心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年07月15日(金) 夏休みの宿題状態

具体的に復職のスケジュールが決まってくると、やることが次々でてきます。

先月クラッシュしたまま、Windowsのインストールも途中で止まっているマシンに、いろいろとソフトを入れていました。作業は順調だったのですが、テレビチューナーボードのソフトを入れたところで止まってしまいました。安達祐実が出てくる番組だとか、和田アキ子が出てくる番組だとか、そんなものを眺めている内に2〜3時間どんどん過ぎてしまいます。
まったくテレビは時間を吸い取る魔法の機械であります。おそらく「時間どろぼう」が発明した機械に違いありません。

ConturaにWindows NTは無事入ったものの、スクリーンセーバーが働かずにLCDが点きっぱなしです。おまけにハードディスクも用もなく回りっぱなしです。昔の486マシンを使うことで、最小電力、最小コストでというもくろみは完全に失敗に終わっています。

2年前に急病(?)で亡くなっていることが3月に分かった元親友に線香を上げに行く日取りも決まりました。土曜日2時であります。親父さんは毎日家にいるらしいのですが「茶くらい出したい」ということで、お袋さんのいる土曜に決まりました。
一度は親友と呼び合った仲でしたが、最後は「年賀状も送ってくるな」と言われるほど憎まれていました。僕が一方的に悪いというわけではないのですが、やっぱり自分の側の問題が相当に大きいです。憎まれて当然というようなことをしています。
彼も長野に戻ってきたと聞いた時には、どこかで会いはしないかと心配になりました。仕事で彼の家の近くを通るだけで、なんだかやるせない気分になりました。そのうちに、埋め合わせをできたらしたいと思うようになりました。不思議なものです。返していない金も返したいと。
でも、何となく先延ばしに、先延ばしになってしまいました。「ソーバーが10年になったら会いに行こうか」とか安直な言い訳を自分にしていました。
もうこの世にいないと聞いた時には、驚きしかありませんでした。僕は明日ご両親に会って、何を言えばいいのでしょうか。

年金申請で調べていたら、前に勤めた会社が倒産していることも知りました。おそらく当時のメンバーも散り散りになり、東京の業界深くに潜ってみないと、消息すら分からないでしょう。

こんなふうになるまえに、何とかできなかったのか、自分。

「機会あるたびに」と書いてあるけど、機会はいくらでもあったのじゃなかったのだろうか。元親友の家は同じ市内の中だし、倒産した会社のあった四谷だって、何度も行っている。

埋め合わせというのは、相手の傷を埋めに行くのではなく、過去の残骸を片づけることで、自分の心の傷を埋めに行くことなのかもしれません。だとすれば、もはや僕はこれをずっと抱えて生きていくほかはないのかもしれません。
「頑固な自我とギリギリの対決をしてきたか」と問われれば、答えはノーでしかありません。僕のAAプログラムはきわめてヌルイものでしかありません。

でも、きっと僕はこれからも平気な顔をして暮らしていっちゃうのでしょう。それが一番怖いことです。でも、人を傷つけておいて、自分が傷つかないってことはないのだなと、今さらながらにして思うのであります。

すべての人は罪人である。と言う言葉が心に突き刺さる日々であります。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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