心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年03月14日(日) スポンサーと再会

睡眠不足のまま病院メッセージへ。8年前のこのときに、僕はこの病院に入院していました。泣きを入れて入院させてもらったはずなのに、もうこの時期には病院から出て行きたくて仕方なかったです。医者と揉めに揉めた末、自宅から車を持ってきて、病院からAAミーティングに通ってもよいことになり、そのために最初の外出日を待っている状態でした。断酒会の人は例会に参加する人を病院まで迎えに来てくれるのですが、僕は「断酒会ではダメなんだ、AAなんだ」と繰り返して、精神病院の入院患者に夜間施錠後に自分で自動車を運転して外出させるという破天荒な要求を押し通したのでした。

僕は「底をついて」いたのかもしれません。でもまだまだ下は深そうでした。僕は「これからどう生きていくか」の決断を迫られていました。それはこれまでと同じ生活を退院後も繰り返していくのか、それとも何かの努力をするのかという選択でした。日々が不安で、イライラしていました。ただ同時に入院していたAAメンバーの話に寄れば、「毎日ベッドに寝転がってマンガを読んでいた」そうですから、客観的に見れば結構気楽に入院生活をしていたのかもしれません。

スポンサーが病院メッセージの応援?に来てくれたおかげで、久しぶりに会うことができました。以前のメンバーの消息などの話をしました。「今年で12年ですか?」とたずねたら、「14年だよ」という返事でした。自分のバースディはなかなかやってこないけれど、人のバースディはどんどんやってきます。不思議なものです。
もう僕がスポンサーに相談の電話をすることもないし、「子供をつれて遊びに行く」という約束が果たされることもないのかもしれません。でも、スポンサーはずっと僕のスポンサーです。僕にとって「先行く仲間」と言えば彼のことです。

そういえば、病院に車を持ち込んで、最初にAAミーティングに行ったときに、まず彼に「スポンサーになってください」と頼んだのでした。あれが人生の転機だったのでしょう。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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