ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年07月05日(火) あと少し 復職の日までカウントダウンが始まっている感じです。
思えばこの「日々雑記」も、前の休職の時の最後のあたりから始まっているわけです。当時の雑記を読むと、「医者の許可が出たから」と書いてありますが、許可といっても不承不承で、反対を押し切ってというほうが正しかったかもしれません。
あのときは、会社が「すぐにでも出てこい」というのを2週間のばしたのでした。休職するといって放り出した機械は、復職後に取り組んでみてもどうにもならなくて、結局スクラップになりました。間に入った商社はかわいそうだったかな。
障子の張り替えを始めました。これも休職中にはすませたいと思っていたことのひとつです。冬のうちは寒いからという理由で先延ばしにしていました。同じくウツで依存症で休職中の仲間が、4月頃に「障子の張り替えもすんで」という話をしていたので、僕もそろそろと思いながら、結局「夏休みの宿題」状態で、時間がなくなってようやく取り組んでいるという状態です。
ツルヤでノリと剥離剤を買ってきました。なぜ剥離剤を必要とするかというと、破れた部分の補修に妻は、障子紙用のノリではなく、普通のノリ(フエキ糊とか)を使うのであります。そうすると、そのぶぶんだけガビガビになってしまって、剥離剤がないとだんだん障子の桟が厚くなってしまうのであります。
火曜は授業参観の日でした。妻は学校行事というとウツが悪化する(心因反応という)ので、今後は全部僕が出ることにしているのであります。張りかけの障子を放り出して学校へかけつけました。
次女の一年生の教室は、お母さんたちであふれかえっていましたが、長女の3年生のほうは(クラスの人数が少ないこともあるのですが)お母さんも少なめであります。授業後は、懇親会という名前のPTAであります。3年生のほうのクラスの出席者は先生を含めて8人だけでありました。初めてなので自己紹介をしました。
話題も少なくって一時間で終わりでありました。先生も経験豊富で、熱心でというタイプであります。昨年養護学校から転任してきて、普通学級になじめずにウツになってしまった先生は、いまだに自宅療養中だそうであります。すこしかわいそうな話であります。
1年生のほうのPTAは「父兄どおし知り合えるような催し」をするということで、にぎやかに続いていましたが、精神的にも肉体的にも疲れてしまったので、帰って障子張りの続きをしました。
そして夕方7時半ごろになると眠くなってまた寝てしまい。10時に起きて、まだ子供たちが風呂に入っていなかったので入れて、今度はパソコンの前の椅子に座って午前2時まで寝てしまいました。何とかならないか、この生活リズム。
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