心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年07月17日(日) パラダイム・シフト

その昔、パソコンを買っても、アプリケーションソフトもOSも付属していないのが普通でした。そのかわり、マイクロソフトのBASICという言語が入っていて、パソコンを使いたい人はこのBASICと言う言語で自分でプログラムを組むか、誰かに組んでもらったのをロードして使うものでありました。
このBASICは「入門用言語」とされていながら、ちっとも入門者に優しくない言語で悪評高いものでした。僕もBASICでプログラミングを覚えたクチです。

そのうちに「構造化プログラミング」なる概念が流行るようになり、PASCALだとかCだとかいう言語が流行するようになります。言語を乗り換えるのは結構大変でしたが、まだこの時はそれほど壁が高くはありませんでした。有名な入門書に『初めてのC』という本があり、当時Cと言うと特定の性行為を示す言葉だっただけに、電車の中で広げて読めない本だと言われていました。

パソコンにはOSというものが付属するようになり、一太郎だとか1-2-3だとかいう名前の実用ソフトが付属して、プログラマーでない人もパソコンを使える時代になりました。

UNIXなる高級OSがあることは知られていましたが、人々の手が届く値段ではなく、MS-DOSやCP/Mといった低級OSがパソコンを管理していました。こういった低級OSでは、プログラムが全権を握っており、OSはその下請けでした。プログラマーは自分のしたいようにプログラムを組むことができ、何が起るかは予測しやすい仕組みでした。

しかしWindowsが出ると、事情がすっかり変わってしまいました。全権を握っているのはWindowsであり、プログラムはその下請けになりました。いままでの主従の関係は逆になりました。「神は父であり、我々はその子供である」という言葉を流用すれば、「Windowsこそが神であり、プログラマーはその奴隷である」ということになりました。
Windowsの「メッセージ・プログラミング」という概念には大量の落伍者を出すことになりました。

折しもメインフレームと呼ばれる大型計算機が流行らなくなり、COBOLという巨大な言語大陸で仕事をしていた人たちは、大陸の沈没にも等しい動乱に巻き込まれることになります。
(2000年問題の時には逆にCOBOLの技術者がすっかり足りなくなって、引退して主婦をしていたプログラマーまで強制徴集されるという皮肉なこともありましたっけ)。

混乱を収集するためという理由で編み出された「オブジェクト指向プログラミング」という概念は、はっきり言って混乱に拍車をかけただけの役割しか果たしませんでした。

でも最近発表されるプログラミング言語は、やっぱり「構造化」されていて「オブジェクト指向」であることをみると、この分野でも流行と無縁の存在でいることはできないことを示唆しているような気がします。

情報処理のエンジニアであるということは、言ってみれば常に流れる海(潮流か)のなかに身を置いているということに似ています。泳ぎ続けなければ、前へ進むどころか、同じ場所にとどまることすらできなくなります。走り続けなければ転んでしまう人形のようなものなのかもしれません。

かといっていまさら商売替えもつらいので、このまま走り続けていくしかないのでしょう。
一昔前はカタカナ商売だから格好良さそうだといって、なりたがる人間も多かったのですが、実は意外と重労働だといことが世間に知れたのか、「プログラマーになりたい」という若者に会う機会が減りました。
理系離れが進んで技術系の大学に人材が集まらないと学術の人は悩んでるそうですが、その一方でたいした技術教育も施さないくせに月謝だけは高い専門学校がぼこぼこできているのはどうしたことでしょうか。
カタカナ職業であっても、その実態は職人に近いです。

会社から持って帰ってきたものの、結局読まずにまた会社に持って行くことになる何冊かの本をながめながら、十代後半に下したちょっとした判断が、その後の人生を大きく左右している事実に気がついて、ちょっとため息をついてみたりした今日でありました。

暑かった。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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