという単語がちらほら出てくる巻であります。
どうでもいいですが、巻末の解説文が7作目『慈悲深い死』の spoiler(ネタバレ)になっています。しかも spoiler warning もなしのネタバレのおかげで、解説全体の価値が台無しであります。国内の発表順ではなく、原作の発表順に読んでいる人間のことも考えていただきたい。
次はいよいよ五作目『八百万の死にざま』でありますが、たぶん来月でしょう。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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