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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年07月16日(土) ひいらぐ 休日のわりには早く目が覚めたにもかかわらず、午前中は次女の行方不明(?)事件などがあって、捜索に出ていたりしたので、あっというまに午後になってしまいました。
ショッピングセンターの花屋で仏壇用の花束を作ってもらい、文房具屋で香典袋とサインペンを買って車の中で名前を書きました。
住宅地図を頼っていったのですが、家が新築されていて迷ってしまいました。
仏壇の中の彼の写真は、生前の彼そのままに、いつもなんだか怒っているような顔をしていました。お袋さんの看病のために東京から帰ってきたと聞いていたのですが、元気はつらつのお母さんを不思議な目で見ていたら、お母さんは亡くなられて、その人は後添えだそうであります。
父親という人は、僕は会うのは初めてでした。亡くなった彼の東京時代の暮らしぶりはほとんど知らないようで、いろいろと聞かれることになりました。彼の部屋はいわゆる「をたく部屋」で、本やらソフトやらが山のように積まれていて、その間に布団を敷くと両側が本で持ち上がってU字型になり、その寝返りもろくに打てない中で寝ているという、ありがちな部屋でありました。
僕の部屋も酒代ほしさに本を古本屋に売り払い続ける前には、似たような状態でした。当時は知り合いのところに遊びに行くと、積まれているのがビデオであったり、フィギュアであったり、洋書であったり、ゲーム基板であったりという違いはあるものの、皆がそんな状態でありました。
堅い職業の父親は、そんな彼の部屋にも、彼の選んだソフトウェア業のフリーランサーという仕事にも、とまどいしか感じなかったようですが、そういう人間は当時も(おそらく)今も、東京にはたくさんいるのでありましょう。ただ、フリーランサーというのが減って、みんな名前だけでも会社の社長になったという違いはあるでしょうけれど。
彼がとりわけの変人ではなかったと聞いて少し安心したようでした。土蔵に職人が入っているので聞いてみると、彼の蔵書を形見とし、土蔵の壁を書架として並べるのだそうであります。
僕は自分の話をしましたが、両親はひとり息子の思い出に集中しているようでした。
2時間ほどもおじゃましていたでしょうか、帰り際にパソコンの調子が悪いので見て欲しいと言われて部屋に案内されました。デスクトップに「URA-VIDEO」というビデオファイルができてしまい、何度削除しても次にパソコンを起動すると、また現れてくるという現象でありました。
スタートアップかレジストリに何かが登録されてしまったのだろうと、ながめてみましたが、怪しげなものはありません。マカフィーの最新版でスキャンしてもひっかからないし、Spybot S&DやAd-awareでも検出しません(他のはいろいろひっかかったけれど)。
これはお手上げだなと思ったのですが、URA-MOVIE.WMVを削除しようとしたら「使用中です」と言われて削除できません。このファイルを削除できないように握っているプロセスが怪しいということで、プロセスリストをひとつひとつ殺していくことにしました。
DS.EXEというファイルが犯人でありました。場所もTEMPディレクトリなのが怪しいです。こいつを削除して症状は治まりました。ここまで一時間。
一年ほど前に現れたこのアドウェアは、いつも夫婦げんかのまとだったそうで、「さすがは○○の友人だな」とえらく褒められてしまいました。時間がかかったので、その間に用意したのでしょう、香典返しにケーキをもらってしまいました。
自分はいったい何をしに行ったのだろう。するべきことは果たしていない気もするけれど、とりあえず一歩だけ踏み出せたことに感謝すべきなのでしょうか?
スーパーでスイカの1/2カットを買って帰りましたが、娘たちはケーキのほうを喜んでくれました。
自宅で調べてみたら、サービスを利用したスパイウェア というのが正体だったようです。
なんだか疲れてしまって、夕方から2時間ほど寝てしまいました。
心の痛みはすぐに取れるようなものではないようです。ずきずきと痛むのを「ひいらぐ」と言うそうですが、僕の心もひいらいでいるのであります。
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