心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年05月11日(水) Stood at the turning point

僕は最初は自分のバースディを5月6日と申告していました。それが病院を退院した日だと思っていたからです。でも、よく考えてみると退院する時に、自分で会計を済ませた記憶があります。入院していたのは県立の病院ですから、祝日は休みです。その日は振り替え休日だから、その日であるわけありません。
3月9日に入院・5月6日に退院という記憶が間違いで、3月6日に入院・5月9日に退院というのが正解でした。

ところで、AAではバースディ用に色紙を回す地域があります。時には色紙の代わりに『今日を新たに』という本をプレゼント用に用意して回し、「どうぞご自分のバースディの日付のところにメッセージを寄せてください」と言われることがあります。
『今日を新たに』をお持ちの方は5月9日の日付のページを開けてみてください。そこは文字が多くて空白が狭いページであります。メッセージを書こうとしてもとても窮屈です。同じ日付のバースディの人が先に書いてあったりすると、「いったいこのページのどこに書けばいいんだぁ」と内心叫びたくなるくらいです(ここらへんがうつ病患者的ですね)。

ある時、ある人が、退院してはじめてAAミーティングに参加した日が「自分のAAプログラムが始まった日」であり、自分のバースディです、と言っているのを聞きました。そこで僕も、退院後にホームグループのミーティングにはじめて出た5月11日をバースディにすることにしました。Daily Reflections(今日を新たに)も11日のページは広々としていて、この日付は僕のお気に入りであります。

バースディとは別に僕は「自分のAAプログラムが始まった日」として印象に残っている日付があります。3月6日の入院直後から焦っていた僕は、僕は医者に「退院させろ」「転院させろ」とうるさく詰め寄っていたのですが、医者はまったくとりあってくれませんでした。そこで作戦を変えて、「病院からAAに通わせろ。そのためには自動車が必要だから、家から持ってくることを認めろ」という要求に変えました。
精神病院に入院中の患者に車を運転させるのさえとんでもない話である上に、しかも帰りは消灯後だという「病院始まって以来の破天荒な要求」を僕は押し通しました。

自宅に車を取りに行く許可が出たのが、入院2週間後の3月20日でした。車を取りに帰るついでに、AAミーティングに出てくる予定でした。しかし、JRの乗り継ぎに予想より時間がかかってしまって、予定よりはるかに遅れ、ミーティング会場に着いたのは午後8時59分でした。
いつもだったら、まだミーティングが続いていてもおかしくない時間でしたが、その日はたまたま参加者が少なかったのか、時間が早く終わったらしく、もう誰もいませんでした。
会場の教会の前の駐車場に車を駐め、僕はセブンスターに火をつけると、それを根本まで吸い終わるまでひとつのことを念じていました。

(ミーティングには間に合わなかったかもしれない。でも、僕はここまで来る努力をしたんだ。それは間違いない。今日から僕のAAプログラムが始まるんだ。今日を僕のターニングポイントの入り口にするんだ。誰も見ていないし、証人もいない。でも今日から始まったんだ。それだけは確かなんだ)

誰も見ていなかったかもしれませんが、きっと僕のハイヤーパワーは僕を見守っていてくれたのでしょう。いまでも僕は、相も変わらず、ターニングポイントを回り続けているのであります。

(この話はもう少しボリュームをふくらませて、個人の体験記に収録するかもしれません)


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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