心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年02月15日(日) 「事実上の満場一致」

私たちの集まり(AA)は、「事実上の満場一致」ということをとても大切にしています。でもそれは、例えば100人のうち九十何人が賛成できるような案が出るまで、議論に議論を重ね、問題を先延ばしにしてでも、説得工作を行うことを意味しているわけではありません。

結局のところ、私たちも「賛成・反対」のいずれか(もしくは保留か棄権)を選ぶ投票行動をすることになります。AAでは、拘束力を持った決定をするには、過半数では十分でないと考えられていて、3分の2が必要とされています。そして賛成・反対のどちらかが3分の2に達した段階で物事が決まります。そう、文字通り決まってしまうのです。
敗れた少数派には「アピール」のチャンスが与えられます。もし望むなら、自らの意見をもう一度皆に訴えることができます。それは文字通り最後のチャンスなのです。そして、それに耳を傾けた多数派が「もう一度投票をやり直そう」と言ってくれないならば、それ以上時間が無駄にされることはないはずです。
少数派は、多数派を「説得しよう」とする努力を止め、自らの意見は胸にしまいこみ、下された決定が実行に移されるよう、快く協力するのです。

このように少数派が自ら存在をやめることによって「事実上の満場一致」が実現されるのです。そうでなければ、私たちはばらばらになって酒の海に放り出されるだけなのですから。

僕のような「自分の意見が正しい」と思い込みがちな人間にとって、少数派でありがちであるという事実は恩恵そのものです。少数派であることは、恥辱に満ちた敗北を意味するのではなく、思い上がりを捨て、他者との協力関係を築く練習の機会を与えられることを意味するからです。そして少々の謙虚さを身に着けることも。

今では僕はだらだらと討論することを好みません。投票という民主的な手段を好みます。私たちは誰も裁かないし、誰も罰しない。政府の役割はしない。だからこそ敗北がすがすがしくあるのですから。ステップ9のamendsは埋め合わせと訳されているけれど、それは謝罪でもあり賠償でもあります。私たちは誰に対しても、ステップ9の具体的なやり方を強要したりはできません。

「納得できない」という感情の棍棒を振り回すとき、私たちは常に神から遠ざかる。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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