心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年10月14日(木) 新聞

新聞を取らなくなって何ヶ月が経ったのでしょう?

いろいろと楽になったこともあります。まず、月に一度の資源物(紙)ゴミの前の晩に、必死になって新聞と広告を分けて縛っていることがなくなりました。それに、今に広告チラシが散乱していることもなくなりました。それはありがたいことであります。

ニュースを知るということについても、不便はしていません。新聞社のサイト(朝日と産経)は毎日目を通しています。長野は全国紙の夕刊がないところなので、情報は朝刊に集約されます。そして、僕は朝に朝刊を読まず、晩御飯の前後だとか夜寝る前に読む人(だった)です。すると、新聞のニュース記事は、前日の昼にサイトで速報されていたものが、文章そのままに再録されたものだったりします。
なので、ニュースメディアとしての新聞には関心がなくなっていたのは事実です。

でも、新聞はニュースを伝えるだけじゃないんですよね。経済の解説記事があったり、専門家の寄稿があったり、速報性ということとは関係ない記事もたくさんあります。例えば、依存症に関する連載記事だとか、信仰についての仏教者とキリスト者の対談だとか、料理の簡単レシピだとか・・・、そういった記事は新聞社のニュースサイトには現れないのです。
不要不急の情報のインプットを失ってしまうと、なんか寂しいのであります。

「役に立つか立たないか」という観点からすると、実は新聞は僕にはあまり役に立っていなかったわけです。しかし、人生には役に立たないものも必要です。犬を飼ってみたり、猫やねずみを飼ってみたりするのも「役に立つから」ではないでしょう。役には立たないけれど、人の心を豊かにしてくれるのがペットです。
新聞も「役には立たないけど、あったほうがいいもの」だったのかもしれません。

Web朝日新聞 とかは紙面を直接配信しているので魅力があるのですが、国内では契約できないそうです。新聞流通で食べている人が多いからかな。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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