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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2003年11月13日(木) 狂気 ホームグループのミーティング。基本テキストから2章の「肉体と精神のアレルギー」を輪読。テーマはステップ1。
lives had became umanageable。思い通りに生きていけなくなった(手におえなくなった)のは、過去のことなのか、それともそれは今も続いているのか? (別にそんなことをミーティングで話しているわけじゃないですが)。考えて悩むほどの事はではないのでしょうが、考えてみたりします。
もっと簡単な話としては、ステップ2で「正気に戻してくれると信じるようになった」。はたして、飲んでいないアルコホーリクは正気なのかどうか? こちらは答えは簡単で「No」ですね。飲まないアル中が、一見望んだように生きているように見えても、皮一枚下には狂気が剥き出しになります。人生を楽むには「飲まないでいれば」という条件がついていて、「飲まないでいる」には生きた信仰が必要だとステップは説くのです。
僕のソブラエティ1年目に、突然あるAAメンバーが現れました。彼は過去に熱心なAAメンバーだったことがあるのですが、仕事が忙しくなったことを理由にミーティングを去りました。そして仕事で彼は成功を収め、経済的に豊かになるのですが・・・必然的な帰結として彼はまた飲んでしまい、仕事も金銭も失ってふたたびAAに戻ってきたのでした。「物質的な豊かさは霊的な成長の次にやってくるのであって、逆ではない」とテキストにも書いてあります。彼はそのとおりの経験をして、それを皆に伝えるため(かな?)に、あちこちへと飛び回っている途中なのでした。
その後、彼がどうなったのかは知りませんが、彼の分けてくれた経験が僕のその後に大きな影響を与えたことは確かです。
飲んでいなければ正気なのだ、と頑迷に信じていたほうが楽なのかもしれません。でも、アルコホーリクの中に潜む依存症は、いつも発病の機会をうかがっているのです。
もっとも最大の狂気は、繰り返し繰り返しステップを踏んでいれば、だんだん回復していくという思い込みでしょう。人間はそう簡単に変わるものじゃありません。経験の長さだけで聖人ぶっていたら笑われるだけです。ソブラエティの長い仲間は、ちっとも回復していないのだけれど、でも謙虚になって経験を共有している姿を見ると安心します。回復しているように見せようとしてしまうのが、人間の弱さなのでしょうが。
僕だって、自分が回復しているんだと盲目に信じていたいクチです。
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