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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年07月04日(月) すこし・たくさん ここのところひと月あまり、病院からミーティング場に送迎している患者さんの退院が決まったという話を聞きました。閉鎖病棟に監禁同然の状態から、いきなり退院へという大きな変化の背後には、AAにまた通いだしたことも影響しているのではないかと思ってみたりします。
家賃が3万7千5百円以下なら生活保護で面倒を見てくれるものの、それ以上だと自分で持ち出しだそうであります。そうなると実質的に県営住宅か市営住宅しかありません。市内の団地で空いているのは2ヶ所で、そのうち交通の便の良いほうに応募して、抽選があたって入居の権利を得れば、いつでも退院できそうであります。
彼との付き合いは断続的に九年になります。初めてミーティング場を開いたときに、市内の精神病院に勤めていたケースワーカーさんが熱心な人で、患者さんにAAに通うことを薦めてくれました。半分いやいやながらでありましょうが、病院の外へ出るチャンスと思って、通ってきてくれていた4人の患者さんのうちの一人が彼であります。
そのケースワーカーさんは歌の上手な人で、いきなり病院を止めるというので、理由を聞いてみると「歌手を志す」という話でありました。一度きりの人生でありますから、そういうのもありでありましょう。その後どうなったのか、クラシック音楽に興味の薄い僕にはわかりません。
会場として借りている公民館には会議室が4つあります。そのうち第1会議室と第2会議室は間をパーティションで区切っただけのものなので、相互に会話は筒抜けであります。第3会議室と第4会議室は独立した部屋なのですが、どちらもちと広い部屋であります。
AAミーティングは最初は人数が少なかったので、第1か第2を割り当てられたのですが、話が聞こえてくるのも聞こえちゃうのも困るので、公民館に頼み込んで大きな会議室を借りられるようにしました。第4会議室は在日外国人のための日本語講座がずっと使っていたので、空いているのは第3だけでした。でも、第3は使い勝手が良い部屋なので、他の団体と取り合いになりました。
取り合いに負けると、音楽室や視聴覚室へ追いやられました。時には100人以上入る大会議室の片隅でミーティングをしたこともありました。それでも辛抱強く第3会議室を予約し続けたおかげでしょうか、他の団体は別の曜日に移ったり、別の施設へ移ったり、はたまた寿命を迎えてしまったりで、ついには「月曜の第4が日本語教室」であるのとおなじように、「月曜の第3はAA」という地位を確保するにいったのです(と思う)。
それでも、第3会議室はAAには広すぎるなといつも思っていました。いつかは、この会議室のテーブルをぐるっと皆で囲んでミーティングをする日が来るといいな、と思っていました。
最近のように人数の多いのが安定し、「ぐるっと皆で囲んで」という夢が実現すると、人間は不思議なもので「自分の話す時間が短くなる」などというみみっちい不満を持つものであります。まあ最近は体調不良でミーティング中に寝てることが多い僕ですが。
一つの夢が実現したからには、もっと大きな夢を見ることにしましょう。100人入る大会議室で人があふれんばかりのAAミーティングが毎週開かれる夢を。そして別室ではアラノンのミーティングが開かれて、また別の部屋では子供のある夫婦のためにAAとアラノンが共同で雇ったアルバイトのベビーシッターが子供たちの面倒を見ている・・・。子供たちはもう少し大きくなったら、アラティーンのミーティングをひらくのだろうか。
僕が生きている間にかなわなくてもいいから、そんなことが現実になって欲しいと思ったりするのであります。
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